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「信魂さん魔王の子と出会う」(2011/04/17 (日) 23:42:23) の最新版変更点
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武田信玄と上杉謙信がその変な男に出会ったのは、第三回カラオケ合戦で死闘を繰り広げたその帰りだった。
「貴様、あの選曲は卑怯ではないか。難易度が低い曲を選び過ぎであろう」
「お主が難易度の高い曲を選び過ぎなんじゃ。合戦なのだから勝つ為に最善の手を尽くすは至極当然」
「むう……理には叶っておるが納得できん。貴様に『義』の文字は無いのか」
「心外じゃな。拙者は合戦に於いて己の死力を尽くすこともまた『義』じゃと思うておるが」
わしは納得できんのう、とぶつぶつ言っている謙信に構わず先を歩いていると背後で声がした。
「お姉さんお姉さん、これ落としものですよ」
信玄が振り返ると、年の頃は十代半ばであろう若者が謙信を呼び止めていた。
「これはすまぬな、どおりで頭が軽いと思っておった」
謙信は若者から兎の耳の形をした髪飾りを受け取る。それを再び頭に装着してにこりと笑った。
「礼を言うぞ」
「いえいえ。お姉さん、そのカッコ似合いますね。……ヒルダさんに勝るとも劣らぬナイスバディだし」
若者は謙信に見惚れている。信玄はなんとなくいらりとした。
謙信は異国の言葉である「ないすばでぃ」の意味を良く分かっていないようだったが信玄は知っている。
―――つまりは、発育がとても宜しいということだ。
あの若者に、確かに身体は武田朱謙(あかね)という二十歳の女子であるが
今は上杉謙信というおっさんの魂が入っているのだと言ったらどんな顔をするだろうか。
さらには信玄が身体を借りているこの武田玄太郎と新婚ほやほやラブラブバカップルなのだ、
と言ったらどんな顔をするのだろう。
「ちなみにお姉さんはなんでそういうカッコしてるんですか?」
「なんでって」
興味津津といった様子の若者の問いに謙信は首をかしげる。
「動きやすいであろう?わしは体操服の方が気に入っておったのだが、
どうやら大人が街で体操服を着てはいけぬそうで捕り方に捕まってしもうてな」
「バニーちゃんの前は体操服だったんすか……
くそうそっちも見たかったぁッきっと邦枝ちゃんの体操服姿とはまた違う味わいがあったのに」
若者はそれは悔しそうに呟いた。
体操服を街中で着てはいかんと警察官に懇々と諭されて帰ってきてのち、
謙信は朱謙の箪笥をひっくり返して着るものを探していた。
「ええい!何故この女はふりふりひらひらの服しか持っておらぬのだ!」
服を放り投げながらぷんぷんと謙信は憤る。
「ふりふりひらひらは朱謙の趣味じゃろうな。
……それより謙信、下穿き一枚でうろつくのは止めた方が良くは無いか」
「体操服が駄目なのだから仕方が無かろう!それともわしにふりふりを着ろと言うのか。
おっさんのふりふりが見たいのか。変態か貴様!」
謙信は腰に手を当てて信玄の前に仁王立ちした。
―――謙信は全く分かっていない。
本人はおっさんのつもりでも周囲から見れば外見上は発育の宜しい女子なのである。
「……そうは言っておらぬが」
「ならば黙っておれ」
そう吐き捨てると謙信は再び箪笥を漁りだした。信玄はため息をつく。何を言っても無駄なようだ。
「しかし本当に現代の女子はこういう服ばかり着ておるのか。
こんなにふりふりと動きにくい服でいざという時にどうするつもりなのであろう、嘆かわしいのう」
「おそらく現代には『いざという時』が無いのじゃろうな」
