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「「演劇をしよう!! (前編)」 (6)」(2011/05/21 (土) 19:14:06) の最新版変更点
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──────銀成学園屋上──────
中央に整列する影があった。少年もいれば少女もいる。身長や年齢はばらばらな彼らだが床板に沿って一直線に居並
んでいる。中央に位置するショートボブの少女は宛(さなが)ら学級委員という顔つきで──時おり騒ぎ出す学ラン少女など
注意しつつ──左右を見渡している。そんな彼女と1mほどの距離を挟んで向かいあうのは全身銀色のコート姿。
防人衛。いうまでもなく一団の指揮官である。
「とにかくガス騒ぎの影響で午後の授業は中止だ。その時間を打ちあわせに充てよう」
ここで挙手。剛太だ。防人はすかさず指差し発言を促す。
「キャプテンブラボー。なんか毒島が落ち込んでいるんスけど」
(ああ。考えてみれば授業中止は私のせいですね。怪我の功名なのかも知れませんがあまり素直に喜んだりは、喜んだりは……)
見ればガス騒動の主因が座りこんでいる。表情は暗い。ガスマスク越しでも分かるほどに。
「いまはそっとしておいてやるのが一番だ。さて本題だが……戦士たちと音楽隊の特訓についてだったな。
そちらについては総角主税からの提案通り、演劇の練習と並行して行う」
「つまり、練習のフリするんだな」
「ええ。演劇の練習なら武装錬金も小道具で通るし」
「ブラボー! その通りだ御前、桜花。何しろこの学園、演劇発表中に武装錬金が発動しても怪しまない部分があるからな。
鐶や他の者の特異体質についても、ま、何とかなるだろう」
(衣装に縫い込まれていた核鉄。それが本番中発動したらしい)
まひろから聞いた「演劇部の逸話」を反芻しながら斗貴子はゲンナリと肩を落とした。
「というか本当にやるんですか戦士長? 武装錬金はともかく、鐶や栴檀どもの特異体質はいくらなんでも誤魔化しきれない
と思うのですが」
防人はしばらく考えた後、親指を立てた。
「大丈夫だ! 問題ない!」
「戦士長……」
覆面越しでも分かるほど瞳を怪しく煌かせる上司。斗貴子は理解した。「ああ、ノリだけで喋っている」と。
「大丈夫……小道具という……コトで……。演劇、頑張ります……!」
『僕らは特殊メイクってコトで!!』
「そ! そ! よーわからんけど、そ!!」」
「済むかァ!! というかなんでお前たちノリノリなんだ!!」
叫ぶ斗貴子は見た。さっそく台本を読み込む小札を。幼い瞳がキラキラしていた。
(ナレーション、ナレーションの役をば空いていればやりたき所存。本分は実況ですがたまには、たまには。あああ、喉が
疼きまする。声をば張り上げ劇の勢い引き立てる一因子に不肖はなりたいのであります)
小さな体をうずうずさせるロバ少女はまるでトランペットを眺める少年だ。
そして斗貴子が気付く重大な事実。
「ちょっと待てェ! 鐶に特異体質を!? じゃあまさか裏返し(リバース)解除するのか!」
「何をいっている戦士・斗貴子。そうしなければ彼女との特訓は不可能だ!!」
「アイツにどれだけ苦戦したか忘れたんですか戦士長! 下手をすれば特訓どころか殲滅されますよ!」
「まあ解放しても大丈夫だろう」
防人が指差す先を見る。薄々予想していた光景だが、斗貴子はもうどうしようもないほど情けない表情になった。
「むぐむぐ。ドーナツ……おいしい、です」
「はい光ちゃん。お代わりはまだまだあるわよ。劇に備えて栄養とらなきゃ」
虚ろな瞳の少女はのんびりと好物を食べていた。
「ただ一つ断わっておくが、2日後の発表で負けたらキミたち音楽隊も罰ゲームだぞ」
『罰ゲーム!?』
「そうだ。全員戦士・斗貴子と同じセーラー服を来て貰う」
「女装、だと?」
大気の凍る嫌な音がした。ついでおぞましい殺気も。
ある一名を除く全員が発信源を見た。
そこには。
壮絶に嫌そうな顔をする総角──ある一名──が居た。とてつもない剣気と威圧感を迸らせ、平たくいえば墨絵調だった。
「フ。この俺に女装を、だと? 誰が、発案、シテ、くれた、かは、知らナイ、が、とても! 不快! だな!!」
(なんでカタカナ混じりに怒ってんだもりもり?)
