地獄の猛火を思わせる、尋常ではなく暑かった夏もようやく落ち着き、虫の声も聞こえ始めてきた――



 俺は冒頭でそんなことを言ったかもしれない。だが、今この部屋――和菓子屋の1個室――は、夏の終わりどころか、秋を通り越して真冬……いや、木星の表面温度くらいまでに低下していた。
『…………』
 俺と橘は凍り付き、身動き一つも取れず、そして一言も発することができない。
 それもそのはず、まさかこんなところに来るとは思わなかった珍客――佐々木が現れたのだから。


「こんなところで何をしているんだい?いや、それは愚問だったかな。ここは所謂和菓子屋だ。販売業者や原材料の卸業者ではない、一般的市民が和菓子屋に行く事由なんて言うのは、非常時でもない限り大概決まっている。即ち、その店のお菓子を購買するために他ならない」
『…………』
 俺並びに橘、再び沈黙。静かに佐々木の言葉に耳を傾ける……ってすまん、嘘だ。本当は未だ硬直しているだけである。
「そう言えばこの店は、美味しい焙じ茶を淹れてくれるそうじゃないか。織部や利休が生涯を費して極めようとした茶の道とは程遠いかもしれないが、この焙じ茶にだって侘の精神は秩然と継承されている」
 佐々木はどこから取り出したのか、右手にした、質素な素焼きの湯飲みを口にした。
「この店の店主も、侘寂の意志を大切にしようと思案したのかも知れないな。その証拠に、この個室だってそれほど広くない。
そうだな……せいぜい大人二人が横になって、お互いを確かめ合う運動ができるくらいの余裕しかない。いや、むしろその行為にお誂向きのスペースとも言えるね」
 さ、佐々木さん……あなた今しれっと問題発言をされませんでしたか?

「それで……」
 ――ギロリ――

『ひぃっ!!』
 佐々木は獲物に狙いをつけた猛禽類の如き鋭い眼光を俺たちに向けた。
「君達は、先人たちが創り上げたその精神をぶち壊して、何をしようとしてたんだい?」
「あやあやあやあやあやあやややややや……」
 橘は故障寸前、エンスト気味の自動車の如く小刻みに震え上がっていた。いつもならまた怪しい電波を受信したとみなすのだが、今回に関しては扱く一般健常人的な反応だったと言って良い。因みに俺は呑気に解説しているように見えるかもしれないが、実は恐怖におののいて身動ぎ一つできず、こうやって現実逃避をしているのだ。わかるだろ、この気持ち。
 佐々木は未だ柔和な笑みをみせている。だが怖い。すっげぇ怖い。できれば逃げ出したい。
 あの顔は、まるで――



 俺はこの笑顔に既視感を感じていた。
 数日前の事だ。たまたま女性陣がいなかった部室で、古泉が持って来たグラビア雑誌を読み、個々のアイドルに関して答弁していた時だ。
 古泉がアイドルのくびれについてレポート用紙20枚に渡る報告書を討論する最中、俺がくびれと胸の大きさは反比例するという奴の持論に異議を唱えていた。古泉も少々ムキになったらしく、更なる反論をけしかけたが、さらにムキになった俺が少し声を荒げてしまった。
 ちょうどその時だった。突然、ドアが大きく開かれた。それこそドアの蝶番が壊れてしまうんじゃないかと言うくらいの衝撃だった。その恐るべきパワーを見せつけた張本人は、部屋の前で仁王立ちしていた。即ち、持ち前の地獄耳で聞きつけたハルヒである。
 そして俺に向けられた笑顔……



 ――あれと同質であった。
 あの後、ハルヒは俺に……いや、思い出したくない。忘れさせてくれ。
 因みに古泉も同罪と言えば同罪なのだが、あいつは咄嗟に報告書を机の下に隠し、卑怯にも雑誌を俺の方に向けていた。しかも俺と違い、大声で持論を展開しなかった事が幸いし、ハルヒは目もくれなかった。こんちくしょう。

 昔話はこのくらいにしておこう。
 つまり俺が何を言いたかったかと言うと、もしかしたら佐々木もあの時のハルヒと同じ仕打ちを俺にする。そんな不安が過ぎったのだ。
 それだけは避けなければいけない。第一佐々木は勘違いをしているのだ。それを訂正して、俺は当面の危険を回避せねば。
「佐々木、すべて勘違いだ。俺はお前の気持ちを知っている。それを裏切るような事はしない」
「何を言ってるんだキョン。お門違いも甚しいよ。僕はここに偶然通り掛かったに過ぎないし、ただの親友にしか過ぎないから君達の関係をどう こう言うつもりはないよ。どうぞ、お二人で宜しくやってくれたまえ」
 そう言って部屋を立ち去ろうとする佐々木。
「待てと言っている、佐々木」
「……なんだい、未練がましい男ほどみっともない物はないよ。それに僕は忙しいんだ。塾の補習がまだ終わってないんだ」
 ――どうも様子がおかしい。
「俺たちはお前が想像するような事をしようなんてしていない」
「そんなはずはない!僕は見たんだ!君達がこの店に入る前からずっと手を取り合い絡め合い、仲良く歩いているところを!この個室にしても、 僕が来なかったらそれこそ堕落と快楽に溺れてしまうところだったじゃないか!」
「なあ、お前が俺たちを見つけたのはここに来てからじゃなかったのか?今の話を聞くと、ここに来る前から尾行していたような口調なんだが」
「……!しまっ……」
「それに塾が終わってないのに、なぜお前はこんなところで油を売っているんだ?」
「うっ……」
「それにおかしいだろ。お前の通っている塾はこの辺じゃない。確かお前の学校の近く、ここから電車を乗り継いで行かなければならないほど遠い場所にあったはず。だが何故お前はここにいるんだ?」
「あ、いや……それは……」
「さらにもう一つ言わせてくれ。さっきお前は『補習を受ける』って言ってたな?補習を受けるほど成績が悪いのか?優秀だったお前が一体どうしたんだ?」
「…………」


 





「……不安、だったんだ」
 佐々木は観念した様子で、頭を垂れながらポツポツと喋り出した。
「以前キョンは、僕か涼宮さんか、どちらかを選ぶよう選択を委ねた時、君は橘さんを指名した」
 顔を伏せながら声を絞り出す佐々木。あの一件は、二人を諫めるために計った狂言だったのだが――
「僕は――恐らく涼宮さんもだろうが――、あの時キョンが発言した内容に驚きを隠せなかったんだ。橘さんにキョンを取られた。そう思って愕然としたよ」
「佐々木さん……」
 佐々木の放つオーラが、恐怖のものから悲哀のものへと変わっていた。そのためか、橘もいつの間にか正気に戻り、佐々木の話に耳を傾けていた。
「あの発言は、キョンが僕たちの間にあった不穏な空気を消すためにしたって事は分かってる。いや、そのつもりだった。でも、もしも万一それが本当だったと思うと、夜も満足に眠れなかったんだ」
 なるほど。それで睡眠不足が続き、成績が徐々にに落ちていったというわけか……
「ご名答。全く、恋は精神病の一種とは我ながら上手く言ったものだ。僕は確かに病んでしまっていた。そして君達二人が仲良く歩いているところを見て、嫉妬や悔恨が僕の精神的に衰弱した部分に蓄積し、増幅した念がこんな行動を取ってしまったというわけさ」
「……佐々木。お前にはプレッシャーを与えたかもしれない。この場を借りて謝っておくよ」
「いや、いい。僕の精神的な弱さが招いた結果だ。自業自得だよ」
 珍しく佐々木が弱気になっている。こんな佐々木を見たのはもしかしたら始めてかもしれないし、こんな状態の佐々木に意見をするのは気が引ける。だが佐々木のため、そして俺自身のために言わなければいけないことがある。
「あの時のあの発言は、確かにお前の言うとおり、俺が仕組んだお芝居だ。だから橘とどうこうと言う関係は……」
「キョン!」
 突然、佐々木が叫んだ。
「もういい。もういいんだ。今の様子を見て分かった。キョンの気持ちが誰に向いているか。だから敗者は潔く身を引かなければいけない。飛ぶ鳥後を濁さず、の心境だよ」
「佐々木!!」
 俺も負けじと叫び返す。佐々木は思い込みによって客観的に物事を見る事ができなくなっている。それどころか、かなり勘違いをしている。俺の予想以上に。
 佐々木を、いつもの佐々木を取り戻すには、言うしかない。
「佐々木。よく聞いてくれ。俺は橘とここで宜しくやっていたわけじゃない」
「そ、そうです!佐々木さん!あたし達、そんな関係じゃないのです!!」
 橘も必死に弁明する。正直、こいつが喋ると俺の企みがうまく行かない可能性があるので黙って欲しい。だが、使えるものはトコトン利用する。
「橘の言うとおりだ。俺はお前が言うような目的で来たわけじゃない――いや、正確にはここに連れてこられたんだ」
「……どういう意味だい?」
 ――かかった。
「そのままの意味さ。俺の意志でここに来たのではない。橘に連行されたんだ。半ば強制的に。そうだろ、橘」
「あ、はい……そう……なるのかなぁ……んー、確かに、あたしが強引に連れてきた形にはなりますけど……」
 ――こっちも釣れた。よし、これなら大丈夫か。
 俺は思い付いた計略を実行することにした。
 そして、声高らかに言い放った。



