「くそ! 何だってんだよちくしょう!」
俺は雨の中叫んでいた。
こうでもしなけりゃ気が変になりそうだったからな。
「ああもう訳が分からん!」
時折盛大に愚痴を叫びながら雨の中自転車を全速力でこぐ俺は端から見たら変態なんだろうね。
俺だってそう思うさ……と、赤信号だ。
信号を待ちながら俯いていると目の前に車の止まる気配がした。
 
……。
 
俺が俯いたままでいると、その車の後部ドアが開き車の中から、
「乗ってください。早く」
と、声をかけられた。
やっぱりね、見なくてもわかる。顔をあげると見慣れた車があるはずだ。
案の定、そこには古泉御用達の黒塗りタクシーがあった。
雨に打たれるのにももう飽き飽きしていたので、俺は素直に車に乗ることにした。
自転車は一応鍵もかけたし再会の約束もしたから、何とかなるだろう。
 
「どうも、お久しぶりです。森さんも新川さんも元気そうですね」
「……」
新川さんはバックミラー越しに無言でこちらを一瞥して、
「……」
森さんまでもが無言だ。
俺何か変なこと言ったか? ……いや、茶化すのはよそう。
俺はその場の空気を変えようと森さんに今回の件について訊いてみた。
「どこまで知ってるんです?」
「全てです」
早い。
「ハルヒがどういう状況で事故にあったのか教えてください」
今度は一呼吸置いてから、
「それはできません。詳しいことは古泉が話すでしょう」
こうなるとどんなにせがんでも徒労に終わる気がしたから質問を変えることにした。
 
「全て知っているってことは俺たちのことを監視してたんですよね、ずっと」
「はい」早いね。
「俺とハルヒが別れた後も?」
「はい」やっぱり即答だ。
 
返事の早さはどうでもいいとして、森さんのその淡々とした口調は俺の心を不快に揺さぶった。
感情的になったほうが負けなんだよな、こういうときはさ。俺はそのまま言葉を重ねた。
 
「ハルヒが事故にあう瞬間も、ですか?」
「はい」
 
やれやれだ。
この事務的かつ形式的かつ不変的な返事は俺を怒らせるためにわざとやってるのか?
だとしたらさすがは森さんだ。
 
「だったらどうして!? どうしてハルヒは!?」
 
恥ずかしいことに俺はまた叫んでいた。
今日だけでもう四、五回は叫んでいる。
マイブームは叫ぶことです! なんてどこの原住民だ。
この一件が終わったら毎日牛乳を飲むことにするか。
と、心にもないことを考えていた俺への森さんの返しは凄まじいものだった。
 
「その質問は、
『どうしてハルヒはあなたがた機関によって助けられなかったのか』
それとも、
『どうしてハルヒは事故にあうことを望んだのか』
どちらでしょうか?」
「そんなの前者に決まってるじゃないですか!」
「本当にそうですか?」
「何がです?」
「本当にあなたは後者の答えをお持ちなのですか?」
「……意味が解りませんね」
「本当にあなたは涼宮さんが事故を望んだ理由を理解しているのですか?」
「……」
 
今度は俺が質問責めにあっていた。
しかも森さんの口調もその早さも変わらないときたもんだからタチが悪いったらありゃしない。
 
「どうなんです?」
「……あいつの心の中がわかるほど俺は心理分析なんぞに長けていませんよ」
「あなたはやはり臆病者なのですね」
「……どういう意味なんです?」
「そのままの意味です」
「俺は臆病なんかじゃ……何ですか?」
俺の言葉は森さんの手によって制止された。
 
「着きました」
 
気がついたら車はすでに病院の玄関前に止まっていた。
俺は森さんと終始無言だった新川さんに一応の謝辞を告げ病院の中へと入った。
 
「こんばんは。遅かったですね」
病院の中へ入るとすぐそこに古泉がいた。さすがにいつものニヤケ顔ではない。
「これでも一応タクシーに乗ってきたんだがな」
「いえ、そのことじゃありません。森さんとの会話ですよ」
と古泉が言うからには、俺は病院に着いたのに気付きもせずに森さんと禅問答まがいのことをしていたのだろう。
「そんなことはどうでもいい。ハルヒはどこだ?」
古泉は一瞬顔を曇らせ、
「……こちらです」
と、俺を案内した。
 
古泉に案内された先は俺が去年の冬そうだったように個室の病室だった。
 
 
 