(何でも、クローン元が女装好きだとか)
(ああ。メルスティーン=ブレイドとかいうレティクルの盟主か)
『と、というご様子なので僕たちも部活を頑張りたい!!』
「つってもさー。あやちゃんならおっかない奴の服でもにあいそーじゃん」
(…………………お小遣い溜めて母の日にプレゼントしよう)
(ナレーション。ナレーション。ナレーション♪)
一同の喧騒をよそに小札だけは浮かれていた。薄い胸にしっかと台本を抱きしめ左右に小さく振れていた。
「次に鳩尾無銘が察知したという敵幹部(マレフィック)の匂いだが……」
「それに関しては、同じ匂いの香水が流行っている、とか」
どういう訳かややぎこちなく答える毒島だが、「まあ落ち込んでいるせいだろう」と誰も気にしない。
(違うんです皆さん。戦士長。すでに幹部は、この学校の中に……)
先ほど邂逅した謎の少女。イオイソゴと名乗る幹部。更に謎の男。最低でも2名、幹部がいる。
来ている。
恐怖が全身を貫く。非常事態だ。理解しているにもかかわらず毒島の口は報告を許さない。
「匂いか。勘違いならそれでもいいが、確かに気にはなる。せめて幹部の顔さえ分かっていれば、探しようもあるのだが」
トン、トン、と防人の方を叩く者があった。振り返る。いつの間にか鐶が背後に回っていた。
「私……知っています」
珍しく輝くような笑みを浮かべていた。
「……私は…………お姉ちゃんに……無理やり……レティクルに……入れられたので……何人か……幹部さんと……逢
いました……。顔も、知っています。うふふ。うふふ」
役立てるのが嬉しい。そんな表情で屈託なく彼女は笑っていた。
「昨日の夜……渡した……絵を……みてください……。自信作、です」
ついに微笑は輝きの頂点に達し、戦士達をまばゆく照らした。
「つってもよォ、ひかるん?」
ライト状の目を歪めながら御前が数枚の紙をぺらぺら揺すった。
「なんでお前の描く絵ってほとんど浮世絵風な訳?」
差し出された4枚の紙を見つつ一同は嘆息した。
描かれていたのはまったく御前のいう通り、浮世絵だった。
銅色の髪を立て巻きにした女性も錫色の髪を後ろで結わえた女性もウルフカットの男性もやたらクチバシの大きな鳥の
絵も、総て総て、目に隈取りのある、両手を妙な角度で前に突き出した、独特の画風だった。
よって捜索の役には立たない。昨晩戦士達は苦渋の決断を下した。
「上手くはあるんだが何か違う……。クソ。カズキといい鐶といいどうして似顔絵描かすとこうなるんだ」
「義姉ならもうちょっとうまいだろうって描かせてみたら……これだ!!」
剛太が更に1枚の絵を突き出した。彼の表情は深刻だった。目元に涙を溜めていた。
それほどその絵は異様だった。
まず、横向きになったA4用紙のほぼ半分を占める形で巨大な人物が描かれていた。
スカートを穿いているところを見ると少女のようだったが、顔つきは明らかに異常だった。
両目の形は鋭角を下に向けた三日月という形容こそまさに相応しかった。そうやって笑みの形にばっくり裂けた眼窩が黒
のクレヨンでどこまでもどこまでも黒々と塗りつぶされているのだ。
その上から乱雑に描き足された赤い瞳はらんらんと輝いている。まるでこちらを楽しげに観察しているようで、戦士長の防
人でさえ寒気がした。
にも関わらず絵の中の少女らしき人物像は本当に心から笑っているようだった。
ニタぁりと絶望的なまでに裂けた口に笑み以外の意味を求めるのは大変困難な作業だった。
そうして笑う少女はショートヘアーで、片手にサブマシンガンを持っている。
少女以外の余白はほとんど赤と黒との書きなぐりで塗りつぶされていたが、よく目を凝らして見ると左下の方で赤い三つ
編みの少女が泣いているのも分かった。鐶だろう。大変小さな絵だった。笑う少女の絵の8分の1もなかった。ひどく戯画的
な点目からこれまた戯画的な粒がぼろぼろと零れている。肌色一色の体に点在する赤い点の意味するところはもはや考
えるまでもない。
耐えかねたのか。とうとう剛太が叫んだ。
「オイあいつ大丈夫なのか!? 目からして何かおかしいとは思っていたけど……病みすぎだろこの絵!!」
『ま、まあこれでも一時期よりはだいぶ良くなった方だ!! 鳩尾のおかげでかなり明るくなった!! ちなみに僕と香美は
『火星』と『月』に出会ったコトはある! 似顔絵は提出済みだ!」
「そっちも見たけど、変な鳥と赤い筒だろ。そんな目立つ奴いたらすぐ分かるって」
「フ」
ここで総角が手を挙げた。何事かと皆が見た。
「思い出したが俺は鐶の姉の自動人形を見たコトがある。鐶が加入した時、いろいろあったからな」
「どーせ不細工な人形なんじゃねーの?」
「お前が言うな御前。で、それは幹部に似ているのか?」
