「キョン、待望の転校生がやって来たのよ!」
何がどう待望なんだ。
俺は別にそんなもの待ち望んじゃいない。

翌日、ハルヒの関係者らしい人(仮)に言われたわけでもなかったが、病気でも無いの
に登校しないと言うわけにも行かず、俺は仕方なく重い身体を引きずって登校した。
件の部長氏が二年生で、学校でうっかり顔を合わせる確率が低いというのがまだ救いか
も知れない。

そしてハルヒはと言えば、落ち込む俺を無視するかの如く超元気だった。
待望のパソコンと、待望の転校生。
そりゃ元気にもなるだろうよ。パソコンはともかく謎の転校生が必要って感覚は俺には
理解できないんだが。

「男? 女?」
ハルヒ的理論を右から左に聞き流しつつ、俺はふと思いついた質問をしてみる。
「男の子だったわ、結構美少年だったわよ!」
ハルヒが異性の容姿に触れるとは驚きだ。
しかし男か、SOS団なる謎の団体で初めての男子だな。
女だらけなところに美少年か……、普通だったら修羅場が想像できそうな所だが、こと
俺達に限ってはそんなことは無さそうである。
ハルヒはこんな奴だし、長門が男(というか他人)に興味を持つところが想像できない
し、朝比奈さんが下級生に惹かれるとも思いがたい。
俺? 俺に着いては聞くな。

「へい、お待ち!」
「古泉一樹です。……よろしく」
何かを間違えたかのようなハルヒの挨拶と、それに応じて答える転校生こと古泉一樹。

……昨日の美少年だった。

絶句する俺。
何故か俺と古泉一樹を交互に見ている朝比奈さん。
何時も通り無言を貫く長門。
一人盛り上がり中のハルヒと、何となくハルヒに着いていけないものの、昨日の俺との
ファースト・コンタクトに関しては無視を決め込んでるとしか思えない古泉一樹。
何者だ、こいつ。
ハルヒの関係者って言っていたが、状況からしてどう見てもハルヒの方は初対面って感
じだ。
まさかハルヒの方が忘れている幼馴染とかいうことは無いだろうな、……ハルヒの性格
を考えたら、ありえない話でも無さそうだが。
あいつ、未だにクラスメイトの顔もろくに覚えて無さそうだしな。
「ところで、何をする団体なのですか?」
全く持って行動を起こそうとしない団員達に何を思ったのか、古泉がハルヒにこの団体
の目的を訊ねる。
「SOS団の目的、それは、宇宙人や未来人や超能力者を探して一緒に遊ぶ事よ!」

さて、ハルヒの無茶苦茶な宣告に古泉が頷き、なし崩し的に部員が5人となり、俺たち
は活動を開始する……、ことになったらしい。
朝比奈さんが一人目を白黒させていたが、俺は全然驚いていなかった。
何せハルヒの行動は何時も突拍子ないし、謎の転校生こと古泉一樹に関しては昨日の今
日だ。

「ああキョン、古泉くんに学校を案内してあげなさい!」
ハルヒのこの宣告により、俺は学校案内とやらを押し付けられた。
面倒な事この上ないが、状況を考えれば寧ろ好都合だ。
「おい。昨日のあれは何なんだ」
人の少ない廊下を歩きながら、俺は言った。
ああくそ、大股で歩いているつもりなのに簡単に追いつかれるってのはむかつくな。
「近いうちに会える、と言ったはずですが」
「そういう問題じゃ……」
反論しようとしたら、唇の前に指を一本立てられていた。
大人が小さい子供にするような動作に俺は一瞬カチンと来たが、ここで挑発に乗ったら
負けだと思い、反論したい気持ちをぐっと抑え込んだ。
「もう少しだけ、待ってください。それに、ここでは場所が悪いです」
「……」
「放課後とはいえ校舎内ですからね。誰に見られているか分かったものでは有りませんか
ら」
古泉はそう言って、肩を竦めた。
こういう何気ない仕草でも妙に様になって見えるのは、こいつの顔立ちが整っているか
らなんだろう。
「……」
「何れ分かりますよ」
古泉はそう言って、軽く片目を瞑って見せた。
男がそんな仕草をするな。