何気なく信玄が応えると意表を突かれた顔をして謙信が振り返った。
「……そうか。ならば備えなど必要が無いのやもしれぬな」
妙に神妙な顔になった謙信は静かに服を漁り始める。
「備えが必要無いほど平和なのだな、この時代は」
「平和じゃな」
「良い事……なのであろうな」
「良い事なんじゃろうな」
「良い時代だな」
「そうじゃな」
「Twitterもあるしのう」
「うまい棒もあるしな」
「……この時代には本当に何の憂いもないのであろうか」
「分からぬ」
信玄の返答に、謙信は無言で箪笥の奥を漁る。
しかしすぐに手を止め、嬉しそうな顔をして振り返った。
「信玄、我々は間違っておったようだ。これが朱謙の『備え』なんじゃろう」
謙信がいそいそと引っ張り出したのは見たことの無い黒い服だった。
身体の部分は確かにふりふりではない。むしろ身体にぴたりとしていそうだ。
「変わった服じゃな」
信玄が素直な感想を述べると、謙信はふふんと笑った。
「分からぬか信玄」
「動きやすそうではあるが」
「わしが思うにこれは忍びの服じゃぞ」
そういって謙信が差し出したのは共に着ると思しき網目状になった黒い穿きものだった。
「見よ、網目があると言うことはこれは鎖帷子であろう。これだけ軽ければ女子でも苦にはなるまい」
「しかし鎖帷子は胴を守らねばならぬのではないか?これでは足しか守れんじゃろう」
「朱謙のような弱そうな女が胴体だけ守っても逃げ切れぬであろう?闘って相手を倒せるわけもない。
だから逃げ切る為に初めから足のみを傷つけぬよう考えておるのだろう。潔い覚悟じゃな」
「じゃか、こんな平和な世に忍びなどおらぬのではないか?」
「おらぬだろうな。だからこその『備え』なのであろう?
この平和な世でもいざという時には忍びのごとくに身を呈して働くという意思の表れなのであろうな」
「ふむ……」
信玄は首を傾げる。
そう言われればそういう気もする。なにしろ自分たちの時代と様々なものが変わりすぎているのだ。
「ならばこれはなんの為じゃろうな」
信玄は共に置いてあった髪飾りを取り上げる。
どう見ても兎の耳を模っており、何の意味が有るのか良く分からない。
「我々の兜の飾りと似たようなものではないかのう。或いは『脱兎のごとく逃げる』という意味やもしれぬが」
「確かに珍奇な格好を好む者もおるからな。ふりふりが着れぬ代わりにその髪飾りなんじゃろうか」
「この平和な世でここまで備える朱謙の覚悟に感じ入った。わしはこれを着るぞ信玄」
―――という経緯があり現在に至る訳だが、まあそれはあの若者には関係が無い。
なんだかんだと話しかけて朱謙の気を引こうとしている若者に
そろそろ無駄な行為であることを知らせにいこうかと考えていると、数人の男たちが若者と謙信を取り囲んだ。
「お姉さん、素敵な格好してるじゃないの」
「こんな兄ちゃん放っといて俺らの方と遊ばない?」
いつの世も無頼の輩というのは似たような事を言うものだと信玄が妙に感心していると、謙信が不快そうな顔をしていた。
「わしはこの若者と話しておるゆえ、取り込んでおる。他を当たってくれぬか」
「お姉さん強気だねえ。いいから行こうぜ」
男が笑って謙信の手首を掴む。謙信が反対の手を握り締めるのを見て信玄はいかん、と思った。
いくら中身が謙信でも朱謙の腕力で男たちに勝てるわけがないとも少しは思う。
がそれ以上に、反対に男たちを伸してしまった時を心配する気持ちの方が大きかった。
いつ元の時代に帰れるのやらわからぬ以上、「武田玄太郎」と「武田朱謙」として大人しく生きて行かねばならぬのだ。
今ここで目立ってしまうような事をして得が有るわけがない。
