第三章 齟齬
 
春爛漫なはずのこの季節・3月にしては妙に肌寒い空気の中、俺は北高に至るこのハイキングコースを感慨を噛み締めながら登っていた。4月からは別の場所の、別の学校に通うことになる。そう考えると、俺はこの2年間の思い出を振り返りながら、日頃の運動不足を解消できるハイキングコースも悪くないかもしれない、そう思っていた。
……なんてな。そんなことあるか。こんな朝っぱらから強制ハイキングなんてない方がいい。当たり前だ。
俺は、見たこともない転校先の学校の通学路にハイキングコースがないことを切望しつつ、教室に入った。
自分の席に近づくと、後ろの席に陣取っている天上天下唯我独尊娘が、そんな俺の憂いの気持ちなど気にも掛けず、100Wの笑顔で話しかけてきた。
 
「おはよ、キョン!ところで、春休みの団活のことなんだけど……」
 
嬉々としてSOS団春休みイベント実行計画について話し始めるハルヒに頷きながら、俺は俺で別のことを考えていた。明日には両親が担任の岡部に転校手続きを頼むことになり、少しずつ俺の転校のことが周りにばれ始めるだろう。そんなんで修羅場はイヤだから、ハルヒには今日中に伝えておかないとな。
 
「なあ、ハルヒ」
「……何よ?団長の話の腰を折るなんて良い度胸じゃない?勿論、それなりのネタはあるんでしょうね?」
ああ、これは多分、お前も腰を抜かすほどのネタだ。おそらくな。
 
ふと、周りを見渡す。
……教室の窓際一番後ろの席にハルヒ、その前の席に俺。
一年生の最初の席替えから今までの、俺とハルヒの定位置。来年は、俺のポジションに誰が座るんだろう?
何となく寂しい思いを振り切って、ハルヒと目を合わせる。
 
「どしたの?キョン?早く言いなさいよ」
ハルヒが俺の顔を覗き込む。もしかして俺はちょっと変な顔をしていたかもしれない。
「実はな、SOS団の活動には参加できなくなった」
 
「却下」
即答しやがった。ああ、これは言い方がまずかった。
「あー、俺も出来れば参加したいんだが、家の事情でな」
 
「何それ?……あ~~もしかして期末試験の出来が悪かった?それなら安心しなさい!春休みのSOS団活動内容の中には、あんたの成績向上計画も入っているから!これでアンタの大学受験もバッチリだわ!」
それがどんなものかを聞いてみたい気もしたが、俺はあえて今聞いた話を脳内から押し出した。
 
「いや、そういう事じゃない。俺は今後SOS団に参加出来なくなるんだ」
 
ハルヒの顔から笑みが消えた。
「……え?どうして?あ、もしかして塾とか予備校に通うことになったとか?それならあたしが……」
しょうがない、こうなったら単刀直入に事実を告げるしかないか。
 
俺は、ハルヒに引っ越すことを告げた。
 
「……え………引っ越す……??」
呆然とするハルヒ。まるでデパートか遊園地で迷子になり、実は親に捨てられたことが判明した子供のような顔をしている。その瞳の中には困惑の感情が見て取れた。
 
ガタン、と机を揺らしてハルヒが立ち上がった。
既に自分の席に着いていたクラスの連中が一斉に俺たちに視線を投げかけるが、ハルヒには関係ない。
 
「ちょっと来なさい!」
俺のネクタイをむんずとひっつかみ、教室を出て行こうとする。おい!待て!もうすぐHRが始まるんだぞ!
「関係ないわ。あんたは私に付いてきなさい」
 
廊下には今にも教室に入ろうとドアに手を掛けた岡部がいた。入れ違いに出て行こうとしたハルヒと俺に、一瞬声を掛けるようなそぶりを見せたが、それを無視してずんずん部室棟の方向に向かうハルヒの表情を見て掛ける言葉を飲み込んでしまったようだ。引きずられていく俺を見て一瞬憐憫の表情を浮かべたが、結局は何も言わずに岡部は教室に入っていった。すいません、俺とハルヒはHR欠席です。
 
