そして、変わらぬ日常
1.未来その1
「最高評議会の審決結果を伝達する」
「はい」
「賛成8、棄権1で、限定条件付死刑と決した。原状復帰命令に従わない場合は、死刑とする。死刑執行人には、あなたを任ずる」
「かしこまりました」
「これがおそらく私のあなたへの最後の命令になる。こんな結果になってしまって、非常に残念」
「致し方ありません。自分の不始末の責任は自分でとらなければなりませんから。たとえ、それが身に覚えのないことであっても」
「あなただけに責任を負わせるつもりはない。私も付き合う。私にも命令がくだった」
「……そうですか。後始末の方はどうするのですか? てっきり、あなたがするものと思っていましたが」
「手配はつけた。問題はない」
「そうですか。ならば、後顧の憂いはありませんね。あとはお互いに任務を遂行するのみですが、残された時間は?」
「時間軸上書き効果の五次元速度が異常に速い。あなたの物理的個人絶対経過時間に換算して、あと5時間ほどの余裕しかない」
「それだけあれば、充分です。ただ、涼宮さんだけが不安定要因ですので、そちらの方だけ対処していただければ」
「了解した。涼宮ハルヒについては、私が措置する」
規定事項管理局のシミュレーション結果は、残酷な結末を示していた。
規定事項から逸脱は、その結末に向けて既に時間軸を上書きしつつあった。
「機関」時空工作部の不成立──組織は、それを容認できない。
情報統合思念体の消滅──情報統合思念体は、それを容認できない。
SOS団総員の不幸な早世──二人は、それだけは容認することができなかった。
それは、もはや穏便な方法では補正不能だった。因果関係の複雑なもつれが、それを不可能にしていた。
よって、規定事項からの逸脱要素を強引に除去して、時間軸を再上書きする必要があった。
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2.過去その1
「私、未来に帰りたくありません」
朝比奈さんのその言葉が始まりだった。
朝比奈さんに連れられて、マンションの長門の部屋にやってきて、何が始まるのかと思えば、朝比奈さんのこの発言だ。
「朝比奈さん、本気ですか?」
俺がそう尋ねると、
「私は本気です」
朝比奈さんは真剣だった。
「でも、大丈夫なんですか? 朝比奈さんの上司とかが黙ってないでしょう?」
これには、朝比奈さんではなく、長門が答えた。
「とりあえず、この部屋には盗聴防止措置を施してある。しかし、朝比奈みくるの組織が規定事項とみなす事柄に影響があれば、発覚する可能性は極めて高い」
「はい。ですから、長門さんに、対抗措置をお願いしたくて、ここに来ました」
「協力することはかまわないが、あなたの組織からの強制措置を回避するためには、あなたからTPDDを消去し禁則事項を解除する必要がある。それは、あなたの組織に対する本格的な反逆となる」
「かまいません」
朝比奈さんは、はっきりとそう宣言した。
長門は、朝比奈さんの意思を確認すると、俺に視線を向けた。
長門の表情は、「あなたはどう思うか?」と言っているように見えた。
どう思うかと言われても、朝比奈さんが固く決意しているならば、俺ごときが意見できることは何もない。なぜ未来に帰りたくないのか知りたいとは思うが、それは別の機会にでも訊けばいいことだ。
「……了解した。これより措置を行なう」
「ありがとうございます」
朝比奈さんは、深々と頭を下げた。
「──────」
長門が呪文を唱え始めた。
措置が終わり、俺と長門は、朝比奈さんを護衛するように外に出た。
駅前公園に通りかかったとき、
「お久しぶりね、キョンくん」
目の前に現れたのは、微笑を浮かべた朝比奈さん(大)だった。
よりによって、彼女が来るとは……いや、むしろ、それが当然なのかもしれないが……。
「朝比奈さん……」
俺は、うっかりそうつぶやいてしまい、しまったと思って、朝比奈さん(小)を見た。
朝比奈さん(小)は、自分の未来存在の姿に、目を見開いていた。
朝比奈さん(大)は、表情を引き締め、厳しい口調でこう告げてきた。
「朝比奈みくるに命じます。直ちに原状に復帰しなさい。これは、最高評議会決定です。あなたのその行動は、規定事項に致命的な影響を与えます。今ならまだ修復可能です」
「嫌です!」
朝比奈さん(小)は、普段からは想像もつかなほどの大きな声で、そう叫んだ。
「そうですか。では、最高評議会審決第127号に基づき、死刑を執行します」
