橘も古泉もらしくないですが、話の中で原作の彼等へ近づく仕様になっています。
――――――――――

 ただ、なんとなく過ぎていく毎日の時間の流れは酷く単調で、あたしはこんな毎日が大嫌いだった。 毎日、毎日歯を磨くことも、お母さんの作った朝ごはんを食べることも、隣の家に住む幼馴染と肩を並べて学校へ向うことも、教室でクラスメイトに挨拶をして、授業が始まれば教科書を広げ黒板を睨むことも、隣の席の子と机を合わせて給食を食べることも、午後の授業が苦痛なほどに眠気を誘うと言うことも、帰りのHRでの先生の無駄話も、週に一回回ってくる掃除の当番も、下校すら同じ道の幼馴染の可哀相なほど背の低さも、帰ってきたあたしを出迎えるお母さんのお帰りなさいのイントネーションも、全てが昨日とも一昨日とも、下手をすれば去年とも変わらないと言う事実に、あたしは正直、飽き飽きしていたのだ。
 
 明日、目が覚めると同時に超能力にも目覚めやしないだろうか。 扉を開けると丁度宇宙人があたしを訪ねてきたところだったりとか。 季節外れに転校生が現れて、しかもその子が失われた未来から漂流してきた未来人だったらいいのに。
 
 そんなことばかり考えていたりすると、やっぱりいつも通りになんとなく、本当になんとなく昨日と同じ一日が終わる。 こんな毎日が大嫌いで大嫌いで、あたしはいつも口をあひるのように尖らせて授業もろくに聞かず、ぼんやり窓の外を見やっていたのだ。
 
 そんな様子のあたしを見る度にこっちが心配になるほど人のいい幼馴染は
いつも決まってあの女の子みたいな顔をへにゃっと歪ませた笑いたいのか困りたいのかハッキリしない顔でこう言った。
 
「京子ちゃん。 それ、いい加減やめないと癖になっちゃうよ。」
 
 この悲しいくらい男の子に見えない背の低い男の子の名前は、古泉一樹。

 平凡を誰よりも嫌うあたしの名前は橘京子。
 
 あたしたちは、小さい頃から家が隣同士の幼馴染である。 


                        ☆★☆


 平凡な毎日は小学校から中学に上がっても全く変化の兆しを見せなかった。 ここまで来ると、もし出し惜しみをしているのではないかと勘繰りたくなるほどの変化のなさである。 いや、変化と呼べる物は一応に細々とありはするのだけれど、どれもこれも一般的過ぎて予想の範疇を超えないものばかりなのだ。
 
 成長を見越して少し大きめにあつらわれたブレザーの制服。算数から数学と名を改めた数字の教科。 お昼の時間に給食という物はなくなり、毎日鞄の中に放り込むお弁当箱。 敬語絶対の先輩との関係。 随分と厳しい部活動。  

 どれもこれも前評判どおりというか、耳にたこが出来るくらい周りが騒いでいた内容のものばかりで中学に入れば、世に溢れる漫画や小説の世界のように何かしらの事件に巻き込まれたりするものだと思っていたあたしはますますあひる口。
 
 あたしの予想を裏切ったというか、予想をしなかった変化はひとつだけ。そのたったひとつの変化に、あたしはやや愕然とした。

 その変化に初めて気が付いたのは、中学に入ってから一週間が過ぎたある朝のことだった。 
 
「おはよ、いっちゃん!」
 
「あ、おはよう。橘さん。」
 
 いつもどおりの時間に家を出ると全く同じタイミングで隣の家から出てきた同じクラスの幼馴染にいつもと同じように挨拶をすれば、いつもどおりの挨拶が返ってくる。それも、あたしが嫌う毎日の平凡の中の一つだった。 帰ってくる挨拶の台詞が「あ、おはよう。 京子ちゃん。」で、あったならば。そして、挨拶の後に続く彼のいつもの台詞は昨日の野球中継の話題であることが殆どだったというのに、その日は違った。
 