謙信を止めるべくと近づこうとすると、それより早く若者が男たちと謙信の間に入った。
「いやいや、乱暴は止めましょうよ、ね?お姉さん嫌がってるし」
「なんだ兄ちゃん文句でもあるのか?」
「文句なんて滅相もない。ただ、ねえ、ほら男としてこういうのは、なんというか」
「てめえ、俺らが誰だか分かって―――まて、その制服……石矢魔高か?」
「え?そうですけど」
「なるほど」
男が謙信の手首を放した。訳が分からずきょとんとしている謙信を、若者が自分の後ろに追いやる。
「なら男鹿知ってるだろ?アバレオーガ」
「まあ知ってると言うか、どちらかといえば俺が育てたみたいな」
「そりゃ助かるわ、紹介してくれよ」
「天下取るにはさ、やっぱオーガ倒しとかねえと」
「あー……そういうことですかー……」
若者は後ろ手で尻ポケットから携帯電話を取り出し、何か操作してまた仕舞った。
それを目の前で不思議そうに見ていた謙信は首を傾げて信玄の方に視線を送ってきた。
信玄にもイマイチこの展開の意味が分からないので肩をすくめる。
しかし一瞬聞こえた「天下を取る」という言葉はこの平和な世には似つかわしくない、ということは分かる。
あの若者はなにか不穏なことに巻き込まれそうになっているようだ。
「いやーまさかお兄さん達が高校生だったとは、貫録有りすぎっすね」
信玄には若者の言葉は褒めているようには聞こえなかったが、男たちは気を良くした。
「だろ?けどさあ、こんな俺達でも男鹿は難敵な訳よ。そこで相談なんだけどさ、キミ男鹿とどういう関係?」
「えーと、小さいころから面倒を見てやっている関係とでも言いますか」
「小さい頃……?」
ざわり、と男たちが沸いた。
「男鹿と幼馴染?」
「まさか、知将古市……?」
「男鹿と古市、二人も同時に相手にするのは無理なんじゃ」
「……古市人質にとって男鹿呼び出すよりも大人しくバニーちゃんと遊んでた方が良いんじゃねえか?」
こそこそと、その割には丸聞こえの声で男たちが話あう。どうやら若者の正体が彼らにとって想定外のようだ。
信玄と謙信にとってはますます謎の展開である。古市という若者はそれほどの猛者なのだろうか。
ずっと不思議そうな顔をして話を聞いていた謙信は、男たちの目線に一歩踏み出した。
「やはりわしに用があるのであろう?この若者をさっさと帰さんか」
「ちょ、お姉さん」
ほんの一瞬、古市の顔に狼狽と逡巡の色が浮かんだ。が、すぐに再び謙信を押し戻しその前へ出る。
「いやいやいや、お兄さん方良く考えてみてくださいよ、男鹿ですよ?オーガ。
このお姉さんと遊んだら確かに楽しいでしょうけど今日限り、
ところが男鹿を倒せばお兄さん方の名は未来永劫知れ渡りますよ?色んなお姉さんが毎日よりどりみどりですよ?
その上俺にとって男鹿は舎弟みたいなもの、俺が言えば何でも言うこと聞きますよアイツ。
だからむしろお兄さん方は今猛烈にラッキーだ!この千載一遇の機会を逃すなんてそりゃないでしょー」
古市が一気にまくし立てると男たちがどよめいた。謙信も唖然としている。
「そうか……頭良いな……」
「さすが知将だな……」
「でしょー?……じゃあさっさとどっか行きましょ、俺が呼べばソッコーで男鹿来ますから」
「お、おう」
古市は男たちに挟まれて歩き出す。
数で優位であるはずの男たちは何処となく古市の勢いに気圧されているようだ。
「待たんか古市とやら」
その背中に謙信が声を掛けると、古市は笑いひらひらと手を振った。
「お姉さん、最近はメイド服も流行りっすよ。今度会ったら知り合いの巨乳メイドとの競演が見たいっすね」
それきり古市は男たちと去っていった。謙信はその背をじっと見つめている。
