「今日はこれで終わり! みんな解散よ!」
 窓から入ってくる夕焼けに染められたわけではないだろうが、ハルヒの黄色く元気の良い声が部室内に轟く。
 この一言で、今日も変わったこともなく、俺は古泉とボードゲームに興じ、朝比奈さんはメイドコスプレで居眠り、
長門は部屋の隅で考える人読書バージョン状態を貫き、年中無休のSOS団の一日が終わった。
正直ここ最近は平凡すぎる日常で拍子抜け以上に退屈感すら感じてしまっているのだが、まあ実際に事件が起これば二度とご免だと思うことは確実であるからして、とりあえずこの凡庸な今日という一日の終了に感謝しておくべき事だろう。
 俺たちは着替えをするからと朝比奈さんを残しつつ、ハルヒを先頭に部室から出ていく。どのみち、朝比奈さんとは昇降口で合流し、SOS団で赤く染まったハイキング下校をするけどな。
 下駄箱に向かう間、ハルヒは何やら熱心に長門に向かって語りかけている。
それをこちらに注意を向けていないと判断したのか、古泉が鼻息をぶつけるぐらいに顔を急接近させ、
「いやあ、今日も平穏無事に終わりましたね。こうも何もないと返って不安になるほどですよ。
まだまだあの神人狩りに明け暮れていたときのくせが抜けていないようでして」
「ないことに越したことはないね。犬が妙な病気になったことを相談されたりされるぐらいならちょうど良い暇つぶしにはなるが、事と次第によってはとんでもない大事件の場合もあるからな」
 俺は古泉と数歩距離を取りつつ返す。古泉はくくっと苦笑を浮かべると、
「何かが起こった方が楽しい。だけど、その影響範囲を含めた規模や自分にとって利益不利益どちらになるかわからないなら、いっそどちらとも起きない方が良いというわけですか。実にあなたらしい考え方と思いますよ。
恐らく涼宮さんとは正反対の思考パターンですが」
「あいつの場合は、自分にとって楽しいことだけ起こればいいと思っているんだろ。世の中そんなに甘くはねぇよ。
ま、命を狙われたり世界を改変されて孤立したりしたことがないんだから、当然っちゃ当然だな」
 大抵、人間ってモノはどこかで何かが起こることを期待しているもんだ。俺だって昔は宇宙人とか未来人とか超能力者がいてくれればいいなぁとか、映画並みのスペクタクルが起きたりしないかと思っていたしな。ただ、実際に目の前でそんなことが起これば考え方も変わる。少なくとも、もう俺はタヒチのリゾートにあるような透明度の高い純真な期待感なんて持たないだろう。
 そんな俺に古泉はさらに苦笑いして、
「おや、ひょっとして今まで多くのことを経験しすぎて、一生分のインパクトを消化してしまったんですか?
前途ある十代の若者にあるまじき枯れっぷりな考え方ですよ」
 うるせえな。一度ヒマラヤの頂上に届きかねないびっくり仰天事やマリアナ海溝以上に深いどん底に突き落とされる経験しちまうと、何だかんだで海抜ゼロメートルプラスマイナス数百程度が一番いいと思い知らされただけだ。
 そんな話をしている間にようやく下駄箱に到着だ。ハルヒの長門に対する語りかけは、もうヒトラーの演説、テンション最高潮時な演説と化している。もっとも当の長門は相づちを打つように数ミリだけ頭を上下させるだけなんだが。
しかし、そんな自分に酔っているような話し方をしながらも、ハルヒはちゃっちゃと下駄箱から靴を取り出し下校の準備を進める。全く口と身体が独立して稼働しているんじゃないか? もう一つの脳はどこにある。やっぱりあそこか。
「遅れちゃってごめんなさい」
 背後から可憐ボイスが背中にぶつかる。振り返れば、いそいそと北高セーラ服に着替えた朝比奈さんが小走りに現れた。
背後にある窓から夕日が入り、おおなんと神々しいお姿よ。
 俺がそんな神秘的情景を教会で奇跡がおきるのを目撃した神父の如く感涙して(していないが)いたところへ、
「ほらっキョン! なにぼーっとしてんのよ! とっとと靴履いて帰るわよ!」
 いつの間にやら演説を停止したハルヒ団長様からの声で、幻想的光景から強引に引きずり出された。
全くもうちょっと堪能させてくれよな。まあ、当の朝比奈さんもとっとと俺を追い越して、靴をはき始めているから俺も続くかね。
 そんなわけで俺は自分の下駄箱を開けて――
「…………」
 すぐに気がついた。俺の靴の上に一枚の紙切れ――手紙じゃない。本当にただの一枚紙である――があることに。
 朝比奈さん(大)の仕業か? またいつもの指令書か……
 しかし、違うことにすぐ気がつく。朝比奈さん(大)はもっとファンシーで可愛らしくいい臭いがしそうな封筒入りを使うが、今ここにあるのはぴらぴらの紙一枚。こんな無愛想なもので送りつけるような人じゃない。それに書いてある内容が
