都留岐山知絵里プロローグSS『日本男児の生き様は』



 桜咲く春空の下、町が男根で賑わう日がある。

「お兄ちゃん、今年も『かなまら様』立派だねえ」
「うん」

 となりで手をつないだ妹の知絵里が、兄である桃次郎に言う。
 妹と見上げた人混みの向こう――男たちに担がれた神輿の上で黒光りする巨大な男根の張型が上下運動を繰り返している。
 地元、金山神社に祀られる金山彦命は鍛冶の神であると同時に男根の神でもあり、子宝成就、性病快癒、五穀豊穣などの利益をもたらすと言われる。
 かなまら様――すなわち「金魔羅」は男根の神としての金山彦の呼称であり、今神輿の上で揺られているのも神霊を宿すご神体なのだ。

「お兄ちゃん、笑ってる人が多いね」「きっと神様が見られてうれしいんだよ」

 道行く人の中には神輿で揺れるかなまら様や、あるいは風に揺れる男根印の白旗を指して笑う者がちらほらいた。
 神に対して不敬と言えば不敬だが、しかしそういった不敬な好奇心を、きっとこの場にいる観光客の多くが抱いていることだろう。


「お兄ちゃん、かなまら様っておちんちんの神様なんだよね?」「……誰に聞いたの」「学校の先生」

 社会科の時間、「町のれきし」を語る際に担任教師がぽろっと漏らしたのだという。うんこちんちんが大好きな小学生男子は大騒ぎし、その日知絵里のクラスはそのネタでもちきりだった。担任教師は後日PTA集会で吊るし上げにあった。

「でも、おちんちんに見えないよね……」「……」

 知絵里が思い浮かべる男性器は?U?←こんな感じに垂れ下がっているものだろう。一緒に入浴する際に見る桃次郎や父のそれもそんなもので、天を突くようにいきり立ったかなまら様の男根像とはイメージが全くちがう。

「お兄ちゃん、おちんちんってあんな風になることあるの?」「え? あ、いや……ない、ないよ!」

 知絵里の無邪気な瞳から桃次郎はさっと目を逸らし、あわて気味に否定する。妹は知らないのだ。まだ子どものものだが、兄のそれもかなまら様のような状態になる時があることを。父が週に一、二度母とベッドの上で神輿のような上下運動をしていることを。

「本当に……ない?」

 妹がじとーっとした疑惑の視線を向けてくる。桃次郎はこれまで妹にうそをついたことなどなかったので、今の態度はあからさまに怪しかった。
 どうしよう、あ、知絵里のジト目めちゃ可愛いなどと思っているところで、あるノボリが目に留まる。

「ちえりっ! あっち、チュロスあるよ!」「え、あ、本当だ!」

 桃次郎が指差した先、たしかにチュロスの屋台を認めて、知絵里はぱっと目を輝かせる。去年家族でディズニーランドに行った時に買ってもらって食べて以来、知絵里はチュロスが大好物なのだ。もちろん、この祭りの露店に並ぶチュロスは堂々たる男根型だが。

「お兄ちゃん、行こう行こう」「うん!」

 兄への疑惑はすっかり忘れ、知絵里は手を引いて走り出した。桃次郎は上手くごまかせたことに安堵しつつ、妹の可愛らしさに頬を緩ませる。
 その後も二人は仲の良い兄妹のまま成長していく。地元のかなまら祭りは毎年変わらぬ賑わいを見せたが、この兄妹にとって「かなまら様」が地元の神社の神様、ということ以上に重大な存在となることはない。そう思われた。
 知絵里が「あの漫画」を読むまでは。

・・・

「あんちゃんっ! ワシもあの塾に入って男を磨きたいっ!」
「え、いや、え……? 磨くって……いや、ちょ……」

 胸に手を当て宣言する可愛い妹に、桃次郎は表情を引きつらせる。
 きっかけはある漫画だった。ちょうど父が10代の頃に連載されていたという割と古い作品なのだが、コンビニのコミックス棚に並んでいたリミックスを桃次郎がふと手に取り、その破天荒な世界観と胡散臭い奥義秘技の応酬を繰り広げる荒唐無稽なバトルに惚れ込み、買い集めたのだ。
 そして、小さい頃からよく兄の部屋に入り込んでは漫画を読み漁っていた知絵里がそれを手に取ったのも必然と言えた、言えたが――。

「何だよ、男を磨くって……ていうか何、その、『ワシ』って」
「ワシはワシじゃ! 知絵里は日本男児じゃ! 男の道を魁るんじゃ」

 たしかに、あの漫画には一人称が「ワシ」のキャラが多い。ダークファンタジーに影響される中二病患者のように、知絵里はあの漫画が描く男の世界に魅せられてしまったらしい。しかし、それにしてもだ。

「知絵里、女じゃん……」
「男! 今日からは男! あんちゃんもワシのこと弟と思っとくれ!」

 そう、無茶な主張をする。
 たしかに、中三だというのに胸は全くないし眉毛は異様に太いし、知絵里は少年っぽい容姿ではある。それでもふつうに女の子だったし、桃次郎には可愛い妹だった。「あんちゃん」と呼ばれるのもそれはそれでぐっと来るが、やはり「お兄ちゃん」と呼んで欲しい。

「ダメだって知絵里! 知絵里は女の子! 妹!」
「あ、あんちゃんのわからず屋……」

 知絵里のあまりに唐突なキャラ変は当然両親にも受け入れられず、セーラー服を脱ぎ捨て学ランを着て学校へ通うと主張する息子、いや娘に母は頭を抱えることとなった。



「智絵里……」

 部屋の隅にへたり込んだ妹を弱々しく呼ぶと、泣き腫らした目でこちらを見上げる。小さな頃から何かあると兄の部屋に来て泣いていた妹。でも今は来なかった。自分の部屋で泣いていた。

