「明日からの不思議探索だけどさ、中止にしたから」
 は?
「ちょっとね……あたしが参加できなくなっちゃったから」
 ほほう。
「だから、また来週に延期するわ」
 なるほどなるほど。
「ごめん……」
 ブツッ――ツーツーツー……
 
 本日は金曜の夜で、明日からは楽しい楽しい週末が始まる。当然土日併せて2連休だ。
 もちろん、そんなチャンスを我らがSOS団団長殿が見逃すはずもなく、いつもの不思議探検と言う名のSOS団お遊びツアーが
開催するべくハルヒは何やら悪巧みをしていたようだったが、それを自ら中止するとはどういう風の吹き回しだ?
 念のために古泉や朝比奈さんに連絡してみるが、やはり困惑の返事が返ってきた。
ま、あの一度やると決めたらまっすぐ一直線の団長様だ。土壇場でやっぱやめなんて今まで一度もなかったし、
あるとも思っていなかったら、無理もない話だが、緊急事態として臨戦態勢に入ると断言する古泉は大げさすぎやしないか?
ちなみに長門はいつものどおり、そうとだけ言って変化を見せなかった。姿を見れればある程度何を考えているのかわかるが、
あいにく声だけでは長門のボディーランゲージによる感情発信をキャッチすることはできないからな。
 そんなこんなで週末を迎える。
 多分、俺の人生の中でも屈指に入るだろう、壮絶に多忙な二日間の始まりだった。
 
◇◇◇◇
 
 そんなわけで週末完全フリーになった俺だったが、家で寝て過ごすのももったいないと思い、
一人で街に繰り出すことにした。せっかくの団長様からのプレゼントだ。有意義に使わせてもらった方がいい。
今の内に、買っておきたい本や服もあるからな。
 休日景気でごった返す路地を歩いていた俺だったが、どうも落ち着きがない自分に気がつく。
いつもいつもあの変わり者集団に囲まれていたせいか、一人で歩いていても、ちょっと大きな声が耳に届くと、
前からハルヒの命令口調の怒鳴り声が飛んできたと身体が誤動作を起こしてしまったり、黙って歩いていると、
隣から古泉がどうでもいいうさんくさい説明を始めて来るんじゃないかと変な心構えができてしまっていたり、
背後を振り返っても長門がいないことに違和感を憶え、超絶プリティな朝比奈さんの私服姿が俺の隣にいないことへの
理不尽さに腹を立てる。
「やれやれ」
 俺の口からいつもの言葉が飛び出た。気がつかないうちに、俺の身体はSOS団の一部として完全にできあがってしまったらしい
まるで禁煙中の禁断症状ではないか。そんなそわそわ状態に、俺は諦めて家に帰ろうかと思った瞬間だった。
「ん……?」
 現在、俺は繁華街の中心部近くにある交差点で信号待ちをしていた。だが、その対向にある歩道を俺から離れるように
動いていく4人組の集団が目にとまる。
 ……俺は視力はそんなに悪くないし、あの集団を見間違えるわけもない。ハルヒ・長門・朝比奈さん・古泉のSOS団-俺だ。
 だが、どうしてあの4人がここにいる? そもそも不思議探索ツアーはハルヒの奴が一方的に中止を宣言したじゃないか。
その後、やっぱやる宣言の連絡は俺の携帯には届いていないし、他3名からも同様の話は来ていない。
なのに、どうしてあの4人が群れをなして街を歩いている? ホワーイ?
 ――ツンツン。
 待てよ? 急遽再開が決まって集まったが、未だに俺に連絡が取れていないってことか? 
しかし、俺の携帯は電池切れにもなっていないし、電波状態は極めて良好だ。向こうからかければ確実に着信できるだろう。
 ――チョンチョン。
 もしかして……俺はハブられているのか? 俺なんていなくなっても、他の3人がいればいいとハルヒは思ったのか!?
そんな……そんなどうして今更になって!?
