どうしてこんなことになっているのか、どうしてこんな状況になってしまったのか、あたしは全く分からなかった。
ねえ、どうしてなの?キョン。
 
 
 
▼▼▼▼▼
 
いつもと変わらずに部室へと向かう俺。まぁ少し変わったことと言えば、最近妙に部室への足取りが軽くなったことくらいか。
俺は確かに今の高校生生活を楽しんでいる。近頃はハルヒがらみの妙なこともないし、古泉も神人狩り回数が格段と少なくなって
「このままでは体が鈍ってしまいますよ。今は出てきて欲しいくらいです。」と余裕のコメントさえする程だ。
それくらい、今のSOS団は平和と言い切れるね。
 
俺の気分がいいのはそれだけじゃあないんだが、話すと少し長くなる。
ひとつは一週間後に、一学期と二学期の間に挟む夏休みという素晴らしきロングホリデイがあるのだ。そのほとんどがハルヒの為に費やされるのは覚悟しているが、
学校に行かなくて良いというだけで俺の心は青春真っ盛りの青年の清清しさをも凌駕するぜ!宿題はハルヒに任せることにしよう、うん。
 
ふたつめ。…実は考えてない。何個か挙げておけばそれっぽいものになると思ったんだが、ひとつしかないようだ。すまん。
 
そしてこの一週間の間で起こる事。これがそのまま無かったことになって夏休みを迎えることなんてことができたら、どれだけ嬉しいのか見当が付かない。
いや、ただ待ち遠しいってことじゃないんだ。あんな事になるなんて、もちろん俺は思ってもみなかったさ。
 
 
 
月曜日に終業式を控えているその前の金曜日。ハルヒは早速土日の予定を立てだした。
 
「みんなは何処か行きたい場所ある?」
 
そろそろ自分の行きたい場所が少なくなってきた団長さんの質問に、ニヤケスマイルが答えた。
 
「僕は別に…。あなたはどうですか?」
 
俺に話を振るなよ。俺は何処に行きたい?と訊かれてすぐ答えが出るような好奇心旺盛な男児じゃないぞ。
 
「たまには休みにしたらどうだ。遊びなら夏休みに嫌というほどできるさ。」
「夏休み前だからこそ行くのよ!それで万全の状態で夏休みに挑むの。」
 
夏休みを迎える万全な状態というのはどういうものなのか考えつつ、俺はお茶をすする。
 
「みくるちゃんは?」
「えっ、別に…何処にも。」
「有希は…ないわよね。」
「そう」
 
未来人も宇宙人も行きたい所はないようだ。むしろ長門が行きたい場所ってものを見てみたいね。
 
「うーん…あっ、そうだ!温泉に行きましょう、温泉!」
 
そりゃまた唐突なこった。
 
「何故このくそ熱い夏に温泉なんか行かにゃならんのだ。」
「今、無性に旅館の温泉に入りたくなったわ!ね、いいでしょ?」
「ああ、そういえば僕の知り合いに旅館を経営している者をおりまして…」
 
おいおい待て古泉。さすがにこの時期に温泉はお前でも気が引けるだろ。
 
「マイナスをマイナスで掛けたらプラスになるでしょ?それと同じよ。暑さも暑さで掛けたらきっと涼しくなるものよ!」
 
どんな理論だ。明らかにプラスをプラスで掛けた結果になりそうで、余計暑くなりそうだ。
暑さ=マイナスという定義から間違っている。冷房が効いてるならまだしも…。
 
「じゃあ古泉くん、その知り合いさんに連絡をよろしくね!そうね…明日一時に集合!場所は当日連絡するわ。」
「了解しました。」
「分かりましたぁ~」
「………」
 
つくづくこう思うね。やれやれ。
 
 
ここまでは日常茶飯事な話だ。ハルヒの突発的な思い付きで色々と振り回される。いい加減慣れた、というかもう呆れている。
だが問題の日はやってきた。何の音沙汰も立てずに、突然と。
 
 
朝、俺は目覚めて時計を確認する。目覚ましの時針は8をさしている。俺にしては珍しく早い目覚めだな、等と思いつつ携帯に手を伸ばす。
俺が着信2件、涼宮ハルヒという液晶に浮き出ている文字をしばし見つめていると、携帯がバイブによって震えた。
 
『やっと起きた!いつも思うんだけど、あんたもうちょっと早く起きれないの?』
「休日くらいもう少し寝させてくれよ。」
『他三人はちゃんと一回目の電話で出てくれたわ。あんただけよ、三回目でなんて。』
 
俺をあの三人と比べられたら困るぜ。あいつらは明らかに非常識だ。誠実に人生を真っ当している俺は普通の高校生男子を演じているのさ。
 
『用件だけど、今日駅前に一時集合だからねっ。忘れるんじゃないわよ。』
「ああ、分かった。」
『じゃねっ』
 
…きっと泊まりだろうな。どうせなら夏休みに三泊四日の旅でもしてきたかったが…贅沢も言ってられないか。
 
時は一時。一日分の着替えをまとめて俺は駅前に到着する。
 
「おっそーい!」
「で、今日は何を奢ればいいんだ。」
 
俺は覚悟を決めていた。それ故に先手を打ったのだ。
 
「列車賃、全員分払ってよね。」
「列車賃…?だいたいいくらだ。」
「三千円はかかるでしょうね。さっ、行くわよみんな!」
 
三千円だと?俺は財布の中身を確認し、大きな溜息をわざとらしくした後にそそくさと歩く団長さんの後を追った。
 
列車で揺られること数時間。雪山へスキーに行った時くらいか、それ以上くらいかの時間を列車の中で過ごした。
乗車一時間半程まではハルヒもわんさかと騒いでいたが、二時間もするとさすがに騒ぎ疲れたらしく、黙って座っている。
俺は窓の縁に肘を乗せて流れる景色に視界の全てを任せていたんだが、徐々にまぶたが落ちていき、暗闇の世界へと引き込まれる。
 
