ドイツやフランスは、大学に接続する高校が基本的に決まっており、そこの卒業試験に合格すると、それが大学入学資格として認められる。バイパスが存在しないわけではないが、多様な高校からの大学進学を認めるのではなく、多様な高校の存在を認めるが、多様な高等教育機関との接続関係が非常に狭くなっている。基本的にはギムナジウムやリセから大学に進学する。そして、大学に進学資格を付与できる高校は、かなり厳格に科目や単位の条件が決まっており、学校の決める必要な単位を習得するだけではなく、ドイツではアビトゥア、フランスではバカロレアと呼ばれる高等学校卒業試験の科目として、数科目を選択して、非常に高度な試験に合格しなければならない。そして出題採点はそれぞれの高校で行い、問題のレベルが適切であるかのチェックを教育当局が行う仕組みになっている。そして、問題は論述式であり、時間も極めて長くかかる。(公的機関が統一試験として行う場合もある。フランスは全国試験だったが、しばらく前に高校による試験が導入された。)
 石川工業高等専門学校主催講演会・シンポジウム「科学教育を考える」で、行われた講演「フランスの大学における科学教育の現状」の中で、シゲル・ツジ(パリ第六大学教授)は次のように述べている。

 フランスの高等学校には,哲学の時間がある。そこでは,人生の意味や外国人労働者の問題といったいろいろな社会問題について考えさせる。バカロレア(baccalaureat大学入学資格試験)の中でも哲学は大きな意味を持つ。3~4時間かけて行われる筆記試験では,正誤よりも論理性・客観性が評価される。その分,採点は非常に大変である。こういった試験が日本にはないことを聞いてフランス人の知人は非常に驚く。そうしないとモノを考える訓練にならないのではないかと。実際,日本人は,実験等の技術はあるが,深くモノを考えないと言われる。国際会議に参加する人は多いが,会議をリードする人は少ない。

 3~4時間の論述問題は、深く物事を考え、それを論理的に表現する能力を期待するものだろう。そういうメッセージは明確に伝わるに違いない。そして、いかに大変でもあえてその採点の労苦を引き受ける。
 しかし、日本の小論文試験は、ほとんどが1時間から1時間半で字数も1000字以内が多い。ユニークな問題で話題になることはあっても、予備校での「練習」効果が顕著で、予め想定して練習した問題の解答を記憶する受験生もいる。
 更に、そうした論文でさえ、私立大学の場合推薦入試でわずかに出題されるだけで、多くは専ら「学力」試験で合否が決まる。
 より具体的にドイツのアビトゥアの問題で見ておこう。
 州によって異なるが、ギムナジウムでは大体最後の三年間をアビトゥアのための教育を行い、四科目を選択して受験する。一科目4、5時間を要する長いもので、筆記試験だけではなく、口頭試験が課される場合もある。州全体で同じ問題で行う統一試験制度をとっている州もある。
 歴史の問題を見てみよう。
 チューリンガーでの問題であり、270分、資料持ち込みは不可である。課題が三つあるがひとつを選択する。

課題1は、ドイツのナショナリズムの形成やナチズムについて五問出されている。資料として、エルンスト・アルントの「民族憎悪について」とニーチェの「帝国の基礎とドイツ精神」のそれぞれA4で一ページが添付されている。(アビトゥア1)

アビトゥア1

課題1
 19世紀と20世紀のドイツナショナリズムと国民国家の発展
 1 アルンツ(資料1)の「民族的憎悪について」の理解をドイツの状況に関してまとめ 、時代背景からそれを評価しなさい。
 2 1871年までのナショナリズムの理念は政治的にいかなる作用を果たしていたのか 、論じなさい。
 3 ニーチェの位置を、「帝国の基礎とドイツ精神」の関連で説明しなさい。そして、ドイツ帝国(資料2)の歴史に関する位置を検証しなさい。
 4 国家社会主義のイデオロギー及び政治的支配における国家的思惟の腐敗を裏付けなさい。
 5 歴史家ハーゲン・シュルツは、政治的に単一化されたヨーロッパの理念について書いている。「ヨーロッパ体制は、国民、長い歴史、諸言語と諸国家を考慮に入れたときにのみ、継続的でありうる」(シュルツ『ヨーロッパ回帰』)

 引用文から出発して、ヨーロッパの問題と展望を述べよ。

 課題2は、産業革命=社会経済的変化と題する問題である。 課題3は、民主主義と人権と題する問題となっている。
 数学の問題も同じように、じっくり時間をかけて解く必要がある問題である。かなりの学習と論理性、表現力が必要とされるだろう。(アビトゥア2)

 アビトゥア2 数学基礎の問題


 こうしたわずかな例を見ても、卒業試験に合格することで、大学入学資格を得られるというと、何となく簡単な感じがするかも知れないが、大変困難な試験であることがわかるだろう。資料の持ち込みなしで、五時間近い論述の文章を書くためには、広範囲で確実な知識とそれを整理する論理性、そして自分のしっかりした見解をもっていなければならない。また資料として出される文献を批判的に読む能力も求められる。
最終更新:2008年08月04日 21:40