 ――ちょっと聞いているの?
 くそっ……一体俺に何の不満があったってんだ。確かに、俺は宇宙人でも未来人でも超能力者なかったさ。
だがな、これでも凡人としてはMVPに選ばれるほどの働きを見せてきたはずだ。それをここにきて切り捨てるとは
あんまりじゃないか。
 ――どうかしたの?
 いや待てよ? もしかしたら、今までもこういう事はあったのかも知れない。俺だけほっぽいて4人だけで集まるというのは
結構あったんじゃないだろうな? それで……ってさっきから誰だ、俺の服を引っ張っているのは。
 俺はさっきから接触してくる背後の人物へ振り返る。そこにはハルヒがいた。
「……なんだハルヒか。すまないが、今はお前に構っている暇じゃないんだ。俺は今おまえに――」
 そこまで言って気がついた。俺は今誰と話している?
「何よ悩みごと? 考えるのは結構だけど、こんな人混みの中でぼーっと立っていたら変人扱いされるわよ?」
 目の前で俺を諭すように言っているのは、当然ながら私服姿のSOS団団長涼宮ハルヒである。
「…………」
 三点リーダ四連発な沈黙をしてしまう俺だったが、これに関しては全俺が俺に対して拍手喝采しておきたい。
なぜなら、普段ならここで「うお!」「は、ハルヒぃ!?」という間の抜けた声を上げてしまっただろうしな。
万一、そんな驚嘆を上げてしまえば、事態収拾が極めて困難なものになっただろう。
 俺は必死に異常活発している心臓の鼓動を押さえにかかる。目の前のハルヒに悟られないように口の中で
数回の深呼吸を行った。
 よし――もう大丈夫だな。
 俺は転んでもいないのに、前進にまとわりつく違和感を払いたいのか、つい服のほこりをはたくような仕草をしながら、
「何だ、ハルヒか。驚かせるなよ」
「驚いたのはこっちの方よ。こんな路上の真ん中でなにぼーっとしてんの?」
 見れば、気がつかない間に俺は横断歩道の中に足を踏み入れていた。歩行者用信号はすでに青点滅を始めており、
あと30秒も立ては俺のすぐ隣に停車している乗用車どもから激しいクラクション攻撃を仕掛けられていただろう。
俺なしSOS団の存在を確認しようと、つい身を乗り出してしまっていたらしい。
「ほらっ! こんなところにいたら轢かれるわよ。とっとと歩道まで戻りなさい」
 そうハルヒは俺の腕を取ると、強引に歩道に向かって歩き出した。俺はそれに抵抗せずに黙って歩いていったが、
ハルヒの視線がこっちを向いていない隙にSOS団俺なしバージョンの姿を確認する。
 幸い――幸いなことなんだろうな。とりあえず、あのもう一人のハルヒの姿はすでに人混みの中に消えてしまっていた。
そうなると、今俺の視界内にいるのは、俺の腕を引っ張っているハルヒだけとなる。
 もう理解できるだろうが、ようは今俺はハルヒを二人目撃したって言うことだ。しかも、服装に違いはあれど、
顔から体型までそっくりそのままの二人をだ。
 …………
 …………
 …………
 やれやれだ。こいつは面倒なことになってきたようだぞ。
「んで、何でおまえがここにいるんだ? 不思議探索を中止にしたぐらいだからてっきり急用でも入ったのかと思ったぞ」
「……不思議探検を中止? あたし、そんなことを言った憶えないけど。そもそも今週やる予定もなかったはずよ?」
 俺の問いかけに、ハルヒは予想外の答えを返してきた。なんだなんだ? あれだけ張り切って何をしようかと
黒板に向かって熱弁を振るっていたのはお前じゃないか。それを知らないとは何を言ってやがる。
 だが、ハルヒがそんな嘘を言って何の得があるというのか。大体、このバカ正直路線まっしぐらな奴が
あからさまな嘘をつくわけがない。
 ……これは合わせておいた方がいいかもしれん。
 俺は額に手を当てて、考える素振りをしてから、
「ああ、すまん。それは先週の話だったな」
「全くその歳で物忘れが激しいなんて危ないわよ? 勉強でも何でもしてたまには頭の方も活性化させて起きなさい」
 えらい言われようだが、ここは我慢だ。目や顔つきを見る限り、俺の目の前にいるハルヒは不思議探索の中止を知らないと
見ていいだろう。この場合は逆にその事実を知られる方がまずい。
