@@@キョンとムスメの4日間 ―キョン(大)の陰謀― (3日目)@@@




3日目の朝である。窓から朝日が差し込み、雀やミイミイゼミ達がチグハグなアンサンブルを演奏しているようだ。俺は昨日の疲れもあってか、象に踏まれても起きないくらい爆睡をこいていた。
俺はしぶしぶ起き上がり、薄目状態のままカーテンと窓を開けた。夏とはいえ、高冷地特有の涼風と朝露、そして今はまだ柔らかい日差しが俺を向かい入れてくれた。
誰も起こしに来ないところを見ると、まだ起きるには早い時間なのか。あるいは俺の昨日の功労を称え、好きなだけ眠らせてくれているのかもしれない。
だが俺の惰眠をハルヒが許すわけはないので、後者の予想は無視しても良いと考えている。となれば、まだ朝早いのか?俺は重たい瞼を40%位開いて、目覚まし代わりに使用している携帯電話の時刻を確認した。
時刻は8時12分。そろそろ連続テレビ小説の時間であるが、俺は毎日見ているわけではないのでそれほど気にはしていない。しかし、微妙な時間である。既に行動を開始できる時間でもあるし、疲れているのであればもう少し寝かしてくれている時間でもある。
ま、ここで悩んでても仕方ないか。とりあえず朝飯を食べに食堂に向かおう。

「うぃーす」
俺はテスト時の戦友の言葉を借りて皆に挨拶した。最近奴の口癖が普通に出てしまっているのが良いことなのか悪いことなのか。普通に考えれば悪いことかなと思うんだが、何故か口に出てしまうのは奴に汚染されたせいだろう。俺は何も悪くない。
「おはようございます」
新川さんの全方位完全執事スタイルに迎え入れられ、また他の皆からも同じお言葉を頂戴することになった。一人を除いて。
「ハルヒはまだ起きてないんですか?」
「ええ。先程様子を伺いに行きましたが、未だお休み中でございました。昨日の疲れが抜け切れてないのでしょう」
俺の疑問は森さんが答えてくれた。ハルヒが疲れ切っているとは、余程の運動量だったのかも知れない。ま、早朝から山を登ってそのまま、ハイテンションで酒をあれだけ飲めばグッタリバタンキューするのも頷ける。
ハルヒはいくらバイタリティーに溢れているからと言っても、一女子高生である。疲れる時だってあるし、恐らく普通の人間の睡眠時間くらいはとるだろう。ただ、昨日何度も起こしたとはいえ、累計で半日ほど寝ている計算になる。いくら何でもそろそろ起きるだろう。

まさか!!

「あ、お食事の準備が……」
俺は森さんの言葉を最後まで聞かず、ハルヒの部屋まで一目散に駆け上がった。



「ハルヒ!ハルヒ!!起きてるか!!」
俺はハルヒの部屋のドアをガンガン叩いて返事を待っていた。俺(大)の言ってたこと不意に思い出したからだ。まさか、こんなに早くに……
「ハルヒ!!起きてるなら返事しろ!!」
ここで一呼吸。ドアの奥は沈黙を続けている。
ちっ!!こうなったら仕方ない!!
俺は強行突破することを決めた。ドアに手をかける。ん?鍵がかかってないじゃないか?俺が昨日何度も出入りしてたから、よく考えたら分かることだ。どうやらかなり動揺しているらしい。こんな時こそ冷静にならなきゃいけないってのに!

ガチャ。
ドアを開け、ハルヒの姿を探す。
「ハルヒ?ハルヒ!?どこ行ったんだ!ハルヒ!!」
ハルヒの姿はどこにも見当たらない。俺は不安が指数関数の如く膨れ上がっているのを感じた。

遅かったか……ちくちょう!!!
「ハルヒィィー!!」
俺が遠吠えとも絶叫とも似つかぬ叫び声を上げた、その瞬間。

『あ……』
別のドア――バスルームから出てきたハルヒと目と声があった。……よかった。無事だったか。
しかし、その姿は……

『な……』
またもや声が合う。……これは奇遇だな。


「…………こっ……こっ…………」
ん?鳥の鳴き真似か?



「この…………エロキョーン!!!!!!!!」



――俺はハルヒの黄金の右腕によって、1R開始7秒、TKOによりマットに沈められた。



「スマン。悪かった。この通りだ」

俺は目が覚めた後、ハルヒの前でひたすら土下座をしていた。
聞くところによると、ハルヒは朝起きて、飲み過ぎで頭がスッキリしなかったことと、寝汗をタップリかいたこととで、朝シャワーを浴びていたそうだ。
部屋には鍵がかかっていると思っていたし、掛けてないにしてもまさかノックもなしで入ってくるとは思っていなかったらしく(正確にはノックがシャワーの音でかき消されて聞こえなかったみたいだが)、着替えを部屋に置きっぱなしにしていたハルヒは、バスタオルで髪の毛を拭きながらシャワー室から出てきたところ、俺と鉢合わせたそうだ。
どちらかといえば昨日飲み過ぎたハルヒが悪い気がする。とはいえ、鍵がかかってなかった女の子の部屋に勝手に入ったことは許されるべきではないとは思っているし、俺だってそれくらいのデリカシーは持っている。ただ俺は昨日の一件もあって、ただただ心配だったわけだ。昨日の俺(大)の発言からすると、ハルヒに……。
いや、戯言だ。気にしないでくれ。とりあえず俺の杞憂で終わって良かった。あの俺(大)の爆弾発言を考えれば、ハルヒに殴られる方が1226倍くらいマシである。マシではあるのだが…………

「ホント悪かった。償いは必ずするから許してくれ」
いい加減許してくれ。ハルヒ。
ハルヒはアヒル口にキツネ目、天狗肌を合わせたような形相で俺をにらみ続けていた。
そして残念なことに今日はポニーテールをしていない。

しばらく達磨菩薩の如く厳しい顔をしていたハルヒだが、森さんの『わたしが責任を持って呼びに行くべきでした』という悔恨、古泉や朝比奈さんの『昨日の一件で一番心配をして他のは彼ですよ』、『涼宮さんの様子を見に何度も何度も部屋を訪ねてたんですよ』という助言、そして俺のこれ以上下げる事など不可能なとも言える、車検ギリギリローダウン低姿勢による謝罪により、ハルヒはようやく『今度あんな事したら除名処分よ!一族3代先まで入団拒否だからね!!』と言う条件付きで許してくれた。
昔は人前でポンポン服を脱いで着替え始めていた奴なのに、今更全裸を見られたくらいでそんなに怒らなくてもいいじゃないか。それとも、生まれてこの方守りつづけていたガキ大将の地位を辞退し、ついに思春期に突入したのか?
ちょっとそんなことを言いたい衝動にも駆られたのだが、今そんな事言ったら森さんと俺と古泉と朝比奈さんの苦労が水の泡と化すると思われるため、言うわけにはいかない。結局ハルヒの条件を飲んで黙りこくってしまうことにする。
朝から一悶着あると言うことは、本日一日は最悪ダーク四苦八苦な体たらくであることは間違いない。俺は全世界にディサピアーフィーリングを発信しつつ、本日のイベント――湖畔の不思議探索へと向かった。
なお、今回ハルミは家でお留守番である。今回は命令されなかったし、もう連れて行きたいとは思わないからな。

湖畔の探索は二手に分かれて行うこととなった。即ち、湖周辺の探索と、湖の中の探索である。
湖の探索は二日前にざっとやったような気がするが、涼宮ハルヒは電気ポットのエンプティ―レベル以下の満足度しかなかったらしく、もっと精密な検査を調べるべきだと言い出したのだ。つまり、意外と深い湖底まで潜って穴や祠などがないかを調べるといったことをするらしい。湖畔の捜索も似たような物だ。ただ湖中と違って水に濡れることはないが。
朝早い時間から潜るには水が冷たく、体に対する負担も大きいと思うのだが、ハルヒは香車の如く前進し、金に成り上がりもせず将棋版を突っ切って暴走するイカレ女である。何を言っても無駄であるのはSOS団設立から分かり切っていることであり、なおかつ俺を除くと反対する人もいない。
そしてその俺だが、さっきの負い目もあって異を唱えるのを躊躇っていたため、ハルヒの案は賛成3、棄権3で可決された。
あ、分かっていると思うが、賛成したのはハルヒと鶴屋さんと古泉だ。朝比奈さんは『え?え?』と戸惑っているだけだし、長門は俺に目線を合わせてそれ以上何もしなかった。
やると分かったら早速恒例のクジによる班分けだ。今回は鶴屋さんも加わっていることもあり、3人3人、2組の組分けである。何度も言うが、さっきの件もあり、俺はハルヒと同じ班になる可能性を少し躊躇していた。できれば朝比奈さんと長門の組と一緒になりたいものだと切に願っていた。まあそれは贅沢だな。そのうち一人を古泉と入れ替わってもこの際文句は言うまい。それで良いからハルヒと同じ組ってのだけは勘弁願いたい。
天照様観音様アッラー様デウス様もう誰でも良ひから我が願いを聞き給へ。

