「そうですね…少し時間はありますか?話しておきたいことがありまして」
「急に何だ?」
まぁ部活…いや団活(かどうかすら疑わしいな)が終わった後時間があるのは俺の基本仕様みたいなものだが。
 
古泉は校舎の外の丸テーブルに俺を呼び出した。
ほんの少し前にこいつから超能力者と機関についての話を聞いたのがここだった。
あれからひと月も経っていないのに、今ではあの話をすっかり信じてしまえているんだから、
未来なんてのはほんとに予想のつかないものである。
 
「僕の力と機関のことについては話しましたね。そしてその証拠も見せました。
くしくもあなたは直後に涼宮さんと閉鎖空間に迷い込み、何とか帰ってきた」
 
こいつの話に合わせて映像を流すように記憶がフィードバックする。
今とは違い昼だったこのテーブル、夕闇のタクシー、モノクロの空間、
その後の一件…そこから先は俺の前頭葉が映像再生を放棄した。
 
「僕はその後にあなたにこう言いました『昨日世界ができあがった可能性を否定できない』と」
 
またこれか。しばらくはそんなことから離れて普通の日常を過ごしていたいんだが…。
 
「それがどうしたんだ。まさか、本当に世界が変わってしまっているとでも言うんじゃないだろうな。
俺が見たところ、そんな様子はどこにもないぜ。いたってそれまでと同じ、青くて丸い地球のままだ」
「えぇ、確かにその通り。一見して世界が変化したようには思えません。
何事もなかったかのように社会は動いていますし、機能しています」
「それならどこに問題があるんだ?つまらんことをまだ言うようなら、帰らせてもらうぞ」
「まぁ待ってください。重要なのはここからですよ。
あの時、あの瞬間。世界はコピーされてふたつになった可能性があるのです」
 
帰ろうか。もうトンデモ話にはうんざりだ。
初夏になってはいたし、夏至もすぐそこなのでまだ空は薄暗い程度だったが、
衣替えしたばかりの半袖に夜気が忍び寄る感じは、
こいつの口調と相まって背筋が嫌な感じにこわばった。
 
「コピーされたって?だから何だってんだ。それ自体に問題はないんじゃないのか?」
「いいえ、とんでもない。あなたも、僕も。涼宮さんや皆がそっくりそのままもう一人いるんですよ?
これはちょっととは言えない恐怖です。そこでは別の物語が展開しているかもしれません」
 
古泉の口調は真剣そのものだったが、俺はまるで信じる気になれなかったし、
大体本当だったとして、やはり困ることになるとは思えなかった。
 
「長門や朝比奈さんはこのことを知ってるのか?」
「いいえ。これは機関の考えですから、お二方に知られては我々には不都合なんですよ」
「そんな話をどうして俺にするんだ?俺がいつ誰に言うかも分からないぜ」
「誰にも話さないでください。こう言えばあなたなら守ってくれると僕は思っていますが…?」
 
それは買いかぶりすぎだぜ古泉。俺だっていつ何時魔がさして口を滑らせるかわからないからな。
 
「それでも僕はそのことには不安を感じていませんよ。続きを話してよろしいですか?」
 
ああ、この際だ。中途半端に帰って余計な考えにさいなまれるより、
全部聞いてから丸ごとをそこらのくずかごに捨てちまった方がいい。
 
「聞こうじゃないか」
「彼ら、つまり、平行世界の僕たちは、基本的にはこちらと同じように機能すると考えられます。
ですが、ふとした瞬間、何か偶然のような。そうですね。例えば海中から生物が陸上に進出を
果たすくらいの可能性で、片方がもう一方の世界に影響するかもしれないのです」
 
「…よく分からん例えだな。それで?そうなったとして、何が起こるってんだ」
「予測は立てにくいですが、あの時涼宮さんが新しく世界を創ってしまった場合よりも
ややこしいことになるかもしれません」
「あくまで可能性なんだろ?俺が何でも信じると思ったら大間違いだぜ」
「ですが、例えばあなたがあちらの世界のあなたと入れ替わってしまう、という事だってありうるのですよ。
そうしたらどうなるか、想像がつくでしょうか?」
 
俺は黙っていた。もう話半分にしか聞いていなかったが、古泉は続けた。
 
「あなたは困惑するはずです。何か違う。でも原因は分からないし、もちろん周囲の人々に
分かるはずもない。どうしようもありませんよ。ゲームオーバー、とはちょっと違いますがね」
 