「あぁっ!キョン君!来てくれたんですね!」
と言いながら朝比奈さんがパタパタと駆け寄ってくる。
久しぶりにこの舌足らずな声を聴いた気がする。
「どうも、朝比奈さん。長門も……来てるみたいだな」
長門はハルヒに合わせていた焦点をこちらに向け僅かに頷いた。
俺は視線を朝比奈さんに戻す。
よく見ると朝比奈さんの目は真っ赤に腫れていた。
「ハルヒは寝てるんですか?」
俺は朝比奈さんに訊いてみた。
「え、えぇ……でも……」
「でも、どうしたんです?」
「えと、そのぉ」
朝比奈さんが言葉をつまらせていると、
「涼宮さんは確かに眠っています。ですが、ただ眠っているわけではありません」
と、古泉が口を挟んできた。
「どういう意味だ?」
俺は古泉のほうに顔だけ向けて訊いた。
「誤解を招くような言い方かもしれませんが、」
と、前置きをして、
「涼宮さんは永遠に覚めることのない眠りについているのです」
と、答えた。
確かに前置きがなかったら間違いなく誤解を生む言い回しだな。
それでも俺には信じがたい言葉が聞こえたような気がするんだが?
「ええ、もう少し厳密に言いますと、
涼宮さんは死んでいるわけでも植物状態になっているわけでもありません」
俺にはまだ解りかねる。
「言葉通りの意味ですよ。涼宮さんは永遠に覚めることのない眠りについているのです」
「何のために?それもハルヒが望んだって言うのか?」
「ええ、その通りです。ですが、先程も述べたようにただ眠っているわけではないのです」
俺は沈黙を示すことによって言葉の続きを促す。
「涼宮さんは、永遠に覚めることのない眠りにつきながら、」
一旦言葉を区切らせた古泉は十分な間を置いて次のように続けた。
 
「永遠に終わることのない夢を見ているのです」
 
「夢、だと?」
「はい、夢です」
「それもハルヒが「そうです。涼宮さんが望んだことです」
 
こいつは森さんと違って俺が言い終わる前に喋りやがる。
だがそんなことはどうでもいい。
 
……俺はまだ信じることができない。
古泉のことだ。いつものように口から出任せなのかもしれん。
あのハルヒがそんな現実逃避したニートまがいなことを望むはずがあるか。
だが、それこそ俺が現実逃避していたら話は進まない。
俺はこの中で、最も信頼できる言葉を口にするであろう人物に再度訊き直した。
「長門、古泉の話は本当なのか?」
 
長門は俺の方に顔を向け、ほんの少し考えるそぶりを見せてからこう告げた。
「概ね相違ない。けど根本的には違う」
さらに長門はこうも続けた。
 
「涼宮ハルヒは自己の深層意識内において仮想現実を構築しその内部での活動を現実のものとして認識している」
……。
「またその仮想現実空間内部では我々の現実世界がほぼ完全にトレースされている」
……。
「我々の現実空間と涼宮ハルヒの構築した仮想現実空間とが代替されるのも時間の問題」
……。
「つまり長門さんの話を要約するとこういうことになります」
俺が長門の言葉に対し沈黙を貫いていると、古泉が割って入ってきた。
別に長門の言うことが解らなかったから沈黙してたとかじゃないんだからな、と心の中でつぶやき、俺はそのまま古泉の解説とやらを聴くことにした。
「涼宮さんは我々の住む世界と全く同じ世界を夢として見ているのです」
夢夢しつこいなこいつは。
「ですが、そこは夢と言っても我々の世界と何ら変わりありません」
お前のその気に食わない笑みも何ら変わりないようで。
「涼宮さんはその空間をまだ深層意識の内部では夢として認識していますが」
ニヤケ面が消え、
「あちらの空間を現実の世界として認識し欲してしまった、まさにそのときが」
真面目顔になり、
「こちらの世界の終焉、ということになります」
やはり最後はニヤケ面で飾る。
「そうそう、今回ばかりは機関もお手上げなんですよ」
古泉はそう付け加えて今度こそ黙り込んだ。もう話すことはないらしい。
朝比奈さん、古泉、そして長門、と三人の話を聞くだけは聞いた。
三者三様の言葉あるいは挙動あるいは態度から判断するに、どうやら話は本当のことのようだ。
 
だが、まだだ。
 
まだ口をきいてすらいない奴がいるじゃないか。
 
俺はそいつの横に立ち、その顔を見つめた。
いつもと変わらない顔色のそいつは───ハルヒはいつものように周囲の迷惑など省みもしない己本位なことをわめきちらしたりしない。
いきなり起き上がって「残念だったわね! ぜーんぶドッキリよ!」などと言うこともしない。
「おい」
返事もしない。
「おい、起きろよ」
返事なんかできるわけないんだ。
ハルヒの口元にはけったいな機械から伸びた管つきのマスクがつけられているからな。
それでも俺は諦めない。
「おい、起きろっつってんだろ?」
やはりハルヒは沈黙を保つ。
死んでるわけでも植物みたいになったわけでもないんだろ?
ただ夢を見ているだけなんだろ?
だったら俺の声が届いているはずだ。
「おいこのバカハルヒ! いい加減に目覚ませよ! みんなが心配してるんだぞ!?」
反応はない。それどころかピクリともしない。
「お「無駄」
俺の言葉は無情にも最高に無情な言葉で遮られた。
「……おいハ「無駄」
しつこい俺を静止してお喋りモードに入ったのは長門だった。
「ど「涼宮ハルヒに話しかけても無駄」
今回はお前に対する言葉だったんだがな。
まあいい。続きを聴かせてくれ。
「涼宮ハルヒの精神及び魂は仮想現実空間にいる。我々の現実空間にいる涼宮ハルヒは肉体だけの存在」
「それとどう関係があるんだ?」
「あなたがこの涼宮ハルヒの肉体にどんなに話しかけてもあちらの涼宮ハルヒの精神及び魂までは届かない」
「だから、無駄だと?」
「そう」
「……そうか」
どうやらこっちのハルヒは言い方は悪いがただの抜け殻みたいなもんらしい。
だから俺がどんなに声をかけても無駄なんだとよ。
笑えないにも度が過ぎる。
だったら俺は何のためにここに呼ばれたんだ?
ただ黙って世界の終焉をSOS団のメンバー(一部肉体のみ)と共に迎えましょうってか?
こうして何も出来ない俺をみんなであざ笑いましょうってか?
……ああ、わかってるさ。決してそういうわけじゃないってことはな。
いつものように俺がやるべき俺にしかできないことがあるんだろう。
古泉はお手上げ、朝比奈さんはうろたえているだけ。
ならばそれを訊く相手も自然と決まってくる。
「どうすればいいんだ、長門?」
俺が再度長門に訊くと、待っていたとばかりにこう言った。
「あなたを涼宮ハルヒが構築した仮想現実空間に送る」
「つまり、ハルヒの夢の中に行くってことか?」
「そう」
「そうか」
やっぱりね。こんな展開になるだろうとは薄々感づいてはいたさ。
ちょうど一年位前にも同じようなことを……ん?一年前?
もしかして今日の日付は……やれやれだ。
 
