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―――或る、少女の話をしよう。
貧民街の路地裏で膝を抱える彼女。
いわゆる浮浪児(ストリート・チルドレン)というやつだ。
傍らには襤褸切れに近い毛布と、腐りかけの僅かな食糧。
そして、血のこびり付いたナイフ。
それだけが、少女の持ち物。
元々はカールした美しい金髪だったろうに、この街の澱んだ空気の中で、ロクに手入れもされていない
せいで無惨に煤けている。
ルビーのように輝く真紅の瞳も、世間の毒気にあてられて、既に濁り始めていた。
新雪のように白い肌も、垢が溜まって薄汚れている。
着ている服もいつから洗濯していないのか、異臭が染み付いていた。
それでも尚―――美しい少女だ。
眼も眩む程に可憐な娘だった。
今回のお話の主人公は、この少女。
何もかもが腐った街で、最も美しく、そして最も腐り果てた彼女の、死と新生の物語―――
わたしの母親は娼婦。
父親は、全く以って不明―――どうせ、客の中の誰かだろう。
少なくとも、愛情なんて欠片も与えてくれない母親だった。
名前すら、与えてくれなかった。
わたしを呼ぶ時は「おい、クソガキ」そんな女。
幼い自分の目の前でも平然と客とまぐわい、腹を空かせて泣き喚くわたしを殴りつけ、酷い時は阿片を
飲ませて(極貧生活なのに、何故そんなモノだけあったのか今でも不思議だ)無理矢理黙らせるような
最悪の女だった。
最後には、10歳にもならないわたしを僅かな金で娼館に売り飛ばした最低のアバズレだった。
娼館では下働きとして、毎日汗塗れ、塵塗れになるまで扱き使われ。
いずれ娼婦になった時のためにと、覚えたくもない、男を悦ばせるための手管を覚えさせられた。
そして13歳になった時、初めて客を取らされた。
覚えているぞ、チクショウめ。チビでデブでハゲの醜男だった。
「うひひひ…こ、こんな可愛い仔猫(キティ)を抱けるとは…高い金を払った甲斐があったよ。おまけに
今日が初めてなんだって?ヒョヒョ…こいつぁツイてるねぇ」
痛い、やめてと泣き叫ぶわたしを、好色な笑みを浮かべて組み敷き、純潔を奪った。
自分が快楽を得ることしか考えてない乱暴なセックス。
立て続けに3発、腐れた精液を撒き散らされた。
「また来るからねぇ、お嬢ちゃん」
純潔だった証の紅い液体。
欲望の証である白い汚濁。
何の証なのかよく分からない、頬を伝う透明な雫。
三種類の液体に塗れたわたしにそう言い残して、あのクズは帰っていった。
翌日、言葉通りにあのクズはまた来やがった。
「ほぉら、オヂさんはもうこんなに元気になっちゃってるんだよぉ?ねぇねぇどうすればいいと思う?
こんなお仕事してるんだから分かるでしょぉ?ほぉらほぉら、見て御覧、ほぉら」
気色悪い猫撫で声を出して、クズ野郎は珍棒をブラブラさせながらわたしに詰め寄ってくる。
そして奴はわたしの頭を押さえつけて、口淫させた。
涎を垂らしながら、快感の雄叫びを上げるゴミ野郎。
わたしは嗚咽と共に込み上げる胃液を、先走りの汚汁と一緒に飲み下しながら口虐に耐えるよりない。
でも、嫌だ。
もう嫌だ、こんなの。
嫌だ、嫌だ。
嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌
嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌
イヤイヤいやいやいやいやいやイヤいやいやいやいやイヤいやいや嫌いやいやいや嫌々いやいやいや!
