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44.結婚するときに世代順を問題にしない

  漢の恵帝(劉盈)の皇后の張氏は、恵帝の姉の魯元公主のむすめであって、つまるところ恵帝の姪にあたる。呂太后は肉親を重んじようとしたので、恵帝に連れ添わせて皇后として立てるのに、帝の姪を妻としたのである。哀帝(劉欣)の皇后の傅氏は、哀帝の祖母の傅太皇太后の従弟のむすめにあたる。太皇太后はかつて元帝の昭儀であって、定陶共王(劉康)を生み、定陶共王は哀帝を生んだ(宮中に入って成帝の跡を継ぎ、このため皇帝となった)。このように哀帝は傅太皇太后の孫である。しかし傅太皇太后は肉親を重んじようとして、姪を哀帝にめあわせたので、外戚の叔母世代を妻としたのである。漢のときの法制は、このように大ざっぱであった。


44.婚娶不論行輩

  漢惠帝后張氏,乃帝姊魯元公主之女,則帝之女甥也。呂后欲爲重親,遂以配帝,立爲皇后,是以甥爲妻也。哀帝后傅氏,乃帝祖母傅太后從弟之女。太后初爲元帝昭儀,生定陶共王,王生哀帝,(入繼成帝,故爲帝。)是哀帝乃傅太后之孫。而傅太后欲重親,以姪女妻之,則以外家諸姑爲妻也。漢時法制,疏闊如此。


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漢初妃后多出微賤 44.婚娶不論行輩 皇子繋母姓
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