201.元魏のときの人は神将の名を名乗る者が多い

  北朝のときの人は、神将の名を名乗る者が多い。北魏の北地王の世子の名は鍾葵といった。元叉の本名は夜叉といった。その弟の元羅の本名は羅刹といった。孝文帝のときの宦官に高菩薩という人がいた。爾朱栄の子にひとり叉羅というのがおり、ひとり文殊というのがいた。梁の蕭淵藻は幼名を迦葉といった。隋のとき、漢王楊諒がそむいたとき、その将に喬鍾葵というのがいた。隋末の群雄に宋金剛というのがいた。唐の武后のとき、嶺南討撃使がふたりの去勢した子どもを献上した。ひとりは金剛で、ひとりは力士、つまりは高力士である。


201.元魏時人多以神將爲名

  北朝時人多有以神將爲名者。魏北地王世子名鍾葵。元叉本名夜叉,其弟羅本名羅剎。孝文時又有奄人高菩薩。爾朱榮子一名叉羅,一名文殊。梁蕭淵藻小名迦葉。隋時漢王諒反,其將有喬鍾葵。隋末有賊帥宋金剛。唐武后時嶺南討擊使上二閹兒,一曰金剛,一曰力士,即高力士也。

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最終更新:2007年02月11日 00:53