「うーん、この組み合わせね」
ハルヒはラクシュミと夜叉の顔をまだら模様に混ぜ込んだかのような表情で、クジを引き終えた皆を見つめていた。
肝心の組み合わせだが、一つは俺、朝比奈さん、長門。そしてもう一つがハルヒ、古泉、鶴屋さんだ。
神頼みってのは通じるもんなんだな。俺の願い事を叶えてくれるとは。これはかなりラッキーなのかも知れない。俺の今日一日のアンラッキーは早速取り消された。さてさて、お礼参りはどの神様にすればいいのかね。一人だけだと他の神様が怒るかもしれないからやっぱり全員に御礼をしなければいけないだろう。やれやれ。こんなことなら一人だけ頼んでおけばよかったよ。
「で、ハルにゃん!どっちが潜るんだい!!」
鶴屋さんの一声で俺は現実世界に駆け戻っていった。そう言えばこいつは、片方の班は潜ることを前提としていたようだったな。いくら何でも潜っていては俺に安楽の時間は与えられないような気がする。とはいえ、ハルヒは二日酔いの病み上がりだ。そんな奴を冷たい湖に潜らせるってのも憚る。もしかしてそれが原因でハルヒは……

「なあハルヒ。お前はまだ体調が戻ってないだろ?俺が代わりに潜ってやるからお前は止めといた方が良い」
気づくと俺はハルヒの代わりに潜ることを提案した。何故だろう。分かっているが疑問形で尋ねることにする。
ハルヒは暫く口をひん曲げて黙っていたが、『みくるちゃんたちはどうなのよ?』と聞き返してきた。
「わ、わたしは構いませんよ。全然。あまり泳げないから手助けになるか分かりませんけど……」
「…………問題ない」
二人はそれぞれ水中に潜ることの許可を得ていた。俺とハルヒが交代するだけでいいと思っていたのだが、どうやら他のみんなは班同士で交代することを考えていたようだ。二人がいいのなら反論はないと考えているし、それで構わない。と言うわけで、俺たちが湖中を探索する側だ。

……と、思ったのだが、反対意見が出た。それは意外な人物からだった。
「駄目よ。あんた達は湖周辺の探索をしなさい。あたし達が潜るわ!」
ハルヒ!?
なんということか、ハルヒは俺たちの申し出を断り、自ら潜ることを宣言した。さすがに今回だけは俺も引き下がらない。理由を聞き返したが、案の定ハルヒは、次に述べられるような台詞を吐いたのだ。
「あんた、みくるちゃんと有希の水着姿をまた拝めると思ってるでしょ!?そんなにこの合宿は甘くないわよ!!」
おいおい、人が心配しているってのにそんなことかよ。確かにそれはそれでありがたいが、俺はお前の体を一番に心配しているんだ。体調不良で湖に潜ってそのままドザエモンってのはいやだろ?

「……わかったわよ」
ハルヒは親にしかられた子供のようにふてくされながらも、俺の言うことに同意してくれた。
「あたし達はドライスーツと酸素ボンベを持って潜るから、それでいいでしょ?それに古泉君から聞いた話だけど、多丸さん達はスキューバのインストラクターの資格もあるらしいから、もしもの時も大丈夫だと思うわ。それでいいでしょ?」
いや、同意してなかった。どうしても湖に潜りたいらしい。
古泉と鶴屋さんはもとより反対する気は無いらしく、俺とハルヒのやりとりをただじっと見つめていた。
ここで俺の脳裏に不安がよぎる。どう言う訳か、今回は二人ともニヤケ顔は微塵も感じさせず、俺たちのやりとりを真剣に聞いているようであった。いつもと違うその表情に、俺はむしろ大憂大患を感じてしまった。
もしかして俺のしていることは間違っているのだろうか?そんな感情に襲われた。

……わかったよ。俺が折れれば良いんだろ?

俺はハルヒに何か異常があったら直ぐに引き上がるように言い聞かせた。そして古泉と鶴屋さんにも、おかしいと思ったら引き留めて欲しいとお願いした。そうしないと持ち前のパワーと気力だけで突っ走るこいつのことだ。体がボロボロになってもやり続けるに違いない。今日のハルヒは湖に潜ることに固執しているからありえそうな話である。
「あたしがいないからって二人にエロイ事しちゃだめだからね!」
ハルヒはやたらと名残惜しげにそのフレーズを連呼していた。
はいはいわかってますって。それよりお前こそ無理すんなよ。お前の体の事が一番気がかりだからな。
「・・・・・・・・」
え……?今、何て……?
ボソッと呟いたハルヒに思わずもう一度聞き返そうとした。しかしすでにハルヒは遠く離れてしまっている。準備のためペンションに戻ったのだ。

俺は少々呆然と立ちつくしていた。ハルヒがあんな事を言うなんてありあえないと思ったからな。
声は小さくて聞こえづらかった。ただハッキリと俺の鼓膜には聞こえていた。それは恐らく、涼宮ハルヒが俺に向かって言った言葉の中でベスト3に間違いなく入る、印象的かつ初めての言葉ではなかったかと思う。
それは――



心配してくれてありがと、と言う、感謝の言葉。



そして午前の探索が開始された。探索というのは名ばかりの湖畔ウォーキングになるんだけどな、面子が面子だけに。
だから一人で気兼ねなく考え事ができるってことだ。
俺が考え事をしなければいけなくなった昨日の一件――俺(大)が言った、あの言葉。特に“あれ”が聞き捨てならない。本当にそんな命令に従ったほうがいいのか?それとも突っぱねたほうがいいのか?
個人的には突っぱねたい。だがしかし、それでは俺、そして恐らく全人類の未来に不幸が訪れる可能性だってある。
かと言って、このままでは……
………
……


だめだ、俺一人じゃ妙案が浮かばない。どうすりゃいいんだ?
俺は頭を抱え、そして左右に振っていた。傍から見たら異様な光景かもしれない。
そして俺は目が合った。俺が黙っているせいなのか、主人の帰りを待つ愛犬のようにじっと俺のことを見つめている朝比奈さん、そして真っ直ぐ俺を見据えながらも、黙々と歩きつづける長門。二人の目線が俺に集中していた。
そうだ、俺は今一人じゃないんだ。宇宙人や超能力者、そして俺の味方をしてくれるであろう未来人だっている。あの何もかもが冷たく感じた、あの3日間とは違うんだ。
一人で解決できなければ皆に意見を聞けばいいんだ。素性は不明だが、この3人は俺を助けてくれるはずだ。
そうとわかったら早速実行あるのみ。古泉はそのうち勝手に喋ってくれるから問題ないのだが、この二人にはこちらから聞いておいたほうが良いかもしれない。先ずは朝比奈さんに聞いてみよう。

「朝比奈さん、昨日の時間停止の際、未来から何も指示を受けてなかったんですか?」
「え?ええ。何も聞いていません。もし指示されていたらあんなには取り乱さないと思います」
朝比奈さんは、俺の突拍子も無い質問にも関わらず、勝ち構えていたかのように、そして朗らかな表情を見せながら答えてくれた。
そして俺は『そうですか』と呟いて、ある疑問点について考察していた。

この時間、この周辺に朝比奈さん以外の未来人――俺(大)が来ているのは、昨日のハルヒの会話から、そして俺自身の体験から明らかになっている。
そして恐らく、朝比奈さん(大)も。ゴージャスな朝比奈さんに関しては、合宿出発前に見たのを最後に顔を合わせてはいないが、事の始まりに顔を見せたって事は恐らく裏で暗躍しているのであろう。つまり、未来人がこぞって何かを企んでいるのには間違いなさそうだ。
以前に未来人の目的話は聞いた。確か自分たちの未来と整合が取れるように過去の人間を導く、みたいな感じだったかな。ただ、今回も前回と同じく現状では意味が全くわからない。赤ちゃんと一緒に登山をさせたり、俺に死ぬほど恥ずかしいセリフを言わせたり、そして俺(大)がハルヒにキスしたりすることに、どれだけのアクセスポイントがあるのだろうか?
個々に考えれば分からなくも無いけどな。登山はハルヒとハルミを仲良くすること。あの失言は停止した時間を元に戻すこと。キスは俺へのヒント。だが、それがどう未来とつながっているのかいまいち分かりにくい。
以前の朝比奈さん(大)の命令も一貫性のないものばかりで、大きくは繋がっているものの、個々に関しては一見つながりが無いようなことばっかりだった。
今回の件もやっぱり大きくは繋がっているのだとは思うんだが、俺には壮大なストーリー過ぎてわからない。
 そしてやっぱり意味不明なのは、昨日、俺(大)が言ったあの……

