180.大業十四年について


 隋の煬帝が江都で殺害された事件は大業十四年のことである。しかし隋書及び北史に,
(大業)十三年に唐の高祖が起兵して長安に入り,代王の(楊)侑を奉じて皇帝とし,改
元して義寧としたとあるので,煬帝の大業の年號は既に改元されたということで削除され
また、隋書を編纂した者は皆唐の臣下であったこともあり,唐の制度に従い,義寧の年号
を使って記述し,煬帝の弑害を史書の義寧二年の記述の中に記載した。
 その實状は当時には二人の皇帝が共存していたというべきものであり,(煬帝は)最後
まで其の年號(大業)を稱していたのであるから,大業十四年(という記載方法)をなく
すべきではないのである。





180.大業十四年

  隋煬帝江都之難在大業十四年,而隋書及北史只書十三年者,縁十三年唐高祖起兵入長安,奉代王侑爲帝,改元義寧,而煬帝大業之號已從削除,修史者皆唐臣,自應遵本朝之制,以義寧紀年,而煬帝之被弑轉書於義寧二年之内。其實天下共主一日尚存,終當稱其年號,則大業十四年不可沒也。

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最終更新:2008年08月16日 09:11