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「永遠の扉 過去編 第003話 (1-4)」(2012/11/19 (月) 21:49:27) の最新版変更点
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必死の思いでヒビだらけの核鉄に手を伸ばす。兵馬俑。発動したところで玉城にやられた傷のせいでまともには戦えない
だろう。だが総角たちが来るまでの時間稼ぎぐらいはできる。
そう思い伸ばした右前脚の先で核鉄が爆ぜた。
吸息かまいたちなる忍法を知悉している無銘は理解した。真空の奔流。カマイタチ。それが核鉄の表面に炸裂して、弾
き飛ばしたのを。
哀れひゅらひゅらと旋回しながら丸太の向こうへ飛ばされる核鉄。小型犬は首を旋回、戦士に向けるは煮えたぎる眼差し。
相手は右腕を鉤手甲ごと前に突き出している。何らかの衝撃波で核鉄を吹き飛ばした。唯一の武器の発動を、封じた。一拍
遅れて玉城の腹部が大きく裂け、錆びた臭い──血とはやや違う匂いに無銘は迸る液体が血液を模した擬態用だと初めて
気付いた──が立ち込める中。
「貴様!」
「大丈夫……大丈夫……です」
顔を歪めながらも微笑する玉城。複雑な表情をする無銘。
男は冷然と観察し、
「動物型が核鉄を頼る理由や、すでに傷だらけの理由は気になるが……」
両手を鉤手甲ごとばっと広げて駆けだした!
「ホムンクルスは狩るのみだ」
(最悪の状況! 我はこの有様! この女もまた動けない!)
迫りくる鉤手甲に絶望を覚えて何が悪いと無銘はつくづく毒づいた。だが同時に絶望色が感情に紛れ込んだのはそれが
最後でもあった。
(要は我の甘さが招いた状況! ならば身を捨てればいいだけの事! 死を受け入れろ鳩尾無銘! 師父らが到着しさえ
すれば勝ち……任務は達成される!! それまでの時間は──…)
玉城と戦士の間にケンケンするように一本足で立ち上がる。第3腰椎の悲鳴を代弁するように低い唸りを上げた。
(我の命を以て埋める!)
太陽はいよいよ沖天に向かって駆け昇り始めている。力強く輝く橙の円環の下、緑の波濤がざわざわとさざめいた。山
肌を颪(おろし)が滑り木の葉が舞う。
駆けてくる戦士が左手を振りかざした。鉤手甲が無慈悲に煌き、そして撓る。対する無銘との距離はまだ10メートルほど……
空気がうねりをあげて迫ってくる。
(またカマイタチ!)
それを認め、体を捩りかけた無銘の顔にドス黒い苦渋が広がった。先ほど核鉄を吹き飛ばした空気の奔流は少し身を
動かすだけで避けられるだろう。だが後ろには玉城がいる。度重なる戦闘でほぼ全壊状態の彼女がこれ以上攻撃を浴び
れば……? 任務上生じた配慮が無銘の体をその場に固定させた。とはいえ彼自身もまた軽傷とは言い難い。「これ以上
攻撃を浴びれば」は彼もまた。そして迫る真空の衝撃。
(人型にさえ……いや!!)
自身の欠陥に対する憤り。二進も三進もいかぬ泥状況。それらが無銘を賭けに出させた!
……彼の操る兵馬俑の武装錬金・無銘はさまざまな忍法を扱う。
腕より高熱を発する赤不動。
足元より冷気を発し総てを凍らす薄氷(うすらい)。
戦闘序盤、奇襲後間もない玉城へ投げた銅型円盤は銅拍子という。
(兵馬俑が忍法を使えるのは)
今しがた核鉄を飛ばしたのはカマイタチ──戦士の所業がそうと気付いたのは。
(我自信がその正体を理解しているからだ……!!)
忍法吸息かまいたち。これは激しい吸気によってかまいたちを巻き起こすわざである。当たれば頭蓋が血味噌というか
ら恐ろしい。
(ならばこの身でやれ! 普段やれぬとしても……やるのだ!!)
