● 終戦の日〔Wikipedia〕
日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催している。一般にも同日は終戦記念日や終戦の日と称され、政治団体・NPO等による平和集会が開かれる。
日本において第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))が終結したとされる日については諸説あり、(※mono....以下略)
● 対日戦勝記念日〔Wikipedia〕
対日戦勝記念日とされる場合、通常は、大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した1945年(昭和20年)9月2日を指す。なお、同じく連合国の中華民国やソビエト社会主義共和国連邦の対日戦勝記念日は、その翌日9月3日である。



大東亜戦争
■ 終戦を遅らせたソ連の秘密工作 ~ 江崎道朗『日本は誰と戦ったのか』から 「国際派日本人養成講座(2017.12.10)」より
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 今こそ「日本は誰と戦っているのか」を問わなければならない。

■転送歓迎■ H29.12.10 ■ 51,225 Copies ■ 4,434,465Views■


■1.ソ連の工作員が終戦を遅らせた

 昭和16(1941)年、ソ連の工作員がアメリカのルーズベルト政権と日本の近衛文麿内閣に潜り込んで、日米を戦争に引きずりこんだことは、弊誌で何度か取り上げた[a]。

 しかし、同じくソ連の工作員たちが、日米の講和を妨害した事はあまり知られていない。その結果、終戦が何ヶ月も遅れ、硫黄島や沖縄での激戦で日米双方での多数の軍民が犠牲になった事、さらに空襲や原爆投下、そしてソ連侵攻による満洲・北朝鮮での民間人暴行、将兵のシベリアへの拉致、北方領土侵略など、戦争末期の被害がもたらされた。

 このあたりを、江崎道朗氏の最新刊『日本は誰と戦ったのか』[1]がアメリカでの近年の歴史研究成果に基づいて明らかにしているので、本号ではその一部を紹介して、この好著への誘いとしたい。

(※mono....以下略、詳細はブログ記事で)



■ 日本国が耐え難きを耐えたのは何であったのか 「万国時事周覧(2017.8.15)」より
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不戦と平和、誓い新たに=72年の歩み、首相「不動の方針」―東京で戦没者追悼式

本日8月15日は、昭和天皇による終戦の玉音放送があった日です。正式に戦争が終結したのは降伏文書調印がなされた9月2日ですが、ポツダム宣言の受託が内外に向けて表明され、国民に向けて終戦が告げられたこの日こそ、日本国では、4年の長きにわたる戦争が終わった日として記録されています。

 昭和天皇が語られた御詔勅において、とりわけ国民の心に刻まれたのは、“耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって万世の為に太平を開かんと欲す”とする一節です。敗戦国としての苦難を受け入れる日本国の覚悟をこの言葉を以って表すと同時に、それは、未来永劫にわたる“太平”、即ち、平和的秩序の構築への一歩として位置付けています。ここに、敗戦という白村江の戦い以来の日本国最大の危機を、未来に向けた秩序構築への出発点へと転換させた昭和天皇の透徹した歴史観、並びに、倫理に裏打ちされた世界観を感じざるを得ません(この一節だけは、昭和天皇自らの言葉とされている…)。そうであるからこそ、国民の多くは、敗戦という屈辱に耐え、気持ちを切り替えて戦後復興に取り組むことができたとも言えましょう。

(※mono....中略、詳細はブログ記事で)
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 中国が戦後の国際法秩序を覆すとすれば、第二次世界大戦における日本国民の多大なる犠牲、否、両陣営合わせて5000万人から8000万人ともされる全人類の犠牲が水泡に帰します。終戦の御詔勅が戦争から司法に基づく平和への転換点となった日から72年が経過した今日、中国の軍事的台頭、及び、その暴力主義が後者を根底から脅かしている現状は、72年前とは違い、平和(武力の不行使)を貫けば、平和(国際法秩序)が破壊されかねない時代の到来、という問題を鋭く問いかけているように思えます。

決まって青空が広がる蒸し暑い日となる8月15日は、本年に限って例年になく雨の降りしきる日となりました。この雨は、再び人類に迫りくる危機を伝える天の予兆なのでしょうか。


今上天皇
■ 天皇陛下のお言葉検証 「あるウソつきのブログ(2015.8.17)」より
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終戦記念日における、天皇陛下のお言葉の検証を、今年はしようと思っていた。
 と、言うのは、当ブログコメント欄にて、以下のやりとりがあったからである。