 ――つまり、俺は橘に拉致されたんだ――



『えええーっ!!!』
 女性陣は、驚愕の声を見事なまでににハモらせた。
「佐々木、お前のおかげで助かったぜ。サンキュ」
「いや……それには及ばないが……だが待ってくれキョン。なぜ橘さんがそんな事をする必要があるんだ!?」
「そ、そうですよ!あたし拉致なんて……」
「佐々木。橘は組織に所属しているのは知っているな?」
「?……あ、ああ」
「橘は自分の組織の都合上、俺の協力が必要だったらしい。これは合ってるな、橘」
「は、はい……」
「だが、橘は俺の協力を仰ぐために、強行手段に出た。即ち俺を連れ去って、無理矢理協力させようとしたんだ」
「あ、あたしそんなことしてません!」
「どうだか。過去にも未遂とは言え、誘拐事件を起こした実績がある組織だし、それにその主犯はお前だろうが」
「誘拐……?監禁……?どう言うこと、橘さん?」
「あっ、あれは……ちょっとしたサプライズパーティーでして……。そ、それより、何であたしが無理矢理キョン君を拉致しなければいけないんですか!そんな理由はありませんし、第一おかしいじゃないですか!」
「では聞くが、なぜ俺の意思を聞こうともせず、ここに連れて来たんだ?」
「え?」
「こんなところに連れて来てお前の本当の目的は何かと聞いている。理由如何では協力してやってもいいが」
 橘は困惑した顔で俺と佐々木を見ながら、
「う……それは、ちょっと……言えないです……」
 と言った。

 ――だろうな。俺は内心ほくそ笑んだ。
 既にお分かりかもしれないが、俺は橘に誘導尋問を仕掛けたのだ。橘は俺以外の人間(特に佐々木やハルヒ)に、依頼内容を喋る訳にはいかないだろうと踏んで、それを利用したのだ。拉致と言う言葉を出して混乱させ、橘に拉致ではない事を証明させるため、依頼内容を話させるよう誘導したのだ。
 ここで重要なのは嘘を喋らないことだ。嘘を吐いたら直ぐにボロがでるし、第三者の協力が得られないからな。その代わり、誤解されやすい言い方(『不任意の協力』を『拉致』にすり替える等)をして、相手を混乱させ、佐々木の俺に対する懐疑心をあやふやにしたのだ。俺の計略は見事に的中。橘は見事にあうあうと雛鳥のように喘いでいた。
 そして――

「橘さん。教えてくれないかい?キョンに何を頼むつもりだったんだい?」
「ううううう……」
 ――佐々木も見事に引っ掛かり、俺ではなく橘に尋問し始めた。さて、俺も佐々木側につくことにしよう。
「俺にも分かるように説明してくれ、橘。内容次第では手伝ってやるから」
 念のために言っておくが、俺は橘に会った時、既に今回の目的を聞いていた。しかし今は敢えて知らないフりをしている。橘はパニックになっていてその事すら気付かない。
「教えてくれてもいいじゃないか?それとも何かい?君はキョンを監禁して、よからぬことを企んでたとでも言うのかい?」
「そ、そういう訳じゃ……」
「では早急に話してもらおうか。まさか、人様に言えないような卑猥な事をする算段だったのかい……?」
「ちちちちがががが…………」
 いつの間にか、矛先は完全に橘一人に向いていた。ここで本当の事を言わなければ、佐々木は不満が溜まって、例の巨人を生み出すだろう。そして――

「橘さん、正直に言ってくれさえすれば、何も君を咎めようとは思わない。だから正直に言って欲しい」
「わ、分かりました。実は……」
「実は……?」


「キョン君に胸を大きくしてください、って頼んだんです」


 ――ピシッ――
 佐々木が、凍付いた。


 ――本当の事を言えば、佐々木は絶対に勘違いするだろう。
 ってか異性にそんな頼みごとをする時点で大概の人は良からぬ勘違いするぞ普通。
 橘。それは演技か真性かどっちなんだ?それともポストス○ン○や里○ま○でも狙ってるのか?
「あ、あれ?佐々木さん……?」
「ほ……ほほう……。君はそんなことをキョンに頼んだのか……」
「え……?え……?」
「君は――大胆にも――キョンに――そんなことを――頼んだと――言うん――だね?」
 切れ切れの言葉で橘を問詰める佐々木。細切れになった文節一つ一つが凶器となって橘に襲いかかる。
「ひゃ……はひ……しょう……で……しゅ……」
 そしてその気合いに飲み込まれ、喋る事すらおぼつかなくなった橘。その光景は、ジョロウグモの網に引っ掛かって身動きできないヤマトシジミのようである。なお、俺は佐々木の関心が完全に橘に向けられた事を確認した後、そそくさとこの個室を離れている。今は安全な場所で二人を観察している。修羅場になるのはどうやら規定事項になりつつあったからな。


 ――橘……京子――
 ――……ぃ…――


 佐々木の、肌寒くなるような冷たい声と、橘の、声になっていない声が、俺の先ほどまでいた小さめの個室から微かに聞こえて――


 ――ちょっとツラ貸してもらおうか――
 ――ごめんなさいごめんなさいごめ゛……ん゛……ざ…………ぃ……――


 ………
 ……
 …


 そして、辺りはまた静寂を取り戻した。



     カポーン



 今ごろ気付いたが、ここから見える庭園には、獅子脅しがリズムよく、清々しい音を立てていた。

 橘。
 取り敢えずお前の依頼は果たしたから、あとはお前自身の問題だ。頑張れ、応援するぞ。
 ――応援だけな。佐々木の処理は任せた。
 俺は橘と佐々木が消えて言ったであろう方向に十字を描き、アーメンと祈りを捧げて帰路へとついた。


 ……できれば、もうかかわりがありませんように……



 


 