 
「さぁ起きてください。着きましたよ。」
 
古泉の声で目が覚めた俺は時計を確認する。午後五時…随分長いこと移動していたんだな。その証拠に、窓の景色はすっかり森林のある田舎な雰囲気だ。
列車を降りて数分歩いた先にその旅館はあった。いかにも古き良き時代の旅館という感じで、『和』の字が五つ並ぶような木製の旅館だった。
 
「ふぇ、ふぇぇ…なんかすごいです~」
 
朝比奈さんも可愛らしいコメントを垂らす。残念ながらどうやってもコメンテーターにはなれなさそうな感想だが、ルックスで押し通せばなんとかなるんじゃないかね。
その際には是非俺は朝比奈さんのマネージャーでもやらせていただこう。
 
「穴場な場所なんですよ。雰囲気は最高にもかかわらず、来客数も少ないのですよ。今日は僕たちしか客は来ないそうです。」
「それはいいわね!あたしたちだけで楽しめるなんて、なんて最高な旅館なのかしら!」
 
他の客に迷惑をかけないで済むという利点で俺もそれには同意しておく。
 
「ようこそいらっしゃいました。」
 
旅館の玄関に入って真っ先に出てきたのは着物姿の女将さん的な人だった。この人も古泉の仲間なのか?それとも、元々この旅館の女将さんなのか?
まぁ別に知ってどうなることでもないから、そこは気にしない方向でいこうと思う。
 
「こちらこそ、今回はお招きいただいてありがとうございます!今日と明日、宜しくお願いします!」
 
ハルヒの丁寧な挨拶が済んで、俺たちは部屋へ案内される。無論のこと、和室だった。
部屋の隅に荷物を置いて、その横にもうひとつ荷物が並ぶのを確認する。
 
「ここは俺の部屋だろ?」
「あなたと僕の部屋ですよ。こちらの不手際で部屋がふたつしか取れませんでした。まあいいじゃないですか、複数人の方が楽しいですよ。」
 
冗談じゃない。こいつと同じ部屋で寝たりなんかしたら何が起こるか分かりもしない。
 
「心配しないでくさい。何もしませんよ。」
「当たり前だ。」
 
低いテーブルに置いてあった和菓子にでも手を伸ばそうとすると、ノックなしに部屋の襖が開いた。
 
「あたし達は温泉に入ってくるから!あんたらも早く入りなさいよ。あとでじっくり遊ぶんだからねっ」
「ならば僕たちも入ってきましょうか。」
 
ニヤケ顔で俺にそう言った古泉は、部屋に設備されていた大タオル小タオルを俺に差し出した。
 
「お前と入るのは気が進まないがな。」
 
そう言ってタオルを渋々と受け取る。
 
「当然解ってるわね、キョン。」
 
何のことだ?
 
「ほんっとあんたは記憶力ってもんがないのね。」
「大丈夫ですよ涼宮さん。僕がしっかり見張っておきましょう。」
「そう?じゃあよろしくね、古泉くん。」
 
一体何だよ、見張るって。
 
「涼宮さんらの入浴光景を忍び見る、所謂覗きという行為ですね。」
 
男湯と女湯の境が竹だけとかいう美味しい状況でもあるのか?それ以前に俺はそんな俗な行為はしないから安心しろ。
 
「そうですね。じゃあ、行きましょうか。」
 
くすくすと笑いながら部屋を出て行く古泉に追って着いた先は、案の定、まさに美味しい状況だったね。
細い竹が何本も連なってできている境界線。強くタックルすればそのまま女湯へ進入できそうな強度に見える。もちろんしないけどな。
脱衣所を出てすぐ乳白色の湯に浸かってひとつの大きな溜息をつく。その一息に疲れの全てが凝縮されていたかのように体がすっと軽くなった。
これ以上に極楽という言葉がふさわしい物はないと思ったね。
 
「んー、やっぱりその胸羨ましいわね!」
「ひゃっ、やめてぇ~…!」
 
向こう側からハルヒと朝比奈さんの声が聞こえる。いやぁなんというか、和むね。
 
「いいんですか?朝比奈さんが困っているようですが。」
 
声さえ笑っている助言により、俺は我に帰る。
 
「おいハルヒ。朝比奈さんが困ってるだろ、もうやめろ。」
「ん…キョン?あ、あんたどっから見てるのよ!」
「見てるわけじゃねぇ。聞こえるのは声だけだ。」
「本当でしょうね?」
「どうやらそのようです。会話だけはできるようになっているようですね。」
 
どうやらって…もっときっぱりと言ってくれよ。
 
「有希の小っちゃいわねー、あたしが大きくしてあげよっか?」
 
いきなり過激的なことを言い出したハルヒの行動が頭に浮かぶ。
 
「………」
「確か揉んでると血行がよくなったり、ツボにいいんだって!」
「………」
 
いかん、俺が妄想を始める前にやめさせなくては。
 
「おい、ハルヒ!やめろって言ってるだろ。」
「あんたに言われる義理はないわよ!何ならあんたも触る?」
「遠慮する!」
「あっ、そう。」
 
ここに居るだけで理性が崩れそうな気がしてきた俺は、さっさと体を洗って温泉から出ることにした。
まぁ体を洗ってる最中にもハルヒが何やら騒いでたんだが、朝比奈さんや長門には悪いが俺にはもう手が付けられない。
 
 
浴衣を着て部屋でゆっくりしていると、何とも風流な庭に目を奪われて、来ても良かったなという気分になる。
だが、俺の安らかさを保っている心を打ち砕くように奴が入ってきた。
 
「卓球やるわよ!卓球!」
 
その言葉から始まって、それから俺たちは強制的に卓球テーブルのある場所に連れて行かれたり、枕投げの為の枕を集めさせられたりなど、色々とこき使われた。
気付くと時計の針は8時をさしていて、夕食を終えた9時に再収集をかけられた。
 
