第二十三章 スイートルーム
 


 
灰色一色の、現実味のない空間。豪奢なシャンデリアや大画面テレビなどが配置された部屋。
 
俺は今、キングサイズのダブルベッドに座っている少女を見ている。
 
白いコートを肩に掛け、ロングヘアをポニーテールに纏めている。
 
少女は手元の携帯電話を取り出し、何処かへと電話を掛けた。
 
「……」
「……」
「……」
「……やっと出てくれた」
「……」
「どうしちゃったの?どうしてパーティに来てくれなかったの?」
「……」
「ウソ!だって、発車時刻まで3時間もあったじゃない!」
「……」
「そんなに佐々木さんとデートしたかったの?まあいいわ。今日は大事な発表があったのよ。それなのに」
「……」
「……一番上の階」
「……」
「うん」
「……」
「……来てくれないの?アタシ、キョンのこと待ってるんだよ?」
「……」
「……何よ」
「………………」
「な……」
「……」
「キョン!」
 
静寂に満ちたスイートルームの中に、ツーツーという電話の音だけが響く。
 
「……なんで……どうして……」
携帯を見つめたままの、少女の声が嗚咽に変わる。
 
「……待っているのに……どうして来てくれないの……キョン……」
携帯電話を畳み、俯く少女。その手と膝の上に大粒の涙がこぼれた。
 
「……お願い……来て……あたしもう、待つの疲れちゃったよぉ……」
ぽふ、とベッドに倒れ込んだ少女は、そのまま泣き始めた。
 
その光景が暗転し……そしてまた、冒頭に戻る。
 
延々と、その繰り返し。
少女が携帯電話で何度も同じ会話をしていると言うことは、おそらく暗転した時点で記憶がリセットされて
いるのかもしれない。何度も……何度も何度も。少女の嗚咽と泣き声が耳から離れない
 
 
もしかしてコイツは、ひと月前に倒れてからずっと、こんなシーンをエンドレスで再生していたのか?
しかもこれは現実世界で有った事実じゃない。夜行列車の中で、俺が見た『閉鎖空間』内での出来事だ。
だが、これは見ていても辛かった。いくら相手が誤解したままの俺自身とはいえ、だ。
おそらく下のパーティルームにいるだろうその時の俺を、首根っこ捕まえて引きずってきたかった。
だが、それは無理だと言うことは俺にも十分に分かっている。
ハルヒの電話の相手は、俺の『影』だからだ。あの時の、俺の『影』。
じゃあ、俺はどうすればいい?『影』じゃない『本物』の俺は?
 
やることは、決まっているさ。
 
何十回目かの再生の時。携帯電話を取り出そうとした少女に、俺は声を掛けた。
 
「よう」
びくぅ、と少女……ハルヒはベッドの上で跳ね上がった。
まさか、すぐ側に人がいるなんて思っても見なかっただろうからな。
 
「来てやったぜ」
恐る恐るこちらを振り向くハルヒに、俺は努めて明るく話しかけた。
 
「………な、な、な、な……なんでこんな所にいるのアンタは!」
ハルヒは驚きのあまりなのか、微妙に喧嘩腰だ。
 
「いや、お前が呼んだんだぜ?ここにな」
「……えっ……呼んだって……でもここは、あたしの夢の中なんでしょ?」
「ああ、そうだったな。あれ、お前これが自分の夢の中だって事を認識してるのか?」
俺はベッドの脇のソファーに腰掛けた。ハルヒは俺の行動をじっと視線で追っている。
 
 
「当たり前でしょ。以前にもこんな感じの夢を見たことあるし、すぐにわかったわ」
「そうか。察しの良いことで」
「ってことは、アンタも夢の中の登場人物、つまり幻ってことじゃない」
「う~~ん、実はそうじゃないんだが」
「……えっ……どういう事よ?説明しなさい!」
「そうだな、たっぷり説明してやるさ。向こうでな」
「向こう?向こうって……」
「そろそろ起きる頃合いだと思うぞ」
 
その言葉を聞いたハルヒは、俺から視線を外し俯いた。
 
「……イヤ。戻りたくない」
「みんな心配してるぞ」
「だって……向こうに帰っても、あたしの居場所は無いもの。だったら、いっそのことずっとここにいるわ」
「何言ってるんだお前?自分の居場所がないって……」
「アンタのせいよ!」
ハルヒは顔を上げ、びしっと人差し指を俺の方に向ける。
 