「鐶の話では、な。ただ若干デフォルメが効きすぎてもいたが」
斗貴子のリクエストに応じるように、彼は1枚の紙を差し出した。
こちらはひどくファンシーな絵柄だった。ぬいぐるみのような少女がクレヨンで描かれている。髪は短く目は点で、にっこり
と微笑している。頭頂部から延びる一本の長い毛がそこはかとない愛嬌を振りまいている。更に渦状の適当太陽が空に
輝き、バックではとても可愛らしいロバやイヌやネコやニワトリや鎖持った青年がキャッキャウフフしていた。
「あら。意外に上手。スカした態度の癖に」
「まったくだ。スカした態度の癖に何だこの絵柄」
「スカした態度の癖に下らないオマケとか付けてんじゃねーよもりもり。ロバとかいらねーっての!」
「先輩。アイツ、スカした態度の癖にクレヨン使ってますよクレヨン。どんな顔して買ったんでしょうね」
「フ。小札よ。桜花達が貶してくるせいで俺はいたく傷ついた。なにか優しい言葉で慰めてくれないか」
「みなさまもりもりさんを責めぬようお願い申し上げます!」
身振り手振りを交えつつ小札はきゃいきゃいとまくし立てる。
「確かにスカしたご態度であるコトはまっっっったく否めませぬがこれはいわばいわゆる自己防御、自衛と自律の成りすまし、
いいえなんといいますか、寧ろもりもりさん根本はまったく人畜無害、もしかしたら自分は無力で無能でアブラムシ以下の
クズやも知れぬと枕を濡らす夜さえございます!」
(クズやも知れぬ……)
桜花が顔を背けた。ウケたらしい。口を覆ってプルプル震え始めた。
「しかるに!! だからこそ弱さゆえの努力で頑張って生きているのがもりもりさん! そのスカした態度が良いスカした態
度か悪いスカした態度かと問われますれば不肖、まったく良いスカした態度だとスカした態度にてスカした態度を助長して
差し上げたいほどスカした態度なのであります!」
言葉が進行するたび総角がどんどん蒼くなっていく。
「あとクレヨンは「親戚の子供にプレゼントしたいのだが」ともっともらしいウソつきつつ、スカした態度で平然と! お買い求
めになられておりました!! 以上っ!! お慰めになりましたか!!」
「フ。所詮慰めを乞うような男の末路などこんなものだ。閨でもなければな」
どこまでもスカした態度である。やや血色の失せた表情で、彼はなおも笑い、小札を撫でる。ともすれば著しく威厳が損な
われる暴露かもしれぬというのに、それを受けてなお凄まじい余裕だった。
「そして……ロバたちは要る。絶対に、絶対にだ。部下達を可愛く描いてやったコトに対し俺は些かの後悔もない」
(無駄にかっけえなオイ)
(でもウソついてまでクレヨン買ってるのよね総角クン)
(嫌なホムンクルスだ。いろいろな意味で)
「つーか、何でこれがこれにそっくりなんだよ」
剛太は先ほどの「病んだ絵」を指差した。総角画とのひどい乖離が見受けられた。
「怒るとああなるらしーじゃん?」
「そうなのであります! ひとたび激昂すらば最早まったく笑面夜叉! 手のつけようがないとか!」
「なんでだよ!! まさか二重人格とか?」
「いいえ……そうじゃなくて……」
騒ぐ少女達をよそに防人だけは黙然とその絵を凝視した。
(……どこかで見たような)
極端にデフォルメされた笑顔。”アホ毛”という俗称を持つ長い毛。ふわふわとウェーブのかかるショートヘアー。
「ちなみに……お姉ちゃんは……あまり……喋りません……サブマシンガンで「書いて」……伝えます……」
「書く? サブマシンガンで?」
他愛もない剛太の反問だが思考が一気に繋がるのを感じ防人は瞠目した。
(まさか)
孤児院で出会った不思議な少女。
笑顔で。ショートヘアーで。
スケッチブックに言葉を”書く”少女。
「どうかしましたか戦士長」
異変を察したのか。斗貴子は神妙な面持ちだ。
「ああ。実は──…」
防人衛は口を開く。言葉を紡ぐべく。孤児院で出会った少女。鐶の姉かも知れぬ敵の幹部かも知れぬ存在の存在を明ら
かにするために。もし彼女がそうだというならば無銘のいう「別の幹部の気配」もいよいよ現実のものとなるだろう。
マレフィック。敵の幹部。彼らが銀成市に来ているかも知れない。
恐るべき予感を抱いたまま、防人衛は口を開く。
「ほう。すでに防人めにもか」
「ええ。いくら防御において無敵を誇るシルバースキンでも、俺っちの武装錬金特性までは防げません」
「抜け目のないことじゃのう。そしてりばーすについて語ることを禁じた、か
「念のためすよ。なーんか妹さん来そうな気配だったんで、ま、あのコ経由で気付かれるの防ぐためにね
「すまん。気のせいだった。特に見覚えはない」
斗貴子の顔に広がる失意。それをたっぷり網膜に焼きつけてから防人は愕然とした。
(いま俺は何といった?)