信玄が近づくと、謙信はわしを庇ったつもりなのであろうなと呟いた。
「おそらくな」
「震えておった、あの古市とやら」
「弱そうじゃったしな」
「合間合間に小さい声で『ヤベエ』『バレてんじゃん』『怖えー』『うわ泣きそう』と呟いておった」
「お主に良い顔がしたくて無理をしたのじゃな」
「きっと古市よりわしの方が強かったぞ」
「間違いないじゃろうな」
「……受けた恩は返さねばならぬよな」
「それが『義』じゃろうな」
「―――あ奴ら、何処へ行ったのであろう」
「謙信、忘れてはおらぬか」
先ほどの仕返しに、信玄はふふんと笑ってやった。謙信は分からぬ顔をして眼を瞬く。
「不良とくれば倉庫じゃろう、いつもドラマでやっておるわ」
謙信は一瞬目を見開いてからにやりと笑った。
「来た道にあったのう、丁度良さそうな倉庫が」
倉庫に入り込み物陰からそろりと覗くと予想通りに古市が男たちに囲まれていた。
心なしか男の数が増えているような気がする。謙信は頭を振りため息をついた。
「信玄、貴様の予想通り過ぎてわしは悲しくなってきたぞ」
「拙者はなんの軍略もなしに天下を取れると思うている彼奴めらに一言いうてやりたいわ」
「男共の数が増えておるのがあ奴らなりの軍略なのではないかのう」
「確かに兵の頭数も策に入れねばならぬと思うが、策が無いのに頭数だけ揃えてもそうそう勝てぬわ」
男共の様子を見ていると統率がとれているようには全く見えなかった。
上下関係は有りそうだったが、ただそれだけで天下を取れると思っているのならば非常に嘆かわしい。
男達の無策に腹を立てていると、謙信に静かにせいと睨みつけられた。
「気がつかれたらどうする。あちらには古市という人質がおるのじゃぞ」
「むう、そうじゃのう……しかし男鹿とやら一人を相手に七人がかりとは下種じゃな」
「そう言ってやるな、一人では勝てぬから下種なりに頭を使っておるのだろう」
「男鹿とやらは強いのじゃのう」
「なにをわくわくしておるか貴様。来るかどうかすら分からぬ男鹿を待つよりわしらで古市を助けねば」
すぐにでも飛び出しそうな謙信に信玄は苦笑した。持久戦は相変わらず苦手のようだ。
「待たんか。今出るわけにもいかぬじゃろう。男鹿が来るまで待った方が良かろう」
「臆したか信玄。貴様が腑抜けてもわしは行くぞ。相手が七人おるからなんじゃ」
「待てと言うに。よいか、拙者たちは玄太郎と朱謙の身体を借りておるのじゃぞ?
確かに拙者ら二人おれば七人ごとき物の数では無いわ。しかしこれでああいう輩に目をつけられたらどうする。
拙者らがおる間は何人来ようが畳めばよいじゃろうが、帰ってから下郎共に狙われたらどうする。
なるべく目立ってはいかんのじゃ、拙者たちは。それが玄太郎と朱謙への『義』ではないのか」
玄太郎と朱謙が無頼の輩を退けられるとはとても思えない。
だから、二人の事も考えるならば男たちが恐れる男鹿を待つべきだ。
男鹿とともに男たちを倒したなら、男たちにとっては玄太郎も朱謙も「男鹿の付随物」である。
例え仲間だと見なされたとしても、男たちは二人の後ろに男鹿を見てそうそう手出しはしてこないはずだ。
「し―――しかし」
謙信は躊躇した。謙信にとって『義』は最も重い言葉のはずである。
もうひと押しで謙信を抑えることが出来そうだと考えた信玄は畳みかけることにした。
「そして見よ、あの男が持っておるのは鉄砲なのではないか?」
「わしらが知っておるのとはだいぶ違うようじゃが」
「これだけ拙者たちが知っておるのと異なる世で鉄砲だけが変わらぬと思うておる方がおかしいじゃろう。
あの黒筒、形こそ小さいが基本的には変わらぬように見えんか?