「あのさ、橘さん。その、いっちゃんって呼び方やめてくれないかな。」
 
「え? なんで? いっちゃんはいっちゃんでしょ。それに、その橘さんって言い方。昨日までは京子ちゃんって呼んでたじゃない。」
 
「お互い、もう中学生でしょ。いつまでもあだ名やちゃん付けで呼び合うなんておかしいよ。だから、ね。橘さん。」

 その時は、なんとなく理不尽に思いながらもこれも自分が望む大きな変化への第一歩とあたしは小さく頷いた。 

 それから数ヶ月、その変化は着実に大きなものへと変化していった。 しかし、それはあたしが望んだような夢のある超常的変化ではなく、現実的にかつ、悲しいほど静かに私の生活に溶け込んでいく。 いつもの時間に家を出ても、隣の家のドアは開かない。挨拶をすることも、返ってくる挨拶もない。 入学早々、仮入部もそこそこに野球部に入ってしまった幼馴染は朝練があるとかで、朝早くに家を出ているらしい。 あんな小さな体で野球なんて出来るのだろうか。野球のことなんて、これっぽっちも解からないけれど。 下校も、互いの部活動の終了時間が異なるからかここ一ヶ月ぐらいは全く同じにならない。 クラスも同じだというのに、目すら合わない。話しかけても事務的な返答が返ってくるだけで、ほんの数ヶ月前まで、何をするにも一緒だった相手とは思えないほどの変わり様である。

 ただ、やはり性格自体はあまり変わらないのか、目の端で捕らえる彼の姿はいつも周りの背の高い級友に小突かれ、彼の小さな体より2回りは大きい漆黒の詰襟服姿であること以外、数ヶ月前となんら変わりがない。 あの、女の子のような線の細い、困ったようなふにゃりとした笑い方だ。それなのに、あたしとの距離は広まるばかりである。
 
 クラスに友達が居ないわけではない。 それでも、まだ知り合ったばかりの相手が多く全てを打ち明けられるほどではない。 不安な時に必要になるのは、あうんで分かり合える深く付き合った相手だけだというのに。 この距離は、何。

 家に帰っても隣同士の家の二階にある隣り合わせの互いの部屋へ出入り口だった向こう側の窓にはいつの間にかぶ厚いカーテンがかかっていて、話しかけても、今からそちらへ行くよと言う合図の窓をノックも完全に無視で、耐えられなくなってもう暗記してしまった電話番号を押して、乱暴に受話器を耳に当てると数コール後に

「何の用? 橘さん。」

と、来たもので本当にどうしようもない。取り付く島もない。なんでもない、と言って受話器を置くといつも以上に大きな音がした。

 あたし自身は相手のことを性別なんて関係ない親友だと思っていたのに、相手はそうは思っていなかったことを突きつけられたのだ。 あたしが望んでいたのはこんな変化ではない。もっと超常的で、目にはっきり見えたこの先が楽しくあるであろう変化なのに。 

 ふてくされたあたしが、家族への挨拶もそこそこに寝台へ吸い込まれていったのは、言うまでもない。
その日見た夢はこんな日に限って小さい頃の思い出のものばかりで、同い年とは思えないほど小さな幼馴染を引き連れて探検をしたり、悪さをしたり、怖がりな彼を蛙のおもちゃで脅かしたり、二人並んで、彼が小学校入学の時にお祝いに買ってもらったという天体望遠鏡で星を眺めたり。

 ああ、2人して肝試しだとか言って家の近所のお宮の裏林へ探検に出かけて、散々歩きまわって迷子になった挙句、必死で探し出してくれたお互いのお父さんに大目玉食らったこともなったなぁ。 いじめられっこだったいっちゃんをあたしが助けてあげたこともあった。体か小さいから、虐められやすいんだよね。 逆にいっちゃんに助けられたこともあった。怪我をしたあたしを家まで負ぶってくれたこともあった。あたしの方が大きかったのに。 キャッチボールもしたし、おままごともした。男の子の遊びも女の子の遊びも、あたしたちは友達だから、全然気にならなかった。 

たった数ヶ月前のことなのに、遠い昔のように感じるのはどうしてだろうか。

 いつも一緒で、面白いことをするのも悪いことをするのもずっと一緒で、蛙が苦手で、星と野球が大好きで、無駄な知恵ばっか回って。 あたしはいっちゃんとなら、きっとものすごい大変なことも簡単に出来ると思っていたのに。 女の子だとか男の子だとか、関係なしに。 あたしの周りに何かすごい変化が起こって、それでこの生活がものすごく楽しいものになったらいの一番にいっちゃんを誘う気だったのに。

 大切な何かが、消えてなくなってしまう。誰か、誰か、この変化を止めて! 何でもするから! 