古泉の話はそれからいくつもの可能性を提示して終わった。
「僕や朝比奈さん、長門さんがそうなることもある」とか
「涼宮さんの近くにいる者はみな同じ危険を負っている」とか。
 
俺はこの話をなかったことにしてしまった。
こいつはどうも悪のりをすると饒舌になりすぎるな…。
可能性がどうとかいいだしたら、俺が今すぐバッグに入った大金を見つけて、
持ち主が現れないことだってありうる。
 
「やれやれだ」
 
この時はまだ自覚していなかった定型句を吐いてその日は帰途に着いた。
 
その夜は妙に涼しく、肌寒くすらあったが、そんなぼんやりとした印象しか今は残っていない。
人の記憶なんてそんなもんさ。全てのことをいつでも明確に思い出せる人間なんてのは…
まぁせいぜい地球上に数えるほどだろう。
 
あの日と同じような形の月を見ながら、俺は床についた。
 
9月。秋風が山寄りに吹き降ろす夏の名残のこの時…となればいいんだが、
夏は夏休みを終わらせても終わる事を知らず、この猛暑は絶賛継続中だった。
そんなわけで俺はこの早朝強制ハイキングコースを夏服と汗をパートナーに登り続けるわけだが…。
 
「ようキョン!」谷口だった。
国木田は始業スレスレに登校するなんて事をしない奴なので、
登校時に顔を合わせることは滅多にないが、谷口の場合まったく逆だ。合わない方が珍しい。
「今日はHRで体育際について何か話し合うんだったな」
「体育祭!?寝ぼけてんのかキョン。7月に終わったじゃねぇか」
「ん…?何言ってんだ?うちの高校は9月に体育祭を…」
「じゃぁこれは何なんだよ?」
谷口が生徒手帳を取り出して広げて見せた。
そこにはSOS団の面々と谷口、国木田、鶴屋さんが映っており、
背景は確かに体育祭のもので間違いなさそうだった。
 
何かおかしい。
というか、このどっかのライトノベルにでもありそうな展開は何なんだ。
 
そこで不意にいつだったかの古泉の言葉が脳に重なる。
『いいえ、とんでもない。あなたも、僕も。涼宮さんや皆がそっくりそのままもう一人いるんですよ?
これはちょっととは言えない恐怖です。そこでは別の物語が展開しているかもしれません』
 
今の今まで忘れていたが…ここがそうなのか?
…まさか。んなことあってたまるか。
 
だが、どうやらあってほしくない事態になっているらしかった。
それが確信に変わって行ったのは放課後の文芸部部室
 
「キョンくん…ちょっと放課後いいですか?」
 
朝比奈さんだった。部室で一見いつもと何ら変わらない時を過ごしている間、
部屋の掃除中の彼女がそっと耳元にささやいてきたのだ。
俺はとろけそうになる鼓膜の感触を味わいつつ、徐々にギアをシリアスモードにチェンジして、
やがて返事をした。
 
ハルヒの監視をかいくぐり部室に残るのはちょっとした苦労が必要だったが、
教室に忘れ物をした事を口実に先に帰っててくれと言って、それから部室に引き返す。
朝比奈さんは鶴屋さんに呼ばれていると言ってあとは同様の手順を踏んだようだ。
 
「キョンくん…。あの…こんなこと聞いて冷たくしないでね…。
私…とうとう頭がどうかしちゃったみたいで…」
 
朝比奈さんは話し出した。
聞けば、彼女も体育祭が今月でないことに驚いていて、自分がおかしくなったと思っていたらしい。
俺も同様の症状(と、言ったら語弊があるな)であることを打ち明けると、
彼女は安堵と同時に目に涙を溜めはじめた。
突如、俺はいけないことをしているような気になったが、首を振って肩をつかんで言った。
 
「以前、古泉が話していたんですが…」
 
以降、あの初夏の頃にあいつが言ったことと同じ事を―うん、ほとんど同じだと思う―俺は言った。
5月の一件で世界は2つになってしまった可能性があり、
それらの間でハルヒに近い人間の精神が入れ替わる可能性がある…と。
古泉に口止めされていたが、こっちでの唯一の理解者が朝比奈さんである以上しょうがないと言える。
 
「これからどうするか考えましょう」
と言ってみたものの、相手が朝比奈さんなのである。
彼女をけなすつもりなんか爪の垢の粉末の一粒ほどもないが、
やはりというか何というか…建設的な意見が何一つ出ないまま、その日は散会となった。
 
帰ってすぐに俺は電話をかけた。誰にかは…まぁ分かるよな?
 