チワワの腹部が異常なくぼみを見せた。玉城は嘆息にも似た長大な溜息を聞いた。
今度は胸部が異常な膨張を見せた。そして響く喘鳴……。
戦士のカマイタチが突き進んでいたであろう空間と無銘の中間点で何かが爆ぜた。一瞬半透明にくゆった空間が螺旋状に
裂けた。衝撃が当事者たちを突き抜ける。燃えるような三つ編みが後ろへ流されチワワの頬がビリビリと波打った。戦士の
頬が軽く裂け、胡乱な黒さが目に現れた。
忍法吸息かまいたち。それは正に成功した。戦士のカマイタチはここに撃墜されたのである。
再び息を吐いた無銘は脱力したように軽く背を丸め、口を拭った。手には血が滲んでいる。全身には汗が噴き出し、早ま
る呼吸は背後の玉城に「耐えがたい苦痛」を直観させるに十分だった。恐らく急激かつ過大な吸気が小さな気管支のあちこ
ちを裂いたのであろう。或いはカマイタチを吸いこんでしまったのかも知れない。
という推測を玉城がする間にも戦士は動いた。カマイタチを撃墜され、動揺するかに思えた彼だが、ト、ト、ト、と3歩走る
や否や冷然たる面持ちで立ち止まり、軽く左手を跳ね上げた。
「何だと」
驚愕したのは無銘である。しっかと地面に付けていた筈の片足が浮き上がっている。いや、片足だけではない。無銘の
体がフワフワと浮かび上がっている。何かに持たれている訳ではない。仕事場にいる宇宙飛行士よろしく『何の支えもなく、
ただ体だけが』浮いていき、やがて彼は地上2メートルほどの場所に固定された。
「つッ」
左肩の痛みに無銘は思わず顔を歪めた。一見何もない筈のそこが何故か破れ、刺すような痛みをもたらしている。
(刺されて……? まさか!)
傷口からやや離れた場所を撫でる。そこは一見何もない空間だ。にも関わらず肉球には軽い痛みが走り、切り傷さえ開い
た。無銘ははっとした面持ちでいま触れた場所をしばし眺め──赤い雫を垂らしてみた。……何かに斬られたように霧消した。
傷口を見る。血が流れるなり散らされているのを見た瞬間……鳩尾無銘は確信する。
(透明な刃があるようだ。だが、流血を弾く以上これは『武器』ではなく『現象』。仮に透明な刃があるなら伝い落ちる筈)
戦士を見る。『左手を無銘の延長線上』へ伸ばしている戦士を。彼はいま、右手を動かさんとしているところだった。
(分かったぞ。……こいつの武装錬金の特性は斬撃軌道の保持!)
その姿勢がグラリと揺らめいたのは宙空に浮かぶチワワが咆哮とともに身を揺すった瞬間である。
(カマイタチを飛ばせるほど鋭い衝撃を、その場に固定するコトができるのだろう。……一見すると近距離専用だが恐らく
違う。『カマイタチを飛ばす』……それもまた斬撃だとすれば射程は限りなく延びる)
戦士が数歩進んだのは斬撃軌道を前進させるためか。
(いうなれば鉤手甲というより栴檀の奴めの武器に近い。先端の分銅がカマイタチで斬撃軌道は鎖だ。しかもその分銅は
粉砕されてなお空間に留まり、戦士の前進とともに我へ刺さった。つまり……射程は限りなく延びる上に移動も可能!)
奇妙なコトにいまだ8メートルの距離を置く両者は、何事かによって結ばれているらしかった。無銘がその身を激しく揺すり、
暴れるたびに戦士の左手の鉤手甲は異様な軋みを立てる。グラリ、グラリと上下に振れる左腕が戦士の安定を奪っている。
(だが斬撃軌道が戦士の手から延びる以上、やりようもある。我はいま、平たくいえばガラスの刃を刺されているような状態
だ。それゆえに、我が動けば奴の動きを封じられる!)