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああっっ!!!!」
射精の瞬間を見計らって、そいつの下種なイチモツを、根本から噛み千切ってやった。
精液と鮮血を同時に吹き出しながら、泡を吹いて床を転げ回るゲスには目もくれず、私は手早く服だけ
を身に付けて、娼館を逃げ出した。
辿り着いた貧民街では、変態の相手から悪党の使いパシリまで金になるなら何でもやった。
迷い込んできた土地勘のない人間を襲って身包みを剥ぐなんて日常茶飯事。
罪悪感なんて湧くもんか。そんなもんは、恵まれた奴だけに赦された贅沢品だ。
―――何で、わたしは、こんなに最悪なんだ。
―――何で、わたしは、皆から見下されるんだ。
―――何で、わたしは、虫けらみたいに扱われるんだ。
―――何で、わたしは、誰からも何も貰えないんだ。
―――わたしの何が、悪かったんだよ。
―――何が―――
そんな鬱屈した思いを抱えていたその時、道端で客引きに必死な中年の娼婦を見つけた。
―――芽生えた憎しみ。
―――わたしは気付いた。
―――母親が娼婦だったせいで、こんな風に生まれついちまった。
―――娼館に売られたせいで、あんなクズに純潔を散らされた。
―――娼婦。嗚呼、娼婦!なんて…なんて汚らしい連中なんだ!
―――時は1888年8月31日。
大英帝国の首都・倫敦(ロンドン)。
イーストエンド・ホワイトチャペル。
<白き礼拝堂>なんて、酷い名前負けだった。
工場から吐き出される汚水と噴煙。
蔓延する伝染病。
死者は埋葬すらされずに放置され、腐れるがままにされている。
あらゆる貧困と悪徳と犯罪の温床。
この世のゴミ溜めとしか表現しようのない最悪の街で、歴史上最凶の殺人鬼が産声を上げた。
<切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)>
その正体が一人の可憐な少女であったなどと、誰も想像すらしない事であった―――
スコットランド・ヤードの優秀な刑事達が血眼になって捜し求める殺人鬼。
学者から小説家に至るまで、躍起になってその正体を推理する殺戮者。
―――高度な医学知識の持ち主だ。
―――ユダヤ人の精肉業者だ。
―――精神病を患った弁護士だ。
「きゃははは。好き勝手に言ってくれるじゃねーの」
路地裏の寝床で盗んできたいくつかの新聞を広げて、少女はけたたましく笑う。
とてもじゃないが、歳相応のあどけなさなど微塵もない、邪悪な笑みだ。
だがそれは、触れれば爛れる毒を持つ、危険な華の美しさでもあった。
毒と知っても、触れずにはいられない程に。
「ふむふむ…<殺人鬼、またしても現る!>か…有名になっちまったなあ、わたしも」
どの新聞にも、扇情的な見出しがでかでかと躍っている。
大衆たちは恐怖に震えながらも、興味本位と好奇心に踊らされるがままに、情報を望む。
加害者の正体は?
次の被害者は誰か?
犠牲者はまだまだ増えるのか?
いっそ、もっともっと殺されちまえば面白い―――
どうなったって、まさか自分は殺されやしないだろう―――
大抵の連中は、そんな風に思っている事だろう。
事実、今まで殺してきた娼婦はそうだった。己の正体を明かして惨殺する前に、少しばかりの世間話を
してみたが、どいつも目の前の少女があの<切り裂きジャック>だなんてこれっぽっちも気付かずに、
ヘラヘラしながら談笑していた。
ひとしきり友好的に振る舞い、極めて穏やかな会話を楽しみ、最後に言ってやるのだ。
「ああ、そうだ。言い忘れてたけどさあ、わたしが<切り裂きジャック>なんだ。今からあんたを惨殺する
からちゃっちゃと死ねよ淫売」
それでもなお、娼婦達は冗談と受け取り、あははと笑うかバカにするなと怒り出すかのどちらかだ。
少女のナイフが頚動脈を掻き切って、ようやくその顔が驚愕と恐怖と絶望に引き攣るのだ。
「最高だよなぁ、あのツラは…思い出すだけで、濡れてくる」
うっとりしながら、少女は右手を蠢かせる。
秘所を弄くりながら、淫らで残虐な殺戮の記憶に想いを馳せる。
一人目は手足をもいでやろうとした所で、巡回の警官に気付いて逃走した。
惜しい事をした。もうちょっとでバラバラにしてやれたのに。
二人目はボロアパートの裏庭でグチャグチャのメタメタにして殺してやった。
内臓を引っ張り出して、そこら中にブチ撒けた。
三人目はまさに解体しようとした時に荷馬車が来て、仕方なくそのまま放置した。
四人目はその直後、顔面を抉り、切り刻み、目玉を穿り出して耳を切り取った。
屍体と鮮血と内臓の芸術(オブジエ)。
それを創り出したのは、己の手。
恍惚としながら、その手で自慰に耽る少女。
幼くも紅い真珠を捏ね回し、淫裂が泡立つ程に激しく指を突き入れた。
「んっ…!あっ…あぁんっ…!」
絶頂(オーガズム)に達し、涎を垂らしながら、少女は悦楽の余韻に浸る。
だが―――足りない。
この程度の愉悦じゃあ、満足出来ない。
「…もっと。今度はもっと、惨たらしく、だ」
愛液に濡れた手で、ナイフを掴む。乾いた血をベロリ、と舌で舐め取った。
これは復讐。
そう―――復讐だ。
自分を産み落としやがったクソッタレ共に対する復讐だ!