「さぁ、説明してもらいましょうか?」
部室のいつもの席、団長席に落ち着いたハルヒは、俺に説明を要求した。
「説明も何も、さっき言ったとおり引っ越す事になったんだ。その準備やら何やらで春休みが潰れてしまう。あと、今後の活動も参加できなくなるんだ」
 
じっと俺の顔を見ていたハルヒが、声のトーンを落として問いかけてきた。
「……で、どこに引っ越すの?」
俺が引っ越し先を告げると、ハルヒは蒼白になった。
 
「……え……じゃあ、転校するって事………?」
「そう……だな」
飛行機使っても片道数時間、電車だと下手すると半日以上かかる場所だからな。さすがに通学って訳にはいかないさ。
 
「……なんで?なんであんたが転校しちゃうのよ?一人暮らしって道もあったでしょ?なんでこの時期に転校なのよ?しかもあんたも進学希望なんでしょ?この時期に……この大切な時期になんで??ワケわかんないこと言わないでよ?」
いや、ワケわからんのはお前の言動だ。
俺は数日前に両親から聞いた話をそのままハルヒに伝えた。
もちろん長門や朝比奈さん、古泉には昨日のうちに相談していたなんて事は省いたが。
 
一通り俺の説明を聞いたハルヒは顔を伏せた。
「……そうなんだ。家の事情なのね……」
納得できない、納得したくないが納得しなきゃいけないといった声でハルヒは呟いた。
「で、あんたはそれで良いの?思い残すことはないワケ?」
「良いわけないだろ。俺だって、ここを離れるのはイヤさ。でもな俺、金無いから到底一人暮らしなんか出来ないし」
「そんなことを聞いてるんじゃない!」
 
ハルヒは団長机を両手で叩いた。
「あんたはそれで良いの?思い残すことはないの?」
2度目の問いかけだが、これは困った。なんと答えれば良いんだ?
「言い換えるわ。あんたは、あたしやSOS団を離れても寂しくないの?」
「さみしいさ。でも、しょうがないんだ。まあ、この2年間色々とあったからなあ。絶対に忘れられないような思い出もできたしな。まあ、それを胸に刻んで新しい所で頑張るさ」
ハルヒは顔を上げ、俺の顔を射るような目で見ている。
「本当にそれで良いのね?あたしやSOS団にも伝えることも思い残すことも、本当に何もないのね?」
そして3度目の質問。
「ああ」
沈黙のまま時間は過ぎていく。空気が重い。
……もうそろそろ1時限目終わりのチャイムが鳴る頃か。
 
「……もういい。分かった」
「ハルヒ?」
「あんたは教室に戻りなさい」
「お前はどうするんだよ」
「うるさい!あんたには関係ないでしょ!」
 
この状態のハルヒは、何を言っても聞く耳持たない。2年間の経験でそれを理解した俺は、ああ分かったとだけ呟いて部室を後にした。
 
一時限目終了のチャイムとともに教室に戻ると、再びクラス中の視線が一瞬俺に注がれたが、すぐにまた元に戻った。谷口と国木田は何かにやにやした笑いをこちらに向けている。残念ながらお前が想像しているようなことはこれっぽっちもなく、どちらかと言えば真逆に近い状況だったんだがな。
 
二時限目が始まってもハルヒは戻ってこなかった。当然後ろの席からの攻撃はなく、俺はこれからどうしたらよいものか、思案に暮れていたら、既に放課後となっていた。短縮授業だから昼休みはなく、普通ならばこれから学食行って部室なのだがな……朝のハルヒとの一件もあり、なんとなく部室に行きづらい。
 
谷口と国木田には、休み時間に転校の件を伝えておいた。友人には、公式発表の前に伝えた方が良いからな。
二人とも根掘り葉掘り事情を聞いてきたが、一通り説明すると家庭の事情ならしょうがないと納得していたようだ。
 

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最終更新:2020年03月09日 01:40