燃えるような赤い髪の少女を振り仰ぐ。彼女は何が起こっているか分かっていないらしかった。苦笑が浮かぶ。
(初撃で核鉄を飛ばした斬撃軌道もまた保持されているだろう。今しがた戦士が右手を動かしたのは……貴様にトドメを刺
すためだ。初撃は右手で放っていたからな。よって我を封じるや否や貴様を殺しにかかった。だが……我が粘っている以
上、手出しはさせん! そして!)
無銘の体が戦士めがけて滑り始めた。
(このまま斬撃軌道を伝い落ちて接近する! 近づきさえすれば牙も届く!)
戦士の目が光った。右手が動いた。しかし無銘はそれより早く跳躍した。下半身を振り子よろしく振り、勢いをつけて。ザ
リザリと響き渡った凄まじい音は彼の左肩が下に向かって引き裂かれる音である。彼は自らを刺す斬撃軌道から強引に
脱出した。串に刺された肉を左右めがけ引き、ちぎる要領で。
……紙一重でぷらつく左上腕部から生暖かい雨が降る。戦士は「あっ」と声を漏らした。血が、両目に入った。いや、投げ
入れたのだろう。無銘は血まみれの右手を振りかざしている。
獣の口がニンマリと裂けた。皓歯の羅列が刺々しい光を帯びた。
(まずは右肩を噛み砕く!)
体は落下を始めている。牙が、鈍色の凄まじい残影を引きながら戦士に迫り──…
「小癪な」
無銘の眼前で四本線の軌跡が閃いた。流石に目つぶしによって正確さを欠いたと見え斬撃そのものは一髪の間合いで
外れた。だが斬撃軌道は残っている。四本線の不可視の刃へ突っ込めばどうなるかは明らかだろう。
「舐めるな!」
もとより無傷は捨てている無銘だ。えび茶色の体の中で首だけを捩ったのは章印をかばったにすぎぬ。果たして自由落下
中の無銘の右目に不可視の斬線がめり込みそこから右が削ぎ落された。牙が散る。咬合力が減損する。顔面ごと片顎を失し
た獣がどれほど相手を食い破れるというのか……そんな疑問さえ無銘は覚えたが。
(それでも噛まざるを得ん!)
無我夢中で戦士の右肩に飛びつきそこを食い破る。錆びた味が広がった。服と肉のカケラを素早く吐き捨て飛びのく。筋
をごっそり裂かれ脂肪の向こうに骨さえ覗く傷口が見えた。動脈が裂けたらしく噴水のように血が飛び散る。
(これでカマイタチは封じられた筈)
安心したのもつかの間……。頭がむんずと掴まれた。視界が上に登って行く。もがく。外れる気配はない。上昇が止まった。
戦士。
彼の胸の前で彼を仰ぐ。血で汚れた眼はいまだ糸のように閉じられている。だが無銘は身震いした。死者。亡者。ぼんや
りと瞑目する彼は全身から漆黒の霞を漂わせている。特にどうという表情もない戦士。今しがた噛み破られた右腕で敵を掴
み、淡々たる手つきで左の鉤爪を振りかざす戦士。それは明らかに章印を狙っている──…
(くそ! 核鉄があれば! せめて人間形態にさえ、人の姿にさえなれれば──!)
