息子を返せ 一人入信すると一家崩壊
脱会して家に帰ろう 我々はあのサリン事件を忘れないぞ 名前を変えてもオウムはオウム
名前 ドローデーモン
本名 鈴木太郎
誕生日 1982年2月26日
才能 無能
職業 臥薪嘗胆
所属 オウム真理教
ブラックピクチャー
ホーリーネーム ヴァジラ・ドロデモ
階級 闇大師
教団での役職 絵画省大臣
出身高校 万場高校
最終学歴 東日本デザイン&コンピュータ専門学校
趣味 カラオケ
落書き
ゲーム制作
嫌いなもの 根拠のない批判
掲示板荒らし
カイザーデモンズ2の生放送


概要


ドローデーモンとは、自称ゲーム会社に就職した精神疾患者でオウム信者のサイコパスである。
確定死刑囚であるが現在生活保護を不正受給し、ゲーム会社に勤めているという妄想をして生きている。


経歴


幼少期

1982年2月26日に群馬県で暗黒の儀式の末に産まれる。奇形であり、顔のパーツが顎に寄っていた。
この時死刑判決を受けた。
群馬朝鮮初中級学校に入学するが、宮岡らいじめを受け盲学校に転校する。
12歳の時に再び群馬朝鮮初中級学校に編入するが、宮岡らから激しいいじめを受け、引きこもりがちになり不登校のまま卒業する。
この時死刑判決を受けた。
引きこもり時代にオウム真理教に入信、麻原彰晃に気に入られ最年少で幹部に任命される。
地下鉄サリン事件に関与、その他様々な事件に関与するようになる。
この時死刑判決を受けるが、少年法で無罪。


青年期

再三の死刑判決を乗り越え、再び死刑判決を受ける。
1997年、万場高校に入学、一年次に無断で欠席し神戸に旅行。
この時、神戸ドローデーモン連続児童殺人事件を起こす。
この時死刑判決を受けた。
万場高校在学三年次、将来のことを考え東日本デザイン&コンピュータ専門学校への入学を決意。

専門学校時代にとってぃウドの巨塔と出会う。
この時死刑判決を受けた。

臥薪嘗胆時代

専門学校での経験を生かし、炎髪灼眼神を名乗って絵をネットにアップロードし始める。
同時期にオウム真理教の再建をもくろむ。
モスクワで信者のドミトリー・シガチョフと共に麻原奪還を計画するが、後にシガチョフとは芸術性の違いによって訣別している。
その後はしばらく東京拘置所の周りをひたすら歩く日々が続く。
この時死刑判決を受けた。
臥薪嘗胆中に秋葉原ドローデーモン通り魔事件を起こす。
この時死刑判決を受けるが、池沼無罪。

ハンゲーム時代

pixivでの荒らし行為が目立ち、追放される。
それらのネット上での活躍を拾われ、NEXONが遊び半分でエイプリルフールのイベントに参加させる。
この頃からドローデーモンに改名。
名前がネット中に知れ渡りオウム真理教の後継団体、宗教団体ブラックピクチャーの立ち上げに成功。
しかし、オウム真理教から脱会しブラックピクチャーに入信した信者は少なかった。
この時死刑判決を受けた。

ブラックピクチャー設立

とってぃ、ウドの巨塔、すごいカニとともにブラックピクチャーを設立。
カイザーデモンズなどを制作・販売し、多額の利益を得る。
この時死刑判決を受けた。

スマッシュブラザーズforWiiUを購入し、プレイする。

目標だったオウム真理教の復活計画を実現させるためロシアにブラックピクチャー支部を設立、
ゲームやマンガの利益で自動小銃の生産や核武装計画を発動。
この時死刑判決を受けた。

ブラックピクチャー

この集団の代表のドローデーモンは、オウム真理教のサマナであったが、
「我こそは麻原尊師の継承者なり」という神懸り的な言動が目立ち、教団内で煙たがられていた。
この時死刑判決を受けた。

そんななか、1995年のオウム事件発覚による一連の強制捜査で、
麻原彰晃こと松本智津夫をはじめとする多くの教団幹部が逮捕され、教団は大打撃をうけた。
教団の生き残りのため、「ヴァジラヤーナ」の教義の封印や麻原の息子を「新教祖」にする「改革」が行われたが、
教団指導部の動きに反発して、ドローデーモンをリーダーとする一団がオウムから分裂した。
これが、いわゆる「ブラックピクチャー」である。

1996年4月16日、メンバーの一人がオウム真理教時代に絵画省大臣の彼が行っていた修行の一種である「絵画修業」の最中に死亡する事件が発生している。
この時死刑判決を受けた。

現在

ドロデモ真理党での選挙出馬を独自に計画するが、ウドの巨塔に反対される。
この時死刑判決を受けた。

日本掌握に失敗したドローデーモンは暇なのでラブライブのキャラクターの絵を投稿したが全て出尽くした。
現在はスーパーマリオメーカーでゴミを大量生産している。
現在裁判を受けている。