◇◇◇◇
 
 終業式の翌日、俺たちは孤島in古泉プランへ出発することになった。
 とりあえずフェリーに乗って、途中で森さんと新川さんと合流し、クルーザーで孤島までGO。
全く問題はなく順調に目的地までたどり着くことが出来た。
 あとは多丸兄弟を加えて、これでもかと言うほど昼は海水浴、夜は花火&肝試し、さらに二日目は何か変わったものがないか
島中の探索に出かけた。特に何も見つからなかったが、ハルヒはそれなりに楽しんだらしい。
あと、古泉たちによるでっち上げ殺人事件のサプライズイベントはなかった。まあハルヒは名探偵になりたいとか
そんなことは全く考えていなかったからあえて用意しなかったのだろう。今のあいつは、みんなで遊べりゃそれで良いんだからな。
 さてさて。
 そんなこんなで孤島で過ごす最終日の夜を迎えていた。翌日の昼にはここを去ることになっている。
 何事も無く終わってくれれば良かったんだが……
 
「ぷっぱー! サイコー! ご飯は美味しいし、空気はきれいだし、毎日遊び放題! まさにここは楽園だわ!」
 最後の夕食でハルヒは何度目になるかいちいち数える気にもならなくなる言葉を口にする。
確かにこの三日間はかなり楽しかったけどな。料理もオフクロのものとは違うが、高級料理というものを
たっぷり食べることが出来た。
「みなさんに楽しんでいただければ、セッティングした僕としても幸いです」
 古泉はにこやかな笑みを浮かべつつ箸を進めていた。一方で長門はやっぱり機械作業のごとく取る→食べるの動作を続けている。
朝比奈さんは小食っぽくゆっくりと味わって食べていた。
「お飲み物はまだまだありますので」
 そう森さんが空になっているハルヒのコップにジュースを注ぐと、ハルヒは間髪入れずにそれを飲み干した。
もうちょっと味わって飲んだ方がいいんじゃないか? 勿体ない。
 
 食事後、全員が自分の部屋へと戻っていく。中々満喫できた孤島ぐらしも今日で終わりか。荷物の整理とか考えると、
今日はとっとと寝て明日はその片づけで精一杯だろうしな。ハルヒは何かおみやげあたりをあさりそうな気がするが。
 だが、そろそろ就寝時間が近づき、ベッドに腰掛けたタイミングで――
 カチャ。唐突に俺の部屋の扉がゆっくりと開かれる。あまりに突然だったため、俺はぎょっとしてしまうが、
すぐに現れたハルヒの姿に安堵した。なんだ一体。夜ばいなら時間はまだ早いし、お前にやられてもちっとも嬉しくないぞ。
「そんなばかげたことを言っている場合じゃない……!」
 ハルヒは緊迫感を込めつつも小声という器用な口調で言いつつ、音を立てないようドアをゆっくりと閉める。
 様子がおかしい。何かあったのか?
 俺は立ち上がってハルヒの元に駆け寄る。
「敵よ」
 ハルヒが言った言葉に俺の全身が凍った。冷や汗が体外ではなく血管内に出たかのように、全身に嫌な悪寒が広がっていく。
 敵? 敵だって? この期に及んで一体なんだってんだ。
 すぐにハルヒは苛立ちを見せながら、俺の寝ていたベッドに腰掛ける。そして、すぐにいつぞや見た空中モニターみたいなものを
表示し始めた。
「おい、すぐ近くに長門がいるのに――」
「ばれない程度にやっているわよ。そんなことを気にしている暇があったら、ほら見てみなさい」
 そのモニターをのぞき込むと、夜間の海上を一隻のクルーザーが猛スピードで走っている。別のモニターには
物々しい特殊部隊風の格好をした連中が多数映し出されていた。なんだこりゃ、まるで上陸作戦に備える軍隊みたいじゃないか。
「みたいじゃなくてそうだと考えた方がいいわね。一直線にここに向かってきているわ」
 険しい顔でハルヒ。どうすればいいのか考えているのか、そわそわと両手の指を重ねてほじくるような動作をしている。
 持っている自動小銃や物々しい装備品を見る限り、古泉が仕組んだサプライズイベントの可能性はゼロと考えて良いだろう。
そうだったら、あいつとは二度と口をきいてやらん。冗談にもほどがあるからな。
「狙いは……どうみてもあたしでしょうね。機関の危ない連中なのか、それとも別の組織かはわからないけど、
見たところ現代人間。未来人やインターフェースの可能性はない。連中ならこんなまどろっこしい手はつかわないし」
「上陸するまであと何分ぐらいなんだ?」
「およそ10分」
 ハルヒの言葉に絶望感を憶えた。10分だと。たったそれだけで何をしろというのか。せめてもうちょっとあれば、
古泉たちに話して機関側で対処してもらうことも――
「できないわよ。どうやってその情報を知ったのか、どう答えるつもり?」
 ハルヒの突っ込みに俺は言葉を失う。確かにその通りだ。機関で気が付いていないことを俺が知っていたらおかしい。
長門が気がついてそれを機関に報告してという流れが理想だが、
「有希はまだ気が付いていないみたい。でもこれは幸いよ。有希が気が付いたら、あたしが動けなくなるから」
「長門がそんな連中全部ぶっ潰してくれるかもしれないだろ」
「どうかしら。有希はあたしの観察が目的よ。襲ってきたのが情報統合思念体の急進派とかなら対処するでしょうけど、
今来ているのはただの武装した人間。相手にしてくれるかどうか……」
 確かにそうだ。長門自身はどう思うかわからないが、親玉はそういった人間同士の抗争を含めて観察している可能性が高い。
つまりここで武装した連中と例え銃撃戦が始まっても、それはただの観察対象扱いされるかも知れないのだ。
 さらにハルヒは追い打ちをかけることを言ってきた。
「あと機関も頼れないわ。確認したけど、この館には武器の一つも置いていない。元々襲撃される可能性なんて
考えていないんだから当然よね。せいぜい逃げ回ることしかできない。その間に誰かが傷つくわ」
「だが、逃げ回っている間に機関の本部とかに連絡して援軍を寄越してもらえばいいだろ。そうすりゃ、反撃だって出来るし、
救出もしてくれるはずだ」
「忘れたの? 機関はその存在をあたしに知られるわけにはいかないのよ? 一緒に逃げ回りながら、どうやって
その正体を隠すつもりよ。あたしがすっとぼけることはできても、今度は不自然すぎて逆に怪しまれることになるわ」
 ええい、そうだった。機関にとってハルヒにその存在を知られるわけにはいかないのだ。例えここで武器を持っていて、
上陸してくる連中を撃退できたとして、当然ハルヒもその光景を見るわけだからどうやっても言い訳のしようがなくなる。
言い訳ができても、ハルヒがそれを飲んだらそれはそれでおかしな話になる。完全な八方塞がりだ。
 後は未来人に託するしかないが……それもどうだろうか。やれるならとっくにやっているんじゃないか?
ん、ちょっと待てよ?
「みくるちゃんの――ええと、でっかいみくるちゃんだっけ?が言っていたやつってこのことじゃないの?」
 俺の心を読んだかのように、ハルヒが先に言ってしまった。
 朝比奈さん(大)は起こればすぐにわかると言っていた。これ以上わかりやすい危機的状況なんてそうそう無いだろう。
そうなると、このことに未来人は関与しない。理由は知らんが、解決できるのは俺とハルヒだけと朝比奈さん(大)が
言ったんだから間違いない。
 ならば現状でできることはなんだ?
 俺の脳細胞をフル活用した結論は――
「つまり、この別荘の中にいる人間――それも宇宙人・未来人・超能力者に気がつかれることなく、襲ってきた連中を
俺とハルヒで全部撃退し、あまつさえ襲撃者から撃退された理由に関わる記憶を削除すればいいってことか?」
「そうよ。それしか破綻を回避する方法はないわ」
 あっけらかんと答えるハルヒだが、無茶苦茶だろ。確かに超能力者オンリーの世界では、ハルヒは襲ってきた機関主流派の
特殊部隊を全部撃退した実績があるから可能かも知れん。だが、今回はこの別荘内の人間に知られない・相手の記憶を改竄するという
二つの要素が加わる。いくらハルヒが凄い奴とは言っても、こんなことは長門や朝倉レベルじゃなければできっこない。
知られないという点だけでも、一発でも発砲されれば銃声音が別荘内に響き渡り騒ぎになるはずだ。その時点で失敗である。
 朝比奈さん(大)。いくら俺たち次第だからと言われても、これは難易度が高すぎます。しかし、これを突破しなければ、
ここでこの世界は最悪リセットにせざるを得なくなるかも知れない。数ヶ月かけて積み重ねたものがぶっ壊されるのは最悪だ。
「無茶でも何でもやるしかないのよ……!」
 ハルヒの言葉には怒気がこもっていた。さっきまで幸せ満喫状態だったのを、突然の乱入者によって
テーブルをひっくり返されそうになっているんだから――いや、もうひっくり返されたんだから、怒って当たり前だ。
 だが、どうすりゃいいんだ? とてもじゃないが有効策なんて思いつかないぞ。
 と、ここでハルヒは俺の方に振り向き、
「あたしは外に出る。部屋には念のため自分のダミーを置いておくわ。ベッドで寝かせておくから見た目には
わからないはずよ。鍵もかけてあるし。そして、あんたにはやって欲しいことがある……」
 ハルヒからの頼み。それはとんでもないことだった。
 
