『“三等助手”桔梗プロローグ』


暁世界東京都“赤目新聞社”、某年十月二十五日午後――「三」時

 探偵とは一般に個人もしくは法人が営利事業として行う私立探偵が主流と思われがちである。
 だが、会社法人として組織されながらも軍を上回る規模にまで膨れ上がった事例をご存じだろうか。
 その存在を知る者も少なくなった探偵社の黎明期としての巨大企業も度重なる政府の圧力に負け、今日では『探偵』の看板を下ろす羽目になった。事実上、歴史の連続性をなくしたのである。

 軍警察といった治安維持機構もその高邁な思想から目を背け一皮剥いてみれば、己の保身と拡大を企図し、生物的に増殖する官僚の群体に過ぎないとよく指摘される。一般に政府省庁は既得権益を侵す存在を良しとはしない。
 蓋然的に、探偵の有する権能は既存の諜報担当部署とぶつかることになる。既に出来上がってしまったそれらとぶつかることは得策ではなく、探偵の本場と言える英国においても名探偵のパイプは個人間で繋がっているに過ぎない。
 そのパイプにしても煙を燻らすものだからよく詰まって困る。

 また、探偵の組織性のなさに起因するイメージ戦略の拙さを計算に入れると、誤解されがちな探偵を公益団体として組織するのは革命の後に他ならない。確かに彼らのごく一部には
 明確な統計を出すことこそ難しいものの、兼業としての探偵、いわゆる主婦業などの合間に探偵業を営む素人探偵を含めると相当数に及ぶはずの探偵人口を本邦が活用できていないことには上記の要因が考えられる。
 故に、近現代日本を支えた官僚に悪習が目立つ今、探偵が旧弊と迷信に縛られ在野に埋もれていることは最早『国家的犯罪』であると私は断じる。

 出血を最小限に抑えた近代革命“明治維新”と有史初の対外戦争における敗北を経ても探偵の公益化は果たされていない。
 還暦に則れば、六十年サイクルで若返りを図られねばならないこの時勢において、三度目の好機を逃すことはあってはならないのだ。

 赤目新聞 二〇一六年一月――。
 そこまで書き上げ、日付にまで至ろうとしたところで新聞記者探偵“尾花(オバナ)”は万年筆を放り投げた。
 「あーだめだっ」
 編集部のチェアに体重をかけたままだらしなく両手をバンザイさせる。徹夜のテンションから我に返ったのであった。いかに人外の探偵とは言え、お昼ご飯も食べられずにいたならば流石に水だけではおなかが減る時間帯である。
 社説の叩き台にお前も書いてみろとか、主筆に言われたけどこんなストレートに探偵についてなんぞ出せるわけないじゃん! あっちの視点も駄々漏れだし。本格派のお偉いさんに睨まれちゃうよー。
 尾花がそのままうんうん唸っていると、後ろからひょいと原稿用紙を取り上げる手があった。慌てたところでどんがらがっしゃーん。散らかったデスクの上を撒き散らしながらひっくり返る古典的光景が現出する。
 「あいたた……」
 思わず文句を言おうと、馬の尾に結んだ髪を振り回しながら尾花は立ち上がる……。

 文句を言おうと立ち上がろうとして、額にぴたりと指先を突き付けられる。
 推理光線の構え!? 死を覚悟した瞬間だった。
 「へー、なかなかファッショだけどよく書けてるんじゃないかっ!」
 飄然とした声が上方より降りかかる。尾花は第一に容疑者を固めるべきだったのだ。それを出来ない己を恥じた。
 「姉様(あねさま)……やーめんていなー」
 おいおーい、ここではそういう堅苦しい呼び方はなっしんだっろー?
 そう言いたいなら地の文(オフレコ)でどーぞっ! 

 花鶏(アトリ)雷花(ライカ)風露(フウロ)桜火(オウカ)
 それぞれ冬、秋、夏、春を象徴する四姉妹は尾花たちにとって共通の姉様である。内、三女「伊藤風露」は天の声を操る一つ上の姉とは対照的に地の文を認識し、歩む力を有している。
 地の文とはつまり会話文以外の説明や心情を綴った文のことである。

 つまりはこうして綴られている文のことを風露並びに接触している尾花は認識している。
 当然、今まで垂れ流していた駄文も読みこまれているわけで……一種の読心、精神感応能力として機能するのだ。げに恐ろしきは常時発動型でありながら微動だにしない風露の精神力だった。
 意図めいて糸のように細めた両目を向けながら中性(無性)的な第一級探偵は決定的な一言を、無数にいる妹の内、同じ職場にいる数少ない一人に述べる――。
 述べる――。
 述べる――。
 述べる――?
 「いや、早く述べてくださいーよー」
 いーやいやいや、カワイイ芋人(いもうと)よ。木身(キミ)は気付かないものかと、親愛なる姉は時間を置いているのだよ? 時に十分=三千字だって知ってた?
 「メフィスト派でーすよねー? 山禅寺さんのお宅は存じておりますーよー」
 へいへーい、つまりは時は文字なり。こうしてうだっている間にも時間は過ぎてるんだぜっ?

