放課後の教室。
谷口が慌てた様子で話し掛けてきた。
「キョ、キョン…ちょっと耳貸せ…!」
なんだコイツはいきなり。
俺は壷でも売りつけられるのか。
「……い、今、涼宮を出せってヤツが来て…」
俺の耳に近寄ると小声で谷口はそう言った。
何故、俺にその話をする。
俺はハルヒ宛の伝言板じゃないぞ。
「…本人に言え、直接」
「い、いや…それが…」
谷口が指差した方向を見やる。
…そこには明らかにガラの悪そうな二人組が居た。
……あんな奴等、北高に居たんだな。
谷口が躊躇したのも分かる。
…ハルヒと会わせた日には、間違いなく問題が起こりそうだ。
俺がどうしたものかと迷っていると後ろからハルヒが声を掛けてきた。
「あんた達、なにヒソヒソと人の名前呼んでるのよ?」
「す…涼宮…!」
どうでもいいがビビりすぎだぞ、谷口。
「何? あたしに用事があったんじゃないの?」
「いや…そ、それが…」
谷口が二人組を見る。
「……ははーん…そういうコト」
それだけでハルヒにはどういう事か分かったらしい。
…妙に慣れてるなコイツ。
「いいわ、あたしを出せっていうんでしょ?」
それだけ言い残すとハルヒは教室を出て、二人組の方へ歩いていった。
…やれやれ。何か問題があるとマズイからな。
…一応、見といてやるか。
ハルヒと二人組が何やら話している。
…いや、ハルヒはほとんど口を開いていないか。
二人組の内の、特にガラの悪そうなヤツが一方的に喋っている感じだ。
ハルヒは黙って聞いている。
その内、話していた男がハルヒの肩に手をかけた。
…ずいぶんと積極的なヤツだな。
何か因縁事でもあるのかと思ったが、どうやらそっちの話では無いらしい。
ハルヒが男の手を払う。
かと思えば、ハルヒが何かをまくし立て始めた。
あれは十中八九、悪口だな。
その口がはっきり「バカ」と動いているのが見えた。
…可哀想に。あれだけ至近距離でマシンガン罵倒されたら立ち直れないかも知れん。
ガラの悪い男はぷるぷると震えている。
…よっぽどショックな事を言われたんだな。分かる、分かるぞ、その気持ち。
ハルヒは興味を無くしたのか、こちらを向き、教室に戻ろうとする。
「てめぇ! 待てよ涼宮ッ!」
そのハルヒの手を、震えていた男が捕まえた。
「なんなのよ、あんたっ!」
ハルヒが叫び、もがくも、男は完全にアタマに血が上っているようだ。
ハルヒの腕に男の爪が食い込んでいるのが見えた。
…いくら何でもやりすぎだ。
……やれやれ。またか。また俺も巻き込まれるのか。
…まぁ、見た目にもあまりよろしく無いしな。
それに放って置けば、ハルヒがどんな逆襲に出るか分からん。
……俺はハルヒを助けるんじゃないぞ?
…男の方を心配してやってるんだ。
そう考え、俺が教室を出ようとしたその時、事件は起きた。
ハルヒが男の手に噛み付いた。
「痛ってぇッ! このクソ女ッ!」
男が痛みにハルヒを離す。
「ナメてんじゃねぇよ、てめぇッ!」
男が再びハルヒを捕まえようと手を伸ばした時、ハルヒが素早く体を屈めた。
男の手はハルヒの頭上を通過し、目標を失った男はバランスを崩す。
男がハルヒに覆いかぶさりそうになったかと思うと、ハルヒが凄まじいスピードで体を捻った。
ハルヒの上履きがキュッと小気味いい音を立てる。
そうして。
ハルヒは、男のアゴ目掛けて、伸び上がるようにその脚を振り抜いた。
「がふっ!」
蹴られた男が派手に吹き飛ぶ。
…後ろ回し蹴り。
……あまり見れるもんじゃないな。
特に学校では。
「…あ。マズイ」
男が吹き飛ばされたその先、そこには窓ガラスがあった。
ガッシャーンッ!!!
