253.ふたりの太后が並び称される

  文宗(李昂)が即位したとき、敬宗(李湛)の母の王太后はまだ生存していたので、文宗は自らの母を蕭太后とし、敬宗の母を号して宝暦太后といった。またふたりの太后は区別が難しかったので、詔により宮名でこれを区別した。宝暦太后は義安宮に住んでいたので、義安太后と称した。のちに武宗(李炎)が即位すると、文宗の母の蕭太后はまだ生存していたので、積慶殿に移り住まわせ、積慶太后と称した。


253.兩太后並稱

  文宗即位時,敬宗母王太后尚在,而文宗自有母蕭太后,乃號敬宗母曰寶暦太后。又以兩太后難於分別,乃詔以宮名別之。寶暦太后居義安宮,稱義安太后。後武宗即位,文宗母蕭太后尚在,徙居積慶殿,乃稱積慶太后。

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最終更新:2007年04月27日 17:00