次の日部室に行ったら、古泉がパソコンの前に陣取っていた。
何でもハルヒに言われてSOS団のサイトを作っているそうである、ご苦労な事だ。
途中からハルヒもやってきて、気がついたら二人がわいわい言いながらサイトを作るの
を俺と朝比奈さんがちょっと離れたところから眺めるなんて状態になっていた。
その日の活動は、それで終了。
その次の日は、何故か団員全員で人生ゲームを囲んでいた。
こういうゲームをしている途中でアイデアを思いついた作家が居るとか居ないとか。
持ってきたのは古泉だったが、ハルヒが古泉を炊きつけたのかその逆なのかは俺にも良
く分からないしそんなことはどうでも良い。
途中から強引に参加させられた長門が連続で一位を取ったのは無欲の勝利って奴なんだ
ろうか。最後はハルヒの逆転勝利だったが。
とにかくその日の活動は、それで終了。

謎の転校生こと古泉一樹がやってきてから4日目、古泉は部活を休んだ。
「アルバイトがあるんだって。それじゃ仕方が無いわよね」
俺や朝比奈さんがバイトだなんて言っても絶対に納得しないであろう団長様は、何故か
古泉のバイトに関してはあっさり受け入れていた。
「そうそう、今日はビラを作ってみたのよ!、これから配りに行きましょう!」
さっさと思考を切り替えたらしいハルヒが、SOS団所信表明の名の元に怪しさ満開の言
葉を綴った藁半紙を俺と朝比奈さんに突きつける。
理解したくない、納得したくない。
しかし、これを配りに行かないと何がおちてくるか全く想像できない。
何時ぞやのパソコン強奪事件みたいな事はお断りだ。
仕方ない配りに行くかと紙袋を手にした俺の前に何故か立ち塞がったハルヒは、藁半紙
が入っていたのとは違う紙袋を俺に向かって突きつけた。
「あんた、これに着替えなさい!」

悪夢第二段。
俺は、ハルヒの手によってバニーガールにさせられていた。
ちなみに朝比奈さんはおろおろしているだけで助けてくれるわけでもなく、長門に関し
ては言うまでも無い。
「うん、やっぱりあんたもいい胸しているわね!」
何故そこで『やっぱり』なんだ。
「体育の時間に見ていたからよ!」
見るなこの痴女。
「つべこべ言わない、うりゃっ。おー、良い触り心地、みくるちゃんの手に余る感じも良
いけどこのすっぽり手に収まる感じもいいわね!、ほらほら、みくるちゃんも一緒にどう!

……今すぐ死にたい。

その後俺は自らもバニーに着替えたハルヒと共に校門でビラ配りをすることになったが、
20分足らずで教師に止められ中止になった。
まあ、当然だろう。
その20分足らずの間に何人くらいの生徒に見られたのか何てことは、あんまり考えた
くないんだが……。
「あ、あの、キョンさん……」
一人真っ白な灰になりかけている俺の耳に、優しげな声が響く。
「あの……、もし、キョンさんがお嫁にいけなくなっても、わたしが……」
……。
俺はその場で聴覚と触覚と思考をシャットアウトし、全力で着替え全速力で下校した。

次の日、登校する気も無く一人大いに落ち込んでいる俺のところに迎えがやって来た。
古泉一樹である。
俺の母親相手に何を言っているか知らないが、こんな美少年が爽やかスマイルを掲げて
迎えに来てしまっては、サボるわけにも行かないじゃないか。
この状態でサボったら母親からの小言の山盛りが決定だからな。
俺は仕方なく古泉と一緒に登校することにした。
「昨日は災難だったようですね」
古泉は何故か既に昨日の事を知っているようだったが、俺はそのことを不思議には思わ
なかった。
転校前日に謎の登場をした男である、そのくらいのことを知っていたっておかしくない。
クラスメイトから電話で聞いたとかいう可能性も有るが……、俺はどちらかというとそ
っちの可能性の方を否定したかった。
……登校中の他の生徒からの視線が痛い。

ホームルーム前の教室で慰めとも侮蔑とも好奇ともつかない形容不能の視線が俺に集中
する中、一人だけ話し掛けてくる馬鹿が居た。
「なあキョン」
五月蝿い。
「お前涼宮と……」
五月蝿い。
「悪い事は言わないから―――」
五月蝿いったら五月蝿い!
「……あー、すまん」
今は放っておいてくれ、お願いだから。