「古泉」俺は初めから冗談を思わせない口調を心がけて言った。
「おや、あなたが僕に電話をかけてくるなんて珍しいこともあったものです。どうしました?」
 
そして俺は二度目の手動再生に入った。
同じ話を聞かされた本人相手にするっていうのもアホらしい話だったが、俺は無事二度目の回想録、
プラス朝比奈さんもこちらへ来てしまったことを付け足して話を終了した。
 
「…と言うことなんだが、こっちのお前に何か心当たりはないか?」
「非常に興味深い話ですね。結論を先に言うと平行世界説はこっちでは上がっていませんよ」
「どうしたら元に戻れるんだ…」俺は半ば悄然として言った。
「あなたの話では朝比奈さんもこちらへ来てしまったということですよね?
ならば、彼女が状況を元に戻すための鍵を握っているのかもしれません」
 
もっともだ。俺には何の力もないのだしな。
 
「じゃぁ何か思いついたことがあれば…悪いが連絡してくれ…」
そう言って俺は電話を切った。もう一人電話する相手がいる。
 
「長門か?」
「…」
「ちょっと困ったことになってだな…まぁ、とりあえず話を聞いてくれ」
 
三度目。言っておくが俺は三度とも正直で真人間のつもりだ。
古泉には冗談ととられた可能性もあるので、長門にも訊いておく必要があると思ったのだ。
一通りを言い終えて、ようやく俺は大きく深呼吸。返答を聞く。
 
「どう思う?」
「あなたと朝比奈みくるは涼宮ハルヒが発生する多次元ジャンクコードが
引き起こす情報リンクに巻き込まれた可能性が高い」
 
相変わらずこいつの最初の答えは脳内で咀嚼できず、例によって俺は訊き返すこととなる…。
 
「何だって?」
「涼宮ハルヒは一定の周期で無意識に多元空間の情報を変換するプログラムを発生させる」
「…」
「あなたと朝比奈みくるはそれに巻き込まれた」
 
…電話をかけたのは間違いだっただろうかと少し思ったが、俺は辛抱強く長門の説明を聞いた。
 
それによると、こうした平行世界への移動は過去にも何らかのケースで行われた可能性があり、
今回、見事そのクジを引いてしまったのが俺と朝比奈さん…ということらしい。
 
「基本的に質量の少ない物ほど移動する可能性が高いが、どんな物であれ移動自体は起きうる」
 
と長門は言って、どうすれば解決できるかとの質問には
 
「統合思念体が情報制御できる範疇を超えている」
 
と、絶望的なことをさらりと言ってのけて、俺が魂を半分出したまま「わかった…ありがとな」とか
そんな内容の事を言って早秋電話相談室はめでたく終了となった。
 
電話を切って、俺は身をベッドに投げ出した。やれやれ。どころではない。
比較級と最上級があったらもうひとつ上が欲しくなるほどの深刻さじゃないのかこれは…。
 
最後の望みは朝比奈さんに懸かっているというわけか…
体育祭のことなどもはや頭のどこを除いてもなくなってしまっていた。
 
こちらの世界と元いた世界の違いをいくつか記しておこうと思う。
中にはファニーなものもあるので深刻な話でもない、安心してくれ。
 
まず爆笑だったのは担任岡部がスキンヘッドだったことだ。
これは朝のHRで違和感に頭を抱えていた俺を心地よく驚喜の地へ一瞬だが誘ってくれた。
ありがとう、岡部。いい頭してるぜ。文字通りの意味で。
 
次に違っていたのは俺は音楽ではなく美術を選択しており、
自分の作品がピカソを超えた芸術性を持っているのではないかと我ながら思ったものだった。
 
さらに朝比奈さんの衣装からアマガエルがなくなっていて、代わりにトノサマガエルになっていた。
俺の好みを言わせてもらえば前者の方がよかった。もとい、メイドがいいです。すいません。
 
最後に言うとすれば妹が俺のことを「お兄ちゃん」と呼んでくれたことだが、
こればかりはこっちの世界も悪くないと思わざるを得ない…いいなぁ『俺』。
 
翌日の放課後、同じように部室に集まるSOS団の面々だったが…
 
「キョン、あんた何か変よ最近。いつも適度に変だけど」
ハルヒの言葉。
…俺が変ならお前にはその十乗くらいの言葉を専用に辞書に載せて冠してやらねばなるまい。
「何でもねぇよ。ちょっと寝不足なだけだ」
 