「復讐は罪が故に、粛々と受け入れ給え…なーんてね」
既に少女は、狂気に支配されている。
本当の所、復讐なんてもうどうでもよかった。
ただ、この渇きを癒してくれる鮮血の泉が。
ただ、この冷え切った心を暖めてくれる鮮血の温もりだけが今の少女の全て。
「さーて―――それじゃあ今夜も、殺して解(バラ)して並べて揃えて晒してやるか」
月光に照らされた名無しの少女は、今宵も凶行に羽ばたく。
<切り裂きジャック>は獲物を求めて、夜を彷徨う。
―――闇夜を駆ける少女を、二つの人影が見つめていた。
二人とも、女性だ。それぞれ雰囲気は異なるが、共に美しい女性だった。
一人は清楚を絵に描いた、気品ある女性。深い慈愛と知性に満ちた横顔は、まるで聖女を思わせた。
その瞼は、静かに閉じられている―――
余談だが、盲人とは、聾唖よりも賢者めいて見えるという。彼女は盲人ではなかったが、誰かに危害を
加える人間にはとても見えない。
もう一人は対照的に、豊満な肉体を惜しみなく見せ付ける、淫魔を想像させる美女。
胸元から腹部までざっくり開いた淫靡な衣装。
男のみならず、女性すら惑わせ、酔わせる程の色香を漂わせている。
「…ジュスティーヌ。本当に、あの娘が<切り裂きジャック>なのかしら?」
妖艶な美女が、清楚な女性―――どうやら、ジュスティーヌという名のようだ―――に問う。
「間違いありません、F05(エフ・ヒュンフ)」
「それは、確かな情報?」
こちらはF05という名らしい美女が、再び訊く。
「間違いありません」
同じセリフを繰り返すジュスティーヌ。
「かの、眠りを忘れた天才―――灰色の脳細胞の全てを活用しうる賢者―――
この世で唯一人<名探偵>の称号を与えられた男の導き出した答えですから」
「ふぅん…なら、紛う事なく、彼女が<切り裂きジャック>…いえ、女の子だから<切り裂きジル>と
でも呼ぶべきかしら?大英帝国を震撼させる殺人鬼が、あんな可愛い仔猫(キティ)だなんて」
クスクスと微笑するF05。対して、ジュスティーヌは冷静に答える。
「F05…あなたに二つの使命を与えます」
「なんなりと」
「一つは、この国に潜む、汚らわしき怪物―――<月の一族(モントリヒト)>の討伐。
そしてもう一つは―――」
「<切り裂きジャック>―――彼女を、我々の新たな同志としてスカウトする事…でしょう?お任せを。
このF05…生前の名をド・ブランヴィリエ侯爵夫人。必ずや任務を全うして御覧に入れますわ」
時は1888年11月9日。
少女は知らない。
この日、己の運命が大きく捻じ曲げられる事を。
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