うっすらレム睡眠とノンレム睡眠の間を浮上したり沈下したりしていると、目の端から何かが流れた。

 しょっぱい。

 もちろん、その時の私がその目が覚めると同時に自らとそして彼に起こる、自分自身が望んだ「超常的変化」を想像できたわけがない。 それでも確実に〝誰か〟は無意識にしろ意識的にしろ、あたし達を選んでいたのだろう。自らの心の内への侵入を許す超能力者として。

 それは、悲しみの海に沈んだ私を打ち上げる荒波の様に激しく、月の光の様に静かに、あたしの意識へインストールされた。 

                        ☆★☆

 目を覚ましたあたしがいたのは、見慣れてはいるけれど、見慣れない街の街道の真ん中。そこにぽつんと一人立っている。 周りに人影はない。時間もわからない。朝なのか、昼なのか、夜なのかさえも判らない。なぜなら、そこには太陽も月もないから。 空には雲ひとつない。絵の具を流したような青もなく、ただ、カスタードクリームのような空が広がっている。音も何一つない。 カスタードクリームの空は見慣れた青いものより少し圧迫感があり、この空の、ひいてはこの空間の終わりを感じさせる。閉鎖されている。 無音、カスタードクリームの空、無人、閉鎖された空間。なのに、これが夢でないことははっきりと判った。それだけじゃない。 この空間の意味も、誰が発生させたのかも、この空間への出入りの方法も誰から教わったわけでもないのに手に取るように判った。 ここへ入ることが許されたのがあたしだけじゃないことも、それでもかなり少数の、選ばれた人間であることも、何もかも。

 だから、あたしが出たいと思えばすぐに出れる。目を閉じ息をゆっくり大きく吸い込むと、目を開いた先の世界はいつもの朝だった。

 他者が無意識に作り出した現実と全く同じ、でも全く違う閉ざされたカスタードクリームの空が覆う空間に自由に出入りできる能力。 これは、超能力と呼んでも支障はないのではないだろうか。あたしは、超能力者になった! 超能力者に選ばれた!

 目が覚めると同時に超能力にも目覚めやしないだろうか。

あたしが常に望んでいた決定的超常的変化が、まさか本当になるとは思わなかった。あんなに望んでいたと言うのに半信半疑だったのだ。 しかし、今は違う。はっきり解かる。確信できる。誰にも間違いなんていわせない。たとえそれがいっちゃんであろうとも。

 でもまぁ、彼が、あたしの言うことを信じないわけがないのだけれど。 だってあたしは一度も彼に嘘をついたことがないし、彼も私に嘘をついたことはない。 ここ数ヶ月こんなに近くにいるのに遠く接していたけれど、そこだけは絶対に変わりはしなかったから。

 だから、あたしは数ヶ月前と同じように隣り合った窓ガラスの向こう側を軽くノックしようとこちら側の窓を開けると、小さく作った拳を軽く上げた。 すると、まるでこちらの気配を読んだかのように硬く閉ざされていた厚いカーテンが音を立てて開いた。 まるでその奇跡のような偶然が、あたしを余計に興奮させる。超能力に目覚めただけじゃない。あの嫌な変化も終わるかもしれない。

「京子ちゃん!」 

 あの頃と同じ呼び方であたしを呼んだ幼馴染の頬は赤く染まり、その息は荒んでいた。表情は真剣そのもので、彼にしては珍しい。 窓から身を乗り出した肩がわなわなと震えていて、彼の興奮が伝わってくる。

「いっちゃん!」

でも次の瞬間、感極まった私の声を聞くとやはりいつもの困りたいのか笑いたいのか判らないあの顔になった。そう、ふにゃりと。

「京子ちゃん、きょうこちゃん。大丈夫だった!? 灰色の変なところに……」

「灰色? 何のこと? それより聞いて! あたし、超能力に目覚めたの! 選ばれたのよ! 超能力者に! すごい変化だわ! 佐々木さんって人が無意識に作り出したクリーム色の空間に出入りできるの。佐々木さんは神様なのよ。すごいでしょ!」