まぁ実際、昨日は妙に眠りが浅く、おかげで久々に特撮的装飾の施された自動二輪にまたがった
ヒーローの夢なんぞを見てしまったわけだが…まぁそれはどうでもいい。
 
こっちのハルヒは十五夜の月見なんぞを計画しているらしく、
向こうで体育祭がない分はそれで補っていたかと頭を抱える思いだ。
俺は神棚に捧げ物をするがごとく用意された団長机横の一式に、溜息と一緒に視線をまとわりつかせた。
 
古泉は訳知り顔、と顔に書いてあるような表情でこちらに向けてニヤニヤしていたが、
気持ちが悪いのでこれ以上の描写は割愛する。
 
長門は変わらず本を読んでいたが、中身は漢文だった。
お前、大陸の書籍まで手広くカバーしてるのか…脳内書店がひらけるぜ。
 
ハルヒが十五夜に関するあれやこれをネットで調べて、
新しい事が見つかるたびに狂喜乱舞するどさくさに紛れて俺は朝比奈さんに言った
「今日、放課後大丈夫ですか?どっかで話しましょう」
 
ってなわけで俺と朝比奈さん、ついでに古泉、そして長門は
光陽園駅近くのファミレスなんぞに集まっていた。
せっかくなら例の喫茶店がよかったのかもしれないが、あそこは半ば休日専用だった。
 
「朝比奈さん、未来と交信はしてみたんですか?」
「はい…その…初めは大丈夫だと思ったんですけど」
朝比奈さんは伏し目がちに言った。例の「こっちが悪い事をしてるんじゃ」という気になるトーンである。
「何秒もしないうちに『あなたは朝比奈みくると非なる存在、交信を切る』って言われました…」
早くも朝比奈さんは涙声である。
 
「それは困りましたねぇ…」古泉がいつもの調子で言った。
お前信じてなさそうな雰囲気だったけどな。
 
「それは勘違いというものです。僕はさきほどもこのことを常に頭に留め置いていましたよ」
留め置いていただけだろ。置き物は置き物でしかないんだぜ。
何か意見でも出してそれ以上の価値を出せよ。
 
「僕がフォローできるのは、事件の全容が分かってからの解説、
それと涼宮さんに関するいくつかの前準備、あとは閉鎖空間くらいのものです」
要するに今何もできないと言いたいのか。じゃぁせめてここの勘定お前が持て。
 
「まぁたまには…いいでしょう。さて、あなたと朝比奈さんはこの世界に違和感があると言いますが。
記憶違いじゃありませんね?だとすれば長門さんが言っていた多次元空間の情報変換が
行われた事になりますが…」
 
どこの世界でも俺は長門を信じないなんてことをしないぜ。
長門教なんてのが出来上がった日には真っ先に名前をそこに書き込んでもいい。
長門はテンプレートのような寝ぼけ眼的無表情で虚空を見つめ、
音も立てずにアイスレモンティーをすすっていた。
 
「僕には想像もつきませんよ。時間と空間を行き来するならまだ分かりますが、
世界そのものを飛び越える、なんていうのは、世の物理法則がどこまで解明されても
謎のままなんじゃないでしょうか」
 
珍しく否定的というか、肯定すべき理由を持って来ないんだな。
 
「あなたと朝比奈さんのことを信じないというわけではありませんよ。
ですが、問題が飛躍しすぎていて解明のための糸口がつかめないのですよ」
 
長門…は昨日電話で答えた回答を繰り返すだけだな。と思い、
俺はふっと息をついた。
 
「ラチがあかんな、今日は解散でいい」
 
予定通り古泉が勘定を済ませ、俺たちはそれぞれに帰路につく…
と、ふいに肩が引っ張られる。
振り向くと頭半分低いところに襟足短いシャギー。長門である。
 
「猫」
「猫?」
 
それだけを言うと長門は振り向いて迷いもなく歩き出した。
猫…?はて?
 