その日、ハルヒはホームルームギリギリに来た挙句、休み時間中も俺に話し掛けてくる
ことは無かった。
俺の纏う雰囲気を察したのか、それとも他のことを考えていたのは、俺には分からない。
まあ、ハルヒの性格からしてほぼ後者で決定だろうが。

放課後、俺はハルヒが教室を出て行ったのを確認してから帰宅した。
部活?、SOS団?
……知るかそんなもの。


「キョンちゃーん、お客さんだよっ」
帰宅するなり即効で着替えてベッドの中に転がりこんでから何時間くらい経っただろう。
妹が、俺のベッドを揺すっていた。
妹にしては穏やかな起こし方だ。
何時もはダイビングボディプレスだからな。
「……客?」
「そ、学校の友達だって」
「友達、なあ……」
寝惚けの頭のまま階段を降りると、そこには見知った顔が居た。
一日二回も同じ人間の家に来る異性の友人というのは、果たして親にどう思われている
のだろうか……。
俺の思考が、関係無いところで回転し始めそうになる。

「やあ、こんにちは」
が、それは爽やかボイスによって現実に引き戻された。
古泉一樹が、朝と同じ笑顔で玄関に立っていたのだ。

「少しお時間いただけませんか?」
「少しって……」
「本当に少しですよ。……あなたの疑問を解決しに来たんです」
「……」
解決、何をだ?
……いや、とぼけるのはよそう。
この転校生は、転校前日にいきなり俺の前にやって来た怪しい人物だ。
ハルヒの言う『謎の転校生』が何を意味するかは分からないが、俺にとってこいつは充
分謎めいている。
その謎の原因を教えてくれるってことか。
「ええ、そういうことです。……ついていていただけますか?」
「ここじゃ駄目なのか?」
「場所を変える必要があるんですよ、ここではあなたのご家族もいらっしゃいますしね」
……ん? 
これだと家族がいるから場所を変える、というのとはちょっとニュアンスが違わないか?
俺は疑問を抱きつつも、古泉に従い家を出た。

玄関先に、黒塗りの高級車が止まっていた。
「乗ってください」
「……」
怪しさ満開どころじゃないが、乗らないと多分教えてもらえないんだろうってのは空気
で分かる。まあ、とって食われるなんて事は無いだろうが……。
「どうぞ」
「あ、ああ……」
古泉が後部座席のドアを開け、俺がそこへ滑り込む。
「……」
その奥に、小柄な見慣れた人影があった。

無口無表情存在感無しの文芸部員、長門有希がそこにいた。

ちょっと意外な光景だった。
いや、ちょっとどころじゃないかもしれない。
何で長門が古泉と一緒に現れるんだ?
古泉の事情説明に長門が必要なのか?、長門も説明を受ける立場なのか?
「先ずは論より証拠、実際についてから説明いたします」
長門は何も言わないし、古泉はこの一言と、行き先しか言っていない。
行き先は、俺たちの住む町からそう遠くない大都市だった。

車が止まる。
雑踏の中に降り立つ高校生が三人。一人だけが制服で、俺と古泉は私服だ。
高級車から出てくるにしては明らかに浮いている組み合わせだが、こんなでかい街でそ
んな些細な事を気にする奴なんて居ない。
古泉が前を行き、俺と長門がその後ろを歩く。
「手を繋いでもらえますか?」
それぞれに差し出される両手。何故か一切の躊躇い無く手を取る長門。
「ああ……」
怪しさ全開のはずなのに、俺は何故かもう片方の手を取ってしまう。
変な感じがする。
そう言えば、同級生の男どもと馬鹿話をすることはあっても、手を握ったり身体を触っ
たりなんてことはさすがに殆ど無かったな。
「目を閉じてください、ほんの数秒で結構ですので」
古泉が促し、長門があっさり目を閉じる。仕方ないので俺もそれに倣う。
「もう結構です」