 ってなわけで、とりあえずこのハルヒをあのハルヒ――ええいややこしい、ここにいるのは一人でいるからハルヒ(少女)で
向こうはSOS団-俺のところにいるからハルヒ(団長)と呼ぶようにする。
 とにかく、このハルヒ(少女)を少しでもハルヒ(団長)から離れたところに連れて行かなければならない。
それもこのシックスセンスどころか、サウザントセンスぐらいありそうなハルヒ(少女)に悟られることなくだ。
平凡で退屈な週末が、いきなり核ミサイル搭載巨大機動兵器機動阻止クラスの特Aランク任務になったぞ。
 よし、まずは何かいいわけを……
「まあいいわ! ここであったが100年目よ! せっかくだからあたしの買い物につきあってもらうからね!」
「ちょっと待て! 俺にも用事が……」
「何よ! 団長命令よ! ほらほらとっととついてきなさいっ!」
 そう言ってハルヒ(少女)は強引に俺の襟首をつかんで歩き始めた。それもハルヒ(団長)が去っていった方にである。
「待てハルヒ! そっちは……!」
「まずはあたしの用事を済ませるわっ! 安心しなさい。その後にあんたの予定にもちゃんと付き合ってあげるから」
 もの凄い力で引きずるもんだから、抵抗もできやしねえ。
 ここにきて一瞬、目の前にいるハルヒ(少女)は偽物なんじゃないかという疑念が生まれる……というか今更だな。
だが、今更そんな考えが浮かんだというのも、ハルヒ(少女)の身振りを見ても全く偽物には見えないという証明だろう。
同様にもう一人のハルヒ(団長)も偽物だと思えない。SOS団メンバーが偽物を見破れないわけがないからな。
仮に超宇宙的パワーで偽装しても、長門までだませるとは思わない。
 結局、俺はハルヒ(少女)の行きたいところについて行くことにした。とにかく、ハルヒ(団長)とこいつを接触どころか
ニアミスすらさせるわけにいかねえ。どうせろくでもないことになるに決まっている。俺が何とかするしかない。
 
 ふと、脳裏にこんなことが過ぎる。
 誰のためにせっかくの休日をそんな面倒なことに費やすんだ?
 
 ……答えは簡単さ。他でもない、ハルヒのため、俺たちSOS団のためだ。
 
◇◇◇◇
 
 まずハルヒ(少女)に連れ込まれたのは、大型のショッピングセンターだった。
 その一角のコーナーで何やら買い物をあさっている。だが、ここまで連れてきたのにどういうわけだか、
俺は非常階段前で待機させられていた。おいおい、これじゃ何で俺を連れてきたのかわからんぞ。
「おっまたせー!」
 ハルヒ(少女)はようやく買い物を済ませると、俺の元に戻ってきた。でかい上に厳重に密封された紙袋を抱えて。
「で、一体何を買ってきたんだ?」
「ふふん、秘密よひーみーつっ!」
 そんなハルヒの(少女)笑顔は白い歯を見せて、超新星爆発クラスの輝きを放っている。
こりゃまたろくでもないことを思いついたな。ただ紙袋の大きさを見る限り、服か何かだと思われる。
そうなると朝比奈さんの新コスプレかもしれない。それなら俺も大歓迎――いや、朝比奈さんの意思を優先させて善処した考えに
達するものと申し上げておこう。
 そのまま俺たちは階段を下り――当然荷物は俺が持たされる形で、ショッピングセンターから出る。
「次はどこに行くんだ? 言っておくがあまり金の持ち合わせがないから、やれることは限られているぞ」
「そうねぇ……」
 ハルヒ(少女)はあごに手を当てて考え始めた。これはチャンスか? 今なら俺の要望をうまく呑ませて、
ハルヒ(団長)から離れた場所に誘導できるかも知れん。
「なあハルヒ。とくに行く当てがないなら、俺の用事を済ませたいんだが」
「用事って何よ?」
 俺は深く突っ込まれて、一瞬言葉に詰まってしまうが、
「えーあー、そう――勉強、参考書を買いにここにまできていたんだよ。買っていかないとオフクロに怒られちまう」
「参考書? あんたが? ふーん、へー」
 おいなんだその疑惑に満ちた視線は。俺だって勉強するときはするさ。今日は買いに来たつもりはなかったが、
最近オフクロからのプレッシャーが厳しくなってきたんで、そのかわし先として利用するのも悪くない。
……べっべつに勉強したくないって訳じゃないんだからな!
