第四章 想い
 
『もう少しましな伝え様は無かったのですか?』
心底疲れたといった声で、携帯の向こうの古泉が呟く。
 
『今日の1時限目の授業中に、突然閉鎖空間が複数発生しました。一つ一つの規模や速度はそれほど大きくないのですが、一つを崩壊させるとまたすぐに別の空間が発生するというイタチごっこでして……現在、機関総出で対応していますが、この発生ペースだといずれはまずいことになりそうです』
そうか、本当にすまんな……しかし、あいつの不思議パワーは減少しているんじゃなかったのか?
 
『確かに、我々の調査結果を見る限り、最近では最盛期の半分程度まで落ちていました。閉鎖空間発生も希な状態になってきていましたしね。しかし、今回のこの閉鎖空間の数は過去最大です。涼宮さんには、まだこれほどの力が残っていたんですね、驚きです』
あいつの力が復活したと言うことなのか?
 
『それは分かりませんが、今はこの事態を何とか収束させなければなりません。そうでなければ調査すること自体出来なくなりますからね。そこで、あなたの力でなんとか涼宮さんを落ち着かせてくれませんか?』
とは言ってもな。お前も知っての通り、今回の状況は俺の力じゃ何ともならんのだ。
 
『我々としても、あなたに今回の全ての責任があるとは考えていませんが、貴方でなければ涼宮さんを押さえることが出来ないと言うことも事実なんです。状況は一刻を争います。お願いします……すいません、それではこれで』
そこまで言うと、携帯は切れた。また新しい閉鎖空間が出現したらしい。
 
放課後となった教室でぼーっとしていても埒があかないので、俺は机に放置されていたハルヒの鞄を持って部室へと向かっていた。学食行って昼飯かっ込む気分じゃなかったしな。その最中古泉からの連絡が入った。それが先ほどの会話というわけだ。
あのバカ、あれから今まで閉鎖空間を出現させっぱなしだと?閉鎖空間連続発生記録にでも挑戦してるのか。
そんなことを考えながら歩いていると、部室棟への渡り廊下で朝比奈さんと長門が待っていた。
 
「……本日午前9:42から現在まで、閉鎖空間の異常発生を関知している」
ああ、知っている。さっき古泉に聞いた。
 
「現在まで確認された閉鎖空間は152……153個目の発生を確認」
なんですと??大量発生とは聞いたが、多すぎやしないか、それ?
 
「情報統合思念体も混乱している。通常、涼宮ハルヒの情報改変能力は『破壊し、創造する』方向、つまり『自分に都合の悪い情報を、都合の良い方に改変する』ことに向けられていた。しかし今回は『破壊』のみに向けられている」
破壊のみってことはつまり……あのバカが世界を滅ぼそうとしているってのか?
 
「……有り体に言えば、そう」
なんてこった。
 
「キョンくん、涼宮さんをなだめられるのは貴方しかいないんです。お願いします」
朝比奈さん、そんなに涙をいっぱいに溜めないで下さい。そんな貴女に惚れ直しちゃうじゃないですか。
 
「……現在部室棟の周りに対情報シールドが展開されている。従って現在部室内の涼宮ハルヒがどのような状況になっているかは、こちらからは確認できない」
対情報……なんだって?
 
「涼宮さんは、誰にも部室に来て欲しくないと思っているんです」
じゃあ、俺も入れないって事じゃないですか?
 
「……貴方は別。そもそもこの状態の原因を作ったのは貴方。貴方が現在置かれている状況には同情するが、それでも涼宮ハルヒへの情報伝達時に致命的なミスがあったと思われる。結果としてこの状況が出現した」
長門に同情されるとはな。で、また俺か。てか、事実を伝えるって、あれ以上なんて言えば良いんだ?
 
「涼宮さんにはどういう風に伝えたんですか?そこに、この状況を解決する鍵があるような気がします。詳しく教えてください」
俺は朝の教室から部室での出来事を包み隠さず二人に話した。
 
「……朴念仁」
「……それ以外の言葉は見つかりませんねぇ……」
なんだなんだ?何のことだ?
 