仮にあれが鉄砲であるなら、むやみに飛び出せば古市が―――」
信玄は口を噤む。鉄砲を持った男が古市にそれを突きつけていた。
古市は顔を引きつらせて男に何か言っている。周りの男たちは実に楽しそうにそれを眺めているばかりだ。
信玄はぎり、と歯を噛みしめる。
いつの世も下郎がすることはさして変わらないが、それでも気持ちのいい眺めでは無い。
しかし耐えねばならなかった。男共の狙いは男鹿なのだから、今すぐ古市が傷つけられることは無いはずだ。
男鹿の到着前に古市が命を落とせば人質の意味を成さないからである。
流石にそれが分からぬほどの阿呆ではないだろう。
「謙信、堪え―――」
横に謙信は居なかった。
「いい加減に恥を知れこの下種共が!」
声の方向に振り向くと、知らぬ間に物陰から飛び出した謙信が仁王立ちしていた。
背後から陽に照らされる謙信は、まるで後光が差しているようだった。
古市は我が目を疑った。今見たのは現実だろうか、それとも自分の願望だろうか。
「今、光り輝くバニーガールが居たよな……」
「俺も見た……」
男たちの様子を見るとどうやら自分の妄想ではないようだ。
(やばいな)
何処かへ隠れたのかもう姿は見えないが、知り合いにバニーちゃんはそうそう居ない。
とすれば先ほどのバニーちゃんが古市を助けに来たとしか考えられないのではないか。
(なんとかしないと……)
きっとバニーちゃんは先ほどの古市のあまりのカッコよさに、一人で逃げることに良心の呵責を感じたのだろう。
がしかし心配には及ばないのだ。じきに男鹿も来るだろう。
正直言って一人でこの場を切り抜けるのは不可能だが、男鹿が来るまでの場を繋ぐことは可能である。
そして古市は男鹿のせいで不良さん達の扱いは意外と慣れている。まあ慣れていても怖いものは怖いのだがそこはそれ。
だからむしろ、男たちが再びバニーちゃんに興味を持つことの方が恐ろしかった。
目の前の奴らが男鹿を待つまでの間にバニーちゃんをどうにかこうにかしようと考えるような馬鹿では無いと何故言えるだろう。
いや、どちらかというとそういうことを考えない方が不自然だと言えそうなタイプである。
つまりこいつらはただの馬鹿にしか見えないので馬鹿がしそうなことは大抵しそうだ。なにしろ馬鹿である。
いざそうなってしまった場合、腕力に自信のない古市に何が出来るだろう。
古市に出来ることは、ただ一つだった。
「嫌だなあお兄さん方。こんなとこにバニーちゃんが来るわけないでしょー?
緊張しすぎて幻覚見えました?大丈夫すか?それよりも男鹿対策、大丈夫っすか?」
「当たり前だ、これを使う」
男の一人が拳銃を持っていた。本物かモデルガンか知らないが、高校生が持つようなものではない。
「それ、本物っすか?」
「こういう時の為にアニキから借りてきた。これで男鹿もビビるだろうよ」
「残念だなあ、お兄さんたち」
古市が深々とため息をついてみせると、男たちは殺気立った。
「ああ?」
「殴られたいのか古市?」
「いやいやいや、違いますって。良いですか、これはお兄さんたちにとってビックチャンスな訳ですよ。
なにしろ俺という人質を得た上で男鹿を七人で囲めるんだから。そんな機会今後ありますか?
つまりお兄さんたちが男鹿を倒して天下取ることはほぼ確定です。
とすると、お兄さんたちが考えなくちゃいけないのは『男鹿をどう倒すか』じゃない。
『どう格好よく伝説になるか』、じゃあないんですか?これから色んな奴らが語り継ぐんですよ?