「キョン君?どうしましたか?」
ふと横を見ると、朝比奈さんがとても心配そうな顔で俺を見つめていた。
俺はまた一人の世界に浸り、堂堂巡りをしていたようだ。朝比奈さんに色々聞こうと思ってたのにな。
「いえ、なんでもないです。すみません」
「キョン君。昨日の夜辺りから少し様子が変ですね。大丈夫ですか?何か相談できることがあったら言ってみて下さい」
朝比奈さんの慈悲の声を賜り恐悦至極に存じ上げるのだが、俺を悩ます種はまさかあなた自身なんです――とは言えない。この朝比奈さんには罪は無いからな。エンジェルがサキュバスに変わって朝比奈さんを蝕む瞬間は何時なのだろうか?その瞬間がわかったら是非教えて欲しい。今からでも悪魔払いに行ってやるから。
そんなわけで、朝比奈さん(大)に対する不満が募りつつあった俺は意地悪質問をしたくなってきた。今から朝比奈さんに俺の考えを伝え、将来朝比奈さん(大)のような人間にならないための措置を講じることにした。
「朝比奈さんは、自分の意に添わない命令をされたことがありますか?例えば、自分やその関係者……そうですね、自分の大切な人に不幸が降りかかるとわかっていても、未来のためにそれを黙認、あるいは助長しなければいけない、みたいな」
朝比奈さんはうんうん唸りながらも答えを模索していた。俺のこんな質問にまじめに答えるあたり、本当に朝比奈さんはいじらしい。
「うーん、わたし自身はそんな命令をされたことはありませんが、わたしの上司に当たる人は、そのような命令を受けたことがあるそうです。自分の最愛の人に不幸が訪れてしまう結果が既にわかっていたそうです。そしてその不幸の現場に自分が立ち会うことも。でも上司は既定事項を守ったそうです」
「その上司は、自分の最愛の人を裏切ったと言うわけですか?」
「命令でしたから。仕方なかったのだと思います」
「でも、命令だからと言ってそんなに簡単に諦められるものなんですか?自分の最愛の人なんでしょ?」
「未来のため、自分のため、そしてなにより最愛の人のためにもなることだったのです。その命令自身が。あ、最愛の人に不幸が訪れるとは言いましたが、決して死んでしまうってわけではありません。詳しく喋るのが禁則事項に該当するので上手くいえないけど……『肉を切らせて骨を絶つ』みたいな命令だったの」
「最愛の人に怪我をさせて、目標を殲滅……みたいな感じでしょうか?」
「――やっぱり禁則です。言えないみたいですね。御免なさい。でもその命令後、上司は三日三晩泣いたって仰ってたわ。仕事も休んで。無理も無いと思います。やっぱり、後悔することは多々あったみたいですから。……こんな内容でよかったかな?」
「ええ、少しは気が紛らせました。ありがとう御座います」

俺はこの質問をここで打ち切った。本当はこの朝比奈さんに、上司と同じような命令を受けたらどうしますかと聞きたいのだが、そんなことを言ったら朝比奈さんが泣き出して狂ってしまいそうだったので俺の胸三寸に納めておくことにする。この質問はもう少し成長した朝比奈さんに聞くことにしよう。この朝比奈さんのお陰でいい話しも聴けたしな。未来人とはいえ、未来のためとはいえ、無茶な命令には耐えかねる時もあるようだ。古泉の機関同様、未来人の所属する組織にも加わりたくないな俺は。
しかし、朝比奈さんの話に出てきた上司と俺との大きな違いが一つある。それは話に出てきた上司、つまり未来人は、より未来のことを知ることができる。だから今後起きることを事前に把握し、もし自分の運命に避けられない事があったとしても、事前の知っている分有利である、」踏ん切りもつくだろう。
朝比奈さんの上司には悪いが、未来が分かったからこそ、三日三晩泣くだけで済んだのだと思う。
でも俺は未来人ではないし、ましてや未来のことを知ることができない。いくら未来のためだからといって、現実に不幸となり得る事を受け入れるのは到底できない。

「長門。お前はどう思う?」
同じ質問を長門にもしてみた。
「…………命令は速やかに遂行し、達成させるもの」
「それで、自分の身に不幸が降りかかるとしてもか?」
「そう」
やっぱりな。こいつはそう言うと思ったさ。こいつなら身近な不幸は全て消去することもできるだろうしな。
「わたしは有機生命体ではない。ヒューマノイドインターフェイス。情報統合思念体の命令を速やかに実行し、行動するように作られている。でも、あなたはそうではない。あなたの行動を決めるのは、あなた自身」
長門、ありがとな。お前は俺の気持ちを良く分かってくれているみたいだ。
だが俺は聞きたいのは、俺が朝比奈さんに聞けなかった質問の方だ。我ながら意地悪だとは思うが、長門なら感情の変化なしに答えてくれるに違いない。
「長門。お前の親玉から俺やハルヒを抹消しろと命令が下ったら、お前はどうする?」
「涼宮ハルヒは進化の可能性。あなたはその鍵。情報統合思念体がそのような命令を出すことは無い」
「いや、そう言うことじゃなくてな、万に一つの可能性のことだ」
「万に一つも無い」
「いや、だからな…………」
「ただ、あなたの言いたいことは分かる。あなたはわたしが抹消されそうになった時、助けてくれた。今度は、わたしの番」
長門ははっきりとこう言った。


「わたしが、させない」


――俺は何だか自分が情けなくなった。二人に変な質問をしたことに。
そうさ、俺は一度決めたことなんだ。未来人の命令に背くって。それなのに何を迷って、あまつさえ未来人や宇宙人に助けられてどうする?
何だかんだ言って俺も躊躇していたんだろうな。本当にそれでいいのか、ってな。
あの微笑に誓ったのに、情けねえ。
だが長門のお陰で目が覚めた。



――あの命令は絶対聞き入れないからな。



その後特に不思議なものも見つかるわけもなくただブラブラしていた俺たちだったが、昼飯の時間になったため、一旦ペンションに集まることにした。もう一方のチーム――ハルヒ達の湖中探し部隊は既にペンションに戻っていたが、中心人物であるハルヒの姿が見当たらない。
古泉。どうしたんだハルヒは?
「それがですね、『ここには絶対不思議なものがあるから、あたしはもう少し探しているわ!先にご飯食べてて!』と仰って、ずっと探索をしているのです。念のため、裕さんが一緒にはいるんですが……」
相変わらずパワーの有り余ってるやつだ。昨日の二日酔いも完治しているとは言いがたいのに……ん、ちょっと待て。
「古泉。あいつの体力は持つのか?体調が悪いんじゃなかったのか?」
「ええ、僕もそう思いまして、助言はしたのですが聞き入れてもらえませんでした」
「何やってやがる。お前はそれでも参謀か!?あいつの身に何か遭ったらどうするんだ!?無茶してでも止めないでどうするんだ!」
気がつくと、俺は古泉に食い下がっていた。何故だかはわからない……ことにしておく。
「……申し訳御座いません」
俺の滅多に見せない怒号に、古泉もまた素直なまでに自分の非を認め、謝罪していた。

「ごめんよ!!あたしからももっと強く言っとけば良かったと思うよ。でもハルにゃんには鬼気迫るものがあってね!どうしてもやり遂げたいみたいだったから、止めようって言うのが憚れたんだ!!ほんっとめんごっ!!」
謝罪を告げたのはなんと鶴屋さんであった。俺は鶴屋さんの真摯な態度に心がブリーチングされ、そして謝罪の言葉を述べる羽目になった。
「――いえ、こっちこそ熱くなっちゃって。鶴屋さんすみません。それに古泉もな。それより、早くハルヒを止めた方がいい」
「キョン君、どうしたんだいっ!?昨日あたりからハルにゃんのこと、ものごっつい心配しているみたいだけどさ!!ハルにゃんは病気か何かなのかい!?」
鶴屋さんのカンは本日もなかなか冴えている。当たらずも遠からずと言ったところだ。勿論そんなことはおくびにも出さないようにする。俺だって真相は知らないし。
「いえ、ただ二日酔いで水の中に潜ったりしたら体力も奪われるし、危険だと思いましてね」
「そうかいっ!!ならいいけどさ!キョン君がそこまで思いつめるなんてよっぽどのことかと思ってね!!」
やれやれ、鶴屋さんに隠し事はできないな。そんなことを思った瞬間でもある。

