情報統合思念体に涼宮ハルヒの情報を報告している間、長門有希の意思の中でも感情的な部分(彼女はそれをエラーと呼ぶ)は制約を受けなくなる。常日頃涼宮ハルヒの行動を逐一記録し続けなければならない長門にとって、それは束の間の休息である。

 記録を管理する記録媒体を情報統合思念体に占有されているため、このほんのわずかな時間だけ、彼女は感情のままに行動することができた。


  あなたにわたしの何が分かるの?


「久しぶり、長門さん」
 ドアの前に立っていたのは自分が情報連結解除したはずの朝倉涼子だった。

 長門は意表を突かれたかのようにその場に立ち尽くしていたが、何かを悟ったかのように視線を落とすと、朝倉を室内へと招き入れた。
「どうしてわたしがここにいるのかを言うべきよね。わたしが消えてからあなたのバックアップは喜緑さんしかいなかったでしょ?でも彼女は涼宮さんとは学年が違うから、どうしてもあなたの調査をカバーしきれない。でも頻繁に新しいインターフェイスを送り込めば涼宮さんに怪しまれる。そこでわたしが選ばれたってわけ」
 長門は後ろをついてくる朝倉に座るように勧めると、二人分のお茶を淹れてから朝倉の向かい側に座った。この間長門が朝倉と目を合わせることはない。
「私が戻ってきたって分かったら、みんなどんな顔するかしら?」
 そう話す朝倉の表情は、どこにでもいそうな女子高校生のそれとなんら変わりなかった。
「でもやっぱりただ観測するだけじゃ退屈よね。この前くらい過激じゃないにしても、現状の維持は統合思念体にとって何の意味も成さないわ。そうだ、こんどは長門さんも一緒に……」

「あなたが私の前に現れるのはこれが514回目」

 無言でお茶を飲みながら話を聞いていた長門が、突然朝倉の言葉を遮る。

 さっきまで伏し目がちだったその表情は、何かを決意したように頑なで、しかし触れればすぐに壊れそうだった。
「……どういう意味かしら?」
 不意を衝かれた朝倉は少し戸惑ったが、AAランク+の笑顔を崩さないように努めた。
「涼宮ハルヒの力によってこの世界は繰り返されている。原因は不明。そしてそのいずれの世界でも、あなたはこの事実を情報統合思念体から知らされることはなかった」
「……」
 もともと実態の無い情報という形で存在した対人間用インターフェイスにとって、未知の情報は何よりも恐怖を感じる。

 だからこそ長門は感情を持ったことを初めて後悔した。これから話すことが朝倉にとって苦痛になるということが分かってしまったから。
「……正確には『あなた』ではなく『あなたたち』。統合思念体はあなたの一件から急進派の行動を警戒していた。」
「じゃあなんでわたしが……」
 朝倉は必死に長門の言葉を理解しようとしたが、絶対的な信頼を裏切られたことによる絶望は大きかった。

 エラーを消去するたびにその何倍もの新しいエラーが蓄積していく。
「涼宮ハルヒとの関係が深かったあなたの存在によって、現状が打開できるのではないかという動きもあった。考えうる全ての対応策を講じた主流派にとって、たとえ急進派の一員であってもあなたは唯一の希望だった。しかし統合思念体は変化を見せないこの無限ループに苛立ち、あなたの投入を支持する派閥も次第に少なくなっていった。そして現在もこの現象を終わらせる方法は発見されていない」
 統合思念体への報告が終わろうとしているのだろうか。長門の声に音割れした拡声機のようなエフェクトがかかる。

 朝倉にはそれがひどくグロテスクに感じられた。
「でもそれならわたしを送り込んだ意味は!?」
「統合思念体では責任の押し付け合いが起こっている。あなたに責任はないが、主流派の大多数はあなたが彼を殺そうと単独行動にでたことに問題があったとしている。そしてたとえ派閥が異なっていても、私のバックアップであるあなたに、私以上の対応策が思いつくことはない。つまりあなたがこのエンドレスエイトを抜け出すことは」

 

 ――そのとき長かった統合思念体への報告が終わった。

 