 「って、時間はまだ三時ですよー?」
 時計を見て見るといいぜ?

 少々嫌な予感をしながら時計を見るとそこには短針が五を指している。
 二度見ても、三度見てもおなじだった。
 「え、えええええええええええええええぇー! さっき三時って最初のところで書いてあったじゃないですかー!」
 おいおーい、さっきから地の文で会話しろっていってるんだけどさっ。言っとくけど、あたしがこっちに顔を出したのは最初の辺りだぜ? その時点で誤字じゃなくて、五時過ぎてたのに気付かないもんだからやんなっちゃうぜっ!
 ……わざわざ「三」って声出して違和感出してやったのに……。本当に気付かなかったの?
 「ありがとうございます!」
 時間空間瞬間、地の文はいずれか? いずれにせよ脱兎のごとく駆け出していた。
 いつもの光景である。
 風露は細い目を殊更に細めるとふわりと地に浮いた。ここの責任者と目線を合わせるのも悪くないと思ったからだ。
 おや、【検閲】さん? あははは、あたし相手にそれは意味がないんじゃないのかなっ!
 眼鏡をかけた【検閲】【検閲済】



暁世界東京都希望崎学園“暦”本部、某年十一月二十五日午後五時三十五分  

 “桔梗”は焦っていた。
 趣味のいい丸木机の対角百八十度を保って着座するは二人の女、傍らに立つは二人の女。
 表面上は漣の揺れる程度の安寧を保っている。セーラー服の割合も七割五分を記録した。
 いささか遅めのティータイムには、早めの夕食も兼ねたのかサンドイッチやおにぎりなどの軽食が供されているが今は手を付けるものはいない。

 「師走さん、考えはまとまりましたか?」
 沈思黙考を先に破ったのは助手である桔梗の傍らに座る探偵の方だった。 

 闇色のフロックコートを羽織った女の名は雨月星座(うげつせいざ)
 探偵――それも令嬢の探偵という狭い括りでは、今はなき「山禅寺」を除くとして探偵革命家「遠藤終赤」らと並び称されるほどの転校生魔人である。
 真白いかんばせ、明るい闇の中に光が差し込む。開かれた瞼の奥には瞳に色づく星の色。
 臨戦態勢だ。黒髪に本物の星をあしらった彼女の眼光が光速で留まったなら、誘拐されず助かった星は幾十分の一で済んだだろう。神速を誇る菊水流剣をもってして、この距離で届くか否か。師走心刀(しわすこと)は自信が持てなかった。

 「構いはしないよ?」
 とんとん、長い人差し指で折れそうなほどに繊細な細首を二三度叩く。この細腕をして並大抵の魔人なら屠れると言うのだから転校生の規格外さが窺い知れる。
 「僕も妃芽薗(ひめぞの)の小鬼どもにやられた傷が癒えきってはいないところだ。この存在、師走の太刀ならば断ち切れるかもしれないよ?」
 実際に偉いかはさておき、偉そうな態度を崩さないのがこの女探偵の生き様と言ってよかった。
 並みの精神の持ち主であるなら振り回されること必定である。桔梗は探偵として生まれながら星座の意図が読めなかった。同系列の組織で本流と支流の争い、というには直前までの会話は和気あいあいとし過ぎていた。少なくとも“彼女”が入室するまでは。

 「そうですね……では、御め――ッ!」
 自分と言うものが未成熟な“暦”戦闘員は挑発に乗せられること簡単で、おろおろと周囲を見渡しながらも鯉口を切り、金属音が全周へ警戒の奏でを届けるようだった。
 この、剣の道しか知らない少女は己の首級を賭けて果たし合いの場を用意してくれた、それだけでこの探偵へと感謝の念を絶やすことは無いのだ。無手の相手に挑むとしてもその大口に見合う実力を感じ取れている。

 「そこまで!」
 光も――神も――凌駕する速度で放たれたのは音だった。
 常の彼女を星座も心刀も知らないが、常の通りを思わせるほどに伸びやかに響き渡る気持ちの良い声の持ち主だった。音の彼女の名を「天宮(あめのみや)あやめ」という――。

 話をまとめるとこんなところだ。
 友人を呼び戻すために新参と古参の間の闘争に身を投じたあやめだったが、運命のいたずらは決意の日が夜であったことに起因する。
 星詠みと錬金術に才と時を費やす学究集団『星獲り』の中にあって生を受けたこと、それはわざと類似する状況を再現することで事象を呼び込む呪術に似ていた。
 あやめは星を見た。ある世界の夜空から星を奪い去った転校生『雨月星座』を見てしまった。

