第一話 受験勉強
 
目の前のタイマー内蔵時計が時を刻んでいる。あと数秒でこの試練も終わる。もうあと……3,2,1。
安っぽい電子音が、静寂な空間に響き渡った。
 
「さあ、終了だ。キョン、出来はどうだい?」
俺の前に置かれた佐々木お手製のテスト用紙が回収されていく。ああ、一応回答欄は全部埋めたぜ。正解かどうかは判らんがな。神のみぞ知るってところだ。
「キョン……キミはいったい何のためにここにいて、そして僕たちは誰のためにこれをやっているのかを、十分理解した上でそんなことを言っているんだよね?」
判っているよ、だからそんなに怖い顔で睨むな。ほんの冗談だ佐々木。
「……全くキミってヤツは」
 
今日は4月の最終日曜日。昨日から日本中の誰もが待つGWに突入していたが、俺や佐々木や朝倉にはそんなことは一切関係なく、普段の日曜日と同様のスケジュールをこなしていた。所謂「理解力テスト」と言う名の試練に俺一人が立ち向かっていたわけだ。もちろんそれに挑むのは俺。その試練を科すのは、俺の親友である佐々木と、クラス委員の朝倉だ。
 
今の俺の生活は、数ヶ月前とはがらりと変わった。
平日は学校の授業が終わると速攻で俺の家へ移動し、家庭教師様とじっくり高校1年生の復習。月水土曜日は佐々木が理数系を、火木金曜日は朝倉が文系を、それぞれ教える担当と内容は違うが二人とも夜の9時頃まで掛かって俺の勉強を見てくれていた。
日曜日は朝倉のマンションで二人の作った「理解力テスト」を午前中にこなし、午後からはその答え合わせと問題に対する理解力対策に費やす。結局俺が朝倉のマンションから解放されるのは、夜の7時頃だ。
もちろん、家に帰っても色々復習やら宿題やら有るわけで、佐々木と途中まで一緒に歩いて帰る時間が唯一の心のオアシスみたいなもんだ。
こういったまるで絵に描いたような受験勉強生活が、既に3週間目に突入していた。
授業が終わったら用事が無くても文芸部室に向かい、活動とは呼べないようなまったりとした時間を過ごしていたときが懐かしいね。あいつらも受験生だから、流石に今も同じでは無いだろうが。
 
 
佐々木が俺の答案用紙に朱を入れている間、俺はぼーっとそんなことを考えていたが、コーヒーの良い香りで現実に引き戻された。
「お疲れ様、キョン君」
朝倉、今日の俺の成績はどうだった?お前の方は、良いとこ行ったと思うんだが。
既にテストに朱入れを終わり、佐々木のテストが終わるのを待っていたらしい朝倉が「専用」と書かれた俺のマグカップを持ってきた。なみなみと注がれているブラックコーヒー。俺あんまりコレ得意じゃ無いんだが。
「キョン、過度の糖分の取りすぎは体に良くない。糖分、特にブドウ糖は頭を使うときに必要な栄養素の一つだが、現在のキミの頭には朝の食事の栄養が回っているはずだ。今のキミに必要なのは、たぶん眠気覚ましのカフェインではないかと思うのだが」
そんな俺の思考を読んだように、こちらを見ずに佐々木が言う。お前にそう言われたら、俺は何にも言い返せないじゃないか。まあ、確かに眠くなってきていたのは確かだからな。じゃあ、朝倉、頂くわ。
一口コーヒーを啜る。コーヒーの苦みの中に、ほんのりと混じる甘み。あれ、コレ砂糖入って……ふと視線を移すと、そこにはウィンクしながら口に人差し指を当てた朝倉がおり、口の動きだけで「ナイショ」とだけ告げた……やべえ、可愛い。谷口ランクAA+は伊達じゃない。普通の男ならコレでイチコロだな。コイツの正体さえ知らなきゃの話だが。
 
「出来た。ではキョン、点数を発表しよう」
 
結果から言うと、朝倉の作成したテストは86点。佐々木の作成したテストは78点という成績だった。これ結構良い点数じゃないか?俺だってやれば出来るんだぜ。そんな俺の希望に満ちた視線を受けた二人は、ふうとため息をついた。え、何?お二人さん、この点数じゃご不満ですか?
 