「……手だしは……させません」
なっと息を呑んだのは戦士ばかりではない。無銘もまた意外な面持ちでその光景を眺めていた。
クチバシ、だった。子供ぐらいなら丸呑みにできそうなほど巨大なそれが戦士の左上膊部に噛みついている。そのせい
だろう。鉤爪が無銘の章印スレスレでぴたりと静止したのは。静止した物が揺れた。無銘の視界が90度傾いた。そのフレ
ームの中で戦士が飛んだり跳ねたりを始めたが好きでそうしている訳でもないらしい。
(これは──…)
どうやらクチバシが左腕ごと戦士を振り回しているらしい。途中で気付いた無銘も無事とは言い難かった。彼は戦士に頭
を掴まれている。激しい揺れに巻き込まれたのは成り行きとして当然……。世界が揺れる。傷だらけの体がガクガクと揺
れる。無銘と戦士だけが局地的大地震に見舞われたようなありさまだった。
よく絞られた中肉中背の体は、無銘の視界の中、しばらく轟々と振り回される羽目に成った。
腕がすっぽぬけそうな勢いでフレームを出たかと思うと弾丸のように戻ってきた。ただでさえ無様な顔面が地面に叩きつ
けられ醜く歪む。勢いは止まらない。とうとう戦士の体は肘を起点に360度回転した。すぐ頭上で響いた関節と腱のねじ切
れる音は無銘の背筋を凍らせるには十分だった。視界は更に何度も何度も触れ動く。左上膊部の咬合にもめげず手首を
動かし斬撃軌道を描く戦士だが、嘴は斬られても裂かれてもまるで意に介さず戦士を振り回し続ける。もはや斬撃軌道も
クソもなかった。咬合を免れた右腕は付け根を無銘の牙に深く抉られている。小型犬の自重ならいざ知らず、馬鹿げた揺
すれのフレーム出入りの重圧まで跳ねのけるコトはできないらしい。攻撃不可。せいぜいちぎれないようにするのが精一杯
……彼はただ成すがままだった。
いつ戦士の手から解放されたかは分からない。気づいたころには無銘は尻もちをつき、戦士がフッ飛ばされるのをただ
茫然と眺めていた。広場を超え、その際にある尖った大岩(無銘のトラウマ)を粉々に粉砕してもなお止まらず、森の中へ
飛び込んでいった。木々のへし折れる音がしばらく無銘の鼓膜を賑わし、それは2分後の彼が振動のもたらす酩酊感と吐
き気とを未消化のビーフジャーキーごと地面にブチ撒けるころようやく止まった。
「ディプレスさん……です。ハシビロコウさんのクチバシ……です」
三日月が裂けたクリーチャーのような器官が玉城の顔面で砕けた。変形か……そう理解した無銘はしかし俄かに顔を赤
黒く染めて怒鳴った。玉城の唇は眼を背けたくなるほどあちこちが無残に裂け、ささくれ、雪のように白い前歯も何本か欠損
しているようだった。
「ディプレス? ディプレス=シンカヒアか…………!?」
「はい」
「どうして栴檀どもの仇の名を……いやそれよりも貴様! どうして出てきた!」
「……力を合わせなければ……いけません……」
「フザけるな! 貴様は我に守られておればいいのだ!」
「あ、ありがとう……ございます」
無銘の言葉を曲解したのか、虚ろな瞳の少女は軽く頬を染めた。どこを見ているか分からない瞳がとろとろと蕩け、心持
ちうっとりとしたニュアンスで何かを眺めているようだった。「どこを見ている」。彼女の瞳を覗きこんだ無銘はハッとした。自
分だ。自分を眺めている。そう気付かれたコトに気付いたのだろう。玉城は慌てて俯いた。真赤な髪からチロリと覗く耳た
ぶが少し赤らんだようだった。
無銘は、とても恥ずかしい気分になった。
雪が溶け、黄砂が吹き始めたころの艶めかしい気分がモヤモヤと脳髄を苛んでいるようだった。
母と慕う小札にさえ覚えた覚えのない感情を玉城に催しているようだった。
「ち! 違うわ! そもそもだ! 我が敵対特性を受けた以上、貴様は決して無事ではない! いまクチバシが砕けたのは
