※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

107.晋書に記された怪異

 正史の中で異聞を多く採用しているのは、『晋書』『南史』『北史』である。その中でも『晋書』戴記には特に怪奇現象の記事が多い。
 劉聡の時代に「平陽に隕石が落ちた。それは肉のような見た目であり、大きさは南北に三十歩、東西に二十七歩であった。その肉から臭いが数里先まで漂い、傍らまで近づくと哭き声が聞こえた。劉聡の后・劉氏は、たまたま蛇と虎を産んだ。蛇と虎は人を傷つけながら肉の傍らまで逃げた。蛇と虎が肉に近づくと哭き声はやんだ」という事件が起きたとある。
 劉曜の時代に「西明門の傍らにある木が風によって吹き倒されると、人形になった。それは人間の形をしていたが、ただ眼と鼻だけがなかった。その後、その人形には枝葉が茂りに成長した」という事件が起きたとある。
 劉聡の時代に「劉聡の息子・劉約が死去したが、指が一本だけ暖かいままだったので、葬儀を行わなかった。そうしたところ劉約は蘇生して、臨死体験を語った。劉約は、亡くなった祖父・劉淵に不周山で会い諸王・将軍・宰相らもいて蒙珠離国と号していた、と言った。劉淵は、東北に遮須夷国があるが国主がいないのでお前の父親を国主にしようと思って待っている。三年したら来るだろう。お前は帰りなさい、と言った。劉約は、蒙珠離国を出て途中で猗尼渠余国を通り、宮殿に召されて一枚の革袋を渡され、猗尼渠余国の主に、私から漢の皇帝への贈り物だ。後で劉郎が来たら末娘を妻としてめあわせよう、と言われた。劉約が蘇生すると、机の上には革袋があり、その中には白玉と、猗尼渠余国天王が遮須夷国天王に贈り物を致します。時が来たらお会いしましょう、と書かれた手紙が入っていた。劉聡はこれを聞いて、こんなことであるなら私は死を恐れないぞ、と言った。劉聡はやはり三年後に死去した」という事件が起きたとある。
 石虎の時代に「太武殿に描かれた古代の賢人の絵が忽然として胡人の姿に変わった。それから十日余りすると、その賢人の首が肩の間にめり込んでしまった」という事件が起きたとある。
 これらの怪奇現象の記事は、全て劉氏と石氏の乱の時代に頻出している。これはいったい本当なのであろうか?劉氏と石氏の非常に凶暴であったので、それに対応して非常な変異が起きたと考えられなくもない。そうだとすれば自然の理であろうか?
 その他にも「干宝の母はやきもちを妬いていたので、干宝の父を埋葬する時に、彼が寵愛していた侍女を墓へ押し込んでしまった。十年余りした後に、母を合葬するために干宝が墓を開くと、かの侍女が棺の上で伏せて様子はまるで生きているかのようであった。数日が経過すると息を吹きかえして、彼女は、あなたがたのお父様が食べ物を与え下さった、と言った。また彼女は、地の中もまた悪いとは思いません、とも言った。侍女はやがて嫁ぎ、子を生んだ」とある。この話は『晋書』の中でも本当に信用できない。しかしこの出来事が、干宝が『捜神記』を著述する動機となったというのであるから信用しないといけないかも知れない。そもそも父母の恥をわざわざ捏造するとも思えない。まあ、要するに天地は広いのだから様々な出来事が起こったのだろう。『晋書』に書かれている事柄をいちいち考察していたら、日が暮れてしまうだろう。


107.晉書所記怪異

  採異聞入史傳,惟晉書及南、北史最多,而晉書中僭僞諸國爲尤甚。劉聰時有星忽隕於平陽,視之則肉也,長三十歩,廣二十七歩,臭聞數里,肉旁有哭聲。聰后劉氏,適産一蛇一虎,各害人而走,尋之,乃在隕肉之旁,哭聲乃止。又豕與犬交於相國府門,豕著進賢冠,犬冠武冠帶綬。豕、犬並升御座,俄而鬥死。聰子約死,一指猶暖,遂不殯。及甦,言見劉淵於不周山,諸王將相皆在,號曰蒙珠離國。淵謂曰:「東北有遮須夷國,無主,待汝父爲之,三年當來,汝且歸。」既出,道過一國,曰猗尼渠餘國,引約入宮,與一皮囊,曰:「爲我寄漢皇帝劉郎,後來,當以小女相妻。」約歸,置皮囊於几。俄而甦,几上果有皮囊,中置白玉一方,題曰:「猗尼渠餘國天王敬寄遮須夷國天王,歲攝提,當相見。」聰聞之曰:「如此,吾不懼死也。」至期,聰果死。劉曜時,西明門風吹折大樹,一宿而變爲人形,髮長一尺,鬚眉長二寸,有斂手之状,亦有兩腳,惟無目、鼻。每夜有聲,十日而柯條遂成大樹。石虎時,太武殿所畫古賢像,忽變爲胡。旬餘,頭皆縮入肩中。此數事猶可駭異,而皆出於劉、石之亂,其實事耶?抑傳聞耶?劉、石之凶暴本非常,故有非常之變異以應之,理或然也。他如干寶父死,其母妒以父所寵婢推入墓中。後十餘年,寶母亡,開墓合葬,而婢伏棺如生,經日而甦,言「其父常取飲食與之,在地中亦不惡。」既而嫁之,生子。此事殊不可信,然寶因此作搜神記,自敘其事如此。若果非真,豈肯自訐其父之隱及母之妒耶?則天地之大,何所不有也。至晉書所載怪異尚多,固不必一一爲之辨矣。


  前頁 『廿二史箚記』巻八   次頁
八王之亂 107.晉書所記怪異 東晉多幼主
|