俺はハルヒたちが潜っていると思われる湖の辺に来て、二人を探していた。辺りに人の影は見られない。酸素ボンベも持っていたし、深く潜っているのかもしれない。
待つこと数分後、盛大なしぶきと共に二人の姿が現れた。
「ハルヒ!!」
俺はハルヒに聞こえるように叫んでいた。ハルヒは俺の姿を見つけるや否や、ボンベを外してこちらまで泳いできた。
「キョン。何か見つけたの?」
「いや、特に。お前がずっと戻ってこないからって心配してたんだ。一旦上がれよ」
「――もうちょっとだけいいでしょ?」
「ダメだ。いいから一旦上がれ。ドライスーツを着ているとはいえ、湖の中に長時間潜っていると体温を奪われてしまうぞ?それにお前の調子は万端じゃないだろ?」
ハルヒはうーと唸りつつ、俺と湖を交互に見渡していた。
「湖で、何を探しているんだ?」
「………………」
ハルヒは何も語ろうとはしない。
「俺も手伝ってやるから。教えてくれ」
俺がそう言うと、ハルヒはポツリポツリと話してくれた。昨日、ハルヒがジョンについて語った時と同じような口調で。

「…………ジョンが……教えてくれたの」

は?
「夢の中で、ジョンが教えてくれたの。『大切なものは、お前が望む場所にある』って。夢だったんだけど、すごくリアルな夢だったから。あたしが見たリアルな夢って……ううん、なんでもない」
ハルヒはなにやら話し掛けて自分から中断した。話の続きは不明だが、夢を見たハルヒがお告げどおりの行動をしようとしているのだけは分かった。だが、何で湖の中なんだ?
「今回の合宿であたしが望んでいたのは湖だった。偶然鶴屋さんの紹介で湖のあるこのペンションってことになったけど、あたしが望んでいるものがその通りになるなんて不思議じゃない?だから湖の中に何かしらあると踏んだの」
ハルヒが爆弾をスタンガンで刺激する位過激な発言をした。もしかしたらこいつは本当に自分の能力について気づき始めているんじゃないだろうか。
まあもしハルヒの話が本当なら、ハルヒが望むものが湖底にあってもいいはずなので、そこまでハルヒの思考もご都合主義にはできていないらしい。
「ってことは、湖の中にあるって訳じゃない可能性だってあるわけだ。とにかくもう水の中から上がれよ。そして一旦休め。次の機会に俺も探してやるから」
「……わかったわ」
そう言ってハルヒは湖の辺まで泳いできて、そして陸に上がった。
思ったよりあっさりと引き下がってくれて何よりだ。本当はもう少しゴネると思っていたんだが。
その代償なのだろうか、逆に俺は厄介な仕事を押し付けられてしまった。即ち、『ハルヒの大切なものを探す』というRPGゲーム風のミッションである。今後未来人の仕事斡旋は受け付けないはずだったが、あっさりとその条約を破ってしまったようだ。ハルヒを盾に仕事を頼むとは卑怯にも程があるぜ。
朝比奈さん(大)、そして俺(大)。



ハルヒを湖から上がらせ、取り敢えずご飯を食べることとなった。お昼は地元で取れたざるそばだ。ハルヒは冷えているから暖かいものがいいと俺は言ったのだが、ハルヒは大丈夫と言ってざるそばを5人前ほど平らげた。それだけ食欲があれば大丈夫かもしれない。
そして午後の探索。場所はダム近くにある廃村。ダムで沈んだ家もあるそうだが、何件かはダムに沈むことなく建物だけひっそりと佇んでいるとのことだ。
廃屋群は大きく分けて三ヶ所あるらしい。一つはペンションから見える、向かいの湖畔側、一つはダムと湖との中間にある集落。そしてもう一つはダムに程近い場所。順番にペンションから遠ざかっている。
3箇所全てを一グループで回るにはホネなので、6人を2人ずつ3つに分け、それぞれ調べることを提案したハルヒはいつものクジで班分けを行った。
今回の班分けは、朝比奈さんと鶴屋さん、古泉と長門。そして残り、幸運を午前中に使い果たしてしまった俺はハルヒと一緒になってしまった。
「キョン。さっきの約束覚えているわね。あんたも手伝いなさいよ」
ハルヒは不敵な笑みで俺を睨めつけた。なんという組み合わせだろうか。もしかしてさっきの俺の一言がこのようにクジ分けをさせたのだろうか?だとしたらとんでもないことを言ってしまったのかもしれないな、俺は。



まあ実際、とんでもないことになった。勢いとはいえ、俺は取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない。
俺の未来を決定付けるような、有体に言えば人生の大きな分かれ道で、どの道に進むかを決めてしまったのだ。

もう、後戻りはできない。



それぞれの探す集落であるが、湖畔の向かいは朝比奈さん鶴屋さんチーム、中間地点は古泉長門チーム、そしてダム地点は俺ハルヒチームとなった。俺たちの探すダム地点の集落は、少々遠いところにある。徒歩専用の近道もあるそうだが、上り坂の連続であるため、近くまでバスで運んでもらうことにした。
二人だけで乗るバスってのは、何だか空しいものを感じる。そんな気持ちがあったのだろう。俺は先ほどから憂鬱真っ盛りな顔で外の景色を眺めているハルヒに声をかけていた。
「なあ、お前の大切なものってなんだ?」
「さあ、わかんないわ。でもジョンが言うからたぶん本当にあるんじゃないかと思うんだけど」
「どこに?」
「さあ」
「見つけられるのか?」
「さあ」
「おいおい、さあばっかりじゃないか。本当に見つけられるのか?」
「さあ。でも、あんたが手伝ってくれるんでしょ?」
「ああ、まあな」
「なら見つかるかもしれないわ。あんた、何となくだけどジョンに似ているところあるし、それに、あんたなら意味を分かってくれそうだから……」
「どういうことだ?」
だがしかし、ハルヒは質問には一切答えず、顔を逸らして窓の奥、微かに見えてきたダムをただじっと見つめていた。


これ以降、バスの中で何も会話を交わさなかった。



バスから降りたところはダムの間近であった。湖の水がここに流れてくるらしい。ダムから放出される水はさながら滝のようである。
そのダムを山づてに見ると、木々の間に古びた家が数件並んでいるのが見えた。先ずはそこまで移動し、どこが怪しいか調べることにした。
既に獣道と化した叢を掻き分け登ること数分。集落までたどり着いた俺は、そのうちの一軒、庭で獅子脅しが一人寂しく音を鳴らしているのが目に付いた。
「そうえいば、廃屋もお前が望んでいたものの一つじゃないのか?この合宿中で」
俺は廃屋に不法侵入し、ダイニングキッチンだったと思われる空間に土足で入り込んだ。廃屋とはいえ、それほど古い作りではない。せいぜい20~30年ほど前の佇まいで、中には捨てずに残してあるのだろうか、台所には古い電子レンジやリモコン式ではないテレビまで置き去りにしてあった。
「そういえばそうね。湖の中って考えたのは早計だったからしら?」
ハルヒは使われて無いであろう冷蔵庫のドアを空け、物色していた。先ず冷蔵庫をあさるとは、どこまでも意地汚いやつだ。もし食料が出てきたとしても俺は食いたくない。
「何だ、確証があって湖に潜ったわけじゃなかったのか?」
階段を上りながらハルヒに問い掛ける。階段は腐っているわけではなく、普通に上れた。
「確証は無かったけど、怪しい場所その一だったのよ。徹底的に調べ上げるのは当然じゃない?」
ハルヒも2階に上がっていき、違うドアをあけて部屋を見渡している。そしてドアを閉める。面白そうなものは無かったらしい。
「確かにそうかも知れんが、相変わらず猪突猛進だなと思ってな。もう少し考えてから行動した方がいいんじゃないのか?」
俺も別のドアをあける。ベッドが一つ、布団が敷かれたまま置かれている。寝室だったらしい。
「――悪かったわね」
こちらを睨みつけていたハルヒは、への字に口を曲げて階段を下りていった。どうやらハルヒが探しているようなものは見つからなかったらしい。

他の廃屋も見て回ったのだが、特に何も目新しいものは発見できなかった。当然と言えば当然だが。
「おっかしいわね。どこかに隠れているのかしら?強制捜査が必要ね」
今だって必要十分以上の強制捜査をしてたと思ったのだが、気のせいだったんだろうか。それよりお前はまだ体力が完全ではないんだろう?もう戻って休んでた方がいい。
「大丈夫よこれくらい。そりゃちょっとは頭がボーっとするような感じはあるんだけど」
ほれ見ろ。二日酔いで体力が落ちていると言うのに冷たい湖に長時間入っていたから体温が下がってきているんだ。いい加減休まないと風邪を引くぞ?
「うっさいわね。大丈夫ったら大丈夫よ。それより目的のものが見つかるまで――」
ハルヒは俺の方を見て硬直していた。どうしたハルヒ?