Unknown(H) 2015-08-05 05:37:06
(前略)気になるのが、最近噂になっている天皇談話です。
天皇は政治的な行動をとってはならないことになっていますが、政府の反対を押し切ってパラオ訪問強行など、気になる行動も見受けられました。
国際的には天皇>>総理大臣ですから、非常に面白くないことになります。
流石に無いと言いたいとこですが不安はぬぐえません。

Unknown (通り道) 2015-08-05 12:42:56
安倍談話が重要?まさか!
天皇陛下が戦後70年の「談話」を発表される。こっちのほうが上でしょ!
閣議決定のない安倍談話など井戸端会議と同じ!意味なしですよ

天皇談話について (あきよし@管理人) 2015-08-05 22:59:12
正直、陰謀論の類だと思っています。
天皇陛下が政治的圧力とか、普通に考えたらほぼ不可能でしょう。
むしろコレを流して安倍談話を牽制し、公明党との着地点を左寄りにしようとしていると考える方がよほど有り得そうで、まだ説得力がマシな話です。

(※mono.--中ほど長文略、詳細はブログ記事で)

/
陛下がどうお考えであれ、政治的な横槍を考慮される事はないのだ。
 それを、まるで陛下の代弁者のように騙るリテラの禍々しいこと。これぞ、「虎の威を借る狐」だ。

 談話発表前のNHKの報道もそうだったが、左翼系の報道は必ず連中の願望が加味されている。連中は、自分の言葉が力を持っている事を知っているからだ。
 それは、無論右側も同様なのだが、力が強い故に、左翼系の方が悪質で、許せないものと感じるのである。

 連中は、ウソはつかないが、本当の事は言っていない。
 常に、「ウソをついていないなら、どこでごまかすつもりなのだろうか」という観点で、左翼系ニュースは見ていないといけない。


今上天皇
■ 深い反省は戦没者之霊には残酷だ 「気付くこと思うこと(2015.8.16)」より
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Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150816-00000044-san-soci

終戦70年、平和の誓い 戦没者追悼式 天皇陛下「深い反省」

(※mono.--引用記事略)
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天皇が、『全国戦没者之霊』に対し、「深い反省」を述べられても、天皇や日本の為に戦い亡くなった方達はどういう気持ちになるだろう…と思いました。
天皇から、あの戦争の反省を伝えられ、一体全体、何のために命をかけて戦ったのか…と、悲しい気持ちにならないでしょうか。
今上天皇に責任があるわけではないので…という考え方もできるのかもしれませんが、だったら、何が何でも戦争を回避するとか、鶴の一声ならぬ御上の一声で降伏できたのだから、もっともっと早く降伏すればよかったんじゃないの?と言いたくなります。
海外にお気持ちを向けることは必要でしょうが、この日、この場所で、『全国戦没者之霊』に対してというのは、天皇を信じて命をかけた日本人には惨い仕打ちだと思いました。
皇后の「A級戦犯」発言といい、皇太子、雅子さんの好き勝手といい、日本国民より、海外や身内しか見ていないようで残念に思います。
今後、天皇になった皇太子が何を言うのかと思うと、ゾッとします。

ーーーーー
■ 天皇陛下はアンチ安倍政権・・・・・でしょ、やっぱり 「BBの覚醒記録(2015.8.17)」より
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かねがね、ある種の保守の言論の矛盾が不可解でした。

保守を任じるなら、概ね安倍政権に賛同のはずです。賛同でなければ対案を出すべきですが。

ところが、天皇陛下皇后陛下皇太子殿下の左傾言動は見て見ぬふり、あるいは牽強付会の擁護論。

どう擁護しようと、平和憲法護持というご主張なら、そして英霊を「A級戦犯」呼ばわりなら、一般ではこれを左翼と申します。皇后陛下は五日市憲法など持ちだされるし、元GHQメンバーに対して堂々たる賛意・支持を表明していらっしゃいます。

          • と拙ブログでは述べてきた訳ですが、ある種の保守は相変わらず無反応、たまに語彙乏しい「不敬」で思考ストップしたのがコメ欄に現れるだけ。

アメリカでも、天皇陛下は安倍談話に対抗した、と捉えられてますけどね。

普通に今までの言葉の両者の相違を考えれば、天皇ご一家は改憲を党是とする自民党に、そして安倍政権に反対を表明していらっしゃいます。

憲法護持を主張なさりながら、憲法で禁じられている政治と外交に影響する言動をお取りになることもいかがなものかと、思われますが。

<首相70年談話>「反省」天皇陛下と対照的 米メディア

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)
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第一、慰霊祭で「反省」って戦没者に失礼ではございませんか?

