三 章
 


 
 そんなこんなで、とりあえず会社という体裁は整った。作る人、売る人がちゃんと働けば会社は回る。だがSOS団にひとつだけ足りないものがあった。
「あー、みくるちゃんに会いたいわ。帰ってこないもんかしらね」
このところ、これがハルヒの口癖だった。これだけタイムマシン開発を豪語しているのだから、朝比奈さんからなんらかの接触があってもよさそうなものなのに。朝比奈さんはあれから未来に帰ってしまい、それからは音沙汰がない。たまにひょっこり帰ってくることもあるのだが。ハルヒへの説明ではスイスの大学院に留学していることになっている。
「こんにちわ、株式会社SOS団はこちらでしょうか」
ドアが開いた。来客も珍しく、誰がやってきたのかと全員がそっちを見た。
「みくるです。その節はどうも~」
会いたい願望が通じたらしい。さすがハルヒである。こいつにかかれば時間を越えようが空間を越えようが、逃げ切れるものではないな。
「これはこれは朝比奈さんじゃないですか。お久しぶりですね」
「キョンくん、みなさんもお久しぶり」
「……」
「あら、みくるちゃん。帰ってたんだ」
「お元気そうでなによりです」
「もう、ずっとずっと会いたかったわよ~」
ハルヒはひとまわりグラマーな体つきになった朝比奈さんに抱きついた。朝比奈さんは困った顔をして笑った。朝比奈さんの風体は、俺が知っている朝比奈さん(大)と同じタイトスカートと白のブラウスだった。左腕に金色のブレスレットもしている。もしかしたらあのときの朝比奈さんなのだろうか。
 
「どう?チューリヒ大学は。いい男捕まえた?」
「やだ涼宮さん、そんなことしませんよぅ」
「赤くなってるところを見ると、いい獲物がいたようね」
「ちがいますってばぁ」
未来に帰っても朝比奈さんは朝比奈さんだ。照れて頬が染まるところとか、そのままだな。
 スイスのお土産です、と小さな包みをくれた。俺が開けてもいいですかと言い終わらないうちにハルヒが早々と中身を検めている。
「キョン見て見て、金塊よ金塊。スイスゴールドよ!」
「ほんとかオイ」
「やだ、それチョコレートですよ」
なるほど、スイスといえば金塊チョコか。にしても、わざわざアリバイ作りのためにこんな高価なものまで、と苦笑めいた俺の表情を見てか、
「あら、ほんとにスイスにいるんですよ今」と俺だけに聞こえるように言った。
「えっそうなんですか」
「スイスのある研究所で働いてるの」
「へー。やっぱ時間関係ですか」
「スイスだけにね、ってちがうちがう」
手をぶんぶんと振る朝比奈さんのノリツッコミはかわいい。
「あとでちょっと話せます?」
俺は腕時計をさして尋ねた。
「ええ、時間は大丈夫です」
ハルヒたちがチョコを食ってる最中に抜け出して、俺と朝比奈さんは喫茶店に入った。
 
「ハルヒが今度は、タイムマシンを作ると言い出したんですよ」
「ええ。詳しくは言えないけど、わたしはそのために来たんです」
「ひょっとして、ハルヒがタイムマシンを作るのは既定事項なんですか」
「いいえ。涼宮さんは時間移動技術のはじまりに関わってる人の知り合いっていうだけで、開発に直接的には関わってないはずなんです」
「もし完成でもしたら、どうなります?」
「我々はそれを懸念しているんです。そんなことになったら時間移動技術に支えられている既定事項が崩れてしまうから」
「というと?」
「タイムマシンが完成する前にタイムマシンが完成したら、既定の歴史が混乱するの」
「ややこしいですね。あきらめさせたほうがいいですか」
「そうとも言えないの。涼宮さんの存在は時間移動技術に深く関係があるの。本人自身は関わらないけど、事が始まるための最初のポイント、と言えば分かってもらえるかしら」
「つまりハルヒがタイムマシン開発のスタート地点ということですか」
「そういうことね」
 