「なにぶつぶついってんのよ。仕方ないわね。じゃあ、ちょっと離れたところに大きい書店があるから行きましょ。
この団長様がきっかりといい奴を選んであげるから、まっかせなさい」
 お前に選ばせたら、変わりにUFO本や怪奇本でも買わされそうだ。
 俺の危惧も無視して、ハルヒ(少女)は悠々と歩き始めた。俺はそれについて行きながら、周囲に警戒心を配る。
ハルヒ(団長)ならず、長門・朝比奈さん・古泉の姿を発見次第、すぐにルート変更を試みなければならないからな。
 そんな状態を続けつつ、500メートルほど歩いた辺りで、
「ちょっと、さっきからなにきょろきょろしてんのよ」
 ハルヒ(少女)が振り返って言ってきた。
 なんて奴だ。さっきから俺はハルヒ(少女)のわずか後方を歩いていたので、振り返らないと俺の表情なんて
わからなかったはずだ。だが、一度も振り返らずに、気配だけで俺の警戒心を悟るとは、聖人かこいつは。
「いや、あの――」
 言葉に詰まってしまったせいで、俺はとんでもない失態を犯す。
「古泉たちがいたりしないか――なんて……」
 言ってから気がつく。なんてやばいごまかし方をしちまったんだ。この流れではハルヒ(少女)が
古泉たちを呼ぶべく電話をかけるに違いない。そして、どうにかして接触しようとするだろう。
だが、向こうにはハルヒ(団長)がいる。ましてや、ハルヒが二人いるという状態を古泉たちが察知していなければ、
向こうも不自然な反応を示すだろう。それを見逃すハルヒ(団長)ではない。
 だが、ハルヒ(少女)は、
「ふーん。あんたも古泉くんたちがいた方がいいの? でもせっかくの休日なんだから、見かけても邪魔しちゃダメよ」
 ……これは予想外だった。てっきりハルヒのことだから、俺にあった時点で不思議探索をするわよっ! 全員集合!
とかいう気分になりそうなものだと思っていたが。
 だが。
 よくよく考えてみれば、ハルヒは何かをやる――特に外出の場合は、事前に予定を立てた上で必ず告知している。
告知の仕方には大いに問題はあるが、それをやらずにいきなり休日に呼び出したりしたことはなかったはずだ。
そう言った意味ではハルヒ(少女)の返答には違和感はないと判断できるな。
 しかし、ハルヒ(少女)は別の事を思いついたらしく、ぽんと手を叩くと、
「言われてみれば、今日あんたとあたしが出会う確率なんて皆無に等しかったのよね。
でも、お互い予定も知らなかったのに、ばったりとこんな人がごったがえす場所で遭遇できた。
これはすごいことだと思わない!? 確率だけで言えば、天文学的なものになるはずよ!