世界が灰色に染まっていた。

「……アクセスを確認、接続状況は通常状態の30%から40%の間を維持、インターフェース
の自立行動レベルでの問題は発生していない」
長門が何か言っている。……見た感じ、この状態に驚いている様子は全く無い。
「やっぱり100%とは行きませんか」
「次元の相違により接続が妨害される模様。詳しい原因は不明」
「調査が必要ですか?」
「……情報統合思念体は継続的な調査を希望している。自立進化の可能性の解明に繋がる
かも知れない重要事項である可能性を否定できない」
「何だか否定語が多いですね。まあ良いです、上に伝えておきますよ。とはいえ、次が何
時になるかは誰にも分からないわけですが……」
長門の謎の発言に、古泉が答える。
二人が言っていることの意味が分からない。
灰色の、さっきまでの喧騒が嘘のように誰も居ない世界。
こんな意味不明な場所で、この二人は何を話している?
「ああ、逃げないでください」
繋いだままだった手を、軽く引かれる。
優しい声、人懐こそうな笑顔。
長門と話すときも俺と話すときも……、多分、誰と話すときも変わらない笑顔。
「大丈夫ですよ、怖いことは何も有りませんから」
古泉が、空いている方の手で俺の頭を撫でた。
大きな手。
父親を思わせるような仕草に、ほんの少しだけ安堵を覚えた。

「ここは……」
「閉鎖空間と呼ばれる場所です。詳しい説明は後回しにしますが、そうですね……、涼宮
さんが望むような非日常的事象があなたの前に現れたと思っていただければ宜しいかと」
漸く口を開いた俺に、古泉が笑顔のまま答えた。

そのとき、遠くで何かが崩れるような音がした。
はっとなって音のした方を見ると、青白い謎の物体が建物を崩している所だった。
あれは……、何だ?
一応人型に見えないこともないが……。

「……さて、僕らはちょっとあれを倒してきますね」
「えっ……」
「僕はあれを倒す役目を背負っているんです。一応ここに居れば安全だと思いますから、
待っていてください」
「……」
俺はただ首を上下させた。
はっきり言って状況には全くついていけてなかったが、何となく、古泉が嘘を吐いてい
るとは思えなかった。
「長門さんはどうですか? 30%でも何とかなりそうですか?」
「……攻勢情報の構築は充分可能な範囲。但し、効果に関しては予測不能」
「そうですか……、仕方有りませんね。もし対処出来なさそうだったらすぐ逃げてくださ
い。僕があなたの防御に回る余裕があるとも限らないですし」
「了解した」
長門が答えて、それから、何かを呟き始めた。
早すぎて全然聞き取れない声。
……速読ってのをそのまま音読するなんていう馬鹿な芸当が出来る奴が居たらこんな感
じになるんじゃないだろうか。
唐突に、長門の声が止まる。
長門の手に、白い槍のようなものが握られている。反対側の白い丸い光は……盾か?
セーラー服姿のまま槍と盾を構えた女子高生だなんて、シュールすぎる。
俺の頭の中に、セーラー服の女子高生が機関銃を持って戦う映画のそのまんま過ぎるタ
イトルが思い浮かんだ。
俺はその映画を見たことは無いんだが。

「さて、僕も行きましょうか」
古泉がそう言うと、今度は古泉の身体が赤い光に包まれた。
仕組みも何も分からない、人間が光を放つ赤い球体に変わるというデタラメな現象。
コメント不能、理解不能。
脳がこの状況を拒否しないのが不思議なくらいだ。
俺がぽかんと口を開けている間に赤い球体とセーラー服な戦乙女が青い巨人の方に飛ん
でいった。
俺は視線を手元に下げる。
さっき古泉と手を握っていた方の手だ。
温もりは既に無くなっているが、手を握った感覚はまだ少し残っていた。

経過を見ていなかったので何がどうなったのかさっぱりだったが、とりあえず長門と古
泉はあの謎の青い巨人を倒す事に成功したらしい。
二人が俺の前に帰ってきたからな。
「お待たせしました」
人の形に戻った古泉が笑っている。その隣では槍と盾をどこかへやってしまった長門が
無表情で立っていた。
二人とも、今まで戦っていたなんて嘘みたいなほど何時も通りの様子だった。
「ああ、空を見てみてください。出来れば長門さんも」
古泉がそう言ったので、俺は空を見上げた。
空に、亀裂が走っていた。
「あの青い巨人の消滅にとも無い、この空間も消滅します」
古泉の説明が終わるか終わらないかといううちに、亀裂が世界を覆い尽くし、やがて細
かく増えた網の目が中心からさっと割れていった。