反省ということは、あれはいけない戦争であった、と。

いけない戦争で亡くなったのが、戦没者ならそれって無駄死になんですか? 犬死になんでしょうか。

マッカーサーですら「自衛のための戦争だった」と公に語っているというのに。

二言目には「不敬」で思考停止する自称保守の人たちは、現在の皇室のていたらくが、GHQの仕組んだレールの終着駅であったことを、思い知るべきです。
保守が戦うべき相手は、皇室ではなくその背後にある戦勝国残滓なのだと、なぜ理解できないのでしょうね。


★ 「深い反省」、異例のお言葉=天皇陛下、昨年までは定型―全国戦没者追悼式 「Goo!news-時事通信(2015.8.15)」より
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 天皇陛下は15日の全国戦没者追悼式の「お言葉」で、先の大戦に対する「深い反省」という表現を盛り込まれた。陛下が戦没者追悼式でこうした表現を使ったことはなく、戦後70年の節目の式で、異例と言える内容となった。

 戦没者追悼式のお言葉は、戦後50年の1995年に「歴史を顧み」との文言が加わって以降、昨年までは毎年、ほぼ定型化していた。今年は「過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に」という文言が加わり、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願うと述べた。

 さらに、「戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた」国民の努力と、「平和の存続を切望する国民の意識」に支えられ、日本は平和と繁栄を築いてきたと語った。 

ーーーーー
★ 【全国戦没者追悼式】首相式辞、天皇陛下のおことば 「BLOGOS(2015.8.15)」より
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15日、日本武道館で全国戦没者追悼式(政府主催)が行われた。国歌斉唱、安倍総理の式辞、正午の1分間の黙祷につづき、天皇陛下がおことばを述べられた。

安倍晋三内閣総理大臣の式辞

天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族、各界代表、多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。 

遠い戦場に倒れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、はるかな異郷に命を落とされた御霊の御前に、政府を代表し、謹んで式辞を申し述べます。

みなさまの子、孫達は、みなさまの祖国を、自由で民主的な国に作り上げ、平和と繁栄を享受しています。それは、みなさまの尊い犠牲の上に、その上にのみありえたものだということを、私たちは片時も忘れません。

70年という月日は、短いものではありませんでした。平和を重んじ、戦争を憎んで、身を堅く持してまいりました。戦後間もない頃から、世界をよりよい場に変えるため、各国、各地域の繁栄のせめて一助たらんとして、孜々たる歩みを続けてきました。そのことを、みなさまは見守ってくださったことでしょう。同じ道を歩んでまいります。

歴史を直視し、常に謙抑を忘れません。私たちの今日あるは、数多なる人々の善意の上であることに、感謝の念を日々新たにします。

戦後70年にあたり、戦争の惨禍を決して繰り返さない。そして今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いていく。そのことをお誓いいたします。

終わりに、今一度、戦没者の御霊の平安、ご遺族のみなさまには末永いご健勝をお祈りし、式辞と致します。

平成27年8月15日 内閣総理大臣 安倍晋三

ーーーーー
天皇陛下のおことば

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」にあたり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々と、その遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来、既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた、国民のたゆみない努力と平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、わが国は今日の平和と繁栄を築いてきました。

戦後という、この長い期間における国民の尊いあゆみに思いをいたす時、感慨はまことに尽きることはありません

ここに歴史を顧み、先の大戦に対する深い反省ともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります。


(※mono.--以下動画書き起こし文は略。詳細はブログ記事で)
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そしてその英霊をそしる日本人もどき。無論物事には、2つの視点があります。
しかし、日本ために命をかけてくださった人々を、「貧しい思考力」と貶めるこの人は日本人でしょうか。いえその前にまともな人間でしょうか。

(※mono.--以下略。詳細はブログ記事で)