 その瞬間、あやめは並行世界を渡るということを自身としてはじめて体験したのである。……細かい経緯については省き、大まかな流れについてだけ述べたが、それだけ転校生については謎が多いと言うことでご容赦いただきたい。
 あやめを見た瞬間、星座は嫌な顔をした。その理由については彼女の心の内に留まるだろう。
 だが、含意に満ちた微笑へとすぐに表情を戻すと自分が属する『カランドリエ』の上位団体である秘密部活動組織『暦』を彼女に紹介し、同組織の責任者である卯月言語(うづきげんご)と引き合わせた。
 卯月は助力を乞うあやめの言葉に心打たれ(・・・・)、戦闘を主任務とする師走心刀を助っ人として彼女に付けたのであった。この(・・)世界にやってきたという師走の言葉にはこんなカラクリがあった。

 そして、事態は冒頭に遡る。
 秋の七草は「暁」と名付けられたあやめの世界に放たれ、それぞれが面白いことと『蟹ちゃん』を探すように姉様(あねさま)から命ぜられた。桔梗は天宮あやめをマークするよう希望崎学園に配置された一草である。
 が、そこで発見されるとともに彼女らを知る雨月星座と出会ってしまったのが運の尽きであった。 

 同郷の者として桔梗を徴発(・・)した星座は探偵に対する助手のごとく彼女をこき使った。
 星座とひとくくりに見なされてしまっては、本来あやめとの間に築くはずのコネクションが絶望的になる。
 そして、流血に至りかねない大事。助けに来てくれるはずの同僚(尾花)はまだ来ない。
 助けを求めるような視線をあやめに送ってしまったのもやむなきことだろう。

 「一世一元の詔(いっせいいちげんのみことのり)が出る以前は凶事慶事の度に元号を改めたというが、私などのために流血沙汰を起こされるのは身に余る光栄である」
 いささか言葉選びに淀みが見えたのは聡明な彼女をして難行であったようだ。
 それはそうと星の運行と暦の運用は古より切っても切り離されない関係にある。あやめの知識も尤もだった。

 「単なるレクリエーションで首を落とされては僕も困ります。正直なところ、こんなつまらない戦いで師走さんにせよ、あなたにせよ命を落とされては目覚めに悪い。なので、少々脅しを入れる必要性を感じただけです。
 師走さんは卯月副部長や皐月副部長補佐のみが振るえる剣です。
 剣の嗜みも持たないあなたに預けるには不安を感じた、それだけですね?」
 「年上の貴女に申し上げるのは心苦しいが、人は剣ではない。喩えに頭の働きを取られて細部を見落とすのはあってはいけない誤りだと私は思う。同時に、理屈をもって貴女を説き伏せる由がないことも理解している」
 ことが命の取り合いならば、自己犠牲の精神で万事解決できる範疇はとうに越えているのだ。理の付かない我儘であることをあやめは自覚していた。

 「私は個人の自由意思を尊重する。たとえあきらめと消去法の果てに残った『剣』という自己肯定であっても自覚すれば、尊いものだろう? 私は師走さんに自己実現の場を提供するWIN-WINの関係を築けただけだと思っている。
 それだけだ」
 ハルマゲドンに与し、どちらかの陣営に飛び込まずともやり過ごす道はいくらでもあっただろう。
 誉を目の前から失ったあやめは選択の余地を狭められ、自ら狭めていったことを知っている。理屈では無いことを理屈で知っていた。結局は堂々巡りだ、思考を切り捨て『剣』に特化した師走の方が楽なのかもしれない。
 聡明であること、高邁な思想を持つことは自分自身は元より周囲をつかれさせる。だが、よく知る者にはその気苦労も愛おしいものに感じられてならないのだろう。

 血の通っていない青白い肌色はそのままに怒りの表情で歪められてなお彼女は美しく、不安だった。
 「うふふ……。女の身に変じた時以来の怒りだよ……、これは。実際に偉いかはさておき、偉そうに物を論じることがこうも腹が立つとは思ってもみなかった。その言葉遣いは地なんだろうな……。
 凡俗のものではないことは認めようか。その戦争に僕は関われないが、終わったらまた来るといい、歓迎するから」
 何か通じるものがあったのか。雨月星座は真実より感情に従って生きる女である、当然だった。

 故に陰性の感情を唾棄するのも当然かもしれない。
 「桔梗!」
 彼女は秋の七草の一人、桔梗。担当は水曜日。
 自ずからという意志を持たず、助手として最低限の業務をこなせればよしとする。
 一人称は「私たち」、探偵の衣裳をあしらった水兵服に身を包む探偵等級四級の人工探偵にして三等助手。
 星座が調べもの程度には使えると言って旅立つあやめたちに押し付けていったことを知ったのは、それから十分後大遅刻から急ぎに急いだ尾花が辿り着いたときであったという――。 

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最終更新:2016年01月19日 21:25