ふと長門が虚空を見上げ、珍しく「焦り」の色を瞳に含ませた。
「……164個目の閉鎖空間発生を確認。このままでは古泉一樹らの処理能力を大きく超えてしまう。時間がない」
あわわ、という表現がぴったり似合う言動を行いながら、朝比奈さんが激励を飛ばしてくれた。
「キョンくん!私、信じてますから!キョンくんなら……あなたなら、きっとなんとかしてくれるって!」
「……貴方は涼宮ハルヒの『鍵』。忘れないで」
俺はため息をつき、部室棟へと歩き始めた。
 
SOS団室のある部室棟に入ると、違和感が体を駆け抜けた。
対情報ナントカのせいか、部室棟には人の気配がない。人の気配どころか、殆ど音が聞こえないのだ。本来なら部活をしている連中やブラスバンドの練習の音が聞こえてくるはずなのに、そんな音も聞こえない。
廊下を歩く俺の足音だけが響く。景色だけならいつもと全く変わりはないが、外界の音だけがしない。
正直、気味が悪い。
そんな静寂の中、さっさと扉をノックしよう……として止めた。文芸部室の中から、微かに音が聞こえる。
まさかこの状況でで心霊現象でもあるまいし、などとアホな考えを頭から追い出した。中にいるのはハルヒで確定なんだが、何やってるんだあいつ。俺は部室の前で聞き耳を立ててみた。
 
すすり上げるような音、くぐもったような声。
 
ハルヒ?泣いてるのか?
部室から漏れ聞こえるハルヒの声や涙をすすり上げる音に俺はショックを受けた。
あのハルヒが泣いている?
いやそりゃハルヒだって女子高生なんだから泣くことはあるだろう。だが、過去にない規模の閉鎖空間を生み出し、更にわざわざ部室に対情報ナントカを張ってまで、この部室に籠もり、あれからずっと泣いていたのか、こいつは?
 
部屋の中から聞こえる涙声にちょっと入りづらくなった俺は、どうやってハルヒを落ち着かせようかと、色々考えていたのだが、こういう状況に全く慣れていないため良い考えは浮かんでこない。古泉あたりなら何か良い考えでも浮かぶのかもしれないが、あいにく今ここには居ない。
 
しょうがない、入るか。
 
俺は部室のドアをノックした。
 
「入るぞ」
「う゛ぁっ!キョ、キョン!?ま、ま、ま、待って、ちょっと待って!」
ガタガタ、ばたばたと部室の中から音がする。ドアノブを捻るが、鍵が掛かっていた。
「どうした、着替え中だったか?」
「うっさい!デリカシーのない奴ねあんたは!もうちょっと待ちなさい!」
「へいへい」
部室のドアに背を持たれかけさせて、横暴な団長様の許しが出るまで座って待つ。
結局、ドアの鍵を外す音がしたのは5分以上経ってからだった。
 
「どうしたんだ、一体」
部室に入ると、いつもの団長席にハルヒはいた。窓側の方を向き、こちらからは表情が伺えないが、右手に濡れタオルを持っているのが分かった。
「うるさい。あたしだって色々やることがあるのよ」
多分、まだ目が腫れているんだろう、こっちの方を向こうとはしない。さっきドタバタしていたのは、濡れタオルを作って目を冷やしていたのか。
 
「そっか。ああ、ほらこれ。お前の鞄だ」
団長席にハルヒの鞄を置き、いつもの自分の席に着く。
「……中見たりしなかったでしょうね!」
ハルヒはまだそっぽを向いている。どんな表情をしているのか、こちらからはよく見えない。
「人の鞄の中を勝手に見る習慣はない」
「……ふん」
 
静寂が場を支配する。朝の気まずい雰囲気が再現されたかのようだ。
「……あー、その、何だ。ハルヒ」
「……何よ」
「古泉たちに、例の件を話した」
「……そう」
再び沈黙。空気が重い。
 
「それと……朝のこと、悪かった」
 
俺の謝罪の言葉にぴくりと反応したが、返事は帰ってこなかった。
 
「実は俺もまだ混乱しててさ。一応、表面上は取り繕っているけど、本当は全然落ち着かないんだ。だから、もしかしたらお前を傷つけたかもしれん。謝る。この通りだ」
 
椅子から立ち上がり、どこぞの執事も真っ青なほど綺麗に、直立不動の状態から頭を下げた。
 
「……いいわよ、もう。謝られてもしょうがないし」
頭を上げると、ハルヒはこちらを向いていた。少し目が腫れぼったい。
 
「……あんたが教室に戻ったあと、色々考えたのよ」
俺が椅子に座り直すと、ハルヒはこちらの方を見ないようにして話し始めた。
 
「あたし、なんでこんなにイライラしてるんだろうって。それこそ中学校の時以来よ、こんなにイライラした気分になったのは。で、今日一日考えてみたの。ずいぶん考えたけどやっと結論が出たわ。あたしは……」
 
そこで一旦言葉を切って、ハルヒはこっちに向き直った。
 
「アンタが好き」
 
ハルヒの射すくめるような視線と考えてもいなかった爆弾発言で、俺はそこでフリーズしてしまった。
ハルヒが俺を好き?何故?WHY?
イヤそれは俺だって若い健康な男子高校生であるからして女子からの告白なんぞを受けたいと思ったりもしているのだが何故それを今俺にしかも相手はハルヒだぞ?確かに黙っていれば一美少女女子高生だしスタイルも良いし勉強だって……
 
混乱している俺の状態などつゆ知らずか照れ隠しなのか、ハルヒは言葉を続けた。
 
「そう考えると、辻褄が合うのよ」
その言葉で我に返った。辻褄て。恋愛感情を辻褄の一言で納得するのか。大体、恋愛感情なんて精神病の一種とか以前言ってなかったか?
 