見覚えがない? ない訳ではない。総角の描く「鐶の姉そっくりな自動人形」。その特徴と合致する少女を昨日見たばかりなのだ。
だからこそ言葉を紡ごうとしたばかりではないか。にも関わらず出てきたのは別の言葉……。
同時に彼は気付く。青白く研ぎ澄まされた精神が自身の異常を客観的に分析する。精神の何事かが第三者の意思によって抑圧されて
いる。長らく戦いに身を置いてきた経験則がアラームを告げ始める。精神攻撃を得意とする相手との交戦記録の数々が脳裡を過る。
直面している違和感は精神面を攻撃された時のそれにそっくりだった。
(これは武装錬金の……特性)
全容は分からないが間違いなくそうだった。分析は更なる疑問を呼ぶ。特性? 特性だとすれば一体、いつ?
(思い出せ。彼女と出会った後、何があった?)
薄皮を剥ぐように剥ぐように記憶の深層へ向かっていく。何かを忘れているような、否、忘れさせられているような気がした。
「っとすいやせん」
「再会! 再会ってのはいいと思いませんか灰色の人!」
「あ。そうだそうだ灰色の人。すいませんねえ。本当の色は何色で?」
「失礼なコトを聞くが、もしかして君は色も──…」
「そーいうコトでさ」
「部分……発動。無音無動作で」
「……あ。やっぱり会っちまってますねえ。あーもう! 「ぶみ」って! 本当まったくかーわいいんだから!」
「じゃあ何やるか決定!!!」
(攻撃を受けた? 俺が? あり得ない。絶対防御のシルバースキンを……かいくぐったというのか?)
そう葛藤する間にも脳髄がぐにゃぐにゃと歪み記憶を埋め去っていきそうな恐ろしさがある。
伝えようにも言葉は吐けない。書くコトも。示唆するコトも。
そもそも何が起こったかさえはっきりと思い出せない。
いつ、攻撃を受けたのか、防人自身認識できないのだ。
(これは一体どういう特性だ?)
体に異常はない。思考も正常だ。ただ「鐶の姉らしき」少女とエビス顔の青年についてのみ詮索と暴露を禁じられている
ようだった。
「ねーねー光ちゃん。絵じゃなく口で敵の幹部について教えてくれない? 特徴とか性格とか」
「まー確かにな。もし幹部がこの街に来てるなら、早めに見つけるに越したコトはねェ」
桜花の提案に剛太も頷いた。豊かな髪をぼりぼり掻きつつ、「厄介なコトになる前にな」とも呟いた。
鐶はしばらく考えた後、ぽつりぽつりと囁き出した。
「知っている人だけで……いいですか?」
「もちろん」
「えーと……私が逢ったのは……天王星と木星……金星に……火星、です。あ、お姉ちゃんは海王星……です」
「つまり5人。幹部のうちの半分か」
「そうだ。木星の名はイオイソゴ=キシャク。だが顔までは分からない。我も師父も戦士たちも、誰も」
「誰も顔をって……。すっげー忍者らしい忍者だなオイ」
頬に手を当て感心する御前に、無銘は切歯して見せた。
「だからこそ鐶めの似顔絵には期待していたのだが」
出てきたのは浮世絵風……。現代社会ではやや一般性に劣るだろう。
「これだとちょっと難しいわね。まだ小さいから仕方ないけど」
桜花はにこにこと笑いながら鐶を撫でた。赤い髪の少女は少しくすぐったそうに笑った。(あまり役立っていないという
自覚はない)
「天王星は……ブレイクさん……です……。私の師匠の……一人、です」
「師匠、というのは?」
防人の質問に鐶は指折りながら答えた。要約すると鐶には師匠と呼べる人物が3人いるらしい。
1人はホムンクルスとしての基本的な生き方を教えた義姉。
1人は戦闘のイロハを叩きこんだ火星。ハシビロコウ型ホムンクルス。
「そして──…」
【昨晩……9月12日の夜】
──────使われていない資材置き場にて──────
「ははははははは」
辺りにけたたましい笑い声が響いていた。夜半にも関わらず誰も文句を言いに来ないところを見ると、よほど住宅街から
離れているらしい。錆びた鉄骨やドロまみれの基盤、プラスチック製の大きな破片。砕けた塀。その瓦礫。赤いまだらのある土管。
血の溜まったブルーシート。割れた歯。肉片。皮膚のついた金髪の束。そういったものが転がっている60坪ほどの空き地で、
青年が一人、楽しそうに笑っていた。細い長身でウルフカットの青年だった。