 そして今度は、私の台詞を聞いて真っ青になっていく。口をパクパクさせて、驚いていると同時に怯えてる。なんて忙しい顔なんだろう。 お父さんがリモコンを持ったときのテレビの画面のようにぱちぱちと変わるいっちゃんの顔が、見る見るうちに不思議そうななそれになる。

「佐々木さん? 涼宮さんじゃなくて? 灰色じゃなくて、クリーム色?」

「そうよ、佐々木さんよ。 灰色じゃなくてクリーム色。カスタードクリームみたいな。
 もしかしていっちゃんも見たの? いっちゃんも選ばれたの?」

「僕を選んだのは涼宮さんだよ。佐々木さんじゃない。あそこの空は灰色で光すらない。真っ暗さ。 それに、神様かどうかは判らないけど不思議な能力(チカラ)を持っているのは涼宮さんだよ。佐々木さんじゃない。」

 彼にしては珍しい断定を表す語尾に思わずむっとなる。今の今まであたしたちの意見が割れることなんてなかった。 あたしの言うことにはいっちゃんは全部納得してくれたし、あたしもいっちゃんの言うことなら全部信じられた。 でも、今回はどうやら違うらしい。いっちゃんは間違ってる。正しいのはあたし。だって、解かってしまうんだもの。

「不思議な能力?」

イライラした口調で続きを促すと、いっちゃんは神妙な顔をして頷く。そして小さく息を吸い込み、似合わない低い声でこう続けた。

「うん。思ったことを、願ったことを本当にする能力。この世界を変えられる能力。」

この世界を変えられる能力! あたしはその言葉にばねの様に反応した! この世界を変えられる能力!

「それは元々、佐々木さんの能力だった!」

「でも、今、その佐々木さんにその能力はあるのかい!? 今現在その能力を持っているのは涼宮さんだ!」

意見が割れたことがないあたしたちにとっては、口喧嘩とは言えど初めての喧嘩がこれだった。これだけは譲れない。 この世界を変えることが出来る能力を元々持っていたのは、佐々木さん。悲しいことに彼女はそれを使うことは望んでいないけれど。
なんでなんだろう。こんな普通すぎる世界、変えてしまえばいいのに。あたしには佐々木さんが解からない。 でも、絶対に能力の正しい持ち主は、佐々木さん。これだけは譲れない。

「涼宮さんはこの世界を変えようとしている! 自分にとってもっと面白い世界にって! 宇宙人や未来人、超能力者がいる世界だ。 なんで、彼女がこんな能力を持っているのかなんて判らないし、そんな世界が正しいのかも判らない。 でも、能力を持っているのは涼宮さんだ。いくら京子ちゃんが相手でも、これだけは譲れない。」

それは相手も同じようで一歩も引こうとしない。あたしたちは互いに互いの部屋の窓から身を乗り出して息を荒げていた。 暫く睨みあって、それでも引こうとしないあたしに向こうの方が溜息をついた。こういう時悔しいけど大人なのはいっちゃんだ。

「……少し落ち着こう。今日は野球部の朝練はないから一緒に学校行こう。その時にゆっくり話そうよ。それでいいだろ? 橘さん。」 

 それでいいだろ? 橘さん。数ヶ月前のいっちゃんなら、あたしにそんな喋り方はしなかった。おそらくこうだ。「それでいいでしょ、京子ちゃん。」 

それにあの、小さい背丈や女の子みたいな顔に似合わない変に低い声! 少し喋らなかった間に彼に一体何があったというのだろう? まるで、男の子のような口調と男の子のような声音に眩暈がした。まるで、ではない。いっちゃんは確かに男の子なのだ。 でも、だからなんだと言うのだろう。あたしが女の子でいっちゃんが男のであることがあたしたちの間を広げているのなら酷く滑稽だ。 今の今まで、ほんの数ヶ月前まであたしたちは全く一緒だった。学校に行くまでも休み時間も放課後も。性別なんて考えたこともなかった。 それなのに、この距離はどうして今更になってあたし達の間に広がっているのだろう。嚥下した甘いはずの玉子焼きの味も判らない。 もう着慣れてしまった。紺のブレザーに袖を通すと、ますます悲しくなる。入学前からお気に入りだったプリーツスカートが憎い。 何で制服はこんなにも男女の差をあからさまに示してしまうのだろう。性別なんてもの、自分が選んだものじゃないのに。 玄関のドアを開けるのがこんなに嫌だったことはないかもしれない。今、このドアを開けるときっと学ラン姿のいっちゃんがいる。 2人で並んで歩くのが怖い。目に見えて自分たちの違いを突きつけられるような気がするから。

