私は、出来上がった原稿を上書き保存すると、パソコンの電源を切った。
そして、目を閉じる。
瞼の奥では、様々な思いが交差する。
苦・哀・憎・痛・羨
漢字1文字で表していくと、こんなものだろうか。
私はその全ての思いの、一つ一つに言い聞かせる。
もう、終わったの。
この小説が終わったみたいに。
もう、こんな思いはする必要がない。
したとしても、後には何も残らないのだから。
目を開ける。
疲れた。
ずっと、パソコンに向かいっぱなしだったからだろう。
横になる。
体から、疲労感と共に、心の中に溜まった汚いものが出ていくような感じがした。
無心になる。
体が軽くなって宙に浮いているような、そんな捉えどころのないような感覚に陥る。
これで私も出来たのだろうか。
美樹が恭平への想いを断ち切ったように。
私も『彼』のことを・・・・・・。
ぴん、ぽーんー
我に返る。
インターホンのベルが鳴った。
誰だろう?
「あ、長門さんですか?みくるです。あ、あの・・・涼宮さんに様子を見てきてって言われたから来たんですけど・・・・・・上がってもいいですか?」
朝比奈みくる?
私は、思いもよらぬ人物の来訪に驚き、しばらく言葉を発することが出来なかった。
「・・・・・・長門さん?や、やっぱり、お邪魔でしたかね?でしたら、私、帰りますけど・・・・・・」
遠慮がちの震えた声が、インターホンのパネルごしに聞こえてくる。
私は、正直、今は上がってもらいたくなかったのだが、せっかく来てもらったのに追い返すのは失礼だと思い
「・・・・・・邪魔ではない。入って。」
と、ドアを開けるスイッチを押し、彼女を通した。
「こ、こんにちは・・・・・体調はどうですか・・・?」
玄関のドアを開けると、そこには、まるで中学生のように小柄な朝比奈みくるが、もじもじしながら立っていた。
顔は笑っているものの、俯いていて、私とはっきり顔を合わそうとしない。
若干、不愉快に感じつつも、私は、家の中に通すことにした。
「おじゃまします・・・・・・。」
都会に迷い込んだ小動物のようにびくびくと足を踏み入れる、朝比奈みくる。
何?何がそんなに気になるの?
部屋に入っても、彼女は何かを話すわけではない。
ただ、私の出したお茶を啜り、コホンと咳き込んでは、慌てたように湯飲みを置き、また黙り込んでしまう。それだけだ。
私が、対処に困っていると、ずっと俯いていた彼女は上目がちに私の顔を覗き込み、そして、唖然とした表情になった。
「・・・・・・長門さん?」
「・・・・・・何?」
「・・・あの・・・どうしたんですか?」
「・・・・・・何が?」
「いや・・・えっと・・・その・・・・・・。」
しばらく驚きの表情で私の顔を見つめていた彼女は、それから急に堰を切ったように話し出した。
「あの・・・この世界はどうですか?楽しいですか?あと・・・向こうの世界の私はどうですか?やっぱり、あの、何というか・・・こう、もじもじしたりしていますか?」
朝比奈みくるは私の正体を知っているようだ。
まあ、彼が私の事を彼女に教えていても、不自然ではない。
1度にいくつもの事を問われ、若干困惑しつつも、私は質問に1つずつ答えた。
「この世界は、私の世界と大して変わりがない。だから、楽しいかどうかは分からない。あと、向こうの世界のあなたは・・・・・・少なくともそんなにびくびくはしていない。」
私の世界の朝比奈みくるは、あの集まりの中では、唯一同じ学校の人ということで、よく私に話しかけてくる。
涼宮ハルヒがたてた計画を伝えてくれたり、集合場所を教えてくれたり。
もっとも、彼女はあまり涼宮ハルヒのことを好んではいないようだが・・・・・・。
「そうですか・・・。すごいなぁ・・・・・・。」
よく分からない感想を述べた後、彼女は立ち上がり、
「あの・・・もう帰りますね。あまり長い間いても、お邪魔でしょうし。」
と、玄関に向けて歩き出したが、すぐに立ち止まり、
「あ、忘れてました・・・・・・。あの、原稿、出来上がってます?涼宮さんが今日中に全部印刷しちゃいたいって言ってたんで・・・・・・。」
「・・・・・・」
「終わって・・・ないんですか?」
「・・・・・・終わった。」
私は、この原稿を機関誌に載せることを、一瞬、躊躇した。
どうしよう。彼に見られてしまう。
でも、そう思ったのは、本当に一瞬だった。
私は彼の事を、もう想っていないんだ。
悩む必要もないだろう。
この家には、プリンタがないので、ノートパソコンごと持っていってもらうことにした。
「お邪魔しました。明日は学校、来てくださいね。みんな、待ってますから。」
この家に入ってくる前とは、まるで別人のようにはきはきとした口調になった、朝比奈みくるは、頭を下げ、そのまま玄関から出ようとして、ノートパソコン入りの袋を持っていないことに気が付き、慌てて取りに帰った後、また、上の台詞を繰り返して、頭を下げ、去っていった。
・・・・・・ユニーク。
え、私の一人称もあるんですか?