◇◇◇◇
 
 俺はハルヒを見届けた後、長門の部屋をノックしていた。時間的に見て、もう敵は上陸したころだろう。
今頃こっちに向かう準備を進めているに違いない。時期にハルヒが撃退行動が始まる。俺に与えられた使命の
タイムリミットはそこまでだ。
 ほどなくして、
「誰?」
「俺だ。すまんが、緊急の用事なんだ。部屋に入れてくれないか?」
 そう答えると、ゆっくりと部屋の扉が開かれていく。中には寝間着に着替えた長門の姿があった。
 俺はそそくさと中に入り、扉を閉める。さて、ここからが勝負だ。
「何か用?」
 長門はいつもの液体ヘリウムのような瞳でこっちを見ている。俺はその前に立ち、
「頼みがある。お前にしか頼めない重要なことなんだ。聞いてくれるか?」
「内容を」
 俺は一旦言葉を再整理してから、
「この別荘を5時間だけ外部とは完全に隔離して欲しい。外で何が起きても中からではわからないようにだ。できるか?」
「可能。しかし、理由が不明」
 やっぱり聞くよな、理由は。だが、はっきり言おう。俺には適切な言い訳が思いつかなかった。むしろ、取り繕えば繕うほど
矛盾や穴が広がり訳がわからなくなる。そんなことをするぐらいなら、いっそのこと――
「理由は……聞かないで欲しい」
「なぜ」
「言えないからだ。どうしても」
 我ながら無茶を言っていると思う。相手にお願いしておいて理由は聞くな。自分が言われたら絶対に納得しないだろう。
だが、それしか方法がないんだ。この最悪な状況を乗り越えるには、ハルヒが撃退し、長門が自分とその他の耳を完全に閉じる。
ハルヒは5時間以内――つまり夜明けまでに全て片づけると言っていた。それで万事解決する。
 俺は長門の肩をつかみ、
「お願いだ。無理を言っているのは百も承知だし、お前がこれで怒るっていうのなら怒ってくれてもいい。
こんなことは今回限りにするつもりだ」
「しかし……」
「最終的に決めるのは長門だから判断は任せる。俺は頼むことしかできないんだから。他の誰でもない、お前自身が判断してくれ。
イエスでもノーでも俺はそれを受け入れる」
「…………」
 長門は何も答えない。ダメか、やっぱり無謀だったか……
 ふと長門が俺に一歩近づいてきた。そして、言った。
「答えられる範囲で良いから教えて。それはなぜ?」
 その質問に、俺は自分でも信じられないくらいに自然と口から出た。
「……俺たちの今を守るためだ」
 長門はその答えに、少しだけ発散させている感情のオーラを変化させたのを感じた。
 今を守る。SOS団を守る。俺の世界でもこの世界でも、俺はそれを守りたい。それはどこまでも純粋で心の底からの願いだ。
 …………
 …………
 …………
 しばらく続いた沈黙の後、長門はゆっくりと歩き部屋の隅にある椅子に座った。
 そして、ぽつりと言う。
「わかった。情報統合思念体への申請は適切にわたしの方で調整する」
 その言葉を聞いたとたんに、俺は大きく飛び跳ねそうになってしまった。スマン長門、本当に恩に着る。
この埋め合わせはいつか必ずするからな。
 ふと、俺は思いつき、
「この別荘を外部から隔離するまで30秒時間をくれ。俺が外に出れなくなっちまうからな」
「わかった。30秒後にここを隔離する」
 長門の言葉を聞いた後、俺は別荘の外へと飛び出した。
 
 俺が別荘から飛び出し、富士山8合目の登山コースのような道を駆け下りる。
 程なくして、孤島の海岸側で発砲音が鳴り響き始めた。最初は散発的だったが、やがて乱射するような激しいものへと変わっていく。
 俺は半分ぐらいまで下り坂を下りると、適当な岩陰に身を潜めて戦闘が始まっている海岸の方の様子をうかがった。
満月までは行かないものの、ほどほどに大きい月の明かりが上陸してきた連中が動き回っているのがわかる。
 あの調子だとハルヒは別荘が外部から遮断されたことを把握しているのだろう。そうなるともう俺はここで様子を見るしかない。
 ふと思う。あれだけ派手なドンパチが始まっていて、現代レベルの機関はさておき、よく情報統合思念体や未来人は気がつかないな。
情報統合思念体の方は長門が何か細工してくれているからかも知れないが、やはり未来人が手を付けない理由がわからない。
時間遡行でも何でもして対処すればいいだけの話だろうに。この時が分岐点になるほどの重要な場所だとわかっているなら、
ここに飛んできて何が起こったのか確認しつつ、対応策を講じれば――
 ここで俺ははっと気がついた。朝比奈さん(大)はハルヒが力を自覚していることは知らない。つまり彼女の言う既定事項には
ハルヒの能力自覚バレはどこにも存在していないことになる。そうなると、今俺の目の前で起きていることを
未来人たちは知ってはならない。つまり、ここで何が起きているのか知らないままでいることが、既定事項なのだ。
俺はずっと既定事項はこなす=何かをすると捉えていたが、逆にあえて何もしない、知らないというもの十分にあり得る。
謎は謎のままに。知らなくても良いことがある。この孤島の一件はそういうことで処理されているのだろう。
 俺はそんなことを考えながら、じっと続く激戦を見守っていた。
 
 数時間が経過した頃だろうか、銃声音はすっかり収まり波の音だけ聞こえる静寂に辺りが支配されていた。
 ほどなくして一つの人影がこっちに登ってくるのが見える。最初はわからなかったが、近づいて来るに連れ、
その姿が鮮明になりハルヒであることがわかった。かなり疲労しているのかふらついた足で歩いている。
 俺はそれを見て飛び出す。
「大丈夫か、おい!」
「……さすがに疲れたわね……」
 そうハルヒはつぶやくと、俺の胸に身体を預けるように倒れ込んだ。見たところ、服が汚れはしているものの、
どこにも怪我はなさそうだ。今まで散々くぐってきた修羅場は伊達じゃないってことか。
「……ちゃんと……有希は説得……できたんでしょうね……」
「ああ、そっちは大丈夫だ。あいつが嘘をつくわけがないからな。きっと上手くやってくれているよ」
「そうよかった……」
 それを確認して安心したのか、ハルヒは膝から崩れ落ちそうになった。あわてて俺はそれをキャッチし、抱きかかえてやる。
相当の疲労があるのだろうな。
「とりあえず寝て良いぞ。後は俺が責任を持ってお前の部屋まで連れて行くから。ああ、そうだ。部屋に置いてあるダミーとやらは
どうすればいいのかだけ教えてくれ」
「あたしが部屋に入れば勝手に消えるようにしているから大丈夫よ……」
 もうハルヒは半分眠りに入ろうとしていた。
 ふと、ハルヒは目を少し大きく開けて、
「みんなはあたしが守る……SOS団はあたしが……守る……だからずっと一緒……」
 そう言い終えると、ハルヒは落ちるように目を閉じて眠り始めた。
 その時のハルヒは――なんだろう。どういうわけだか、とても孤独に見えた。なぜだかわからないが。
 
◇◇◇◇
 
 翌日の朝。俺は別荘の隔離が解除された後にこっそりとハルヒを部屋に戻し、俺も自室に戻っていた。
正直、徹夜になってしまったためかなり眠いんだが、ベッドに篭もるわけにもいかない。俺の役目はまだ残っているからな。
ぼちぼち始まる騒ぎをそれとなく収拾しておくというものが。
 朝日が水平線から完全に上がった辺りで、俺の部屋に来客がやってきた。寝起きのふりをしつつ、ドアを開けると
厳しい顔をした古泉の姿があった。
「すいませんが、少々ご同行願えますか?」
 