「橘さん。行こう。」

 意を決してドアを開けると案の定、あたしの家の前で待ち構えていたいっちゃんがいた。詰襟服を一番の上のホックまで律儀に止めて。 彼はあたしの顔を見るなり視線をそらして、学校へと足を進める。あたしはそれに付いていく。今日に限ってツインテールが重い。 歩幅がそう違わないからすぐに追いつくけれど、肩を並べるのが怖くて、彼の一歩後ろを歩いた。 いっちゃんの背中を見るのは、いつ以来だろう。 なんだか、ものすごく遠く、そしてかすかに大きく感じる。制服のせいだろうけれど。

「さっきも言ったけど、僕はいくら橘さんが相手でも、これだけは譲れないよ。能力の正式な持ち主は涼宮さんだ。 今現在、橘さんが言う佐々木さんとやらが能力を有していないことが何よりの証拠さ。そうだろ?」

  数学担当の担任教師のような口調で肩越しにあたしを気にしながら、いっちゃんはぴしゃりと言ってのけた。 そのまるで自分が全て正しいと確信しているかのような口調に腹が立って、思わずあたしの口調もきつくなる。

「その涼宮さんが佐々木さんの能力を奪ったのよ! それ以外に考えられないわ!」

あたしは確信しているの。だって解かってしまうんだもの。そう言うと、それは僕もだ。とまたぴしゃりと跳ね返される。 

「その証拠はどこにあるんだい? ……まぁ、いい。で、その佐々木さんも世界を変えようとしてるのかい?  宇宙人だの、異世界人だの、未来人だのがいる世界に? それとももっと別の?」

「……それがね、佐々木さんは何も望んでいないの。この世界が変わることを全く望んでいないの。こんな退屈な世界なのに。」

「なら、変化を求めていない佐々木さんに能力は必要ないじゃないか。要らない人が持っていたとしても宝の持ち腐れだろ。 まぁ、宇宙人や未来人、超能力者がうようよいる世界が正しい世界かは、頷きかねるけど。」

「でも、能力の正式な持ち主は佐々木さんよ。……まぁ、あたし個人としては涼宮さんの意見に賛成なんだけどね。」

「橘さんは、宇宙人や未来人、超能力者にいて欲しいのかい? まぁ、昔から君はそういうのが好きだったけれど……。 天体観測をしても、あの星に宇宙人はいるの? だったものなぁ……。あと、超能力って努力でどうにかなるかしら、とかさ。」

「なによ。いっちゃんだって、タイムトラベルしてみたいとか言ってたじゃない。」

「なに言ってんの、タイムトラベルはロマンでしょ! タイムパラドックス発生の流れを想像するとワクワクしないかい?」

「そんなの、いっちゃんだけでしょ。」

「そんなことないよ、原田も興味あるって言ってたし。あーでも、宇宙人もイイなぁ。 地球人と同じような姿をしているとは限らないよね。下手をすると有機生命体ですらないかも。」