「まだ何かするのか?」
「一番大事なものが残ってるじゃないの。夏の風物詩といえばあれよ!」
 
集合場所が旅館の近くの暗い森林であることから少しは察していたが、やはりすることはひとつしかないようだ。
俗に言う(言わなくてもか)肝試しというやつだ。朝比奈さんは既に怯えの表情を露にしており、それに追い討ちをかけるように古泉が話した。
 
「ここには昔、墓地があったと言われていましてね。今でもその怨念たちが集まっているという崖が何処かにあるという言い伝えがあるのです。」
「ぼ、墓地ですかぁ~?」
 
なるほど、一般的な女子高生を怖がらせるには十分な言い伝えだな。どうやら怯えているのは女性三人の内一人だけのようだが。
 
「怨念でもお化けでもゾンビでも何でも出てきなさい、望むところよ!」
 
そんなこと望まんでもいい。どうせ苦労するのは俺らなんだからな、解ってるのか?
 
「この光の勇者様が全部まとめて相手にしてやるわよ!」
 
まるで光の剣でも手にしたかのような自信に満ち溢れた顔でハルヒは
 
「さ、行きましょ!」
 
と先陣を切って歩き始めた。
 
「五人でまとまって行くのか?それじゃあ肝試しにもスリルが感じられないだろ。」
 
提案をする俺。まぁどうせやるなら楽しい方がいいもんな。
 
「それもそうね、一人ずつじゃみくるちゃんが可哀想だから、二組に分かれましょっか。」
「ひぇ、五人がいいですぅ~」
 
朝比奈さんのささやかな抗議も虚しく、ハルヒは例の(不思議探索時に使われる)方法で二組に分かれさせた。
これで朝比奈さんとのツーショットが取れれば、なんてことを考えていた俺は愚かだったね。
勇者にお供する見習い魔法使い的なポジションを取らされた俺は、さっさと歩いていく勇者様を追う前に
 
「じゃあ行って来ます。」
 
と、残る三人メンバー(朝比奈さんに向けてなんだが)に伝える。
 
「キョンくん、気をつけてね。」
 
という朝比奈さんがかけてくれた無敵の呪文が俺の心の支えになった。
その言葉を聞けるなら何十回でも行きますよ、肝試しなんてものはね。
 
…というさっきの言葉は撤回しておこう。さすがにあれだ、気味が悪くなってきたぞ、この森。
 
「何、あんたもしかして怖いの?」
「んなわけあるか。お前はもうちょっと怖がれ。そして俺の腕にでもしがみついて来いよ。」
「ば、ばっかじゃないの!?そんなのはね、みくるちゃんくらいの怖がりでしかしないのよ!」
 
なるほど。
 
「ところでだ。この肝試しは何をすればいいんだ?」
「別に何も考えてないけど?」
「じゃあどうするんだ。適当な場所で引き返したりでもするのか。」
「そうねー…ちょっと面白い所を見つけてやるの。それから後の三人にそこまで行って来て、帰って来てもらいましょ。」
 
どこまで計画性のない奴なんだろうな、この勇者様は。
 
「ほら、さっさと歩くわよ!」
 
ハルヒは俺の手首を掴んで早歩きを始める。自分で歩けるから引っ張るな、手首を痛める。
何分間か意味の無い森林探索をしていた俺だが、そろそろ本当に痛くなってきたんですが…手首。
 
「…うわあ…!!」
 
その探索を一時中止させたのはハルヒのいつもより高いトーンの声だった。それと同時に手を離したが、時既に遅し、俺の手首は赤く手跡が付いている。
 
「ねぇ見て、キョン!」
 
なんだなんだと顔を上げる。そこには何十個、いや何百個もの緑色の光が宙を漂っていた。
 
「きれい…こんな湖があったなんて。」
 
後から聞いた話になるんだが、古泉の話にはまだ続きがあったらしい。
「昔に墓地があったのに加え、その横の湖は蛍の生息地なんですよ。この時期が一番活動が盛んでしてね、だからあの旅館にしたのですよ。」だ、そうだ。
まぁこの時はこんな話知らなかったもんだから驚いたし、さすがに俺でも少しは感動したね。強く頭に焼きつかれたイメージというのか、上手く語原化できない。
ハルヒは珍しく呆然と立ち尽くしている。こいつにも感動できる心があったのか。
 
「…この蛍、一匹や二匹連れて帰ってもバレないわよね?」
 
前言撤回!こいつはやはりアホだった。
 
「こんな光景、拝めただけでもありがたいと思え。そんなことしたら今に罰があたるぞ。」
「うー…分かったわよ。でも、よーく目に焼き付けておきなさい、この光景を!きっと二度と見れないわよこんなの!」
 
だろうな。心配するな、よーく頭ん中に刻み込んださ。
 
「じゃあ残った三人には、ここを目指してもらえば丁度いいんじゃないか?」
「えっ…だってそれは…」
「ん、何か不都合でもあるのか?」
「これはあんたとあたしだけの…」
「もうちっとはっきりと喋れよ。」
「い、いいわよ!早く戻るわよ!」
「いだだ!手首を掴むなって!」
「早く!走るのっ!」
「おっ、おいっ!」
 
痛む手首を引っ張られて俺はハルヒに連れられている。走りにくいこと山の如しだ。
 
「怒ってんのか?」
「別に!」
「怒ってるんだろ?」
「怒ってないわよ!」
「怒ってるんなら…謝るよ、すまん。」
「っ…!!」
 
ハルヒはいきなり立ち止まった。
 
「いきなり止まるなよ…。ッ――」
 
言葉が出なかった。振り向いたハルヒの顔は、怒っている顔でも疲れている顔でも無かった。
うっすらと目に涙を溜めて、必死に涙を落とすまいとこらえている我慢の顔だった。
 
 
 
▽▽▽▽▽
 
せっかく…二人きりであんなきれいな蛍が見れたのに…せっかく…
 
「ど、どうしたんだよハルヒ。」
 
キョンは何も分かってない…!
 
