「第095話 「演劇をしよう!! (前編)」 (4)」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「第095話 「演劇をしよう!! (前編)」 (4)」(2011/05/03 (火) 22:17:09) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
そんな華道部に明るい声が響いた。
「ブラボーだ! 聞け、戦士・秋水! 遂に音楽隊も演劇部に加入だ!」
「総角たちが?」
頭を押さえながら秋水は布団をはだいた。上体を起こすのもまだ辛い。鈍い頭痛に思わずこめかみを押さえると、今度は
軽い嘔吐感が襲ってきた。隣ではまだ桜花が白目を剥いている。白目!? 最初流した秋水さえ思わず二度見するほど
衝撃的な光景だった。才色兼備の桜花。男子の憧れの的である桜花が露もなく白目を剥いている。
「……!! …………!」
戦慄(わなな)く唇から声にならない叫びを上げつつ桜花を指差すと、防人はポンと手を打った。
「ああそれなら大丈夫だ。人払いはしておいた。一般生徒に見られてはいない」
手袋に指差されるまま振り返る。そこには即席のカーテンが広がっていた。どうやら外界との仕切りらしい。
そうやって作られた2畳ほどの部屋の中に防人が立っており、
「桜花さんの顔……隠し……ます。バンダナ、で……」
「ダメです! 顔に白い布はダメー!!」
彼の後ろで鐶と毒島がじゃれあっている。
「しかし音楽隊が演劇部……? 確かに監視や特訓もしやすくなるだろうが、大丈夫なのか?」
「私は…………元演劇部……です。沙織さんに化けて……やって、ました」
果たしてそうなのだろうか? 総角は目立ちたがりだ。頼みもしないのに出しゃばってきて、何もかもをブチ壊すのでは
……。そう思いながら秋水は別の疑問を口にした。
「無銘は? 鳩尾無銘は?」
「いま寝たところだよ!」
まひろがカーテンを開けて飛び込んできた。ナース服を身にまとっているところからすると、他の生徒を看病しているよう
だ。
「君はガスから逃れたのか?」
「うーん。吸っちゃったんだけど2分ぐらい寝たら急に楽になってきて……」
(窓際に居た俺がまだこの調子なのにか? 君は確か外、毒島の近くに居た筈では)
「ホムンクルスでも直接吸えば10分は気絶するガスだったのですが……」
「動ける以上他の生徒さんの面倒を見るのは当たり前ッ! 何を隠そう私は看護の達人よ!!」
「で、鳩尾無銘は?」
拳を固めるまひろに秋水は務めて静かに呼びかける。理解している。おかしなスイッチの入ったまひろに会話の主導権
を握らせていてはいつまでたっても進展しないと。
「えーとね、えーとね。隣の隣の隣のはすむかいのカーテンにいるよ! ついさっきまでとても苦しんでたけど、今は落ち付
いてるから大丈夫!
でも……とまひろは顔を少しくもらせ口ごもった。
「なんだか、うなされているみたい」
鳩尾無銘は、夢を見ていた。
授業が終わった後。
(確か師父達との合流場所は屋上だったな)
そこへ向かうべく、防人や毒島、鐶と話していたらまひろが来た。
彼女は屈託のない笑顔でこう聞いてきた。
「むっむーの好きな物は何? あと、周りに浮いてるのって風船?」
「わ、我の好物はビーフジャーキー……い、いや違う! 馴れ馴れしいぞ貴様!」
あまりに邪気のない様子に無銘は一瞬釣りこまれそうになったが、忍びを自任する彼である。見知らぬ人間を気安く
信用するのはよくない。一瞬彼女の豊かな胸に視線が止まりかけたのも恥ずかしい。その癖彼女の衣服からは何か不快
な匂いも感じられた。
(…………? なんだ、この匂いは?)
それは……。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
遠い昔嗅いだ覚えのある
.