「それって、宇宙人って言う?」

「なんて言うかさ、情報を統合して思念する力があればそれで知的生命体って言えるんじゃない? よく解かんないけど。」

「解かんないのに言わないでよ。こっちは余計に解からないじゃないの。」

 いっちゃんとこんな風に話をするのは久しぶりだった。30分以上かかる学校までの道のりが短く感じる。 あ、と言えばうん、で返ってくるこの会話は随分と楽で、1を言うだけで10が伝わると言うのは本当に安心感のあるものだ。 あたしといっちゃんの関係は、何の滞りもなく数ヶ月前そのものに戻っていく。まるでこれまでの数ヶ月が嘘のように。 それがほんの少しの間でも、永遠でも、この変化を止めてくれた新しい変化にあたしは感謝したい。 佐々木さんでも涼宮さんでも、どっちでも良い。あたし達を元に戻してくれてありがとう。心からそう思う。 もしかすると、2人はこのことが解かってあたしたちをそれぞれ選んでくれたのかな。 変化を求める涼宮さんが変化を求めないいっちゃんを、変化を求めない佐々木さんが常に変化を求めているあたしを。 2人は神様なのだから、あたしたちを元通りにするのもこんなに簡単にやってのけてくれたんだ。いくら感謝してもし足りないな。

 これから先、きっとあたし達は互いとは全然違う人を好きになって、それぞれの人生を歩むんだって事は解かってる。 それでも、互いのことをずっと友達だと思っていられる、背中を預け合える相手でいられたらいいなって思う。 何か困ったことがあったらまず最初に相談する相手。そう、あたしは一生いっちゃんと親友でいたい。

「なんか変だよね。最近ずっと喋らなかったのに、久しぶりに話す内容がこんなのだなんて。」

いつの間にか、肩を並べて歩いていたいっちゃんの呟きが耳に届いた。さりげなく、歩幅を合わせてくれたのだろうか。

「なによ、いっちゃんのほうが一方的にあたしのこと避けてたんでしょ。」

「だから、そのいっちゃんって呼び方やめてよ。せめて、古泉君とかさぁ。 橘さんがそんな呼び方するから僕たちクラスで誤解されてるの知らないの?」

少し呆れたような目線を寄越すいっちゃんの目線がまっすぐあたしの目に付き刺さる。
この子は小さい頃から「人の目を見て話せ」って口酸っぱく言われてるから、絶対に人の目を見て話すのだが、 そのせいで会話をしている相手との物理的距離がつかめないのか、随分と顔を近づけて話す癖がある。 その癖があらぬ誤解を男女問わずに生んでいることを本人は気づいていない。 どうせ、彼の言う誤解もその類だろう。そんなことを考えながら、何にも知らない風に誤解? どんな? と聞き返すと、 いっちゃんは言いにくそうにいったん視線をそらしてから、やっぱりこれまた言いにくそうに吐き棄てるかのごとくこう言った。 

「僕と、橘さんが付き合ってるって。」

ぷ。いっちゃんが吐き捨てた噂の正体に思わずあたしは噴出す。付き合う? あたしといっちゃんが? ありえない。

「ちょ、笑い事!? おもっきり根も葉もない誤解だよ、これ。」

「いや、だって、ありえな……ぷぷっ。」

「そこまで笑う!? いや、確かにありえないけど! って、いやいや笑いすぎだから! ……なんか、いっつも一緒にいてあだ名や下の名前で呼び合うからそう見えるんだってさ。」

「……それ言ったら野球部の原田くんと斉藤くんも付き合ってることになるわよ。あの子達もあだ名で呼び合ってるじゃない。」

「僕たちが男と女だからでしょ。ほら、この時期って皆そういうのに興味深々だから。」

「その言い方だといっちゃん中学生じゃないみたい。でも確かに、いっちゃんが好きなのは長谷川さんみたいな大人しげなタイプだもんね。 ちょっと無口な文学少女っぽい感じの。あと、メガネ好きでしょ。で、小柄でショートカット。違う?」

あたしが挙げた隣のクラスの文学少女の名前と、彼女も当てはまるいっちゃんの判り易い趣味を羅列すると、 いっちゃんの顔色は見る見る赤くなったり青くなったりする。リトマス試験紙みたい。しかし、わかりやすいなぁ。

「何で知ってんの!? 誰から聞いたの!?」

「見てれば判るよ。何年友達やってんの。」

最近はあまり話さなかったけど、あたしはいっちゃんのことなら大体は判る。好きなものから嫌いなものまで。 でも、それは友達だからであたしはいっちゃんを一度も男の子として見たことがない。 見る必要がないから。あたし達は友達であってそれ以上でもそれ以下でもない。それ以上でもそれ以下でもいけない。