「あっ、あたしは…!」
 
キョンは顔に困惑の色を浮かべてる。どうしよう…あたしがこんなこと言ったら…
 
「な、なんだよ…」
 
気持ちを伝えても…キョンがもしあたしを拒絶したら…あたし…
 
「ハルヒ…?」
 
キョンと離れたくない…でも…
 
「あ、あたしはね…?」
 
声が震える。大丈夫、ちゃんと言える…
 
「あんたのこと…その…す…」
「…ハルヒ、俺はお前の事が好きだぞ。」
 
…え?
 
「は、はあ…!?」
「何度も言わせんな。好きっつったんだよ。」
 
一気に目の奥から涙が湧き出てくる。堪えてたのに…だめ、キョンにこんなみっともない顔…
 
「俺は前から告白は自分からって決めてたんだよ。悪いな、横取りしちゃって。」
「ほんとよ…ばかぁ…ばかばかばかばかばかばかぁぁぁ!」
 
抱き付いて何度もキョンの胸を叩く。嬉しい。滝の様に流れる涙は止まりそうもない。
 
「痛いっつの…そう何度も叩くなって。」
「あたしも好きだからねっ…お、覚えといてよ!」
「ああ、分かったよ。」
 
キョンの腕があたしの背中にまわるのが分かる。あたし、抱きしめられてるんだ。だ、だめよ。こういうのは…ふ、不潔よ。
 
「居心地いいから…もうちょっとこのままでいさせてくれ。」
「あ、あと十秒だけ…だからね。」
 
結局、ずっとあたし達は抱き合ってた。あと十秒って言ったのに…キョンのばかっ。
 
「…そろそろ戻るか。みんなが心配してるだろうし。」
 
長い抱擁の時間を終わらせたのはキョンの言葉だった。
 
「そ、そうね…」
 
あたしが大きく一歩を踏み出そうとした時。
 
――それは、起こってしまった。
 
 
踏み出した足が踏むはずだった次の地面。それがなかった。
ガラッという音と共にあたしは崩れ落ちる。
 
「ハルヒっ…!?」
 
キョンに抱えられてあたしは分かった。崖から落ちてる、そんな実感が沸いた。
深い地面に打ち付けられた時、キョンはあたしの下敷きになってかばってくれた。それと同時に全部真っ暗になって、意識が遠のいた。
 
 
 
「…さん…みやさん…!」
 
誰の声…?言うならもうちょっとはっきり言いなさいよ…
 
「涼宮さん…!」
「…みくるちゃん?」
「よ、よかったぁ~」
 
泣きじゃくっているみくるちゃんが抱きついてくる。あたしは…ベッドで寝てたの?ここは何処?
 
「病院です…涼宮さん、意識がなかったんですよぅ…?」
「意識が…?それにこのお花…」
 
枯れてない、まだ新しい花。誰かが替えててくれたの?
 
「ああ、それは古泉くんが…」
 
噂をすれば影とはこの事で、見舞いの花を持った古泉くんが入ってきた。
 
「涼宮さん…!良かった、意識が戻ったんですね…!」
「古泉くん…ありがと、お花替えててくれたんでしょ?」
「いいえ、これは…長門さんから預ったものですよ。」
「有希が?」
「すぐ替えてと言うのですよ。相当心配していたようですね。」
「そう…有希が…。それで、有希は何処なの?」
「…彼の病室ですよ。」
「え?」
 
彼の病室?誰のこと?
 
「あら、そういえばキョンが居ないじゃない。団長の見舞いにも来ないなんて、礼儀ってものがなってないわね!」
「す、涼宮さん…」
「どうしたの、みくるちゃん。」
「キョンくんは今も…昏睡状態なんです。」
 
みくるちゃんの言葉であたしは何もかも思い出した。あの日のこと。
 
「涼宮さんとキョンくんはあの崖から落ちて…キョンくんは強く頭を打ったようで、もしかしたらキョンくんはぁ…」
 
みくるちゃんは更に泣きそうな顔になって、あたしもなんだが心配になってくる。
 
「古泉くん…キョンは、大丈夫なの?」
「崖から落ちた日からもう一週間も経っています。涼宮さんが目覚めたことでさえ、奇跡に近いと思われます。彼のことはまだ分かりません…申し訳ないです。」
「いいのよ、古泉くん。じゃあ病室を教えて。」
「まだ動ける体ではありませんよ。ここは安静にして」
「あたしは元気ビンビンよ!今ならどんな剛速球でも簡単にホームランにできそうだわ!」
 
あたしは起き上がって古泉くんに元気な姿を見せた。
 
「ふふ、分かりました。では、行きましょうか。」
 
キョンの病室を開けたら、真っ先に有希が振り向いてくれた。
 
「………!」
 
少し眉が動いて、すごく微妙だけど嬉しそうな顔をしてくれた。
 
「お花、ありがとね有希!」
「別に。」
 
有希は不器用な照れ方をした。これなら男たちは放って置かないわね。
 
「…彼はまだ起きない。」
 
有希の目線の先には、管がいっぱい付いたキョンがベッドで寝ている光景があった。
 
「何よこれ、まるで管男じゃない…」
 
それにこのマヌケ面。いつまで寝てるのよ、本当に寝ぼ助ね。
 
「ねぇ…早く起きてよ、キョン。」
「…長門さん、一人にさせてあげましょう。」
「…分かった。」
 
いい加減起きてよ…
 
「ねぇぇ…キョン…!!」
 
どうしてだろう。どうして涙が出てくるの?ただ寝てるだけじゃない。まだ…キョンは暖かいじゃない。
この涙はどこから出てくるの?
 