■ 総理は明日参拝すりゃいい 「二階堂ドットコム(2015.8.15)」より
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そんなもんだ(笑)







■ 8月15日のバカバカしさ 「心に青雲(2014.8.16)」より
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 毎日新聞は相も変わらず、安倍首相の挨拶に「不戦の誓い」もなく「加害責任」にも言及しなかったと、報じている。これを読むノータリンどもは、やっぱり安倍は右翼だと思い込むよう仕掛けているのだから、8月15日を悪用してタチが悪い。
 安倍も中途半端であって、先祖が戦ってくれたからアジアは植民地から解放された、と述べろ。

 むろん、大東亜戦争は今日につながる事柄で、あれはなんだったかは考えていかなければいけないけれど、ほとんどの国民は政府やマスゴミに洗脳されて、平和こそすべてに勝る価値だと思っている。
 また日本は戦争をした悪い国だと思いこまされている。

 私がどうしても8月15日の催しに納得できないのは、端的にはあれもユダヤの謀略だと思うからだ。その訳をみなさんにわかってもらうのは、大変むずかしい。
 戦争は嫌だ、人殺しも嫌だ、平和を祈りましょう…、これは正しいことを言っているようでも、即自である。

 即時とは、何度も本ブログで書いてきたが、ヘーゲル哲学の用語である。要するに赤ん坊だということだ。自分が自分であることがわからない状態。自分と他人との区別がつかないレベルをいう。
 赤ん坊は自分が泣いていることすらわからない。そのものがそのままあることを即自という概念で言うのだ。

 それに対して、対自とは相手と自分の区別がつくようになったレベルをいう。幼児レベルが即自、三歳くらいから対自的に目覚めていく。さらに、「即自対自」とは、両者、対立物を統一して、「それを踏まえて自分はこうしなければいけない」という場合である。
 即自はアンジッヒan sich 、対自はフュール・ジッヒfür sich、即自対自はアン‐ウント‐フュール‐ジッヒan und für sich である。

 これだけ申せば、わかる人はわかるだろうが、毎年の終戦記念日騒動は即自レベルで延々と続けられている。
 周辺国がどういう相手なのかを考えもしないで、歴史を考えもしないで、きっと話せばわかってくれる、平和を愛しているはずと、心底思い込んでいる。赤ん坊と同じである。

 要するに他国、他民族(ユダヤ)は、日本人を即自のままにしておきたいのである。だから公費を使わせて終戦記念日やら広島・長崎の祈念式典をやらかし、毎年「悲しみを新たに」させ、「不戦の誓い」を国民に刷りこみ続ける。
 これ奴隷状態と呼ぶのだ。

 したがって、ユダヤやアメリカにとっては「慰安婦」だろうが「南京虐殺」だろうが、事実があろうがなかろうが、どうでもいい。延々と日本国内でスッタモンダをさせ、中韓が抗議し続けていれば済むことなのだ。
(※ 前後略、詳細はブログ記事で)

■ マコトを思う 8月15日の意味「終戦の詔勅 (玉音放送)」 「オノコロ こころ定めて(2014.8.15)」より
/
8月15日は、「終戦の日」と呼ばれている。

しかし、国際法上の「終戦の日」とは、
わが国が、連合国諸国とサンフランシスコ平和条約を締結し、
それが発効した、

  昭和27年(1952年)4月28日

である。

8月15日は、「休戦の日」であるにすぎない。

わが国は、この日、銃をおいたが、
相手方は、この日以降も、様々な戦闘行為を継続し、
それが昭和27年(1952年)4月28日に終わったのである。

様々な戦闘行為には、いわゆる「占領政策」も含まれている。


このことは、今日はふれない。

今日は、日本国民に対し、
天皇陛下より、玉音放送を賜った日である。


(※ 以下略、詳細はブログ記事で)

神風特別攻撃隊
■ 終戦記念日に思う 「唖蝉坊の日記(2014.8.15)」より
/
◇今日は何人かの閣僚が靖国神社に参拝していましたが、安倍首相は米中韓に配慮して真榊を奉納して参拝はしなかったようです。靖国が国際政治の道具にされ海外から攻撃されているのは実に悲しいことです。家族や同朋、そして日本の国体を守るために命を賭して散華して行った何万何百万もの英霊たちのことを思うと、胸がつぶれます。
特攻隊の生き残り、鶴田浩二さんが特攻隊員の遺書を朗読して、堪らずに落涙しています。