「あんちゃん、何でワシ……男になれない……?」
「それは……」
「ちんちんが、ないから……?」
「ま、まあ……」

 股間を見つめられ、さっと隠す。身も蓋もないことを言えばそういうことだろう。

「ちんちんがないと、あの塾には入れんかのう」
「……」
「ちんちん……」

 沈んだ声でちんちんちんちんと繰り返す。
 桃次郎は何を言えばいいのかわからず、そんな知絵里をただ見つめるばかりだった。ただ、この知絵里がこんなにも強く望むなら、本当に男になるのがいいのかも知れない――そう思った。
 しかしならばどうするのか、性転換能力を持つ魔人など探しだすか……などと思ったところで、一つの名前が頭に浮かんだ。

「かなまら様……」
「……!」

 兄の口から零れた言葉に、知絵里がはっと顔を上げる。
 その後、智絵里は金山神社の本殿にあるご神体の前に座り込み「ワシにちんちんを授けてください!」と願った。両親や神主が引き剥がそうとしても頑としてその場を離れず、飲まず食わず不眠不休で、亀頭に祈祷を繰り返した。

 そして。

「見てくれ! あんちゃん!」
「お、おお……」

 袴を下ろし上衣の前を開けて、知絵里は誇らしげに生えたばかりの男根を見せつけた。三日目の朝、知絵里のクリトリスが極大化し、尿道とも一体化した立派な男根へと姿を変えたのだ。
 垂れ流した糞尿で汚れた下半身にあって、堂々といきり立つ神の剛直――というほど大きくはなく仮性包茎だったが――が燦然と輝いていた。

「よかった! よかったなあ知絵里!」
「あんちゃんっ!」

 兄妹は涙を流し、その場でひしりと抱き合った。自分の下半身にも知絵里の糞尿がべったりとついたが桃次郎は気にならなかった。固くなった一物が下腹部に密着しているのは少し気になった。

 その翌年、知絵里は男子生徒として兄と同じ希望崎学園に入学した。学園内の勢力が古参新参に分かれハルマゲドンが勃発しようという時も、一年生ながら古参について兄と共に戦うと言った。
 そして、ハルマゲドンが近づく日の夜半過ぎ――。

「あんちゃん……ごめんな、こんな夜中に」
「どうした? 知絵里」

 部屋にやって来た弟を桃次郎は咎めることなく、電気をつけてやった。ぱっと部屋が明るくなり、桃次郎が「あっ」と声をあげると知絵里は「うう」と恥ずかしそうに呻く。
 知絵里の白いパジャマの股間に、大きなシミができていた。

「それ……寝小――」
「ちがう! ちがうんじゃ、あんちゃん……」
「じゃあ、何かこぼしたか?」

 知絵里はぶんぶんと首を振り、パジャマのズボンに手をかけ、引き下ろした。それを見て、桃次郎は合点がいく。
 垂れ下がった男根とその下の恥丘にとろりと絡み、フンドシの裏地へと糸を引く白濁液。室内には栗の花の匂いが立ち込める。
 桃次郎には経験がないが、夢精というやつだとわかった。

「あんちゃん、これ、病気なのかなあ……?」
「えっ?」
「実は……はじめてじゃないんじゃ。ちんちんが生えてから月に一度くらい、寝てる時にこのネバネバしたのが出てしまうんじゃ……。なんなんじゃこれ? 神様にちんちんを生やしてもらうなんて……やっぱいかんかったかのか?」

 知絵里は生殖器としての男根の機能を全くわからないまま男根を授かり、それは一年を経た今に至っても変わらなかった。キスすると子どもができると思っていた。
 何もわからず、ただ不安でぐずぐずと泣き、顔を赤くして自分の男根の異状を兄に訴える知絵里。その姿は約三年前、「パンツが血まみれになった」と部屋に駆け込んできた時のことを思い起こさせた。

「知絵里……それは、な……」

 無論、桃次郎が男性器のメカニズムを説いて不安を解消してやるのは難しくない。しかし、それどころではない事態がこの時の桃次郎を襲っていた。

「あんちゃん……何で前かがみになってるんじゃ?」
「ちょっと、腹が痛くなってな、ううっ……」

 桃次郎は自身のかなまら様を隠す体勢を取り、部屋を出て行く。

「大丈夫か……? あんちゃん、トイレついてこうか……?」
「へ、平気だ……すぐ済むから……5分くらいで戻ってくるから……ちょっと待って……うううううううっ!!」
「あ、あんちゃんっ!?」

 桃次郎は腹を抑え、その場に倒れこんだ。今度は本当に腹が痛かった。古参陣営死天王の一人とも言われる彼が声をあげずにいられない激痛。かなまら様もすっかり萎えきっていた。

「あんちゃん、あんちゃーーんっ!」
「盲腸ですね。入院と手術が必要です」

 運ばれた病院の医師はそう診断した。ハルマゲドンの日は手術と重なっていて、桃次郎は断固として参戦すると主張したが、医師は盲腸とはいえ早くに手術せねば命にかかわるとそれを許さなかった。
 見舞いに来てくれた同陣営の仲間たちは頭を下げる桃次郎に気にするなと、弟のことは任せておけと言った。


 間もなく手術の時間だ。ほぼ同刻にハルマゲドンも始まる。

(不甲斐ない兄貴でごめんな、知絵里……。兄ちゃんはお前ならきっと生きて帰ってくると信じてる。
 あいつを守ってやってください、かなまら様……!)

 桃次郎はベッド脇に置かれたお守りの木彫男根像をぐっと握り、そして手術前の看護師による陰部の剃毛に、自身の男根を雄々しくいきり立たせるのだった。

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最終更新:2016年02月13日 21:28