『あと30分以内に●●町の公園に来なさい。一人で』
 とまあ何とも一方的な内容である。しかも命令口調。まるでハルヒからの電話連絡みたいだ。
 ふと、これはハルヒが書いて何か俺に対してイタズラでもしようとしているのでは?と思ったが、
「なーにやってんのよ! さっさとしなさい!」
 当のハルヒは俺につばを飛ばして急かしてきている。大体、こんな手紙なんていう回りくどい手段をあいつがとるはずもなく、誰もいなくなったところで俺のネクタイ引っ張って行きたいところに走り出すだろうな。
 じゃあ、これはなんだ? ラブレターの可能性は否定できないのも事実。せっかくだから行ってみるのも悪くないか。
 時計を確認する。ここから指定された場所まではゆっくり歩いて30分もかからない。帰りに道に寄ってみるかね。
 俺は他の団員に見つからないように、その紙をポケットにねじ込んだ。
 
◇◇◇◇
 
 さて、下校途中に他の連中と別れた俺は、とっとと目的の公園に向かう。初めて行く場所だったので、
その辺りにあった看板の地図を見ながら向かった。
 が。
「……全く」
 おれは嘆息する。さっきから背後をハルヒたちが付けてきているからだ。どうやら、あの紙をもらってからの俺の挙動が不審だとハルヒレーダーが捕らえていたらしい。相変わらずの動物並みの嗅覚だよ。
 しかし、別に俺はやましいことをしているわけでもないんだから、このまま放っておいてもいいか。
 俺はそう割り切ると、俺は背後のストーカー集団を無視して目的地に向かった。
 
◇◇◇◇
 
 俺はようやく目的地にたどり着いた。時計を見ると、あの紙切れを読んでから20分程度。指定された時間には間に合っている。
平日夕方でぼちぼち日が落ちつつあるためか、指定された公園には人一人おらず、閑散とした静けさに覆われていた。
どこからともなく流れてくる夕飯の香りが俺の空腹感を刺激する。
 ふと、背後を突けていた連中がいなくなっていることに気が付いた。なんだ? 捲いたつもりはなかったから、
途中でハルヒが尾行に飽きたのか?
 俺はそんなことを考えながら、あの紙切れをポケットから取り出して――
 この時、初めて俺はここに何の警戒心も持たずのうのうとやってきてしまったことを後悔した。見れば、その紙の文面が
『付けていた連中はいないわよ。邪魔だったから追っ払っておいたわ』
 そう変わっていた――ちょっと待て。この紙はずっと俺のポケットに入ったままになっていたはずだ。
それを書き換えるなんていう芸当ができるのはごくごく限られた特殊能力を持つものしかあり得ない。
 つまり、俺を呼び出した奴は一般人ではなく、宇宙人・未来人・超能力者――あるいはそれに類する奴って事だ。
ちっ。これで呼び出したのが朝倉みたいな奴だったら、洒落にならんぞ。
 すぐに携帯電話を取り出し、とりあえず古泉に――
 
 しかし、時すでに遅し。俺の周りの景色が突然色反転を起こしたかのようになり、次第にぐるぐると回転を始める。
やがて、俺の意識も落下するように闇に落ちていった……
 
◇◇◇◇
 
「いて!」
 唐突に叩きつけられた感触に、俺は苦痛の悲鳴を上げた。まるで背中から落ちたような痛みが全身に走り、
神経を伝って身体を振るわせる。
 そんな中でも、俺は必死に状況を探ろうと密着している地面を手でさすった。切れ目のようなものが規則的に感じられ、コンクリートや鉄ではなくそれが木でできている感触が伝わってくる。
 ようやく通り過ぎた痛みの嵐に合わせて、俺は閉じたままだった目をゆっくりと開けた。まず一面に広がる教室の床が視界を覆う。同時についさっきまで俺に浴びせられていた夕日の灯火が全くなくなっていることに気が付いた。
俺を月明かりでもない何かの弱い光を包み込んでいる。その光のせいか、俺のいる部屋の中は灰色に変色させられ――
 気が付いた。この色合い、以前に見たことがある。あのハルヒが作り出す閉鎖空間と同じものだ。
 俺は痛みも忘れ、飛び上がるように立ち上がり、辺りを見回した。
 出入り口・黒板・窓の位置。俺がいるのは文芸部室――SOS団の根城と同じ構成の狭い部屋だった。
ただし、ハルヒの持ち込んだ大量のものは一つとして存在せず、空き部屋の状態だった。ただ一つ、見慣れた団長席と同じように窓の前に置かれた一つの机と、その上に背中を向けてあぐらをかいて座っている一人の人間を除いて。
「……誰だ?」
 自分のでも驚くほど落ち着いた声でその人物に語りかける。窓から見える景色は、薄暗い闇に包まれた灰色の世界だった。
やはりここは閉鎖空間なのか?
