次に校則の問題を考えてみよう。
 義務教育学校と高校以上の学校で多少性格が異なると考えられるが、これまでは校則は学校側が管理者として制定できるという考え方が強く、特に特別権力関係論は営造物理論においてはそれは自明のこととされてきた。また、特別権力関係論や営造物理論に立たず、在学契約説にたっても、学校と在学契約を結んだ時点で校則については存在しているのであるから、校則を前提として契約が結ばれたのであるから、基本的に生徒や学生は校則を了承したものであるする解釈が現在では主流である。
 では募集要項にどの程度校則は書かれているだろうか。
 入試パンフレットにはまず校則が書かれている例はないといえる。そこでホームページはより詳細な学校の紹介を自ら行うものであるから、いくつかの私立高校のホームページを見てみた。いずれも校風についての説明はあるが「校則」の紹介はない。つまり、校則は実際に入学して生活を始めてから、始めて知ることになるのがほとんどであろう。
 つまり、校則の内容を知ってから契約を結ぶというのは入学の実際ではない。そうすると基本的に契約説に立てば校則は学校・生徒・親の合意の下に絶えず検討しなおしていく性質のものであるということができる。
 校則は、もちろんまずは生徒や学生が守るべき内容であり、そのすべてが懲戒の対象となるわけではない。しかし、多くの規則は、違反すると教師による「教育的罰」の対象とはなるだろう。
 では、校則は、なにを決めてもいいのだろうか。それとも、決めてはならない校則もあるのだろうか。最近はかなり少なくなったと言われているが、以前は社会通念上、驚くような規則もあった。例えば、「トイレット・ペーパーは30センチ以内で使用すること」などという規則である。しかし、現在では、文部省の指導によって、現在では少なくなっていると言われている。だが、法律で許されていることを校則で禁止する場合もあり、また、社会的には通常許されているのに、校則で禁止されているような規則もある。そのような規則が、学校という一般社会とは独立した組織だから許されるのか、あるいは、社会通念上大きく不合理だと考えられる場合には、その校則は無効ということになるのか。そうした問題は、まだまだコンセンサスが形成されていないように思われる。いくつかき事例を考えてみよう。
 まず丸刈り訴訟である。丸刈り訴訟は熊本や兵庫で提起されているが、いずれも違法との判決は出されていない。
 次は熊本地裁の判決の報道である。

  「表現の自由違反しない、教育上の効果は疑問」 中学生の訴え棄却
 
  中学校が校則で男子生徒に丸刈りを強制するのは基本的人権を侵害し、憲法違反だ、として熊本県玉名郡玉東町木葉、私立高校2年士野顕一郎君(17)が、同町立玉東中に在学中、両親とともに、同中学の校長と町を相手取り、全国でも初めての校則無効確認と慰謝料10万円を求めた「丸刈り訴訟」の判決言い渡しが、13日午前10時から熊本地裁民事3部であった。土屋重雄裁判長は「本校則は法の下の平等を定めた憲法14条、表現の自由を定めた同21条に違反しない。教育上の効果に疑問の余地はあるが、著しく不合理だとはいえない」と、校長、町側の主張を結論的に認め、原告の訴えを退けた。判決は、校則による生徒管理強化を法律面から追認したわけで、教育現場に与える影響は大きい。
  原告は顕一郎君と両親の石灰販売業優さん(52)、佐登子さん(48)。校則無効確認では親子3人で校長を、慰謝料請求では顕一郎君1人が町を訴えていた。
  土屋裁判長はまず、校則無効確認請求について、顕一郎君が昨年3月に同中学を卒業したことを理由に「原告らはいずれも原告適格あるいは訴えの利益はない」と却下した。
  続いて町に対する慰謝料請求について、前提になっている丸刈り校則の適法性を判断した。この中で、原告が「丸刈りは地域によって強制する中学と自由な中学があったり、男子だけに強制されるから、法の下の平等に違反する」とした点につき、「校則は各中学において独自に判断して定められるべきだから、それによって差別的取り扱いを受けたとしても合理的な差別。男性と女性とでは髪形について異なる習慣があり、男女で異なる規定をおいたとしても合理的な差別で憲法14条に違反しない」とした。
  さらに、「中学生において髪形が思想等の表現であると見られる場合は極めて希有(けう)」と憲法21条の表現の自由にも違反しないとした。
  「丸刈りは不合理で、このような校則を決めるのは校長の裁量権を超え、違法」との原告主張については、「丸刈りが中学生にふさわしい髪形であるという社会的合意があるとはいえず、スポーツをするのに最適ともいえず、頭髪の規制で直ちに生徒の非行が防止されると断定されることもできない。その教育上の効果については多分に疑問の余地があるが、著しく不合理であるとは断じることができないので、校則を制定・公布したことは違法とはいえない」とした。
  以上の判断から、「違法な校則によって原告が精神的苦痛を受けた」とする原告の主張を退けた。
  顕一郎君は、56年4月に玉東中に入学した。しかし、同中学の「男子は頭髪を長さ1センチ以下に丸刈りする」という校則を守らず、長髪(坊ちゃん刈り)のまま通学して、同級生から「刈り上げウーマン」と書いた紙を背中に張られるなどのいじめを受け、同年12月に2週間、登校を拒否した。このため両親が、法の下の平等、表現の自由など憲法の基本的人権を根拠に、顕一郎君の名前で提訴、58年からは両親も親の教育権を理由に訴訟に加わった。顕一郎君は在学中、長髪のまま通学し、59年、熊本市内の私立高校に進学した。53)丸刈り強制校則は適法 男女の差は合理的 熊本地裁判決 朝日新聞85/11/13