とすると、拳銃なんてつかってちゃあ勿体ない。折角『あの男鹿に』『素手で』勝ったと言う伝説が作れるのに。
勿体ない、ああ勿体ない。『七人いるのに拳銃まで使った』という伝説になるのかあ。俺は非常に残念です」
「男鹿に素手で勝つかあ……」
「確かにカッコいい……」
「でしょー?」
想像通りのお馬鹿さん達に古市はにっこり笑って見せる。
「それで、本当に男鹿がくるのにあと30分なんだな?さっきの電話で本当にすぐにこっちに向うんだな?」
お馬鹿さんの親玉が古市に言う。
「男鹿の家からここまでは30分、間違いないっすね。今のうちにトイレ行っておいた方がよくないすか」
極上の笑顔で古市が答えると、男たちはほっとしたようだった。
信玄は謙信の頭を床に押し付けて伏せさせていた。先ほど飛び出したのをなんとか物陰に引きずりこんだところである。
「ええい放さんか貴様!」
謙信はじたばたと暴れる。放せばまた飛び出すに決まっているので信玄は手に力を込めた。
「今飛び出しても鉄砲に撃たれるだけじゃろうが」
「わしは軍神毘沙門天の転生である。鉄砲なぞ当たらぬわ」
謙信は胸を張る。信玄は苦笑しそうになった。この「毘沙門天の加護」にどれだけ武田軍が苦しめられたことか。
「お主に御加護が有っても朱謙には無いかもしれぬではないか。それとも朱謙も毘沙門天の化身と申すか」
「そうは……言わぬが」
消沈したのか急に謙信が大人しくなったので、手を外した。
「安心せい、古市は何やら言うて男共を煙に巻いておるようじゃぞ。しばらくは大丈夫じゃろう」
「ならばその隙をついて助けたほうが良くはないかのう」
「じゃから……」
問答の途中で二人は黙った。男の一人が入口へ向かってきている。信玄は息を殺した。
二人の真横を通るのだから気が付かれてもおかしくはない。
(どうする)
謙信と眼が合った。男が一人で仲間から離れたのは好機ではある。
気が付かれる前に片づけるべきか、隠れて見つからぬ努力をするか。
今は後者のほうが望ましいのだろう。何の為に今まで耐えていたのか分からないではないか。
しかし。
謙信の眼は爛々と輝いていた。多分信玄も同じだろう。―――考える必要は、無いようだった。
男の足音を聞きながら息をひそめる。警戒している様子は感じられない。気が緩みきっているのがよく分かった。
己の配下ならば性根を叩き直してやりたいところだが敵ならば好都合である。
近づく足音に飛び出す機を伺う。なるべくならば他の者どもには気付かれずに始末してしまいたいが上手くいくかどうか。
横を見ると謙信も息を殺して間合いを計っていた。
後僅か。
もう一歩。
飛び出そうとしたその瞬間に、男の身体が何かの衝撃で奥まで吹っ飛んだ。
「お前ら、ぜってー許さねえっ」
怒気をはらんだ声が響き渡る。男を殴り飛ばしたと思われるのは、全裸の赤子を背負った妙な若者だった。
「男鹿!?」
「なんでこんな早く……」
男たちの、そして信玄たちの待ち人が現れたようだった。
「のう信玄、何故あの赤子は何も着ておらぬのかのう」
「現代では幼子ならば服を着ずとも良いのではないのか?この前訪れた春日部でも尻を出して踊る童がおったじゃろう」
「そういえばおったのう……確かに近くの幼稚園とやらでも下半身まるだしの幼子がおるし、我らの世とは違うのう」
完全に出そびれた信玄と謙信はひそひそと会話しながら様子を伺う。
男たちはずんずん近づく男鹿を見て動揺しているようだった。気が緩み切っているところに敵が現れて完全に混乱している。
近づく者を端から殴り倒しながら、男鹿は奥へと向かった。
「古市、男鹿が来るまで30分かかるって言ったじゃねえか!」
「俺らを騙しやがったな!?」
詰め寄る男たちに、古市はにやりと笑った。
「嫌だなーお兄さん方、俺は嘘なんかついてませんよ?『男鹿の家からここまで30分』って言ったじゃないすか」
