あまりの状況に落ち着いていない神経が原因だったのだろう。
慌てて緩く上空を旋回したが、一帯には動くものの気配もその人影以外のものも何もない。
安心すると共に、羽ばたき、まっすぐに彼へと落ちていく。
無意識に力強いストロークを刻んだ。少しでも早く、その思いが風を翼で圧し、鼻先で、より濃く分厚くなった空気を掻き分ける。
その先で横たわっている長い黒髪の美丈夫に、見知ったものを見る、親しみの色が僅かに浮かんだ。
どこまでも優しい微笑み。
しかしその頬は、記憶の中にあるものより、やや、削げていた。
微笑みが、変わらず優しいために、なおさら目についた。

「カイエ、人にお戻り」

その微笑みの前、以外では決して出さぬと誓った己の真名を口にする。

「良い腕です」

バルクは、目の前でウミネコから人に変わった女性を見て、そう言いながら微笑んだ。

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己の望むように正しくありたいと、そう男は思っていた。
その正しさを他人へと強制するには彼は優しすぎ、その正しさを他人へと理解してもらうには彼は己のまなざしでのみ世界を見すぎていた。

他人に幸せであって欲しい。
そして自分は世界に対して自分の望むよう正しく向き合っていたい。
こうすれば幸せであるだろうという、自分から見た他人のあり方を思い描くことは出来る。
これは幸せなのだと語る他人の、心が見ている光景を、同じまなざしから見ることは出来ない。
ああ、幸せなのだなと、自分が理解出来る表情を相手が浮かべている時しか、わからない。

男は魔術師であった。
世界を、『ただそうあるよう』に見ることの出来る、主観を交えることなき客観を鍛えることが必要な、魔術師であった。

男は自らを未熟と思っている。
それゆえ、魔術の修行のため、常日頃から主観を交えることなき客観に徹しようという態度で日常を送っている。

男は理解出来ない。
自分以外の存在に、主観があることは知っている。
その主観がどういうものかを知ることは怠らない。世界を知るための大事な向き合う相手の一つだから。
だが、それを理解してはいけないとも思っている。
その一方で、理解したいと望んでいる。

理解とは、まなざしを誰かに委ねることだから。

男は学習する。
自分とは異なる文化を持つ、自分とは異なる性の、けれども自分と一緒にいようとする、風変わりな人のことを。そして、彼女を取り巻く世界のことを。

男は強さに憧れている。
その一方で、強さだけでは実現出来ない景色を叶えたいとも思い続けている。

剣で花は咲かせられない。
けれども魔術でなら、花は、咲かせることが出来る。
人の心の中に。

強くなりたいという思いと、強くなろうとする思いとが、噛み合わぬがゆえの、剣と魔術それぞれでの半端者であった。

男は強くなりたい。
男は強くなろうとしている。
男の求める強さとは、何なのだろうか。

自分以外の心が持つまなざしを、理解、したい心と、してはいけないと戒める心、2つ。
携えるがゆえの優しさであり、優しさゆえに携えることとなった、枷である。
携えるがゆえに、彼は美しい。
それは人の心に美しく輝く純粋さ。
迷いを抱くがゆえに鋭くはなく、他人に対して柔らかな。
その柔らかに、近づけば、けれども気付く。気付かされる。
柔らかであるがゆえに、いっそ頑なよりも大きな隔てのあることを。
それでも。
それでも、その柔らかさに、求めてしまう。
近づくことを。
抱きしめることを。
教えることを。
ここにいるよ。
こう、感じているよ。
あなたを。
そう、体と言葉で、誰かのまなざしを理解したい彼の、心の手助けをしたくなってしまう。
理解してはいけないことなんてないんだよと、自らで掛けている鎖を解いてあげたくなる。
時折あんまりそのことに無自覚なので、傷つけられている人もいるけれど。

彼が、剣を振るう意味と、魔術を使う意味と、そのどちらも一緒なのだと気付くのは、いつのことになるだろう。

ただ、今は―――――――――

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「満足しました。食べ物に感謝を」

バルクの鍛え抜かれた胴に空いた穴は、もうすっかりと魔法と栄養で塞がっていた。
傍らには平らげられた手料理の跡。

「それはよかった。食べ物に感謝です」

嬉しそうに彼のその様子を見守るミーア。
隣に並んで座り、触ってみた傷跡は、すべすべとして、けれどももう、すっかりと硬い。
笑い、それからたしなめたバルクは、彼女が落ち込んだのを見て、落ち込まないでください、と微笑んで言った。

抱きつこうとするミーアの腕は僅かに足りない。
抱き上げるバルクの仕草はとても大きくて、けれども、大きすぎて。
それでミーアはキスをする。

キスに不思議そうな顔をした彼を、間近で見つめることが出来て、幸せだった。
だからミーアは言葉にする。その小さな瞳を微笑ませ。

「バルク様、こうしてると私はとても嬉しい気がします」

その言葉に込められた、本当の意味を彼が理解するまで、あと、27日と4時間――――――――

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署名:城 華一郎

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最終更新:2008年03月29日 21:53