 ――気がつくと、あたしは公園のベンチの上で寝ていました。あれ?ここはどこ?なんでこんなところに?
「気がついたかい?橘さん」
 太陽の光を手で遮りながら、目を細めて声のする方を見るとそこにいたのは――
「急に卒倒してしまって驚いたわよ。夏も終わりかけとは言え、御天道様の力はまだまだ衰えていないから、注意警戒を怠らない方がいいね」
 ――いつものように、あたしに屈託のない笑みを見せてくれる、佐々木さんでした。
 そうですか、佐々木さんがあたしの危ないところを助けてくれたんですね。ありがとうございます!
「ふふふっ、例には及ばないよ。橘さん」
 佐々木さんはやっぱり最高の人なのです。凄く博識で思慮深くて、そしてとっても可愛くて……キョン君の事になると見境がなくなるのがタマに傷ですけど。
 ん?そういえばキョン君と一緒だった気がするんですが、どこに行ったんでしょう?見当たらないですね……ちょっと記憶が曖昧な部分もありますし、思い返すことにしましょう。

 ――本日、あたしは確か、キョン君に胸を大きくしてくださいと依頼したんです。そしたらキョン君は長門さんに頼んで、長門さんがあたしの胸を立派にしてくれたんです。これであのお化けカボチャにも負けません!……あれ?そう言えば最初にお願いしたのはあのお化けカボチャだったような……?
 まあ、あんなイイ子ブリッ子でキョン君を誑かす奴なんてどうでもいいのです。
 話を元に戻しましょう。それからあたしはキョン君へのお礼を兼ねて、和菓子屋さんに入り二人仲良くお菓子を食べてたんです。そしたら佐々木さんが現れて……あれ?そこから先がどうしても思い出せません。何故でしょう?何かとっても重要なフラグが立ったと思ったんですが……?
思い返せど何故か記憶が蘇りません。すっぽり抜けてます。この抜けたスペースの後に続くのは、佐々木さんに起こされた、今の場面です。何か不思議な感覚です。
 そしてもう一つ不思議な事が。記憶はさっぱり抜けているので、思い出そうと努力するんですしかし、何故かその度に全身に悪寒が走って、その行為を中断せざるを得なくなるんです。まるで思い出すのを体が全身全霊を以て拒否するかのように。……うーん、何かとてつもなく恐ろしい目にあったのでしょうか?或いは、全部夢だったのでしょうか?記憶が曖昧で、どっちも可能性としてはあるんですが……

「どうしたんだい、橘さん。そんな惚けた顔をして。くくくっ、まるで下克上の元締めとも言うべきである美濃の蝮が、皮肉にも息子に謀反を起こされた事を知った時のような顔だね」
 佐々木さんはいつも通り優しく、それでいて少し意地悪な笑顔を見せてくれました。
 ――いつも通り、です。
 あたしはここでピンときました。佐々木さんはキョン君絡みの事になると見境が付かなくなるのはさっき話したとおりです。だからこそ、今あたしの記憶にあるこの一件に、キョン君が絡んでたことを知ったらこんな笑顔をあたしに見せることなんてないはずです。それに、もしあたしがキョン君にちょっかいを出していることを知ったならば、佐々木さんの怒りはオリンポス十二神が総出で全力を尽くしても抑えることは無理だと思います。つまりどう言う事か。あたしはひとつの考えを導き出しんです。


 ――それは、あたしのさっきまでの考えのうち、後者が正しいと。つまり、さっきまでの出来事は全て夢だったのです!


……むぅー、信じてないですね、その顔は。いいですよ。今から証明してみますから。確証を得るため、あたしは佐々木さんの顔をまじまじと見つめてみます。
「くく、さっきからどうしたの、橘さん。わたしにはそっちの趣味はないからね」
 佐々木さんの笑顔には裏も含むものもありませんでした。あたしに何か隠してるって雰囲気はないです。自慢じゃないですが、佐々木さんの真相心理を詠む腕は、世界中を探してもあたしの右に出るものはいません!例えあたしの組織内の人間でも。
 確信しました!うん、やっぱり夢です!さっきまであたしの頭の中にこびりついていたのは夢なのです!よくよく考えると、都合よく胸が大きくなるなんてありえないですもんね。ちょっと残念ですけど、仕方ありません。しかし、リアルな夢でした。今でも夢の続きを思いだすと、何故か震え上がってしまいます。
「もう大丈夫そうだね。さ、起き上がれる?」
 はい、すみません佐々木さん。ご迷惑をお掛けしました。あたしはゆっくりと起き上がり――


――れれ?――


 起き上がりざま、あたしの視界が半ば遮られました。あたしの上着が、一部異常なくらい盛り上がっていたのです。
 なんだろう、これ……?あたしは盛り上がっている部分――自分の胸部を触ってみました。


 ムニュ


 異常にでっかいその二つの塊は非常に柔らかく、それでいて心地よいものでした。しかし、ある程度摘んだ瞬間、それまでの柔軟性を反故にするくらいの弾力があたしの手に伝わってきます。さらに強く揉めばさらに抵抗し、そしてあたしの胸部に鈍い痛みが走ります。なんなの、これ?あたしどうしちゃったの??
 あたしの頭の中は混乱し始めました。
 ――いや、冷静に考えるんです!あたしの体に起こった事を良く考え直すんです!あたしは数秒で落ち着きを取り戻し、頭の中を整理し始めました。そして、ある一つの推理にたどり着きました。


――まさか!


 その可能性を確かめるべく、あたしは恐る恐る両手を下着の中に入れ、自分の胸の上にある二つの山の頂点を触ってみました。
 ――そこには、何かしらの突起物がありました。まるでち……いや、えーと……あっ、そうか!……コホン、【禁則事項】のような。
 まさか、これって……
 あたしは、内心ドキドキしながら上着の中を覗きこんでみました。


「うわぁ、お化けカボチャが……」


 ――うん、謎は全て解けました。
 これは、あたしのおっぱいに相違ありません!!き、気付くのが遅いなんて言わないでください!でも、おかしいです。なんで、こんなにあたし胸が大きくなって……これじゃ、まるで夢の中と一緒……

「もう大丈夫なら、少し尋問したい事があるんだけどね、橘さん」
「はい、なんで……」


 ――ひぁぁぁぁあぁぁ!!!!――


 あたしは、声にならない絶叫をあげていました。
 佐々木さん……笑ってます……。この世のものとは思えないくらい満面の笑みです……。でも、でも……何で、笑みの質が修羅の如く刺々しいんですか……?これは、あの時――キョン君と結ばれるのを涼宮さんに邪魔された、あの時と同じ笑みです……こ、怖くて目を合わせられません。涼宮さん、なんで平気で直視できてたんですか!?普通の人なら気が狂っちゃいます!ああそうか、涼宮さん、普通の人間じゃないですからね……

「どうやってあなたは自分の胸を大きくしたんだい?」
 佐々木さんが質問を投げ掛けます。今にも襲いかかってきそうな表情に、うわべだけの優しさをコーティングして。
「えーと、その……どうして……って……よくわからなくて……あたし……」
「はっきりと喋れないのかあなたは?」
「ひゃあ!ご、ごめんなさい!まだ、記憶が混乱してて……」
「くくくっ、ではそう言う事にしておこうではないか。ではさっさと記憶を呼び戻すんだ。わたしがまだ理性を保っているうちにね」

 ここここここ怖いですぅぅぅぅ…………
 あたしの全身から滲み出る畏怖心を知ってか知らずか、佐々木さんは冷ややかな嘲笑をあたしに向けました。憤怒の形相に軽蔑の眼差しを加えた、そんな表情です。
 ――ここまでで分かった事が一つ。佐々木さんの機嫌は急落下、落ちるところまで落ちています。あたしには何がいけなかったのかさっぱりわかりません。


 ……もしかして、あたし、パンドラの箱、開けてしまいましたか……?