「あのね、キョン君。今回のテストって、高校1年生前期までの内容なの」
ああ、それくらい判ってる。GWまでにはそこまで終わらせるって話だったからな。
「確かに2週間で詰め込んでしまったから、一部内容がうろ覚えなのかもしれないがね、キョン。この程度のテストでは満点、せめて90点以上は取って欲しかったな」
「そうね。どっちかのテストでも満点が有れば良かったんだけど……」この程度って……満点て……
「高校1年の授業内容はね?2年生の授業の基礎の基礎なの。まずその辺から理解して貰わないと……」
「キョン。高校1年前期の授業の内容は、中学校の授業の延長線上にあるんだよ?キミはまさか、中学校のレベルからやり直さなければならないのかい?」
散々な言われようだが……だが俺はこの二人の家庭教師達に反論する術は持っていない。こいつらと俺の頭の良さの違いはさておくとしても、この二人に勉強のことで相談したのは誰有ろう俺だし、更に志望大学に行く為には死に物狂いにならないといけないというのも、十分理解している。
 
佐々木と朝倉の二人は、怖い顔をしてこっちを見ていた。
俺は何時のも台詞が出そうになるのを喉の奥に飲み込んで、二人に頭を下げる。
「すまん」
 
朝倉のマンションで佐々木と朝倉による俺の一方的な虐殺が終わり、俺はへろへろになりながらマンションの扉をでたのは、既に夕食の時間を大幅に過ぎた頃だった。ああ、頭の中で数式と世界の首都がウィーン会議でタップダンスを踊っているぜ。
 
「キョン、そういえば来週だったね?」
ふらふらの俺の横を歩く佐々木が、ふと何かに気付いたように話しかけてきた。
「来週?ああ、そうだな」
来週……つまりGW後半に3泊4日の予定でハルヒ達が来るんだっけ。先日、わざわざ団長様自ら俺に電話を掛けてきたからな。久しぶりに連中に会えるのは嬉しいが、できれば波風立てずに過ごして頂きたいものだ。
……無理だとは思うが。
「前々から言っていたが、あいつらが居る間は勉強は休ませて貰うぜ。わざわざこっちまで来るんだ、迎える側として、こっちの都合に合わせて貰うわけには行かんしな」
「くくっ、判っているさ。まあ、その分GW明けにはかなり頑張って貰うことになるから、今から覚悟しておいてくれ」
「……お手柔らかにな。ところで、お前はその間どうするんだ?」
「僕かい?僕は塾の試験がある。都合を付けても最後の二日くらいしか付き合えないな」
「そうか。残念だな」
佐々木はふと俺から視線を外し、そうだね、残念だよと呟いた。
 
暫く沈黙が続く。
 
「なあ、佐々木。前から聞きたかったことがあるんだが」
沈黙に耐えきれなかった俺は、ショッピングセンター脇を抜け、その喧噪が遠くなったあたりで佐々木に声を掛けた。
「……なんだい?」
「あー、その、なんだ。橘たちはどうしてる?まだ連絡は取って居るんだろ?」
佐々木は一瞬歩みを止めかけたが、再び何事もなかったように歩き始めた。
「……ああ、時々連絡を取っているよ」
「あいつらも偶には遊びに来たらいいのに」
「そうも行かないんじゃないかな。彼女たちも色々忙しいみたいだし、なかなかね」
「そうか。そうだな」
「そうだよ」
その時の佐々木は、何だか寂しげな表情をしていた。
まあ、な。
『機関』の古泉と対立する『組織』の橘。
朝比奈さんの組織と対立する藤原。
『情報統合思念体』の長門と『天蓋領域』の周防。
俺にとっては古泉、朝比奈さん、長門は友人でもあり、信頼できる仲間でもある。
だが、佐々木にとっては違う。俺のかけがえのない仲間達は、コイツにとっては自分の友人達、橘、藤原、周防のライバル、もしくは敵なのだからな。ややこしいぜ、全く。
 
「じゃあ、キョン。また明日」
「おう、待ってるぜ」
俺はそれだけ言って、自分の家に向かって歩き始めた。
明日は月曜日だが祝日の振り替えで学校は休み。予定では朝から俺の家で佐々木と勉強会だ。更に、昼頃には朝倉も来るとか言っていた。この二人はお前ら自分の勉強は良いのか?と思えるほど俺の成績を上げることにご執心で、彼女たちの出来の悪い生徒たる俺としては本当に頭が下がる思いだ。
……って、待てよ。明日は休日、ってことは家族全員居るじゃねーか。
お袋は無料の家庭教師が付いたことでホクホク顔だし、妹は妹で日替わりで毎日のように俺の家にやってくる二人に思いっきり懐いているし、親父は事あるごとに「どっちなんだ?」と聞いてくるし……なんのこった。
そりゃ年頃の女性が二人、毎日のように交代で俺の勉強を見てくれており、しかもどちらもかなりの美人だ。
親父でなくても気になるのは仕方ないことなのだろう。現に、そろそろクラスでは噂になり始めているしな。
 
はあ。
 
俺は最近多くなってきたと自他共に認めるため息をつき、自宅に向かって歩き始めた。
 

 

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最終更新:2007年11月11日 00:41