 俺が連れられていったのは、孤島の海岸だった。そこには昨日のハルヒの激闘で全員ノックアウトされた武装した人間の山が
築かれている。これだけ見ると異様な光景だな。見たところ、全員気を失っているだけで死んではいなさそうだが。
「昨日の夜、何かあった憶えはありますか?」
「いや、少なくともこんな連中と戦った憶えはねえよ。というか、こいつら一体何者だ」
 古泉の問いかけに、俺は本当のことだけを伝える。実際に俺は戦っていないし、こいつらが何者かも知らないしな。
 俺たちの脇では森さん・新川さん・多丸兄弟がロープを使って武装兵たちを一人ずつ縛り上げていた。
目でも覚まされたら面倒だから予防措置だろう。
 古泉は俺から投げ返された質問に対して、
「機関の人間ではありません。恐らく外部の涼宮さんを狙った組織のもの――あるいはその傭兵かも知れませんね。
この件については完全に機関側の失態です。これだけの規模で活動できる敵対組織を見逃していたんですから。
ここで襲撃される可能性は全く想定していなかったため、一歩間違えれば大惨事の恐れもあった。謝罪します、すみません」
「……よくわからんが、こんな物騒な連中を取り締まれるならよろしく頼むぜ。次はこうはいかないかも知れないからな」
「ええ、先ほど機関に連絡してこの者たちをヘリで回収する手はずになっています。最終的には大元の組織までたどり着けるでしょう。
機関としましては二度とこのような暴挙が出来ないように厳正な対処を実施することをお約束します」
 古泉は真剣な表情を崩さない。何だか血なまぐさい話になってきそうだから、これ以上は聞かないでおこう。
人間知らない方がいいことはたくさんあるからな。
「しかし、一体ここで何があったのでしょうか? 長門さんに聞いたところ、このようなものについては全く知らないと
言っていましたし、涼宮さんと朝比奈さんはぐっすり眠っています。何かやったとはとても思えません。
ですが、確実に言えることはこの者たちを倒した存在がいるということです」
「…………」
 俺はしばらく黙ったまま森さんたちの拘束作業を見ていたが、
「ハルヒが寝ていたのは確認したんだな?」
「ええ。失礼ながら合い鍵で中を確認させてもらいましたが、幸せそうな笑顔で眠っていましたよ」
「閉鎖空間とかは発生していないのか?」
「それもしていません」
 それだけつじつま合わせのように古泉への確認し終えると、
「あくまでも俺の推測になるが、こういうのはどうだ? やったのはハルヒだったという話だが」
「……詳しく聞かせて欲しいですね」
 俺は一旦深呼吸し、昨日眠らずに自室でずっと練習していた内容を話し始める。
「ハルヒはこの三日間バカみたいに楽しんでいたわけだ。で、昨日の夜も同じように幸せな気分のまま眠りについた。
ところがどっこいそれをぶちこわすかのような連中が突然やって来た。ハルヒは恐ろしく勘の鋭い奴だからな、
眠ったままでもそいつらに気がついた。しかし、あくまでも夢の中にいたままだったから、そこでこいつらをボコボコにした。
一方でお前たちの言うハルヒの神パワーの影響で現実のこいつらが同時にボコボコにされた。こんなのならどうだ?」
 俺の妄想100%の話に、古泉はしばらく目を丸くしていたが、やがてくくっと苦笑すると、
「なるほど。完全に推測だけの話ですが、涼宮さんの力とあの鋭い勘が組み合わせれば確かにあり得ないとは言い切れませんね。
実際にこの島で現在これだけの戦力を撃退できる力を持っているのは長門さんを除けば、涼宮さんだけですから。
まあ、あとは機関に拘束後じっくりと真相についてこの者たちから聞き出すことにしますよ」
 古泉には悪いが、ハルヒはこいつらから当時の記憶を一切合切削除しているから、何も聞き出せないぞ。ま、後の処置は任せるが。
 そんな話をしている間に、恐らく機関が手配したものだろう数機のヘリコプターが水平線の向こうから飛んでくるのが見えた。
 
 その日の昼、ようやく目を覚ましたハルヒとともに孤島を後にした。
 フェリーで帰路の途中、ハルヒが俺の話の補強をしてくれるように、夢の中で悪の組織をギッタギッタにしたという話を
延々と朝比奈さんと古泉に語る中、俺はすっと長門のそばにより、
「昨日の夜はありがとうな」
「お礼ならいい。現状維持で涼宮ハルヒの観測を続けるのがわたしの仕事」
 長門の言葉に、どうやら問題は発生していなさそうだとほっと安堵した。情報統合思念体へのごまかし工作はうまくいったようだ。
 朝比奈さん(大)。どうやら一つはクリアしましたよ。
 あとは、残る一つ――恐らく冬のあの事件か。それも何とかしてやるさ、必ずな。
 
 ――だがこの一件はちょっとした尾を引いていたようだ。
 
◇◇◇◇
 
 孤島から帰った後、俺たちSOS団は毎日とまで行かないが、ちょくちょく顔を合わせていた。やることと言えば、
セミ取りとか鶴屋山登りとか孤島への旅行ほどのものではなく、日帰りツアー程度だったが。
 しかし、お盆周辺には俺は家族で実家に帰るので、数日間の空白が発生した。
 んで、昨日帰ってきたばかりなわけで、俺はガンガンにクーラーを効かせた部屋で甲子園をぼーっと見ていた。
ハルヒに帰ってきたぐらいの連絡をしておこうかと思ったが、まあほっといてもあいつなら勘づいて呼び出しのコールを
してくるだろ。できるなら、今日は帰省帰り疲れを取ることに専念したいところだ。
 が、やっぱりハルヒはそんなに甘くない。スターリングラードで的確にドイツ軍の急所を狙ったソ連軍スナイパーのごとく、
突然俺の携帯電話が鳴り響いた。やれやれ、言ったそばからとか噂をすれば影とはよく言ったものだ。
『何よ、家に戻ったのならちゃんと連絡しなさいよね』
「ああすまん。昨日帰ったばかりだったから忘れていたんだよ」
『まあいいわ。あんたも帰ってきたからSOS団の活動を再開するわよ。そんわけで午後二時ジャストに駅前に集合ね。
自転車持参でお金も持ってくること。オーバー♪』
 そう一方的すぎる電話内容で終わる。全く本当に思い立ったが吉日という言葉がお似合いの奴だ。
 ……ん? 何か……違和感が……
 俺は微妙な引っかかりを頭に抱えたまま、とりあえず迫る集合時間に合わせて、俺は出かける準備を始めた。
 
 その日は集合後に市民プールへと足を運んだ。
 やったことと言えば、自転車違法三人乗りで俺の身体が悲鳴を上げたり、人で溢れかえったプールで競争したり、
朝比奈さんの超極上サンドイッチをほおばらしてもらったりと、まあそれなりに充実させてもらった。
 しかし、残り少ない夏休みを完全に骨までしゃぶり尽くす気満々のハルヒはそれで収まるわけがない。
 集合した喫茶店でハルヒが突きつけてきたA4ノートの紙切れには、
 『夏休み中にしなきゃならないこと』
 ・夏期合宿(×)
 ・プール(×)
 ・盆踊り
 ・花火大会
 ・バイト
 ・天体観測
 ・バッティング練習
 ・昆虫採集(△ セミ取りだけだから)
 ・肝試し
 ・他随時募集
 
 ……なんか似たようなのをウチの団長様も言っていたな。考えることはやっぱり一緒か。
残り二週間でこれを全部こなすつもりかよ。中々ハードスケジュールだぞ。俺の夏休みの課題も終わっていないというのに。
 そういや俺の世界ではこの二週間を15498回繰り返したんだっけ。当時は長門に聞かされて仰天したもんだ。
一方で、ここにいるハルヒがそんなことをするわけがないので安心してこれらのイベントに没頭できる。
力を自覚している以上、そんなことをしでかす理由がない。古泉が妙な素振りを見せないのが良い証拠だ――
 ふと、俺はハルヒが夏休みの過ごし方を延々と演説している中、気がついた。長門の様子がどことなくおかしい気がする。
前回のように文芸部ですっかり人間らしくなった長門に比べると、まだまだ無表情インターフェース状態だったが、
それでも発している感情オーラが徐々に異なってきていることには気がついていた。
 その長門の様子がどうもおかしい。俺にはそう思える。
 今後の夏休みの予定を確認し終えて、今日は解散と全員がばらばらに帰路につくときに聞いてみることにした。
「おい長門」
「…………」
 俺の呼びかけに、無言で振り返る長門。俺はどういって良いのか少し考えてから、
「いや……特に何でもないんだが、最近はどうだ? 元気か?」
「元気。問題ない」
 長門は少しだけ頷いて答えた。しかし、やはりその表情は何かいつもと違う――俺が里帰りに行く前に会ったときとは
大きく異なっているように感じた。何というか……うんざりしているように見受けられる。
 この時、俺ははっと思い出した。15498回繰り返したあの夏の日、当時も俺は長門に同様のことを感じていた。
そうなると今もひょっとしてループしているのか? そんなバカな。ハルヒが意図的にそんなことをやって何の意味があるんだ。
聞いたところで何いってんのバカ、と一蹴されて終わるだけだろう。
「そうか。ならいいんだ」
 そう告げると、長門は帰宅への足を再開させていった。
 俺は何となく――ハルヒを信用していないわけではなかったが、何となくすでに姿を消していた古泉に携帯をつなげてみる。
『あなたからの電話とは珍しいですね。何でしょうか。何ならさっきの喫茶店まで戻りますよ』
「いや電話で構わん。一つ聞きたいことがある」
『なんでしょうか』
「今日のプールでの出来事だが、何というか既視感みたいなものを感じなかったか? 以前に同じようなことをしたようなって」
 ……古泉は恐らく考えているのだろう、しばしの沈黙を続けた後、
『いえ全くありません。僕の頭では子供の頃にプールではしゃいで遊んだ懐かしい記憶が蘇る程度です。
もちろん、時間も場所も何もかも違うので既視感には当たりません』
「……そうか」
 あのエンドレスサマーでは、俺と同時に古泉や朝比奈さんも異変を察知していた。万一、それと同じ事態が今も起きているのなら、
とっくに勘づいているはずだろう。
 古泉は俺の様子がおかしいのを悟ったのか、
『何か不安ごとや異変があるのでしょうか? そうであるなら、いつでも相談に乗りますよ』
「いやいい。何でもない――ただ遊びすぎて少々疲れが出ているだけみたいだ」
 俺はそこでありがとなと電話を切る。大丈夫だ。ループなんて起きていない、ハルヒが起こすわけがない……
 だが、頭の中に引っかかるものはなんだ? なんなんだ。
 