斬撃軌道のせいもあるが! それ以上に! 貴様の体が限界だからだ! それでなくても貴様の体は──…」
肘から先が欠損した両腕は創傷に塗れ、裸足は折れた櫛のようにところどころ指が欠けている。立っているだけで痛い
のだろう。軽く浮かべた右脚は膝から先が心もとなく揺れていた。胴体は血にまみれ、虚ろな瞳の片方は蜘蛛の巣に似た
ひび割れが痛々しく広がっている。
「そんな体であのバカげた攻撃力を振るってみろ! 反動は貴様さえも破壊するぞ!」
「……大丈夫…………です。よくある……コト……です」
「よくある……だと!? フザけるな! 誰がそういう目に遭わせている! 属する『組織』か!? それとも貴様の姉か!」
突き刺すような叫びに玉城の顔が苦しげに歪んだ。
「よくあろうとなかろうと、貴様のような年齢の女が! それを押して戦うなと言っている!」
「ありがとう…………ございます。優しい……ですね」
「!! やかましい! 会話をしている時間はないのだろう! 見ろ!」
はつと無銘は振り向いた。戦士が落ちた辺り。そこから凄まじい殺気が漂い始めている。黒とも紫ともつかぬ靄が森の奥
から漂っている……そんな錯覚さえ起こった。そして駆け寄ってくる足音。戦士はまだ、戦える……。
「では、結論からいいます……。次に私が動いたら……チワワさんは核鉄を拾って……逃げて下さい……)
「逃げるだと!? 任務を達するコトは忍びにとり死活問題! 第一ここで貴様を守らねば育ててくれた師父や母上に顔向
けができん!」
左腕を振った無銘は喉奥から苦鳴を漏らした。凄まじい痛みが左半身に走る。バックリと裂けた左肩のせいだ。手を振る
だけでも激痛が巻き起こるらしい。
「気持ちはわかります……。でも、不可能です。私達は重傷で……助けがくるかどうかもわかりません。なぜなら」
「あの鉤爪が来たのはここに居た共同体を殲滅する為。となればまだ近くに仲間がいる! 単騎で共同体を潰せるのは大
戦士長クラスか火渡赤馬ぐらい……かの防人衛さえ徒党を組むという。よってあの戦士は仲間連れだ! 師父たちがいま
だ着かぬのは恐らくその戦士と鉢合わせているせい……その程度なら我にも分かる!」
「……はい。時間稼ぎをしても……有利になれるとは……限りません。もしそのせいで……他の戦士さんが来たら……最悪、
です」
「何が言いたい」
「断言します。チワワさんが粘っても……無駄、です。それは……分かっている筈、です……」
無銘は黙り込んだ。
(分かっている。戦士の通常攻撃にすぎないカマイタチでさえ一か八かの吸息かまいたちを使わなければ対処できなかった。
意を決して飛び込んでもせいぜい肩に噛み傷を与える程度。あの時……こやつが助けに入らねば死んでいたのは我の方だ)
「あのかまいたち……何度も……撃てますか?」
無銘は首を振った。
「…………あの一撃で気管支が裂けたようだ。もはやあれほどの吸引力は生めまい。だが! 核鉄さえ取れば!」
無銘が指差したのは丸太の山。その向こうに核鉄がある。戦士が飛ばされたのとはちょうど逆方向だが、どれほど遠くに
飛ばされているかは分からない。
玉城は、かぶりをふった。
「……もしあの自動人形を発動して……攻撃を与えても……3分以内に……あの人たちが来る可能性は……低い……です。
その間に……やられ……ます」
「ああ! 誰やらのせいで我の兵馬俑はボロボロ! というか持ってきてるの片手だけ!」
顔を背け腕を捩る無銘はヤケクソのようにまくしたて始めた。
「奴相手に3分持ちこたえるコトも貴様と我を連れて逃げるコトも難しいだろうな!! だがだからといって諦める事由には
ならん! 難しいなら難しいなりでやり様を模索するのが忍びだ!! 栴檀どもでさえ力及ばずながら後に繋いだのだ!