今日の日付は去年俺とハルヒが一面灰色世界に閉じ込められ、思い出したくもない方法で脱出してきたまさにその日付だった。
 
何の因果関係なんだろうね、と俺が苦悩していると朝比奈さんに話しかけられた。
「あの、キョン君。ちょっと言いたいことが……」
朝比奈さんはどこかしどろもどろだ。
「何ですか、朝比奈さん?」
「えぇと、その、素直になってください!」
「はい?」
ときどきだが、この人の言動は長門のそれ以上に理解するのに苦しむものになる。そんな俺の気も知らず朝比奈さんは真剣な面もちで続けた。
「涼宮さんに対して素直な気持ちで接してください!」
「俺はハルヒにそんなにひねくれた態度で接してますか?」
「そういうことじゃないんです」
「と言いますと?」
「えぇと、禁則にかかるからこれ以上のことはあまり言えないけど」
そういう前置きとほんの数秒の間を置いてから朝比奈さんはこう続けた。
「あなたは気付いているはずです。それに素直になれば……きっとうまくいきます!」
それだけ言うと朝比奈さんは俺の目をじっと見つめた。
いつになく強い眼差しだ。
今回ばかりはよくわからないままだったが俺は一応頷くことにした。
「わかりました。そうしますよ。素直になればいいんですよね?」
「はい!」
朝比奈さんはさっきまでの張りつめた表情を消し、聖母マリアを彷彿させる笑顔を見せた。
聖母マリアなど会ったこともないが、朝比奈さんなら聖母くらいにはなれるだろう。
いや是非なってもらいたい。俺だけの聖母に。
はい妄言妄言。
今度はそんな俺と朝比奈さんのやりとりを冷ややかな目で見ていた古泉が話しかけてきた。
「僕からも一言、よろしいですか?」
「別に構わんが」
それでは、と逐一恭しげな態度を取りながら古泉は続けた。
「今回ばかりは、前回の方法ではうまくいきませんよ。朝比奈さんの言う通り、どうか自分に素直になってください」
しつこいなこいつも。
「わかったわかった。素直になればいんだろ?」
「はい、そうです。それと、」
古泉はやはりニヤケ顔で、
「真面目にやってくださいね?」
と、宣った。終始ニヤケ顔で素直にとか真面目にとか言われてもな。
まあそれでも俺は頷いてやった。
古泉の顔が一瞬曇ったような気もするが、気のせいだろう。
俺はその間ずっとハルヒを見つめていた長門に声をかけた。
「それじゃあ長門、そろそろ頼む」
長門はミリ単位で頷くとそれと同時に高速で呪文を唱え始めた。
俺の視界は一瞬で暗黒に染め上げられる。
TPDDみたいに吐き気とかは催さないようだな、とか考えてるといきなり頭の中に長門の声が響いた。
『これからあなたを涼宮ハルヒが構築した世界のあなたの異次元同位体と同期させる』
異次元同位体? あっちの俺のことか?
『そう。あちらに着いたらあなたはあなたの家で目が覚める。その後はあなたの好きなように行動して』
て、俺の考えてることがわかるのか?
『そう。今はあなたの精神及び魂と連結し、処理りしている。だからわかる』
……そうか。
『そう……やはり、あなたは素直になるべき』
いきなり何だ? お前にまでそういわれるとはな。俺はそんなにひねくれ者か?
『そうではない』
なら一体なんだってんだ?
『あなたはあなたの意思を押さえている。私にはそれが何なのかよくわからない。でも、』
でも?
『それはあなたにとって、涼宮ハルヒにとって、とても大切なもの。恐らく、それがあなたと涼宮ハルヒの鍵になる』
鍵? なんだそりゃ?
『わからない。私にとってそれはエr…』
そこで俺の意識は途切れた。

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最終更新:2020年03月12日 16:26