 しかし、誰だと語りかけた割には、俺はその机の上に座っている人物に見覚えがあった。いや、そんな曖昧な表現ではダメか。
北高のセーラ服に身を包み、肩に掛かる程度の髪の長さ、そして、あのトレードマークとも入れるリボンつきのカチューシャ。
該当する人間はたった一人しかいない。
 こちらの呼びかけに完全に無視したそいつに、俺は再度声をかける。
「俺を呼び出したのはお前なのか? ここはどこだ?」
「黙りなさい」
 ドスのきいた声。しかし、殺気に満ちたそれでも、俺はその声を知っていた。
 …………
 …………
 …………
 長らく続く沈黙。俺はどう動くべきか脳細胞をフル回転させていたが、さきに目の前の女がそれを打ち破った。
「――よしっ!」
 そう彼女は威勢のいい声を放つと、机から身軽に飛び降りてこちらをやってきた。そして、問答無用と言わんばかりに俺のネクタイをつかむと、
「成功したわ。奴らにも気が付かれていない。今回はちょっと難易度が高かったから、失敗するかもと思っていたけど、案外簡単にいったわね。そういうわけで協力してもらうわよ」
 おいちょっと待て。なにがそういうわけだ。その言葉には前後のつながりがなさすぎるぞ。
「そんなことはどうでもいいのよ。あんたはあたしの質問に答えれば良いだけ。簡単でしょ?」
「状況どころか、自分が一体全体どこにいるのかもわからんってのに、冷静な反応なんてできるわけねぇだろうが」
 ぎりぎりとネクタイを締め上げてくるそいつに、俺は抗議の声を上げた。
 だが、この時点で俺は確信を持った。今むちゃくちゃな態度で俺に接してきている人物。容姿・声・性格全て合わせて、完全無欠に涼宮ハルヒだった。ああ、こんな奴は世界中探してもこいつ以外一人もいないだろうから、
そっくりさんということはないだろう。
 俺の目の前にいるハルヒは、すっとネクタイから手を離すと、腰に手を当てふんぞり返って、
「全く情けないわね。少しは骨があるかと思っていたけど、どっからどうみてもただの一般人じゃない」
「当たり前だ。今までそれは嫌というほど見せつけてきただろ」
 俺の返した言葉に、ハルヒはふんと顔を背けると、
「あんたとは今日初めて合ったんだから、そんなことわかるわけないでしょ」
 あのな、初対面の人間に一方的に問いつめるのはどうかと――ちょっと待て。なんだそりゃ、俺の記憶が正しければ、お前とはかれこれ一年以上の付き合いになるはずなんだが。しかも、クラス替えまでしてもしっかりと俺の後ろの席に座り続けているじゃないか。
「それはあんたの所のあたし。あたしはあんたなんて知らないし、こないだ平行時間軸階層の解析中に見つけるまで存在すら知らなかったわ」
 このハルヒは淡々と語っているんだが、あいにく俺には何を言っているのかさっぱりだ。しかも、話がかみ合ってねえ。
このままぎゃーぎゃー言っても時間の無駄だろう。
 俺は一旦話をリセットすべく両手を上げてそれを振ると、
「あー、とりあえず話がめちゃくちゃで訳がわからん。とにかく、まず俺がお前に質問させてくれ。
それで状況が把握できて納得もできたら、お前に協力してやることもやぶさかじゃない」
 俺の言葉にハルヒはしばらくあごに手を当てて考えていたが、やがて大きくため息を吐くと、
「わかったわよ」
 そう渋々承諾する。よし、とにかくボールはこっちが握った。まずは状況把握からだ。
 真っ先に俺が聞いたのはこれである。
「お前は誰だ?」
 俺の質問に、ハルヒはあきれ顔で、
「涼宮ハルヒよ。他の誰だって言うのよ」
「巧妙に化けた偽物って可能性もあるからな。俺の周りにはそんなことも平然とやってのけそうな連中でいっぱいだし」
「それじゃ、証明のしようがないじゃん。どうしろっていうのよ」
 ハルヒの突っ込みに俺は返す言葉をなくす。確かに疑えばどうとでも疑えるのが、俺を取り巻く現在の環境だ。
となると、これ以上追求しても意味がない。それに俺の直感に頼る限り、今目の前にいるのはあのわがまま団長様と人格・容姿ともに完全に一致しているわけで、それを涼宮ハルヒという人間であると認識しても問題ないだろう。