家について心地よい妹の「お兄ちゃん」コールを聞きつつ、
それでも安心した気持ちとも言えずに部屋に入ると、
ベッドの上に猫がいた。
 
その猫は三毛猫で、もちろん性別はメスだった。
三毛猫のオスは相当に低い確率でしか発生しない。
どうも遺伝的理由らしいのだが、生物には疎いので細かい突っ込みはなしだぜ。
 
その猫を拾い上げてまじまじと見つめる…大人しいな。
普通こうしていたら数秒で床に下りたがって暴れだすものなんだが…。
 
「キョンくん、聴こえますか?」
驚いて飛び跳ねた俺は、その拍子に猫から手を離してしまったが、
某空中回転よろしく猫はストッと着地し、無関心な目で俺を見ていた。
何だか機械的な印象が長門を想起させるが…今はいい。
 
俺はもう一度猫を観察した。
確かにこの猫から声がした気がする。
喋る猫なんてのがこの世にいるはずもないのだが、
平行世界なんてものが存在する以上、というかもう俺を取り巻く世界で
何が起きても簡単には驚かないぜ…そこでさっき驚いただろってツッコミはなしだ。
 
「キョンくん?いたら返事をしてみて」
二回聴いて声の主が分かった。他ならぬ彼女、大人朝比奈さんである。
声だけでもそのグラマーかつアダルト(あえて死語を多用するのは気分だ)な雰囲気が
伝わってくる。例によって耳がバターになりそうになるところを止めて、俺は自分に活を入れた。
 
「朝比奈さんですか??」
 
ややラグがあって
 
「聴こえる ザザッ ね? よかったぁ…」
 
周波数の合わないラジオ、そう、そのまんまな感じだ。
俺と数年後の朝比奈さんは猫を媒介とする、という何ともシュールな形式で再開を果たした。
 
「あなたはどこの…いえ、どの世界の朝比奈さんですか?」
 
我ながらうまく質問できないのは許してほしい。
こんな状況から綺麗な文章を作り上げる構文能力は俺にはないぜ。
 
「あなたとそちらの私が、元…ザッた…いた世界の未来の私です」
少しずつではあるが音の具合が安定してきた。
 
「そこからどうやって連絡を取っているんですか??」
 
「それはザザザー…で、後でいいわ。今はあなた達を元の世界に戻す事が必要です」
 
猫はまさに機械なんじゃなかろうかというほどに微動だにしなかった。
これはどこから送られてきたものなんだ?
だがそんな疑問の優先順位は余裕で入賞できないほど下だ。
 
「どうすればいいんですか?こっちの皆に訊いてもいいアイディアが出なくて…」
 
「明日の午後五時、七夕の時の公園の例のベンチ…覚えてる?」
「はい」
「そこへガッザザ、ザ、ザーーーーーーーーーーーーーーー」
プツン、それきり連絡は途絶えた。
猫は伸びと欠伸をして、呆然としている俺の横を通り半開きとなっている部屋のドアから出て行った。
 
…落ち着いて状況を鑑みよう。
 
俺と朝比奈さん(小)は、ある日突然、全くの突然、
誰かの策略なんじゃないかというような力によって古泉が可能性として
6月に提示していた平行世界、とやらに飛ばされた。精神だけが。
 
そこはビミョーにこことは異なっている世界で、まぁ害はないかもしれないが
豆腐と思って口に運んだものがコンニャクだったくらいの気持ち悪さがある。
 
こっちの世界の古泉は機関は平行世界論を提示しておらず、
こっちの長門は思念体の許容範囲を超えていると言った。
 
途方に暮れた俺がこうして部屋に帰ったところに謎の三毛猫。朝比奈さん(大)からの通信。
 
明日午後五時、例の七夕の公園のベンチ…。
 
これが得られたヒントとそれまでの状況だ。
 
―同じ事を電話で朝比奈さんに伝えることにしよう。
 
「えっ!?」
 
もちろん朝比奈さんは驚いたさ。
いや大人版の存在にじゃないぜ。もちろん、俺はあの時の約束をまだ守っているし、
朝比奈さんに話したのは向こうの世界から通信があって、
明日夕方にあの公園に行けと連絡があった、ってとこだけだ。
 
「それで元の世界に戻れるんでしょうか…」
彼女はまだ不安そうだった。もちろん俺もだ。
ワンヒントでそれも続きがなく、結果どうなるかも、成功するかも分からないからな。
でも…と俺は考えて、
「これを見過ごして次また機会があるかは分かりません。
俺は向こうに戻りたいですが、朝比奈さんは違うんですか?」
 