ふふん、今日は何かあるわね! きっと宇宙人とかがあたしに接触を試みようとしているに違いないわ!
よし決めた! 今日はあんたと二人で不思議探索をするわよ!」
 おいおい、いくらなんでも短絡的すぎるだろ。同じ地域に住んでいるんだから、ばったり会ったって不思議はないと思うが。
「バカね! いい? この地域でこの人口密度で偶然会うなんて考えられないわ! これは絶対に何かある。
待ってなさい! 絶対に不思議なものたちからの接触を取り逃がしたりしないんだから!」
 俺の参考書探しはどうするんだよ?
「あとよ、あとで! 今は一分一秒も逃せないわ。とにかく行くわよっ!」
 そう言って、ハルヒ(少女)はまた俺の腕をつかんで歩き出した。やれやれ、行動力はいつもの通りだな。
二人に分裂しているなら、パワーも半減化してくれよ。
 そのまま、また俺たちは繁華街の中心に向かって歩き始めたが――
 ――右側を見て。
 突如、俺の頭に長門の声が響いた。俺は反射的に首がそちらへ向く。
 右手にはビルや商店が建ち並んでいるが、俺のいたのはちょうどその隙間のあるところだった。
人一人が歩けるぐらいの細い隙間だったが、障害物などは全くないために建物の向こう側の道路が見えた。
そして、そこに一人の影が通る。
「…………!」
 俺は叫び声をぎりぎりで押さえ込んだ。
 それはハルヒ(団長)だった。続いて、その後ろを長門が続いていく。ちらりと視線だけをこっちに向けているようなので、
さっきのは俺にニアミス寸前だと警告を発してくれたのだろう。助かるぜ、長門。
 さて緊急事態発令だ。ワーニンワーニン。
 まず現状を把握しよう。現在、俺とハルヒ(少女)が歩いているのに併走するようにハルヒ(団長)のSOS団俺なしがいる。
 ただ併走しているだけなら、お互いの姿を確認できる確率は低いが、実は俺たちと向こうの道は、
この先数百メートルの場所のY字交差点で合流しているのだ。このままでは交差点で額をごっつんこすることになる。
 向こうのハルヒ(団長)が止まってくれればいいが、こっちからではどうしようもない。
ならば、ハルヒ(少女)の歩みを止めるしかない。
 ここからY字交差点まで目算200メートル。ハルヒ(少女)の歩く速度を考えれば、あと180秒で交差点までつくだろう。
俺は腕時計で現在時刻をチェックし、時間を計り始める。
 方法としては、何がある? 適当な言い訳でハルヒに方向転換させるか? だが、あの意気揚々の調子じゃ
例えジュラルミン盾を持った機動隊の壁ですら押しのけて進みそうだ。
 ――あと170秒。
 なら、何か話して遅延させるというのは? いや無駄だ。Y字交差点の信号は切り替わるまで60秒ぐらいはかかるだろう。
そうなると、例えここで遅延工作を行っても最低でも60秒の遅延を行わなければ意味がない。
いや待て。信号越えて歩いていく間の時間も考慮しなければならない。そうなると――ああ、無理だ。
どのくらいの遅延を行わなければならないのか、想像もつかない。
 ――あと150秒。
 大体、ハルヒ(団長)がY字交差点で俺たちの道に向かってきたらどうするんだ? ここからでも、Y字交差点の人の姿は
くっきりとは行かないものの、それなりに判別は可能だ。見覚えのある人間ならすぐにわかるだろう。
 ――あと125秒。
 ああ、ちくしょう。どうすりゃいい? いい手が思いつかない。いっそここで腹痛のフリでもしたら?
待て、騒ぎを聞きつけたハルヒ(団長)がやってきかねん。
 ――あと110秒。
 ――あと100秒。
 ――あと90秒。
 ――あと80秒。
 ――あと70秒。
 ダメだ。思いつかねえ。もう目の前にY字交差点が来ている。万事休すか!?