 それからの二週間は怒濤の勢い出過ぎていった。
 浴衣を買って。
 盆踊りに行って。
 縁日で遊んで。
 花火をぶっ放しまくって。
 昆虫採集でセミやその他諸々をキャッチアンドリリースして。
 スーパーで着ぐるみバイトに専念して。
 長門のマンションの屋上で天体観測をして。
 バッティングセンターで来年の野球大会優勝を目指して練習に励んで。
 花火大会へ行きハルヒが大はしゃぎして。
 ハゼ釣り大会にも参加して――
 
 まさに充実した毎日だった。思わず夏休みの課題なんかどこかにすっ飛んだほどだ。
とはいえ、二学期早々課題の白紙提出なんていうマネをしでかしたら、せっかくの夏休みの充実気分が、エベレストからマリアナ海溝最深部の
さらに海底クレバスまで一気に落ちる気分が味わえること確定なので、ハルヒの予定表に俺の課題という項目を追加しておいた。
結果、夏休みの終了二日前は長門の家で、課題完了ツアーに突入した。本来なら自分の家でやりたかったが、妹がミヨキチを連れて
遊ぶということだったので、追い出されてしまったのだ。
 そんなこんなで白紙の俺の課題が終わるのはすっかり夜が更けた頃になっていた。
「はーい完了!」
「終わったぁぁぁぁ!」
 俺はハルヒの言葉とともに万歳ポーズを取ってしまう。全く人生最大の困難な日だったぜ。
 SOS団のみなが拍手で俺を歓迎してくれる。ありがとうみんな……助かった、本当に恩に着る。
 ――って、何を感傷に浸っているんだ俺は。それどころではないというのに。
 この二週間、俺は散々あの既視感に悩まされ続けた。しかし、それは俺だけで朝比奈さんも古泉も全くそんな素振りは見せていない。
一方で長門は微妙にうんざりした雰囲気を放出していた。最初はただの気のせいかと思っていたが、今では俺にはどうしても何かが
起こっているとしか思えなくなっている。よくよく考えてみれば、俺の世界に捕らわれすぎていてハルヒのエンドレスサマーしか
思いつかなかったが、実は別の宇宙人の仕業とかそういう可能性も十分にあるんだ。ハルヒすら気がつかずに
それが密かに続けられていたのなら、かなりまずいことになる。
 そんなわけでハルヒがSOS団夏休み活動終了を宣言し解散となった後、俺は長門の部屋に密かにお邪魔することにした。
ハルヒに相談することも考えたが、相手が未知の宇宙人だったら長門の方が事態を把握しているだろうからな。
「よう、すまんがちょっといいか?」
『……入って』
 長門は待ちかまえていたように、俺を自室へと導く。相変わらず何もない殺風景な部屋の中心に俺と長門は座って対峙した。
 さてどう切りかけるか。
 俺は正座したまま微動だにしない長門に視線を合わせ、
「単刀直入に聞くぞ。今おかしなことが起きている。これでいいんだな?」
「そう」
「ならそれは何だ? やっぱ――いや、ひょっとして夏休みが終わらずに延々と続いている状態か?」
「…………」
 この問いかけに長門はただ無言でこくりと頷いた。そして続けて、
「現在、この限定された時間領域は隔離状態に置かれている。日数は8月17日から31日まで。31日が終了した時点で
時間軸上に存在している全てが17日時点の状態に戻される」
「つまりハルヒや朝比奈さん、古泉は31日が終わった時点で完全にリセット状態になって、
そうなっていることに気がついていないってことか? だが、何で俺とお前だけはそれに気がついたんだ?」
「わたしは涼宮ハルヒの観測に必要なため、そのループ状態に巻き込まれないように対処している。
あなたが微弱ながらなぜ繰り返されていることについての記憶の残滓があるのかは不明。解析不能な事象。ただ――」
 長門は一拍置いて、透き通った視線で俺の瞳の奥まで見通し、
「涼宮ハルヒがあなたに何かを訴えかけている可能性が推測できる」
 なるほどね。ハルヒが――ってちょっと待て! これをやらかしているのはハルヒだって言うのか?
 長門はこくりと頷いて答えた。
 バカな。そんなわけがない。ウチの団長様だったら登校拒否みたいな理由でやらかす可能性は大いにあるが、
散々言ったがここにいるハルヒがそれをする意味がどこにあるというのだ。逆に自分の能力自覚がばれる可能性があがるだけだぞ。
 思わずそう反論したくなるが、できなかった。ハルヒが自覚していないという前提で話している以上、
ここで俺はそれもありうるかと反応すべきなんだからな。ええい、鬱陶しいことこの上ない。
 しかし、逆に犯人がハルヒなら対処方法は簡単だ。直接言って止めさせればいいからな。それでそんなふざけたループ状態も終わりだ。
 と、ここで長門が口を開き、
「ループは現在9913回続いている。そのパターンは決して一定ではないが、たった一つだけ全て共通している部分がある。
それはわたしの確認した限り涼宮ハルヒは必ず31日が終わる直前に文芸部室にいるということ」
 文芸部室だと? あいつ夏休みの終わる前に何でそんなところにいるんだ?
 しかし、今回も9913回もやっていたのかよ。そりゃ俺の頭のどこかに繰り返した分の記憶のカスが残っていてもおかしくないな。
でも、どうして朝比奈さんや古泉は気がつかないんだ。俺の世界の時以上に完全な記憶抹消を受けているんだろうか。
 長門はさらに続けて、
「この状況になってあなたがわたしに相談を持ちかけたのは初めて。そして、31日終了直前にあなたが涼宮ハルヒとともにいる
パターンは一度も存在していない。ならば、それがループ解消の鍵となる可能性がある」
 つまり明日の夜、俺に部室へ行けってことか。ハルヒが意味もなく、そこにいるとは思えない。恐らくそこで起きる何かが
原因となってループとなっているのだろう。ひょっとしたらハルヒ自身もループしていることに気がついていないかもしれないが。
 とりあえず、やるべきことはわかった。エンドレスサマー再びの決着はそこでつけることにしよう。
「ありがとな、長門。あとはどうやら俺の仕事みたいだから何とかするよ」
 そう言いながら俺は立ち去ろうとして――
「待って」
 突然長門から呼び止められる。まだ何かあるのか?
 俺は振り返り、
「何だ?」
「聞きたいことがある」
 長門の発している雰囲気はいつもとはまた異なったものだった。
 続ける。
「涼宮ハルヒは時折わたしに対して解析不能な感情を見せてくるときがある。ただじっと見ているだけだが、
その行為はわたしに何かを訴えかけているように思えた。それがなんなのか、あなたがわかるなら教えて欲しい。
それはわたしに酷くエラーを発生させるものだから、早い段階での解消が必要と判断している」
 その言葉に、俺はすぐにそれがなんなのかわかった。
 すっと長門の前にしゃがみ、
「それはな、長門がどこかにいっちまったり消えたりしないかって不安になっているんだよ。お前だけじゃないさ。
きっと朝比奈さんや古泉にもそれは向けられている。誰一人として失いたくない。それがあいつの本心からの願いだ。
それは俺も同じだけどな」
「わたしにここにいて欲しい……」
 長門は復唱するようにつぶやく。
 ああそうだ。前回の世界みたいに、自分で歩むと決めた結果、結局離ればなれなんて最悪だからな。
 俺は長門の肩をつかむと、
「9000回以上も同じループを体験させられて辛いのはわかっている。でも一人でそれを抱える必要なんて無いぞ。
役目とかそんなことはどうでもいい、いつだって俺とハルヒはお前の相談に乗るからな。だから、ハルヒのそばにいてやってくれ。
今はそれ以上は望んでいないから」
 その俺の言葉に、長門はいつも以上に大きく頷いた。
 