 だがしかし、先ほどの言い回しを見ていると、俺が知っている『涼宮ハルヒ』ではない。
「えー、聞きたいのはな、お前がハルヒであることは認めるが、俺の知っているハルヒじゃなさそうだって事だ。
なら俺のつたない脳を使って判断すると、ハルヒが二人いるって事になるんだが」
「そうよ」
 そうよ、じゃねえよ。そこをきっちり説明してくれ。
「あー。あんたの頭に合わせて言うと、別の世界のあたしってことよ。平行世界って言葉ぐらい聞いたことあるでしょ? ここはあんたのいた世界とは似ているけど別の世界ってことよ」
 簡単すぎてかえってわからんような。まあいい、いわゆる異世界人ってことにしておこう。このハルヒから見れば、俺の方が異世界人なんだろうが。
 ……しかし、ついにでちまったか、異世界人。しかもよりにもよって別の世界のハルヒとはね。こいつは予想外だったぜ。
 ここでふとハルヒが口をあんぐりと開けて呆然としているのが目に入った。
「ちょっと驚いたわ。随分あっさりと受け入れるのね」
「最初は本意じゃなかったが、いろいろ今までそういう突拍子もない話は聞かされまくったから、
いまさらここは異世界で自分は異世界人ですっていわれても、今更驚かねえよ。異世界人については今まで伏線もあったからな」
 俺の言葉にハルヒは興味深そうに目を輝かせている。何だ? こいつも宇宙人・未来人・超能力者のたぐいを求めているのか?
 まあいい。俺は次の質問に移る。
「ここはどこだ?」
「時間平面の狭間よ」
 ……何というか、ハルヒが真顔で朝比奈さんチックなことを言うと違和感がひどいな。それはさておき、それじゃわからん。
わかるように説明してくれ。
「何よ、そんなことぐらい直感でピンと来ないわけ? 呆れたわ。未知との遭遇体験に慣れているだけで、
肝心の理解能力は本当に凡人なのね。まあいいわ、ざっと説明すると、あたしが作った空間で誰も入って来れず、誰も認識できない場所。これくらいグレードを落とせばわかるでしょ」
 いちいち鼻につく言い回しなのもハルヒ独特だよ。確かにわかりやすいが。って、なら俺が今ここにいるのは、
お前が招待したからってことなのか?
「そうよ。もっとも周りの人間に悟られずにやるのには、それなりに細工が必要だけどね」
 なら次に聞くことは自然に出てくる。
「で、一体俺を何のためにここに連れてきたんだ? 何が目的だ?」
 これが核心の部分になるだろう。自己紹介は終わった以上、次は目的についてだ。
 ハルヒは待ってましたと言わんばかりに、にやりと笑みを浮かべ、
「それは今から説明してあげる。長くなるから、そこの椅子に座って聞きなさい」
 そうハルヒは、また窓の前にある俺的に団長席の上に座る。そして、すっと手を挙げると、床から一つのパイプ椅子が浮かび上がってくる。
 ここまでの話で大体予測していたが、このハルヒは普通じゃない。いや、確かに俺のよく知っているSOS団団長涼宮ハルヒも変態的神パワーを持ってはいたが、自覚していないため自由にそれを操ることはできない。しかし、この目の前にいるハルヒは自分の意思で長門レベルのことを今俺の目の前でやってのけたのだ。
 やれやれ、これはちょっと異世界訪問という話で済みそうにない気がしてきた。
 俺はハルヒの頼んでもないご厚意に甘えることにして、パイプ椅子に座る。
「さて……」
 ハルヒはオホンと喉の調子を整えると、
「あんた、宇宙人の存在は信じる?」
 このハルヒの言葉に何か懐かしいものを感じた。あの北高入学式のハルヒの自己紹介。ただ、いくつか欠けてはいるが。
 俺は当然と手を挙げて、
「ああ信じるよ。少なくとも俺の世界ではごろごろ――とはいかないが、結構遭遇したしな」
「……情報統合思念体の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインタフェースに?」
 返されたハルヒの言葉に、俺は驚く。何だ、このハルヒは長門のパトロンのことを知っているのか? 