「わたしだって胸を大きくする方法について幾つか方法を心得ているし、その方面についてストレンジャーと言うわけではない。女性ホルモンを積極的に接種するか、又は血行を良くするか。主にこの二つが効率的且つ実用的な方法だろう」
「…………」
「わたしの記憶が確かなら、橘さんは女性ホルモンを積極的に接種していたと言う事実はないはずだ。となると、血行を良くした方にオピニオンが傾く訳なんだが……」
 ――ギロリ――
「ぅ……ぁ……!!」
「まさか、キョンにそれを手伝ってもらったと言うのではあるまいね?」
「ぁぅ……ぁ……」
「ど う な ん だ ね ?」
「ひぁいーっ!!そうでしゅ!!きょっ、キョンきゅんに、た、たのみましたぁ!!!」

 ――何故だかは知りませんが、あたしは咄嗟にそう答えてしまいました。
 確かにキョン君に胸を大きくするように依頼しましたが、方法は定めていませんし、ましてや『血行を良くして胸を大きくする』ってのは初耳です。それより何より、夢の中の事じゃなかったんですか?
 でも、否定する事は許されませんでした。なぜかって?じゃあ一度この佐々木さんの前に立って佐々木さんの意見を否定してみてください。ああ、因みに命の保証はしませんから。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

 ――沈黙が続きました。
 佐々木さんは厳しい形相で、何かに絶えるかのように沈黙を続け、あたしは蛇に睨まれたカエルの如く身動ぎ一つ取れずにいました。


 ――ブルルルルル――


 あたしの携帯のバイブレーションの振動が伝わってきます。実は先ほどから幾度となく、そして絶え間なく携帯が着信を知らせていました。恐らく、というか間違いなく、組織からの巨人討伐要請を旨とする着信でしょう。佐々木さんの神人が暴れまくっているのは、もうビンビンに伝わってきますから。
 ――あ、また一匹増えた。これで神人は36匹目ですね。あの人達だけじゃ全部倒すのは無理だろうなー、なんて思ったりもしますし、早く助けもいかないと被害がバイバインをかけたまんじゅう並に増殖するでしょう。
 でも、今電話を取り、助けに向かう訳にはいきません。といいますか、今のあたしにそんな余裕ありません。

 そして――

「……くくく」
「…………?佐々木さん?」
「ふふふふ、ふはははははは!!!」
 ――佐々木さんは沈黙から一転、気が触れたように笑い出しました。
「あのー、佐々木さん、?大丈夫ー、でしょーか?」
「五月蠅い黙れこの泥棒猫!」
「ええっ!!」
「低俗的かつ下劣な方法を以てキョンを誘惑するとは、最低だな君は」
「な!何の事ですか!あたし……」
「黙れっつってんだろうがこの雌豚が!!」
「ひいっ!!ご、ごめんなさいっ!」
 泥棒猫に加えて雌豚って……ううっ、ひどいです。ひどすぎます。佐々木さんの怒り方は尋常ではないです。いつもなら、たとえ機嫌が悪かったとしてもこんな事言いません。そして明らかに佐々木さんのキャラが変わってます。
 バッドエンド直送のフラグ、立てちゃったのかな……あたし。何がいけなかったんだろう……?
「……しかし、君の作戦は老獪ではあるが秀麗でもある。なるほど、キョンの性格を見抜いたと言うわけか」
 ???
 あたしはクエスチョンマークを点灯させました。佐々木さんの言わんとする事が理解できないからです。キョン君の性格……ですか?
「とぼける必要はない。橘さんの計画は全てお見通しさ」
 計画?あたしは組織を見返すためにこの計画を思い付いたんですが、佐々木さんも既に知ってたと言うのでしょうか?
「橘さん、あなたはキョンに胸を大きくして欲しいと頼んだ。その方法は先ほど言った、血行を良くする方法。つまり、キョンに胸をマッサージしてもらったというわけだね?」
 えっ?なんですかそれ!?
「勿論キョンは拒絶しただろう。いくら淫慾が強いと言っても、そこまでキョンが理性を失っているとは思わないからね」
 いんよく……いんよく……もしかして、いやらしい意味でしょうか?
「だがここで橘さんは、『最初は小さいかも知れませんが、どんどん大きくなってあなたの理想の大きさになりますよ』などと入れ知恵をし、キョンの性癖を刺激し、堕落の道へと引きずり込んだんだ」
 あのぅ、何だか、話が変な方向に行ってませんか?
「そしてキョンは君の色香だか誘惑だかに騙され、君の胸を唯ひたすら揉みしだいていたのだろう。……そう、わたしがあの時、助けに入らなければ」
「あのー、佐々木さん……」
「はっきり言おう、橘さん。あなたにはその胸は身分不相応だよ!」

 ……なるほど。
 今ようやく全てを思い出しました。あの事は夢ではなく現の事であったと。そして、記憶を呼び戻そうとすると寒気が襲ったのは、体が記憶を取り戻すのを拒否した……ううん、それどころか防御反応をしたんです。実際記憶を取り戻したせいで、冷や汗と脂汗がダクダクと放出しているのが分かります。人生の大きな分かれ目となり得る分岐路で、見事に踏み間違えてしまい、後悔の涙となって流れ出るが如く。
 ――あの時、キョン君をからかうつもりで言った事を佐々木さんは盗み聞きしていたのでしょう。そして一連のやり取りのあと、キョン君の尋問で佐々木さんが勘違いをし、今にも至っているのです。先ほど佐々木さんは何だか話が変な方向に行ってる、っていいましたが訂正します。何だか、ってレベルじゃないです。絶対変な方向に行ってます。
「橘さんの計略を纏めよう。つまり、小さいうちから目をつけて、自分好みの大きさに成長させる。光君が幼少の若紫に目をつけ、理想の女性に仕立てあげた、日本古来の物語を真似したと言うんだね?」
「いや、あの……」
「胸フェチには堪らないだろうな。自分好みの胸が堪能でき、かつ育て上げる楽しみは類を見ないかもしれない。キョンが墜ちたのも理解できる。ただ……」
 ――ここで三回目の睨みです。またしても金縛りにかかってしまったというのは……すみません、既定事項ですね。佐々木さんは更に言葉を続けます。まるで獅子心中の敵に向かって威嚇するかのように。
「わたしを参加させなかったのがあなたの不運の始まりだ。勝負ごとは何よりフェアを重んじなければいけない……覚悟は、できてるね?」
 そう言って佐々木さんは、スカートのポケットの中から十徳ナイフを取り出しました。
 ――ななな、なんですか!それっ!!
「決まってるじゃないか。あなたのアンフェアな部分、そして災いの元を取り除いてあげるんだよ。その胸に寄生した、醜い肉塊をね」
「あやややややややややややめやめめめめめ……」
「くくくっ、冗談だよ橘さん。そんなにおびえなくてもいいのに」
 クスリと笑いながら、佐々木さんはナイフをしまいました。でも、完全に目の座っている佐々木さんはどう贔屓目に見ても冗談を言っているようには見えません。その上恍惚とした表情でこちらに歩み寄って来るその出で立ちは、大魔神とか大魔王としか形容せざるを得ません。
「……めて……ぁきさ………ん……」
 あたしは何とか説得しようと試みましたが、声が出ませんでした。それどころか先ほどから身動きひとつできません。佐々木さんの神の力が発動したのか、はたまたあたしの全身の筋肉が恐怖で凝結したのか。正確な理由は分かりません。ただ、これだけはわかりました。


 ――橘京子。今まで歩んできた人生の中で最大最凶のピンチです!!




 誰か助けてぇぇぇぇぇっ!!!!!



 





 ――その時。

「…………」
「なっ……」

 あたしに歩み寄る佐々木さんの前に、立ちはだかる一人の少女の姿が目に入りました。
「……申し訳ないけど、そこをどいてもらえないかな?ちょっと向こうの彼女に所用があってね」
 でも、流石は佐々木さんです。何ごとも臨機応変に、そつなくこなすのを信条としている佐々木さんにとっては、この程度のサプライズではビクともしません。佐々木さんは強引に彼女のディフェンスを突破しようと、速攻ドリブルをしかけようとしています。
 あの、一撃即死の笑みを携えて。
「…………」
 彼女も負けじとディフェンスに専念しています。今や戦慄発生装置とも言うべき苦笑いを醸している佐々木さん。しかしそれを目の当たりにしながらも彼女は一歩足りとも引きませんでした。


 助けに、来てくれたんですね――
 彼女は佐々木さんと対峙しているため、その顔を窺い知る事はできませんが、あたしにはわかりました。

 彼女が、ショートボブの寡黙なセーラー服女子高生が、……ううん、あたしの3人目の友達が助けに来てくれたんです!