ここで我が奮起せずしてどうする!! あんな馬鹿な新参どもでも命がけの結果を無為にしていい道理はない!!」
とはいうものの明確な打開策はないらしい。無銘は何もない空間を苛立たしげに叩いたきりすっかり黙り込んだ。
(『あんな馬鹿な新参どもでも』……)
虚ろな瞳の前で瞼がはしはしと上げ下がった。玉城は意外な思いだった。先ほどの戦闘でしきりに叱咤していた『新参ども』
に対しそんな言葉を吐くとは。
(でも……分かるような気が……します…………)
記憶の闇の中に一条の光がぽつりと灯(とも)った。青空の背中が見えた。愛用のビーンズテーブルに向かってしきりに
鉛筆を動かす姉の姿。
(お姉ちゃんは知らなかったと思うけど…………結構……見てました)
鉛筆を止めて考え込む青空。「あ」と嬉しそうに呟いてまた鉛筆を動かす青空。鼻歌を歌ったり「喜んでくれるかな」と真剣
に呟いたり、とにかく彼女は一生懸命書きものをしていたようだった。ファンレターを書いている。玉城はいつしか何となく
理解していた。
(でも……それに来た返事は……私が…………)
飛ばしてしまった。だから父と母と自分とで一生懸命探した。報われて欲しかった。頑張った青空が何の喜びも感じられない
まま終わってしまうのは嫌だった。
「結果を無為にしていい道理はない」
(チワワさんが……そう言うのは……きっと……)
拳を握るつもりで腕に力を込める。先の欠けた肘に痛みが走る。だが心地よくもあり、玉城はさっぱりとした微笑を浮かべた。
確かにある。無銘が無為にしたくない「馬鹿な新参ども」の努力の成果が。
そこから感じられる彼らの結びつきが、ただ……眩しかった。
「………………ところで……チワワさん」
「なんだ!」
「…………血のつながりこそないように見えますけど……チワワさんがそこまで……力になりたいなら…………あの人たち
は……きっと……家族……です。だから……誰も欠けずにいて欲しい……です。私の分まで…………普通に暮らして……
普通に笑って……いて……下さい」
「何を突然いいだしている! 戯言を抜かすヒマがあるなら打開策の一つでもいえ! 戦士はもう近くにまで来ている!」
「はい……自動人形を囮にすれば……逃げられます」
無銘の黒豆のような瞳がみるみると収縮した。何度も視線をやりかけた白い足。誘惑的でさえあるなよなよとした右足が後
ろに向かって跳ね上がり、凄まじい力を溜めている。距離は至近。放たれたが最後、確実にチワワを吹き飛ばすだろう。
「おい待て貴様あ! なに足なんか振りかぶっている! 待て! 待て! やめろ!!」
両前足をばたつかせる無銘もなんのその。
「私も……囮になります……だから……チワワさんだけ……逃げて下さい……」
「まさか貴様……!?」
玉城は小型犬の胴体を蹴り飛ばした。
「任務より…………命が大事……です」
体を丸め飛んでゆく無銘は確かに見た。
限界を迎え、砕けていく足を。
唇の端と端をにゅっと綻ばせ、穏やかに笑う玉城を。
何かを呟く彼女の遥か後ろにやってきた、見覚えのある姿を。
広場に戻ってきた鉤手甲の戦士はあらゆる事情を知らないのだろう。
振り抜きたての玉城の足が緩やかに崩壊していくのを彼はただ、無感動に一瞥した。
「仲間を逃がすか」
「仲間じゃ……ありません。……敵、です」
(敵。確かに我と奴は敵同士だ)
地面に情けなくつっぷした無銘は力なく立ち上がり、よろよろと辺りを見回した。
開けた場所だが求める物は一瞥の限りでは見当たらない。
飛んだ拍子に妙な転がり方をしたのだろう。核鉄を見つけるにはしばらくかかった。
(任務でなければかばう道理はない。かかる羽目になったとあればその任務さえこなせるかどうかだ。戦士と遭遇したとあ
れば任務失敗も止むなし……師父はそうお許しになるだろう。だから奴を囮に逃げのびるのは……決して間違った選択で
はない)
(だが!)