 
あたしが目覚めてからもう一週間が過ぎた。夏休みも残り三分の一もなくなってしまった。
まだ何処にも行ってないのに…これも全部キョンのせいよ。
次の学校登校日まであと三日と迫った日。朝、突然携帯が鳴った。
 
『涼宮さん!彼が目覚めたようですよ!僕も向かいますが、病院へ!』
 
あたしは服なんてすぐ適当に選んで病院へ向かった。キョンの病室へ。
 
病院の前にはみんなが揃って待っていてくれた。先に病室へ行っててもいいのに…
 
「最初は涼宮さんが声をかけてあげてください。」
「ねっ、涼宮さん!」
「…そうしてあげて。」
「な、なんかありがとね!」
「お礼なんか要りませんよ。さあ、行きましょうか。」
 
病室の扉を開ける前に確認する。あたし、元気な顔してるわよね。泣きそうになんかなってないわよね。
よし、大丈夫。今開けるからね、キョン。
扉を開けた先には、平気な顔できょとんとベッドから起き上がってるキョンが居た。
 
「…キョン!!」
 
真っ先に飛びつく…のはちょっとマズいと思って、駆け寄る程度にしてあげたわ。
 
「キョンくん…よかったぁ!」
「本当に、心配しましたよ。」
「………」
 
みんなも喜んでる。でも…有希が不安そうな顔で見てるのはなんで?
まぁいいわ。これから三日しかないけど、色んな所へ行っていっぱい遊んで…
 
「あの…悪いんですが、どちら様…ですか?」
「………は?あんた今なんて言ったの?」
「俺にはあんたのような美人さんが見舞いに来るような知り合いは居なかったはずなんだが…んーと…」
 
あたしは状況を掴めなかった。何こいつ、ドラマの見すぎなんでしょ?
古泉くんが心配そうな顔ですぐに寄って来た。
 
「分かりますか?僕たちのこと。」
「…悪い、どうやら俺は何だか知らんが入院してたらしくてな。俺の知り合い…なのか?」
「あんた大丈夫?頭でも打ったわけ?下手な冗談言うなっ!」
「あんたのような口が悪い美人さんも、そこのイケ面さんも美少女お二人さんも、俺は知らないね。」
「キョンくん?ハルにゃんたちだよー?」
 
妹ちゃんがキョンに駆け寄った。
 
「ハルにゃん?お前の知り合いか?」
「違うよー、覚えてないの?」
 
なあんだ、やっぱり演技だったんじゃない。
 
「…長門さん、これは一体…」
「彼の記憶が断片的に欠けている。有機生命体が起こす記憶喪失と同じものと思われる。」
「やはり、ですか…。」
 
有希、今なんて言ったの?
 
「恐らく幼い頃の記憶はある。欠けた記憶は高校入学以降のものだと推測できる。」
「なるほど、だから妹さんの記憶はあったのですね。」
「そう。けれど…わたしたちの記憶は、ない。」
 
キオクソウシツ?
そんなの、ドラマとかでしか見たことないわよ。現実世界に本当にあるのか、怪しんでたところだったのに…
違う。あたしが思ってるのはそんなことじゃない。
 
「キョン…あの日のことも覚えてないの?あの時のことも…」
「名前すら覚えてないんだ、すまん。」
「あ、あたし?あたしは涼宮ハルヒ」
「涼宮さんだな。覚えとくよ。そこの人達も俺の知り合いだったんだろ?」
 
涼宮さん…?なんて呼び方してるのよ…古泉くんやみくるちゃんみたいじゃない…
 
「僕は古泉一樹です。あなたと同じ高校一学年です。涼宮さんと長門さんも同様です。」
「キョンくん…あ、その…わたしは朝比奈みくるです。わたしはみんなより一つ年上なんですよ。」
「長門有希。」
「長門さんに朝比奈さんに…古泉か。朝比奈さんが一個年上なんて、見えませんね。」
 
有希以外は普通の呼び名じゃない…なんでデレデレしてるのよ、キョン…!
 
「まぁみんな、これからよろしく…」
「ふざけないで!」
 
あたしは耐えられない。
 
「どうしてあんたが記憶なんて失くすのよ…い、いい加減にしてよ!!」
「涼宮さん…?」
 
あんたとの思い出、あたしだけが覚えてるなんて…
 
「キョンなんて、大っ嫌い!!」
 
嫌だ。こんなの…嫌。
 
「待てよ涼宮!!」
「嫌ぁっ!!」
 
もう一度…あたしの名前を呼んでよぉ…
 
 
あたしは病室を飛び出てとにかく走った。そして上へ上へ階段を上り続けた。
そして、晴天の下の屋上へ着いた。
 
「せっかく好きって…好きって言ってくれたのに…なんで、なんでよぉ!!」
 
これから色々楽しみにしてたのに、これから…キョンと…!!
 
「こんなの嫌ぁっ…」
 
だめ…最近涙脆くて…涙なんて涸れてしまえばいいのに…!
 
 
 
それから三日間。あたしはずっと家にこもりっぱなしだった。
始業式当日。その日はちゃんと登校した。
 
前にはキョンが座ってる。声かけようかな…でも、あんなこと言った後だし…
だけど、結局話しかけられなかった。式が終わった後も、ずっと。仕方なくあたしは部室へと足を運んだ。
 
「おや、涼宮さん。おはようございます。」
「古泉くん…おはよう。」
 
みくるちゃんがお茶をいれてくれて、有希が机の隅で本を呼んでる。あたしは団長席に座っていて…いつも古泉くんとオセロをしてるキョンは…居ない。
あたしは不満と悲しみで潰れてしまいそうだった。そんな時、部室のドアをノックする音が聞こえた。
 