「そして……私の特異体質を使った……潜入方法の指南……モノマネとか……演技とか……「他の人にすり替わる方法」
を教えてくれたのが……ブレイクさん、です」
「はははははははははは! ははっ ひーっ! ひーっ!」
『わ、笑わないでよブレイクくん。私だってやりたくやった訳じゃ』
青年の横には少女が立っていて、いまは上記がごとき応答を恥ずかしそうに『見せている』。
マジックでスケッチブックに描いた文字を、見せている。
「お姉ちゃんのコードネームは……リバース=イングラム。声は……出しません。言葉を……何かに、書きます」
「2人は……コンビ……です。らぶらぶ……なのです」
ひとしきり笑い終わった青年は「ひー、ひー」と苦しそうに身を丸めつつ、こう語った。
「いやね。青っち何してるのかなーって部屋の方それとなく伺っておりやしたが、そしたらどっか出てく感じじゃねーですか?
お花を摘みにかとも思ったんですがなんか小銭の音もしたのでピンときやした。コンビニですねと。夜食になんか辛いの買う
んですねと。されどされど今は夜半の丑三つ時、青っち一人で歩かせるのは危ねえ! なればと影ながら守るべく密かに後
つけましたら」
彼は足元を見た。
黒い影が横向きに倒れていた。人、だった。性別は男性で20を少し越えたというところだ。耳はピアスだらけで髪も金色。
世間的にあまりいい印象のない格好だ。
「案の定こういうお手合いさんがやってきて、こうなったと。へへ」
ウルフカットの青年が揉み手をしながらしゃがみ込むと、金髪ピアスは苦しそうに息を吐き、けたたましく、叫びだした。
「たたたた頼む、見逃してくれ。命だけは。う、うちは貧しいんだ。お袋だってスーパーの値引き品ばかり何とかこの平成大不
況を凌いでいるんだ。時々買いすぎて腐らせて駄目にして、安売りだからって買いこまない方がいいとは思うけど俺だって
パチンコや競馬でスってるんだから文句は言えねえ。とにかくどの職場でもバイトさえ長続きしない俺だとしても死ねば母一人
子一人の家だ、収入が減ってお袋病院行けなくなり孤独死するのは目に見えている! 頼む。大家が特殊清掃と原状回復
の費用を負担しないためにも、俺を殺さないでくれ! これでも家賃だけは滞納したコトがないし大家も褒めてくれたんだ」
『……何このメチャクチャ具体的な命乞い』
「落ち付いて。すでに助けているじゃないですか。もし俺っちが来ていなければ死んでやしたよおにーさん。にひ」
生きているようだが辛うじて、という状態らしい。着衣のところどころが大きく破れ生々しい傷を覗かせている。
笑顔の少女がスケッチブックに一言。
『……やりすぎちゃった』
「なんなんだよあの女は!! ちょっと手を出しただけでこれだ!!」
「青っちすか? へえ。見ての通りの可愛い女の子でさ。怒るとちょっぴり怖いすけどそこがまた、可愛い」
「ちょっぴり、だと……」
金髪ピアスの右腕と左足は歪な形に折れ曲がり、右掌には何本か指の欠損が見受けられた。ブレイクはそんな彼をごろり
と転がし仰向けにした。そして、微苦笑した。左肩から骨が飛び出している。横向きになった拍子に地面へ刺さったのか。
骨は血泥に塗れていた。激痛でやっとそれに気付いたのだろう。金髪ピアスは絶叫しのたうち廻った。叫ぶ口に前歯は一本
もなかった。奥歯にもいくつか欠損が見受けられた。皮ごと毟られ剥き出しになった頭に名称不明の甲虫が何匹も何匹も集り
血を吸っているようだった。虻に良く似た羽虫も止まり傷に腹部をせわしなく擦りつけ始めた。卵を産んでいるようだった。
「やめろ」。拒否の声を張り上げながら金髪ピアスは骨の折れた腕をぎりぎりと振りかざす。叫ぶたび彼は吐血し内臓の損傷
さえ疑わせた。
「こうなったのはー ひとえにー 伝えたーい だーけー」
ブレイクはなめらかに立ち上がりくるくる回り始めた。裂けた指に喰らいつかれいよいよ狂乱を極める金髪ピアスなどまったく
眼中にないかの如くスピンを決め、月をうっとり見上げた。
「そう! ありゃあ憎悪とかトラウマとかで必死こいて攻撃してるわけじゃあねーです☆」
灰色の澄んだ瞳にはひどく優しげな光が灯っている。足元から絶え間なく漂う絶叫と湿性咳嗽(しっせいがいそう)と吐血の