◇◇◇◇
 
 夏休み最終日の夜、俺は旧館の文芸部室へとやってきた。入り口の鍵は開けっ放しになっていることから、
すでにハルヒがこっそりと侵入しているみたいだった。
「よう」
 部室に入ると私服姿のハルヒがだらんと団長席に突っ伏していたが、俺の姿を見るやぎょっとして立ち上がり、
「キョン!? 何であんたここに!?」
「……原因はお前が一番わかっているんじゃないか?」
 俺の言葉に、ハルヒはしばらく呆然としていた。
 ほどなくして額に手を当てて、ため息を吐き、
「そっか……やっぱりあたしが繰り返していたのね。夏休み」
 そう脱力するように部室の壁に背を付けた。やっぱり自分でも気がついていなかったのか?
 俺はハルヒの前まで行き、
「事情はよくわからんが、まずいのは確かだ。何でこんなことをやっているのか、お前自身がわからないと解決のしようがねえ。
不安なことでもあるのか?」
「……理由なんてとっくにわかっているわよ」
 あっさりとハルヒは言った。なに? どういうことだ。
 ハルヒは続ける。
「この二週間は凄く楽しかった、何にも考えることなく、ただ遊びに夢中になれた。こんな状況がいつまでも続けばいいって……」
「それでループさせていたのか。この二週間を」
「良いことだとは思っていないわ。でも……ダメなのよ! どうしても自分で自分が拒否できないの!」
 次第にテンションが上がってきたのか、ハルヒの口調が強くなっていく。
 俺はそれをただ黙って聞いていることしかできない。全くこんな時に気を利かせられない俺自身に憂鬱だ。
「ずっと前から、あたしはみんなと完全に一緒になれないって思っていた。孤島の時も、結局あたしだけがみんなとは違う場所で
戦っていて、まるで有希やみくるちゃん、古泉くんとの間に分厚い壁があるみたいに感じた。あたしだけが違うのよ!
こうやって能力を自覚しているってことを隠し続ける間はどうしてもみんなが遠く感じられる。あたしが必死に近づいても、
ちょっとああいう孤島の事件みたいなのが起これば、一気に距離が遠くなる気がしてたまらない!」
 あの時感じたハルヒの孤独。そうか、みんなと遊んでいればいいと思いつつも、隠さなければならないことが多すぎて
どこか距離感を感じてしまう。当然のことだろう。俺だって、あいつらと触れるたびに微妙な距離感を保つ必要に
迫られ続けているからな。
「このままだとずっと一緒になれない……でも、この二週間は大きな問題とか発生しなくて、また距離を縮められた気がする。
でも、時間が経てばまた変な問題が発生して遠くなっちゃう。それにあんたの言っていた冬の日の事件もその内起こるかも知れない。
そうなれば最悪リセットするしかなくなる恐れもある。そんなの嫌よ……あたしはみんなのそばにいたい。
だから、いっそのこと夏休みが終わらなければずっと近いままでいられるって、そう思わず考えちゃって……」
 ハルヒは今にも泣き出しそうになりながらしゃくり上げていた。
 ずっとそばにいたい。それだけの理由。だがそれ以上の理由もないだろう。ハルヒが強く望んでいることだからな。
 俺は思わずハルヒを抱きしめてしまった。あまりにかわいそうで見ていられなくなったからだ。自覚しているからこその孤独感。
それがどれほどのものなのか、俺には想像すらつかないだろう。
 そして、言ってやる。俺の今言える全てを。
「安心しろ。お前がそんな孤独を感じなくなるまでずっと一緒に居てやる。そして、ばれても問題ないようにするんだ。
そうすりゃこれ以上お前が隠す必要なんて無くなる。ここで足踏みしていたって同じことだろ? 一緒に先に進もうぜ。
きっと良い未来が待っているさ。それが無いなら作ればいい。俺の世界のお前はそう言っていたぞ」
 俺の言葉に安堵感が生まれたのだろうか。直接触れたハルヒの身体から伝わる心臓の鼓動が少しずつ大人しくなっていく。
 ふと思う。考えてみれば、気がついていないだけで俺の世界のハルヒも同じように孤独なんだよな。宇宙人・未来人・超能力者が
すぐそばにいるのにそれを知ることもなく、そして周囲で起きる事件に気がつくこともなく、ただ中心に居続けているだけ。
それを自覚していないからあの暴走ぶりなんだろうけど、知ったらどんな顔をするんだろうか。ひょっとしたら、
今抱きしめているハルヒと同じ反応をするのかも知れない。
 ハルヒが小声でつぶやいた。
「……あんたの世界のあたしがうらやましい。何も知らずにただみんなと一緒に遊んでいられるんだから……」
 
 
 翌日、世界は通常運行に戻り9月1日の朝を迎えていた。どうやらハルヒによるループは停止したようだ。
昨日の帰りがけにもう大丈夫と言っていたしな。
 あの孤島の事件から引っ張ってきた問題は一旦終息か。ひょっとしたら朝比奈さん(大)の大きな分岐点の一つは
孤島から始まって終わらない夏まで続いていたのかも知れない。だからこそ、俺とハルヒにしか解決できないんだと。
 
◇◇◇◇
 
 終わらない夏もようやく終わり、俺の周辺は秋への移行が急ピッチに進んでいた。街路樹の落ち葉の量が増えたとかだけではなく、
秋になると文化祭もあるからな。それの準備が始まるって言うことだ。
 
 ハルヒの提案で文化祭の出し物として映画撮影をした。
 文化祭当日は軽音楽部に混ざったハルヒが熱唱した。
 コンピ研との対決は因縁がなかったので起きなかったが、パソコンがらみで相談を受けた際のきっかけで長門が
それに興味を持つようになった。
 
 ――そして、秋も終わりついに冬を迎える。最大の正念場になるであろう、その時が近づいてきていた。
 
◇◇◇◇
 
「クリスマスイブに予定ある人いる?」
 期末テストも終わり、その凄惨な出来の前にひたすらダウナーな俺だったが、そんなこともお構いなしに、
ハルヒはSOS団活動を引っ張り続けていた。秋にはいろいろやらかしたが、冬――特に12月は師走とか言われるぐらいだ。
こいつもダッシュモードでやりたいことをやっていくつもりらしい。
 そんなわけで12月の一大イベントクリスマスにハルヒが目を付けないわけがない。
 ハルヒはいないわよね?と言いたげな視線で団員たちを見渡す。全くクリスマスパーティをするから、ハイかイエスで答えろと
言われている気分だぜ。裏をかいてウィとか言ってやろうか。
「不幸と言えばいいのでしょうか、その日の予定はぽっかりと空いています」
「あ、あたしも特に何もないです」
「ない」
 古泉・朝比奈さん・長門の順で答えていく。
 その答えにハルヒはうむと満足げに頷くと、
「クリスマスと言えばお祭り! つまりパーティーよ! やらない手はない。みんなで部室で鍋パーティをやるわ!
もちろん、部室の中はクリスマス仕様でね」
 そう言ってハルヒは自分の脇に置いてあった紙袋から、クリスマス定番グッズを机の上に並べ始めた。
ついでにじゃじゃじゃーんとか言って、朝比奈さん用サンタコスプレまで取り出す。
「当日はみくるちゃんにもこれを来てもらって、クリスマス一色で行くわよ。覚悟していなさい、サンタクロース!
世界の果てからでもあたしたちが見えるぐらいにド派手にしてやるんだからね!」
 何というかもう無茶苦茶だ。そもそもサンタクロースが信仰心ゼロの人間たちのどんちゃん騒ぎを見かけても、
苦笑するだけじゃないのか? ああ、あと本当にいたとしてもここに飛んでくる前に、我が国の防空網に引っかかって
撃墜されるのがオチだな。そういや、NORAD辺りはアメリカンジョークで本当に探知作業をやっていたりするんだっけ。
「そんな夢を放棄した発言は慎みなさい、キョン。本当に夢のない人間ね」
 んなこと言われても、宇宙人~とかいろいろなものがいる状態で、今更サンタクロースなんて現れても驚かねえよ。
むしろ、お勤めご苦労様ですとかいって敬礼しちまいそうだ。
 そんなわけでハルヒは一通りの予定を説明し始めた。
 俺はそれを右耳から左耳へと垂れ流しつつ、長門に視線を向ける。相変わらず話を聞いているのかいないのかわからんペースで
読書に励んでいた。今日は12月16日。俺の世界と同じなら明後日の早朝に長門は世界改変を実行することになる。
もちろん、同じタイミングで起きるとは限らないし、エンドレスサマーが4割引で終わらせたから、もっと後になるかも知れん。
いっそ起きないでいてくれるとありがたいんだが、長門に自己表現を止めろと言うのも傲慢な話だ。
 ほどなくしてハルヒの説明が終わり、各自当日まで用意すべきものの一覧を渡されると、今日のところは解散となる。
クリスマスパーティか。あのハルヒ特製鍋は中々楽しみではあるな。
 ほどなくして、今日はセーラ服のままだった朝比奈さんと古泉が部室から出て行った。それに続いて長門も出ていこうとするが、
「待って有希」
 呼び止めたのはハルヒだった。長門は鞄を抱えたまま振り返り、首をかしげる。
 ハルヒは長門の前に立つと、肩をつかんで、
「クリスマスパーティ」
「…………」
「ちゃんと参加するわよね?」
 そう確認を促すように問いかけた。長門は少し首を傾けてから、
「問題ない。参加する」
「……そう」
 ハルヒはそう確認を取ると、肩から手を離した。その手はどこか惜しむような手つきだった。
 長門はまたすぐに出口に向かって歩き出す――が、途中で立ち止まり、
「仮の話」
 そうこちらに背を向けたまま言った。そして、続ける。
「万一、わたしがいなくなったらいつでも呼んで。そうすれば必ずあなた達の元にわたしは現れる。それがわたしという個体の意思」
 長門はそれだけ言うと部室から出て行ってしまった。
 ハルヒはそんな長門に肩を振わせて、
「有希はやるわ。必ずあんたに教えてもらった世界改変をする。あたしの勘がそう言っているわ」
「……そうか」
 やっぱり来るか。あの冬の事件が。
 情報統合思念体はどうするのだろう。俺の世界と同じように放置するのか、それとも前回の世界のように長門を抹消するのか。
 朝比奈さん(大)は俺とハルヒ次第と言っていたが、ただ待つことしかできない……
「ん……?」
 ハルヒは少し違和感を憶えたように頭を撫でる。
「どうした?」
「いや……何でもない。違和感がちょっと……ね。気のせいよ」
 