「朝比奈さんの役割は何なんです?」
「涼宮さんと、この会社の監視。時間移動の実験はいろいろと危険が伴うの。時空震もそのひとつだけど、そのための監視ね」
「ということは、しばらくこの時代にいるわけですか」
「そういうことになります。しばらくお世話になると思うけど、よろしくお願いしますね」
「もっちろんですとも」
俺は俄然やる気が出てきた。また朝比奈さんと一緒に過ごせる日々が訪れたんだ。
「いくつか質問していいですか」
「教えられることなら、どうぞ」
「ええと、あなたは高校時代の俺に会った朝比奈さんなんでしょうか。つまり、白雪姫の話をしてくれた?」
「あれはわたし。すべて終えてからここに来たの」
「それと、あなたの本当の歳は……教えてもらえないんでしょうね」
朝比奈さんは人差し指を立ててウインクした。
「禁則事項です」
相変わらず、この人の笑顔は男をときめかせる。
 
「忘れてました。朝比奈さん、いつだったか車に轢かれそうになった少年を助けたことがありましたよね」
「え、ええ」
「あの子とこの会社のつながりはあるんでしょうか」
「ええと、この会社自体が既定事項にないことなので本来は関係ないはずなんです」
「というと、今後つながりがある可能性も出てくるわけですか」
「なんとも言えないの。禁則事項ではなくて、わたしにはそういう未来は見えないから」
「というと?」
「歴史というのはいくつかの既定事項が重なって出来ているの。だからこの会社がどういう既定事項をたどるかで別の未来になってしまうの。別の道を進み始めた歴史はわたしには見えない」
相変わらず時間というのは難しいようですね。
「その少年の様子を見に行ってみませんか。あれから音沙汰ありませんし」
「わたしも気にはなっていましたから、行ってみましょうか」
 
 ハルヒには営業に行くと言い残して、二人で電車に乗って祝川駅まで出かけた。ハカセくんの家はハルヒの実家の近くらしいんだが、俺はどの番地なのかまでは知らない。先を歩いていく朝比奈さんは知ってるようだ。
 あのとき敵対するグループとやらに誘拐拉致までされたにもかかわらず、朝比奈さん(大)は俺たちがなにをやっているのか教えてはくれなかった。川べりからカメを投げ込んだ様子はどう考えても時間移動に関係のあることらしい。すべてが明らかになる日には、朝比奈さんの所属する時間移動の組織が生まれていて、それはずっと未来の話だろう。
 
 俺と朝比奈さんは東中学校の校区をうろうろ歩き、番地を確かめつつ住宅街をあちこちさまよった挙句、それらしき家にたどり着いた。
「朝比奈さん、いきなり尋ねちゃっても大丈夫でしょうか。怪しまれませんか」
「それもそうですね。こっそり様子見るだけにしましょうか」
二人で隣の家の壁に隠れて人の気配をうかがった。金融公庫と銀行の三十年ローンで買えそうな、ありきたりな一戸建てだ。
「誰もいませんね。住所は確かにここですか」
「ええ、記録ではそうなっています」
その場で十五分ほど見張っていたが、誰の出入りもない。二階の窓のカーテンは閉まったままだ。一階の掃き出しの窓は生垣の向こうでよく見えない。犬は飼っていないようだし、ちょっと忍び込んでみるか、なんて法に抵触しそうなことを考えていると、「あの、どちらさまでしょうか」突然背中から呼びかけられて俺と朝比奈さんはビクと飛び上がった。
「あの、いえ、なんでもないんですっ」
空き巣に入る算段をしているところを見つけられた泥棒になった気分だ。
「あ、もしかしてウサギのお姉さんですか?」
ずっと前に見た面影のある、少年と呼ぶにはやや歳を食っているかもしれない眼鏡の少年がそこにいた。ハカセくんだった。
「ハカセくん?だいぶ前に祝川公園でカメを渡した」
名前を知らないので俺たちの通称で呼んでみたのだが、少年は特に違和感のない表情をしていた。
「そうです。僕のあだ名ご存知なんですね」
ハカセくんは笑った。昭和の某漫画じゃあるまいに、いまどきハカセくんをあだ名につける子供もいないだろう。俺と同じく親戚の叔母さんか爺さんにでもつけられたのだろうか。
 