匂いを無視しているにも関わらず、慈愛に満ちた、聖人のような眼差しをしていた。
「伝えたい。自分が怖い思いをしているのを、自分が嫌がっているというコトを……青っちはただただ伝えたい。それが声
じゃなく拳に乗ってるだけなんですから、こりゃ別段狂ってるとかそーいうのじゃありやせんね」
静かな優しい口調だが、言葉を吐くたびその語気が強まっていくのに金髪ピアスは気付いた。恋人を自慢するとかいう
低いレベルの語りではない。ブレイクの全身からゆらゆら立ち上る清冽な気迫から伺えるのは……信仰心。おぞましい
までの信仰心だ。神を信じその素晴らしさを群衆に説いて回る、敬虔かつ視野狭窄の宗教家だけが持つ異様の熱烈さが
徐々にだが確実に、ブレイクの声を、場の空気を、金髪ピアスの精神を……張りつめたものにしていく。
「嗚呼! 聞くも涙語るも涙の大事情! 青っちは生後11か月ごろお母さんに首を絞められ、首が歪み声帯が壊れちまいました!!」
とうとう感情が爆発したのか。ブレイクは叫んだ。舞台役者のように腹臓から声を振り絞り。
凄まじい声だった。熱気と整合性に満ちたコクのある、年代物の楽器のような声だった。
そんな声を立てながらもブレイクはなめらかに歩を進め、やがて少女──リバース──に傅(かしず)きながら手を差し伸べる。
「だから大きな声を出せず高校時代に至るまで誰ともッッ!! まともなコミュニケーションをとれなかった青っち!! 実の
お父さんは手がかからぬからと半ばネグレクトをやらかし義妹ばかりを可愛がる! 義母(おかあ)さんは大きな声を出せぬ
青っちを否定し的外れなリハビリで苦しめるばかり!! クラスメイトも先生も! 決して彼女を救ったりはしなかった!!
嗚呼!! いかに努力しようと報われぬこの世の中! 才知も美貌も謙虚も努力も兼ね備えながらも……会話! その元
手をうまく転がせぬばかりに他者の枠へ入れず砂を噛むような孤独ばかり味わった……否! 味合わされた青っち!!
声を出せぬのはひとえに潰れた喉のせい。だがそれは決して青っちのせいではない! 寧ろ被害者だというのに世界は
救いの手を差し伸べなかった。すでに実のお母さんにさえ見放されていたというのに、差し伸べなかった……」
彼女の人生に転機が訪れたのは! 凄まじい勢いで身を翻しながらブレイクは『何か小さい金属片』を手にした。
と見えたのは一瞬で、やがて彼の掌は恐ろしく野太い柄を掴んだ。そしてそれを旋回させながら地面に突き立てた。
「そのブレイクって奴はどんな武装錬金使うんだよ?」
御前の問いにちょっと考え込む仕草をしてから、鐶は答えた。
「ブレイクさんのコードネームは、ブレイク=ハルベルド。ハルバードの武装錬金を……使うそう、です」
金髪ピアスは息を呑んだ。「特撮……?」と目を白黒させながら、その複雑な武器を見た。
とても長い武器だった。穂先から地面までゆうに2mはあった。長身だが華奢なブレイクが持つのが傍目からでも不安に
なるほど、『重そうな』武器だった。いつの間に、どこから出てきたのか、疑わせる武器だった。
とても大雑把な表現をすればクロススピアーの穂先の一つを『斧』に変えた形状で、今にも煙となって空気へ散りそうなほど
虚ろな灰色で塗り固められていた。
それを持ったままブレイクはゆっくりと歩み出す。近づいてくる。直観的に察知した金髪ピアスは逃げようともがくが、
折れた脚では到底立ち上がれそうにない。立った所で逃げられるかどうか。ブレイクの背後で笑顔の少女がサブマシンガンを
構えているのを見た瞬間、黒い絶望感が全身を包んだ。銃口は彼の動きにつれて微細な揺れを見せている。照準はまったく
外れる気配はない。精魂込めて立ち上がったところでアキレス腱を撃ち抜かれるのがオチだろう。そして槍を持ったブレイ
クがまくし立てながら近づいてくる。異常な気迫だった。最高潮を演じている役者のように青白い光が瞳に灯っている。凄ま
じく爽やかな笑顔だった。この世に存在する爽やかの総てを意思と努力で完璧に再現した凄まじい笑顔だった。そこには殺意
も敵意もない。ただ彼は叫びながら金髪ピアスをにこやかに凝視しているのだ。
目が合った瞬間、怖気とともにようやく気付く。