匂いだった。忌まわしい記憶に付帯するくせに、ひどく甘く、かぐわしい匂いだ。一言でいえばコクのある柑橘の、いい
匂いだった。にも関わらず怒りと恨みと不快感しか覚えられない。とにかく奇妙な匂いで、それが無銘を困惑させた。
以上のような感情がオーバーフローし、無銘はとりあえず赤黒い顔を背けつつ、ありったけ無愛想な声で応対した。
「古人に云う、親しき仲にも礼儀あり。初対面なら尚更だ! だいたいそのむっむーというのもやめろ!! 周りに浮いて
るのは龕灯(がんどう)!! 龕灯というのは懐中電灯みたいなやつ!」
「えー。無銘くんだからむっむーがいいんじゃないかなあ。あ、そうだむっむー! ビーフジャーキーはないけど、鳥の唐揚な
らあるよ!!」
鳥……ニワトリ……軽い嫌悪を浮かべる鐶をよそに、まひろはガサゴソとポケットをまさぐった。
「まひろ。なんでポケットに唐揚げが入っているの」
「からあげ! からあげ!」
千里のツッコミも気になったが、無銘はついつい瞳を輝かせてしまった。
それが、良くなかった。
気づけば無銘はまひろに揉みくちゃにされた。それは鐶のドーナツ好きが発覚するまでの5分間、たっぷり続いた。
「珍しいよね。まっぴーが男の子とスキンシップするなんて」
「そーだよね。なんでだろう……」
「なんか理事長さんと似てるからじゃない? ほら、目もととかそっくりだし」
「まさか兄妹!? あー、でも違うかも。名字違うし
「性格だって違うでしょ。とにかく放してあげなさい。」
口ぐちに騒ぐ少女たちにとうとう堪えかねた無銘は。
「がああああああ! 離せ! 離さんかああ!」
逃走を選んだ。
背後で「毒島! キミが追え! 俺は鐶を見なければならない!」という防人の鋭い指示が飛んだような気もしたが、無銘
は逃げるのに必死でそれどころではなかった。全身に残る甘い感触の余韻を振り切るのに、必死だった。
もみくちゃにしてくる女子。無防備なる女子! 外見年齢10歳の無銘をまったく男性として認識していないまひろは、
少女にするがよろしくすり寄ってきたのだ。柔らかなる手で少年無銘の肩を触り、頬ずりをし芳しい息を吹きかけ、抱きつく。
「お話しようよ~」引っ張ったニの腕が例え自分の柔らかな膨らみに触れても彼女は顔色1つ変えないのだ。恐るべき弾力
だった。この世の何より柔らかく、まろやかだった。かつかつとした血の気が耳たぶにまで昇りつめ、黄砂の吹き始めたころ
の艶めかしい春の夜のやるせない感情さえ全身を支配した。それだけでも無銘は自分をどうしようもできず困惑しているのに、
目の前で鐶が悲しそうな表情で自分とまひろを見比べていて、ますます混乱に拍車を掛けた。
(……どうして我が貴様の勝手な表情に……胸を痛ませねばならないのだ!!)
少年特有のナイーブな感傷を持て余しているというのに、黄色い髪の少女(沙織)はからかってくるしまひろも可愛い可愛
いと飛びついてくる。特にどうというコトもない部位でさえ彼女はとろけそうなほど柔らかく、無銘はまったく(正直いってかな
り嬉しくもあったが、小札のような明るい少女を『そういう目』で見たくはない)、恥ずかしくて、いたたまれなかった。
(おのれ! おのれええ! あの女ども寄って集)たか)って我を弄びおって! かくなる上は何か忍法でおどかしてくれる!
あ、ええと脅かすだけだなケガとかさせたら可哀相だし師父や母上に対する風当たりも悪くなる。うん。ちょっとビックリして
我をからかおうと思わなくなる程度の忍法だ。おう。何にしよ──…)
子供らしい復讐劇を企てながら走っていた彼だが、その走りが徐々に遅くなる。
(?)