「ここじゃなんですし、ちょっと上がりませんか。今学校から帰ってきたところなんです」
「その制服、北高?」
「ええ、そうです。もしかしてOBの先輩ですか?」
「まあそうだ」
俺たちの後輩にハカセくんがいたなんて知らなかった。二人はハカセくんの案内で家の中に入った。ふつーにありそうな一般的庶民の雰囲気だ。調度品やら家具は俺んちの居間に似てなくもない。当たり前だがタイムマシンもなかった。
「ということは今受験生?」朝比奈さんが訊いた。
「ええ、そうです」
「どこを志望してるの?」
「いちおう、ここから通える国立なんですが」
ハカセくんは少しはにかんで答えた。へー、それはまた奇遇だね。俺は朝比奈さんを見た。
「これは偶然ではないですよね」
「どうかしら……」
朝比奈さんは考え込んでいるようだった。
「なにが偶然なんです?」
「俺はその大学のOBなんだ」
「そうだったんですか。もしかして涼宮姉さんもですか?」
「そうそう。ハルヒもだ」
あと宇宙人と超能力者もそうだが。
「ハカセくん、どこの学部なの?」
「いちおう物理学で素粒子物理を専攻したいと考えてるんですが」
朝比奈さんの耳がピクと動いた。
「あの、ヘンなこと聞いていいかしら。もしかして宇宙論とか時間論とか時間平面……じゃなくて時空構造論とかかしら」
「詳しくは知りませんが、たぶんそっちにも繋がるんじゃないかと思います」
 
朝比奈さんは腕組みをしてうーんと考え込んでいた。ハカセくんがお茶かなにかを用意しにキッチンへ引っ込んだところで、耳打ちした。
「朝比奈さん、どうかしましたか」
「あの、わたしが彼と話をしていること自体問題あるのかもしれないけど、この子が時間移動技術に関わるのは間違えようのない事実なの。でもこんなに早くから関わっていたとは思わなかったわ」
「ということは時間移動技術を知っている朝比奈さんが開発に関わってしまうということですか?」
「そこが問題なの。そういう歴史は知らないし、知らされてもいないの」
しばらく考えていた二人は、納得できるひとつの妥当な答えにたどり着いた。
「これはハルヒじゃないですか」
「もう、それしか考えられないわ」
「この際だから、ハカセくんをハルヒに引き合わせてみませんか」
「え、でもそれは……」
それはどういう結果を招くのか分からない、と確かに俺も思う。
「元々ハルヒが勉強を教えていたみたいですし」
「うーん……。こんな歴史はないはずなんだけど」
未来と通信しているらしき仕草をしていたが、困った表情で唸るばかりだった。未来にいる時間移動管理のお役人とやらも前例がないことへの対応を苦慮してるんだろう。
 
「最近会っていないんですが涼宮姉さんは元気ですか」
ハカセくんがお茶と羊羹をお盆に載せて戻ってきた。
「ああ、元気元気。もう元気すぎて空回りしてるよ」
俺は渋いお茶をすすりながら苦笑して言った。
「いいですね。あの人にはなにかしら人を巻き込んでしまう台風みたいな不思議なエネルギーを感じます」
俺はその台風と七年も付き合わされてるんだけどね、えへへ。
 
 俺はまだ意見を決めかねている朝比奈さんの様子を伺いながら、フライングを切った。
「そのハルヒなんだが、会社を作ったんだ。ハカセくん、よかったらうちでバイトしないか」
案の定、朝比奈さんが目を丸くして止めようとした。
「キョンくん、そんなこと言って大丈夫なの!?」
「ええ。ちょうど人手も足りなかったことですし、物理学に多少なりとも覚えのある人が欲しかったんですよ」
「いいですけど、どんな仕事なんですか」ハカセくんはちょっとだけ考えて答えた。
俺はできるだけ目を泳がせないように、ハカセくんを正視して言った。
「タイムマシン、を、作る」
ほとんど棒読みだった。その場の空気が摂氏四度くらいに急速降下して凍りついた。俺ってハルヒと付き合ってきて人との話し方を忘れてしまったんじゃないか。
「それ本気ですか?」
「本気も本気、猿並みに本気」
「いいですけど」
ボソリと呟いたハカセくんの目がキラキラしているのは気のせいだろうか。この目、誰かのに似てないか。
 
