一通り全ての乗り物を制覇した俺たち。太陽は西に傾き、一日の終わりが近づいてきた。
今その足は遊園地の締め、観覧車に並んでいる。
涼子はというと、隣でアイスを食っている。四本目だ。なんて勿体無い出費だろう。
と言いつつも、涼子に買う時に自分も一緒に買っているのだから人のことは言えない。
もちろん長門も食っている。こいつが食わないはずがなかろう。
ちなみに、野口さんがアイスだけで三枚消えてしまった、なんていうのは秘密である。
涼子がそのアイスを食い終わった頃にちょうど順番が回ってきた。いわゆるベストタイミングってやつだ。
係員の案内にしたがってゴンドラに乗り込む。
席は俺と涼子が向かい合う形で座り、涼子の隣に長門が座っている。
二人を思う存分眺めることができるのはいいが、少し寂しかったりもする。
娘と妻に煙たがられる父親とはいつもこんな孤独を感じているのだろうか。
もしそうなのだとしたら、それはものすごく同情せざるを得ない。
まあウチの場合は大丈夫だが。俺も親父もお袋も妹もいたって良好な家族関係を築いていると言えよう。
「それにしても」
数年ぶりの観覧車である。どことなく懐かしく感じるのは、俺に残っている最後の観覧車の記憶は妹が小さい時に家族で行った時のものだからだろうか。
そして今、その時の妹と同じように涼子が窓にへばりついて外の景色を食い入るようにして眺めている。珍しくその口は閉じたままだ。
ゆっくりゆっくり時間をかけて上に昇っていくゴンドラ。
心地よい静寂がゴンドラ内の空間を支配する。
時折聞こえる涼子の、うぁー、とか、うぉー、という小さい呟きがちょうどいいアクセントとなって心の安らぎを広げていく。
ゴンドラが昇るに連れて少しずつ眼下に広がっていく街。
全てのものがオレンジ色に染まっている。
その家に。その道に。
一体どれくらいの幸せが芽吹いているのだろう。
俺は涼子に目を移す。
窓にへばりついている涼子もオレンジ色に染まっていた。
その目には下に広がる「幸せ」を写して。
そしてその瞳もやはりオレンジ色に染まっている。
そうか。オレンジ色って、幸せの色なのか。
だからその色に染まっている俺は今幸せを感じているのか。
きっと長門も今、幸せを噛み締めているのだろう。きっとそうだ。
だってあいつもオレンジ色だし、その瞳には涼子と同じように「幸せ」を写しているからな。
ゴンドラは幸せを運んで頂上へと到達する。
「うっわぁー!!!!すっごーい!」
ゴンドラの中で黄色い歓声が上がった。
「おとーさん!おかーさん!すごいよ!すっごいきれーだよっ!」
涼子が俺の後ろを指差す。その方向を向くとそこにあったのは、
「これは・・・・・」
そこにあったのは夕焼けだった。しばらくの間そのあまりの美しさに思考が停止する。
地平線に半分ほど沈んだ真っ赤な太陽。いつの間にか街全体がオレンジ色に染まっていた。
涼子は相変わらず、うわぁ、と夕焼けに目を釘付けにしている。
その好奇心の溢れた笑顔が俺には太陽のように見えた。
だが。
幸せなはずなのに、俺の胸にチクリと小さな痛みが走る。
それが何なのかは分かっている。自分自身でも理解しているはずだ。
それでも考えずにはいられない。俺たちにはもう時間が残されていないということを。
・・・何を考えているんだ俺は。俺が沈み込んでどうする。
自分で決めたんだろ。最後の瞬間まであいつに笑顔でいて欲しいと。
だったら俺に沈み込んでいるような暇はない。そんなことする暇があるのなら一分一秒でも多くあいつを楽しませてやれ。それが俺の、涼子と共に暮らすことを選択した俺の責任であり義務だろうが。
「・・・しっかりしろよな、俺」
誰にも聞こえないように小さな声で呟いて、頭をブンブンと横に振る。
「なぁ涼子」
なぁに、と無邪気な笑顔で返事を返してくる。
「今日は楽しかったか?」
「うんっ!」
間髪入れずに百万ワットの笑顔と共に返事が帰ってくる。
「そりゃ良かった」
また一緒に来ような。不意に口からでかかった言葉を飲み込む。
叶うことのない約束。それは残酷なものでしかない。
・・・まただ。また沈み込んでるぞ、俺よ。しっかりしろよな。
ポンポンと二回、涼子の頭をやさしく叩く。
「えへへ・・・おとーさん、どーしたの?」
「ん?なんでもないぞ」
ただ俺は誓っただけだ。明日はお前のその笑顔を消さないってな。
顔を正面に位置に直すと、長門と目が合った。
じっと無言で見つめてくるその目には、大丈夫?といった俺への安否の色が浮かんでいる。
・・・大丈夫だ。分かっている。へんな真似はしない。
観覧車は下っていく。
降り場に着いたときにはもう辺りは少し夕闇がかっていた。
