このお話は、教科書文通の設定や紆余曲折を引き継いだ後日談になります。

オリキャラ(山田)や古長が苦手な方はご注意願いいたします。

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「……古泉、俺正直この言葉大嫌いなんだけど、今日ばっかりは言いたくなったわ。ごめん、言わせて。」

 挨拶より先にこう切り出した山田くんが妙に生ぬるい笑みを湛えながら発した次の言葉に、僕は持っていた小さな箱を落とした。

「しね。」

 中に甘い菓子類が入っていると見えるピンク色のリボンがかわいらしい箱は、僕の机の上にいつの間にか積まれたものの一つであり、 少なくとも僕が登校してきた時には似たような箱や袋が5つほどあった。おそらく、中身も皆同じようなものだろう。そういう季節だ。

「ちょ、なんですか。おはようより先にしねってなんですか。」

「そうだな。死ねは言いすぎた。やっぱこの言葉嫌いだ。うん、言い換えよう。往(い)ね。」

「意味変わってないですよ、それ! 古語になっただけじゃないですか!」

「ほら、今日の1時間目古典だし、小テストだし、勉強なんてしてねーし。」

「最後のひとつ明らかに関係ないでしょうが。って、なんで僕が死ななきゃいけないんですか!」

「なんでお前ばっかりこんなにチョコ貰ってんだよ! ムカつく!!」

 

 今日、2月14日は聖ヴァレンタインディである。 一体だれが決めたのか、日本では女性が意中の男性や、日頃世話になっている相手に男女問わずチョコを贈る日だ。 女性が意中の男性に贈り物をするなんていうのは、日本の他には僕が知っているのでは韓国ぐらいで、 向こうでは、14日にチョコレートを貰えなかった男たちが黒いジャージャー麺を啜るブラックディなるものもあるらしい。 なんでも、ホワイトの逆はブラックだかららしいのだが……そんなことをやるほうが余計惨めになると思うのは僕だけだろうか。

 お隣の国の話はさておきとして、今日はヴァレンタインデイである。 今では、女性が友人や自分自身に高価なチョコレートを買い与える日としてのイベント性の方が高いといわれている行事だが、 それでも、女性から好意を寄せる男性に贈り物をする日と言う本来の機能はちゃんと残っているらしい。 今日、この9組の教室に来るだけで何人かの男女がチョコレート贈呈の儀を取り行っているのを見かけたし、 何より、あの涼宮さんが今朝が早くにチョコを“彼”にちゃんと渡せるかというかわいらしいストレスに苛まれ、 閉鎖空間を発生させて、僕は5時起きでその処理に向かってその足でこの北高へ続く心臓破りの坂を駆け上がってきたのだから。 

 ……なんでこんな日に限って日直なんですか。あー、閉鎖空間発生を理由に公欠とか取れればいいのに。無理に決まってるけど。

 くどいようですが、今日はヴァレンタインである。 僕だって、去年の晩夏から秋にかけてのすったもんだの紆余曲折の末に結ばれた恋人がいる身としては、楽しみにしていたイベントだ。 今年は何と! 長門さんから……

「世の中不公平だ!」

 山田くん、僕のモノローグ遮らないでください。 

「このクラスの学力レベルはトントンのはずだ。多少の上下はあっても大きなもんじゃねぇ。
 おまけに、運動神経に関しちゃ現役野球部員の俺と謎の文化系サークル所属のお前とでは明確だ。
 まぁ? お前も文化部にしちゃ相当なもんだけど? しかーし! 100メートルのタイムは俺の方が速い!
 性格だって、俺が完璧じゃないようにお前だって完璧じゃないはずだ! 大雑把だし、卑屈だし、偏食だし……。
 大体、こーんな字を書くやつが聖人君子なわけがない! なんだ、これ、宇宙文字か。
 本当にガッコのセンコーってのはすげぇな。これを毎回採点してんのか……。尊敬するわ。」

「そんなことを言われましても……これでも、まだましになったんですよ。」

「確かに、長門と付き合いだしてから随分丁寧に字を書くようにはなったが……、
 それでもお世辞にもうまいとは言えんぞ、これ。ミミズが這ったというか、なんていうか。」

「……で、結局、何が仰りたいんですか。」

「俺が何を言いたいかだって? そんなの簡単だ。俺が言いたいのはな……」

 僕が書いていた日誌を覗き込みながら、失礼なことを(しかし、悔しいことにすべて事実)をつらつらと述べる山田くんは、 もう一度、視線を日誌から僕の方へ向けて、大きく息を吸ったのち、こう言い放った。 クラス中に響き渡るような大声で。ズビシィッと僕を指さして。

