547.葉宗留ら

  正統年間、慶元県の人である葉宗留が麗水県の陳鑑胡とともに人々を集めて福建省宝豊県の銀鉱を占拠し、群盗同士で殺し合って、ついに反乱を起こした。福建参議の竺淵が捕縛に赴いたが、捕らえられて死んだ。葉宗留は王を僭称した。福建の鄧茂七がまた人々を集めて反乱すると、葉宗留と陳鑑胡はこれについて、浙江・江西・福建の境を略奪して回った。参議の耿定や僉事の王晟および都督の陳栄・劉真・呉剛らが前後して敗北し、遂昌県の賊の蘇牙や兪伯通もまた反乱に呼応した。朝廷は張驥に命じて浙江巡撫とし、反乱を討たせた。張驥は官を派遣して蘇牙らを攻撃して斬った。しかし陳鑑胡はちょうど怒りに駆られて内紛を起こし、葉宗留を殺し、大王を自称し、国号を太平とし、泰定と建元し、浙東を分進略奪した。ほどなく鄧茂七が死ぬと、陳鑑胡の勢力は孤立し、張驥がこれを招くと、ついに降った。別の賊の蘇記養らもまた官軍に捕らえられた。(張驥伝)

547.葉宗留等

  正統中,慶元人葉宗留與麗水陳鑑胡聚衆盜福建寶豐縣銀礦,羣盜自相殺,遂作亂。福建參議竺淵往捕,被執死。宗留僭稱王,福建鄧茂七亦聚衆反,宗留、鑑胡附之,剽浙江、江西、福建境,參議耿定、僉事王晟及都督陳榮、劉真、呉剛等前後敗沒,遂昌賊蘇牙、兪伯通又與相應,朝命張驥爲浙江巡撫,討之,驥遣官撃斬牙等,而鑑胡方以忿爭,殺宗留,自稱大王,國號太平,建元泰定,分掠浙東,未幾,茂七死,鑑胡勢孤,驥招之,遂降。別賊蘇記養等亦爲官軍所獲。(張驥傳)


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李鬍子 547.葉宗留等 鄧茂七

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最終更新:2021年08月22日 16:14