高くもない鼻をひくつかせる。犬の嗅覚が何かを捉えた。
軽く辺りを見渡した彼はやにわに平蜘蛛のように這いつくばり、床の匂いを嗅ぎ始めた。
「どうしました?」
背後からシュウシュウという異様な音がした。振り返れば毒島が「飛んでいた」。ガスマスク後部に接続された無数のチュー
ブ。気体噴出で推進力さえ得られるらしい。
そしてなぜか毒島は串刺しの焼き鳥を持っていた。
「なんだそれは?」
「武藤さんたちがお詫びにって……食べますか?」
「いや……そういう気分でもない」
「なにかあったのですか?」
立ち上がった無銘は、両腕を揉みねじり、難しい顔をした。どう説明していいか迷ったが、戦団と音楽隊の関係を鑑みる
に隠し立ても良くないと判断し、ひとまずありのままを説明する。
「この学園。あの少女の服と云いこの廊下と云い、どうも覚えのある匂いが漂っている。それが気にかかった」
「? 無銘さんはお鼻がいいんですから、そういうコトもあるんじゃないですか? ほら、市販の香水とか整髪料の匂いとか
ならどこにあっても不思議じゃ……」
「我自身もそうは思う。だが、この匂い、我の忌まわしい記憶の中にありすぎる。まるで、我が生まれたあの場所にあった
ような……いや、我の誕生に関わった者たちの匂いのような……」
毒島は軽く息を呑んだ。
「無銘さんの誕生に関わったのは確か、レティクルの幹部でしたよね?。『木星』と『金星』……その内どちらかの匂いがするって
いうんですか?」
「分からない。そこかしこにある分匂いは薄い。貴様がいう通り、奴らが身に付けていた香水なり整髪料と同じ物を使う生徒
がいる……それだけのコトやも知れぬ。だから我は、悩んで──…」
どこか窓が開いているのか。風が突然廊下に流れ込んだ。それに頬を撫でられた無銘は言葉半ばで黙りこんだ。
「何か?」
「匂いが……濃くなった……」
「え!?」
驚愕のあまり立ち尽くす無銘をよそに毒島は素早く指を立て、風向きを検証し始めた。
数秒後。彼女は振り返る。ガスマスクのゴーグルに内蔵された望遠レンズを伸ばした。慌ただしく全身を揺すっているの
は発生源を探しているせいだろう。無銘は固唾を飲んでその作業を見守った。
彼はその時、毒島が何を見ていたか、知らない。
(ありました!! 20m先! 確かに窓が。風はあそこから──… !?)
本当に一瞬の出来事だった。
その映像は、望遠機能で拡大しきった視界にさえ、本当にわずかしか映らなかった。時間的にも。面積的にも。
果たして無銘には見えたかどうか。彼の武装錬金が「記憶に基づく映像の蓄積」だとしても、記録できたかどうか。
開いた窓の近く。廊下の曲がり角。
そこに、小さな影が吸い込まれていくのを毒島は見た。
詳しい容姿までは分からなかったが、髪を後ろでくくっているのだけは辛うじて分かった。
そしてもう一つ。人影は銀成学園の女生徒の制服を着ていた。
「居ました! あちらの曲がり角の近く!」
とりあえず追うべく踏みだした毒島だったが、
「待て!!」
「きゃん!」
矢も楯も堪らず駆け出す無銘に突き飛ばされ、転んだ。
「ごめん! 後で謝る!!」
少年らしい声音で詫びながら無銘は曲がり角目がけて全力疾走し始めた。
(もしあの匂いが幹部のそれだとすれば!!)
歯噛みする。凄まじい咬筋力が今にも奥歯をたたき割りそうだった。
(逃すわけにはいかない!! ずっとだ!! 我は奴らに復讐する時をずっとずっと夢見ていた!!!)
鳩尾無銘はまだ母胎にいる頃、幼体を埋め込まれ、ホムンクルスになった。
妊娠七週目。まだまだ人間の形には程遠い頃。絶対過敏期。催奇形がもっとも警戒される頃、帝王切開で剥き出しに
なった無銘は子犬基盤(ベース)の幼体を投与された。
以来その余波で彼は人間の姿になれなかった。イヌ型……小さな小さなチワワとして生きるコトを余儀なくされた。
もし彼の精神がまるきり獣のそれであればまだ楽だっただろう。
だが、彼は人間の精神のまま成長する他なかった。心が人間でありながら、体はチワワのまま……。
(屈辱だった!! 母上も師父も優しくしてくれたが四ツ足で地面を蹴り皿を直接舐るような生活は……屈辱だった!!)