この若者たちは、どんな思いで死地へ向かったのでしょうか・・・・


◇金美齢さんが至極真っ当な事を云っています。


◇GHQのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムで洗脳された戦後の日本人は、体を張って護国の神となることを覚悟した当時の青少年の鬼気迫る気持などまるで理解出来ないのです。しかし最近の中韓の執拗で常軌を逸した靖国批判に反発する人々が増え、特に若い世代に多少なりとも愛国心の萌芽がみられるように思います。アカヒが従軍慰安婦がでっち上げであったことを認めたことも、同社の社内で分裂が起きている証拠です。売国新聞が白旗をあげたことで、少しはまともな国になっていくといいのですが・・・

(※ 全文掲載させていただきました。)

■ 「危険な台頭」が迫る日本の覚悟:田久保忠衛 「頂門の一針3396号  2014・8・15(金)敗戦記念日」より
/
日本人には国家観がなくなったと少なからぬ人々が嘆くが、結局、国民
が国際情勢の緊張をどれだけ体感しているかに尽きるのだと思う。

旧制中学校1年生の昭和20年8月15日に昭和天皇の終戦詔書放送を謹聴し
てから69年を迎える今、日本周辺の国際環境は戦後最大の変化に 直面し
ているにもかかわらず、日本の大勢はそれに対応する速度が遅すぎる。

国際秩序は、米ソ冷戦体制から米国だけが抜きん出た米一極体制を経
て、中国の台頭と米指導力の衰退の時代へと急速に移行している。

(※ 中略、詳細はサイト記事で)
/
欧米のマスメディアは、中国が米欧主導による国際金融システムに挑戦
を始めたとしきりに報道している。ブラジル、ロシア、インド、中国、南
アフリカの新興5カ国(BRICS)が、途上国のインフラ整備を支援す
る目的で上海に本部を置く新開発銀行の設立を決めた。

アジア開発銀行と は別に、アジアインフラ投資銀行の創設も中国は提唱
している。が、経済 が政治に利用されてしまうのではないか、との警戒
はBRICSの中にも ある。

指導部は気付いていると思うが、中国は「危険な台頭」の結果、四面楚
歌(そか)を招きつつある。北京に媚態(びたい)を示しているのは、反
日の一心に凝り固まった韓国の朴槿恵大統領と、大陸との統一を秘めてい
るとしか考えられない台湾の馬英九総統ぐらいではないか。

対照的に安倍 首相に異を唱える国はどこか。オーストラリアやインドの
新政権は積極的 な安倍支持である。同盟国、米国の足らざるところを日
本が補うという国 際環境が自然に生まれている。

「時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開
カムト欲ス」との玉音放送は、昨日のことのように耳に残っている。陽明
学者の安岡正篤氏が書いた「義命ノ存スル所」は「時運ノ趨ク所」に書き
改められたという(茶園義男著『密室の終戦詔勅』)。

是非はともかく、 「時運」は日本に巡ってきているのかもしれない。
(たくぼ ただえ)杏林大学名誉教授 産経 [正論]2014.8.14

■ 69回目の「終戦の日」どんな日なのか /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語 「THE PAGE(2014.8.15)」より
(※ あちこち略、詳細はサイト記事で)
/
日本では8月15日が「終戦の日」と広く認識されています。政府などの機関が正式にこの日を「終戦の日」「終戦記念日」と決めている訳ではありません。あえていえば1982年の「戦没者を追悼し平和を祈念する日とする」という閣議決定でしょうか。

歴史上の1945年8月15日とは「ポツダム宣言の受諾を昭和天皇が録音でラジオを通して国民に知らせた日」です。終戦の詔書とも呼ばれ、当時の主権者である昭和天皇が肉声で「朕」(天皇)を主語にアメリカ、イギリス、中華民国、ソ連に対して宣言を受諾すると通告したと明言しました。世にいう「玉音放送」です。
/
●本当の終戦の日は9月2日?