「当然よ。あいつらの存在、そして、どれだけ危険な連中かもね。実質的にあたしの完全無欠な敵よ」
 ――敵。ハルヒの口から放たれた声には明らかに敵意が混じっていた。
 どういうことだ。俺が知っている限り、奴らは内部対立はあるとはいえ、主流派は黙ってハルヒを観察することにしていたはず。
あからさまな敵意を見せてはいないんだよ。
「何ですって……? まさか……いや……」
 ハルヒは予想外と言わんばかりに思案顔に移行するが、軽く頭を振ると、
「まあいいわ。とにかく、あたしと情報統合思念体は対立関係にある。というよりも、情報統合思念体が一方的にあたしを敵視して排除しようとしているだけなんだけどね。こっちとしても、敵意さえ見せなければ別に相手にする気もないんだけどさ」
 ハルヒはあきれ顔でふうっとため息を吐いた。
 排除しようとしているとは、まるで俺の世界とは正反対の行動じゃないか。
「何で対立しているんだ? いや、どうして情報統合思念体はお前を排除しようとしているんだ?」
「細かいレベルでの理由は知らない。とにかくあたしの存在を勝手に危険と認識して、襲ってくるのよ。
それも狙うのはあたしだけじゃない。この星ごと消滅させようとするわ。そんなの許せるわけないじゃない」
「星……ごと?」
 何だか話がSF侵略映画っぽくなってきたぞ。情報統合思念体が地球を攻撃するとは、まさにハリウッド映画。
 ――ここでハルヒは思い出に浸るように天井に視線を向けると、
「三年前――いや、あんたのいた時間から見れば四年前か。その時、あたしは自分が持っている力に気が付いた。野球場に連れられていったあの日、自分の存在がどれだけちっぽけな存在であるか自覚したとたん、体内で何かが爆発したような感覚がわき起こり、この世の全ての存在・情報がどっとあたしの中に流れ込んできたのよ。当然、その中に情報統合思念体についてのこともあった」
 ここで気が付く。さっきまで俺は灰色に染まった教室の中にいたはずなのに、いつの間にかまるで360度スクリーンの映画館のような状態になっていることに。そこには野球場の人数に圧倒されるハルヒ・電卓で野球場の人間が地球上でどのくらいのわりあいなのか計算するハルヒ・ブランコで物思いにふけるハルヒの姿が映し出される。
「きっとその時に向こう――情報統合思念体も気が付いたんでしょうね。あたしはその巨大な存在に触れてみようとした。
そのとたん……」
 ハルヒの言葉に続くように、今度は宇宙から眺める地球の姿が映し出される。そして、
「嘘だろ……」
 俺は驚嘆の声を上げた。まるで――そうだ、長門が朝倉を分解したときみたいに、地球が一部が粉末のように変化を始めた。
それは次第に地球全土へと広がっていき、最後には風に飛ばされるようにちりぢりにされ消滅してしまった。
 呆然と見ることしかできない俺。と、スクリーンに星以外に一つだけ残されているものがあった。
「無意識に自分のみを守ろうとしたんだと思う。気が付いたとき、あたしは宇宙から消えていく自分の星を眺めていた。ただその恐ろしさと悲しさに泣きじゃくりながら何もできずに」
 ハルヒだった。まだ幼い容姿のハルヒが宇宙空間で座り込むような格好で泣きじゃくっている。
 目の前で淡々と語るハルヒは決してそのスクリーン上の自らの姿を見ようとせず目を閉じながら、
「何でこんな事になったのか、この時は理解できなかった。いや、今でも完全に理解できた訳じゃないけど。
あたしはただ情報統合思念体という大きく魅力的に見えたものに触れようとしただけ。なのに、奴らはあたしどころか、周囲全てを巻き込んで消し去ろうとした――許せるわけないじゃない。あたしは何の敵対行動も取っていないのに」
 その声には怒気どころか殺気すら篭もっていた。確かに、なにも悪いことをした憶えもないのに、いきなり攻撃されてしかも無関係な人たちまで抹殺したんだから怒って当然か。しかし、何でそこまでして情報統合思念体はハルヒを消そうとする?