世界が、元の色を取り戻している。
何もかもが元もままの世界、地方都市の交差点のど真ん中に、俺たち三人は立っていた。
「帰りの車の中で説明いたしますよ」
古泉がそう言って、突っ立ったままの俺に向かって手を差し出した。

「先ほどのあれを見ていただければ分かったと思いますが、この世の中には物理法則では
解決できないような事象があるんですよ」
「……」
「まあ、先ほどの場所が物理的、言わば現実的に『存在』していると定義できるかどうか
は微妙な所ですが。ああ、僕達はあの空間を閉鎖空間と呼んでいます。……信じられない
かもしれませんが、閉鎖空間は涼宮さんが不機嫌になると発生するんです」
「……ハルヒが?」
耳慣れた名前に、俺は現実に引き戻される。
「ええ、涼宮さんです。……冗談みたいだと思うでしょう? でも、事実なんです」
「……」
「信用していただけませんか?」
「……100歩、いや、1000歩譲ってハルヒ云々を信用するとして、あの巨人や、それに対
抗できるお前や長門は何なんだ?」
信用できるかどうか?
話の内容からすれば信頼できる可能性は0どころかマイナスになりそうだ。
しかし、古泉がこんな状況下で嘘を吐いているとも思いがたい。
というより、これを嘘だと仮定すると話がこれ以上先に進まないだろうし、そうすると
俺は何も分からないままだ。
俺としては、こんなわけの分からない状況を見せられたままで放っておかれたくは無か
った。
「僕はあの空間に対処できる能力を持った能力者です。ああ、長門さんは僕の仲間では有
りませんよ」
じゃあ、一体何なんだ。

「長門さんは、有体に言えば宇宙人です」
……。
「まあ、正確に言えば通常状態では人間とコミュニケーションを取ることが出来ない宇宙
人が作り出した、この太陽系第三惑星に住む人類とコンタクトを取るために作り出した人
造……、いえ、宇宙人製の人間型端末です」
……。
「……、もしかして、冗談だと思っていますか?」
「冗談だとしか思えん」
「でも、事実なんですよ。……そうですね、宇宙人云々はともかくとしても、長門さんが
普通の人間ではないということはご理解いただけますか?」
「それは、まあ……」
俺はどう答えていいか分からないまま、反対側に座っている小柄な女子高生の姿を見た。
俺と古泉がハルヒがどうの宇宙人がどうのというやり取りを繰り広げている間、長門は
始終無言だ。
古泉の考えている事も良く分からないが、長門の考えている事も良く分からない。
「なあ、長門」
「……」
「古泉の言ったことは正しいのか?」
「……若干彼の主観が入っているが、概ね間違っては居ない」
うわ、長門とコミュニケーションが成立している。
話の内容はともかく、俺は先ずその事実に驚いた。
「えっと、じゃあ、お前は……」
「わたしはこの銀河を統括する情報統合思念体によって作り出された対有機生命体コンタ
クト用ヒューマノイド・インターフェース。それが、わたし」
「は、はあ……」
「わたしの仕事は涼宮ハルヒを観察して、入手した情報を情報統合思念体に報告する事」
またハルヒかよ。