勝った側に属するアメリカ、イギリス、ロシア(ソ連の後継)は9月2日を戦勝記念日ないしは戦争終結記念日にしています。この日は日本側と連合国側でポツダム宣言の履行を含む降伏文書が署名され休戦(戦闘停止)が確認されました。
/
降伏文書は「休戦」に止まっており、国際法上の終戦は1951年のサンフランシスコ講和条約を待たねばなりません。この条約で日本は多くの連合国から戦争状態の終了と独立(主権回復)を認められました。条約は翌1952年4月に発効(効力を持つ)します。

ただいくつかの「忘れ物」が残りました。会議に参加して調印を拒否したソ連と、招かれなかった中華民国および1949年に建国した中華人民共和国です。ソ連とは1956年の日ソ共同宣言で国交を回復し戦争状態が終わりました。困ったのは「2つの中国」で、連合国側もどちらを承認するか意見が割れていたのです。

(※ 後略。)

渡辺恒雄
■ 終戦の日 ~ マスメディアの「反靖國翼賛体制」を批判する 「私的憂国の書(2014.8.15)」より
(※ 太字はmonosepia。詳細はブログ記事で)
/
 私は「終戦記念日」という呼称が大嫌いだ。それは、「戦争から解放された。よかった、よかった」という、戦後民主主義の精神を丸出しにしたような呼称で、そこには戦場で斃れた私たちの先輩に対する敬意や感謝が微塵も感じられない。今日8月15日は、正しくは、今から32年前に閣議決定された「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、能天気に「記念」する日などではあり得ない。

 ただただ、戦没者を追悼する日のはずが、8月15日という日は、マスメディアとサヨクの喧騒によって祈りが妨げられる、非常にかまびすしい日になっている。一度靖國神社に参った人なら分かると思うが、参道で正午を迎えたときの静寂は、神秘性さえ漂わせる。それは間違いなく、自分が日本人だと認識することができる瞬間だ。堕落した日常を送る自分が、ほんの少しだけ英霊と近づくことができると感じる瞬間 ―― 歴史は繋がっていると感ずる瞬間なのだ。大多数のメディアは、それを邪魔する存在でしかない。
(※ 中略)
/

 靖國神社にはA級戦犯が合祀されており、これらの先般は国のために命を落としたのではなく、裁判で死刑に処せられたものである。したがって、日本人がもし道徳的判断を失うならば、危険なこととなろう。(中略)日本の首相の靖國神社参拝は、私が絶対に我慢できないことである。

 今後誰が首相になるかを問わず、いずれも靖國神社に参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。安倍氏は参議院選挙の後に引き続き首相でありつづけるが、私も彼に絶対に靖國神社に行ってはならないと進言しなければならない。もしその他の人が首相になるなら、私もその人が靖國神社を参拝しないと約束するよう求めなければならない。さもなければ、私は発行部数戦数百万部の「読売新聞」の力でそれを倒す。
 これは朝日新聞から発せられた言葉ではない。株式会社読売新聞グループ本社代表取締役会長兼主筆の、渡邉恒雄の言葉だ。発言は2007年8月、終戦の日を目の前にした8月10日、支那の北京時報のインタビューにおけるもので、第一次安倍政権の末期と重なる。

 何たる傲慢か。「私は発行部数戦数百万部の「読売新聞」の力でそれを倒す」という言葉は、「安倍の葬式はうちで出す」という朝日新聞の傲慢極まりない言葉と、全く同質なのだ。彼等にとって、民意など関係ない。普段は「これが民意だ!」と言わんばかりに世論調査の数字を垂れ流すが、彼等にペンを取らせるのは民意ではなく、社是なのだ。ナベツネの発言は、第四の権力を笠に着た恫喝であり、脅迫であり、ペンの暴力だ。ちなみにこのナベツネ、自他共に認める元共産党員である。

 A級戦犯とはなんなのか。我が国は、昭和28年の国会で、「東京裁判で戦犯として処刑された人々は法務死であって戦死者とみなす」と決議している。しかもそれは、社会党が提起し、共産党を含む全会一致の決議である。中西輝政氏は、「靖国神社と日本人の精神」のなかで、こう書いている。


 1952年4月に占領が終わると、東京裁判はじめ各地の戦争裁判の結果、「戦犯」として服役している人たちの早期釈放を求める国民運動が起きた。日弁連の「戦犯の赦免勧告に関する意見書」が政府に提出されたことなどをきっかけにして4千万人もの署名が集まり、政府は10月までに全戦犯の赦免・減刑勧告を旧連合国に対し行った。
 圧倒的に多くの日本人は東京裁判の判決にはとらわれず、「ご苦労様でした」と監獄から戻ってくる日本人を迎えたのである
 これが日本人の姿だ。