 ――あと60秒。
 と、ちょうどまた建物の隙間の前を通り過ぎていたんだが、そこの壁に何か張り紙があることに気がつく。
幸いなことにここの隙間は向こう側に通じていなかったので、ハルヒ(団長)の姿はない。
 ――あと50秒。
 その張り紙に書かれていた内容に、俺はひらめく。これにかけるしかねえ……!
「おい待てハルヒ!」
 俺は前を歩くハルヒに向かって、できるだけオーバーに声を上げて呼び止めた。
 ただならぬ俺の口調に、ハルヒ(少女)は振り返りつつ、
「ちょ、何よ。そんな大きな声を上げて」
 うまい具合に立ち止まってくれた。後は、ハルヒ(団長)から見えないようにこの路地にハルヒを連れ込めれば……
「変な張り紙があるんだ。見てくれ」
「なによ?」
 俺たちはそこに入り、張り紙を見る。
 『右を見ろ』
 張り紙に書かれていたのはこれだけだった。ちなみにこの場合の右というのは、隙間の奥の方を指している。
「見ろよ、何かすごく怪しくないか」
「…………」
 俺が煽るように言うと、ハルヒ(少女)は真剣なまなざしで黙ったままじっとそれを見つめている。
 ハルヒ(少女)はその張り紙を無造作に引きはがすと、それを太陽に好かしてみたりし始めた。
だが、とくに変わったところはない。
 正直、早いところこの張り紙の内容に従って、奥まで行ってほしいわけだが、こんなときだけ変な慎重ぶりを発揮しないでくれ。
しかし、妙な素振りを見せるわけにも行かん。自重だ、がんばれ俺。
 やがて、ハルヒ(少女)は張り紙を持ったまま、隙間の奥に向かって歩き出したので、俺はほっと胸をなで下ろした。
 俺たちが行き止まりまで隙間を進むと、そこにも張り紙が。
 『左を見ろ』
 奥に向かって左手側を見ると数メートルぐらい進める隙間があった。
 今度はハルヒはその張り紙をはがすと、左手に進む。そこにもやはり張り紙が。ついでになぜか薬局かなにかの店頭に
置かれていそうな空気で含むタイプの人形が置かれている。頭にマジックで藤パンとか書かれているが、何だ?
 『上を見ろ』
「はっ、なるほどね」
 ハルヒ(少女)はここで脇に手を当てて、得意げにため息を吐く。
 何がなるほどなんだ?
「古い引っかけ――まあ、コメディよ、これは。古すぎてほこりをかぶっているぐらいにね」
「どういうことだ?」
 ハルヒ(少女)は指を次の張り紙が貼られているであろう上の方を指しながら、
「右を見ろ、左を見ろ、上をみろ、でしょ? なら次に書かれているのは『ざまーみろ』に決まって――」
 『今時そんなギャグをやるわけねーだろ、ボケェ』
 俺とハルヒ(少女)が見た先にあった張り紙の内容だった。一瞬二人とも目が点になるが、
「ぬんがー!」
 完全にこっちの動きを読まれたことにぶちきれたのか、それともあまりのくだらなさに憤ったのか、
ハルヒは目の前に置かれていた。空気の人形をボコスカ殴り始めた。ちょうどいいサウンドバックになっているようで
なんとか百烈拳とか流星拳のようにパンチの雨あられをお見舞いしている。
 ふと、俺の背後に人影があることに気がついた。恐らくこのくだらない仕掛けを作った人間だろう。
わざわざ二人のハルヒ遭遇を回避させてくれたんだ。敵であるとは思えない。
 俺はパンチからスリーパーホールドに切り替えて、人形を締め上げるハルヒ(少女)に気がつかれないようにバックして、
その人物の前まで行く。
「こんにちは、森園生です」
 って、森さんかよ。大きめのトレンチコート、その下にはネクタイ・スーツ、肩に掛かるぐらいの髪、