『情報統合思念体』
『機関』
『三年前』
『閉鎖空間』
『情報フレア』
『神人』
そして『涼宮ハルヒ』
交互に繰り返される謎の単語の羅列と少しだけ分かりやすい物の内容のとっつき難さに
関してはどっこいどっこいな説明。
簡単に纏めると、ハルヒが銀河の向こう側にも届きそうなほどの妙ちきりんな現象を巻
き起こしたのが三年前で、長門は宇宙からの調査員で、古泉は引き続きハルヒが引き起こ
している現象に対抗する手段をもっている能力者とのことだった。
……わけが分からん。
一万歩くらい譲って上から六つ目まで全部信じてやっても構わないが、何故にその中心
が涼宮ハルヒなんだ。
ハルヒが重要だとか妙な能力持ちだとか言われても、俺にはさっぱりだ。
「何れ分かりますよ」
何れって何時だよ。
大体、妙な能力があるなら何故それを自分のために使わない。あいつは俺の知る限り、
誰より未知との邂逅を求めている奴なんだぞ。
「涼宮さんは完全に無自覚です。また、彼女は未知との邂逅を求めてはいますが、同時に
その実在を信じていないという常識を持ち合わせています。……あなただってそうではあ
りませんか?」
……。
そういう風に言われると、否定できない。
確かに、俺だって超常現象や宇宙人が存在して欲しいと思ったことが有ったさ。けど、
同時にそんなものは存在しないんだとも思って居たさ。
ハルヒが俺と似たような思考回路を持っているとは思えないが、ハルヒが深層心理とや
らの部分でそういう風に考えていたとしても、まあ、おかしくはない。
……かもしれない、程度に思ってやらないことも無い。

「僕や長門さんが実際に彼女の前に出て行かないのもそれが理由ですよ。彼女が本当に未
知との邂逅を果たしてしまった時、どんな状況が引き起こされるか全く予想がつきません
からね。……僕と長門さんの背景事情は大分違いますが、今のところそのような状態を望
んでいないというところは共通しています」
「……なあ」
「何でしょう?」
「お前等、なんでこんな話を俺にするんだ?」
「それはあなたが涼宮さんにとって重要な人物だからですよ」
「……俺が?」
「ええ、そうです。もっとも、あなた自身は涼宮さんや僕のような規格外な部分を持つ人
間でも、長門さんのような宇宙人でも有りませんが」
古泉は、そう言って優しげな微笑を浮かべた。
俺は、このとき初めて、その人懐こそうな笑顔が、本当はとても残酷なものなのかも知
れないと思ってしまった。


状況が理解しきれていない、あんまり理解したくない。
黒塗りの高級車が俺の家の前で止まり、長門が降り、俺も降りる。
「また明日、学校で」
「ああ……」
古泉が笑顔で挨拶をしてくれたので、俺も一応笑顔めいたものを作って答えた。
笑えたかどうかは、自分でも良く分からなかった。
「あなたは、涼宮ハルヒにとっての鍵」
呆然とする俺の背中に、平坦な長門の声が聞こえる。
「危機が迫るとしたら、まず、あなた」
俺は長門の発言を聞き流していた。

翌日、俺は何時もどおり登校した。
休めるなら休みたい、けどそういうわけにも行かない。
病気でも無いのに休むのを親が許してくれるとも思えないし、高校は中学と違って出席
日数が足りないと進級も出来ない。
面倒だと思ったが、この世に超能力者が居ようが宇宙人が居ようがそれが平凡な女子高
生である俺の日常だ。
何故か超能力者も宇宙人も俺と同じように高校に通っているみたいだが。

靴箱を見たら、手紙が入っていた。
綺麗な女性の字で「昼休みに部室に来てください 朝比奈みくる」と有った。
朝比奈さんか……、朝比奈さんは、童顔で可愛い上級生だ。
守ってあげたくなるような雰囲気とか、子供っぽい仕草とかは嫌いじゃないし、見てい
て微笑ましいと思えるくらいだ。
だが……、俺には一つ懸念事項がある。
それを言葉にするのにも抵抗が有るのであんまり触れたくは無いのだが、その懸案事項
のことを踏まえると、彼女と二人きりになるのは非常にまずい気がしてならないのだ。
どうしたものかな……、俺は5分ほど女子トイレの個室の中で一人悩んでいたが、結局
行くことにした。
行くのも怖いが、行かないで何か有ったら……、と想像した場合の方が怖い。
ああいう普段おとなしめに見えるお人は、怒ると怖いと相場が決まっている。