「長門さんっ!!」
 あたしは思わず叫んでしまいました。先ほど佐々木さんの力によって声が出なくなっていたなんて、嘘のように。
「長門さん?そう言えば、あなたは確かあの時、キョンと一緒にいた……」
「……∬ʼn∽√§∵……」
「きゃっ!!」

 バタンッ

 長門さんが、人の耳では聞き取れない呪文を紡ぎ、一瞬二人の間が明るくなったと思ったら、佐々木さんは突然倒れてしまいました。
「さ、佐々木さん!?」
「大丈夫。気絶しているだけ」
 振り返り様に彼女は言葉を発しました。以前より肥大化した胸を揺らしながら。
 ――間違いありません。彼女は、まさしくあたしの胸を大きくしてくれた、あの長門さんでした。

「長門さん、危ないところをありがとうございました。でもどうしてここに……?」
 あたしは感謝の言葉を述べた後、あたしが一番疑問に思っている事を告げました。
 ……はっ!まさか、ずっとあたし達をつけて来たのでしょうか?許可なくキョン君に接しようとしたあたしに、佐々木さんと同じく制裁をかける気なんじゃ!?
 ごめんなさい長門さん!決してそんなつもりでは……!
「…………」
 長門さんは蝋人形のようにおとなしくあたしを見据えていました。その静寂さ加減がかえって不気味です。
 ああ、どうしよう!京子ズフレンズ第1号の佐々木さんには嫌われ、同2号のキョン君に見捨てられ、その上第3号の長門さんにまで敵対されたら、あたし独りぼっちです!
 うわぁぁぁあ、どうしよう!!
 あたしは、非常事態宣言を発令された時の州知事のような慌てっぷりの形相で、頭を抱えていました。
 ――刹那、長門さんは静かに腕を振り上げました。
「ひぃっ……ごめんなさいっ……」
「……」
「ううっ、お注射だけは堪忍して……ん?あれ?長門さん?」
 しかし、あたしの予想とは裏腹に、長門さんはあたしを指差しただけでした。
「あなたは……」
 ……あたしが、なんでしょう?


 ――あなたは、わたしの友達――


「……ぇ……?」
「その友達が、生命の危機に陥っていた。だから助けに来た」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……ううっ」
「……なに?」
「うわぁぁぁぁん!長門さぁ~ん!!あぢがどお゛ぉぉぉー!!んでじぃでずぅ~!!」

 ――思わず、あたしは長門さんに抱き付き、思いっきり嗚咽の声を上げました。

「よしよし」
「うう、ざざぎざん、ごあ゛がっだでずぅ~」
 長門さんは、あたしの頭と背中をさすって、あやしてくれました。それがとても心地良かった事が印象的でした。
 重ね重ねごめんなさい長門さん。あたしは勘違いしてました。そうですよね。長門さんがそんな酷い事するわけありません。あたしの友達は、それこそたくさんいます(さっきは思わず3人って言っちゃいましたが、実はたくさんいるのです。いるったらいるのです!)が、本当の意味で親友と言えるのはもしかしたら彼女だけかも知れません。
 あたしは暫く長門さんの胸の中で泣きました。あやすのも上手ですが、胸が大きくなっているせいで、その心地よさはもう最高です。まるで低反発素材の上にスエード調の起毛素材をあしらったクッションの様な感触があたしを包み込んでいるかのようです。

 ――長門さん、あったかいな。まるでお母さんみたい。胸が大きいと、人をこれだけ幸せにできるんだ――
 この時あたしは、そんな風に感じました。



 





 暫くして落ち着いたあと、長門さんにある問い掛けをしました。
「ずっと、追ってこられたのですか?」
「そう」
「アパートから出て、ずっと?」
「そう」
「和菓子屋でも?じっと何も食べずに?」
「そう」
 うわぁ、なんと言うストー……何でもないです。命の恩人に向かって言う言葉じゃないですね。ごめんなさい。しかし、あたしは佐々木さんにつけられ、そしてまた長門さんにも追いかけ回され、もしかしたら人気者?ちょっと、うれしいかも……
「わたしも、食べたかった」
「ごめんなさい、長門さん。今度は必ずおごりますから!」
「本当?」
「ええ、橘京子、友達に嘘はつきません!」
「……わかった。期待している」
「はい!任せてください!――それで佐々木さんですが、どう処理するんでしょうか?」
「大丈夫。こちらの件はは任せて欲しい。諸悪の根源はイレーズする」
「は、はいっ!宜しくお願いします!!」
 長門さんはあたしに頼もしい言葉を投げ掛けてくれました。頑張ってください、長門さん!諸悪の根源佐々木さんを処罰抹殺根絶して、グウの音も出ないようにしてください!
 ……って、あれ?
「長門さん!ちょっとタンマ!」
「なに」
「イレーズって、まさか佐々木さんを……」
「存在そのものを消去する」
「ちょっと待ってください!それはダメです!!!」
「しかし、このままでは、あなたの存在は無かったものとされてしまう」
 ええっ!?何でですか!?
「彼女が所有していた未熟な世界改変能力は、条件付きとは言え、今や完全に制御できるようになってしまった。その鍵となるのは、あなた」
 え?あたし?もしかしてキョン君と涼宮さんみたいな関係でしょうか?でもあたし、そっちのケは……。
「違う。彼女の改変能力は、あなたに対する嫉妬心が引き金となって力が発動する。あなたの行動如何では、あなたの存在の消去される可能性がある」
 あたしの存在が……消えちゃう!?
「それだけではない。この一件に関して、彼女から発生している妄執は今までわたしが観察してきた有機生命体のレベルを遥かに逸脱している。このままでは、あなたに関わった全ての事象が闇に葬られてしまう。わたしたちも、そして彼も」
「それはだめですぅ!!」
「ならば、彼女の存在を消去する」
「それもダメです!せめて、佐々木さんの記憶を少しだけでも消去できないんですか!?」
「可能だが、無意味」
「え?」
「彼女は、現在までの記憶を、最重要事項として、わたしの情報操作が不可能な部分の奥底にしまい込み、その上TBSを造り上げ、情報操作をシャットアウトした」
 TBS?なんですか、それ。佐々木さん、テレビ局にでも入社したのかしら?
「正確には、情報操作及び情報改変耐性障壁含有空間。この中に存在する情報は、如何なる場合に於ても消去されない。たとえ情報統合思念体の力を持ってしても」
「そんな……」
「またこの空間には再生能力がある。仮に彼女の記憶を消去したとしても、既存の情報を生み出す能力が再発し、元の記憶として再構成される」
「つまり、佐々木さんの記憶は、長門さんの力じゃ消去できない、ってことですか?」
「そう言うこと」
 そんなぁ~。長門さんに無理な事じゃ、あたしにはできるはずかありません。どうしよう……そうだ!九曜さんなら!
「それも無駄。天蓋領域はこの能力に目をつけ始めたばかり。恐らく解析はまだ進んでないに等しい。下手に刺激すると、彼女の能力が暴走し、全ての情報が抹消される可能性がある」
「じゃあ、どうすればいいんですか!」
「彼女自身を消去する他ない」
「だからそれはダメですってぇ!!」
 あまり偉そうな事を言える立場じゃありませんが、『二者択一』って言う考えは改めて、『譲歩』とか『歩み寄り』って言う方法を用いてください!
 お願いします長門さん!あなたしか頼れないんです!
「…………」
 長門さんはあたしの方に目線を向け、ずっと固まっていました。時折、口が動くのですが、直ぐにまた噤んでしまいます。
 自分の伝えたい言葉が相手に理解できない事を悟り、言葉を選んで話そうとした瞬間また詰まる。そんな感じに見受けられました。