良かった~。
何か、今回、私だけ台詞少ないですしね。
こんにちは。
SOS団のマスコットキャラこと、朝比奈みくるです。
どうぞ、みくるちゃんとお呼びください。
え、自己紹介はいいから、早く物語を進めろって?
し、失礼しました。
こういうの、慣れていないので・・・・・・。
では、始めます。
私が長門さんの家に向かっているとき、最初は、いつもとは違う長門さんに会えるということで、ワクワクドキドキ、スキップでもしたい気分でしたが、家に近づくにつれて、その気分は、塩をかけられたナメクジさんのように萎んでしまいました。
癖みたいなものですね。
私の緊張は、インターホンで部屋番号を押すときがピークでした。
いつもは、キョンくんが押してくれますけど、今日は私1人です。
部屋番号を2回ほど間違えて怒られた後、私は、長門さんにドアを開けてもらいました。
「・・・・・・どうぞ。」
そういって、家の中へ私を招き入れる長門さんは、いつもと変わらない気がします。
キョンくん、まさか、嘘ついてないでしょうね。
長門さんがお茶を用意してくれている間も、もじもじしっぱなしの私。
長門さんの顔もまともに見れません。
沈黙。
気まずい空気が流れます。
・・・こんなんじゃダメだ!ファイト、みくる!
思い切って何か話しかけようと、上目で長門さんの顔を窺うと、困ったような表情をしています。
ああ、やっぱりこの人は、あの長門さんではないんですね。
あの、長門さんならこんな表情はしませんもんね・・・・・・って、え?
この時、私はおそらく、飛びっきりおかしな顔をしたでしょうね。
何でですかって?
それは・・・・・・
涙。
涙ですよ!長門さんの顔に、涙が流れた跡があったんです!
びっくりです!
世○仰天ニュースより、仰天です!
いてもたってもいられなくなった私は長門さんに話しかける、という難題をあっという間にクリアしてしまいました。
「・・・・・・長門さん?」
「・・・・・・何?」
「・・・あの・・・どうしたんですか?」
「・・・・・・何が?」
「いや・・・えっと・・・その・・・・・・。」
会話になってないとか言わないでください。
私にとっては、大きな成果なんです。
えっと、長門さん本人は、泣いていることに気が付いてないみたいですね・・・・・・。
でも、本当にどうしたんでしょう?
泣きたくなるくらい、悲しいことでもあったんでしょうか?
とはいえ、このまま考えていてもまた気まずくなるので、私は話を続けました。
「あの・・・この世界はどうですか?楽しいですか?あと・・・向こうの世界の私はどうですか?やっぱり、あの、何というか・・・こう、もじもじしたりしていますか?」
この質問はここに来る前に、聞こうと思っていたものです。
向こうの世界の私はどんな人なんだろう?
会ってみたいな・・・・・・。
「この世界は、私の世界と大して変わりがない。だから、楽しいかどうかは分からない。あと、向こうの世界のあなたは、そんなにびくびくはしていない。」
「そうですか・・・。すごいなぁ・・・・・・。」
これは本音です。
だって、すごいじゃないですか。長門さんの前できちんとしていられるなんて。
え、あなたがおかしいんだって?