 朝倉は長門の輪郭が(それが自分の動揺によるものなのか、実際長門自身がそうなったのかは分からなかったが)一瞬ブレたように感じた。

「不可能」

 そのとき、朝倉涼子の中の何かが崩れた。
「どうして私がああぁぁぁあああ!!!」
 朝倉は持っていた湯呑みの情報を改変してナイフを創り出すと、テーブルを挟んで座っている長門に飛び掛かった。長門に向けられる狂気は、彼の殺害を試みたときのそれとは比べ物にならない。

 しかし長門は反撃する様子を見せることなく、その漆黒の瞳で朝倉を見つめた。
「確かにこれが私の限界。でもあなたに殺されるくらいなら、私は先に退場させてもらう」
 次の瞬間朝倉のナイフが長門の腹部に突き刺さる――しかし、朝倉にその手ごたえは伝わることはなかった。長門が自分自身の情報連結解除を開始したのだ。

 朝倉は光のように消えていく長門を驚愕と恍惚の面持ちで見ていた。
「そうだ!!お前なんか消えてしまえ!!!」
 朝倉の目は見開かれ、青みがかったロングヘアーからは冷や汗が飛び散る。

 情報連結解除の進んだ長門は、もはや頭部しか残っていない。
「あなたにできるのはこの世界の再編を待つことだけ」
「黙れ!!!」
 叫び終わるのより早く長門の情報連結解除が終わったため、朝倉が振り下ろしたナイフは空を切り、勢いあまったその体は床に崩れ落ちた。

 朝倉は四つん這いの体勢のまま呆然としていたが、しばらくすると何かを悟ったかのようにゆっくりと上体を起こす。

 やがてその表情は喜々としたものへと変わっていき、宿主を失った部屋の中には朝倉の不気味な笑い声だけが響き渡った。


 ――翌日
 不思議探索のために駅前に集まるSOS団の面々。待ち合わせ時間まであと15分もあるってのに罰金を科してくるハルヒ。

 ただひとついつもと違っていたのは、長門の姿が見えないということだった。
「おいハルヒ、長門はまだきてないのか?」
「そうみたいね。キョンが有希より先に集合するなんて、秋に桜が咲くくらい珍しいわ」
 桜が咲くのは春だろう。そんなことになったら、いつまでたっても秋にならないじゃねぇか。
「しかもこの私に何の連絡も無いなんて……これは何かの事件に違いないわ!いますぐみんなで有希の家へ行きましょう!」
 これが事件なのかどうかは知らんが、確かに長門が待ち合わせに遅れるなどということはいままで一度もなかったな。今回は素直に従っておくか。

 ハルヒを連れていくべきか迷ったが、結局SOS団全員で長門のマンションに押しかけることになった。

 予想してはいたが、インターフォンを押しても応答は無い。

 普通なら諦めて帰るところだが、そこは我等が団長様だ。マンションから出てきた住人を捕まえると管理人を呼び出させる。長門に連絡がつかないことを説明すると、管理人さんは快く長門の部屋の鍵を開けてくれた。

 やれやれ、こいつの行動力にはただただ感心するばかりだな。
 

 部屋に入った俺たちが最初に気づいたのは、テーブルの位置がズレていたことだ。窓から入っている風のせいで、長門にしては珍しく出しっぱなしになっていた湯飲みがその上で転がっている。

 ハルヒが各自で変わったところは無いか探すように指示するのと、その湯飲みがテーブルから転がり落ちるのとどちらが早かっただろう。

 湯飲みは音も立てずにフローリングの床に落ち、少し転がって止まる。俺はその動きから何か大事なものを失ったときの喪失感を感じたが、それが何を対するものなのか、そのときの俺には分かりかねた。

 結局その日は長門がどこへ行ってしまったのかは分からなかったが、俺は不思議と心配することはなかった。

 長門が自分以外の意思で俺たちの前から消えたとすれば、どんな手を使ってでも何か手がかりを残すはずだ。改変された世界の栞みたいにな。

 それが無いってことは、あいつは必ず戻ってくる。少なくとも俺はそう信じている。
 それに長門のいない世界なんて俺は認めない。それはハルヒだって同じはずだ。

 

  なあハルヒ。

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最終更新:2007年09月08日 23:16