スライス済みの断面から六角形が見苦しく飛び出した。
(だが──…)
最後に聞いた玉城の声が蘇る。
「いい……です。私はチワワさんのおかげで……笑うコトができました……。それで……満足……です」
蘇ったそれは何度も何度も脳髄に響いているようだった。
片目が髪に隠れたその少女はひどく無口で。
動物たちが大好きだった。
何が楽しいのか、洞窟の奥で無銘の毛を何度も何度も梳り、楽しそうに笑っていた。
(何故だ。なぜいま『あの女の事を』……思い出す……!!)
羸砲ヌヌ行は語る。
「鳩尾無銘が思い出していた少女のコトかい? そうだねえ。彼にとってはもしかすると『姉』であり『妹』だったのかも知れな
いね。ふふっ。出会ったのは物心ついて1年経たないうちさ。自分の体について悩んでいるころ……。異形であるコトに悩
むがゆえ心通じた怪物のような少女」
「しかし交流はそれほど長く続かなかった。我輩の記憶が確かならば一晩。そう、たった一晩しか彼らは時間を共有できな
かった。少女は死んだよ。蘇った頤使者6体。そして栴檀2人が加わって間もない頃の音楽隊。彼らの熾烈な戦いのすえ
鳩尾無銘は経験した。切ない別れを……経験した」
「しかし彼はやがてそれを超える。乗り越えて……新たな絆を、手に入れる!(ちょっとはしゃぎすぎかな私?)」
山頂は沈黙に包まれていた。無人、という訳ではない。その中央付近ではイガグリ頭をした30絡みの男と少女がじっと
睨み合っていた。双方とも直立不動だが、それが保てているのが不思議なほど傷は深い。
少女はなよなよした体を傷と欠損で苦しげに彩り、脛の半ばから先が欠損した右足を無造作に垂らしている。
30絡みの男もまた右肩のあたりからとめどなく血を流している。
無銘の食い破った傷が相応の痛みをもたらしているのは間違いなく、現にあばたとイボのある鼻に脂
汗がネットリと浮かんでいた。
(ホムンクルスなら……ともかく…………戦士さんを……殺すわけには……いきません……)
少女──玉城はそう思っていた。
(ホムンクルスならともかく……人間を殺したコトは……ありません。殺したくは……ありません)
チワワさんを逃がしたら討たれよう。そう思っていた。
「爪ある限り軌道は連続する。敵を裂き、腕を止め、那由他の限りを置いて再び動かしたとしても……連続する」
戦士の左手は腰の辺りまで下がっていた。翻った掌はとてつもない負荷を浴びているようにガクガクと戦慄いていた。見
栄えの悪い顔つきが怒張し、真赤に染まり、こめかみに浮かぶ青筋が今にも破裂しそうにひくついている。
彼は息を吸った。病熱患者がうなされるような不気味な音が響いた。次いで拳が握りしめられ、重機よろしく上方へ跳ね
あがった。果たして頭上に上る鉤手甲。重々しさを克服したような手つき。それをただ玉城はぼうっと見ていた。
「軌道は! 連続する!!」
ざあっと息を吹き散らかしながら戦士は左手を振りかざした。
そして大地は大きく揺れた。
「ふは!? とととととと、のわーっ!!」
つんのめる小札の横で木々がざわめいた。黄ばんだブナの葉が散る世界はもはや鳥どもの悲鳴とはばたきの大合唱
しかなくとかくとにかくやかましい。
総角の鼻先を黒い旋風が通り過ぎた。円弧状に斬り上げられた肉厚の刃は更に中空で不自然な『持たれ方』を経て袈裟
斬りへ。眼前に気を置きつつ山頂の気配も探る。新たな揺れが来てもそれが命取りにならぬよう、心持ち多目に飛びのき間
合いを取る。剣の主がどこか無邪気な様子で突っ込んできた。乱雑な足運びに剣客として溜息が洩れる。剣を握るなら術