そうですかね・・・・・・?
長門さんとお話するのは、とっても難しいと思いますけど・・・・・・。
あ、そろそろ帰らないと。涼宮さんにおつかいも頼まれてましたしね。
えっと・・・メロンパンでしたっけ?
長門さんから、原稿代わりのノートパソコンを受け取ると、私は急いで長門さんの家を出ました。
辺りはもう薄暗くなってます。急がないと。
私は、心の中では女子マラソンの世界記録保持者並みのスピードで、周りから見たらたぶん歩くのとたいして変わらないくらいのスピードで、パン屋へ向かって走りました。
「ちょっと、みくるちゃん!?私が頼んだのはカレーパンでしょ!?あなたにはこれがカレーパンに見えるの!?」
あんぱんを買って帰ってきた私は、涼宮さんに怒られます。
そうでした・・・確かに頼まれたのはカレーパンでしたね・・・・・・。
みくる、反省です・・・・・・。
「おいおい、お前の為に朝比奈さんはわざわざ買ってきたんだぞ?そんなに文句言うんだったら、お前が自分で買ってくれば良かったじゃねぇか?」
キョンくんがドジな私をかばってくれます。
私は、感謝の念をこめて彼に微笑みかけました。
彼は、でれっとした表情を一瞬見せましたが、慌てて真面目な顔を作ります。
ふふふ、可愛い・・・・・・。
「・・・まあ、いいわ。だいぶドジッ娘っぽくなったしね。で、有希はどうだったの?大丈夫だった?」
「はい、元気そうでしたよ。」
「そう、それはよかった。あとは・・・そうそう、有希の原稿は?まさか、それまで忘れたとか言わないでしょうね?」
「ああ、それなら貰ってきましたぁ。」
やや得意げに私はノートパソコンを取り出しましたが、涼宮さんはそれを見て溜息をつき、
「あのねぇ・・・それじゃ、どんな原稿か分からないでしょ!ほら、そこのプリンタに繋いで、早く印刷しなさい!」
「は、はい!」
私は、不機嫌な王様から命令を受けた家来さんのように慌てて作業に取り掛かります。
「さあ、キョンもぼーっとしてないで、早く終わらせなさい!」
「へいへい。」
そう言って、キョンくんのすぐ後ろに置かれたパイプ椅子に腰掛ける涼宮さんと、キーボートに手を置くキョン君。
もう、本当に仲がいいんだから。
少しもやもやした気分になりましたが、いつものことなので大して気にも留めず、私は長門さんの家から持ってきたパソコンを起動させます。
そして、涼宮さんに拘束されているキョンくんを無理やり助け出し、印刷の仕方を教えてもらいます。
涼宮さんが何やらブツブツ言っていますが気にしません。
とりあえず1部だけ印刷して、それを涼宮さんに渡します。
涼宮さんはしばらく難しい顔で、その原稿を読んでいましたが、全て読み終わると、何故か慌てたような声で、
「ふ、ふ~ん、有希もちゃんとした恋愛小説を書けるのね。うん、これは決定ね。後はキョンだけよ。」
と言うと、すぐにその原稿を鞄にしまおうとしました。
「おい。俺にも見せてくれよ。長門が書くちゃんとした恋愛小説ってどんなんだ?」
「う、うるさい!あんたには関係ないでしょ?それはいいから、続けなさい!」
「な、何だよ・・・。俺が見ちゃいけないわけでもあんのか?」
「あんたはまだ終わってないでしょ!?そんなことしている暇はないの!」
何だろう?
キョンくんが見ちゃいけないことでも書いてあるのかな?
私は、涼宮さんの鞄の上に置かれた原稿をこっそりと読んでみることにしました。
えっと、この美樹って娘が主人公でいいのかな・・・・・・
最後まで読み通した私は、涼宮さんがなぜキョンくんにこの原稿を読ませなかったのか、そして長門さんがなぜ泣いていたのかが分かりました。
だって、これって・・・・・・。
「ちょっとみくるちゃん?ぼーっとしてないで、お茶、早く汲みなさないよ。」
「は、はい。」
いけないいけない。私はSOS団専属のメイド。
そのメイドが仕事を忘れるなんて、あってはならないことです。
私が目指すのは、格好だけじゃない本物のメイドなんですから!