 暫くそんなやり取りが続いたあと。
「……うっ」
「佐々木さん?気がつきましたか佐々木さん!?」
「……橘さん?……あれ……うん……?」
 佐々木さんは、ベンチに寝たまま、うわ言の様に話しかけました。
「どうかしましたか、佐々木さん?」
「あ、いや……今朝、家を出た辺りまでは覚えているんだが、その後から全然覚えてなくて、気がついたらこんなところに寝かされていて……」
 こ、これはまさか……、一時的な記憶障害?チャンス!!適当な嘘を吐いて、この場を撒いちゃいましょう!あたしは佐々木さんのベンチに駆け寄り、佐々木さんも介抱する素振りを見せながら話しかけました。
「佐々木さん、いきなり貧血で倒れたんですよ!で、ビックリしてあたしがここのベンチに座らせたんです!」
「……そうだった――かな?少々記憶が曖昧で……わたしは何をしようとしていたの……?」
「あ、あのですね、ほら!、今日あたしと一緒に新装開店した和菓子屋に行く約束をしてて、そこに行った帰りだったじゃないですか!」
「うーん……そう言えば、和菓子屋に向かったような記憶の断片が奥底に沈降しているようなそうでないような……いやしかし、二人だけではなかった気が……他に誰かいたような……」
「うっ!そ、それは……その……ああっ!こ、この長門さんです!そうですよね!長門さんっ!!」
 佐々木さんのピンポイントな記憶の復元に内心驚きつつも、あたしはアドリブで長門さんを指差しました。
「…………そう。和菓子屋に行った。一緒に」
 空気を読んでくれた長門さんが、ナイスな返答をしてくれました。この辺はフラクラのキョン君と違って素晴らしいです。できる子です。
「ながと……さん……?」
 佐々木さんは手を額の前に翳して、長門さんの方を見ていました。佐々木さんから見ると、長門さんの方向は逆光で眩しいみたいです。
「長門さん……?そう……だっけ?彼女と話した記憶がないんだが……」
「あうっ……だ、だって、長門さん寡黙だから、ほとんど話してないんですよ!!」
「……ない」
「そう……言われれば、そんな気もしてきたけど……で、これから何をするところだったのかな……?」
「え?えーと、お、お菓子も食べたことですし、佐々木さんは塾の時間だから、そろそろ解散しようとしてたんですよっ!」
「ん……そう言えば今日は塾の日だったわね。迂闊だったよ。そろそろ行かなければ補講に間に合わなくなってしまう。……すまなかったわね、橘さん。大分回復してきたよ」
「い、いえ!佐々木さんの為ならどうってことないのです!それより早く向かった方がいいですよ!」
「ああ、そうするよ。ありがとう」
 よかったぁ!佐々木さん、ものの見事に忘れてます!これであたしへの恨みもきれいさっぱりです!あとは佐々木さんを刺激しないように、優しく見送るだけです!
「……ぅんしょっ、と……ん……?」
 ……?起き上がった佐々木さんが長門さんの方を見て、怪訝そうな顔をしています。
 どうしたんですか、佐々木さん?
「あ、いや……。長門さんは、あんなに……いや、以前に一度しか見てないから、見間違いと言う事も……それに、あれから成長したとも考えられる……」
 佐々木さんは何やらぶつぶつと独り言を言い出し始めました。怪しい人……コホン、というより、何かを真剣に考えて、声が出ているのに気付いていない、そんな感じです。
「佐々木さん?何か悩みごとですか?」
「あ、いや……そんな大層なものじゃないんだが、以前の記憶と現実の照合ができなくてね……」
「あの、まだ調子が悪いんじゃ……」
「いつも心配してくれて本当に感謝のしようがないよ。でも大丈夫だよ、橘さ……」

 ――瞬間、佐々木さんは石膏のようにカチンコチンになってしまいました。佐々木さん?どうしましたか?
「…………」
 佐々木さん?
「……くく」
 さ、佐々木さん?
「くくくくくくくく」
 あ、あのぉ……ささきさん……??


「ふはははははははははははっ!!!」


 ど!どうしたんですか!いきなり悪の親玉みたいな笑い声を上げて!!
「くくくっ、本当に橘さんには感謝しなければいけないね、全く橘様々だ」
 あ、いえ、介抱の件ならもう十分感謝されたんで……
「その件にも感謝しているが、今一番有り難いと思っているのはだね……」
 ここで佐々木さんは一呼吸し、朗々たる声であたしに宣言しました。

「全ての記憶が蘇ったからだよ。鮮明にね――」


 ――え゛――


「なるほど和菓子屋さんには行った。だが一緒にいたのは長門さんではない。――キョンだ」
「な、なぜ……今になって記憶が……」
「ふっ、理由を知りたいとでも言うのかい?簡単なことだよ。君が持つ、あるものによって脳が刺激され、活性化され、記憶を呼び戻したのさ」
「あ、あたしは佐々木さんを刺激するようなことなんて何も……」
「なにぃ?」
「ひっ!!」
 あまりにどす黒いその怒号に、あたしは思わず後退りしました。それだけではありません。佐々木さんは眉を潜め、眉間にシワを寄せ、そして青スジを立てていました。まあ簡単に言うと、怒ってるってことですね。
 ――ううう、本当に記憶が蘇ってますよ……なんで……?
「君は、何故わたしが記憶を呼び戻したのか気付かないの?」
「は、はぁ……」

 ――ドンッ――
「うひゃっ!!」
 ――突然、真っ二つにベンチが折れました。普通、ベンチが折れるとしたら、経年劣化した足が折れるとかだと思いますが、真新しい、錆止め塗料が塗られた金属製のベンチの足がそんな風に折れるはずもありません。しかも折れたのは足ではなく、座席部――つまり、佐々木さんがそれまで寝ていた部分です。座席の切り口は鋭利な刃物で切断されたかの如く、金属固有の光沢によって輝いていました。そして、当の佐々木さんは、ベンチが崩れ落ちるのを目の当たりにしながらも、目もくれずあたしを睨んでました。
 ――すみません、回りくどい言い方をしなくてもわかりますよね。ちょっとした現実逃避をしたいお年頃なんですよ。つまり、佐々木さんの手刀一撃が、易々とベンチを切り裂いたのです。まるで聖剣エ○ス○リ○ーのように。
 さ、佐々木さん……あなたはカ○リ○ーンのシ○ラですか?
「ならばヒントを与えよう。橘さんが持つ、恐らくあなたにとってかけがえのない、重要なものだよ」
「え……と……佐々木さんとあたし……二人の……間にある……友情……かな……?」

 ――プチン――

「違う!そんなものハナッからない!!」
「えええっ!!」
「そうじゃなくて!そんなでっかいもんブラブラさせてりゃ嫌でも記憶が蘇ってくるでしょうが普通!!」
 そして、佐々木さんは、あたしを指差して絶叫しました。


 ――あたしの、お化けカボチャ並に実ったおっぱいを。


 …………あ。
 しまったぁーーーぁぁぁーーーぁぁーー!!!