「アンタが、その……佐々木さんと一緒にいるところを見てね、あたし分かっちゃったの。あたしの居場所はもう無いんだって。心変わりされちゃったんだって、あの時分かった」
「お、おいそれは……」
「いいの、言わないで。言い訳なんか聞きたくない。当然と言えば当然よね。これからの人生を決める大切な時期に、キョンの側にいたのはあたしじゃなくて、佐々木さんだもの。高校受験、大学受験、どちらもね」
「高校受験の時はしょうがないだろう。その頃まだ俺たちは出会ってなかったんだから」
そんな俺の突っ込みを無視して、ハルヒは話を続ける。
 
「それでも、アンタと同じ大学になればまた一緒の道を歩めると思っていたわ。でもアンタがパーティに出てくれなくて、勢い込んで連れ戻しに行ってみれば……あの時、あたしがどんな気持ちだったか判る?一年間、アンタを待っていたあたしの気持ちが?だからあたしは、向こうには帰らないし、帰りたくない。向こうに帰っても、あたしの居場所には佐々木さんが居る。それだけはイヤ、認めたくないのよ!」
こんな自虐思考のハルヒを初めて見た。良くない方へ良くない方へ、考えが及んでいる。人の話を聞こうともしないのは変わりないが。まあ、俺もあの時そうだったから、あまり人のことを言えないかもしれない。
 
「……そうだ!アンタもここで一緒に暮らさない?ここでなら……」
ハルヒはベッドの上で座り直し、俺の座っているソファーににじり寄ってきた。
 
「ね?」
懐かしいハルヒの笑み。だがその瞳には悲しみの感情が澱んでいる。ちらちら見えるのは、狂気の炎か。
 
「ハルヒ」
俺はソファーから立ち上がり、ベッドの上に座るハルヒを見下ろした。
「まず、お前の誤解から解かなければいけない。俺の話を聞いてくれ」
「……イヤよ」
これも懐かしいアヒル口になったハルヒは、ぷいと横を向いて腕を組んだ。
 
「いいから聞け。まず、向こうにお前の居場所がないというのはお前の思い違いだ」
「……」
「俺だけじゃない。古泉や長門や国木田達だって、お前が帰ってくるのを待っているんだ」
「……ふん」
流石にこれだけじゃ説得は無理か。
 
「大体、俺と佐々木は恋人同士でも付き合ってもいない。確かに今年一年は佐々木と朝倉と一緒に受験勉強をしたし、一緒の塾にも通った。一緒の大学も受けた。でもお前が考えているような事は、何もなかったぞ」
「……『親友』だから、とか言うんでしょ?」
「ああそうだ。あいつは俺の『親友』だ。だからこそ、お前に言えるんだ」
「……何をよ?」
「俺は、ずっと前から、心変わりなどしていない」
「……え?」
ハルヒは驚いたような顔でこちらを向く。既にアヒル口ではなくなっていた。
 
「俺は今でも、お前のことが好きなんだ。でなきゃ、わざわざこんな夢の中にまで出て来るもんか」
「え、でもそれは……これがあたしの夢だから……」
「だから最初にいっただろ?今ここにいる俺はそうじゃないって。お前の探していた不思議体験の一種かもしれないぞ?ま、向こうに戻ったら説明してやるが」
「……むう」
 
 
「大体、お前と同じ大学を受けるために1年間勉強を頑張って来た俺の想いを、お前は忘れちまったわけじゃ無いだろ?俺の告白と、お前との約束の話だ」
「……覚えてるわ。じゃあ、やっぱりアンタは本物のキョンなの?あたしの夢じゃなくて」
「だから、さっきからそう言っているだろうが」
「……何だか納得いかないけど……解った。本物のアンタがそこにいるなら、あたしは戻ってあげてもいい」
「そうか。だが、先に謝っておくことがある」
「……えっ?」
「一年前の約束……その約束は果たせそうにない」
「!?……どういうこと?」
「……俺、落ちちまったからな」
「えっ……アンタ大学落ちちゃったの?って、あれ?今、いつなの?」
「向こうじゃもう、あれからひと月以上経っているな」
「そうなんだ、アタシそんなに寝てたんだ……えっ、あっ、えーと、アタシは……」
「心配するな。お前は受かったそうだ」
「そっか、当然よね……佐々木さんは?」
「アイツも受かった。古泉と長門もな」
「……じゃあ、アンタだけ落ちちゃったって事?」
「ああ」
「……そんな………」
 