 それではいわゆるA級戦犯に対する諸外国の反応はどうだったのか。重光葵は国連全権として、加盟76か国の全会一致で日本の国連加盟を成し遂げた人物である。A級戦犯であった重光は、国連総会における加盟受諾演説で、「日本は東西の架け橋になる」と表明し、出席していた加盟国の代表団から万雷の拍手で受け入れられた。そして彼が亡くなった時、インドネシア代表が黙祷を提案し、国連総会は彼のために黙祷し、弔意を表した。これが、ナベツネが罪人と嫌う戦犯の姿だ。

(※ 後略)

■ 終戦の日」の意義を探る 「陽光堂主人の読書日記(2013.8.15)」より
/
 本日は「終戦の日」で、68年前のこの日、玉音放送が流れました。昭和天皇の終戦の詔勅が読み上げられたわけですが、これ以外、目立った動きはありませんでした。

 この時点ではまだ、帝国陸海軍に対して全面的な停止命令は出されていません。15日を特別視するのは、天皇の思し召しを印象付けるための作為で、法的実質的な意味はありません。天皇の動静を日本の歴史そのものと観る皇国史観が前提となっています。

 1945年8月15日前後の政府の動きを簡単に記すと、次の通りです。

 8月14日 御前会議で昭和天皇の聖断によりポツダム宣言受諾が決定され、終戦の詔勅が発せられ、連合国に対しポツダム宣言の受諾を通告した。

 8月15日 玉音放送により、国民及び陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えられた。大本営は日本軍に対して「別に命令するまで各々の現任務を続行すべし」と命令。

 8月16日 自衛の為の戦闘行動以外の戦闘行動を停止するように命令。

 8月19日 第一総軍、第二総軍、航空総軍に対して、8月22日零時以降、全面的に戦闘行動を停止するように命令。

 8月22日 支那派遣軍を除く外地軍に対しては、8月25日零時以降に全面的な戦闘行動停止を命令。

 9月2日 昭和天皇は「誓約履行の詔書」を発し、日本政府全権の重光葵と大本営全権の梅津美治郎が、降伏文書に調印し、即日発効。

 全戦闘行為が禁じられたのは8月25日以降で、玉音放送が流れた15日から10日も後の話です。実際にはこの後も戦闘行為が行われており、ソ連軍による北方領土上陸は、8月28日から9月5日の間になされました。現地の守備隊は果敢に戦い、敵に大打撃を与えています。

 このように8月15日の段階ではまだ戦闘行為が続いており、「終戦」なんて状況ではありませんでした。(国民は茫然自失の有り様でしたが…)
(※ 以下略)

★ 韓国議員ら、靖国での声明発表断念、500メートル先の路上で抗議 「msn産経ニュース(2013.8.15)」より
/
 靖国神社前で「安倍晋三政権の右傾化」を非難する声明を発表するため来日した韓国の左派系野党、民主党の国会議員ら4人が15日、靖国神社に向かおうとしたが、警察に押しとどめられ声明発表を断念した。
+ 続き
 同党の李鍾杰(イ・ジョンゴル)氏らは同日午前8時に声明読み上げを計画。機動隊が隊列を組んだ神社周辺では、取材に訪れた韓国の報道陣に対し日本の民族系団体関係者が「帰れ!」と怒号を浴びせ、一部が機動隊ともみ合うなど、騒然となった。

 李氏らはタクシーで靖国神社に向かったが、約500メートル離れた路上で「危害が及ぶ恐れがある」と警察に制止された。一部議員はその場で安倍政権を非難する横断幕を広げ「軍国主義を復活させようという安倍首相の愚かさに強く警告する」と抗議し、警察に説得された末、引き返した。

 李氏は産経新聞の取材に「(声明の発表を)首相官邸前でしようとも考えたが、休暇中と聞いた。(靖国に)参拝する閣僚らに声明文を渡すつもりだった」と説明。断念したものの、警察の警備が「過剰だ」と不満も漏らした。

