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4.史記の編成について

  「史記」列伝の配列は、一篇が出来上がるたびに次々と追加していったものであり、全体が完成してから並べ直したものではないのである。だから、「李広伝」の次にすぐ「匈奴伝」があり、その次に「衛青霍去病伝」がある。朝臣と外夷の伝記が連なっているのは、適切とはいえない。しかし、この場合はまだ、謀臣の事蹟がいずれも匈奴と関係があるという説明が出来ない訳ではない。「公孫弘伝」の後で唐突に「南越伝」・「東越伝」・「朝鮮伝」・「西南夷伝」などがあり、その後、更に「司馬相如伝」がある。「司馬相如伝」の次に、更に「淮南衡山王伝」がある。「循吏伝」の次に、いきなり「汲黯鄭當時伝」が置かれている。「儒林伝」と「酷吏伝」の次に、また突然、「大宛伝」がある。このような配列の順序にはいずれも意味があるとは思えないから、一篇が出来上がるたびに積み重ねていったのだろう。

4.史記編次

  史記列傳次序,蓋成一篇,即編入一篇,不待撰成全書後,重爲排比。故李廣傳後,忽列匈奴傳,下又列衛青、霍去病傳。朝臣與外夷相次,已屬不倫。然此猶曰:諸臣事皆與匈奴相渉也。 公孫弘傳後,忽列南越、東越、朝鮮、西南夷等傳,下又列司馬相如傳。相如之下,又列淮南、衡山王傳。循吏後,忽列汲黯、鄭當時傳。儒林酷吏後,又忽入大宛傳。其次第皆無意義,可知其隨得隨編也。


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各史例目異同 4.史記編次 褚少孫補史記不止十篇
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