「知らないわよそんなこと。とにかく、その後あたしは情報統合思念体からの次の攻撃に備えていた。
あたしの抹殺に失敗した以上、また仕掛けてくると思ったから。でも、いつまで経っても襲ってくる気配はなく、
ただ時間だけが過ぎたわ。おかげでその長い時の間に大体自分ができることがわかったわ。奴らへの対抗措置もね」
「何で連中は追撃してこなかったんだ?」
「あとで奴らの内部に侵入して確認したときにわかったんだけど、最初の攻撃時にあたしは無意識に情報統合思念体に対してダミー情報を送り込んだみたい。あたしは強大な力を手にした。だけど、あたしはそれを自覚していないという形でね。
だから、奴らは地球を抹殺した理由がなくなり、どうしてそう言った行為を取ったのかわからない状態として処理されていた。
そこにあたしは目を付けた」
 ハルヒの言葉に続き、周囲のスクリーンに無数――数えることのできないほどのガラス板のようなものが並列で並んでいる映像が映し出される。その一枚一枚には無数のカラフルな丸い点が描かれ、様々な形に変化・縮小・拡大・消滅・発生を繰り返している。
「あたしは地球抹殺の理由の接合性がなくなっていた情報をさらに改ざんした。あたしは自分の力を自覚していない、だから情報統合思念体は何の行動も起こさなかった。だから地球は消滅していないと。
地球自体は消滅前の時間軸に残されていた情報をコピーしてあたしが再生した。幸い、連中も脇が甘いのか、
そういったことは多々にあるのか、あっさりとあたしの情報改ざんは成功したわ。おかげであの日の惨劇はなかったことにできた。
ただあたしが力を得たという情報まで奴らから消去することはできなかった。結構希少な情報だったせいか、前例として広域な情報に関連づけられていたから、これを改ざんすると他への影響範囲が大きすぎて、全部改ざんなんて不可能だったから」
 あまりのスケールの大きさに呆然と耳を傾けることしかできない。
「……ここじゃそんなことがあったのかよ」
 俺は聞かされた衝撃的な話に疲れがたまり、パイプ椅子の背もたれに預ける体重を増加させる。
 ハルヒは続ける。
「とりあえずリセットはできたわ。状況はあたしは力を得たが、それを自覚していないと情報統合思念体は理解している。
この状況下でどうすれば奴らの魔の手から逃れることができるのか、次はそれを模索する必要ができたのよ。
あたしが力を得たことで奴らに目を付けられた以上、うまくやり過ごなければならない」
 ここでスクリーンに映し出された一枚のガラス板がアップになる。
「一度でうまくいくとは思っていなかったあたしは、一つの時間平面――このガラス板一枚があたしたちのいうところの『世界』と認識すればいいわ――を支配することにした。こうしておけば、いざ奴らにあたしが力を自覚していることに気が付かれてもいつでもリセットできるし、情報統合思念体には同じようにダミー情報を送り込めばごまかせるから」
「で、どうなったんだ?」
 俺の問いかけに、ハルヒはいらだちを込めたように髪の毛を書き上げ、
「それがさっぱりうまくいかないのよ。どこをどうやっても途中で奴らに力を自覚していることがばれて終わり。
その度にリセットを続けて来ているけどいい加減手詰まり状態になってきて……」
 ここでハルヒはびしっと俺を指差し、
「そこであんたを呼び出したって訳よ」
「何でそうなるんだよ?」
 俺が抗議の声を上げると、ハルヒは指を上げて周囲のスクリーンに別のガラス板――時間平面とやらを映し出す。
「手詰まりになったあたしは別の時間平面に何かヒントがないか調べ始めたのよ。そこであんたたちの存在を知った。
同じようにあたしが力を得ながら、情報統合思念体が何もせずにずっと歩み続けている。力を自覚した日から、
4年も経過しているってのに。それはなぜなのか? どうしたらそんなことができるのか?