「どうぞ。」
 
みくるちゃんが対応する。ドアを開けて出てきたのは…
 
「あ、あれ…そういえば俺なんでこんな所に…?」
「キョンくん!」
「朝比奈さん…でしたっけ。俺は気付いたらここに足を運んでいて…」
「体の記憶が…覚えているのかもしれませんね。ここに訪れるという習慣を。」
「習慣?」
「僕らSOS団は放課後になると、毎日文芸部室に集合しているのです。そしてここを拠点として活動しているというわけです。」
「SOS団?なんだそれは。」
「ええと確か…世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団…です。あなたも入っているのですよ。」
「俺も?」
「いいえ!記憶を失くしたあんたに、この団に入る資格はないわ!」
「なんだと?」
「早く出てけ!」
「涼宮さん!」
 
あたしは部室の外へとキョンを蹴っ飛ばした。
 
「もう来るな!」
 
そして、あたしはドアを閉めてしまった。キョンはどんな顔をしてた?怒ってたかな…悲しんでた…?それすら確認できない程、あたしは動転していた。
ゆっくりと団長席に戻ると、有希が突然立ち上がって部室から出て行いこうとした。
 
「ちょ、ちょっと有希?何処行くの?」
 
無言で有希は早歩きで立ち去った。まるでキョンを追ったかのように。
 
 
 
▼▼▼▼▼
 
涼宮にキレられ、蹴っ飛ばされて文芸部室から放り出された俺は、行く所もなく、家に帰ることにした。
突如、肩に何か軽いものが当たった感触を感じ取る。
 
「…待って。」
 
えーと…なんてったっけ。あのSOS団の内の一人の美少女が俺の肩を掴んでいた。
 
「長門さん…か?」
「有希でもいい。」
「有希?なんか馴れ馴れしくないか?」
「…あなたの好きに呼んで。」
「…じゃあ有希だな。それで、俺に何か用か?」
「さっきの涼宮ハルヒの言動、あれは彼女が本心でやったわけではない。」
「…涼宮のことか。それ、本当なのかよ。」
「彼女の心は正常ではなかった。気を悪くしないで。」
「有希、なんでお前そんなことが分かるんだ?」
「…今は信じて。」
 
根拠もなく信じてと言われてもなぁ…
 
「わたしが伝えに来たのはこれだけ。」
「ま、待てよ有希!」
「…何?」
「あれだ、朝とかさ、たまに…話に行ってもいいか?」
「いい」
「そうか、それじゃあな。」
 
どうして俺がこんなことを言ったのかは自分でも分からなかった。だが、俺の家へと帰る足取りは、どこか軽かった。
 
 
次の日のホームルーム前、俺は早速六組に居る有希の下へと向かった。
 
「よっ、有希。」
「おはよう。」
 
読書をしていた有希は僅かに微笑んだ。
 
「昨日から本読んでるよな?楽しいか?」
「…わりと。」
「どんなところが?」
「…全部。」
「今度、なんか本貸してくれよ。いいだろ?」
「いい」
「そっか、サンキュ。…ところで、SOS団とやらに入ってるんだよな?」
「そう」
「今までにどんなことしてきたんだ?」
「…上手く説明できない。でも、あなたは今までの活動を楽しんでいた。涼宮ハルヒ、そしてわたしたちと一緒に。」
「涼宮もか…」
「彼女を嫌ってはいけない。嫌わないで。」
「な、なんで有希がそんなこと言うんだ?」
「…分からない。でも、あなたには幸せでいてほしい。」
 
な、なんだこれは。新手の愛情表現か何かなのか…?
 
「おっと、そろそろ時間だ。俺戻るわ。」
「また、放課後に。」
 
俺は教室へと戻った。
『また、放課後に』…か。
 
 
放課後、俺は足が動くままに文芸部室へ向かった。
ドアの前に立つと、手も自然に動いた。違和感なく、ドアをノックする。
 
「どうぞー」
 
朝比奈さんの声がする。ドアを開けて確認する。涼宮が居るか居ないか、ということを。
…ん?俺は涼宮を軽蔑してるのか?でも無理ないよな。あんな蹴りをくらわされちゃあ…でも有希が言ってたことは…
 
「また来てくれたんですね。あの…昨日の涼宮さんの蹴りは…気にしないであげてください。」
 
あなたもその話ですか。
 
「きっとね、本心からじゃないの。いや、絶対そうよ?」
「有希も同じことを言っていましたよ。今は居ないようですが、涼宮はそんなに大切な存在なんですか?」
「有希…?ああ、長門さんですね。涼宮さんは…そう、とっても大切なの。」
「もしかして朝比奈さん…そっちの趣味で?」
「いいえ、ち、違います!その…そういう意味じゃなくて…涼宮さんは…その…」
「朝比奈さん、その話は僕から彼に話しましょう。」
 
話に割って入ってきたのは古泉だ。ん、なんかこいつのニヤケ顔ムカつくな…
 
「では、椅子にでも掛けて下さい。」
「あ、ああ…。」
「ええとですね。どこから話していいのか…、とりあえず率直に言いましょう。」
「なんだ?」
「長門さん、朝比奈さん、僕はそれぞれ、簡単に言うと宇宙人、未来人、超能力者なんですよ。」
 
古泉一樹。こいつの名前を俺の辞書でひくと説明文は『ただのアホ』と表示されるだろう。
んなもん、信じられるか。
 
 
俺は座ってて尻が痛くなるほど長々と古泉の話を聞いてやった。
時間の歪みだか進化の可能性だか神だとか、もう滅茶苦茶な話をな。
 
「最後にひとつ。この話は、絶対に涼宮さんには内緒にしておいてください。」
「…ああ、分かったよ。」
 
まさに半信半疑。いや、半分とも信用してなかったわけだが、涼宮には内緒にしておこう。
そして奴が入ってきた。
 
「…キョン…!」
「涼宮…。」
 
…分かった。俺は明らかに涼宮を軽蔑視している。涼宮は悲しそうな顔をして奥の席に腰掛けた。
それから五分ほどだろうか。沈黙の時が流れた。
 
「…キョン?ちょっと…ついてきて。」
「……ああ。」
 
俺は涼宮に連れられて学校の屋上へと向かった。何が始まるんだ?俺は殴られるのか?蹴り殺されるのか?
 
