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「鉄(クロガネ)のラインバレル 異聞・道明寺誠の退屈と諦観」(2010/12/04 (土) 12:53:57) の最新版変更点
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道明寺誠(どうみょうじ・まこと)―――十二歳・中学一年生。
この世は退屈で、平凡で、つまらない事しか起きない。
生を受けて十年と少しで、彼はそう悟って―――否。
諦めて、いた。
端的に言って、彼は天才である。天才という言葉が陳腐なら、インチキと例えてもいい。
冗談みたいな身体能力と天性のセンスのおかげで、ケンカは負けた経験どころか、苦戦の経験すらない。
勉強についてはまあ、そこそこといった所だが、それは単に本人が学業に精を出す気がないだけで、頭脳
に関してもズバ抜けていた。
だからこそ、彼にとっては自分を取り巻く全てが退屈で、平凡で、つまらなかった。
世界征服を企む大それたヒールなんて現れない。
平和を守る正義のヒーローなんていないし、必要もない。
無力な少年は無力なままで、ある日突然に強大な力を持つなんて事もありえない。
ボーイ・ミーツ・ガールから始まる荒唐無稽で愉快痛快な物語なんて―――
それこそ、どこぞの少年誌の中にしか存在しない。
もしかして。
もしかして、この世に世界征服を企む誰かがいて。
世界を守るヒーローが、それと戦っていたとしても。
きっと自分には関わりのない、遠い世界の―――別の世界の話だ。
道明寺誠はそう思っていたし、多分そうなる事だろう。
―――中学に入ってすぐの事だった。
昼休みの教室。椅子に座り、昼食後の一時のまどろみを楽しんでいた道明寺の平穏は無粋にも破られた。
「よぉ、お前」
驕慢さを隠そうともしない、粘着質な声である。
自分に話しかけているのだと分かっていたが、道明寺は目を閉じたままで気付かないフリをした。
「お前だよ、お前。聞いてんのかよ、おい」
煩わしいな、と思いつつも目を開ける。
そこにいたのは想像していた通りのバカ面である。その後ろには、これまた似たような顔の奴が三人。
確か隣のクラスの奴だった気もするが、よく覚えていない。
「何か用かよ…ちなみに俺の名前は<お前>じゃない。スポーツ万能・成績そこそこ・女子にはモテモテ
道明寺誠だ」
「はあ?…まあいいや。道明寺。お前さぁ、随分と暴れてるらしいじゃねえの」
「暴れてる?」
とぼけてみせたが、心当たりはあった…というか、心当たりしかない。
基本的に道明寺は売られたケンカは買う主義だし、こっちから売りつける事も多々ある。
そのせいで入学間もない彼だが、周囲からは既に問題児として扱われていた。
「俺のダチがよ、お前にやられたってんだよ、コラ」
「忘れたとは言わさねえぞ、オラ」
やたらとコラだのオラだのが好きな連中だなあ。
道明寺には、その程度の感想しかない。
「すまん、忘れた。どこのどいつの話?」
「一組の薬師寺だよ。お前がいきなり殴ってきたらしいな」
「顔面が二倍に膨れちまってたぞ、あいつ。よくもやってくれたなぁ、おい」
「ああ…思い出した」
名前までは覚えていないが、顔面が二倍に膨れたという辺りでピンと来た。
確か、数日前の放課後。
人気のない教室で、小柄で気弱そうな男子生徒が、大柄な男子に一方的に小突かれていた。
別に正義の味方ごっこがしたいわけじゃなかったが。
不愉快なものをそのままにしておくほど、人情に薄い男ではなかった。
「ふーん…弱い者いじめとは感心しねーな」
「ああ?」
いじめの現場を目撃されても、そいつはへらへらと、野卑な薄ら笑いを浮かべていただけだった。
自分のしている事が悪い事だという意識もないのだろう。
「勘違いするなよ。俺たちは仲良くボクシングごっこしてただけだぜ?なあ」
すごみをきかせて小柄な男子を睨み付ける。彼は怯えた表情で小さく頷くだけだった。
「へえ、そうかい」
にやりと笑い、道明寺はファイティング・ポーズを取ってみせた。
「じゃあ、俺とも遊んでくれよ」
―――彼は、自分がいじめていた相手がどんな痛みと恐怖を味わっていたのか、およそにして十倍の濃度
で味わう羽目になった。
顔面が二倍に膨れ上がったとはいうが、それに加えて、両拳も使い物にならなくされた。
完治したとして、箸と鉛筆は持てても、二度とボクシングごっこなどできない身体になった。
なお、いじめられていた男子生徒は気が付けばいなくなっていた。
それについては、道明寺は別に気にしなかったけれど。
「あいつとは小学生の頃からマブダチでよ。それがこんな目に合わされちゃあ…なあ?」
「黙っちゃおけねーなあ。うん」
「こちとら、マジムカついてんだよ」
「お前もちょっとは痛い目見てもらわねーとなあ?」
「成る程、成る程。よーく分かった」
道明寺は、仰々しく腕を組んで大袈裟に頷いてみせた。
「要するにお前らも、仲良く一緒に病院に行きたいってわけだ。把握した」
「言ってくれるじゃねえか」
「四人相手に、勝てると思ってんの?」
「まあいいや。放課後だ。放課後、屋上に来いよ。逃げんなよ?」
「いや」
道明寺は言った。
「ここでいいよ」
は、と四人は間の抜けた顔になった。
対して道明寺は、不敵とも取れる笑み。