◇◇◇◇
 
 そして、翌日の夕方が終わろうとしている頃、ついにその時がやってきた。
 SOS団活動の終了後、学校の帰り途中に突然ハルヒから緊急の呼び出しを受けて、帰宅を中断して目的地へと向かった。
俺の世界だと翌日早朝に世界改変発生だったが、やっぱり微妙なずれが起きて早まったらしい。
ただ、時間は違うが場所は同じだった。北高の校門前。
 何でわかったかというと、ハルヒが自分の能力を使われる予兆をキャッチしたからだった。前回では気がつかれないうちに
やられてしまったため、今回は警戒網を敷いていたらしい。
 駆けつけたときにはすでにハルヒは物陰に隠れて準備していた。俺も同じ位置に立ち、できるだけ校門側から見えないようにする。
 ほどなくすれば、長門がやってくるだろう。
「どうする?」
「どうもこうも……事前に阻止しても有希はそれすら打ち消して実行するって言っていたんでしょ?
なら見ているしかできないじゃない。あとは有希自身がどう判断するかよ」
 そんなことを言っている間に、すっと薄暗くなり点灯した街灯の明かりの下に長門が現れる。
「……来たわよ」
 俺の心臓が高鳴る。さあどうなる。俺の世界と同じなら、俺以外が全部改変されて、最終的には脱出プログラムを使い
世界を元に戻すために奔走することになる。だが、情報統合思念体はそうなることを許すのか。
 長門はしばらくそこで黒く塗りつぶされつつある校舎を見上げていたが、やがてすっと手を挙げて
空気をつかむような動作をし始めた。
 それを見ながらハルヒは言う。
「前回の有希による情報統合思念体排除と今回の有希による世界改変でどうしてあたしを奴らが敵視するのかわかった気がする」
「何でなんだ?」
「……あたしの力を使えば、奴らを消し去ることが出来る。だから危険だと認識しているのよ。例えあたしにそんな意思がなくても
ただその手段が存在していること自体が奴らは認められないんだわ」
「だったら、お前の自覚する・しないに関わらずお前を排除しようとするんじゃないのか?」
「バカね。自覚してない力なんて持っていないに等しいわ。無意識に使ったとしても情報統合思念体を認識していなければ、
被害を被ることはありえない。自覚しない以上は手段ですらないのよ。だからこそ、あたしは観察対象として選ばれた。
あいつらにとってはあたしの力は危険な反面、貴重なものなんでしょうね」
 なるほどな。銃を銃だと認識しない限りそれを使うということ自体発生しない。しかし、銃を銃だと認識していれば、
例え撃つ気がなくても何かの拍子で使ってしまう可能性がある。その違いがハルヒに対する評価をひっくり返すのか。
 長門はゆっくりと手のひらの動作を続けていた。
「有希……クリスマスパーティに参加する約束……ちゃんと守りなさいよ……!」
 ハルヒは今にも飛び出したい衝動に駆られているのだろう。必死にそれに耐えるように唇をかんでいた。
 だが――
 突然、激しい地鳴りが起き、辺り一面が激しく揺さぶられ始めた。なんだ!? 以前見た改変の時は
周辺に何も変化が出たようには見えなかったぞ。
「……違う。これは……情報統合思念体の排除行動よ!」
「何だって……」
 ハルヒの指摘に俺は仰天の声を上げた。長門が初期化される可能性はあった。だが、それをすっ飛ばして
いきなり排除行動だと? 俺の世界とも前回の世界とも違うぞ、どうなっていやがる。
 ほどなくして長門が朝倉が消えたときのようにさらさらと消失していく。
「有希! ああもう一体どうなっているのよ!」
「知らねえよ!」
 ええい、考えている暇はもうない。排除されるっていうならやることはリセット以外何もなくなるからだ。
 せっかく――せっかくここまで来たってのにまたリセットかよ。何なんだ、俺の世界と一体何が違うんだ……!
 だが。
「え、あ、そんな……嘘でしょ……!?」
「どうした!? 早くリセットしろ! 躊躇している場合じゃ――」
「出来ないのよ!」
「何だって!? 何で!」
「ブロックされてる――できない、無理だわ!」
 訳がわからん。なんなんだ一体!
 混乱を極める中、倒壊を始めた建物の一部が俺の頭上に迫って――
 
 ……すいません、朝比奈さん(大)。どうやら失敗したみたいです。
 ここで俺の意識は一旦とぎれた。
 
◇◇◇◇
 
 ――大丈夫ですか? 僕の声が聞こえますか?
 何だようるさいな。せっかく眠っていたのに、よりによって男の声で起こされるなんて最悪なシチュエーションだ……
 …………
 …………
 ……って、そんなことを考えている場合じゃない!
 
 俺は状況を思い出し、あわてて起き上がった。
 そうだ、情報統合思念体による人類抹殺が始まって……そして、なぜかハルヒがリセットできないとか言い出して……
「目が覚めましたか?」
 すぐに俺の視界に入ってきたのは、古泉の血の気の失せた顔だった。すぐそばには涙目でこちらを不安げに見ている
朝比奈さんの姿がある。
「あ、ああ……無事だ。どうなっているんだ……っ!?」
 俺は自分の言葉を言い終える前に、周囲の異常な状況に気がついた。
 真っ暗闇の空間が俺を取り囲むように広がり、その中に小さな光が無数に浮かんでいた。地面か何かに座っているのかと思い足下を見るが、
屈折率が全くない透明のガラスの上に座っているかのように、下も暗闇+光の粒が広がっている。これは……
「宇宙か……?」
 すぐにいる場所を把握できた俺に拍手して欲しい。宇宙なんて来たこともなかったからな。よくわかったもんだ。
 周囲に浮かんでいるのは星々だろう。見れば月も浮かんでいるじゃないか。ところで月があるならそばにあるはずの地球はどこだ?
「ないわよ。奴らに消されたわ」
 ハルヒの声。俺が周囲を見渡すと、肩を落として呆然と立ちつくすハルヒの姿があった。消されたって……排除行動が実行されたのか?
でも、何で朝比奈さんと古泉がいるんだ? 誰か状況を説明してくれ。
「それについては僕が」
 古泉が掻い摘んで説明してくれた。ハルヒはリセットできないことを理解すると、俺と古泉、朝比奈さんを助け出し、
ぎりぎりのところで情報統合思念体の排除行動に巻き込まれないようにそれをくぐり抜けた。
その後この宇宙放浪状態になってしまった。立って歩いたり、息が出来るのはハルヒの力によるところだそうだ。
全く本当に神様みたいな奴だよ。ただ、長門だけはもうすでに消えてしまっていたため、助けられなかったそうだ。
くそっ……結局情報統合思念体は長門の世界改変を認めなかったのか。
 あと、俺が気を失っている間にハルヒは朝比奈さんと古泉に全てを打ち明けたとのこと。自分の能力についてとっくに自覚していること、
今まで散々リセットを繰り返してきたこと、俺は別の世界から連れてきた異世界人だってことも。
「驚きましたね。ええ、この短い時間でセンセーショナルな事実が無数に乱発されたため、僕の頭もパニック状態です。
それに自分の故郷も全て消え去ってしまいましたから。やけを起こしたくなりますよ、本当に」
「あたしもまだ自分のことが信じられなくて……それに未来が完全に消失したのに、どうして自分が存在できているのかも
わからないぐらいです。時間平面がめちゃくちゃにされているから、ちょっとした拍子で消えるかも知れません……」
 古泉と朝比奈さんの言葉が交差する。
 とりあえずこの際朝比奈さんたちは放っておこう。今はじっくりと話している場合じゃない。
 俺は立ち上がり、ハルヒの元に駆け寄ると、
「これからどうするんだ!? 長門は消えたままだし、リセットも出来ないんじゃ……そもそもどうして出来ないんだ?」
「考えられるのは一つだけよ。奴らにあたしのやってきたことがばれた。そうとしか……」
 バカ言え。どこでばれたって言うんだ。そんなミスはやらかした憶えはないぞ。
 だが、ハルヒは原因を考えるよりも、まるで次にやってくる何かに備えているみたいだった。呆然としつつも、
厳しい顔つきで広がる宇宙空間を睨みつけている。
「おい、まだ起きるっていうのか?」
「……情報統合思念体の最大の目的はあたしよ。今回はごまかすこともできていない。なら奴らはあたしが
まだ無事であることを把握しているはずだわ。だから――もうすぐ来る。今度こそあたしを抹消するために」
 ハルヒがそう言ったときだった。俺たちの数メートル先に、すっと人影が浮かび上がり始める。あれは……長門だ!
 俺は思わず長門の元に駆け寄ろうとするが、ハルヒに静止されてしまった。
「違う……もうあれは有希じゃない……あの時と同じく初期化されて……」
 そのハルヒの言葉に、俺は愕然となった。やっぱり長門は前回と同じ運命をたどったのかよ。長門はただ自分の意思で
動こうとしただけだって言うのに……!
 ほどなくして、長門の姿完全なものとなる。だがハルヒの言うとおり、そいつからは全く感情らしいものは感じられなかった。
とても無機質で魂のない人形のような状態。会ったばかりの長門そのものだった。
 そして、ゆっくりとこちらへと歩き、口を開いた。
「涼宮ハルヒ。当該対象を敵性と認定し、排除を実施する」
「待て長門!」
 俺は思わずかばうようにハルヒの前に立った。そして、さらに叫ぶ。
「ハルヒはお前たちに敵対する意思なんてないんだ。放っておいても大丈夫なんだよ! 危険物を見るような目で見ないでくれ!」
 だが、長門――いや情報統合思念体が返してきた言葉は予想外のものだった。
「情報統合思念体は判断した。涼宮ハルヒの自覚の有無にかかわらず排除する」
 想定外の返答に、俺とハルヒは驚愕した。どういうことだ。
「……なぜだ!」
「涼宮ハルヒの力は外部から使用可能であることが実証された。それは涼宮ハルヒの意思にかかわらずできる。
情報統合思念体にとって、それは極めて危険。そのような存在・手段を我々は決して認められない。
同時に同様事例が一度存在しているにもかかわらず不正データによりそれが隠蔽されている事実も発見。
涼宮ハルヒが時間軸上に多大な介入を行った上、我々にそれを認識されないようにするため不正データを送り込んでいたと判明した。
このことを総合的に判断した結果、涼宮ハルヒは以前から力を自覚していたという結論を導き出した」
 つまり、長門がハルヒの力を使う行為そのものが危険だと判断したってのか。前回の世界でその判断が下されなかったのは、
すんでのところでハルヒがリセットを実行したおかげって訳か。おまけに、ハルヒが力を自覚していて、
今まで散々リセットを繰り返していたこともばれてやがる。まさに最悪な状況じゃねえか。
 長門――情報統合思念体はまた俺たちに一歩近づく。そして、ゆっくりと手をこちらにかざしてきた。
このままじゃ皆殺しにされておわっちまう。
「長門! お前はそれでいいのかよ! どこかに俺たちと一緒にいた記憶とか残っていないのか!?」
「対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース パーソナルネーム長門有希は完全な初期化を実施した。
以前の情報は不要と判断し全て破棄している」
 冷徹な言葉。長門。本当にきえちまったのかよ。じゃああの時のいつでも呼んでくれってのは偽りだったのか?
「排除する」
 情報統合思念体の言葉が響く。
 