 佐々木さんを刺激しないようにしたつもりでしたが、何と言う失態!これはピンチです!!
「くくく、記憶も蘇ったことだし、先ほどの続きをつつがなく進行しようではないか」
「な、なにを……!?」
「とぼけたって無駄だよ、橘さん。先ほどは冗談と言ったが、どうやら冗談では済まなくなりそうだしね。これも橘さんのせいだよ。因果応報とは良く言ったものだ。くくくっ」
「た、助けてぇ!!」
「――させない」
「な、長門さん、たすけ……」
「長門さん、あくまで彼女に荷担する気なの?……ならば丁度良い。どちらが正しいか白黒はっきりさせてはみませんか?」
「望むところ」

「くくくくくくくく」
「……………………」

 ――そして、二人は対峙して、睨み合ったまま動かなくなりました。
 あたしの命を狙う美少女と、あたしを守ろうとする美少女……ちょっとアブない雰囲気がわんさかしていますが、なんとなくいいかも。あたしお姫様みたい……

 ……じゃなくって!どうしたら良いんですかこの状況!いくら佐々木さんがイッちゃってるからと言って、ここで消去してしまったら、涼宮さんの、そして『機関』の思い通りの世界に改変されてしまいます。勿論あたしたちにとって百害あって一利なしなのです!長門さんに荷担して、佐々木さんを消すのは決して妙策とは言えません!でも、このままだとあたしが佐々木さんに消されそうだし……どうしたら……
 んん……もうっ!
 八方塞がりじゃないですか!どうしてこんなにあたしは不幸なのよ!何か悪い事しましたか!あたし!!もう……ひっ……いやです……う、う……


 ――うわぁぁぁぁぁぁん!!!――


『……!!!』
「ふっ……ふたりとも……ひぐっ……やめてくらさぃ……ぐすっ……」
「た、橘さん……」
「…………」
「あたし……ううっ、ふたりが……えぐっ……けんかして……ひん……やだ……んぐっ……」
「…………」
「…………」

 あたしは思わず泣いてしまいました。あたしにとって、二人は友達なのです。佐々木さんは、キョン君のことになると暴走しますが、普段はあたしに構ってくれる心優しい方ですし、長門さんは約束をちゃんと守ってくれる、とっても清純な方です。理由の如何にかかわらず、友達同士が争っているところなんて、みたくありません!

 ――あたしは、いつまで泣いていたでしょうか。はっきりとは覚えてません。ですが――

「橘さん、すまなかった。もう怖い事はしないから、泣かないでくれないかな?」
「ごめんなさい」
 あたしが気付いた時には既に二人は対峙するのを止め、あたしを慰めてくれてました。佐々木さん……長門さん……仲直り、してくれたんですね!
「ああ、原因はともかく、このようなプロセスを取ってしまった件と、他人に迷惑をかけた件については謝罪する。このとおりだ。許して欲しい」
「あなたのためにした事が、あなたを苦しめる事になってしまったのに、それに気が付かなかったわたしに一切の責任がある。謝罪する」
「二人が仲良くしてくだされば、それでいいのです。さあ、もう喧嘩しないって誓ってください!」
「ああ、誓うよ」
「誓う」
 ――違います!誓うといったら、コレをしなきゃダメなのです!

 あたしは二人の小指と小指を取り、絡めてあげました。
 そして――



 ――ゆびきーり げんまん うそついたら はりせんぼん のーます――



 ――ふたりがもう喧嘩をしないよう、約束させました。
「ふふふっ……」
「くくくっ……」
「………………」
 あたし達は、少し照れたように笑いました。長門さんは相変わらずの無表情ですが、それでもドライアイスのように冷たかった表情が、幾分緩んだようにも見えました。
「さっ、これで二人は仲良しさんなのです。これからは喧嘩をせず、困った事があったら二人で協力して解決しましょう。でないと針千本飲ませますからね!」
 あたしは新たに友達関係になった二人に、喝を入れてあげました。これで一件落着なのです。
「ふっ、そうだね。これからは長門さんと協力する事にしよう。あの件、快諾してくれるよね、長門さん?」
「了解」
「あれ?早速二人の共同作業ですか?いつの間にそんな約束を?」
「先ほど、橘さんが泣いている間に、ね」
「なぁんだ、そうだったんですか。ではあたしも手伝うのです!」
「それは願ったりかなったりだ。……では」

 ――ガバッ――

 ……えっ??
 あたしは、佐々木さんの意味不明な行動に頭の中にクエスチョンマークをたくさん点灯させてしまいました。
 ――何をしたのか、ですって?それはですね、佐々木さんがあたしをはがい締めにしたんです――


 





 ――へっ?

 あたしは佐々木さんの行動に対して、馬鹿みたいに呆けていました。
 なんであたし、佐々木さんにホールドされてるの……?
「あの、佐々木さん……?」
「いや、橘さんがあっさり承諾してくれて助かったよ。嫌がると思ってたんだけど、いやはや、友達思いで痛み入る」
「あの……何の話ですか……?」
「だから、手伝ってくれるんだろう?わたしたちのトラブルを解決するために」
「は、はあ……でも、何をなさるおつもりで……?」
「簡単なことだよ。喧嘩となってしまった原因を取り除くだけさ。――つまり、橘さんの胸に付け足した脂肪の塊を撤去することにしたんだよ」
「えええええっ!!!」
「橘さんの胸がそんなに肥大化しなかったら、長門さんと喧嘩することなどなかったんだ。それに橘さんを敵対視する理由もなくなる」
「加えて、あなたの使命である、涼宮ハルヒの能力移転も、彼女の精神安定効果も格段に容易になる」
「そ、そうですけど……でも……」
「それより何よりね、そんなものをキョンの目の前にぶら下げていたらキョンの目に毒だよ」
 そ、そんな……
「彼が朝比奈みくるに対して、異様なまでに視線を集中させている原因が理解できた。これ以上彼の視線を他人に集中させるのは、涼宮ハルヒの機嫌を損なう可能性がある。かなり危険」
「で、でも、長門さんだって大きくなってるんだから、やっぱりキョン君の目線はあなたにも向けられることになるんじゃ……」
「…………」
 ……長門さん?まさかそこまで考えてなかったとか?
「……わたしは、特別」
「えええっ!」
「……冗談。手は打ってある」
「どんな手を……」
「……来た」

 ――トタタタタタタ――
 長門さんの合図に呼応するかのように、あたしの後ろから足音が聞こえてきました。






「いっえーい!とうちゃっ、くー!」
 この声は……まさか……
「有希、それに佐々木さん、待たせちゃったかな?……あれ、橘さんもいるの?」
 あたしは、恐る恐る振り返りました。

「なっ……橘さんっ!どうしたのその胸!?」
 ――あたしの目に飛び込んで来たのは、驚愕の声を携えた、涼宮さんでした。
「すっごーい!作り物??えっ、本物??うっそー!?」

 ムギュ ムギュ

「ひゃん!す、涼宮さ……あん……やめ……!」
 佐々木さんのホールドが解かれたのも束の間、今度は燦々と目を輝かした涼宮さんにホールドされ、胸を思いっきり揉みしだかれました。

「うそでしょ!本物の感触よこれ!大きさもみくるちゃん以上よ!!どうやったらこんな風になるの!?」
「あはん……いや、やめ……て……んんっ!」
「それはわたしから説明するよ、涼宮さん。見てのとおり、橘さんの胸はある時を境にして、異常に成長してしまった」
「へえ……そうなんだ……不思議なこともあるものね……」
「へゃぁぁぁ……」
 パタン。
 あたしは思わず地面に座り込みました。涼宮さんがあたしの胸を揉むのを止め、佐々木さんの話に耳を傾け始めたからです。
「また、時を同じくして、長門さんの胸も大きくなってしまったんだ」
「…………」
「あら本当。橘さんほどじゃないけど、大きくなってるじゃない。ふーん、へぇー」
 涼宮さんは、長門さんの胸をまじまじと観察しています。……なんであたしの胸は観察をせず、いきなり揉みしだいたのでしょうか?不公平ですよ。
「こうなってしまった原因は皆目見当が付かなかくて、ほとほと困っていたんだ。だけど二人が共にこうなってしまった事に着目すると、ある事に気付いたんだ」
「それが二人の胸が大きくなった原因なのね!何なの?宇宙人の襲来?超能力者の陰謀?」
「実は橘さん、数日前から『胸が大きければなぁ……』等と始終ぼやいていたんだ。少し頭でも打ったのか、はたまたいつもの電波なのか。この時はあまり近付かない方がいいと思って無視していたんだ」
「あの、確かに胸が大きくなりたい、というのは言いましたけど、電波ってちょっとひど……なんでもないです」
 佐々木さんがあたしに対してあまりにもぞんざいな扱いを受けているのに抗議しようと思いましたが、佐々木さんの目からビームが発射されあえなく黙りこくる事になりました。
 そして、何故だか佐々木さんは長門さんにアイコンタクト。気になります。
「そんなある日、突然橘さんの様子が変わったんだ。なぜだか知らないけど、非常に浮き足立っていたね。あの時は」
 ――へ……いつの事ですか?
「…………」
 ――あれ……おかしいな……?
「あの時から既に橘さんの恐ろしい計画は始まっていたんだ」
――な、なんですかそれ!あたしそんな事してません!
「…………」
――え?なに?何なのこれ!?
「…………」