再び俯くハルヒ。しばらくぶつぶつと何かを呟いていたが、ぱっと顔を上げた。
「やっぱり、ここで暮らそうよ。ここなら大学も何も関係ないし、アンタもアタシとずっと一緒に居られる
じゃない?いい考えだわ!」
「ダメだ」
 
 
俺はハルヒの細い両肩を掴み、大きな瞳を見つめた。
「ハルヒ」
「……何よ?」
「俺は、向こう……現実の世界が良いんだ」
「……なんで?向こうだとアンタはアタシと一緒にいられないのよ?それでも良いの?」
「良くない。良くはないさ。でもな、ここにいるのはもっと良くない」
「……でも」
「お前も充分に分かって居るだろ?ここは現実逃避の夢の中だってことをさ」
「……」
「いずれ夢は覚める。早かろうが遅かろうがな。夢ってのは、現実に立ち向かって行くための心のオアシスなんだから、いつまでもここに居られる訳じゃない。いや、居ちゃいけないんだ」
「……でも」
「確かに、現実の世界じゃ辛いこともいっぱいある。いや、辛いことの方が多いだろうな。でも、だからこそ楽しいことが楽しいと思えるんだ。俺は、お前と出会ってからのこの3年間色々あったけど、後悔したことはない。それにな、もしお前が俺と一緒に向こうに戻ってくれるなら、辛いことなんて吹き飛んじまう。俺は、そんなお前じゃなきゃ駄目なんだ……だから、俺はここにいる」
そこで改めてハルヒの顔を見た。その大きな瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。
 
「俺は向こうに帰ると決めたんだ。お前を連れてな」
「……バカ……」
「一緒に帰ろう?」
「……うん」
 
ハルヒの肩から手を離し、左手で髪を触る。
ポニーテール。
あの日、おそらくハルヒはこの髪型で俺のことを待つつもりだったんだろう。
スイートルームで、二人きりの再会を祝うために。
たまらなくハルヒのことが愛おしくなってきた俺は、右手でハルヒの顎をちょっと上げた。
もう、止まらない。
「ハルヒ、大好きだ。愛してる」
「……遅いわよ、バカキョン……」
 
そして俺たちは………
 


 
「『位相変換フィールド』の対消滅を確認。同時に閉鎖空間の消滅も確認した」
長門の声で我に返った。俺の目にはドアップのハルヒの顔。
え~~と、今の俺は何を……って、あれ??
 
そうか、昏睡状態のハルヒにキスしたんだっけ。
確か側には長門が居て、古泉が医者を連れてくる音が聞こえていたんだが、いてもたってもいられずに強引にキスした……んだな。おーけー、思い出した。
 
だがちょっと待って欲しい。
何かが違う。唇に当たる柔らかな感触と、少し塩辛い味に変わりはない。じゃあ、何が……キスをしたそのままの格好で、俺は目だけを動かしてみた。
ハルヒの頬が赤い。真っ赤になっている。そして……ハルヒと目が合った。
 
 
目が合った??

「うわ」
慌てて俺はハルヒから離れた。飛び退いたと言っても良いかもしれない。いつの間にかハルヒは目を覚まし、こちらを凝視していたからだ。
 
「涼宮さん!気付かれましたか?」
「……体温及び心拍数上昇、ただし正常範囲内」
もそもそと身を起こそうとするハルヒに、古泉と長門が駆け寄る。古泉の側に立って、こちらを凝視していた
医者と若干頬を赤らめた看護師も、慌てて検査の準備を始めた。
 
もしかして、みんなに見られてた?古泉や長門はともかく、医者と看護師にまで……一生の不覚!
 
ベッドの上に上半身を起こしたハルヒは、幾分照れの入ったような怒ったような視線でこちらを睨み付け、わなわなと震えながらこう言い放った。
「……こ……この……バカキョン!乙女が寝ている間に唇を奪うって、どういう事なの?説明しなさい!」
 
真っ赤になって、部屋の隅に呆然と立ち尽くす俺を糾弾するハルヒ。ついさっきまで昏睡状態にあった入院患者とは思えないね、全く。
 
「まあまあ涼宮さん、落ち着いて。まず検査が先です。彼への糾弾は、そのあとでゆっくりと」
まだ何やらぎゃんぎゃん言っているハルヒを宥めながら、古泉が俺と長門に外に出るように促した。
医者が看護師に合図を送り、看護師が検査表を開いたあたりで俺たちは廊下に出た。
 
 

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最終更新:2020年03月09日 02:18