少し乱暴な質問だったな…と思ったが、何とか朝比奈さんを説得できたし、
まぁ御の字、とまでは行かないまでも、及第点くらいはつけられるだろう。
 
「それじゃあ明日、学校で会いましょう」
と言って、俺は受話器を置いて、何となく合掌した。…何でだろう。
 
翌日である。
9月15日。
中秋の名月だか十五夜だかの行事を、朝のキャスターの一言で思い出したが、
すぐに俺の意識は本日夕方の平行世界脱出イベントへ向いていた。
 
授業中に学期ごとの行事予定を見てみたが、
こっちでは本当に体育祭が7月、文化祭はそのまま11月、
さらには合唱際なんてのが3月に組み込まれていて、
渋く冷めたお茶を口の中に含んでいるような面持ちでもって俺はそれをしまった。
 
と、同時に、俺は慣れっこになってしまったシャーペン突撃を背中に受け、
軽く顔を横向けた。同時にハルヒが
 
「今日は晩くまで残るのよ。ちゃんと家には連絡したでしょうね?」
「あぁ、ばっちりだよ」
 
ハルヒは、今宵見れるだろう満月よりも輝くキラキラした瞳をしていたが、
それを見て俺はほんの少し後ろめたかった。
向こうに戻るためとはいえ、成功すれば俺と朝比奈さんは月を見られない。
 
もちろん、精神の交換、ということだから、
向こうに今行ってるはずの俺と朝比奈さん(やはり向こうで四苦八苦しているのだろうか…)が
戻ってきて参加できる。それでも、この2日間こっちにいたのは、他ならぬ俺だぜ?
戻る方法に手一杯でちっとも気にかけていなかったが、
ここに来て誰かが俺の中でエンジンブレーキをかけたかのような、
妙なしんみり感が突如として俺の心を取り巻いた。
 
「なぁハルヒ」
「ん?」
「少し早く始めることはできないか?3時くらいとかさ」
「バカ言わないで!月はせいぜい6時を過ぎないと出ないわよ!」
 
言うだけ無駄なのは分かってたさ…まぁしょうがないと言えばそれまでだけどな。
続けて俺は予定していた事を言った。
 
「なぁハルヒ、俺一度家に帰らなきゃなんないんだ。
ちょっと妹が風邪でな。母親が帰ってくるまでついててやりたい」
「何?そうなの!?それならあんたはい
「大丈夫、月が出る頃には戻ってこれるから。安心しろ」
 
ハルヒが二の句を告げないように俺はきっぱりと言いきった。
 
さて放課後だ。
俺はハルヒにうなずいて教室をそろそろと出て、学校を出て、
ゆっくりと坂道を下りだした。
心臓は適度なハイテンポでノックしていたが、慌ててもしょうがない。
例え今走ろうが逆立ちしようが、約束の時刻は午後五時と決まっている。
 
朝比奈さんだが、俺は昨日の電話の時に夕方引けておく方法を伝えておいた。
古泉と買出しに出かけて朝比奈さんは俺と合流、古泉はそのまま戻って、
『朝比奈さんは鶴屋さんのところに寄ってススキを追加でもらってくるそうです』
と言う。あらかじめ鶴屋さんと古泉、長門には示しを合わせている。
 
待ち合わせは麓のコンビニ前、俺の方が先に着くので
しばらく立ち読みをして時間を潰し、見上げた時計が4時半になった時、
ちょうど外に朝比奈さんが手を振っていた。
 
「ごめんね…待った?」
いえいえ、あなたを待つためだったら、例え火の中水の中、
トラックの前に飛び出して両手を広げた状態でも待てるってものですよ。
 
例の公園だ。七夕の記憶が蘇る。
ほんの2ヶ月前、いろいろあってもう随分と昔のことのように思えるが、
その時に俺はあのベンチでこの朝比奈さんに膝枕された状態で目覚め、
大人版朝比奈さんに導かれてハルヒの手引きをしたのだ。
しかしながら、何かと言うとこの公園に向かっているのは、何か陰謀でもあるのだろうかね。
 
「あと20分ですね」俺は時計を見て言った。
「どうすればいいんでしょう…」朝比奈さんは不安げな面持ちで俺の横を歩く。
何となく、5月の第一回SOS団市内不思議探しツアーを思い出すね。
あの時も、こんな風に朝比奈さんはちょっとアンニュイな雰囲気をまとっていたのだった。
 