「なんで、お前ばっかりこんなにモテるんだぁあああ!!!! 顔か、顔なのか!?」
 
 人を指ささないでください。あと、顔、顔って言わないでください。気にしてるのに。 

「知りませんよ。第一、ホントにこれ、全部僕あてとは限らないじゃないですか。
 誰かの机と勘違いしてるんじゃないですか? ロッカーに入ってたのも、隣の人と間違えたとか……」

「お前のそういう卑屈なところがむかつく!」

「卑屈って……。去年もそうでしたけど、これ、ほとんど知らない人からばっかりなんですよ。
 隣のクラスとか、知りませんもん。上級生とか、一年生のとかもありますし……やっぱり間違い……」

「お前のそういうとこ本当に腹立つ! 自覚しろ! お前の顔は平均以上なの!
 自意識過剰な奴もムカつくけど、お前みたいな顔良いくせに無自覚で卑屈なのも問題だ!」

「あー! もう! そんなカッカしないでください、たかがチョコレートで!」

「今、たかが、たかがって言った――――!!」

 ……もういい加減、この人うざくなってきた。いや、基本的にものすごくい人なんですけど。 谷口くんをあまりよく扱わない“彼”の気持ちがほんの少しわかった気がする。 

「大体、恋人がいる身で他の女性からヴァレンタインに贈り物をされても困るだけじゃないですか。」

「うおう! その発言もムカつく! って、そりゃそうか。
 長門にも申し訳ないし、相手の女の子にも申し訳ないわな。」

「直接渡しに来て下さる方に対しては、きちんとお断りできるんですが、
 このように置かれてしまうと、せっかくの贈り物を捨てるわけにもいかなくて……」

「まぁなぁ。モテんのも、考えもんだ。……俺には一生関係ない悩みだけどな。」

「今日はまだ、始まったばかりですよ。もしかしたら、チョコレート頂けるかもしれないじゃないですか。」

「ま、期待せずに待ちますよっと。」

 新学期早々行われた席替えで僕の前の席になった山田くんはそう言うと、 どっかと自分の席に腰かけたのち、椅子ごと振り返ってまた話し始めた。 時々、この人はSOS団所属の女性陣達よりおしゃべり好きなのではないかと疑ってしまう。

「ところで、古泉。肝心の長門からはもう貰ったのか?
 あいつ、世間知らずっぽいからヴァレンタイン知らない、って言われてもおかしくないぞ。」

「ああ、その点は大丈夫ですよ。去年、SOS団の企画でチョコレート発掘をしましたから。
 ……それに、今日は……」 

「チョコレート発掘?」

「え? ああ、涼宮さんが考えたイベントですよ。鶴屋さん……SOS団の名誉顧問の上級生の方なのですが、
 その方のおうちが所有している山にお3方特製のチョコレートケーキを埋めて、
 それを、“彼”と僕で発掘するというゲームです。」

「……またけったいなことを……」

「否定できません……。」

 乾いた笑みを貼りつかせる僕とは対照的に山田くんは、ニタニタと話を続ける。

「で、話をもどすが、お前、長門からチョコ貰ったわけ?」
 
「まだですよ。しかし、今日のほうか……」

「そうか、部活の時に渡すわけか。」

 この人と谷口くんは、人の話を最後まで聞くスキルを手に入れるべきだと思う。

「いえ、今日は涼宮さんと“彼”が放課後デートに行かれるそうなので団活はお休みです。」

「じゃあなにか! お前らは恋人なのにもかかわらず、会いもしないというのか!」

「いいえ、ちゃんとお約束していますよ。今日の放課後に、長門さんのお家にお邪魔することになってるんですよ。
 晩御飯をご一緒する予定なんです。僕が一人でいると何食べてるか心配だからって……。」
 

 やっとこさ(朝、山田くんと会ってからもう2度言い損ねた)言えたこの事実に、目の前の丸坊主は白目をむいて驚いている。 ちょうど、一昔前の少女漫画のキャラクターが人差指と小指をピッと立てて「こわい子!」と言っている絵柄を想像してほしい。……ちょっと、驚きすぎだと思う。

「お邪魔するって、長門ん家にか! しかも、夕飯時に!?」

「だから、そう言ってるじゃないですか。」

 この人は、いったい何に対してこんなに驚いているんでしょう。僕が頭を少し傾けると同時に、坊主頭はこう叫んだ。

「お前、つまりそれは、長門の親御さんに挨拶するということだぞ!!」

 よし、情報を確認しましょう。 普通、よほどのことがない限り高校生は家族と暮らしている。 勿論、山田くんも妹さんを始めとするご家族と暮らしている。その感覚で言うと、

