21.漢の皇帝の多くは自ら廟を立てた

  前漢の諸帝の多くは、生前に自ら廟を立てた。『漢書』本紀によると、文帝四年(前176)、顧成廟を作った。註によると、帝は自ら廟をつくったが、つくりは狭小で、あたかも顧み望んでいるうちにできあがったもののようであった。賈誼が、「顧成の廟を天下の太宗とさせよう」と策にいったのは、つまりここを指しているものである。景帝の廟は徳陽といい、武帝の廟は龍淵といい、昭帝の廟は徘徊といい、宣帝の廟は楽游といい、元帝の廟は長寿といい、成帝の廟は陽池というが、ともに『漢書』の註に見える。


21.漢帝多自立廟

  西漢諸帝多生前自立廟。漢書本紀,文帝四年,作顧成廟。註:帝自爲廟,制度狹小,若可顧望而成者。賈誼策有云,使顧成之廟爲天下太宗,即指此也。景帝廟曰德陽,武帝廟曰龍淵,昭帝廟曰徘徊,宣帝廟曰樂游,元帝廟曰長壽,成帝廟曰陽池,倶見漢書註。

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最終更新:2007年07月03日 13:23