203.高門の士女
『北斉書』によると、郭瓊が罪を得て刑死すると、その子の妻は范陽郡の盧道虞の娘であったが、身柄を官に没収され、高歓は陳元康に賜ってその妻とした。陳元康はもともと寒門の出身だったことから、当時の人は格別な褒美とみなした(陳元康伝)。孫搴は高歓に寵遇されて、韋氏を妻に賜った。韋氏は士人の娘であり、姿かたちが美しかったため、当時の人はこれを栄誉とした(孫搴伝)。北魏の太常の劉芳の娘と中書郎の崔肇師の娘は、その夫の家がいずれも事件に連座したことから、北斉の文宣帝がそろって魏収に妻として賜った。人はこれを賈充が左右夫人を置いた故事にたとえた(魏収伝)。
203.高門士女
北齊書,郭瓊以罪死,其子婦范陽盧道虞女也,沒官,齊神武以賜陳元康爲妻。元康地寒,時人以爲殊賞。(元康傳)孫搴爲神武所寵,賜妻韋氏,既士人女,兼有色貌,時人榮之。(搴傳)魏太常劉芳女,中書郎崔肇師女,其夫家皆坐事,齊文宣並以賜魏收爲妻,人比之賈充置左右夫人。
最終更新:2021年09月20日 02:37