彼氏が夕飯時に彼女の家に行く=彼氏を両親に紹介する=家族ぐるみのお付き合い≒結婚前提のお付き合い

と、言う公式が出来上がる。彼女が彼氏の家に行く場合でも同じだろう。 普通の、一般的な一高校生からすれば、一大事だ。 しかし僕たちの場合、二人とも一人暮らしなのでそういう話にはならないだろう。

 ところで、長門さんの親御さんと言えば情報統合思念体だけれど、 長門さん的に言えば、情報統合思念体は、はたして、お父さんなのかお母さんなのか。謎だ。 そもそも情報統合思念体には、僕と長門さんの関係なんか筒抜けだろうし、どんなふうに思ってるのか気になる。 

「3ヶ月以上経っても、初々しく仲がいいと思っていたらもうそこまで進んでたのか!?」

「落ち着いてください。まだ僕は長門さんの親御さんに挨拶はしませんよ、筒抜けみたいですけど。
 それに、長門さんは僕と同じ一人暮らしで……」

「なにぃ!? 一人暮らしぃ!?」

 こ ま く が い た い。

「若い男女が、夜に一つ屋根の下に2人きりだとぉ!? お前、夕飯と一緒に長門まで頂く気……」

「あなたの頭には、おピンクな展開予想しかないんですか!! と、言いますか、声が大きい!」

 僕がつっこみを入れたところでチャイムが鳴り、それと同時に担任教師が教室に入ってHRを始めたため、 この会話はここでいったん中止となった。 

 しかし山田くんは隙あらば、やれ、早まるな、うぶなお前にはお前にはまだ早いだの、やれ、初めては優しくだの、 やれ、買うのが恥ずかしくとも用意するのが嗜みだの、下世話なことばかり吹き込んできた。 例え、それが昼食時の学食でも、隣り合ったトイレでの会話でも、放課後の下駄箱前でもだ。勘弁して下さい。

 あれ? この人こんなにうざい人だったっけ? 

                                 ☆★☆


「ダーッ! そんなことばっかり言われてると考えがそういう方向に向いちゃうじゃないですかー!!」

「そういう方向ってどういう方向?」

「ええーと、あははは、なんでも! なんでもないんです!」

「……そう。」

 ひっそりとした街灯はあれど日が落ちて薄暗い、人通りの少ない長門さんの住むマンションへと続く道に響く声に我に返る。 今はもうすでに放課後。僕は、下世話な友人と下駄箱前で別れてから、校門で待ち合わせをしていた長門さんと合流し、 帰り道、何か所か長門さんが寄りたいと仰ったお店を冷やかして(最近、長門さんは買物の楽しみに目覚めたらしい)、 最後に、長門さんのマンションの近所のスーパーに立ち寄り夕飯(勿論、カレー)の材料を購入し、 今現在、約束通り、長門さんのお宅へと向かっていた。勿論、ジャガイモや玉ねぎなどの重い食材の入った袋は僕が持っている。 ちなみに、そういう方向とは、そういう方向である。長門さんに言えるはずがない。

 長門さんに言えないことはそれだけではない。正直に言おう。僕は今日一日、長門さんを幾度となくそういう目で見てしまった。 セーラー服の襟から伸びる白い首、彼女がショートカットであるがゆえに見えるうなじ。小柄な体、細く、白い脚……。 なにより、うっすらグロスが塗られている控え目で派手ではなくともふっくらしていそうな、薄紅色の唇にどうしても目が行ってしまう。 そういえば、手をつなぐのにも2ヵ月かかった僕らは、キスすらしたこと無かったな。どんなのなのかな、やはり、甘いのかな。 などと、考え始めると、思考が長門さんの唇の方へ向いてしまい、そのせいで彼女の話を聞きそびれて、拗ねられてしまった。 すぐに仲直りできたのが幸いだ。……僕が、いきなりキスしましょうなどと言ったら、長門さんは僕に失望するだろうか。
 
「古泉一樹。」

「はいい!!?」

 急に彼女に話しかけられびっくりする。よもやまさか、この下心丸出しの心でも読まれたのではないかと、ひやひやする。

「着いた。」

 長門さんの言葉につられ、ゆっくりと見上げるとすぐそこに長門さんが住む高級マンションがあった。 何度見ても僕のところのボロアパートとはけた違いだ。情報統合思念体の収入源ってなんなんだろう。……情報操作?