「ええっと、昨日は…ごめんなさい。」
 
涼宮はペコリと頭を下げた。これは予測射程距離内を大きく外れる攻撃だ。
 
「いや、別に…俺も怒ってないからよ、いいって。」
 
軽く返答したつもりだったんだが、涼宮は今にも泣きそうな顔を上げ、俺を見つめた。
 
「ごめんなさい…あたしのせいで…ごめんなさいっ…」
 
あたしのせい?一体…何のことなんだ?
 
「キョンは…崖から落ちそうになったあたしをかばってくれたの。」
「…俺が?」
 
俺がそんな勇気のいることをしたのか?…涼宮に?
 
「だからキョンは記憶喪失になっちゃって…それで…それで…」
 
涼宮は必死に言葉を搾り出すように話した。
 
「崖から落ちる前にね…?あたしとキョンは、二人っきりで…蛍を見たの。」
「蛍…?」
 
どんなシチュエーションなんだ?全く見当がつかない。
 
「とてもきれいだった…そのあと、あたしとキョンは…うっ…うぅっ…」
 
遂に涼宮は涙を垂らし始めた。な、なんなんだよ…
 
「やっぱり…嫌だよぉっ…キョン、思い出してよ…」
「思い出してって言われてもな…」
「そうじゃないとあたし…もう、耐えられない…」
「…涼宮…。」
「…ごめんなさい。あたし、すごい我侭なこと言ってたね。じゃあ…戻ろう。」
「いつも我侭なこと言ってこそお前だろ。こんな態度、似合わねぇぞ。」
「…え?」
 
ん、なんだ、今の言葉は。俺が言った…んだよな?何故こんなことを…?
 
「…そ、そうね!あたしったら何しみったれたこと言ってたのかしら!」
 
声の音量が倍ほどになった。うむ、確かに涼宮は元気な姿の方が似合ってる。
 
「戻りましょ!ほら、早く!」
 
俺は涼宮に手首を掴まれ、部室の方へと引っ張られる。
 
「いだだ!手首を掴むなって!」
「それくらい、我慢してよ!」
 
それは、俺にとって初めてな経験のはずだった…でも、どこか懐かしい感じがした。
 
 
そして今日のSOS団の活動が終了した。みんなが帰っていく中、俺は有希を呼び止めた。
 
「あのさ、涼宮のことで色々と聞きたいことがあるんだけど…」
「くる?」
「何処に?」
「わたしの家。」
 
有希から初めて誘われた。い、いやいや、俺はそんな気は…
 
「以前のあなたは前にも何度か来たことがある。特別気にすることはない。」
「そ、そうか。」
 
俺は有希の家へと向かった。いやあ、驚いたね。こんな高級マンションに一人暮らしとは。
俺は殺風景なリビングに案内され、床に腰を下ろす。
 
「話って?」
「ああ、記憶がなくなる前の俺と涼宮との関係って…何だったんだ?」
「………」
 
有希は少し困ったように考え込んでしまったようだ。そんなに難しい質問だったか?
 
「…仲はとても良かったように見えた。それ以上でも、それ以下でも…なかっ…た。」
 
言葉が詰まるように有希はそう言った。
 
「…そうなのか。いやな、涼宮が今日、記憶がなくなる前に一緒に蛍を見たって…」
「あなたの記憶がなくなる8分28秒前、涼宮ハルヒとあなたの心に大きな変化が観測された。」
 
大きな変化を…観測だって?
 
「そう。わたしの中でエラーと称される何かが、その時に起きた。」
「な、何なのか分からないのか?」
「…分かっているのかもしれない。でも、あくまで可能性の話。」
「可能性の話だってなんだっていい。…教えてくれ。」
「…あなたと涼宮ハルヒは、互いに…」
 
互いに…?
 
「………互いの好的感情を教えあった。」
「なっ…それって、告白…ってことか?」
「…可能性の話。」
 
涼宮と俺は両思いだったってことか?…確かにそれならつじつまが…
 
「わたしは…伝えたくなかった。」
「ん?」
「わたしはこのことを…あなたには伝えたくなかった。」
「ど、どうしてだ?」
「…分からない。エラーが発生しているせい。」
 
有希は悲しそうな顔でうつむいた。そんな顔するなよ、有希。
 
「で、でも…今の俺の気持ちは…有希のこと…んぐっ!?」
 
いきなり有希に口を塞がれた。
 
「それ以上はいけない。絶対、言ってはだめ。」
「ん、ん~、ん~!」
 
俺は有希の手をよける。
 
「なんで…どうしてだよ。」
「あなたには幸せになってほしい。ただ、それだけ。」
「だから俺はっ…有希、お前と!」
「…もう、帰って。」
「有希…!」
「…っ…帰って…」
 
有希の言葉は重く俺の胸に突き刺さった。どうしてだよ、有希!
その後、俺は有希にお茶を出されて一杯だけ飲んだ後、マンションを後にした。
 
「また、明日。」
「…おう。」
 
帰り際に有希が流していた涙。透き通った、とてもきれいな色をしていた。…ちなみに明日は土曜だぜ、有希。
 
 
 
▽▽▽▽▽
 
あたしは決意した。あの時は元気に振舞っていたけれど、やっぱり…あの日のことを思うと涙が出てくる。
キョンの記憶を取り戻さなきゃ。そうでないと、あたしは一生後悔する。そう悟った。
 