そう仕向けた者たちは、記憶の中にいる者たちは、まったく遊び半分で「胎児以前の人間に幼体を投与した」。
なぜそうしたかは知っている。聞いた覚えがある。
「ゲテモノを食べたい」
それだけの理由で、母体の人間や胎内にいる人間の人生をめちゃくちゃにした。
ようやく秋水との戦いで人間形態を獲得した無銘だが、それまでの塗炭の苦しみはまったく忘れようがない。異常な体を
与えた者たちを思う時、黒い炎が胸の中に燃え広がる。叫び、手近な何かを殴り付け、めちゃくちゃに壊したくなる。
(許せるものか! 『木星』に『金星』! 我を歪めた者たち!!)
憤怒の形相で角を曲がる無銘は……。
ちょうどそこから出てきた少女と衝突した。
「あた! ご、ごめんなさ……」
咄嗟に謝りながら眉を引き締める。ぶつかった者が「匂いの元」かも知れないのだ。一歩飛びのき鼻を動かす。しかし
……「少なくてもその少女」から忌まわしい匂いはしない。辺りにはまだうっすら漂っているようだが……。
(別人、か)
「あの、ここを曲がってくる人を見ませんでしたか?」
一拍遅れて駆け寄ってきた毒島に、その少女は首を振って見せた。美しい金髪の持ち主だ。一目で外国人だと分かった。。
「誰も来なかったけど」
振り返る少女につられるように無銘はそこを見渡した。どうやら渡り廊下らしい。一階にしては珍しく校舎同士を繋ぐその
廊下の側面には窓ばかりが広がっている。駆けこめるような部屋はない。
「となると窓から逃げたのか?」
「調べてみます」
そういって毒島がトテトテ駆けだした。やがて廊下の向こう側についた彼女はきょろきょろと辺りを見回しながら歩みを進め
やがて無銘たちの元へ戻ってきた。
「窓の開いた気配はありませんね。埃などの組成はどこも同じ。空気の流れた様子はありません」
酸素濃度を一発で当てられる毒島である。空気に関しては相当の分析力がある……戦団でそう聞かされた無銘だから
頷かざるを得ない。
(ならば匂いの元はどこへ? そもそも匂いが濃くなったというのは錯覚、か?)
悩む無銘へ急に冷たい声が突き刺さった。
「ところでアナタ、ホムンクルスでしょ? 周りに浮いているのは武装錬金? サーチライト?」
(え)
無銘は知らない。彼女が今までどこにいたのか。
ある種の親鳥は巣から直接飛び立たない。巣から離れた場所で飛び立ち、或いは着陸する。もしそれをやらなければ
──つまり巣を発着場にしたならば──外敵に卵やヒナを見つけられやすくなる。そんなリスクを避けるため、巣から離れて
飛び立つのだ。
目の前にいる少女もそれと同じようなコトをやっていたのだが、無銘の知るところではない。地下に張り巡らせた迷路の
ような通路をぐねぐねと通り抜け、パピヨンの寝ている部屋から遠く離れたこの場所に登ってきたというコトも知らない。
ただ彼女はその結果無銘とぶつかるコトになり、大変気分を害しているようだった。
「大方、武藤まひろと河合沙織に揉みくちゃにされて逃げてきて、何か復讐手段を考えているようだけど」
長い金髪を筒で小分けにしたその少女に無銘は見覚えがあった。
つい先日、総角と話しているのを見たコトがある。それどころか同じクラスにも居た。
メールを交換しているという香美曰く、彼女もまたホムンクルスらしい。
(そそそそそういえばさっきはいなかった。手洗いに行くとか何とかで……!!)