「ジョンが――いたっ!!」

ハルヒは一目散に駆け出し、俺の後ろを通り過ぎていった。
おい!ハルヒ!!無茶するな!!
しかしそんな俺の命令は先程から無視し続けられているため、聞く耳をもつわけがなく、森の茂みの中に消え去った。
ハルヒが心配である。俺もジョンを探しに行くことにしよう。



――結論から言おう。ジョンだけではなくハルヒも見失った。ハルヒの足の速さは陸上部顔負けである。それに体力が根本から違う。この山の中を縦横無尽に駆けずり回れるのはサルかハルヒくらいのものである。

俺は走るのは諦め、空を見上げていた。雲行きが怪しい。これは夕立が来そうな天気である。ハルヒのやつ、無茶しなきゃいいんだが……



「はぁはぁ、見つけたわよ、ジョン!!」
「さすがはお前だ。お前なら俺を見つけ出し、付いてくると思ったよ。無茶なことは得意だったよな、昔からお前は」
「あたしは『お前』って名前じゃないわ!涼宮ハルヒよ!!」
「そうか。ではハルヒ。改めて聞くが、なぜ俺を探していた?」
「決まってるじゃない!何故あんたがあたしに助言めいたことを残していくのか、どうして最近になってあたしの周りに現れたのか聞くためよ!」
「…………」
「あんた……あんた卑怯よ!!あたしが会いたいと思った時には出てこないで、あんたのこと忘れようと思った時に出てくるなんて、卑怯にも程があるわ!!」
「――なるほど、それだけ俺が好きだったって事か」
「!!!」
「図星か。あの時のチビがこんなに美人になるなんて、惜しい事したな。もう数年したら俺のほうからお願いしたいくらいだ。しまった、あの時に口説いておけばよかったかもしれないな。ロリコンと言われようと、光源氏と比べたらまだ可愛いもんだ」
「だっ!誰があんたなんか……」
「だが、それはできない。そしてお前の気持ちに答える事はできない」
「!! なっ!なんで!?」
「それはな、俺には心に決めた人がいるんだ。――来てくれ」



――俺がハルヒと未来人を見つけたのは、正しくこのタイミングだった。同時に、ものすごい勢いで雨が降り出した。
――今思えば、この雨はハルヒの心境を映し出していたのかもしれない。



「こんにちは。えっと、涼宮さん」
「――え?あなたは……?」
「あなたとは初顔合わせかしら?でも、あなたは寝ているわたしを見てたとジョンに聞きましたが……」
「もしかして、あの時ジョンが負ぶっていたお姉さん……?でも、あの時ジョンは自分の姉ちゃんって!」
「それは嘘だ。本当は俺の彼女さ。あの時はまだ俺も若くてね。照れ隠しをしていたんだ」
「ありがとう、涼宮さん。あなたのおかげで、わたしの持病が治ったのよ」
「え?」
「俺が言ったろう?彼女が突発性眠り病にかかっているって」
「そんなふざけた病気あるわけ……」
「病名は嘘だが、症状は本当なんだ。あの時のお前に病名を言ったところで理解してくれるとは思ってなかったからな」
「徐々に眠る時間の方が長くなって、最後には永遠に目を覚まさなくなるという、この世界の医学では治すことのできない難病だったの。でもあなたが治してくれた」
「……あたしが?でもあたしは何もしてないわ」
「いいや、十分してくれたよ。あのグラウンドのメッセージさ」
「あれが?何で?」

「『わたしは、ここにいる』」

「え!?なんで意味を知ってるの!?」
「あのメッセージのお陰で、俺たちは自分たちの世界へ帰る方法を取り戻したんだ。自分たちの世界で彼女の病気を治し、そしてお前にその御礼をしようと思ったのがつい先日だ」
「自分たちの……世界……?」
「わたしたちの医学でも、治すのに数年かかりました。でももう今はこの通りです。本当にありがとう御座いました」
「あの時の礼として、お前を導くことを決めたんだ。お前が望んでいるような未来を導くため、俺たちがヒントを出すことに決めた。どうだ?少しは役に立ったか?」
「う、うん……でも、なんでこそこそと……」
「俺たちにもいろいろあってな。こそこそとやらないといけないこともあるんだ。さっきも言ったとおり、俺たちはこの世界の人間じゃないからな」
「まさか、異世界人ってこと?でもあんた、異世界人に知り合いはいないって……」
「よく覚えているな。あの時は確かに異世界人の知り合いはいなかった。でもこうして知り合うことができた。涼宮ハルヒ。お前に」
「ジョン……」
「わたしたちは、この世界にいてはいけない存在なの。だからもう帰らなければいけない。でもその前にあなたを一目見ることができて、そしてお礼ができてよかったわ」
「お前には戸惑いがあった。人間関係で葛藤があった。だがそれはほぼ解消された。誰のお陰かは……分かってるよな?」
「……うん」
「それならいい。そいつを信じていけば問題ない。俺たちの代わりにそいつを頼んだぜ」
「もう、会えないの?」
「恐らくな。だが心配しなくてもいい。お前には……」
「……あいつがついているから、でしょ?」
「正解だ。それじゃ時間だ。あばよ!」
「本当にありがとう」
「ジョンも、彼女とお幸せに!!」



「世界を大いに盛り上げるためのジョン・スミスをよろしく!!」



廃屋から少し上った山の中腹。そこの崖の一歩手前から、向こうの崖を見ながら一人で佇んでいる。
途中から見てたものの、豪雨のせいで誰がいたのかも、どんな会話をしていたのかも詳しくは分からない。
さらにこの雨で俺の足音もかき消されている。そのためハルヒは俺が接近しているのに気づく様子はない。俺は途中から見ていたのだが、敢えて今ここに到着した振りをすることにした。どうしてかというと、……さてどうしてだろうね。俺にも分からん。

「ハルヒ!?どうしたハルヒ!?」
「え……あ、キョン」
「どうしたんだ。雨の中突っ立ってて。タヌキにでも化かされたのか?」
「うーん、そんな感じ。ころっと騙されていたわ」
「ふっ、なんだそりゃ。でもまあ、考え様によってはいいことじゃないか。不思議な体験ができたんだからな」
「そうね…………」
言うハルヒの返答に覇気がない。まるで七夕時のメランコリー状態を彷彿とさせるハルヒであった。
「雨が強くなってきたし、帰るぞ。ハルヒ」
「…………うん」

ピカッ!! ゴロゴロゴロゴロ…………

突然の雷。かなり近い。そして、雨は霰へと変化していた。
ごま粒大の霰がやがて大きくなり、今ではBB弾サイズとなっている。そして粒は更に大きくなっていく気配を見せた。
「大変だハルヒ!!こんなの食らっちゃひとたまりも無い!!一旦廃屋の辺りに非難するぞ!!」
俺はハルヒの手を引っ張り、山を駆けていった。
意外にもハルヒはおとなしくついてきてくれた。