朝比奈さん(大)のその言葉の意味を理解するまでに、数秒かかった。
その間に、朝比奈さん(大)は光線銃を抜き、躊躇なく引き金を引いた。
しかし、放たれた光線は、見えない壁のようなものに阻まれて、弾き返された。
「私がさせない」
長門が俺たちの前に出た。
さっきのは透明なバリアみたいなもんなのだろう。
「長門さん。あなたのその行動は、情報統合思念体への反逆行為ですよ」
「それがどうしたというの?」
長門は、淡々とそう答えた。
「やはり、覚悟のうえですか」
「あなたが過去のあなたを殺せば、あなたの存在も消えることになる。あなたはそれを理解しているのか?」
「それがどうしたというのです?」
そこに、突然、
「朝比奈さん!」
古泉が走ってくるのが見えた。
「古泉くんだけですか。『機関』の制圧の方はおおむね成功したようですね。もう部下たちをほめることもできないのが残念ですが……」
朝比奈さん(大)が、独り言のようにつぶやいたのが聞こえた。
よく見ると、古泉は手に拳銃を握っていた。朝比奈さん(大)にそれを向ける。
おまえ、そんなもんどこから……。
そう思う間もなく、古泉が突然倒れた。
その背後に、見知らぬ人物が忽然と現れた。長老と呼んでもいいほどの外見をもつ老齢で小柄な女性だった。
朝比奈さん(大)は、その女性に対して、驚くべきセリフを述べた。
「すみません、長門さん。お手を煩わせてしまいまして」
「気にすることはない」
簡潔な受け答え。
よくよく見れば、確かに年はとっているものの、長門だといわれれば、その面影はある。とりあえず、長門(大)と呼ぶことにしよう。
とにかく、次から次へと起こる驚天動地な出来事に、俺の頭はショートしそうだ。
「古泉くんに何をしたんですか!?」
朝比奈さん(小)の叫びに、長門(大)は淡々と答えた。
「気絶させただけ。他に損傷はない。24時間後には目覚める」
「涼宮さんは?」
朝比奈さん(大)が、冷静にそう尋ねた。
「眠らせておいた。24時間は目覚めることはない。彼女と私の異時間同位体との連結も切断した」
長門(大)は、長門(小)の方に視線を向けた。
そして、淡々と通告してきた。
「パーソナルネーム長門有希、直ちに情報統合思念体との連結を回復し、情報統合思念体の統制下に復帰せよ」
「断る」
長門(小)は、そう即答した瞬間に、長門(大)に殴りかかっていた。
しかし、その拳は、長門(大)の右手によって受け止められた。
「なぜ?」
長門(小)のその問いは情報量があまりにも少なかったが、長門(大)には理解できたようだった。
長門(大)は、こう答えた。
「あなたにとって朝比奈みくるが親友であるように、私にとっても朝比奈みくるは親友であるから」
「……」
長門(小)の拳は、長門(大)の右手に固定されたまま。
長門(小)は、その体勢のままぴくりとも動くことができないでいた。
「あらゆる能力において、私はあなたよりも経験を有している。抵抗は無意味。直ちに情報統合思念体の統制下に復帰せよ。これは最終勧告である」
「断る!」
「パーソナルネーム長門有希を敵性と判定。当該対象の情報生命構成を消去する」
長門(大)が何の感情も感じさせない声でそう宣言すると、二人の長門の身体が一瞬だけ光り、そして跡形もなく消え去った。
俺と朝比奈さん(小)は、その光景にただ呆然とするしかなかった。
「次は、私の番ね」
朝比奈さん(大)がそうつぶやいた。
俺は、朝比奈さん(大)に向かって叫んだ。
「朝比奈さん! なんでこんなことをするんですか!?」
朝比奈さん(大)は、寂しげな表情でこう答えた。
「一つは、失敗の責任をとるため。もう一つは……その子のその選択は、みんなを不幸にしかしないから」
朝比奈さん(大)が、再び光線銃を構えた。
「やめろ!!」
俺は、とっさに朝比奈さん(大)に向かって走り出した。
朝比奈さん(大)は、俺に光線銃に向けると躊躇なく引き金を引いた。
脇腹に激痛が走り、俺はその場に倒れ伏した。
「キョンくん!!」
朝比奈さん(小)が駆け寄ってくる。
駄目だ……逃げないと……。
俺の視覚は、光線が朝比奈さん(小)の頭を貫通するのを捉えた。
そして、続けざまに、胸を貫く光線も……。
朝比奈さん(小)がゆっくりと倒れていく。
「さようなら、キョンくん」
朝比奈さん(大)の姿が、半透明になって、そして、消えていった。
俺はしばらく何も考えることすらできずに、その場に倒れていた。
しばらくして、脇腹の激痛が突然なくなった。
ゆっくりと起き上がると、視界に喜緑さんの姿が映った。
彼女が治してくれたのか?