少女を中心に広がるのは冷たい雰囲気。武術を齧った強者のそれより冷淡な、女性ならではの威圧感。
地鳴りさえ無銘は感じた。期せずして彼は、胆力で押されていた。
そして不機嫌そうに目を細めたヴィクトリアが
「させると思う? この私が」
細い手首をくるりと返した。
浮遊感。
そして、落下感。
無銘があっと目を見開くころにはもう遅い。
彼の足もとを中心に開いた六角形の穴は容赦なく彼を地下へと叩き落とした。
「走っていたし殺気が凄かったからピンと来たわ。ああ、武藤まひろと河合沙織に何かされたって」
「別に武藤まひろなんてどうなろうと知ったコトじゃないわよ。でも余所者のホムンクルスが暴れたら戦団がうるさいの」
尻もちを突きながら無銘は見た。
煉瓦塗れの殺風景な避難壕(シェルター)に冷然と立ち尽くすヴィクトリアを。
彼女の横では壁が唸っていた。
軋る床は今にも膨れ上がって無銘を飲み干しそうだった。
「ま! 待て! 確かに軽い報復を考えてはいたが、今はそれどころじゃないのだ! 話を──…」
「あのコや河合沙織がケガするだけでも、ちー……若宮千里がすごく心配しそうじゃない。もし巻き添え喰らったりしたら……
もっと不愉快だし。とにかく」
力ある言葉と共に世界が変わる。
地下に地響きが木霊する。煉瓦達はいよいよ敵意の元、変質し始めているようだった。
唖然とする無銘。その胸板をいつしか細い脚が抑え込んでいた。足蹴にされ、踏みつけられていた。
状況も忘れ見とれるほど蠱惑的な器官だった。太ももの半ば、スカートと黒い靴下の間で僅かに覗く白い肌は薄暗い地下
空間でも艶めかしく光っていた。
「下らないちょっかいは──…」
とそこまでいいかけたヴィクトリアは一瞬とてもあどけない表情で無銘の顔を見て、それから視線を追い、自らの脚を見た。
「~~~~~~!!」
何か、誤解したのだろう。幼い顔を怒りと屈辱と恥辱とにたっぷりくしゃくしゃにすると濃紺のスカートを抑えた。
下に向かって強く引かれた裾に無銘は叫びたかった。「違う」。「見えたら嬉しかったかも知れないが、違う!」と。
「お、お仕置きが必要なようね。躾けてあげる」
無銘の胸板に一層強くかかった力は、誤解に基づく怒りを大変多く含んでいるようだった。
「え、ええと」
とはいえヴィクトリア自身ここからどうすればいいかよく分からないらしい。
少女らしい熱に浮かされた顔の中、尖った眼差しの中、冷めた瞳が泳ぎに泳ぎ。」
やけくそのような叫びが地下を劈(つんざ)いた。
「下 ら な い ち ょ っ か い は 止 し て 頂 戴 !」
胸板が潰れ肋骨の軋む音がした。息が出来ない中、名字と同じ部位が空気を吐きつくす中、無銘は痛感した。
ヴィクトリアもまたホムンクルスなのだと。
恐ろしい高出力があらゆる抵抗と叛意を奪う中、
棘の生えた壁が両側から迫ってきた。
叫び、ヴィクトリアの足を跳ねのけた無銘は……
もうどうにでもなれ。手を燃やし、足元を凍らせながら吶喊した。
そして。
地下に少年の絶叫が響き、総てが終わった。
「やはりヴィクトリアの仕業か」
「はい。地下から戻ってきた辺りで無銘さんの態度がガラリと変わりました。ヴィクトリア嬢に何かされたのは確かかと」
頷く毒島に「しかし……」と反問しようとした秋水の耳に破滅的な絶叫が届いたのはその時だ。
「あ、ああー!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい二度とあのお姉さん達にちょっかいを出さんと誓う! 本当だ!!