帰ってから夕飯の支度をするとなると、夕飯の時間が遅くなってしまう。それ以前に食材自体あまり残っていない、とのことで夕飯は外で食べることにした。
「はんばーぐたべたい!」
とのことなので腹ペコ娘のご希望をかなえるためにファミレスへ行く。
ここ最近ハンバーグを食っていなかったので俺もハンバーグを頼んだ。
長門は少しの間考えてからハンバーグカレーを注文した。
やはりここでもカレーか。
さほど待たずして全員分のメニューが来たのだが・・・
まぁあれだな。しょせんファミレスと言ったところか。
決してまずいというわけではないのだが、何かがかけている気がする。
あー、なんだか昨日のおでんが恋しくなっちまった。
今度長門にハンバーグでも作ってもらうとするか。
それから電車に乗って家まで帰ると時刻はすでに九字を回っていた。
涼子はというと少し眠そうに目を擦っている。あ、今欠伸しやがった。こりゃさっさと風呂入れて寝かさないと。
「有希、悪いが涼子を風呂に入れさせてやってくれるか?」
お、今回は一発で言えたぞ。遊園地では何度長門と呼んで訂正させられたことか。
「あなたは?」
入るわけないだろ。
「……・・・了解した」
少し目に変な色を浮かべてから長門はふにゃあ~としている涼子の手を引いて風呂場へと向かった。
「よし。じゃあ今のうちにやっておくとするか」
俺はリビングへ向かうと、机やらソファやらを壁際まで移動させる。
これが思った以上に重労働で、結構汗ばんじまった。まさか俺って体力なさすぎなのか?
だが仕事はこれで終了ではない。
家具を動かして作った結構広い空間に掃除機をかけてきれいにしたあと、目的のものを持ってリビングと二階を往復すること四、五回。
それらが全て終わる頃には俺はクタクタになってしまっていたのである。
しょうがないだろ。普段はこんな事しないんだからな。それにリビングはクーラーがついてるからいいものの、二階は今日一日留守にしてたから暑いままなのだ。
暑いのが苦手な俺にとって、あのモハァとした空気は天敵である。
あー、疲れた。
そうこうしてるうちに長門たちが風呂から上がってきた。相変わらず涼子は舟を漕いでいる状態であるが。
「上がった。………それは?」
リビングに広がったモノに目をやる。そうか、やっぱり驚いたか。
「それなんだがな、有希。今日は三人で寝ないか?」
そう。俺が長門たちが風呂に入っている間にやっていたこと、それはリビングを片付けて三人分の布団を敷くということだったのだ。
「最後の夜くらい、みんなで寝ないか?」
長門は無言のまま、コクと頷いた。ありがとな、俺の我が侭を聞いてくれて。
「それじゃ俺、風呂入ってくるわ」
リビングを後にして風呂へと向かう。
なんだかゴシゴシと丁寧にやるのが面倒くさい。俺は軽く身体を流すとすぐに浴槽につかった。
お湯につかると一日の身体の疲れが溶け出していくように感じた。
ほのかにいい香りがするのはきっと長門たちが入浴剤でも入れたからなのだろう。
じっと水面を見つめる。
心に去来するのは涼子の笑顔ばかり。そしてそれを失うことへの不安。
観覧車で自分に渇を入れたばかりなのだが、一人になるとやはり沈み込んでしまう。
俺は・・・弱い人間だ。いざ別れが来た時には俺は泣いてしまうかもしれない。
でも、それだけはやってはいけない。せめてあいつの前だけでは強い父親でありたいから。
あいつの笑顔に相応しいような笑顔で見送ってやりたいから。
俺はザブリとお湯を顔にかけてから浴槽を後にした。
身体を拭いて着替え終わってからリビングに行くと、そこにはもうすでに夢の世界へと旅立った二人の姿があった。その寝顔はとても幸せそうである。
「・・・俺も寝るとするか」
しかし、布団に入ったもののなかなか寝付くことができない。
真っ暗な闇が俺の心を捕らえてはなさない。考えたくないことを考えさせられてしまう。
そう。それは明日。全て明日で終わってしまうということ。この幸せを失ってしまうということ。
俺はそれが怖い。
明けない夜は無いというが、俺の『太陽』はもう昇ってこない。沈んだら最後なのだ。
だがちゃくちゃくとタイムリミットは近づいてきている。
その事実から逃れることはできない。
俺はそんな恐怖から逃げるようにして隣に眠る涼子の頭を撫でる。
そういえばこいつ、頭撫でられるのが好きなんだよな。
サラサラした髪が指の間を流れていく。その感覚がどこか悲しかった。
ふと観覧車での長門の視線を思い出す。
あの時は大丈夫と言った。でもな、長門。
「やっぱり俺はこいつと一緒にいたいんだ・・・・・」
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