【時のパズル~迷いこんだ少女~】
第1章 『困惑の火曜日』
あたしは激しく転げ落ちた。
どたんっ! と思い切り強くお尻を打ちつける。
「っ……痛ったいわね……」
涙目になりながら顔をしかめたが、一瞬何が起こったのか判らなかった。
左手で体を支えつつ痛むお尻をさすったが、幸い絨毯がクッションになってくれたのか大した痛みではない。
絨毯?
あたしはきょろきょろとまわりを見回した。
絨毯にお気に入りの家具たち、ハンガーに掛けられたセーラー服。見慣れたあたしの部屋だ。
そして視線を下げて自分の格好を確かめる、パジャマ姿だ。
「……夢?」
あたしは真横にあるベッドに目を向けた。
眠っていながらも咄嗟にしがみついたのだろう、シーツや掛け布団がベッドの下にずり落ちていた。
「なんだ……夢だったの?」
あたしは自分の寝ぼけ具合に苦笑し、それからなんとなく唇に手をやった。
随分とリアルな夢だった。まだ感触がありありと思い出せるようだ。
「なんで……あんな夢見たのかしら……」
だんだんと恥ずかしさが込み上げてきた。
まるで、5月の時に見たあの不思議な夢並みに恥ずかしい!
いや……今回は十分常識的な範囲で考えられる分、余計に恥ずかしいじゃないの!!
赤面しながらばたばたと足を振って悶絶するあたしに、階下から声が上がった。
「ハルヒー早く起きなさーい! 遅刻するわよ!!」
机の上の時計を見ると、もう登校時間ぎりぎりの時間になっていた。
「やばっ!」
慌てて床から飛び起き、パジャマを脱ぎ捨て、制服に着替える。鏡を覗き寝癖がないことを確認して、手早くブラッシングしていつもの髪型にする。
身支度を終わらせ部屋を飛び出したのも束の間、階段を急いで下りて台所に顔を出す。
「お母さん行ってくるわね!」
「朝ご飯は?」
「時間が無いからいいわ!」
あたしは叫ぶようにそう答え、慌しく家を出た。
余裕無く教室に着いたあたしだが、全力ダッシュのおかげか本令前ぎりぎりセーフでなんとか遅刻は免れた。
息も絶え絶えなあたしに岡部は呆れてるような視線を向けたが、あたしは無視した。
「ぎりぎりだったな」
前の席のキョンが振り返り気味に、ぼそっと話しかけてきた。今朝見た夢のこともあり妙に気恥ずかしかったので、「うるさいわね」と返しておいた。
朝のショートホームルームも終わり、間を空けずに岡部と入れ替わりに地学の教師が教室に入ってきた。
教師が教壇に立ち教科書のページを指示したところで、あたしは気付いた。
「あれ? なんで地学なのよ?」
「どうしたんだ?」
キョンが聞いてきた。
「一時間目って英文読解(リーダー)じゃなかったっけ?」
「あ? 『火曜日』の一時間目は地学だろう?」
「火曜? 日曜の次は月曜でしょ?」
キョンは『どうしてそんなこと聞くんだ?』、という顔をした後で言った。
「ああ、それで月曜日の次は火曜日だ。ハルヒちゃんと起きてるか?」
「お、起きてるわよ……」
「もしかして教科書忘れたのか? だったら隣の奴に見せてもらえ」
そう言うと、あたしとキョンの会話を聞いていたのか隣の席の豊原が、静かに教科書を私のほうに寄せてきてくれた。
「あ……ありがと……」
とりあえずお礼を言ったが、あたしの頭の中には疑問符が飛び交っていた。
そして筆入れとルーズリーフを用意しようと思い鞄の中を見た時、あたしの疑問は爆発した。
な、なんでよ!?
そこには地学の教科書が入っていたからだ。
いつ入れたのだろうか?
いや、それは判っている。昨日の晩だ。今日の授業の用意をするのは昨日の晩に決まっている。
だけど、月曜日の時間割にない地学の教科書をなぜ用意したのであろうか?
あたしは首を捻るばかりだった。
二時間目も火曜日の時間割通りの教師がやってきた。
それにあたしの鞄の中には1限の分だけでなく、火曜日の用意がしっかり入っているのだ。
つまり今日は本当に火曜日。
でもそれを認めるとすると、あたしの月曜日の記憶が無いってことになる。
どうして?
実は月曜は24時間熱かなんかで寝込んでて、朝起きたら火曜日だったとか……。
いや、幾らなんでもそれは無理がある。もしそうなら、朝に家族がそれなりの反応をみせただろうし、第一鞄の中に火曜日の準備がしてあった理由がそれでは説明できないわ。
だって、日曜日にはちゃんと月曜日の授業の用意をしてから寝たのだ。それはちゃんと覚えている。分からなかった。
どう考えても日曜日寝て起きて今日になったとしか思えないのだ。
「ねえ……」
それでも一応確認しようと思い、あたしは前の席のキョンをつついてみた。
「なんだ?」
キョンは首のみを振り返らせ、あたしの方を向いた。
「変な事聞いていいかしら?」
キョンは訝しそうにしながらも聞いてきた。
「変な事って?」
「昨日さ、あたし……学校に来た?」
間が抜けた質問だと自分でも思うがキョンは……
「勿論来たぞ」
「ほんとに?」
「ああ。それがどうかしたのか?」
キョンは頷いた。とても嘘を付いてるような顔には見えない。
記憶喪失? あたしの頭にそんな単語が思い浮ぶ。でも他の記憶ははっきりしているのに、昨日の記憶だけを綺麗さっぱり忘れてしまうなんて事があるのだろうか?
頭でも打ったとかならまだしも、そんな覚えは全く無いのに。
あっ、頭打ってたら覚えてないのは当たり前か。
そういえば心なしか後頭部もずきずきするような気もする。
「ねえ? 昨日あたし学校に来てどんな事をしたか覚えてる?」
「ほんとに変な事だな。大丈夫か?」
「いいから答えなさい!」
「わかったよ。そうだな……ん? そういや……いや……でもな~」
「なんなのよ?」
あたしがじとっとした目で睨むと、キョンは案外素直に白状した。
「いや……昨日なんかこそこそやってるようだったんだけど、俺は分からなかったからさ」
「こそこそって何よ?」
「だから、それがわからないんだって」
至極最もな意見である。……キョンの癖に。
「でも、それ以外は普通だったぞ。授業もすべて受けてたし、団活もしたしな」
「ほんとに?」
「ほんとだ」
「昨日あんたの家に行ったりはしなかった?」
「いや来なかったぞ」
その言葉を聞いて、再びあたしは今朝の夢を思い出し恥ずかしくなってしまい俯いた。
キョンは多少は不審に思ったようだが、そこで会話は終わった。3時間目が始まったからだ。
結局六時間目終了時まで、火曜日の時間割のままで授業を終えた。
当番の教室掃除をしている間、あたしは半ば上の空だった。
この頃には、あたしは不承不承ではあったが、『今日は火曜日』と認めていた。認めざるを得ない。
誰に聞いてもそう言うし、昼休みにはわざわざ図書館で新聞を調べても、その日付は火曜日だった。
だから、それはもういい。問題は、ではなぜ昨日の事を覚えていないのかだ。
昨日何があったのか、自分が何をしていたのか、その時はあたしは正直わくわくしたものを感じていた。
多少気味も悪かったが、一日分ぐらいの記憶がなくたってそう支障はないだろう。
悩んで解決できる事ならまだしもそうではないでしょうし、悩むだけ無駄だ。
そう思い切ってしまったあたしはすっかり気持ちを切り替えた。