「どうやって作るおつもりですか」
「それもまだこれから考えるんだ」
「なるほど……」
「ハカセくんもなにかと物入りだろう。遊びに来てくれるだけでいいから時給出すよ」
「それは嬉しいお誘いですが、毎日は通えません。学校やら塾やらでいつも帰りが遅いですから」
「どうだろう、ハルヒが受験勉強の手伝いをするというのは」
「それなら助かります。たぶんうちの親も承諾するでしょう」
こういうとき、こっちの都合のいいように事を運ぶ知恵が働くのは俺の得意とするところだ。
「じゃあ、二三日中にハルヒから連絡入れさせるから」
「分かりました。よろしくお願いします」
ハカセくんがぺこりと頭を下げた。素直でいい子だよな。こういう貴重な人材は早めに確保しといたほうがいい。
 
 俺たちはお茶のお礼を言ってハカセくんの家を後にした。
「俺思うんですけど、朝比奈さんが知らない未来ってことはまだ既定事項じゃないってことですよね」
「そう、だと思うけど」
「ということは、ここからの未来は当事者が作ってもいいんじゃないですか」
「そうね。そうかもしれないわね」
まだ合点が行かないように考え込む朝比奈さんは、たぶん歴史の保全ばかりを気にしていて、自らが作る歴史というのに不安があるんじゃないかと俺は思った。あなたは自分で自分の歴史を作るつもりはないんでしょうか、と尋ねるには俺はまだ若すぎるが。
「じゃあ、わたしはここで」
「俺は一度会社に戻ります」
「また明日ね」
朝比奈さんは右手をにぎにぎして言った。振り返るともういなかった。もしかして未来と現在を日帰りしてんのかな。
 
 会社に戻ったときには六時を過ぎていた。ハルヒと古泉はいなかった。
「待ってたのか長門、すまんな。帰りに晩飯おごるよ」
「……乙、あり」
「ハルヒが昔家庭教師をしてやっていたやつで、今高校三年生の子がいてな。そいつに会った」
「……知っている。未来からの干渉で交通事故を装った殺人に巻き込まれそうになった」
「知ってたのか。あの子をバイトに雇おうと思うんだ」
「……そう」
長門はあらかじめ知っていたという感じで、頭を七度くらい傾けてうなずいた。
「あの子、長門のいた学部を志望してるらしいんだが。もしかして予定の行動?」
長門は何も答えず、ただ微笑らしきものを浮かべただけだった。こいつのことだ、すべて知っていたに違いない。ハルヒが会社を作るとわめき始めるのも、タイムマシンを作ると豪語するのも。
「……知っていたわけではなく、予測と誘致」
「なるほど。じゃあハルヒがタイムマシンを作ることに関しちゃそれほど懸念はないんだ?」
「……阻止するより、コントロールするほうが望ましい」
ハルヒの監視を続けて十年、長門はついに悟りを開いたようだ。
 
 翌朝、ハルヒ社長から重大な発表があった。
「みんな、いい知らせよ。みくるちゃんが非常勤務でうちの会社を手伝ってくれることになったわ」
「それは素晴らしい。またあの頃のように五人で賑やかにやりましょう」
古泉が喜んでいた。あの頃みたいな非日常的騒動の毎日はごめんだぞ。
「さあっ、みくるちゃん。あなたのために衣装を用意したのよ。さっそく着替えて」
ハルヒはフリルの付いたドレスを取り出した。朝比奈さんのために新調したようだ。俺と古泉は、またあのコスプレを見られるのかとワクワクしていた。ところが朝比奈さんは顔を縦には振らなかった。
「それはいやです」
「えー、せっかく買ってきたのに。ちゃんとサイズも合わせてるのよ」
「だめです。わたしはもう涼宮さんの着せ替え人形ではないの」
ハルヒが唖然とした。はじめて見せる、ハルヒに対する朝比奈さんの頑とした態度だった。睨まれたハルヒはたじたじとなった。
「ねえ、お願い。あたしじゃ似合わないのよね」
「いや、です」
朝比奈さんは腕組みをして譲らなかった。
「困ったわ……」
ハルヒは用意した衣装を持ったまま、どう取り繕えばいいのか分からず俺たちに視線をさまよわせた。よくぞ言った朝比奈さん。今まで朝比奈さんを散々おもちゃにしてきたから、ハルヒにはちょうどいいクスリなのだ。俺にはちょっと残念だったけど。
 