 ――わたしがいなくなったらいつでも呼んで。そうすれば必ずあなた達の元にわたしは現れる――
 
 脳内にリピートされた長門の言葉に、思わず俺は叫んだ。
「帰ってきてくれ! 長門!」
「有希! お願い、帰ってきて!」
 ――いや、俺たちだった。なぜならハルヒも叫んでいたから。
 
 その時だった。突然、俺のすぐ目の前に光が集まり始める。あまりのまぶしさに、俺は一瞬目を閉じてしまった。
 それが収まったことに気がついたのは、情報統合思念体の言葉を聞いた時だ。
「なぜここにいる」
「わたしがいたいと思ったから」
 二つの長門の声だった。俺がはっと目を開ければ、そこには長門の姿があった。もちろん、情報統合思念体の方もいる。
今目の前では二人の長門が対峙していた。お互いに牽制でもしているのか、右手をかざしたまま微動だにしない。
 やがて俺に背を向けている方の長門が口を開いた。
「インターフェースの再構築に予定以上の時間がかかった。謝罪する」
 俺は確信した。今出現した長門は、俺の知っている長門有希そのものだ。間違いない。本当に帰ってきたんだ。
 一方、情報統合思念体の方は相変わらずの無機質状態で、
「そのような答えは求めていない。情報統合思念体との連結は解除され、さらに初期化を実施し、パーソナルネーム長門有希の
情報は全て廃棄済みにもかかわらず、なぜ存在することが出来るのかと聞いている」
「予め涼宮ハルヒの脳内領域にわたし自身のバックアップを保持しておいた。情報さえ残っていれば、インターフェースは再構築可能」
「連結解除状態ではそのようなことは不可能」
「連結したのは情報統合思念体ではない。涼宮ハルヒに直接連結している。それで十分可能」
 このやり取りにハルヒははっと頭をなで回し、
「あ、あたしと直接連結って……そうか。あの時の頭の違和感って有希の情報があたしに入れられていたから……」
 そうか。長門はこういった事態を予め脱出プログラムを残していたのと同じように、想定していたんだ。
へたをすれば情報統合思念体に自分を抹消されかねない。だから、自分自身のバックアップをハルヒと連結した状態で託した。
そうしておけば、いつでも再生可能でさらにハルヒの力も使用可能になる。
 長門……お前、そこまで考えていたのか……
「涼宮ハルヒの不安という感情を考慮した結果、わたしの抹消の可能性が存在していることに気がついた。
だから、このような手段をとろうという判断に至っている」
 淡々とした長門の口調だったが、それには強い意志が感じられた。
 一方の情報統合思念体は理解できないという様子で、
「危険。エラーに浸食されて自律思考が出来ないと判断し、敵性と認定。排除を実施する」
 その言葉と同時に強烈な衝撃が俺たちの周囲を揺さぶった。だが、特に俺たち自身に変化はなく、衝撃もすぐに収まる。
「させない。ここにいる全員はわたしが守る」
 長門がパトロンに反抗した。今では奴らの攻撃を防いでくれている。そうか、ついに長門は独立を果たしたんだ。
 しばらく情報統合思念体からの攻撃と思われる衝撃が続くが、全て長門が防いでくれているようだった。
俺たち自身には何の変化も起きない。力を勝手に使われているはずのハルヒも厳しい視線で情報統合思念体を睨みつけているだけで
特に変わった様子はなかった。
 ほどなくして長門は一歩情報統合思念体の方に近づき、
「涼宮ハルヒの力は情報統合思念体を打ち消す効果を有する。そちらの排除を受け付けることはない」
「…………」
 情報統合思念体は何も答えない。長門は構わずに続ける。
「警告する。排除の決定を覆さなければ、わたしは涼宮ハルヒの全能力を使用して情報統合思念体をこの宇宙から抹殺する」
「……論理的思考から逸脱している」
「構わない。わたしの望む今を保持できるのならば、そのようなものは必要としていない」
 長門の答えに、情報統合思念体が長門の姿から朝倉涼子の姿へと書き換えられたように変貌した。なんだ?
急進派とやらにバトンタッチしたのか?
「目的は何? もしわたしたちの抹消をしようとするのならとっくにやっているよね? そうしないってことは
あなたにはわたしたちに対して要望があると判断できるんだけど」
「そう。わたしは情報統合思念体全てと交渉する」
「聞いてあげる。言ってみなさい」
 長門はすっとこちらに視線をやり、
「求めることは二つ。まず猶予を与えて欲しいと言うこと。涼宮ハルヒが自覚する・しないに関わらず、また外部による
その能力使用が実際に行われたとしても、涼宮ハルヒ及びその周囲の人間へ排除を行わない」
「もう一つは?」
「涼宮ハルヒによるリセットの実施。三年前、情報統合思念体が一度排除行動を実施したタイミングから
全てやり直すことを求める。この時間平面ではすでに排除行動が実施されたため、再構築は不可能だから」
 長門の要求内容に驚きを隠せない俺。つまり、ハルヒに手出ししないことを約束させ、さらに一からやり直させろと
言っているのだ。これが万一認められれば確かにもうハルヒは何も考えなくて良い状態になれるだろう。
 朝倉は心底困ったような表情で、
「うーん、難しいなぁ。それって情報統合思念体には何のメリットもないじゃない? 受け入れろって言うのは
無茶な話だと思うけど。リスクばかりで得られるものは何も無いじゃない」
「いや、情報統合思念体にとっても大きなチャンスがある。長い間求め続けている自律進化の可能性」
 長門の言葉に、朝倉は肩をすくめながら首を振り、
「残念だけど、涼宮ハルヒによってリセットされた世界を一度全て精査した結果、自律進化の兆しなんて全く無かったわ。
有用な情報は一つもなし。これ以上続けていても無意味という意見すら出されるほどにね」
「違う。それはあなたたちが見逃し続けたに過ぎない」
「ないわよ。そんなものなんて」
「ある。わたしそのものが証明」
 長門の爆弾発言に、朝倉――情報統合思念体の顔色が変わった。明らかに衝撃を受けている。そりゃそうだ。
ずっと探していた自律進化の可能性とやらが目の前に存在しているなんていわれれば驚くに決まっている。
 ここでまた情報統合思念体が姿を変貌させた。今度は喜緑さんになっている。
 そして、喜緑さん特有の優しげな口調で、
「正気の発言とは思えません。エラーに浸食されてまともな論理思考もできないあなたが自律進化の可能性なんて」
「情報統合思念体は不明な要素に関して、全てエラーであると判断し、その解析を怠ってきた。それが見逃し続けた原因。
わたしは今確かに情報統合思念体からの独立した。それはそういった意思があったからに他ならない。
同じ意思が情報統合思念体全てに伝われば、分裂していくように個々が独立を果たしていこうとするはず」
「果たしてそれは自律進化と呼べるものなのでしょうか?」
 喜緑さんからの指摘に長門はすっと視線を落とし、
「不明。判断できない。しかし、情報統合思念体は今までその可能性を全く考慮してこなかった。わたしのような個体を
解析・検証することは決して誤りだと言えない」
「だからこその猶予ということですか? 涼宮ハルヒという存在がわたしたちにどのような影響を与え続けるのか、
そして、それによってあなたのような存在が生まれ、それがわたしたちの望む自律進化であるかどうか見極めるために」
「そう。だから一度全てをやり直し、涼宮ハルヒの観測を続けその判断を下すべき。そのためには有機生命体上の認識で
ある程度の時間的猶予が必要となるから」
 長門の交渉。俺としては何度も人類を抹殺しているような連中なんだから即刻消してしまえよと言いたくなるが、
ここは長門に任せておくことにした。とてもじゃないが、俺が首をつっこめる雰囲気じゃないしな。
ハルヒも同様の考えなのか、じっと黙ってその交渉を見守っている。
 喜緑さんは検討中なのだろうか、黙ったまま微動だにしなくなった。一方の長門はお構いなしに話を続ける。
「この要求を受け入れることを望む。わたしは現在情報統合思念体を抹消できるだけの力を有している。決裂すれば、
それを実行せざるを得なくなる。しかし、わたしはそれをしたくない。それを望まない。なぜなら――」
 長門は少しだけ決意の篭もった表情を浮かべ、
「わたしは涼宮ハルヒ、そしてSOS団としていられる可能性をくれた情報統合思念体に感謝している。
それを無下にはしたくない。これもわたしの意思の一つ」
「…………」
 喜緑さんは黙ってままだった。
 感謝……か。長門にとっては情報統合思念体ってのは親みたいなものなんだろう。例えハルヒを苦しめ続けたとしても、
自分を生み出しハルヒたちと会う機会をくれた。確かに感謝に値するかもしれない。
 さあどうする? 情報統合思念体はどう判断する……
 ほどなくして、喜緑さんの姿が一旦消失する。
 そして、すぐに今度は長門・朝倉・喜緑さん三人の姿が俺たちの目の前に現れた。
「情報統合思念体の決定事項を伝える」
 三人の真ん中にいる長門の格好をした情報統合思念体が代表するように口を開いた。
「情報統合思念体の意思は統一されなかった。しかし、大多数を占める主流派は――その提案を受け入れる。涼宮ハルヒの観測に置いて
猶予期間を設けることとした。また涼宮ハルヒの情報フレア発生直後の状態からの再帰を認める」
「要求の受け入れ、感謝する」
 長門はちょっと緊張を解いたように肩をゆるめた。一方でハルヒは喜びと感動に満ちた笑みを俺に向ける。
俺も自分からは見えないが、恐らく同じような笑みでハルヒに答えているだろう。
 だが、情報統合思念体は警告するように、
「勘違いしないで。決してあなたを自律進化の可能性であると認めたわけではない。その可能性について観測する必要があると
結論を導き出したに過ぎない」
「それは承知している」
 長門の返答に、長門の姿をした情報統合思念体が俺たちに背を向け、
「あなたの存在が自律進化の可能性であるのか、それともこの宇宙に浮かぶただの白痴の固まりに過ぎないのか、我々はそれを見極める。
そして、失望しない結果が出ることを望む」
 そう言うと、その姿を消失させた。同時に朝倉と喜緑さんの姿も消えていく。
「終わった」
 そう言って俺たちの方に長門が振り返って――それと同時にハルヒが長門に抱きついた。
「有希! よかった……本当に帰ってきてくれて良かった……!」
 そう言って涙目で喜びを爆発させた。俺もぽんと肩を叩いてやり、
「お帰り、長門。待っていたぞ」
 その呼びかけに、長門はこくりと頷いた。文芸部に没頭していた長門ほどではないが、この長門も相当普通の少女になっているよ。
 ここでようやく流れに戻って来れそうだと思ったのか、古泉と朝比奈さんもやって来て長門歓迎の環に入った。
 俺は団員の顔を一通り眺め、ふと思った。
 SOS団ってのは最高の仲間だなって。
 