俺たちが廃屋の一つ――一番初めに調べた廃屋だ――に着いたときは、霰はビー球サイズにまで巨大化していた。降ってくる氷の玉は痛いなんてもんじゃない。この状態ではペンションに戻ることもままならない。
仕方ないので、雨宿りを兼ねてこの廃屋で休むことにした。
ペンションに連絡を入れ、二人とも大丈夫なこと、霰と雨が止んだら戻ることは既に伝えてある。この辺一体が携帯の圏内である事は不幸中の幸いである。先程も言ったかもしれないが、廃屋とはいえ、作りはしっかりしており、突然の霰とはいえ雨漏り、いや、霰漏りがするようなことはなく、安心して休むことができそうだ。
そういえば服はビチョビチョの濡れ鼠状態だ。山の気温は低いこともあり、服を脱いで乾かさないと風邪を引くのは目に見えている。特にハルヒは体温が低下しているだろう。
俺は家中の箪笥やクローゼットと引っ掻き回し、水分をふき取れるものは無いか探していた。これまた幸運にもバスタオルやフェイスタオルが何枚か出てきたため、ハルヒに数枚タオルを渡した後、俺とハルヒは別々の部屋で服を脱ぎ、体を拭く事にした。びしょ濡れになった服は風通しの良い一階のダイニングルームで干すことにした。
2階にいるハルヒに濡れた服を乾かすように進言したところ、拳骨一つ分開いたドアの隙間からハルヒがそれまで着ていた服を全て渡され、『あんたが干しといて』と言われたときはドキッとしたな。Tシャツにホットパンツに加え、なんとハルヒのカチューシャと同じ色のブラとショーツまで手渡された。全てぐっしょり濡れている。
下着まで俺に手渡してくるとは思わなかった。よほど俺を信頼しているか、俺を男と思っていないかのどちらかだろう。
俺はハルヒから手渡された衣服をもう一度良く絞り(下着まで絞るのは少し恥ずかしかった)、これまた置き忘れのハンガーに吊るし、俺が干している服の横に同じように並べた。
夕立のせいで風が強い。俺とハルヒの服が仲良く羽ばたいていた。

服を干した後、俺は特にすることも無いので、ハルヒのいる部屋に向かっていた。部屋の前でノックすると『どーぞ』という、部室と変わらない声が主人の居ない家に響き渡った。
部屋に入ってみると、バスタオル一枚を体に巻き、俺に視線を合わせようとしないハルヒがベッドの片隅にちょこんと座っていた。肌の露出を恥ずかしむ、うら若き乙女のように。まあ実際そのとおりなんだが。
「入りなさいよ」
ハルヒの入室許可が下りたため、取り敢えずそちらに向かうことにした。

『……………………………………………………』
俺たちは三点リーダによる鬩ぎ合いを続けていた。さてさて、どっちがさきに言葉を発し始めるのかね。こんなシチューエーションになることは滅多に無いだろうし、一歩間違えれば変な風に捉えられるのは仕方の無いことだと思う。バスタオル一枚しか着ていない男女が、ベッドの上で隣同士で座ってんだからな。
「ねえ……キョン」
先に言葉を発したのはハルヒだった。
「あたし……ジョンに、ハルミちゃんがなつく方法を教えてもらったじゃない」
ハルヒは視線を落としたまま喋り続ける。俺は「ああ」と頷く。
「あれって、正確にはその方法じゃないの」
どういう意味だ?
「あたしの……あたしの、思い通りに事が進むおまじない」
ハルヒは更に言葉を続ける。
「ジョンに教えてもらった。あの山で日の出直前にあの髪型にすること。それはハルミちゃんをなつかせるだけじゃない。お前が望む、様々な願い事をかなえることができる。そう教えてもらったの」
なるほど。本当にそうなのかは知らないが、実際ハルヒは願望を実現するパワーを持っている。ジョンがしたことは、自分の力をより発揮させやすくするために限定的条件を作り出し、願望を強く発揮させようとしたのだろう。
「あたしはハルミちゃんがなつくかどうか、半信半疑だった。けれども実際に願いはかなった。それはそれで驚いたわ。でも、それ以上にビックリしたことがあるの。もう一つの願いも同時に適ったの。キョンが……キョンが、あたしを裏切りませんように、あたしをいつも心配してくれますように、っていう願いが」
「ハルヒ……」
「驚いたってもんじゃないわ。あたしが好きな人のことを匂わせたらあんたは動揺してくれた。ジョン・スミス以外にあたしを心配してくれる人が居たなんて、ホントうれしかった」
「……いや、そんな大層なことはしていないさ。お前はお前であり続けてくれればそれでいいんだ」
「……あたしも、何か礼をしなくちゃいけないわね。ジョンの様に」
「ジョンが……どうかしたのか?」
「ジョンは、元の世界に返ったみたいなの」
途中で人影が消えたと思ったのだが、あれはジョンだったのか。
「ジョンは、この世界の人間じゃないみたいなの。しっかり聞かなかったけど、別世界からきた、異世界人だと思う」
異世界人か……ま、なんでもいいけどな。
「…………彼女と、一緒に」
彼女?俺はあの時彼女なんて連れていなかったはずだ。いったい誰だ?
「対岸だったからよく見えなかったけど、栗色のロングヘアーで、胸がすっごく大きい美人。例えると、みくるちゃんをもっと大人にして、もっとナイスバディにした感じの人」
ああ、と俺は心の中で頷く。朝比奈さん(大)が、一枚演技に加わってたようだ。
「あたし、振られちゃった、ジョンに。最初っから釣り合うとは思ってなかったけどね、でもあんな変な男にあんなスタイルのいい美人を捕まえるとは思っても見なかったわ」
ハルヒは自嘲めいた声で話題を切り替えた。
「ジョンは、あたしが過去に彼らを助けたお礼をしてくれたの。あたしの未来を導くために、色々と助言をしてくれたの。……あたしは偶然助けたに過ぎなかったんだけどね…………ごめん、キョン!」
ハルヒは突然、俺に抱きついてきた。
「ハ、ハルヒ…………!?」
「ごめん、キョン……ちょっと……寒くて……」
俺はハルヒの肌をそっと触る。冷たい。二日酔いで湖の中に入って、雨の中駆け回っていたら体温が下がるのも当然である。が、それは恐らくそれは表向きの嘘。何故そんなことが分かるのか。
それは、体が震えているから。そして叫びたいのを必死に押し殺したような声が俺の耳に届いてくるから。

「ハルヒ、もしかして、泣いているのか?」
「泣いてなんか、無いわよ!」
声は明らかに涙声であった。
「もしかして、ジョンのことそこまで……」
「違うわよ!あんなチャラけたやつでも、彼女ができて、自分の世界に戻ることができて、よかったなって思って、少し安心しただけよ!」
嗚咽を続けながら喋りつづけるハルヒ。こんな時でも意地を張るのはハルヒそのものである。
「ああ、そうさ。そうに違いないな。でも無理すんな。好きなだけ泣けよ。自分の中に溜め込むのは良くないって言ってのはお前だろ?」
「…………カ……」
ん?何か言ったか?
「この……バカ野郎……!」
「な、何だよ!人がせっかく親切にしてやってるのに!!」
「あんたは大馬鹿野郎よ!!あんたもジョンと一緒よ!!あんたもジョンも天邪鬼な行動をして!!何でそんなに……やさしいのよ……あたしが……困っている時に……助けてほしい時に……あんたもジョンも……あたし……あたし……!!」
ハルヒは先ほどよりもひどい嗚咽を交えながら喋り……いや、叫んでいた。

いつも強気で、無鉄砲で、俺をほとほと困らせているSOS団団長の姿は、ここには無かった。
いるのは自分の失恋に悲しむという、至ってまともな、そして自身が興味が無いはずの普通の人間となってしまった、涼宮ハルヒという少女だけだった。

「馬鹿……本っ当に馬鹿……ううっ……」
ハルヒは俺の胸の中で号泣した。俺は何も言わず、ハルヒを抱いたまま、ハルヒの嗚咽と罵詈雑言を受け入れた。



どれくらい経ったのだろうか?時間にしてはそんなに経ってないはずである。霰は止んでいたが強い雨は今も降り注いでいる。虫の声も、庭にあった獅子脅しの音もかき消されて、雨の音だけが静寂な空間に響き渡る。
ハルヒの声は聞こえなくなっていた。どうやら寝てしまったのかもしれない。俺はハルヒも持ち上げ、ベッドに入れようとした瞬間、それまで沈黙を続けていたハルヒが喋りだした。

「キョン……寒い……」
寝ていたと思っていたが、どうやら起きていたようだ。おれはそうかいと返事をし、布団をかぶせようとした、その時。
「寒いのよ!」
ハルヒは声を荒げ、俺に抱きついてきた。
「ハ、ハルヒ……!」
「寒い…………助けて…………」

勢いよく抱きついたせいで、ハルヒのバスタオルははだけ気味で緩んでいた。俺に抱きついているせいで、ずれ落ちず首の皮一枚繋がっているといった感じである。ハルヒを放したら恐らくバスタオルは完全にはだけてしまうであろう。
ハルヒは寒いとは言いつつも、バスタオルを纏いなおす素振りは全く見せず、俺を強く抱擁していた。