「しっかし、その丸坊主似合ってないにも程があるわ。ね、野球部員って本当にどうしても坊主頭じゃなくちゃいけないの?」

「そんなことないけど、帽子被ったら邪魔だし……、それに先輩達もみんな坊主だしなぁ。」

でも、似合わないんだもの。と笑うと、そこまで笑う!?  そう少し声を荒げた幼馴染の方を少し見ると、視線をこちらに向けながらも不服そうに頬を膨らましている。 そういうところが男の子らしくないんだけれど、気がつかないのかなぁ。 目線だって女の子のあたしと全く一緒……そこまで考えてハッとした。 目線が一緒? 数ヶ月前まで、あたしの方が見下ろしてたくらいなのに? そう言えば、さっきから聞こえてくる彼が口にした台詞は妙な感じに耳に低く感じる。なんていうのか、中途半端に。

「……いっちゃん、身長、伸びた?」

「だから、そのいっちゃんって言うのやめてよ……。身長は、まぁ、一応伸びたけど……」

「何センチ!? 何センチ伸びたの!?」

「な、何? そんな大声出して……5センチだよ、5センチ。昨日、保健室の掃除でそん時ついでに測ったから間違いない。」

「ええっ!? 入学してすぐの身体測定から? 5センチも? 3ヶ月も経ってないじゃない! ずるい!」

「ずるいって何!? 伸びたんだからしょうがないでしょ! 京子ちゃんは変わらないの?」

「身長なんて1、2ヶ月で早々伸びるもんじゃないの! なんか声も変だし……」

「声変わりぐらいするよ、僕だって!」

「そんな、男の子じゃないんだから。」

「ちょ、京子ちゃん!? 僕、男だからね!? 判ってると思うけど、僕男だからね!?」 

 解かってるって。と軽くあしらうともう、とまた頬を膨らませる幼馴染を横目で確認しながら、あたしは考える。 あたしが少しずつ女の子になっている様に、いっちゃんも確実に男の子になってる。それは、仕方のないことだと思う。 この変化もあたしが小学校の頃、耳にタコが出来るくらいいろんな所で聞いたもののうちの一つだ。 でも、この変化がいくらあたし達を外見的に変えてしまったとしても、根本はあたし達はあたし達のままだ。何も変わらない。 変わるとしても、それはこの変化のせいで変わるのではなく、人としての道のりのうちに変わっていくのだろう。 一緒に、変わっていけたら良いな。もっと大人になって、おそらくあたし達は全然タイプの違う相手を好きになる。 その時でも、そんな時になってもあたし達は友達だって胸を張っていえるような関係でいたい。そういう人間になりたい。 男女の間に友情なんてありえないなんていう人もいるかもしれない。でも、現にここに、あたし達の間に友情は確かにある。

「さっきのさ、あたし達が付き合ってるとか付き合ってないかなんて噂。別にどうでもいいんじゃない? 言いたい奴には言わせておけばいいの。いつか飽きるよ。そんな人たちにどうこう言われるようなこと、何もないんだし。」

「そりゃ、僕は別にどうでもいいけど……、京子ちゃんはそれでいいの?」

「……もしかして、あたしに変な気使って避けてたの?」

「そういう訳じゃないけど、僕の変な噂立てられたら迷惑かなって思ってさ……」

「それを変な気を使うって言うの。」 

 ごめん、と小さく頭を下げる幼馴染にうむ、それでよろしい。と満足げに頷いたあの時のあたしには、あたし達の友情はこれから先も確かなものだと信じていた。 

 例え、与えられた変化の発信源が異なる人物でも、その人が作り出す世界の色が全く違っていても、 あたし達の関係に亀裂や決別は無縁のものだと思い込んでいたのだ。この変化の重大さにも、この先の展開も、あの閉ざされた世界の意味も、目をそらしていたのかもしれない。

 その日の放課後、あたし達の元にそれぞれと同じ思想を、否、直感を抱いたそれぞれの集団の代表が訪れた。

それが、あたしたちをここまで変えてしまうだなんて、誰が想像出来ただろう。
それが、あたしたちを引き裂くことになるだなんて、誰が決めたというのだろう。

 次の日から、いっちゃんの様子が少しずつ、しかし、確実におかしくなっていった。

<続く>

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最終更新:2020年03月08日 17:29