詳しく別の時間平面を調査していると奴らに気が付かれる可能性があったから、とりあえず一人適当な奴を
こっちに連れてきて教えてもらおうってわけ。とはいってもあたし自身を連れてくるとややこしいことになりそうだから、事情を知っていそうな奴を選んだけど」
 そういうことかい。で、唯一の凡人である俺が選ばれたって事か。
 ここでハルヒは机を飛び降り、また俺のネクタイをつかんで顔を急接近させると、
「さあ、白状なさい。一体あんたの世界のあたしは何をやったわけ? どうやったら情報統合思念体は手出しできなくできる?」
「何もやっていない。少なくとも俺の知っているハルヒは自分の力を自覚していないからな」
「は?」
 ハルヒの間の抜けた声。が、すぐに眉間にしわを寄せて額までぶつけて、
「そんなわけないじゃない! 例えなんかの拍子で自分の力に自覚していなくても、周りに情報統合思念体がいるならどこかでちょっかい出してくるに決まっているんだから、すぐに気が付くはずよ!」
「だが、事実だ。情報統合思念体はハルヒがその状態を維持することを望んでいるし、それに俺をここに呼び出す前に俺を付けていたハルヒと一緒にいた小柄な女の子はその対有機生命体ヒューマノイドインターフェースだ」
「バカ言わないで! あたしがあいつらと一緒に仲良く歩いていられるわけがないじゃない!」
 ハルヒはつばを飛ばして言ってくるが、そんなこと言われても知らんとしかいいようがない。
 それにしてもこのハルヒが持っている情報統合思念体への敵意は痛々しいまでに強く感じる。
「じゃあなんであんたはあたしの力について知っているのよ!」
「長門――情報統合思念体とかその他周囲から教えてもらった」
「じゃあなんであたしに教えようとしないわけ!?」
「一度言ったが、信じてくれなかった」
 とりあえず事実だけ淡々と返してやると、ハルヒの顔がだんだん失望の色に染まっていった。やがて、ネクタイから手を離し、机の前まで戻ると、
「……だめだわ。それじゃだめよ。ただ運良くそこまで進んだだけじゃない。とくにあたし自身が自分の力の自覚がないのは致命的だわ。自覚したとたん、情報統合思念体に星ごと抹殺されて終わり。そして、リセットもダミー情報による偽装もできない。
あんたの世界も長くはないわね」
 そうため息を吐く。
 このハルヒの言葉と態度に、俺の脳天に少し血が上り始めた。まるでいろいろあった俺のSOS団人生を
簡単に否定された気分になったからだ。
「おい、俺のやってきたことをあっさりと否定するんじゃねえぞ。確かにお前みたいに壮絶じゃなかったかもしれないが、俺は俺で色々やってきたんだ。大体、俺のいる世界を全部見たって言うなら、俺たちのその後もわかっているんじゃないのか?」
「あのねぇ、時間平面ってのは数字に表せないほど大量にあるのよ。そこから無作為に検索をかけて、
偶然見つけたのがマヌケ面のあんたがあたしと一緒に歩いている姿を見つけただけ。その後の様子まで確認している余裕はなかったわよ。あまり長時間の時間平面検索は奴らに察知されかねないから」
 それを先に言えよ。ってことは、このハルヒは俺たちSOS団についてもさっぱり知らないって事になる。
 そこで俺はこのハルヒに対して、俺を取り巻く環境についてかいつまんで説明してやった。
 情報統合思念体の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインタフェースである長門有希。
 未来からハルヒについての調査・監視を命じられてやってきた朝比奈みくる。
 ハルヒの感情の暴走を歯止めする役目を与えられた超能力者古泉一樹、そしてそれを統轄する組織、『機関』。
 …………
 だが、ハルヒは話自体は信じたようだったが、やはり俺たちがその後も平穏に進むということについては
懐疑的な姿勢を崩そうとしなかった。
「まさかあたし自らそういう連中とつるんでいたとはね。それも自覚がないからこそできる芸当なんでしょうけど、
とてもじゃないけどリスクが大きすぎてできそうにない。それに皮一枚でぎりぎりあたしに気が付かれていないだけにしか感じられない以上、いつ自覚してもおかしくないわね。その時点であんたの世界は終わりよ」
「なぜそんなに簡単に否定できるんだよ?」
 ハルヒはわからないの?と言わんばかりに嘆息し、
「まず『機関』とやらは、情報統合思念体に逆らえるだけの力があるとは思えない。あんたと一緒にいた色男――古泉くんだっけ?