 あたしは大声で、そんな感じの言葉を喋ったつもりでした。しかし、たとえではなく、本当に言葉を発する事ができませんでした。
「……!……!」
 ――どうして?どうしてなの?佐々木さんのせいなの!?長門さん、助け……!!
「!!!!」
 そこで、あたしは見てしまいました。
 ――長門さんの、背筋が凍り付くような冷笑を。まさか長門さんがあたしの動きを封じてる……?
 ――そして、佐々木さんが長門さんと同様の冷笑を浮かべました――

「次の日の放課後、橘さんがいつものように学校まで迎えに来るはずだったんだけど、彼女は来なかったんだ」
 あたしの内心の動揺を余所に、佐々木さんは話を続けていました。
 ――賢明な皆様なら既にお分かりだとは思いますが、この辺りから佐々木さんの嘘八百与太話です。信じないでください。お願いですから。
「何故だか胸騒ぎがしたわたしは、橘さんに連絡を取ったんだ。彼女は『ちょっと所用ができたんでお付き合いできません』などと丁の良い事を言ってたけど、そのとき気付くべきだったよ」
「一体、橘さんは何をしていたの……?」
「それは……これだよ」
 そう言って、佐々木さんが見せた一枚の紙切れ。
 そこには――


『自分の脂肪をバストに移植・注入! 入院の必要なし! 究極のバストアップとシェイプアップをぜひ体験してください! ただいまモニター募集中! 連絡先 ●●クリニック』


 な、なんですかこれは!全然見に覚えがありません!!
「橘さんが鞄から落としたのを拝借させてもらったよ。なるほど、モニターの締切りが当日までだったから、急いでこのクリニックに駆け込んだのだろう。そして、橘さんの余り気味だった脂肪を胸に移植した、ってわけさ」
 明らかに無理がありますって!どう考えてもヤブ医者ですよそこは!それにそんな気前のいい美容整形外科師がいたらむしろ教えて欲しいですよ!
「なるほど……」
 ああん!涼宮さんも納得しちゃダメ!
「……あれ?でも、何で有希まで?それに有希と橘さんの接点なんて、ほとんど無いじゃない!?」
 よく気がついてくれました涼宮さん!佐々木さんの姦計を見事打ち破ってください!

「……橘京子と出会ったのは数日前、市立の図書館だった」
 え……長門さん……?
 ――あたしは驚きました。今まで無言を貫いていた長門さんまでもが喋り出しましたからです。
「彼女は医学・薬学系の文献を読み漁っていた。どうやら胸を如何に効率よく大きくするか、それを調べていたらしい。熱心に文献を読む姿に惹かれ、わたしは彼女に声を掛けた。……その日以来、二人で文献を調べる日が続いた」
 どうやら長門さんも、ここ数日の記憶を捏造することにしたようです。
 ……これって、あたしにとってかなりピンチなんじゃ……
「ある日、橘京子がバストアップによい方法が見つかったと言って、わたしをある場所へと連れて行った。そここそ、その広告にある場所。わたしは望まなかったのに、バストアップのモルモットにされてしまった」
 長門さん、それは無いと思います!むしろ長門さんが望んでバストアップしたのに……
「橘京子は、わたしのバストアップが成功したのを確認してから、自分もその手術を行った。しかも医師に無理を言って、常人の三倍量の脂肪を注入した」
「それであそこまでたわわに実ったわけね……有希を実験台にしたのは許せないけど、でもバストが大きくなった事に何か問題でもあるの?」
 そ、その通りですよ!バストが大きいからと言って危害なんて加えませんよあたし!涼宮さんえらいっ!
「くくくっ、涼宮さん、一つ重大な事を忘れてないかい?」
「重大な事?」
 佐々木さんはもったいぶりながら、こういいました。


 ――キョンが、巨乳萌えだって事さ――


 ――ビッシ――
 そして、涼宮さんは見事に凍り付きました。


「加えて前回のこともある。これ以上橘さんにうつつを抜かすようになったら、ねぇ……くくく」
「それは困るわ、ねぇ……ふふふ」
 あ、あの……二人がその満面の笑みをかざしてくれるってことは、どのライフカードをとっても、『死亡』としか書かれてないってことでしょうか……
「では涼宮さん、そっちをよろしく」
「ええ。有希、そのクリニックまで案内頼むわね……」
「……わかった」



 ――こうして、あたしの意志など無関係に、あるはずもない美容整形外科クリニックに連行されるはめになりました。






 その後のことを少しお話したいと思います。
 あたしは程なく美容整形外科に連行されました。勿論実際には存在しないクリニックだと思うのですが、そこは長門さんが情報操作をしたみたいです。現場には、立派な建物がありました。 そして涼宮さんは、あたしを担当した事になっていた医師を呼び出し、手術のやり直しを申請したのです。しかもタダで。まあ、長門さんが作り出した医者ですから、何でもありなんですけどね。あたしは手術台に寝かされて、麻酔をかがされ――そこまでは覚えていますが、その後の記憶は定かではありません。

 ――そして――

「うわぁー!すごいわこのバスト!みくるちゃんにだって引けを取らないわ!これでキョンの注目はあたしのものよっ!」
「そうはいかないよ、涼宮さん。そういうと思って、わたしも同じ大きさにしてもらったから」
「くっ、やるわね佐々木さん。……まあでも、勝負はフェアに行かなくちゃね。抜け駆けは無しよ。誰かさんとは違ってね」
「ああ、元よりそのつもりだよ。橘さんも当然分かって……くくくっ」
「ふふふ……ダメだって……わらっ……あははははっ!!!」
「ユニーク」
「………………」

 会話の内容でお分かりになるかも知れませんが、佐々木さんと涼宮さんは、見事にバストアップされました。大きさは、そうですね……朝比奈さんくらいでしょうか。因みに長門さんは変化無せず。中の上と言ったところです。
 ですが、おかしいと怪訝に思う人もいるでしょう。バストアップするためには脂肪が必要なのですが、お二人は余分な脂肪などないくらいスリムです。どこからか脂肪を調達する必要性がありますよね。
 ――はい、もうお分かりになりましたでしょうか?そうです。あたしのおっぱいから抽出したんです。 おかげであたしのおっぱいは、以前よりも小さくなって、例えるなら大平原とか、洗濯板といった表現がピッタリになってしまいました。これじゃあ組織に帰っても笑われます。


 ――でっかい胸は人を不幸にする――
 少し前にあたし自身が言った言葉ですが、まさか本当に不幸が降り注いで来るなんて……

 楽しそうに帰路に付く三人を尻目に、あたしは憤慨してこう叫びました。




「おっぱいの、バッキャロー!!!」




 おわり?


 

 

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2020年03月12日 01:10