「…………」
俺はハルヒのレスポンスに多少の戸惑いを感じ、何もできずに突っ立っていた。
俺だってそこまでのニブチンではない。こんな状況であんなことを言ってくるのは、10中10はああいうことだってくらいわかるさ。
――ハルヒが俺を求めているってっことくらい。
しかも女の子からの誘いなんて俺の人生で今後あるとは思えない。その中でも、俺が今まで知り合った女性の中で、一番ありえないと思ったハルヒからそんな風に来るとは思ってもみなかった。それが戸惑いの正体だ。

抱きついているハルヒの体は未だ冷たい。体力の低下に加え、雨による体温低下は確かにあり、寒いと感じるのはやぶさかでもないのかもしれない。
いや、勿論ハルヒがそんな意味で俺に『寒い』と言っているのではないと言うのは重々承知だ。ハルヒは失恋の痛みを俺で紛らわせようとしているのかもしれない。
だが、勢いに任せてやってしまうほど俺だって馬鹿じゃないし、第一そんなことをしてもハルヒのためにならない。それに――



――お前とハルヒは相容れられる存在ではないんだ。諦めろ――



――突然、あのフレーズが頭に浮かび上がった。あの時、俺(大)が俺に向かっていった言葉。

その言葉と、俺の意思が引き金になったのだろう。未来人の命令は受け付けないと言う、俺の反抗心が。
朝比奈さんの話してくれた、上司の話――既定事項を守るが故の後悔。長門が持っている、自分自身の意思。
そして俺のハルヒに対する想い。

それらが全て混ざって、俺を突き動かしてくれた。


悩む必要はない。俺とハルヒが水と油の関係だというのは誤解だ。
未来人の思惑なんて関係ない。いいか未来人ども。俺とハルヒの関係を見せつけてやる。見てろ。


俺はハルヒを抱き寄せ、俺にとって三回目、そしてハルヒにとっては恐らく初めてのキスをした。
今度こそは夢ではないからな。これからする事は、現実世界での出来事なんだ。それを染み付くまで味合わせてやるぜ、ハルヒ。

俺の想いと一緒にな。



――その日、俺とハルヒは一つになった――



夕立は何時の間にか止み、雲の隙間から黄色がかった光が差し込み始め、ヒグラシが鳴き始めている。どうやらもう夕方のようだ。
俺たちは数十年使用されていないベッドの上で寝てしまったようだ。俺の上にはハルヒは俯せになった状態で、あどけない顔を俺の胸に埋めて行為の余韻に浸っていた。

俺たちは遂にそんな関係を持ってしまったのだ。

改めてハルヒの顔を見る。俺の胸を枕代わりにしたハルヒの目には、うっすらと涙の跡がある。
破瓜による痛みによるものなのか、それとも俺との行為を後悔したものだろうか。嬉し泣きだったらこの上なく喜ばしいことだが、そんなにうまくできた自信はない。
というか初めてのことで、一人で暴走気味だった。ハルヒは何も言わなかったが、行為中のハルヒの顔は痛みを無理に押さえ込んでいる。そんな表情をしていたように思える。
すまん、反省している。でもやっぱり、真っ最中の時はそんなことを考えている余裕が無かった。ハルヒの体、仕草、声、汗……ハルヒのする事全てが俺にとっての欲望と快楽へと変化して迫ってきた。俺はそれを必死に抑えるだけで精一杯だった。
ハルヒはそんな俺の内部葛藤を受け止め、何も言わなかったのかもしれない。本当に申し訳ない。

 行為が終わり、ヘトヘトに疲れ果てた俺は、そのままハルヒに覆い被さろうとしたが、それではハルヒに俺の全体重がかかってしまう。それを憚った俺は、ハルヒを持ち上げ180°逆の方向にし、ハルヒを下から包み込むような体勢にした。
俺はハルヒの存在を全身で感じたかったのだ。それには横で抱き合うより、ハルヒが自分の上でその重みを、その存在をより明確に確認することができる。
その後俺たちは疲れ果てて寝てしまったらしい。



俺はハルヒの頭を撫でてやる。こうしてみると、ハルミ同様、寝顔が可愛いやつである。寝ているだけなら美人度もぐっと上がるし、そんな美人と関係を持ったなんて思うとたまらなくなる。
ハルヒの抱き癖はここでも炸裂している。ハルヒは俺の肩と脇へ絡みつくように手を伸ばし、俺にしがみついている。つまり俺の上半身はハルヒの胸に圧迫され、その感触がまた最高で……
「――エロキョン」
ハルヒの声で妄想がストップした。
「――あんだけやっといて、まだやり足りないわけなの?あんた」
「ははは……」
苦笑い。俺は起きて間もない。思春期の男子が寝起き時海綿体に血液を多く送り込んでいるのは既知の生理現象で、その上ハルヒを見て妄想していたのがいけなかったのかもしれない。
俺の体の一部分が大きくなり、ハルヒの、ええと、あの部分を刺激していた。
寝ていたハルヒの向きを変える際、ハルヒと離れることに心残りがあった俺は、ハルヒと繋がったままの体勢にしていたが、それも悪かったと思う。
「ホント、恋愛感情なんて一時の気の迷いね。あんたに許したあたしもどうかしてたわ」
「俺は、気の迷いじゃないぜ」
「え?」
俺はハルヒを抱き締め、そして囁いた。俺の想いを、ハルヒに告げるために。


「俺は、お前が好きだ」


そして、再びキスをする。一度結んだ関係を、二度と離したくない。俺はそんな気持ちでいっぱいだった。俺はハルヒをより強く抱擁し、ハルヒの存在を感じることにした。そして――



――そして、そのままの体勢で2回戦が行われたのは言うまでも無い。



「キョン、ハルミちゃん、可愛いね」
2回戦が恙無く進行し、10000メートル走後に掃除当番と岡部の進路指導とハルヒの思い付きによる行き当たりばったりな法外活動を共用された並に体力を削られた俺は、ハルヒを横に寝かせてピロートークをしていた。
しばらくは他に人に聞かれたら間違いなく自殺したくなるような自惚話をしていたが、突然ハルヒが話題を変えてきた。
「あたしも、あんな赤ちゃんが欲しいな」
そういえば、ハルヒが酒で暴走していたとき、そんな発言をしていたのを思い出す。ああ、今は無理だとしても、いつかは授かることができるさ。
俺がそう言うと、ハルヒがベッドから起き上がって威勢良く喋りだした。
「ううん、あたしは今欲しいの!ねえキョン、さっきので出来たかな、あたしたちの赤ちゃん!」
「ぶっ!!」
いきなりな発言に、俺は思わず吹き出してしまった。
「ちょ、ちょっと待て!お前、大丈夫って……」

ここで俺の脳内時間を遡行させる。
初めてハルヒに繋がろうかというあの時の事。一通り前戯を終えた俺は、いよいよという時にふと思い出した。俺はハルヒとこんなことをするためにこの廃屋に来たのではないため、避妊具の持ち合わせなんか持ってきてない。いや、決していつも持ち合わせがあると言う意味でもないが。
どうしようかと悩んでいるとハルヒが『大丈夫だから』って言われて、そのままコンティニュー、続行したって訳だ。てっきり安全日だと思っていたが、まさか……。念のため、確認しておこう。
「ハルヒ、お前今日は安全日って訳じゃないのか?」
「ううん。違うわ。前のが二週間くらい前だったから、超危険日ね」
「待て待て待て!!!何が大丈夫なんだ!!!」
俺は声を荒げた。そして再び脳内時間巻き戻しを始める。

一回目。行為が次第にエスカレートし、いよいよ果てようとしたその時、頭の一部の冷静な部分が働き、念のためを思って外そうとした。
しかしそれを拒んだのはハルヒだった。俺の動きを読んだかのように、両足で俺の腰を絡ませ、両腕で俺を抱いて、俺と離れるのを拒んだのだった。
俺は俺の未知の世界に引きずり込もうとするハルヒの誘惑に耐えかね、ついには果ててしまった。
そのままの態勢で。ハルヒと共に。

二回目。ハルヒが上だったこともあり、主導権はハルヒが所有していた。俺がそろそろやばいと見るとやはり俺にしがみつき、離れようとはしなかった。加えて下半身の運動は激しさを増している。むしろ俺のを受け入れようとする態勢に見られた。
先程の件のこともあり、一回してしまったら二回目も同じだと考えてしまった俺は抵抗せず、そして先ほどと同様の結果となってしまった。

つまり、『大丈夫』って意味は、『子供ができないから大丈夫』ではなく、『子供ができても大丈夫』ってことになるのだろうか?
おいおいハルヒ。幾らなんでもそんなこと考えてないよな。
「大丈夫よ。あたし育てていける自信があるわ。ハルミちゃんの子守りをしてて自信がついたわ!キョンとの子ならあたし欲しいなって思ったの!いいことキョン!今日からパパよ!ちゃんと育てていくわよ!!新しい家族と、そして新しい団員の誕生だわ!!」


