細い頬がにっこりと膨らんだ。
その年頃の少女だけが浮かべることの許された、光の弾けるような丸い頬笑み。
人差し指で婦人の抱く赤ん坊をあやしながら彼女は言った。
「大変でしたね。大丈夫でしたか?」
「えぇ、こちらはなんとか」
初々しい、ある時を経た婦人だけが浮かべることの出来る、幸せに満ちた微笑み。
その笑顔に奥へと案内されながら、後藤亜細亜は、自分の選択が間違ってはいなかったことを確信した。
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前日の夜のことだ。
「何をやってるんだ、亜細亜」
PCの前で顔を覆いながらきゃーきゃー言っている彼女を見て、吹雪は言った。
ひょいと後ろからモニターを覗き、むうと唸る。
「小笠原のログには、発禁だけじゃなくR-15指定もあったがいいか知れんな」
「ええっ」
「冗談だ」
いつものパターンなら、いつ奥さんが後ろから目を光らせて乱入してこないとも限らない。口先ではそう言ったが、亜細亜が見ているログは、潔癖な彼女にしては珍しいことにラブラブな小笠原ゲームのログだった。それもただのラブラブではない。かなり、濃ゆい。
英吏のことといい、この子もそういう年頃なのか、と内心複雑な思いを抱きながら、
「この二人の結婚式にも顔を出していただろう。好きなのか」
実際には顔を出すという次元ではなかったのだが、亜細亜は意外にも随分真面目な顔で頷いた。
「そうか」
彼女が憂慮していた案件を吹雪は思い出す。蒼の忠孝のところには、先日もこの子は伺っていた。
ゲームを遊ぶ一部のプレイヤーやエースを、ゲーム内のキャラクターの一部が半ば忌み嫌うようなレベルで反発した結果生まれた組織、セブンスフリー。人が仲良くしていないことにとても敏感に反応する亜細亜は、これらの動きをどうにかして仲直りさせられないかと考えていたのだ。
「確かにここの夫婦は睦まじいからな」
「うん。明日、呼ばれてて」
「それで復習か」
小笠原ゲームはアイドレスの精髄だが、しかし同時に超例外でもある。
相互理解が基本のゲームでも、一対一で関係を育むというのは滅多にない状況だからだ。
まして善行はあれで無名世界観のキャラクターの中でもかなり大人の男である。血気盛んなセブンスフリーに対しての手本にするのはどうかと思ったが、吹雪はとりあえず大人しく見守ることにした。
「アタックの秘訣聞いちゃいなよ」
出現フラグを回避しておいたにも関わらずいつの間にか湧いていた奥さんに、何故かヘッドロックを掛けられながら、見えるのは、恥ずかしがる亜細亜の顔。その様子に消沈としたところはなかった。
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いまや三児の母であるあおひとは、ログで読んだ時よりもさらに可愛らしくなっていた。
犬猫よりもずっとずっしりして感じられる、無防備な命の重みを抱かせてもらいながら、そう思う。
それだけではない。
彼女の幸せさが隔てなく溢れ、伝わってくるほどに、ゆとりを持っている。
いいな、と思った。
これがきっと母親というものなんだろう。
「いらっしゃい・・・」
「あ、忠孝さん」
夫の姿を見るなり、嬉しそうに彼女はその表情を目の前でほころばせた。
無理なところがまったくない、自然な表情の変化だった。感情を何も抑えてはいない。
忠孝もまた、この光景にただでさえ細い目を細めている。
亜細亜は二人が好きだった。
それは吹雪が思うような理由からではなく、二人が彼女の目に、一番仲良しな二人に見えたからだ。
わかりあっている。言葉も必要ないほどに。
公開されているログでよくシンクロしているのを見て、笑ったものだ。
誰かが仲良くしているのは好きだった。
ちょっと見ているこっちが恥ずかしくなるくらい、自分達の気持ちに正直な二人。
その気持ちとは、互いが互いを好きあっているという、ただそれだけのことなのに、だからこそ、信じられた。
「幸せそうな風景でいいですね」
「忠孝さんもその風景の一部だと思うんですけれど」
「そうですね」
穏やかな夫婦のやりとり。
それを傍目にしながらここに来た本題を思い出して、お世話になっています、と、亜細亜は家の主人へと改めてお辞儀をした。
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「あんなことで良かったんでしょうか?」
亜細亜を見送りながらあおひとは、ちょっと疑問そうな顔つきで傍らの夫へと語りかけた。
「充分でしょう。僕も、やれることは見つかりました」
肩を抱き寄せられる。
頬をついばまれた。もう、と顔が緩んでしまう。
人がいなくなったと思ったらすぐこれなんだから。
亜細亜ちゃんはいい子だった。
いなくなった後も家の空気が変わらない。
こんなにも私達に満ちた空間を、ちっとも居心地の悪そうにはしてなかった。
幸せを一緒に分かち合い、祝ってくれていたんだろう。
真面目でいい子だった。
「どんなこと、するんですか?」
「人間とACEの連合部隊を提唱するつもりです」
ぴと、と肩から胸に寄り添う。
見た目よりもずっと逞しいその胸の厚みに、安心してあおひとは身を委ねた。
子供達はみんなすやすやと寝付いている。
自由な両腕で、ぎゅうと忠孝に抱きつく。
髪を掻き分けられて、額の生え際に口付けられた。
「うまく行くといいですね」
「ええ」
心はもう、そこにはない。
この人がやるというのだから、きっと大丈夫。
抱かれた胸の中で、小さく、ありがとうございます、と呟いた。
「聞こえませんよ」
「んっ――――」
くい、と顎を指で挟まれて、持ち上げられる。
喋れないようにされながら、その感触に、応えるように抱擁を深くする。
幸せな時間。
そうして今日も小笠原ゲームの幕が降りる。
1人と1人が理解しあう、アイドレスの対話を続けながら―――――
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署名:城 華一郎
最終更新:2008年04月03日 21:57