 李氏らの行動について韓国でも「韓国国内向けのアピールにすぎない」との指摘がある。

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★ 終戦記念日:3閣僚が靖国参拝 「毎日jp(2013.8.15)」より
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 第2次安倍内閣発足後、初めての終戦記念日となった15日、安倍晋三首相は東京・九段北の靖国神社への参拝を見送り、代理人を通じ自民党総裁として私費で玉串料を奉納した。また、新藤義孝総務相と古屋圭司国家公安委員長、稲田朋美行政改革担当相の3閣僚が靖国神社を参拝した。このほか、秋葉賢也副厚生労働相、梶山弘志副国土交通相や政務官3人も参拝した。

 一方、首相は同日、東京都千代田区の日本武道館であった政府主催の全国戦没者追悼式の式辞で、アジア諸国の戦争犠牲者に対する加害責任に直接、言及しなかった。首相周辺は「外したという意図はないが、追悼式は国のために命をささげた人の慰霊が目的だ」と解説した。【飼手勇介、村尾哲】


■ 東京時代の射程(4) - 終戦記念日に寄せて坂口安吾の「堕落論」に就いて 「東京kittyアンテナ(2013.8.15)」より
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「UN-GO」という坂口安吾の作品に範を採った
推理アニメを見ていたら、
彼の「堕落論」に就いて
言及されていた(@w荒

今日は終戦記念日ということもあり、
戦後の精神状況に就いて述べた
彼の「堕落論」を語ってみよう(@w荒

+ 続き
坂口安吾の「堕落論」では
敗戦による秩序の崩壊からの「堕落」を通じて
日本人は「本当の姿」を取り戻すが、
「正しく」堕落しきった時に
新しい自らの秩序と道徳を取り戻すと
述べられている(@w荒

キッシンジャーも述べているが、
一旦滅びた秩序と道徳が再び蘇るには、
民の間に十分な無秩序と不道徳の経験が必要なのだ。
それを通じて、
それに飽き、
それに恐怖して
人々は再び秩序と道徳を渇望する様になる(@w荒

自らサイコロの様に世界に投げ出された
不安を解消するため、
答えの無い問いを求め、
元来はのっぺらぼうである世界を
人間の恣意的な概念に過ぎない言葉によって
分節化せざるを得ないのが
人の形而上学的宿命である。

安吾よ、その時は遂に来たのだ(@w荒

米国の世界覇権により守られた
揺り籠の様な平和主義は、
米国の凋落と中国の冒険主義的拡張政策によって
その刻を終わろうとしている。

戦後導入された南蛮的な思想は
表層的影響に止まり、
結局日本人の精神の根底を
何一つ変えなかった(@w荒

そう、安吾の言う通り日本人は
正しく「堕落」した。
南蛮的な自我とは異なる伝統的な精神を
再発見したわけだ。

そして新たに訪れた米国の凋落という危機。

人々は新しい秩序と道徳を渇望し始めている(@w荒

それは毛唐的な自由主義でも、
戦前の武士道その儘の導入でも無い。

仏教哲学で謂うところの末那(マナ)識、
即ち「小我」
にしか過ぎない近代的自我と
「人格の尊厳」は
いずれ無意味なものとなる(@w荒

量子計算機を用いて幾らでも
複製できる南蛮的な「人格」に
どの様な「尊厳」が
あるのだろう(@w荒

そして毛唐的「人格の尊厳」に
基づく自由主義がどの様な価値を
保つことが出来るというのであろう(@w荒

見えているのはiPS細胞技術の発達により
死にたくとも永久に死ねない、
生死に限定付けられた
「人間」の終わりと星への道だ(@w荒

ヒトという種の歴史が何によって動かされて来たか、
どの様な目的の実験が行われて来たか、
それは此処では語るまい。

だが第三次世界大戦が終われば人間はいなくなる。
永久に死なない新しい存在が生まれるのだ。
「死」が無くなる以上、
論理的に謂えば
そこに「死ぬことと見つけたり」という
「葉隠」的な武士道が
その儘の形で呼吸できる場所は無い(@w荒

■ オリバー・ストーン監督が終戦記念日を前に語る 2013/08/12(月)主催:日本外国特派員協会。 「とらちゃんが集めました♪(2013.8.12)」より
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(※ 動画が掲載されてます。詳細はブログ記事で)









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最終更新:2017年12月11日 12:11
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