11.過秦論の三カ所の引用

  賈誼の過秦論は、秦が法律を尊び、仁義を施さず、一夫が反乱を起こすにいたって、天下は崩壊したと指摘している。司馬遷『史記』が秦本紀(正しくは秦始皇本紀)の後ろにこれを引用しているのは、最も妥当なことだ。褚少孫もまた陳渉世家の後ろにこれを引いて、その中に「陳渉はあばら家の子」の数語があるのも、このため過秦論を引いたものだ。しかし正当な引用の手法ではない。班固『漢書』はさらに陳渉項羽伝(陳勝項籍伝)の後ろにここと司馬遷『史記』が項羽を論じた文章を引いて、二人の伝賛を作っている。数々の典籍がその文章の大元を忘れている咎を免れない。さらには『漢書』の武帝以前の本紀や列伝は多く『史記』の文を用いているが、自分の作った文章のような体裁で、司馬遷『史記』の引用うんぬんに言及したことはない。過秦論や『戦国策』、陸賈『新語』の文を引いているところも、また自分の作った文章のような体裁で、某人からの引用だと自ら言ったことはない。おそらく古人の著述は、往々にしてこのような体裁であり、盗用をいとわなかったのだ(『漢書』五行志は秦の始皇帝の滈池君の遺璧の逸話を記して、『史記』の文を引用したと明示している) 。

11.過秦論三處引用

  賈誼過秦論,大指謂秦尚法律,不施仁義,以至一夫作難,天下土崩。史遷用之秦本紀後,最爲切當。乃褚少孫又引之於陳渉世家後,則以其中有「陳渉甕牖繩樞之子」數語,故牽用之。然已非正旨矣。班固又於陳渉、項羽傳後引此及史遷所論項羽者,以作二人傳贊。未免數典而忘其祖也。再漢書武帝以前,紀傳多用史記文,而即以爲己作,未嘗自言引用史遷云云。所引過秦論及戰國策、陸賈新語之文,亦即以爲己作,未嘗自言引用某人。蓋古人著述,往往如此,不以鈔竊爲嫌也。(漢書五行志記秦始皇滈池君遺璧之事,卻書明引用史記之文。)


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五世相韓 11.過秦論三處引用 史記自相岐互處

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最終更新:2021年09月13日 04:42