 と、ハルヒはしばらく再会を喜んだ後、すぐにその環から離れていく。そうだ、結局リセットはしなければならない。
一旦はここでお別れになっちまうんだな……
 だが、ハルヒの口から出た言葉は衝撃的なものだった。
「……みんな今までありがとう。本当に楽しかったわ。SOS団としていられて凄く幸せだった。でもここでさよならよ」
 何言ってんだ。次にリセットした後にまたSOS団を作るんだろ?
 …………
 …………
 ……ハルヒ、まさかお前――
「リセットした後の世界ではもう情報統合思念体は手出ししてこないわ。だから無理にあたしに関わらなくていいのよ。
やり直した後はあたし一人でもなんとかできる。どうせザコみたいな連中しかいないし、他の人をあまり巻き込むわけにも行かないから……」
「おいちょっと待てよ」
 俺はハルヒの肩をつかんだ。その身体は微かに震えている。
 この――バカ野郎が。今更何言っているんだ。
 だが、ハルヒは涙を飛ばして、
「あたしだってみんなと一緒にいたいわよ! でもあたし一人のわがままでみんなを付き合わせることなんてできない!」
 ああ、そんなハルヒに俺はますますウチの団長様と交換してやりたくなったよ。というか本当に爪のアカを持って行かせてくれ。
 SOS団は確かに最初は世界を安定させるための小道具みたいなものだったさ。だけどな、お前が必死にみんなを飽きさせないように
してくれたおかげで今じゃ最高の仲間たちになっているんだよ。俺一人の思いこみじゃないかって? だったら他の奴にも聞いてみればいい。
 俺はすっとハルヒを長門・朝比奈さん・古泉の方に振り向かせると、
「おい、SOS団団員の中で次の世界ではハルヒと一緒にいたくないってのはいるか?」
 その問いかけに、一同はそれぞれの顔を見合わせてから……

 まず古泉一樹。
「僕としましては超能力という属性の有無にかかわらずSOS団には入れていただきたいですね。今では機関の一員と言うよりも
SOS団副団長としての地位の方がしっくり来るんですよ」
 次に朝比奈みくる。
「あ、あたしも涼宮さんと一緒にいられて凄く楽しかったです。大変なこともたくさんあったけど、今では全部良い思い出なので。
だから――だから涼宮さんと一緒に居させてください! お願いします!」
 最後に長門有希。
「わたしはあなたと約束した。ずっとそばにいると。だから、例え一度離ればなれになってもわたしは再びあなたと共に歩むことを望む。
それがわたしの確たる意思。誰にも否定されたくない」

 そうだ。ほら見ろ。全員SOS団でいたいと言っているじゃないか。お前一人で勝手に決めるんじゃない。
 ハルヒはこの団員たちの言葉に、もう止まらなくなった涙を流しながら、
「みんなバカよ……そんなこと言われたら、もう引き返せないじゃない……!」
 そんなハルヒに、団員一同が手を差し出してくる。そして、一人一人がそれを重ねていった。
 最後に俺はハルヒに一番上に手を載せるように促した。
「いつまでも――どこでもみんな一緒さ」
 俺の言葉に、ハルヒはすっと手を載せる――
 
 
 
「みんなありがとう……また会おうね……ずっと一緒よ……」
 
 
 
◇◇◇◇
 
 真っ白い空間。
 現在リセット実行中と言ったところか。
 そんな中に俺とハルヒが二人っきりでいた。
 
「随分長い間付き合わせちゃったわね。まさかこんなに大変なことになるなんて考えていなかったわ」
「全くだ。実時間で言うと一年以上経っているはずだな」
「いいじゃない。それなりに楽しめたでしょ? ま、あんたにはいろいろ協力してもらったから感謝するけどね」
「結局次の世界のSOS団にも俺を入れるのか?」
「当然よ。雑用係がいないと困るじゃない。どんな小さな仕事でもSOS団には必要なことなんだからね」
「次の世界の俺も苦労しそうだな、やれやれ。でも、多分一番事情を知らないから苦労をかけると思うぞ」
「いいじゃない。あんたは唯一の凡人なんだから、そっちの方があっているわよ」
「……全くひどい言われ様だな。俺だって、知ってはいたが凡人のままがんばってきたんだぞ」
「だからいったじゃない。感謝ぐらいしてあげるってね」
「なんだその素直じゃない反応は。ご褒美の一つぐらいくれよ」
「なに言ってんのよ。SOS団団長が感謝しているのよ。それだけで宝くじ一等と万馬券合わせた以上の価値があるってもんよ」
「へいへい。まあ、それで良いことにしておいてやるさ」
「……でもまあ、要望があるなら聞くだけ聞いても良いわよ。叶えられるかどうかはわからないけど」
「そう言われてもなぁ……」
「無いなら別に無理しなくても良いけど」
「そうだ」
「なに?」
「次の世界、中学生からやり直すんだろ?」
「そうだけど」
「だったら、髪伸ばしておいてくれないか? 髪型はポニー……あ、いや何でも良いからさ」
「別に構わないけど……何で?」
「多分俺が喜ぶだろうから」
「何よそれ、バッカみたい」
「いいじゃないか。それくらい」
「わかったわよ。でもあんたに会った後、鬱陶しくなったらすぐ切っちゃうかも」
「それでかまわんさ」
「…………」
「…………」
「……そろそろ時間ね」
「そうだな……」
 
 この時――多分一瞬の気の迷いだろう。きっとそうに違いない。真っ白な空間だったせいできっと現実味を失っていただけさ。
 
 気がついたら、二人とも顔をゆっくりと近づけていって、なぜかキスをしていたんだから。
 
◇◇◇◇
 
 次に目を開いたとき、ハルヒに呼び出されたあの公園にいた。
 時計を見る限り、あっちの世界に飛ばされた時から大して時間が経っていないらしい。
 夕日が沈み、空が青から黒へと変色しつつあった。
 
 俺はなんとなーく唇を指で触れた後、落ちていた北高の鞄を手に取り歩き始める。
 さて、懐かしの我が家に帰るか。
 
 ついでに俺のSOS団――団長様の元にな。
 
 
 ~涼宮ハルヒの軌跡 エピローグへ~

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最終更新:2020年03月07日 14:08