「……わたしが、着る」
それまで黙ってパソコンのモニタに向かっていた長門が、ぼそりと言った。
「そ、そう?有希が着てくれるの?」
もう、この際誰でもいいという感じでハルヒは渡りの船に乗った。
「……貸して」
長門はハルヒの手から衣装を受け取り、会議室のドアを閉めた。
「有希、手伝おうか?背中ちゃんと締められる?」ハルヒがドア越しに尋ねた。
「……いい。やれる」
しばらくごそごそと衣擦れの音が聞こえていたが、やがてドアが開いた。アリス系ロリータのエプロンドレスに身を包んだ長門が現れた。それを見た四人が、ほぅ!まぁ!これは!と感嘆の声を漏らした。小柄な長門にはボリュームのあるドレスが似合う。似合いすぎている。朝比奈さんとは別の意味でいい。朝比奈さんとはサイズも体型も違うはずだが、分子情報操作とかで裁縫か。

「ピンクが栄えていますね。今までこういう衣装を着た長門さんを見られなかったのが、もったいないくらいです」
「なぜ今まで気が付かなかったのかしら。有希、すっごく似合うわ。ほら、ヘアバンドしてみて」
そう、ロリータファッションと言えばヘアバンドだ。
「……どう」
ヘアバンドを髪に巻いてあごのところで小さく結んで、俺を見た。微笑っぽいものが浮かんでいるところを見ると本人も気に入ってるようだ。俺はにっこり笑って親指を付きたてた。
「長門、似合ってるぞ」
「な、長門さん、似合ってますよ……」
気のせいかもしれんが、朝比奈さんの口数が減っている。もしかして役柄を取られて後悔してるんじゃありませんか。
 
「部長氏、ちょっといいものを見せたいんだけど」
俺は内線をかけて、長門の親衛隊を自称する開発部の連中を呼んだ。
「おおおお」
ドアを開けるなり部長氏以下五名の感嘆のコーラスが響いた。
「スバラシイ。とてもよくお似合いです、副社長」
もう長門の元にひれ伏して靴にキスでもしそうな勢いだ。
「……そう」
長門がちょっとだけ微笑んだ。これ、来客のときも着てくれると営業効果あるかもな。長門にはなにかこう、特殊な部類の人種を惹き付けるオーラのようなものがあって、黙っていてもそいつらが寄ってくる。俺もそのうちのひとりなわけだが。
 
 そのようなわけで我が社のマスコット的コスプレイヤーはしばらくの間、長門ということになりそうだ。
 
「そういえばハルヒ、お前高校の頃家庭教師やってたろう」
「突然なによ。まあ、やってたけど」
「あのときの男の子はどうしてるんだ?」
「さあ……もう高校生くらいなんじゃないの?」
「あの子をアルバイトに雇ってもらいたいんだが」
「いいけど、バイトなんか必要なの?」
言っとくが開発部の連中はマンパワーぎりぎりで、いつでも人を欲しがってるんだぜ。
「タイムマシンに興味があるらしいんだが」
この単純な社長を動かすにはこれだけで十分だった。
「へー、そうなんだ」
「今年受験生で物理学部を受けるらしい」
「そうね、人材にも投資しないとね。昔の人はいいこと言ったわ。腐ったリンゴをつかみたくなければ、木からもぎ取ればいいのよ」
それってなにか、俺は腐ったリンゴか。
 
 ハルヒは自宅に電話をかけ、ハカセくんの家の電話番号を聞き出しているようだった。再度かけなおし、ハカセくんを呼び出していた。
「今週中に来てくれるって」
「そりゃよかった」
「あんた、ほんとにタイムマシンなんか作れると思ってんの?」
「お前が言い出したことだろ」
「あたしは過去に行ってみたいだけよ。タイムマシンの仕組みなんか知ったこっちゃないわ」
この人はいつもこれだからな。
「まあなんとかなるんじゃないか?科学技術は日進月歩爆走してんだろ」
「あたしが今から開発をはじめて、孫の孫くらいに完成すればいいくらいに思ってるだけよ。そしたらどの時代にでも連れて行ってくれそうじゃない」
未来への投資か。自分の手でなんでもやってやるという、いつものこいつらしくないな。こいつの願望を実現する能力がなけりゃ、とても今世紀中の完成は無理だろう。
「創始者のお前がそんなこっちゃできるもんもできなくなるぞ。もっと自分を信じろ。やればできる、成せば成る。心頭滅却すれば火もまた涼し、じゃなくて、石の上にも三年、じゃなくて、我田引水じゃなくてええとなんだ」
「それを言うなら、千里の道も一歩からでしょ」
「そうそう、それだ」
いまいちぱっとしないよなあ。やっぱ古泉のいうとおり、ハルヒの活力やら突拍子思いつきエネルギーやらが薄まっちまってる。ここはひとつ、まわりが盛り上げてやる必要があるかもな。
 