「別に放課後なんて待たなくていいよ。ここでやろうぜ」
道明寺はケンカっ早いのは確かだが、怒りっぽい人間ではない。
むしろ、同い年の連中と比べれば感情の制御は群を抜いて上手い部類に入る。
だから別に、怒ったりはしていなかった。それどころか、冷静ですらあった。
冷静に、目の前のバカ共を手加減抜きでブン殴っただけである。
突然の凶行に騒然とする学友達を尻目に、道明寺は平然としていた。
目の前には、人間というより肉塊といった方が近くなった四人。
「へ…へめえ…たらで、すむとほもうな…」
その中ではリーダー格であったらしい男子が、くぐもった声で凄んでみせた。
根性だけは立派かもしれないと、道明寺は妙な所で感心した。
「ほ、ほれんちは、ヤクザらぞ…オヤジに、いっへ…ギタギタに、ひてやる…」
「家がヤクザ…ねえ」
うーん、と唸って顎を撫でる道明寺。その様子を臆していると思ったのか、男は半死半生の割に勢い込む。
「そうら!いくらほまえでも、こええらろお!?今ならろげざしてあやまへば―――」
「よし、今から案内しろ」
「ゆるひてやっても―――へ?」
青あざでパンダのようになった両目を、パチクリとさせる。
道明寺は、静かに繰り返した。
「案内しろよ、お前んちに。ちったあ面白そうだから、今から殴りこむわ」
面白くも何ともなかった。
相手がヤクザだろうが、普段のケンカと何も変わり映えしなかった。
ある者は、前歯を全部叩き折られていた。
またある者は、肘と膝の関節が逆方向に折れ曲がっていた。
或いは、窓ガラスに頭から突っ込んでいた。
「こんなもんか」
軽い失望と共に吐き出した言葉は、嘆きの色さえ含んでいた。
「漫画とかだと、ヤクザの事務所に殴り込みなんて、大抵物語の山場なんだけどなあ…」
実際は、仔犬を蹴飛ばすような簡単さだった。
いや、仔犬を蹴飛ばす方が難易度が高い。
だって可哀想じゃん、仔犬を蹴飛ばすだなんて。
その点こいつらを殴り飛ばすのには、何の躊躇もいらない分、ずっと楽だ。
「…………!」
当のヤクザの息子殿は、頼りにしていた組長である父親や、その配下の屈強な組員達が為す術なくボロクズ
にされたのを見て、完全に顔色をなくしていた。
ガチガチと歯を鳴らし、ズボンを黄色い液体で濡らすばかりだ。
道明寺は既に、彼に対して何の興味も持っていなかった。
何も言わずに肩をすくめて、半壊した事務所を後にしただけだった。
しかしまあ、流石にやりすぎだった。
中学入学早々に、道明寺は矯正施設とやらに入る事となってしまった。
とはいえ、彼はへこたれたりなどしなかった。
「何処にいたって、別に同じだし」
結局世界は、何も変わらない。
中学に通っていようが、施設にいようが、何も―――
施設にいた時の事は、正直な所、ほとんど何も覚えていない。
いや、記憶には留めているが、印象に残ることなどロクになかった。
たった一つだけ覚えているのは、面会に来た一人の少年の事だった。
「あの時は、お礼も言わなくてごめんなさい」
それはあの日の放課後、いじめの標的にされていた男子生徒だった。
「お礼って…別に俺、何もしてねーし。バカを殴っただけだよ」
「そんな。僕を助けてくれたじゃないですか」
「たまたまだよ。殴った相手が、たまたまお前をいじめてただけ。それだけだ」
皮肉っぽく、唇を歪めてみせた。
「それだけの、つまんねー話…この世の中と同じようにな」
「世の中って…」
「面白くねーんだよ、俺は。何をやっても退屈だ」
知らず知らずの内に、口調に熱がこもっていた。
「世界は、平凡と平坦と平常で出来ている―――間違った論理を振り翳して、この世界を売ろうとしてる
ほどの悪党なんていやしない。救わなきゃならない程の危機もねーんじゃヒーローだって現れっこねー。
俺たちの生きる世界は、そんな退屈に溢れた世界なのさ」
「それは、違います」
気弱ないじめられっ子には似つかわしくない、断固とした口調だった。
正直、道明寺は少し面食らった。
彼は、続けた。
「少なくとも、僕の世界は、道明寺くんに救われました」
「…………」
もしかしたら自分は、すごくマヌケ面をしていたのかもしれない。
「僕にとっては…道明寺くんこそ、世界を救ってくれた正義のヒーローです」
「…はは。そりゃ笑えるな」
ヒーローはいた。
実は自分こそがヒーローでした。
そりゃねーって。お前、そりゃほんとねーわ。
ちょっとイジメから助けてやっただけで、大袈裟にも程があるだろ。
それが正直な感想だったし、歯が痒くなるような思いでもあったが。
悪い気は、しなかった。
自分の人生観を変えるほどの出来事ではなかったけれど―――誰かに感謝されて、嬉しかった。
それだけの事。
その後、彼とはそれきりで、特に何かあるわけでもなかった。
でも不思議と、この時の事はずっと覚えておきたかった。
そして、時は流れて。
道明寺誠―――十四歳・中学三年生。
この世は退屈で、平凡で、つまらない事しか起きない。
ヒールもヒーローもいない。ボーイ・ミーツ・ガールなんて夢物語。
そんな彼の諦念は<クロガネに導かれし少年>との出会いによって、木っ端微塵に砕かれることとなるの
だが、それはまた、別の話である―――
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