本当だから許し……ぎゃああああああああああああああ!!」
悪夢がフラッシュバックしたのだろう。すごい寝言が華道部部室を揺るがした。思わずそちらを仰ぎ見た秋水は恐ろしく
濃度の濃い「恐怖の」「ニオイ」を感じた。無銘がいるであろう場所。そこのカーテンから紫の煙がどろどろと漂っている
ようにも見えた。
(えらい目にあった……えらい目にあった。あのおねーさんは怖い……とても怖い)
布団の中、横向きに寝そべりながら無銘はただただ震えるしかなかった。心因性の凄まじい寒気が全身を貫く。顎の
筋肉が痙攣し歯の根もガチガチと打ち鳴る。
恐怖はしばらく去りそうになかった。
「まったく。ホムンクルス同士仲良くすればいいものを」
どこか論点のズレた意見を呟く防人だが、ふと何かに気付いた様子で秋水に呼びかける。
「いまキミは戦士・毒島に何か聞こうとしていたな? 何か疑問でも?」
「はい。毒島。君は確かに無銘が地下に引きずりこまれるのを見たんだな?」
「はい。この目でしっかりと」
「なのにどうしてすぐ戦士長に連絡しなかったんだ? 君は俺たちを合流させようと懸命だった。無銘が地下に囚われたの
ならそれを何とかするべく応援を呼ぶのが自然だ。君ならばすぐ気付くはずだからな。自分の体格や武装錬金がアンダー
グラウンド攻略に不向きだと。応援を呼ぶのが最善だと」
確かになと防人も頷いた。
「火渡のためにと俺たちを監督しているキミだ。任務で手を抜くなどというコトはあり得ない。ひょっとして何か、俺たちにい
えないような出来事があったのか?
「それは……」
毒島は急に黙りこんだ。秋水はその反応に見覚えがあった。
(どこかで見たコトがある。どこかで……)
何か伝えたいコトがあるのに、無理やり何かで押さえつけらているような気配だった。
「ああ。別に叱るつもりはない。突然のコトだったからな。自分で何とかしようとするあまり俺たちへの連絡を忘れてしまった
というコトもありうる。そもそも合流が遅れたのは俺のふざけ過ぎのせいだからな」
「そ、そうじゃなくてですね、あの……そのう…………」
小柄なガスマスクの挙動がやや怪しくなった。毒島は落ち着きなく首を振り始めた。
秋水が混乱したのは、彼女のそんな様子に自らの何事かまでが怪しくさざめき始めたからだ。
(思い出した。この反応は確か……昨日の津村斗貴子と同じ)
演技の神様の”顔”を聞かれた斗貴子も同じような反応をしていた……そう気付いた秋水だが防人に報告するコトはできない。
(まただ、またこの感覚。言葉を出そうとしているのに何か『枠』のような物で押し込められているこの感覚)
毒島もまた混迷を極めていた。」
(やっと思い出しました。防人戦士長。戦士・秋水。実は──…)
決して吐けない記憶が脳髄の中で渦巻く。
(実は……!!)
橙の雨。
落ちてこなかった焼き鳥。
品定め。
天井から生える果実。
蝋人形。
黒ブレザーの少女。
ポニーテール。
磁力。
斧のような刃。
そして。
カラフルで、恐ろしくまばゆい光。
様々な単語と光景が断片的に浮かんでは消えていく。
「ひひっ!! しばらくわしらの事、黙っていて貰おうかのう~~~~~」
「ハイ禁止、と。すいやせんねえ。もうすぐ全面戦争でしょ? それの最後の仕上げって奴でさ。今は」
(無銘さんが地下に行った後、私は)
「さて”ぶれいく”。昨晩わしが云うた通り行くでよ。ひひ。演劇をしよう」
「了解でさ”ご老人”。呼ぶのはクライマックス女史にリヴォルハインの旦那。ブレミュに顔バレしてねーお二方すね?
「そうじゃ。奴らめ使って演劇をしよう。ひひ。試してくれる炙りだしてくれる」
「最後の幹部。マレフィックアースを探すため……演劇をしよう! すね」
(敵に、レティクルエレメンツの幹部たちに……逢いました。でもそれが、言えないんです)
(気付いて下さい。敵はもう、この街……いえ、この学園にいます……!)
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: