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アメリカで高い人気を誇る心理学医のドクター・フィルは、自身の公式サイトで、「連続殺人鬼(シリアルキラー)には14つ特徴がある」とあげている。

「シリアルキラーの90%以上は男性」
「IQが高い者が多い」
「学校の成績は悪く、仕事も長続きせず、スキルのいらない労働に就くことが多い」
「不安定な家庭に育った者が多い」
「幼児期に父親に捨てられ、支配的な母親に育てられた者が多い」
「身内に、犯罪者、精神異常者、アルコール依存症がいる者が多い」
「父親と母親を激しく憎んでいる者が多い」
「幼児期、近親者から、心身、そして性的に虐待を受けていた者が多い」
「幼い頃から精神的な問題を抱えていた者が多い」
「自殺願望が強く、未遂をした者も多い」
「幼い頃から、のぞき見やフェチ、SMやポルノに興味を持つ者が多い」
「シリアルキラーの60%以上が12歳以降もおねしょをしていた」
「放火に魅了されている者が多い」
「小動物を虐待するなどサディステックな行為をした経験を持つ者が多い」

  • エド・ゲイン
警察当局による家宅捜査で発見されたのは、以下のものであった。
ゲインの寝台の角の柱に乗っていた頭蓋骨
人間の皮で作ったランプシェードと汚れた椅子の上の詰め物
一見スープボウルらしき人間の脳天
人間の心臓(心臓が発見された場所は、犯行現場にいたカメラマンは紙袋の中にあったと主張しているが、州の副保安官はストーブの上のソースパンの中にあったと報告している)
紙袋の中から発見された、地元のバーの主人マリー・ホーガンの顔の皮膚
人間の唇を引きちぎって作った窓の日よけ
女性の胴体の皮膚で作った胴着
複数の乳首から作ったベルト
人間の肉で作った靴下
人間の皮膚で作った入れ物
ゲインが身に付けたことを認めた、保存された陰門
萎びた人間の頭部の配列
全部で15人の女性の死体が見つかり、どれも解体されていて、一部はベスト(チョッキ)や食器・家具に加工され、また一部は食用として保存されていた。当時、ゲインの家には電気が引かれておらず、大量のごみで溢れかえっていた。ゲインは、死体は8人分で、すべて墓場から掘り起こしたものだと裁判で主張した。1954年の酒場の女主人マリー・ホーガン殺害の際には、彼女の頭を銃で撃ち抜いて射殺し、死体をそりに乗せて自宅に運んで解体している。実際に彼が生涯で殺したのはその2人(ウォーデンとホーガン)であった。
近所の子供たちによると、ときどき子守をしていたゲインは、しなびた人間の頭部を見せていた。噂によれば、第二次世界大戦の頃に世話を受けていた従兄弟が、南シナ海からすぐに送った遺体であるという。調査では、これらの裏返しにされた人間の顔の皮膚は、マスクを使って死体から注意深く剥がされたという。
ゲインは尋問を受けて、最近に埋葬された母と母に似た体を持つ中年の女性の死体を墓場から掘り返し、皮膚を手に入れてなめしたことを認めた。女性の皮膚をなめすゲインの技量は、狂気の服装倒錯の儀式の結果であると述べている。ゲインは、掘り起こした死体との性行為は否定しており、「臭いが不快過ぎた」と述べている。ゲインは尋問で、1954年から行方不明となっていたマリー・ホーガンを殺害したことも認めている。母の死からまもなく、ゲインは性転換を決意していた。ゲインは、女のふりをして「女性用のスーツ」を作った
ゲインは、解体・加工を行う上での知識と技術、さらに人間の体を徹底して材料として扱う冷徹さを持っており、盗み出した遺体をたやすく解体していた。だが、ゲインは屍姦は否定しており、「女の体の仕組みが知りたかった」と答えた。ゲインは、母オーガスタを死ぬまで崇拝し続けた。墓から中年の女性を掘り起こしたのは、「母に似た」女性を探すためであり、母への愛情でもあった。
申し立てによると、プレインフィールドの保安官、アーサー・シューレイは、尋問の最中にゲインの頭と顔を煉瓦の壁に叩き付けるなどして暴行を加えたという。伝えられるところによると、ゲインの最初の自白は法的証拠として認めないことが決められたことが原因という。シューレイは、ゲインの裁判で証人として出廷した1か月後の1968年12月に、43歳で心筋梗塞で死んだ。多くの人は、ゲインの行為の恐怖による心的外傷と、裁判での証言での怯え(とくにゲインへの暴行に関して)が、彼を早死に至らしめたと考えている。彼の友人の1人は、「結局彼はゲインの犠牲者になったのと同じことだ」と述べている。
出典:wikipedia

  • きよひこ(@kiyohiko_kimono)
pixivで蒼炎龍魔とも名乗っていた。統合失調症であった。
その残虐性はpixivに投稿された絵にもありありと溢れ、手足が生えたカブトムシやうさぎの耳が切り取られて血が噴き出すgif画像など、猟奇的な内面があらわれていた。
北千住で歩行者天国を通行している人たち30人に絵を見せ付けてショック死させた。
現在は服役中である。



  • フリッツ・ハールマン
1919年から1924年にかけて、ハールマンは少なくとも24人を殺害している。ハールマンの犠牲者はハノーファー中央駅をうろついている若い男性浮浪者や男娼だった。ハールマンは彼らを自分のアパートに誘い、男色行為中に犠牲者の喉を噛み破って殺害した。噂ではハールマンが犠牲者の肉を闇市場で缶詰の豚肉として売り歩いたとされているが、これを裏付ける証拠は無い。明らかになっているのは近所の女性がレストランを所有し、彼から肉を買っていたという事だけである。TruTV Crime Library(#外部リンク参照)は犠牲者は24人ではなく27人であると主張している。牧逸馬の著書によると裁判記録にある犠牲者数は28人である。但しハールマン自身は少なくとも48人は殺したと豪語している。
彼の共犯者で同棲相手でもあったハンス・グランスは慈善団体に犠牲者の服を寄付したり安く売りさばいたりした。(ハールマンは古着商人でもあった。)逮捕後、彼らが保管していた古着全てが押収され、全国の行方不明のティーンエイジャーの家族達は衣類を確認するためにハノーファーに向かわなければならなかった。グランスの着ていた服は犠牲者のものであった。しかしハールマンはグランスがハンサムな少年を殺すように唆しはしたが、それ以外は殺人には関与していないと証言した。
ハノーファーにおけるハールマンの裁判
逮捕のきっかけはハールマンがライネ川に廃棄した多数の白骨化遺体が下流に流れ着いた事である。彼の裁判は見せ物のようになり、ドイツにおいて主要なマスコミが大々的に報じた初の大事件の1つだった。当時はまだ「シリアルキラー(連続殺人犯)」という言葉は存在せず、大衆や報道機関はこの事件を表現する言葉を見出せなかった。彼は「狼男」、「吸血鬼」と称されると同時に「性的サイコパス」とも呼ばれていた。しかし明らかにされたハールマンの所業の残虐性とは別に、ドイツ社会を更に揺るがした不面目な事実は、警察の事件に対する関与であった。ハールマンは他の犯罪者をしばしば捜査官に引き渡していた警察の情報提供者だった。ハールマンが逮捕されるまで、警察は探していた連続殺人犯が彼らのよく知る人物で、目と鼻の先にいる事に全く気付かなかった。
ハールマンは1924年12月19日に有罪判決を受け、1925年4月15日早朝にハノーファー地方裁判所の刑務所でギロチンによる斬首刑に処された。グランスは24件の殺人の1つを教唆したとして有罪となり、同様に死刑を宣告されたが、グランスの無実を明言するハールマンの手紙の開示により、2審では12年の禁固刑となった。グランスは刑期を務め上げた後、1975年に亡くなるまでハノーファーのリックリンゲンに住み続けていた。
処刑後ハールマンの頭部は脳の構造を調べるため、科学者により保存された。ハールマンの頭部は現在ゲッティンゲンの医科大学に保管されている。また脳から切り取られた4つの断片がミュンヘンに保存されている。
事件はドイツで死刑、精神疾患のある犯罪者に対する正しいアプローチ、警察の捜査方法、同性愛について多くの議論を引き起した。
出典:wikipedia

  • ドローデーモン
ゲームを買ってくれた人物への脅し、アドバイスをくれた人への「まずは慣れてください、話はそれからです。」という心無いテンプレのような回答を繰り返すだけ、他の絵師に上から目線でコメントを書いたりするなどのことをした。そしてその後pixivのアカウントは削除されたが、Twitterでまだ活動を続けている。
ちなみに男性で、学校の成績が悪く仕事も長続きしない上スキルのいらない労働に就いた可能性、不安定な家庭に育った可能性、幼児期に父親に捨てられ、支配的な母親に育てられた可能性、身内に犯罪者や精神異常者、アルコール依存症の人がいる可能性、父親と母親を激しく憎んでいる可能性、幼児期に近親者から心身と性的に虐待を受けていた可能性、幼い頃から精神的な問題を抱えていた可能性、自殺願望が強くて未遂をした可能性、幼い頃からのぞき見やフェチ、SMやポルノに興味を持っている可能性、12歳以降もおねしょをしていた可能性、放火に魅了されている可能性、小動物を虐待するなどサディステックな行為をした経験を持つ可能性が量子学的に50%の確立で存在する。
(関連項目
)


      • あんなクソみたいな絵をLINEスタンプにしたり、ゲームにしたりしても売れるあたり、本当にスキルのいらない労働に就いたといえるかもしれない。
しかもゲームシステムはほぼ初期装備の流用、BGM作成も8割有能作曲家に作ってもらっている上にグラフィックも全て聖人に作ってもらい、テストプレイヤーをしたところで商人を諦めて預言者になった畜生の方が多くバグを見つける上に、バグが見つかったところで修正できない。ストーリーもいつもどおりの展開でワンパターン。絵もほぼいつもどおり。ゲームで実際まともにドローデーモンができたことと言えば別にいらないのにボイス録音したことぐらいであろうか。LINEスタンプはほぼ既存絵の流用。これがスキルのいらない労働と言わずなんというのだろうか。改めて文字にすると無能さが際立つ。





  • ヘンリー・リー・ルーカス
ヘンリー・リー・ルーカスは1936年8月23日、アメリカバージニア州ブラックスバーグに生まれた。母親のヴィオラはアイルランド系インディアンの女で、売春婦をしていた。父親のアンダーソンは、酒に酔って列車に轢かれ、両足を失った貧弱な元鉄道員であった。ヘンリーは11番目の子供であり、ヴィオラは女児が生まれてくることを期待していた(娘が生まれれば、母娘で売春が出来ると考えていたため)。だがヘンリーが男児であったことに失望する。ヴィオラは息子を「ヘンリエッタ」と名付けて女装をさせたり、意味も無く殴りつけたり、自身の客を家に呼んでヘンリーの前で性交し、それを見るように強要するなど、執拗に虐待を繰り返していた。
ヴィオラはしばしば「お前は死ぬまで私の奴隷」「あんたは悪魔から生まれた生き物なのだから、当然あんたは悪魔なのだ。腐ったろくでなしとして生きてもらう」「あんたはこの世に地獄をもたらすために生まれてきた」と、ヘンリーを罵倒した。ヴィオラ以外の人物にヘンリーが優しく接せられると、ヴィオラは激しく怒り、ヘンリーに優しくした本人を口汚く罵った。小学校の高学年になったとき、ヘンリーはラバを飼いたがっていた。ヴィオラが珍しくラバの子供を買ってきてヘンリーに与えたことがあった。ヘンリーは喜び、寝食も共にするほど気に入り、ラバもヘンリーに懐いた。ヴィオラがヘンリーに、ラバが気に入ったかどうかを尋ね、ヘンリーが気に入った旨を告げると、そのラバを射殺した。ヘンリー自身、「おふくろは、俺が何かを愛するという感情を抱くことに我慢ならなかった」「おふくろは完全な狂人だった」と告白しており、ヴィオラが人格的に異常であったことは明らかであった。
ヘンリーは10歳で酒の味を覚えたが、それは父親の影響であった。父親もまたヴィオラから罵倒されたり虐待されていた。父親はヴィオラに虐待されるのが好きであった。ヘンリーは後に、「本当の親父だったかどうかも分からない」「汚らわしいマゾだった」などと語っている。14歳ではじめての殺人(17歳の少女をレイプして絞殺)を犯した。最初の殺人は、ヘンリーにとって最悪のものであった。母による激しい虐待と、女性に対する彼の意識が彼を大きく歪ませ、女性とセックスに対して激しい憎悪を抱くようになった。23歳まで出所と服役を繰り返すが、同年に義姉の元で恋に落ちた。ヘンリーは彼女と生きていくことを決め、まともに働こうとした。だが、母親がヘンリーの元に現れ、口汚く罵ったことで恋人は彼の元を立ち去り、ヘンリーは再び独りになった。
ヴィオラの悪罵に耐えかねた彼は、母の喉を自らナイフで切り裂いて殺害した。彼は逮捕され、第二級謀殺罪により40年の刑を宣告された。しかし、彼自身は「おふくろが本当に死んだ」とは思ってはいなかった。長年ヴィオラに虐待されたことで、ヘンリーの精神は骨の髄まで母の支配下にあった。刑務所の中でも、ヴィオラの声が何度となく響き、ヘンリーに自殺を強要してくる幻聴に苛まれた。これによりヘンリーは乖離症状を繰り返し、精神分裂病と診断された。ヘンリーは自身を診察した医師に対して、「セックスの際に相手を殺さなければ絶頂に達することができない」という証言をしている。
ヘンリーは仮釈放を望まなかった。だが、囚人一人に掛かる年間の費用が多額であったことと、当時のベトナム戦争が泥沼化していたことで、国の財政が逼迫していたことから、司法当局は「更生の見込みのある犯罪者には、可能な限り社会復帰のチャンスを与える」という名目で、早期釈放を推進していた。収監されてから10年後、ヘンリーは仮釈放されることになった。獄中で電気技師の資格を取得したことや、大学レベルの教育プログラムを無事修了したことなどが評価されたためであった。仮釈放委員会で「釈放されたら、自分は必ず人を殺す」と明言していたにもかかわらず、彼は釈放された。仮釈放審査の面談で委員のひとりから、「君は釈放されたら本当に人を殺しますか?」と尋ねられたヘンリーは、「はい。私は釈放されたら間違いなく人を殺します」と言ったが、委員たちはこれをジョークと受け取った。そしてヘンリーは、自らの予言通りに、刑務所を出て数ブロックのところで女性を絞殺し、金品を強奪した。
釈放後の1979年、ヘンリーはオーティス・トゥールという男と出会う。オーティスは下品で野蛮な男であったが、彼と出会ってから紹介されたベッキーという少女に、ヘンリーは強く惹かれていった。ヘンリーと行動を共にし、無条件でヘンリーを受け入れるベッキーの髪の毛をといたりするなどして、ヘンリーは彼女を愛し始めた。彼女に対してセックスは求めず、性的衝動が高まると、別の女性を襲って殺害してからベッキーの元へ戻ってきた。だが、後にベッキーがキリスト教に目覚めたことがきっかけで2人の間に溝が生まれる。後にヘンリーはベッキーを殺害したが、そのことをひどく後悔した。ベッキー殺害後のヘンリーは、犯行後に証拠を残すようになった。1983年の逮捕後、ヘンリーは約3000件の殺害を自供しているが、一般的に実際に殺害したのは360人程度と考察されている。ただし、ヘンリーには虚言癖があったとされるためにこの数字にも根拠は無い。
ヘンリーは後にモンタギュー郡拘置所の独房の中でキリスト教に目覚め、テキサス州ウィリアムソン郡ジョージタウン刑務所にて、それまでの罪を進んで自白するようになった。それは、彼が犯した殺人のために冤罪で逮捕される人を救うためであるというが真実は定かでない。殺人罪が確定しているのは9件で、物的証拠があるのは2件のみである。
彼の死刑は1998年に執行されるはずだったが、当時のテキサス州知事だったジョージ・W・ブッシュが、証拠不十分を理由に死刑執行を延期した。当時ブッシュの手元には153人分の署名できる死刑執行書があったが、ブッシュは任期中に152人の死刑を執行した死刑執行推進派であり、まさに異例中の異例であった。
毒殺以外のありとあらゆる殺しを行ったと彼は語っている。「ヘンリー・ルーカス連続殺人事件特別捜査班」の正式メンバーとして、鉄格子の中から助言を行っていたが、2001年、テキサス州ウィリアムソン郡ジョージタウン刑務所内にて心臓発作で死亡。64歳没。遺体を引き取りに来た身内はいなかった。
出典:wikipedia

  • ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン
通称ペルーデーモン、縮めてペルデモ。
埼玉県熊谷市で6人を殺害した。兄ペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャもシリアルキラーである。
2015年9月16日午後4時半ごろ、熊谷市石原の住宅で、この家に住む白石和代さん(84)が、血を流して死亡しているのが見つかった。
警察が周辺を捜索すると、およそ1時間後、200メートルほど離れた別の住宅の2階の窓から、刃物を持って身を乗り出している、ペルー人のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン容疑者(30)を見つけ、周囲を取り囲むと、ナカダ・ルデナ容疑者は、持っていた刃物で手首を切り、窓から飛び降り、現在、意識不明の重体となっている。
その後、警察がこの住宅を調べたところ、加藤 美和子さん(41)と、加藤さんの娘で小学5年生の加藤美咲さん(10)、小学2年生の加藤春花さん(7)が、血を流して死亡しているのを発見した。
熊谷市では、9月14日に、田崎 稔さん(55)と妻・田崎美佐枝さん(53)が、自宅で胸や腹を刃物で刺され殺害される事件があり、この現場と白石さんの自宅に残されていた靴跡がよく似ていることから、夫婦殺人事件にも関与した疑いがあるとみて調べている。
出典:http://mera.red/x%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%B8%80%E5%AE%B6%E3%81%8B%E3%82%88

  • ペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャ
ペドロ・パブロ・ナカダ・ルデニャ( Pedro Pablo Nakada Ludeña, 1973年2月28日 - ) は、ペルー人のシリアルキラー。 通称「死の使徒( "El Apóstol de la Muerte" )」「死の使者」。2000年から2006年にかけてペルーで25人を殺害し、うち、17人について有罪が立証され、35年の禁固刑が宣告された。ペルー史上最大の殺人犯である。懲役35年で服役中である。
1973年2月28日リマ生まれ。ペドロ自身が報道に語ったところよると、幼いころから学校ではいじめられ、また、家族により虐待を受けていた。父親は呑んだくれで母親に暴力を振るい、姉妹はペドロに女の子の服を着せて通りを歩き、彼に屈辱を与えた。
ペドロの主張によると、4歳の時に彼の心に大きなトラウマとして残る最悪な出来事があった。兄弟が家族で飼っていた雌犬をペドロが殺したと言い、罰としてペドロに性的虐待を加えた。それ以来、たびたび小動物をいじめるようになった。また、ペドロのホモフォビアがこの事件により形成された。
ペドロの自供によると、17歳の時に最初の殺人を犯す。畑でスイカを盗んでいたところ、これを見つけてとがめた農夫を殺害した。また、この時期にペルー空軍のメカニックを仕事をしていたと報道に対して語っていたが、のちに虚偽であることが判明している。
また、本来の名字はメシアス・ルデニャ(Mesías Ludeña)であったが、2003年、日本に行くことを考慮して「ナカダ」の名字を取得する。ペドロは800ソーレス(約三万円)を支払い、日本国籍を有する人物と養子縁組を行うことで「ナカダ」の名字を不法に取得しており、ペドロの兄弟ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン容疑者等もその姉が日本人の父親が子供のころからペルーへ移民した昔の頃生まれつきからと嘘の証言をした通りではなく2003年頃から日本人の名字を持っている。
のちの連続殺人において、ペドロはゴムのスリッパを使って自作したサイレンサー付の 9mm ピストルで、被害者らを殺害した。
2006年12月28日逮捕。警察がペドロの職場へ向かったところ、ペドロが発砲。弾を打ち尽くし、逃げているところを逮捕された。警察官一人が負傷。25人の殺害を自供。17人について有罪と認められ、最長で35年間の禁固刑が宣告された。「世界を浄化するために、神の命令で麻薬中毒者、売春婦、同性愛者らを殺した」と自供している。
2015年9月に日本の熊谷市で起きた熊谷連続殺人事件の犯人は、かつて兄であるナカダ・ルデナ・ペドロ・パブロの殺人を目撃したことにより精神的ショックを受けていた。
出典:wikipedia