「実は俺も時間旅行が好きなんだ」
「へー、そうだったの。初耳だわ」
朝比奈さんと目の回るような時間移動を何度も経験している俺がいうんだから、嘘じゃない。たまに吐きそうになるくらい好きだ。
「どの時代に行くんだ?」
「完成したらの話よ」
「じゃあ完成したらいつの時代に行くんだ?」
「そうね。十年前ぐらいがいいわ」
「十年前ってーと中学生くらいか。自分にでも会いに行くのか」
「自分に会ってもしょうがないでしょ。ちょっと会いたい人がいるのよ」
十年前……?死んだ爺さんか婆さんにでも会うのか。
「勝手に殺すんじゃないわよ。まだピンピンしてるわ」
「じゃあ完成したらみんなで行こうぜ。俺は自分に小遣いでもやりたいぜ。あの頃はバイトもできなくて貧乏だったからな」
「そうね。それもいいかもね」
ハルヒは頬杖をついてぼんやりと遠くを見ていた。こいつのメランコリーの原因はどうやら過去にあるようだ。
 
 次の日ハカセくんがやってきた。学校の帰りにハルヒに捕まったらしい。
「期待の新人、ハカセくんを連れてきたわよ」
「あ、先輩こないだはどうも」
ハカセくんに先輩呼ばわりされちまってるぜ俺。
「よう、来たな。こっちが古泉、こっちが長門だ。長門はハカセくんが志望する専攻の研究室にいる」
「ほんとですか、よろしくおねがいします」
「……長門有希」
「ようこそハカセさん、なにもないところですが。今お茶を入れます」
「ありがとうございます」
丁寧に腰を四十五度に曲げてあいさつをするハカセくんだった。今日は朝比奈さんが来ていないので古泉がお茶当番だ。
 
「あれからいろいろと調べてみました」
「なにを?」
「タイムマシンに使えそうな技術です」
この子はピザの宅配並みに気が早いというか。
「すごいわねハカセくん。将来はノーベル科学賞ね」
「涼宮姉さん、気が早すぎますよ。まだ勉強しはじめたばかりです」
ハカセくんはてへへと照れた笑いを浮かべた。
「ハカセくん、本を買ったら領収書もらっておいてね。会社の経費で清算してあげるから」
それより図書カードを渡しといたほうがいいんじゃないか。いくら清算してやるといっても財布に限界があるだろう。あとで経費で商品券でも仕入れとくか。
「ほかになにかいるものは?」
「ええと、とくにないと思います。今のところは」
「そうだ、白衣が必要だわ」
「白衣ってまさかナースか」
「バカね、実験着の白衣よ」
ああ、科学者が着てるやつね。長門にナース服を着ろというのかと思った。それはそれで見てみたい気もするが。
 
「……これ、読んで」
長門が分厚い本をハカセくんに差し出した。前に見たようなシーンだな。
「量子論ですか?」
「……そう。それからこれも」
「量子力学ですか」
長門の抱えた本は古びて表紙の文字が薄く消えてしまっていた。これ見覚えがあるんだが、もしかしてかつて文芸部部室にあったやつじゃ。
「ちょっと僕にはまだ難しいです。高校の物理程度のことしか……」
パラパラとページをめくるハカセくんは苦笑いしていた。
「……大丈夫。わたしが教える」
まあ長門と庶民的高校生じゃ知識の差がありすぎるが。いい教師にはなるだろう。
 ハカセくんはハルヒの尽力(もとい圧力)によって今通っている塾をやめ、大学受験のための勉強をハルヒに、さらにタイムマシン開発のための勉強を長門に教わることになった。勉強を教えてもらってしかもバイト代が出るってのもエサで釣ってるようでアレだが、まあ本人が喜んでいるのでいいとしよう。
 



【仮説1】その1へ

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最終更新:2008年01月29日 18:39