部室の扉を開けると、知らない女性が立っていた。
朝比奈さんに似ている気がするが、その人は身長が俺と同じくらいあり、その他様々な
部分が朝比奈さんと違っていた。
有体に言えば、大人っぽいのである。
その朝比奈さんに似ている人は大体二十歳前後くらいで、着ている服も制服ではなかっ
た。
「お久しぶりです、キョンさん」
「え、あ……、どなたですか?」
「朝比奈みくる本人です。ただし、もっと未来からやってきました」
……。
なあ、これは幾つ目の悪夢だ?
姉か良く似た他人を使っての冗談だと思うよりもこういう現実もあるかもしれないとい
う風に考えてしまう俺の頭もどうにかしていると思うが、もう、どうにでもなれという気
分だった。
「今日は、伝えたい事が有ってやって来たんです」
「……」
「あの……、え、あ、もしかして……、このときはまだ……、あ、やだ、わたしったら、
とんでもない間違いを……」
俺の沈黙を一体どう受け取ったのか、朝比奈さんが勝手に慌てていた。
この状況でいきなり慌てられても、正直俺の方が困ってしまう。
「……」
「……」
三点リーダ×二人分。
気まずさと気恥ずかしさと諦念と混乱交じりの沈黙だ。
長門のデフォルト無口状態を常日頃からとっつきにくいなと思ってはいたが、現在の俺
とこの朝比奈さんに良く似たお姉さんの状態はそれを遥かに上回っていた。

「おーい、出来たか?」
「やっと3割ってところだな」
俺達二人の沈黙を崩したのはそのどちらでもなく、隣の部室を開ける音とそこから始ま
る会話だった。
ありがとうコンピ研、俺は未だにコンピ研の前を通る時はBダッシュ状態だが。
「えっと、その……、あの、わたしは、朝比奈みくる本人です」
下を向いたまま朝比奈さん(?)がそう言った。
「一応信用しておきます」
「え、でも、まだ……」
やる気の無い俺の答えに、朝比奈さんが顔を上げる。
「用件をお願いします。出来るだけ手短に」
俺は朝比奈さん(?)の訴えを無視した。
何だか細々とした事情が有るみたいだが、この際そんなものは無視だ。
「そ、そうですね。時間はあんまりないんでした……。もし、これからあなたが困った事
態に遭遇してしまったら、素直になってください」
意味が分からない。
「誰に対してでもなく、まず、あなた自身に対して素直になってください」
……。
「そのとき、涼宮さんも隣に居るはずです」
またハルヒか。
皆本当にハルヒが大好きだな。
「あなたが素直になってくれれば、涼宮さんも素直になってくれるはずですから……」
それは一体どんな状況なんですか。
俺はあいつほど自分に素直に生きている人間を知らないんですが。
「すみません、詳しい事は言えなくて……、でも、覚えておいてください、お願いします」
そう言って、朝比奈さん(?)は頭を下げた。
「……覚えておきますよ」
何が何だか分からなかったが、俺は一応そう答えた。
朝比奈さん(?)は態々頭を下げてきてくれたからな。

「さあキョン、今日はこれに着替えなさい!」
部室に行ったら、ハルヒにメイド服を突きつけられた。
……今度は一体何をしろって言うんだ。
「萌えよ萌え!、萌えと言ったらメイドでしょう!」
どんな理屈だ。
それに、萌えキャラは俺じゃなくて朝比奈さんじゃなかったか?
別に朝比奈さんにメイド服を押し付けようと思っているわけじゃないが……。
「だってみくるちゃんはそのままで充分可愛いんだもの!、それにね、こういうのはギャ
ップ萌えが大事なの!、男言葉でがさつなあんたはメイドとは正反対だけど、そんな女の
子がメイドとして奉仕してくれるなんて萌えるでしょう!」
がさつで悪かったな。
っていうかなんだその意味不明な理屈は。
「つべこべ言わず着替えなさい!」
……二日前と同じ展開だな、これ。

かくして俺はメイドさんになってしまった。
おまけに何故か用意してあった茶葉やら急須やらでお茶を入れる羽目になっている。
「渋いわ、もっと精進しなさい」
一口で飲み干すな。というかなんでそんな熱いお茶を一口で飲み干せるんだよ。
「ああ、ありがとうございます」
お前は何時でもその絵顔なんだな。
「うふ、キョンさんが入れてくれたお茶ならどんなお茶でも美味しいですよ」
その優しそうな笑顔が逆に怖いような気がするのは俺の気のせいですか。
「……」
こいつに関しては言うことが無いな。