ベンチに座って、場所が川沿いでないことと、今着ている服が制服である事を除いて、
あとはあの仰天告白の時の再現のような状況だった。
 
「キョンくん…」朝比奈さんは言った。まだ時間はある。
「何でしょうか」色々思い出していたのと、これから起こることがうまく行くのか、
そもそも何か起こるのかという思いから、俺の声は妙に上ずってしまった。
 
「私たち、無事に帰れるのかな…」
 
俺と同調するように、つっても、今この状況に置かれたら誰だってそれくらいしか
考える事がないのは明白であり、そのようにして俺と朝比奈さんがシンパシーを抱くのも当然…
って、俺は何を冷静に解説しているのだろうね。
 
「きっと大丈夫ですよ」
 
えぇ。大丈夫ですとも。だって未来のあなたがおっしゃったことなんですから。
どんな時代のあなたでも、俺は言う事を信じますよ。
 
「私…何が何だかよく分からないままここに来ちゃいました」
 
朝比奈さんはちょっぴり物憂げなまま言った。
 
「俺だって何が何だか分かってませんよ。でも、世界がちょっと変だってだけでも、
やっぱり気持ち悪いですね。担任岡部は髪があった方がいいです、俺は」
 
珍しく俺の冗談は功を奏し、朝比奈さんはくすくすと笑った。
すかさず俺は自分の鼻の下に触れる…OK、伸びてない。
 
あと10分を切っていた。
 
「こっちでは十五夜なんてやってたんですね、ハルヒは」
俺はどこともなく空を見ていった。雲はほとんどない。
 
「えぇ。お月見ってどんな行事なのかよく分からなかったから、少し残念」
 
それは俺も同じだった。どんな行事だか知らないのではなくて、
昨日やさっきまでのハルヒの満面の笑顔を思い出すと、
俺は今どうしてここにいるんだろうかと一瞬だけ考えてしまう。
ハルヒに会えなくなるはずもないが、十五夜でのSOS団にはここでしか会えない…。
イメージが瞬間記憶テストの要領でわいて出る。
それは俺やこの朝比奈さんが見ることのできない未来の記憶のように思えた。
輝く満月、月明かりを受けたススキ…SOS団での団子パーティーか。
きっとそこでも朝比奈緑茶は抜群の味だろうし、ハルヒは月に負けない笑みだろうし、
古泉はまぁ、変わらず微笑んでいればそれでいいし、長門はやっぱり本読んでるかもな。
 
だが俺はそこにいない。この朝比奈さんもだ。
俺たちはここの人間じゃないし、あるべきものはあるべきところへ戻るべきだ。
 
だから帰ろう。そこでこっちに負けないくらい楽しめばいい。
今なら、ちょっとくらいハルヒにこき使われても、へこたれたりしないぜ。
 
「あ」
 
朝比奈さんがふいにつぶやいた。
片手でこめかみを押さえるような仕草をして。
 
「未来から連絡…5分後に多次元時空移動の超法規措置」
 
いよいよか。俺は七夕の時の時空移動の感覚を思い出す。
あの感じは思い出したくないが、うん。せめて吐かないようにしよう。
 
残り2分。
奇妙な感覚に陥った。
俺は満点の星空の下、ススキの原の中、丸太に座って団子を食べてる。
左にハルヒ、右には古泉、向かいには長門と朝比奈さん。
見上げると満月はウサギ型の影を作っていて、あぁ、そういえばそんな
言い伝えもあったっけな、と思い出した。
 
いつ、信じなくなってしまったんだろう。
 
残り1分
 
いろんな幻想を信じなくなっていた俺の前に、いや後ろに、
ハルヒは現れたんだったな。入学式を思い出す。
今や俺もすっかり仲間になってしまって、それは何でだろうね。
分からないが、こうして月明かりの下皆でお月見していると、
なんだかどうでもよくなってくるな。
 
全員が違う使命や立場の下、俺たちはハルヒの気まぐれとも言える
思い付きによって集められたんだ。
 
でも、それは気まぐれでもなんでもなく、実は大きな意味があって…。
そうか、あれからもう半年近くになるんだな。
 
ハルヒ、ありがとな、SOS団を作ってくれて。
 
これからも、まだまだ色々やってくれるんだろ?期待してるぜ。
 
十五夜には参加できなかったけど、そっちの俺にもよろしくな。
 
なんて、あのハルヒに分かるはずもないよな…。
 
―月の光が強さを増していく…
 
 
……
 
………チュンチュン。
 
「キョンくーん!朝ですよ~!!」
「ぐあっ!」
 
俺はみぞおちに衝撃を喰らって吐きそうになる…が、こらえる。
 
妹よ、もう少し優しくできないのか?
もう小5なんだからさすがに飛び跳ねられるとキツイものがあるぜ…
 
朝だった。どこまでも朝だった。太陽が遠慮も知らず燦然と輝いていた。
 
はて、俺は何をしていたんだっけ??
 