関わってはならない者だった……と。
「人生に転機が訪れたのは! 訳あって光っち、妹さんの頬を殴った時!!」
適当につまめる程度の快美ばかり求めわずかばかり身を切られるだけで顔色を変え、その癖相手が太刀打ちできない
存在と知れば即座に報復は諦め「ああムカつく。誰かアイツ殺せっての」とばかり仲間と酒を飲み愚痴さえ数分で忘れ去る。
そんな人間らしくも愛らしい感性によって今日も社会規範を大きく揺るがすことなく生きている金髪ピアスなどあっという間に
吹き飛ばせそうな概念が迫ってくる。
「妹さん殴ったときに気付いたのが「殴ると意思を伝えやすい!」 だから快美に魅入られた。さながら女子中学生が同級生
とのおしゃべりに熱中するかのごとく肉体言語に四六時夢中、それが青っち!」
オペラ歌手のような声量だ。ギラリと光る穂先に震えながらつまらない感想を抱く。同時に「でかい声してるんだから誰か
助けに来いよ」と身勝手な期待をしたがそれは不可能だとすぐに気付く。
『私を襲う為にこんな人気のない場所を選んだもんねー。遠いよ? 住宅街からも繁華街からも』
スケッチブックに無慈悲な文字が刻まれる。書いた主(あるじ)は笑顔のままだ。暖かな、慈母のような笑みだ。
「青っちは拳骨で誰かの頬の骨を、血やお肉ごと吹っ飛ばすのが楽しい! 『伝わった』 それを感じて、嬉しい!」
いまの自分の表情に気付く。青っちと呼ばれている少女に向けた表情の数々に気付く。
二度と襲いたくない。怖い。やめて。許して。
暗い感情の羅列は明らかに、「青っち」好みのものだ。襲われた少女が加害者に言ってほしい、普通の言葉だ。
それを伝えられるようになるだけの元手を拳経由でたっぷり与えた。
伝えた。
気付き、ぞっとする。口で言えば済む問題を恐るべき暴力にすり替えてなお彼女は笑顔のままなのだ。
ともすれば自分の行為が暴力という名の忌むべきものとさえ気付いていないのかも知れない。
拳は声の代わりでしかなく、相手の傷など鼓膜がちょっと揺らめいた程度にしか思っていない。
そんな笑顔だった。
「でもすね青っち。暴力はおろか人に迷惑かけるのさえ大嫌いな優しい女のコなんすよ。だって暴力とか迷惑とか、
なーんも伝わりませんからね。怯えられ一方的に恨まれるだけ。気持ちも何も分かってもらえない。だから寂しい。
にひ。さっきアナタにやったようなコトなんて、叩いた内にも入りやせんよ」
「…………」
「っと。これだけのケガしちまったのはアレすよ。人間さんが弱くて脆すぎるから」
「…………」
「殺すつもりなら、最初から武装錬金の特性使ってここに放置していましたからね」
「…………」
「あと、格闘戦は意外と不向きすよ青っち。この前なんか真赤な髪した鬼のようなおじ様に絡まれましたけどねえ。30分殴り
合った挙句怖くなって逃げましたもん。あちらさん無傷、青っち両肩外れる重傷。だから青っちの負けといえるでしょう」
やや落ち着いたのか。ブレイクは金髪ピアスの前に座りこんだ。
槍がざくりという音を立て突き立ったが、危害を加えるつもりはないらしい。
穂先は、掌から50cmほどの距離に刺さっていた。
(もしかしてもう解放してくれるとか? そ、そうだよな。こんなに殴られたんだしこいつ人当たり良さそうだし、そもそも仲裁
してあのコ止めたのもこいつだし……)
安堵。期待。微かに瞳を輝かせる金髪ピアスの前で、ブレイクは「うーむ」と困った顔をした。
「ただ困ったことに、おにーさんのいまの重傷って奴は、青っちが「伝えた」程度のやつなんすよね。公平に見りゃあ、叫び声
をちょっと投げかけられた程度じゃないすか。つまり謝罪とか償いとか、まだやって貰ってないって話じゃないですか。ねえ?」
金髪ピアスは最初何を言われているのかわからなかった。声が穏やかすぎるせいでその文脈のひどさをすぐには理解で
きなかった。
死んでいたかも知れない重傷を、「叫びを投げかけた程度」と断定したのだ。ブレイクは。
その上で謝罪や償いを求めている。しかもヤクザがやるような「もっと出せ」という恐喝でもない。ただ本当に常識に照ら
しあわせた真っ当な要求をしている。少なくても本人は心からそう信じている。