男の背中が勢いよくぶつかったかと思うと、ガラスが派手な音を立てて砕け散った。
…おいおい。
ここは三年B組じゃないぞ。
「…また派手にやったな」
「あたしのせいじゃないわ。そこの男が勝手に吹き飛んだのよ」
俺がハルヒに話しかけた時、すでに彼女は涼しい顔をして、制服の乱れを直していた。
気付けばもう一人の男は逃げてしまったらしく、姿形も見えない。
ずいぶん薄情なお友達をお持ちだな。
吹き飛ばされた男を見れば、完全に伸びている。
その顔にはくっきりと靴跡が浮かんでいた。
……ハルヒ、恐ろしい子…!
「…どうするんだこれ?」
「知らないわよ。ソイツが勝手に転んだコトにしとけばいいんじゃない?」
いくら何でも無理があるだろ。
「何をやっとるか貴様らーっ!!」
音を聞きつけたのか生活指導の木戸が飛んできた。
…マズイな。木戸は生徒を頭ごなしに叱り付けるので有名だ。
「なんだこれはっ!」
木戸は割れた窓、辺りに飛び散ったガラス、伸びたガラの悪い男を見るとそう叫んだ。
「やったのは貴様かッ!?」
木戸が俺の首根っこを掴む。
…コイツは本当に人の話を聞く気が無いな。
「ぐっ…いや…俺は…」
「…先生。違うわ。やったのはあたしよ」
俺が答えに窮しているとハルヒが木戸に進言した。
「何ぃ…? キサマか涼宮ッ! ちょっと生徒指導室まで来いッ!」
「…えぇ」
ハルヒは伸びた男を一瞥すると、大人しく木戸に付いて行く。
俺はその背中を見ながら、何だか胸がモヤモヤしていた。
………なにか違う。
…ハルヒは…まぁ悪くないとは言えないが、ハルヒだけが悪者って訳でもないだろう。
…かと言って、木戸に何かを言った所で、変わりそうにない。
………今思えば、俺もアタマに血が上っていたのかも知れない。
気付けば廊下の隅に置かれた消火器を手に取り、手近な窓ガラスに叩き付けていた。
ガッシャーンッ!!!
先程に負けず劣らずデカい音が校舎に響き渡り、窓ガラスは粉々に砕ける。
…手が痺れた。
「き、き、貴様ッ! 何を考えとるかッ!!!」
「…キョ…キョン…?」
派手な音に、木戸とハルヒが振り返り、俺を見ていた。
木戸は血管が浮くほどプルプルと震え、怒り心頭といったご様子だ。
ハルヒはと言えば、口が開くほどに驚いている。
「…いえ、そこに1メートルクラスの馬鹿デカい蚊が居たもんで」
「バ…馬鹿もんッ! お前も生徒指導室に来いッ!!!!」
そうして。
生徒指導室でたっぷりと絞られた後、俺とハルヒに下された判決は停学3日という、とてもありがたいものだった。
「…なんであんなコトしたのよ?」
生徒指導室から開放され、帰ろうとしていると、ハルヒが俺に聞いて来た。
「…別に。お前だけが悪いって訳でも無かったからな」
「…それとあんたがやったコトと、何の関係があるワケ?」
「…何の関係も無いな」
「………ぷっ…くっくっ……あははっ! あんた馬鹿じゃないのっ?」
ハルヒが笑い出したかと思うと、俺にそう言った。
…言うな。俺もそう思ってるんだ。
「ま、いいけどね。あたしも一人で停学なんて、つまんなかったし。いい道連れが出来たわ」
「…お前が何を考えているのか知らんが、俺はバイトだぞ」
「…バイト? あんた、バイトなんてしてたっけ?」
「ガラス代だ」
過失ならともかく、俺がやったのは間違いなく故意だ。
しっかりと学園からガラス代を請求されるだろう。
それを親に払わせるのは忍びない。
「…ふーん…そっか。バイトか。いいわね! 面白そう、あたしも一緒にやるっ!」
「…本気か?」
「あったりまえじゃない! 停学っていったって謹慎ってワケじゃないんだしっ!」
…普通、停学と謹慎はイコールだぞ。
…ま、いいけどな。
そうして俺とハルヒは何のバイトをするか相談しながら家路につきましたとさ。
めでた……くねぇな。ねぇよ。
完