「まだ5分くらいしか経ってねえじゃねえか!」
「あー、スミマセン、1個言い忘れてました」
すっ呆けた顔をして古市は尻ポケットから携帯電話を取り出し、男たちに開いて見せた。
「男鹿に電話したの、30分前なんすよねー。ずーっと通話状態でした。いやー丁度来るころだと思ってたんだよなあ」
「てめ……」
へらりと笑う古市に掴みかかった男は男鹿に背後から殴り飛ばされて昏倒した。
……いつの間にか、立っているのは親玉一人だけだった。
親玉は引きつった顔をして古市の首に腕を回し、鉄砲を突きつける。
「男鹿、来たら古市がどうなるか分かってんだろうな」
「あ?知らねえよ」
「スミマセンお兄さん、男鹿頭悪くって難しい事分かんないんですよね。大人しくぶっ飛ばされてください」
古市はへらへらと言う。男は怒気を放つ男鹿に気圧されて後ずさりした。
歩みを止めない男鹿に男はますます顔をひきつらせる。
「お―――俺らを倒したからって逃げられると思うなよ?アニキがそろそろ仲間連れてくるんだ」
「アニキと仲間というのはこいつらか?」
信玄が声のした入口を振り返ると、金の髪の女と学生らしき女がそれぞれが左右の手に倒れた男を引きずっていた。
「全く、坊ちゃまと散歩にでも行くかと思えば……こんな埃の多そうな所に連れてくるとは」
「わ、私は通りすがっただけだから。別に男鹿に恩を売ろうとか思ってないし。たまたまこいつらが邪魔だったのよね」
「ヒルダさん!邦枝さん!俺の為に美人がわざわざ!」
捕まったままの古市が感激の面持ちで叫ぶ。男鹿が目前まで迫った男は蒼白になって震えだした。
「ちょ、ちょっと待て男鹿。話し合おう」
「ぜってー許さねえ」
「いやあ男鹿がここまで友情に篤いとは、俺泣けてきた」
鉄砲を持ち有利にもかかわらず震える男、怒髪天を衝く勢いの男鹿、人質の身でありながら余裕の古市。
変わった関係となった三人を、謙信は眼を丸くして見守っている。信玄も不可思議な関係だと思う。
「てめえのせいで―――」
そして男鹿が胸倉を掴んだのは男ではなく古市だった。
「電話にビビってベル坊が大泣きして大変だったじゃねえかぁっ!」
「俺かよ!」
誰よりも遠くへ殴り飛ばされた古市を見て、信玄と謙信は思わず顔を見合わせてしまった。
信玄と謙信はそろりと倉庫を抜け出した。
後ろでは倒れた古市は放置され不良の親玉は袋叩きに合っていたが、もう二人に出来そうなことは無い。
「わしらが来るまでも無かったのう」
「古市には良い仲間がおるのじゃな」
「古市自身は弱そうじゃが、あれだけ強い仲間がおれば困らんであろう」
「人は城。人は石垣、人は掘―――やはりいつの世も力となるのは人の絆じゃな」
「わしらの世と変わってしまったことも多いが変わらぬことも多いのう。
……おおしまった。結局古市に恩を返しておらんではないか」
謙信は急に立ち止まって手を打つ。確かに、二人がした事と言えば物陰から成り行きを見守っていただけだ。
「仕方がないじゃろう―――お、あちらに警察官がおるな、せめて通報してやるというのはどうじゃろうな」
「ふむ、その程度では小さすぎるがまあ仕方がないのう。……これ、そこの警察官」
謙信は警察官を呼びとめて事情を説明する。
本来ならばああいう無頼の輩は首を切り落としてやりたいところだが、現代ではお縄になるくらいがせいぜいか。
「なるほど、ただちに署員を向かわせましょう」
「おおそうか、有難い」
警察官の言葉に、謙信は嬉しそうに信玄を振り返る。しかしその手首を警察官が掴んだ。
「で、アナタはなんでそんな格好なのかな?ちょっと署まで同行するように」
ばにーがーるは忍びの装束では無い上に街中で着て歩くモノではない、ということを武田信玄と上杉謙信は初めて知った。
≪了≫
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