ちなみに朝比奈さんと長門はバニーの時と同じく何の役にも立たず、古泉は俺がお茶を
入れている途中にやって来た挙句「似合っていますね」なんて言いやがった。
似合っていればいい、という問題じゃないと思うんだが……。

土曜日は市内探索だとハルヒは言った。
市内どころか目の前に宇宙人と超能力者が居るのに市内探索か、馬鹿馬鹿しいにもほど
が有るな。
しかし馬鹿馬鹿しかろうと何だろうと行かないわけにはいかない。
古泉曰くハルヒが不機嫌になると閉鎖空間が発生し(この間のはビラ配りを止められた
挙句次の日に俺が部室に来なかったのが原因らしい)、その度合いによっては世界があの
灰色空間に取って代わられるかも知れないとかいう話だったからな。
古泉や長門の話を全面的に信用しているわけじゃなかったが、それが現実になってから
後悔するような羽目には陥りたくはなかった。

最後にやって来た俺に対して奢りだと宣告した後、ハルヒは喫茶店で二手に別れる提案
をした。
こいつは俺の精神力や時間だけでなく経済力まで削っていくんだなと思いながら、俺は
ハルヒの長々とした前置きを聞き流していた。
「くじ引きね」
爪楊枝が5本。印付きが二本で無しが三本だ。
俺は朝比奈さんとペアになった。

朝比奈さんと二人きり。
なんともコメントし辛い組み合わせだった。
行く前から体力も精神力もつきかけの俺に対して、朝比奈さんの方は何だかとっても元
気そうだし。
見た目からして雰囲気も外見もギャップの有りすぎる女二人。
一体周りからはどう見えいてるんだろうね?

結論から言うと、別に妙なことにはならなかった。
俺達二人は川原を適当に歩いた挙句、適当なベンチに腰を下ろした。
女の子同士の他愛ないと言って差し支えない話が途切れた瞬間、朝比奈さんは言った。

「わたしはこの時代の人間ではないんです、もっと未来からやってきました」

驚かなかったかと言われれば嘘になるが、閉鎖空間へのご招待だとか、朝比奈さんのそ
っくりさん登場に比べれば全然マシな部類である。
認めたくないことだが、ああこの人は未来人なのか、じゃあ時間移動の方法を持ってい
るんだな、じゃあこの間のそっくりさんはこの人の成長した姿か……、と、三段論法的に
納得できるだけの思考の道筋がこのとき既に俺の頭の中に有ったのだ。
俺は朝比奈さんの話を適当に聞き流しながら、意味が有りそうな単語だけを拾っていっ
た。
『時間振動』
『三年以上前に遡る事が出来ない』
『監視係』
これだけ分かれば充分だ。
それ以外の単語と理屈は理解不能を通り越していたので、この際全面的に無視させても
らう。正直言うと『時間振動』も理解出来ているわけじゃないんだが、まあ、何となく一
番とっつきやすい単語を記憶に残すことにしてみただけのことだ。
要するに朝比奈さんは未来からやって来た人で、今の時間より三年より前に遡れなくな
ってしまった原因を突き止めるのがその仕事ってことになるらしい。
しかし、その中心とやらはやっぱりハルヒで、ハルヒにとっての重要人物はやっぱり俺
なんだな。
殆ど何も聞き返さない俺を朝比奈さんがどう思ったか分からないが、彼女は最後に
「信じてくれなくても良いんです、でも、覚えておいてください」
と言った。

その後俺達は適当に街をぶらついていた。
朝比奈さんにほんのちょっぴり形容不能のマイナスよりの感情を抱いていた俺だが、ど
うやら朝比奈さんは俺と居られればそれで満足そうだったので、あんまり細かい事は気に
しないことにした。
朝比奈さんは悪い人じゃないし、多分、それがお互いのためだからな。
そう言えば、高校に入ってから同じ学校の女の子同士二人で街で遊ぶなんて初めてのよ
うな気がするな。
中学からの仲の良い女友達は皆違うクラスだったし、入学当初は何だかんだ言って慌し
いかったし、5月に入ってからハルヒに振り回されっぱなしだからな。
しかし、最初の街でのお出かけの相手が童顔の上級生かつ自称未来人というのは……、
まあ、あんまり気にしないことにしよう。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2007年01月14日 05:03