土曜日。朝早く、あたしはキョンを携帯で誘った。
 
『駅前に一時集合ねっ!いい?』
 
頑張って誘って良かった。キョンは今日一日、付き合ってくれると言ってくれた。
午後一時。あたしが着いて一分くらいしたあと、キョンが来た。
 
「よう、涼宮。」
「う、うん。じゃ行きましょ。」
 
キョンはやっぱり、名前で呼んでくれない。
 
 
列車に揺られて時は午後五時。あたしたちが向かったのは、あの場所だった。
 
「こんな田舎に、どうしたんだ?」
「ちょっと、ついてきて!」
 
あたしはキョンの手首を握って向かう。あの場所に。あの…湖に。
 
 
「もう…どうしてないの…!?」
 
あたしは泣きそうになっていた。だめ、泣いちゃったらキョンに格好が付かないじゃない。
でも、蛍が居た湖は何処へ探しても見つからなかった。
 
「涼宮、大丈夫か?」
「…っご、ごめんなさい…あたし…」
「謝るなって。」
 
キョンに申し訳ない…せっかくこんな所まで連れてきたのに…どうして…
 
「…蛍の湖か?」
「えっ…?」
「…探し出すぞ。絶対な。」
「キョン、覚えてるの?」
「さあな、そんなことは分からない。でも…お前が探してるんだろ?そこ。」
「う、うん…」
「じゃ、もっと探すぞ!」
 
キョンの優しさは変わらなかった。この優しさ…いつものキョンだ。
 
 
夕焼けだった空もすっかり夜になっちゃって、時刻は8時を越えていた。
 
「キョン…もう、いいよ…」
「涼宮…?」
「ありがとう、でも…これ以上キョンに迷惑かけられない。」
「お、おい…」
「本当にごめんなさい…じゃあ元来た道に…」
 
あたしが帰り道への一歩を踏み出そうとした時。
 
――それは、繰り返された。
 
一度、前に味わった変な実感。…あたし、また崖から落ちてるの?
キョンとの距離がどんどん離れていく。落ちていくあたしにキョンが手を差し伸べてくれたけど、あたしは…掴めなかった。
 
「…ハルヒ!!」
「…キョン!?」
 
キョンは崖から飛び降りて、あたしを抱きしめてくれた。だめだよ、また記憶なんか欠けちゃったら…
ザボォーン!!という、土の地面ではなく水面へ落ちた音。大きな水しぶきをあげて、あたしたちは水中に落ちて、助かった。
 
「キョン…さっき、あたしのこと…」
「…ハルヒ、見てみろ!」
 
あたしたちの周り一帯に、無数の蛍が自らの光を発して漂っていた。
 
「これって…」
「少し上に上っちまってたみたいだな…だけど良かった。お前の記憶が消えちまったらどうなることかと思ったよ。」
「ありがとう…キョン…それで、さっきあたしのこと何て…」
「前からずっとそう呼んでただろ?ハルヒ。」
「キョンっ…!!!」
 
あたしは思い切りキョンに抱きついた。
キョンは優しくあたしを抱きしめてくれた。…そして、唇を重ねあった。何度も、何度でも。
それからずっとずっと…あたしとキョンは、蛍の光の中で愛の言葉を言い合った。
 
――大好きよ、キョン。
――大好きだ、ハルヒ。
 
~Fin
 
 
 
 
 
エピローグ
 
▼▼▼▼▼
 
記憶が戻った俺は、それからハルヒと付き合うようになった。もちろん他の奴らには内緒さ。
…まぁバレてるかもしれないが、どっちでもいいだろ?そんなことはさ。
 
記憶が戻ってから初めて部室に行った日。朝比奈さんが大号泣で俺にしがみついてき(てくれ)た。
 
「ふわぁぁぁん、キョンくぅぅんー!よかった、よかったですぅ~…うううぅ…」
「そんなに泣かないでください、朝比奈さん。」
 
俺の制服の一部が既にビショ濡れですよ。
 
「えぐっ…えっえぐっ…」
「まぁ無理もないでしょう。僕も…すごく嬉しいですよ。あなたと二人の状況だったのなら、僕も朝比奈さんのようにしていたかもしれません。」
 
それは危なかった。こいつが抱きついてくることなど、想像しただけで血の気が引いてくる。
 
「ひどいです…僕だってその気になればっ…うっ…うっ…」
「お、おい古泉、本気にするなよ。」
「だって…あなたがそんなことっ…」
「ま、まぁまぁ…一回くらいなら。」
「本当ですね!?」
「っていうのは嘘だ。その嘘泣きには騙されないぞ、俺は!」
「ううっ…やはりひどいですね…。」
 
俺が古泉から目をそらすと、隅で本を呼んでいるあいつが目にとまった。
 
「長門!…そのだな、ありがと…な。」
「…?」
「お前のおかげで踏ん切りっつーか、心構えみたいなものがついたよ。本当にありがとう。」
「いい」
「今度美味いカレー屋でも連れてってやるよ!な?」
「…大好き」
「ん?今なんて言ったんだ?」
「…なんでもない。」
 
俺が団員達と雑談を交わしていると、いつものように奴が入ってきた。
 
「いっやぁー諸君!今日はキョンの記憶戻り祝いとして、パーティするわよパーティ!」
「パ、パーティだぁ?まさかここでか?」
「無論!その通りよ!さぁ、早く準備してー!鶴屋さんも呼んであげなくちゃねっ!谷口や国木田も呼んでもいいわよ!」
「おいおい、勝手に話をすすめるな!」
「あんたに否定権はないから!みくるちゃん、買出しいきましょ!」
「は、はぁいっ」
「楽しそうですね。今回はどんなものが食べられるのでしょうか。」
「古泉、お前も少しは反論してくれよ。」
「きっと僕にも、否定権はないのでしょう、あなたでさえないのならね。」
「なっ…お前まさか気付いて…」
「さぁ、僕たちはお客様方を招待しに行きましょうか。では行きましょう!」
「待て、俺はまだ承諾してないぞ!」
 
そう、俺はこの生活を楽しんでいる…。このメンバーが、好きなんだ。
 
 
 
 
Love Memory 完
 

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最終更新:2020年03月14日 00:17