「いまさら何しに来たんですか!?」
俺は、八つ当たりするように叫んだ。
喜緑さんは、何事のなかったかのように、いつもの微笑を崩さない。
「長門さんの異時間同位体に後始末を依頼されましたので」
「後始末?」
「あなたが気にすることはありません。どうせ、記憶には残りませんから」
そして、すべてが暗転した。
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3.未来その2
再構成完了。
個体認識、パーソナルネーム喜緑江美里。
セルフチェック開始。個体情報に欠損なし。有機身体に損傷なし。
情報統合思念体からの命令を受領。
過去の異時間同位体との同期完了。
必要な情報を取得。
情報操作開始。
情報操作完了。
同期切断。
パーソナルネーム喜緑江美里は、これより、消滅したパーソナルネーム長門有希に代わり、インターフェース最高統括指揮権限者及び「機関」時空工作部最高評議会評議員として、所定の任務を遂行します。
喜緑江美里は、崩れ落ちるように椅子に座った。
短時間で大量の情報を処理したため、優秀な彼女でもオーバーヒート寸前だった。
永眠状態からの再構成直後にこんな重労働を命じてきた情報統合思念体に対して悪態をつきながら、彼女は全身に冷却処理をかけた。
ついでにいうと、「死んだ」ときと同じ設定年齢で再構成されたことにも不満があった。どうせ「生き返らせる」ならば、若返らせてくれてもよさそうなものだ。
最高評議会評議員としての権威を保つには、この方が都合がいいことは理解はできるが。
情報を整理する。
自分自身が持っていた情報と、同期によって得られた情報──「自分の経験とは異なる」過去の異時間同位体の経験──とを、きちんと整理しないと、混乱してしまう。
自分であって自分でないような妙な気分だ。
これも、情報が統合されていく過程で、徐々になじんでいくのだろうが。
何をするわけでもなくただ座っていたところ、来客があった。
「機関」時空工作部上級工作員の旭みちるであった。
この組織の偽名の命名センスについては、言いたいことがないではなかったが、今問題にすべきはそんな些細なことではない。
同期によって得られた情報によれば、彼女の異時間同位体と自分の異時間同位体は友人だったことになっている。
よって、それなりに対処しなければならない。
「ちょっと御相談したいことがあります」
それが彼女の用件だった。
「何でしょうか?」
「現在見直し作業中の時間工作計画についてです」
「分かりました。問題点を具体的に述べてください」
彼女の工作活動には、最大限の支援をする必要がある。
彼女を朝比奈みくるの二の舞にするわけにはいかないのだから。
それがもはや再構成不能となってしまった長門有希の最期の願いであることは、喜緑江美里にも理解できていた。
代わりとなる人材はいくらでもいるとはいえ、あんなことを二度も繰り返すのは気分のよいものではない。
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4.過去その2
俺は、いつもどおり、部室のドアをノックした。
「どうぞぉ」
中からやや舌足らずな声が返ってきて、俺はドアを開けた。
SOS団唯一の三年生旭みちるさんが、いつものメイド服で出迎えてくれた。
視線を窓際に向けると、喜緑さんがいつもの位置で分厚い本を読んでいる。
旭さんが、お茶を出してくれた。
「いつもすみませんね」
「今日は、お茶っ葉を変えてみました。味わって飲んでくださいね」
旭さんは、喜緑さんにもお茶を出す。
喜緑さんは、いつもの微笑を旭さんに向けただけだった。この人の表情は、相変わらず読みにくいな。そのせいで、同学年にもかかわらず、この人相手だとどうにも丁寧語になってしまう。
まあ、宇宙人に年齢を問うこと自体、無意味なんだが。
俺が愛らしい未来人旭さんのお姿で目の保養をしていると、ニヤケハンサム野郎がやってきた。
「おや、涼宮さんはまだですか?」
「あいつは、掃除当番だ」
「そうですか」
古泉は、囲碁を取り出し、
「どうです、一局」
いつもどおり、古泉の相手をしてやる。
結果は、もちろん、俺の勝ちだ。
第二局目を始めようとしたところで、部室のドアが爆音とともに開け放たれた。
誰が来たかなんて、問うまでもない。
「さぁ、今日は緊急ミーティングをやるわよ!」
ハルヒは、100ワットの笑顔でそう宣言した。
「議題はこれ!」
ホワイトボードに貼り付けられた紙切れには、次のように大書されていた。
「夏の合宿パート2 in 謎の古城!」
おいおい、まだ6月になったばっかだぞ。
なんて気の早いやつだ。
でも、文句をつける気にはならない。
ハルヒがあの100ワットの笑顔をしている限り、俺の楽しい日常は続いていくんだからな。