いかがでしたか?
私、こんなことしたことないから、少し読みにくかったかもしれませんが・・・・・・
え、終わったんなら早くかわれ?
す、すいません。
じゃあ、ここからはキョンくんにバトンタッチします・・・・・・。
はい、バトン、確かに受け取りましたよ、朝比奈さん。
「やっと、終わったわね。もし終わらなかったら、家に帰らせなかったところよ。残業手当はもちろんなしでね。」
終わった・・・・・・。
真っ白に燃え尽きたぜ・・・・・・。
どこかのボクシング漫画の主人公のようにたたずむ俺を尻目に、ハルヒは出来たてホヤホヤの俺の原稿と、何故か読ませてくれない長門の原稿を持って部屋を出て行った。
何でだ?
長門の書くちゃんとした恋愛小説というのは、こんな一団員では目にすることすら出来ない貴重なものなのか?
俺が、小説の内容について想像を巡らせていると、メイド衣装ではない朝比奈さんがお茶を持ってきた。
たまには制服もいいかもな・・・・・・。
先にいっとくが俺は、制服フェチではない。
この方が着たものは、何でもブランド品並みの輝きを放つんだよ。
「あの・・・キョンくん。」
「は、はい?何でしょう?」
急に話しかけられた俺は、にやけ気味になりつつある顔を無理やり引き締めた。
「あの、明後日の事なんですけど・・・・・・。」
明後日?明後日といったら・・・ああ、あれの事か。あれがどうしたというのだろう?
「あれの事ですか?それなら、もう準備は万端ですから、朝比奈さんは待っていてくれるだけいいですけど。」
「私はいいんです。ただ・・・・・・」
何やら言いたいようだがうまく言葉に出来ない、そんな素振りを見せる朝比奈さん。
どうした?私はいい?
俺としては、あなたに1番楽しみにしていてもらいたいのですが・・・・・・。
「・・・長門さん・・・あの長門さんが一生忘れないような・・・そんなものにしてください。お願いします。」
長門?まあ、あいつにとっては初めてのことかもしれないからな。
「分かりました。任せてください。古泉と協力して、最高のものにしますから。」
「そうですか。ありがとうございます。私も楽しみにしておきますね。」
そういって天使の微笑み。
ああ、やっぱり俺は、あなたの一生の思い出を作りたいんですが・・・・・・。
明後日に何があるかって?
な~に、大したことじゃねぇよ。
一部の幸せな男子にしか関係のないイベントさ。
明後日はホワイトデー。
明らかに日本産のこのイベントは、今年もハルヒの手によって、俺と古泉の中では、ビックイベントになっていた。
今年のバレンタインの日も、えらく独創的なアイディアで俺達を驚かしてくれたハルヒは、ホワイトデーをとても楽しみにしているようだ。
俺が今回、「原稿、原稿!」とやけに急かされたのも、この日までに機関誌作りを終わらせておきたかったかららしい。
全く、ハルヒのせいで俺達男性陣は、いらぬ苦労を強いられているわけで・・・・・・
いや、せい、でもないし、いらぬ、でもないな。
世の中にはこの日が、ただの平日と化す男もいるんだ。
その分、俺は幸せなんだと思っておこう。
その後、ハルヒによる軟禁から解放された俺は、家に帰り、夕食、入浴と、普通の人間と変わらない生活を送った。
さすがに三日連続で異時空騒ぎはごめんだ。
そんな俺は、油断していたのかもしれない。
夜、布団の中で、明後日の長門の反応を妄想しつつ、うつらうつらしていた俺は忘れていたのだ。
古泉からの連絡がないってことを。
あいつは昨日、「明日には帰れます」と言っていたから、今日、この世界に帰ってくるはずだ。
そして、帰ってきたら、おそらく電話をかけてくるだろう。
「結果報告です」とか何とか言ってな。
しかし、、この夜、俺の携帯が鳴ることはなかった。
そして、明日、俺はこの事を激しく後悔することになろうとは、夢にも思っていなかった。
~Different World's
Inhabitants YUKI~スイヨウビ(その一)~へ続く~
最終更新:2020年03月13日 01:25