「急いで。日が暮れる。」

「は、はい!」

 長門さんに急かされてエントランスに入ると、計ったようにエレベーターが一回に着き、僕たちはそれに乗り込んだ。 エレベーター内には、僕と長門さんの2人きりだ。今更になって、緊張してきた。 長門さんのお宅には、SOS団のメンバーとお邪魔したことがあるが、僕だけでは初めてである。 しかも、今現在の僕らの関係を考えると、なおさらに緊張する。 いいんですか、長門さん。男は狼なんですよ。やっぱやめたって言うなら、今のうちですよ。 あ、何か自分で言ってて悲しくなってきた。本当に拒否されたら、立ち直れないかもしれない。 

 ばくん、ばくん。心臓の音だけが響く。 

 もともと無口な長門さんと、普段はおしゃべりなくせにこういう時は何も喋れなくなってしまった僕。 二人を乗せて、エレベーターは黙々と上階を目指す。沈黙と心臓の音が耳に痛い。意識しすぎだ。

 僕の視線は、また、長門さんの唇を追っていた。キスというのは、いったいどんな味がするのだろう。 誰の唇でもいいわけじゃない。僕は長門さんの唇が知りたい。どんな感触がするのか、どんな味がするのか、自分の唇で確かめたい。 初めてのデートの際の、オールドファッション間接キスを思い出して、脳味噌が沸騰しそうになった。 

 ああ、なんでこんな時に限ってそういうことを思い出すんだ。邪念を、邪念を捨てろ、古泉一樹! 

「古泉一樹。」

「はいい!!?」

 さっきから黙り通しの僕を不審に思ってか、怪訝そうな顔をした長門さんが、エレベーターの出口で僕を待っている。 気がつけば、エレベーターはもうすでに僕らを長門さんの部屋のある階まで運んでいた。 両手に持ったスーパーの袋を持ち直し、覚悟を決めなおし、僕はエレベーターの個室を出る。 あくまで、紳士に。下心を捨て去って。そう言いつつも僕の眼は、確実に長門さんのつややかな唇を追っていた。

「どうぞ。」

 ガチャリというドアの開閉音の後に、勧められて入った長門さんの部屋は暗い。 他に誰もいないことが今更ながらに、思い知らされる。このある種の閉鎖空間に長門さんと二人きり……。 

 いけないいけない! 不埒なことを考えるな! 古泉一樹! キスは神の前で誓いのそれを! 操は結婚初夜! ああ、結婚だなんて、気が早すぎる…… 

「お邪魔します……」

「いらっしゃい、それとも、お帰りなさいがいい?」

 お願いですから、そこで微笑まないでください。 おまけに冗談でもお帰りなさいって、そんな、変な妄想しちゃうじゃないですか。ああ、長門さんに下心なんてないんだろうな。 おそらく、涼宮さんか朝比奈さん、もしくはクラスの誰かに入れ知恵されただけなんだろう。 長門さんはやっぱり、こんな風に見られているなんて想像もしてないだろう。 僕だけが一人舞い上がって恥ずかしいやら、申し訳ないやら……。 

 ああ、でも、長門さんが奥さんかぁ……かわいいだろうなぁ。ご飯は……毎日カレーかなぁ。それでも、幸せかもしれない。

 僕がそんな不埒な妄想に取りつかれていた次の瞬間、大事件が起こった。長門さんが、こんなことを言い出したのだ。

「待って、古泉一樹。」

 未だ、キスもしていない、手をつなぐにも2ヵ月かかった彼女がいる身であることを想像した上で、僕の気持になってください。

「このようなシュチュエーションにおいて、前々からあなたに言ってみたいセリフがある。」

 その、未だキスもしていない、手をつなぐにも2ヵ月かかった彼女からこんな風に前置きされて、

「試してみても、いい?」

 と、聞かれた場合、Yes、と答えるしかないでしょう。たとえ、その言葉がどのようなものであろうとも。 僕だって一瞬、考えましたよ。別れ話じゃないかとか、実は長期間をかけたドッキリでした、じゃないかと。 

 しかし、次のセリフは、それ以上の破壊力がありました。ええ、テポドン級ですよ。長門さんは、こう仰ったのです。

「お帰りなさい、あなた。ご飯がいい? お風呂がいい? それとも、わ・た・し?」

 言われた瞬間、僕の中の何かヒューズのようなものが切れる音がして、一気に世界が暗転しました。 え? 理性を捨てて、彼女を頂いたのかって? 僕にそんな度胸があるとお思いですか? あまりのことに、驚き、喜び、興奮し、高揚し、テレまくった挙句、脳がショートして気絶しました。

 次に目が覚めたのは、朝でしたよ。 チョコレートの代わりの長門さん手作りカレーを朝食にして、2人で学校に向かう為マンションを出た際に、 ばったり出くわした山田兄妹と谷口くんにからかわれたのは、もう思い出したくありません。

「古泉、あとでちょっと体育館裏来い。」

 おや、“彼”からのお呼び出しのようです。いったい何事でしょう……?

<END>

 

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最終更新:2020年03月08日 21:04