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**★2ちゃんねる差し押さえ反対署名ミーティング&ゴミ拾いオフ★
・ミーティング隊
署名活動するには万世橋警察署に道路使用許可書を申請しなければいけません。
まずは署名用紙の作成と、署名活動の日時、
申請者や責任者を決めるために打ち合わせををしましょう。
・ゴミ拾い隊
いつもお世話になってるみんなの街・秋葉原をクリーンアップ!
ついでににちゃんもイメージアップ!
【集合日時】1月14日(日)11:00~16:00まで
【集合場所】秋葉原駅電気街口駅前広場(電気街口改札を出て右側です)
【参加資格】特になし。誰でもOK
【必要なもの】
ミーティング隊:筆記用具
(作成した人は)署名してもらう書類
(作成した人は)ビラ・閉鎖いやーという気持ち
ゴミ拾い隊:ゴミ袋
ゼッケン・腕章(無くても構わないが、できるだけ持ってくる。詳細は↓へ)
軍手・箸等ゴミ拾いに役立つ物
【当日の流れ】
後日の署名活動に向けて会議をする。
そして、平行して秋葉原周辺のゴミ拾いを行います。
明日の11時に集合、「ミーティング隊」と「ゴミ拾い隊」に分かれます。
ミーティング隊は、喫茶店等で等企画の責任者の決定、署名許可申請者の決定(これをすれば後日の署名が問題なくできる)、署名用紙・ビラ用紙の打ち合わせ・改善、そして署名の日時を企画します。
ゴミ拾い隊は規定の持ち物を持参し、街の美化を行います。
ゼッケン・腕章については予備もありますので無い人は無くてもOKです。
ゴミは各自持ち帰りの予定です。この人数なら一人ひとりのゴミも少なくなるので。
最後にまた、2組が集まり、軽くミーティングした後、後日まで解散します。
【備考】飲酒・路上喫煙等非常識な行為は厳禁。(※ちなみに路上喫煙禁止区域)
【目印】うまい棒を高く掲げて待機している幹事
【幹事】◆zD.tvziESg氏
【連絡先】heisahantai.kanji@x-mail.jp (◆zD.tvziESg氏へ)
※参加する際の注意
・あくまでも自己責任で参加しましょう。
・他人に迷惑がかかる行為は禁止です。
・当日はまだ道路使用許可をとっていないため、配布活動及び署名活動はしないでください。
・風邪をひかないように暖かい服装で参加しましょう。
※ゼッケン・腕章について
とにかく「2ch閉鎖反対」をアピールできるものならOKです。
印刷のできる方が多めに持ってきてくれますが、基本的に自分で用意してもらいます。
最悪、適当な白い布を用意して「2ch閉鎖反対」と記入、腕に巻いて安全ピンで留めるだけってのもアリ。
凝りたい人は凝って作ってやってください。
【板】メイン http://off4.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1168614003/
サブhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/3666/1168613652/
愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの
- 名もなき詩 -
『あるがままに生きる』というのは、難しくそれでいてそうありたいと願うからビートルズも歌ったのだろうし、桜井和寿も歌ったに違いない。そして、上のフレーズは「あるがままに生きる」ことができれば当たり前の事実なのだと私は思った。
「名もなき詩」のワンフレーズであり、2番目のサミの歌詞だ。1番の歌詞が『あるがままの心で生きられぬ弱さを誰かのせいにして過ごしてる』というもので、この2番の歌詞は同じ事象を違う側面からとらえたもののように思える。しかし、これを考えていくと『あるがまま』というのは、そして『気がつけばそこにあるもの』そう思える境地というのはとてつもなく遠いような気がする。一瞬、そう思えることはあるにしても、その気持を持ち続けることは非常に困難なんじゃないだろうか。
私たちは、桜井が歌うように『自分らしさ』というものを知らず知らずのうちに作り上げていて、自分の中における自分に対する理想や限界というものを誰もが持っている。逆にそれがもてない人間は世の中や人生に絶望してしまう事だろう。しかしそういう人がいるにしても、多くの人はやはりその間でその人なりにバランスを取っているに違いない。
では『自分らしさの檻』があるとどうなるのか。それがあると、私たちは自分に対して「こうでなければならない」「自分はこういう人間なんだ」「私はこれこれが長所でこれこれが欠点だからこうなんだ」「だから自分には無理なんだ」というように自分自身の限界や能力を自分で決め付けてしまう事になる。
そして、自分自身に対する檻は当然のように他者との関係においてもある一定の基準を作り上げてそれにはまるか、はまらないかで判断しようとしてしまう。つまり、型にとらわれてしまうのだ。自分の好きなタイプはこういうので、こういうのが嫌いだからこの人は嫌いだとか、愛なんていう人によっては形が全くないものに対しても、「これは愛じゃない」とか「私は愛を示してる」というように自分勝手な思いは自分と他者に苦しみや悲しみという感情を与える事になる。
つまり、『あるがままの心で生きられぬ』私たちは、『愛』というものについても、『与える』であるとか、誰かから『奪う』というものだと錯覚してしまう。冷静に考えれば、好きな相手の恋人からその人を奪ったとしても『愛』そのものを奪う事ができるわけじゃないし、自分が『愛』を与えている、そう思っていても相手がそれを愛情だと受け止めていなければそれは単なる嫌がらせに過ぎないのだけど、そうなってしまう。
しかし、その事実を認めてしまうと、相手の気持を完全に理解する事などできない私たちにとって、『愛』なんていう形のないものは本当に無理な話で、桜井が最後に歌っているように『伝えるのはいつも困難』だという結論に達してしまう。
では、私たちはどうすればいいのだろう。愛というものが形のないほんの少し眼を離しただけで見えなくなってしまうようなそんなものであるのなら、私たちは何を信じればいいのだろう。
その答えこそが、桜井和寿の提示した答えなんじゃないだろうか。
愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの。
街の風に吹かれて歌いながら妙なプライドは捨ててしまえばいい。
そう、『気がつけばそこにあるもの』それなのだと彼は歌っている。たとえ、それがどんな形をしていたとしても、自分にとって理想の形でなかったとしても、自分がそこに愛があると思えた瞬間こそが『愛』が形になった瞬間なのだ。そして、私たちはちんけなプライドを捨てて、その瞬間を、そして自分の感覚を信じる事が大事なのだ。
そうすることで私たちは確かに傷つくかもしれない。他の誰かを傷つけるかもしれない。それでも、『あるがままに』生きようとし、物事を『あるがままに』見つめるとき、きっと私たちの前に愛情と言う形のないものが姿をあらわすのだろう。
確かに、それはとてつもなく難しいことで愛情を伝えるのはやはり困難だ。けれど、その思いを共有できる相手と出会えるのならばそれは素晴らしいことだし、おそらく誰もがそういう存在に出会える事を願って、今日もあるがままに生きようとし、そして傷ついて、自分の檻の中でもがいているのだ。
桜井和寿が歌った「名もなき詩」のこのフレーズは私にそんなことを思わせた。