何だかすごく美しい夢のような物を見ていて、
それはどっか俺じゃなくて…いややっぱり俺で…
 
トーストをかじりながらぼんやり考えたが思い出せるわけもなく、
何となく脳裏にこびりついている誰かの笑顔と丸い光だけがイメージとして残っていた。
 
「キョン!おっはよう!」
谷口だった。まだふやけすぎた記憶をかき回していた俺は、
一瞬誰だか分からなかったが、やがて発声の仕方を思い出し
「あぁ、谷口か…おっす…ふぁ…ふぁぁぁああ」
同時に大欠伸が出た。
「寝不足か?」
「まぁな」
 
はて、俺は何をしていたんだっけ?
 
HRで担任岡部の頭が妙に気になり、
だがそこに生えているのは紛れもなく彼の毛髪でしかなく、
そういえば今朝妹は何ていってたっけと考えて、
今日の3限は体育祭の予行かなどと考えて昼になる。
 
「谷口、国木田」俺は昼飯を食べながら言った。
「夢ってどこまでが夢なんだろうな」
二人はこいつ頭少しおかしくなってるな的表情で左右対称に首をかしげ、
まぁ俺も自分でもよく分からない事を言ってるなと思って午後の授業…は寝ていた。
 
「どうしました?キツネに引っ張られたような目をしていますよ」
それは寝ていたからだ。古泉の言葉をやんわり返してパイプ椅子に座る。
 
はてさて…今ここにいるのは俺と古泉と長門であり、
つまりはいつもと変わらぬSOS団的日常のはずで、
それでも何か足りない気がするのはなんだろうね。
ハルヒと朝比奈さんか?いや違うような…もっとこう、別ジャンルの…。
 
「みんな元気ー!!?」
私にそう訊くまでもないわと言わんばかりにハルヒは元気をあふれさせ、
上機嫌で団長机についた。何でそんな機嫌いいんだ?
また何かよからぬことを考えでも…あ痛ッ!
 
「もうすぐ体育祭じゃない!これもSOS団の名を知らしめるチャンスだわ!」
 
…んなこと言っても、もうこの変な団体の知名度は全校生徒にとっては
今の消費税が5%である事以上に当たりまえのものである気がするが。
 
「甘いわねキョン!体育祭ともなれば、生徒の友達や保護者が集まるでしょ?
PTA関係のお偉いさんも来るわよね」
 
そんな連中にまでこの恥そのもののような団を知らせるつもりなのか!
逆効果って言葉を知らんのかお前は。
 
「バカね、チャンスはどこに転がってるか分からないわ。
突如噂を聞きつけたどっかのTV局がやってくるかもしれないじゃない!!!」
 
それは想像の飛躍どころか大飛翔だろう。
ハルヒの瞳は大マジだったが、今日の俺にこれ以上ツッコむ気力はない。
好きにしてくれ、もう。
 
「リレーに出るわよ!!!もちろんダントツで1位を狙うわ。
他全員を周回遅れにしてやるんだから!」
 
このやかましい女のせいで、何か重要なことのとっかかりすら忘れてしまった気がする。
 
その時、ドアが開いて、現世に舞い降りた見習い女神、朝比奈さんがおわしになった。
朝比奈さんは俺の方をちらっと見て、一瞬時が止まったように動かなかったが、
俺がその時だけ笑顔をつくると、すぐにお茶組に…っとっと、外に出るぞ、古泉。
 
「お前がいつぞや言ってた話だがな」
「何でしょうか」
「平行世界がどうとか」
「そんな話しましたっけ?」
「ごまかしても無駄だ」
「はい、それでどうしました?」
「あってもおかしくないくらいには思っておいてやるよ」
「それは光栄です」
 
朝比奈さんがこの後入れてくれる緑茶の味を思い浮かべつつ、
俺は今だ夏の気温をした高い秋の空を見上げていた―。
 
―fin

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最終更新:2020年03月13日 01:12