 この判決は、原告の訴えを退けたが、必ずしも丸刈り校則を認めたわけではなく、「著しく不合理とは言えない」としたにすぎず、その不合理性については明確に指摘している。実際にこの判決で、丸刈り校則に対する再考が始まった。つまり「違法」性があると認定するためには、「著しく不合理」であるということが条件になるが、守るべき規則である以上「合理性をもつべきである」というのが、この判決の判断と考えられる。
 ただ、注目されるのは、丸刈りにせず、坊ちゃん刈りにした原告を、生徒たちがいじめたという事実も、教育的に注目されるところだろう。同じような状態におかれたイギリスの生徒は、処分を受けながらも、生徒たちの共感を呼んだという話もある。

  船橋市 ジェルミ・エンジェル(フォトジャーナリスト 34歳)
  丸刈り訴訟の判決を聞いて、遺憾だが今の管理教育傾向の中で、当然な結果だと思った。しかし、ここで問いたいのは校則の是非よりも顕一郎君に対する同級生の態度だ。
  私(カナダ人)が英国で通った中学校にも、丸刈りまではいかないものの、やはり髪を短くしておくような校則があったが、1年下のP君は、髪形は教育とは関係ないとの主張で長髪を続けたため結局退学を命じられた。顕一郎君と違ってP君はかえって多くの生徒の同情を得て、一種のヒーローとなった。54)丸刈り校則での反逆者退治の態度情けない(声)朝日新聞85/11/17

 校則の問題ではより大きな問題として多くの生徒が感じているのは、教師によって同じ規則の運用が異なるという点であろう。ある教師はスカート丈に極めて厳しくチェックし、実際に直させるのに、別の教師はそれほど厳しくなくある程度許容的であるというような事例は、多くの生徒たちが経験している。また、そうした服装検査と指導が本当にある校則に基づいて行われるのではな、生活指導主任の考え方によって左右されるようなこともあるようだ。
 更に明らかに不合理な規則の運用もある。例えば、パーマを禁止している学校で、自然のパーマの子どもに対して、パーマを直すためのストレートパーマをかけさせるというような指導である。これもいろいろな報告に現れている。これはパーマを禁止するのか、あるいは通常パーマがかかっている状態を禁止しているのか、運用そのものが混乱を生じさせている。
 教育的には、規則は必要であるが最も大切なことは、その規則の対象となっている人たちがその規則の内容に納得し、すすんで守ろうという意思をもつことであろう。不合理な校則は必ず納得しない生徒が現れるだけではなく、教師の中にも現れ、厳格に適用しない教師が出てくるのが普通である。そうした対応の差異がますます生徒の間に校則に対する不信感と反感、守らなくてもいいという感覚を生むことになりがちである。

 学校の校則はふたつの意味をもつとされ、その二側面が問題を複雑にしている。
 第一に学校という組織の中で要請されるルールとしての校則である。あらゆる組織でルールは必要であり、それは学校も例外ではない。
 第二に、学校は社会への準備であるという側面からくるもので、学校自体には必要ないが、将来必要となるかも知れないルールをあえて制定して、生徒に守らせることを「教育的課題」と考える場合がある。社会から要請されるという点では、服装が乱れていると、非行グループから目をつけられるという危険があるから、校則で厳しく指導する必要があるという論理があるが、これも第二の基本的に同じといえる。

Q 第二の論理における校則は必要なのか、あるいは必要だとして、どのように運用するのが妥当だと思うか、考えてみよう。


最終更新:2008年07月25日 21:36