「わかりますよねおにーさん。青っちすごく怯えていたじゃないですか。今だって怖かった怖かったって泣きそうな顔をして
いるでしょ? 根は優しくてか弱い女のコなんですから、見知らぬオオカミさんに襲われてすぐ落ち着ける訳、ないじゃな
いですか」
泣きそうな顔? ”青っち”を振り仰いだ金髪ピアスは唖然とした。彼女は依然として笑顔のままである。まるで天女の
ような幻想的な存在として、ただただにっこりと笑っている。
「ね。泣きそうな顔でしょ?」
「え……」
「俺っちにはわかるんです!! つーーーーか! 大好きな女のコなんだから微妙な表情ぐらい分からなくてどうするっつ
話ですよ。例え世界中の他の誰もが読み解けなくても、俺っちだけは理解して、いつでも傍で支えてやらなきゃならないで
しょーが!!」
叫びとともに槍がまばゆく光った。その光は金髪ピアスの目を灼いた。
(なんなんだよ)
彼はだんだん腹が立ってきた。相手が穏便になってくるや否や、生来の身勝手な主張がむくむくと首をもたげてきた。
(俺はこんなにボコられただろーが! 襲ったのは悪いが過剰防衛した奴も悪いだろ! なのにどうして俺ばかり)
先に手を出したのは棚に上げ、毒づきながら槍を見る。地面に突き立ったままだ。良かった。胸をなで下ろす。
(使うつもりはないようだな。訳の分からない奴で助かった。つか物騒なカタチだな。あんなのでやられるのイヤだし、
適当に謝っておくか)
「だいたいお兄さん? わかりませんかねえ。いま辛うじてながら五体満足なのは通りすがったのが俺っちなればこそでさ。
盟主様が通りすがっていたら……にひ。殺されるより壊されるよりヒドい破滅を味わったでしょうねえ。そして泥沼行きの第
二の人生強制開始ですよ。むかしむかし有無を言わさず1つにされた飼い主とネコのようにね」
彼は気付く。
自分の手。
それがゆっくりと、穂先に近づいていくのを。
「ブレイクさんの武装錬金の特性は……わかりません」
「青っちは「イヤだ」って伝えたでしょ? なのにまだ反省していない……。にひっ。歪み果てた枠ってのはやはりそう
簡単に変わらないようで。あーあ。やっぱこの辺りが人間の持つ「枠」の限界なんでしょーかねえ」
鋭く光る灰色の刃は触れるだけで指を裂くだろう。
分かっていながらそこへ向かうのを止められない。
穂先までの距離45cm。
「あ、あ、あ……」
声にならない声を漏らしながらもう片方の手で押さえこむ。骨折部分から激痛が広がり涙と鼻水が出る。それでも腕は
着々と穂先に向かう。レミングスの自殺行進だ。もっと力を込めれば止まるかも知れないが、骨折部分がどうなるか
考えるとひどく躊躇われた。或いは穂先に手をやる方が痛みは少なく済むかも知れない……。
恐ろしくこじんまりとしたみみっちい思索を見透かしているのかいないのか。
ブレイクはにへらと笑った。 穂先までの距離25cm。
「………………ただ、お姉ちゃんの話だと……相手を……好きなように……コントロールできる、そう、です」
「おっと? どうしやした? どうしてお兄さん、おん自ら穂先に手をばかざそーとしてるので? 危ないっすよねー。ほら、
ほら。早く手をすっ込めて。俺っちはなーんも危害を加える気はないっすよ。ただお兄さんが『バキバキドルバッキー』の
穂先を危険だなあ、避けないと手が裂けるって怯えているからこうなる訳で」
痛みと葛藤に歯を食いしばる金髪ピアスはすがるようにブレイクを見た。
穂先までの距離15cm。
涙と鼻水にまみれ、歯をガチガチ鳴らす男を、ブレイクはただ、楽しそうに眺めた。
「大丈夫。罰を覚悟すれば止まります。さーどうなるか(どきどきどきどき)」
と言ってはいるが心から心配している訳でもなさそうだ。
穂先までの距離5cm。
『危ないって思うならバキバキドルバッキーを地面から抜くか解除すればいいのに』
笑顔の少女はまったく笑顔のまま嘆息し、更にこう付け加えた。
『提案しようかなって思ったけど、もう手遅れみたい』
何か千切れたらしい「ブツリ」という音が資材置き場に響いた。
次いで青年の絶叫も……。
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