理も齧れ。もっと強くなれるぞ……100メートル走でもするような野暮ったい動きにそんな忠告さえしたくなったのは通暁者
特有の講釈欲求ではない。斬撃1つやるにもいちいちドタドタ駆けてくる泥臭さに好感を抱いたからだ。
総角が向かい合っているのはそんな敵だった。
どこからか雷のような音が響き、敵は山頂をはっとした面持ちで見上げた。その視線を微苦笑混じりで追った総角は、大儀
そうにポケットから手を出した。
「やはり無銘は山頂か。そして同じ状況らしい。……やれやれ。好感ゆえなるべく無傷で終わらせたかったのだがな」
時間がない。目を細め一人ごちつつ踏みこむ。耳元で西洋剣が唸りを上げた。傍で見ている小札がひっと息を呑んだが構
わず剣すれすれに駆け抜ける。相手の懐に飛び込むのにさほどの時間は要さなかった。はちきれんばかりの胸板は武装
錬金特性ゆえか……。品定めを終え面を上げる総角に驚きの声が振りかかる。
その主はやや強面だった。
あんぐりと開けた大口から4本の鋭い牙が伸びている。と書くと獰猛な印象だが澄んだ瞳には子供っぽさも宿っており、20
歳は超えていないように思われた。目を白黒しながら避けられた剣と総角を見比べる様子は滑稽と言えば滑稽だが、がっし
りとした体格に見合わぬその反応は「ちょっと間の抜けた気のいい大型犬」という印象である。
「悪いな。逃げるのはやめだ」
「え」
笑顔で(戦士の)左手首を掴む総角の意図を察し損ねたのか、男は間の抜けた声を上げた。さもあらん、彼はまだ剣さえ
振り抜いていなかった。野暮ったい足で運んだ巨躯はまだ前へ前へと向かっており、突っ込んできた総角を「危ね」と避け
かけてもいた。
そんな勢いが、何かに吸い込まれた。
「柔(やわら)を使わせて貰う」
キラキラと輝く金髪の奔流の影で男の体が舞い上がり、そして飛んだ。彼は手近な木にしこまた背中を叩きつた。
「何と! もとより身長体重総てが勝る筋肉絶賛肥大中筋肉モリモリマッチョマンな戦士どのを腕一本で!?」
「ま、交差法だな。突っ込んで来なければ無理だったさ。…………筋肉モリモリマッチョマン?」
黒い刀が木の根と打ち合い乾いた音を立てる傍で戦士は力なくうな垂れた。
『はは! どうやら後頭部を打ったらしい!』
「で、仮ぎゃーってわけじゃん……うー。なんか悪いコトしたっつー感じもするけど」
ぼるりぼるりと側頭部をかく香美は忸怩たる思いらしい。野性味溢るる美貌が台無しになるほど徹底的に顔をしかめている。
「これもまた止むなきコト。よもや無銘くんを追撃している不肖らが戦士どのと出会うとは」
「フ。この山頂にいた共同体はよくよく運がないらしい」
要するに総角たちと玉城、戦士の3勢力から狙われていた。そして壊滅した後、タッチの差でやってきた連中が意味もな
く争う羽目になっている……そう述べた総角はこう締めくくって駆けだした。
「とにかく、戦士が来ている以上、急がねばならんな。先ほどの揺れも気になる」
『ええ! ええ! しかし──…』
貴信は眼前──つまり香美にとっての背後を──やれやれと見渡した。
嵐でもきたようだった。
大木が何本も何本も何十本も倒れている。総て然るべきルートに流せば車1台分ぐらいの代金にはなるだろう。それ位
多くの木々が無秩序に伐採されている。
総て、戦士の所業である。貴信は身震いした。
(剣一本でここまでやるとは! まともにやりあえばどうなっていたかは分からない!!)
不覚にも喪神した剣持真希士は帰還後それを大いに恥じ、ますますの鍛練に励むコトとなる。
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