「……そうね、確かに言ったわ。実際こんなに心が辛いなんて、恋愛はホントに病気の一種だわ……あんたが転校するって聞いてから、何だかもう、何もかも色あせて見え始めた。もうどうでも良くなったわ。それこそこの世界が無くなってしまっても良いって思った」
それで閉鎖空間大発生ですか。ホントに迷惑な奴だ。
 
「色々なことを考えたわ。今までのSOS団がやってきたことだとか、三年目のSOS団の活動計画とか、大学受験のことだとか。でもね、SOS団の……いえ、あたしの中には必ずアンタが居た。考えてみれば、SOS団設立のきっかけをくれたのもアンタだったわね」
ある意味、俺の中では最大の失策でもあったのだが。
まあ、それが特殊属性を持つ連中との邂逅と非日常への招待券だったと思えば十分おつりが来るさ。
 
「無人島にも行ったし雪山合宿もした。本当に楽しかったわ。このままずっと、この楽しさが続いていけば良いのにって思った。でも、みくるちゃんが卒業して気付いた。このままずっと続くと思っていたことが、そうでは無いって事に。知っていたけど考えないようにしてた」
 
ハルヒはふと立ち上がると、窓の方を向いた。
 
「でも、みくるちゃんは卒業してもこっちの大学だし、時々課外活動でも会えるだろうから、まだ猶予はある、楽しいことはまだまだ続けられるって、そう思った」
「ハルヒ?」
「……でもね」
あふれ出る感情を無理矢理押し殺したような声で、ハルヒは俺の言葉を遮った。
 
「キョンには、もう会えないかもしれない。もしかしたら終業式で最後になっちゃうかもしれない。そう思ったら……胸の中の何かが……あたしを支えてきてくれたものが、とても大切なものが……えと」
ぐしゅっ、と鼻をすすり上げる音が響く。
 
「……無くなってしまうことに気付いた」
一瞬の沈黙のあと、ハルヒはこっちを振り向いた。
 
「そしたら、あたしは、アンタの知っているあたしじゃなくなっちゃった」
いつもの100Wの笑顔ではなく、儚げな、今にも消えてしまいそうな笑み。
そしてその目からは、大粒の涙がぼろぼろとこぼれていた。
 
「キョン」
心の底から怒濤のような感情の流れが俺を支配する。
 
「アタシは、アンタが好き」
いつもの勝ち気なハルヒではない……この儚げな笑み。泣きたいのを無理矢理押し殺した、笑み。
こいつにはこの笑みは似合わない。
 
「優柔不断で」
真夏のヒマワリのような100Wの笑顔。あれこそがハルヒには似合うってのに。
 
「鈍感で」
抱きしめたい。
 
「文句が多くて」
守ってあげたい。
 
「理屈っぽくて」
コイツの側に居てやりたい。
 
「だらしないヤツだけど」
あの100Wの笑顔をいつもさせてやりたい。
 
「アタシは」
ハルヒの想いに応えてやりたい。
 
「アンタが好き」
俺も、ハルヒの事が……
 
 
「ハルヒ、俺は……」
「言わないで」
「は?」
「別に返事を期待したワケじゃないから。ただね、ただキョンには覚えていて欲しい。アンタを大好きだった同級生がいたこと。涼宮ハルヒっていう…あたしがいたことを」
それだけ言うと、涙を拭こうともせずにハルヒはドアに向かって歩き始めた。
 
コイツ、俺の返事を聞かず、自分の想いだけを告げて別れるつもりか。
 
だが俺は、石化魔法でも掛けられたように、その場を動けなかった。
 
ハルヒが近寄ってくる。すれ違いざま、ハルヒは俺の唇にキスをした。
 
触れるか、触れないかの軽いキス。
ふわっとした香りと柔らかい感触、そして少しの塩辛さが唇に残った。
 
「さよなら、キョン」
 
それで石化が解けた。このまま行かせちゃいけない!ハルヒが一直線に気持ちを伝えてくれたんだ。
あんな顔をさせたまま別れちゃいけない!早く俺のこの気持ちも伝えてやりたい!
 
思わず振り向くと、ハルヒが部室のドアに手を掛けたまま崩れ落ちるのが目に入った。
 
「ハルヒ!」
 
慌てて抱き起こすが、そこには「くー、くー」と寝息を立てているハルヒの姿があった。
 
……………
 
「まったく……手の掛かる団長様だぜ」
 
やれやれだ。
 
 

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最終更新:2020年03月09日 01:41