――が、機関の意向よりあたしが作ったSOS団とやらを優先すると言っても、個人で何ができるわけもなし。
未来人については、同じ時間平面上なら移動可能ということは使えそうだけど、そもそも情報統合思念体はそんなことなんて朝飯前。対抗手段としては物足りないわね。最後の情報統合思念体の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインタフェースについては論外。
奴らの支配下から離れて独立しつつあるとか言われても、信じられるような話じゃない。所詮は操り人形なんだから」
 その言葉に俺はいらだちを募らせるばかりだ。まるで外部の人間にSOS団の存在意義を必死に説明してみせているような気分になってくる。いや、このハルヒは確かに俺たちについてまるっきり知らない――それどころか、情報統合思念体に対して明確な敵意を見せているので余計たちが悪い。
 だが、俺はSOS団として満足して生きてきていたし、危険も感じていない。長門のパトロンはさておき、
長門自身には信頼を寄せているし、古泉はSOS団副団長という立場の方がすっかり似合っている状態。
朝比奈さんはもうマスコットキャラが板に付きすぎて抱きしめて差し上げたいぐらいだ。そして、皆ハルヒとともに
平穏無事にいたいと願っている。
 それの何が問題だというのだ? このハルヒは自分の力を自覚していないとダメになるということを
前提に語っているようにしか見えない。
 その後も必死に説明した俺だったが、ハルヒは聞く耳を持たない。
「悪いけど、これ以上議論しても無駄よ。あんたを元の時間平面に送り返すわ。一応礼を言っておくけど、
そっちもかなりぎりぎりの状態ってことはわかったんだから――」
「そうはいかねえよ」
「え?」
 元の世界への機関を拒否した俺に、ハルヒはきょとんとした表情を浮かべた。
 俺は正直このまま元の世界に戻るような気分じゃなかった。このままSOS団を完全否定されたっきりでは、
気分が悪いことこの上ないし、そもそもこのハルヒのいる世界は破滅とリセットのループを繰り返している。
だったら、俺の世界と同じようにSOS団を作れば同じように平穏に過ごせる世界が作れるはずだ。
俺にはその絶対の確信があった。
「何度でもリセットできるんだろ? だったら、俺の言うとおりに動いてくれ。そうすりゃ、俺たちの世界が
どれほど安定しているか教えてやれるし、ここの世界の安定化も図れる。お前だって手詰まり状態だって言っているんだから、
試す価値はあるはずだ。少なくともお前が到達できない場所に俺たちは到達できているんだからな」
「…………」
 ハルヒはあごに手を当てて思案を始めた。
 ふと、他人の世界にどうしてそこまでするんだという考えが脳裏に過ぎる。しかし、すぐにその考えを放り捨てた。
ここまであーだこーだな状態になっておめおめと引き下がるほど落ちぶれちゃいない。
「……わかったわよ」
 ハルヒは渋々といった感じに了承の言葉を出した。しかし、すぐにびしっと俺に指を突きつけ、
「ただし! 条件付きよ。あんたのいう宇宙人・未来人・超能力者にまとめて接触はしない。一つずつ試していくわ。
情報統合思念体の目はどこでも光っているんだから、変に手を広げて取り返しの付かない事態にならないよう
石橋をハンマーで殴りつけながら進ませてもらうわ。あと、あたしは自分の力の自覚はそのままにする。
この一点だけは譲れない。これがダメというなら即刻あんたを元の世界に送り返すから」
 条件付きというわけか。はっきり言って、3勢力がそろわないとSOS団には成り立たないが、この際贅沢はできない。
一つずつ接触しても俺のいた世界のSOS団と同じぐらいの平穏な関係は築けるはずだ。
 力の自覚については仕方ない。ハルヒは自分がそれを理解していない状態を極端に恐れている節がある。
それに、これに関してはうまい具合にハルヒが黙っているだけで済むから大丈夫か。
「わかった。それで構わん」
「じゃ、決まりね」
 
 こうして別の世界でSOS団再構築という壮大なプロジェクトが始まった。
 
 ――そして、俺がどれだけ甘い考えをしていたのか、嫌と言うほど思い知らされることになる。
 
 
 ~~涼宮ハルヒの軌跡 機関の決断(前編)へ~~
 

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最終更新:2020年03月07日 14:04