「ふざけるな!!!」


――パシンッ――


俺の掌がハルヒの頬を叩き、小気味良い音を響かせた。
――俺が一番聞きたくなかったその言葉に、ついにキレてしまった。


「え…………?」
「お前は赤ちゃんが欲しいって理由で俺と関係を持ったって言うのか?ふざけるな!!俺たちはまだ高校生だぞ!!育てられるわけが無いじゃないか!!」
「そ、そんなこと無いわ!赤ちゃんの子守りだってちゃんと出来てるじゃない。おむつだって替えれるし、ご飯だって与えられたし……」
「そんな問題じゃねえ!!俺たちはまだ子供なんだよ!!子供ってのは自分のすることに責任が持てないんだ!!自分のことすら責任をもてないのに自分の赤ちゃんの責任が持てるって言うのか!?」
「なによ子供子供って!赤ちゃんが出来る体になってるんだからもう大人じゃない!!それにあたしは自分のすることにちゃんと責任をとって行動するわよ!!あんたは知らないけどね!!」
「だから無責任って言うんだ!!お前がちゃんと責任を取れたとしても俺は取れるとは思わん!!そんな未成熟な両親をもって赤ちゃんは満足すると思うのか!?赤ちゃんが大きくなった時、そんな両親を見てどう思う!?子供ってのはな、両親が十分成熟してから授かるものなんだ!どちらかが未成熟では子供のためにはならないんだ!わかったか!!」
「…………じゃあ、何であたしにあんなことしたのよ。あたしは赤ちゃんが欲しかったからキョンに許したの。痛くても我慢したのよ。キョンも同じ考えだと思ってた。キョンもそう望んでいると思ったから。でも違った。キョンとあたしの考えは違っていた」
「………………」
「ねえ答えてよ!何であんなことしたのか答えてよ!子供を作るためじゃなかったら他の理由答えてよ!!まさか、あたしの体目当てでそんなことしたわけじゃないでしょうね!?」
「!!」
「もしそうだったら最低よ。快楽を目的にして交わるなんて、これ以上ないくらい最っ低よ!子供を作ることを否定する言われなんか無いわ!みくるちゃんを舐め回すように観てたあんたならやりかねないわ。本当にエロキョンね!あんたもういいわ!!強制解雇よ懲戒退団よ!こんなスケベSOS団にいるだけで恥よ!顔をも見たくないわ!」

「馬鹿野郎!!!」


――おれは更に強くハルヒをひっぱたいた。


「――っ!!痛いわね!!何すん……」
「俺がお前と関係を持ったのは、子供を作るためでも、快楽を得ようとしたわけでもねえ!!」
「……じゃあ何よ。言ってみなさいよ。最後に聞いてあげるから」
「お前は、俺がさっき言ったことを忘れたのか?俺がお前と関係を持った本当の理由はな、お前が好きだからだ!!」
「……え?」
「俺はお前が好きだから、お前を愛しているから、お前とならそんな関係になってもいいと思ってた。お前も俺を受け入れててくれたから、お前も俺を好きでいてくれると思ってた」
「……キョン……」
「だが、それは俺の見込み違いだった。俺の愛を、お前は受け取ってくれなかったんだ。お前こそ俺をただの道具にしやがった。愛を育むよりも、自分の我儘で子供を作ることを目的にしてな。それは快楽を求めることとそれほど違いは無い。俺だってそんな女はお断りだ。じゃあな。先に帰るぜ」

俺はそそくさと布団から出て、裸のままドアに向かった。
「キョン!!待って!!」
「……服は下に干してあるから、乾いたら着てペンションに戻れ。俺は先に戻ってるからな」
そしてドアを閉めた。
ハルヒの声は聞こえず、また追ってくる気配も無かった。



俺は歩いてペンションまで戻っていた。ハルヒは俺が外に出たあと、途中まで走ってきたようだが、俺を見かけると距離をとって近づこうとはしない。本人は尾行している気でいるのかもしれない。試しに立ち止まってみたり、少し走ってみたりするとあいつも俺の動きに合わせてきた。何がしたいのかはよくわからんが、俺はハルヒの言動を許す気にはなれなかった。負けず嫌いのあいつも、俺の言動を許すことは無いと思うな。
つまり、俺たちの関係もここまでだった、ってわけさ。
しかし、俺はハルヒにしてしまった責任は取らなくてはいけない。まだ確定とはいえないが、ハルヒには俺の子供が宿っている可能性が非常に高い。いくらハルヒが望んでいたからとはいえ、俺はハルヒの両親に詫びを入れなければいけないだろうし、俺の両親にも骨を折ってもらう必要がある。親父にはグーで数発殴られるのを覚悟してないとな、今から。
俺のアングリーかつメランコリーな気分は当分消えることは無いだろう。やれやれと溜息がつけるのは何時になるのかね。

ペンションに戻ってくるやいなや、俺たちを心配してくれた皆が出迎えに来てくれた。さっきの雨で土砂崩れがあり、それが俺たちがいた場所に近くて心配していたそうだ。助けようにも二次災害を恐れて近づくに近づけなかったらしい。俺の一報で生きていることは確認されたため、待機していたが、連絡がこないのでそろそろこちらから連絡を入れようとしていた矢先のことだったらしい。
「おやぁ、ハルにゃんは一緒じゃなかったのかいっ!!」
鶴屋さんは本当に心配してくれたのか分からないくらいいつもと同じテンションで語りかけてくれた。
「ハルヒは遅れてくるはずです。俺が先に行って道が壊れてないか確認しながら来てたんで、早くついたんですよ」
「キョン君かっこいいねっ!!お姉さんビックラこいちゃった!!」
俺の嘘をどう捕らえたかは知らないが、鶴屋さんは何もツッコミを入れなかった。

「あ、涼宮さんが、見えてきました」
朝比奈さんの声で振り合えると、ペンションまでの道、程遠いところにハルヒと思われる人影がポツリと見えていた。寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
「では、俺は疲れたんで休ませてもらいますね。ちょっと寝かしてください」
俺はそういって、そそくさと自分の部屋に戻っていった。まるで逃げるかのように。

シャワーに入った後、森さんが作ってくれた軽食をつまみ、俺は自室で睡眠中のハルミを見ていた。
罪の無い寝顔は俺の心を少し照り明かしてくれている。
正直、色々ありすぎた。この子を合宿に持ってきたせいで、ハルヒが暴走し、俺自身も暴走し、結果どちらも報われなくなった。そう思うと、この子についても苛立ちや憎しみといった感情が生まれてくる。
いやいやまて、この子は何もしていない。こっちが勝手にしていただけのことだ。この子がいなくても、いつかは同じ事で言い争い、そして同じ結末を迎えただろう。
なんだかもう疲れた。寝てこれからのことは考えよう。
ベッドに入って俺は数秒で眠りについていた。



――夢を見ていた。そしてあの言葉が蘇る。
昨日、酔っ払ったハルヒを運んだ際に会ったジョン――俺(大)の俺に言った、二つ目の頼み事を。

――――――――――――――――――――――――――――――

『最後のヒントだ。その想いは胸にしまい続けろ』

『は!?どういう事だ?』
『そのままの意味だ。お前とハルヒは相容れられる存在ではないんだ。言うなれば水と油の関係だ。諦めろ』
『な、何故だ!?俺はハルヒにとっての鍵じゃなかったのか!?』
『禁則事項だ』
『もしかしてハルヒが死んでしまうのか!?』
『禁則事項だ』
『ハルヒが不治の病にでもかかってしまうのか?』
『禁則事項だ』
『それともハルヒに嫌われてしまうのか!?』
『禁則事項だ』
『何でも良いから未来のハルヒのことを教えてくれよ!!』
『禁則事項だ』
『くそ……なにが言いたいのか全くわからねえ。分かるように説明しやがれこの野郎!!』
『ならば簡潔に言う。ハルヒのことは諦めろ。お前のためにならん』
『!!!』
『そして未来のためには仕方ないことだ。既定事項だ』
『ふざけるな!!!』

――――――――――――――――――――――――――――――

……『俺とハルヒは相容れられる存在ではない』か、本当にその通りだったな。ハルヒを信じて行動してみたが、見事に裏切られたよ。やっぱり未来は帰られないのかね。俺がどんなに足掻いても……

俺の頬に、何かが流れるを感じた。

 

 

 

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最終更新:2007年09月08日 23:02