210.北斉の百官には妾がいなかった

  『北斉書』元孝友伝にいう。「将相の多くは皇帝の娘を妻に迎え、王侯の多くは皇后の一族を娶っているため、妾や媵がおらず、それが普通であるように習慣化されている。朝廷を挙げてほぼ妾がおらず、天下はほとんどみな一妻である。父母が娘を嫁がせるときには必ず妬むように、姑や義姉を迎えるには必ず互いに避けるようにと、娘に教えている。夫を制するのを婦人の徳とし、よく妬むのを女の仕事として、自ら人に欺されまいといい、他人が自分を笑うのを恐れている」と上疏して言った。当時の風俗はこのようなものと見ることができる。
  考えるに前漢のときの王吉が「漢家の故事では、列侯が皇帝の娘を妻に迎え、諸侯が国人に諸侯の娘を迎えさせているため、男を女に仕えさせ、夫を妻に劣位させている。陰陽の位が逆転しているため、女乱が多いのである」と上疏して言った。これは漢の時にすでにこの陋習があったのである。

210.北齊百官無妾

  元孝友傳,疏言:「將相多尚公主,王侯率娶后族,故無妾媵,習以爲常,舉朝略是無妾,天下殆皆一妻。父母嫁女,必教之以妒,姑姊逢迎,必相勸以忌。以劫制爲婦德,能妒爲女工,自云受人欺,畏人笑我。」可見是時風俗如此。
按西漢時王吉上疏言,漢家故事,列侯尚公主,諸侯則國人承翁主,使男事女,夫拙於婦,逆陰陽之位,故多女亂,是漢時已有此陋習。

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北齊宮闈之醜? 210.北齊百官無妾 北齊有賢閹

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最終更新:2021年09月20日 01:07