視線が見えないような濃いサングラスとまるで別人だ。何だか、ノートに向かって削除削除ゥ!と叫び出しそうな迫力がある。
男にしか見えん。
「事情は把握しています。すでにもう一人の涼宮ハルヒさんは別の場所に誘導しました」
「助かります」
 俺は内心だけで大きくため息を吐いた。
 森さんは続けて、
「古泉と連絡を取れるようにします。これを」
 俺は森さんから透明のイヤホーンを渡された。簡単な説明によると、無線機らしく透明度が高いものなので、
ぱっと見た目では付けていないように見えるものらしい。中に何の機械も見えないが、もとはただのガラス細工で
それに長門が何か仕掛けを施しているとのこと。長門様々だな。
「わたしはここで引き上げます。あとは隙を見て古泉たちと連絡を絶やさないでください」
 森さんはそう俺に告げると、外に出て行った。
 俺はすぐにイヤホンを耳に装着すると、古泉の声が聞こえてきた。
『聞こえますか? 聞こえたなら、小さな声でいいので答えてください』
(ああ、聞こえるぞ)
 俺は目の前に立っている相手にも聞こえないような小声で返答する。
『よかった。とりあえず、このままにしておきます。あと、涼宮さんの現状についてはこちらでも把握しています。
何とか二人を接触させないように努力していますので、そちらもお願いします』
(了解だ。そろそろハルヒも平常心を取り戻すだろうから、話はまた後でな)
『わかりました』
 とりあえず、向こう側とこっちの意思疎通はできたって訳だ。それだけでも大進歩だな。
 俺はまだボカスカ暴れているハルヒを止めにかかる。
「おいハルヒ、いい加減にしておけ」
「まったくもう! 誰よ、こんなくだらない仕掛けしたのは!」
 ぜいぜいと息を切らせながら、ハルヒ(少女)は最後の一発と言わんばかりに空気人形の額にデコピンをかます。
「で、さっきのは誰?」
「は?」
 ハルヒ(少女)の指摘に俺は思わず間の抜けた声を上げてしまう。頭に血を上らせていたってのに、ちゃんと俺と森さんの接触を
確認していたんかい。
 俺はすぐに、
「ああ、さっきの人か。おまえが奇声を上げて暴れていたいたから、見に来たんだよ。事件でもあったのかって」
「ふーん」
 ハルヒ(少女)は、暴れた際に吐いたほこりを落とすように、ぱんぱんと服を叩くと、
「あーもう、下らないことで時間を喰っちゃったわ! すぐに行くわよ、時間ないんだから!」
 そう言って俺たちは路地から出た。
 
◇◇◇◇
 
 俺たちは通行量の多い道路の歩道を歩く。ハルヒはあちこちきょろきょろしながら、あいつの望むものを探していた。
 一方でニアミスが近くなれば、古泉の方から連絡があるはずだから、さっきに比べれば気が楽になっていた。
おかげで余裕ができたせいか、腹が減っていたことに気がつくぐらいだ。
 が。
『ちょっとまずいことになりました』
 突然古泉の声が耳元で響いた。
(何かあったのか?)
『油断しました。どうやらどこかでそちらとニアミスしていたようです』
(なんだと!?)
『ですが、涼宮さんの姿を確認したわけではないようです。こちらの涼宮さんがあなたの姿を見たと』
(別にそのくらいなら大丈夫だろ。何とかごまかして……)
『それも女の子と一緒に歩いているところを見たと言っていまして』
 俺の身体から一気に血の気が引いた。最悪ではないだろう。もう一人のハルヒ(少女)の存在に気がついたわけではないんだから
だがはっきり言おう。俺が女連れで休日ぶらぶらしていたなんて、ハルヒ(団長・少女問わず)が聞きつけたらどうなる?
 ……考えたくもない事態が発生してしまったようだ。
(で、俺はどうすればいいんだ!?)
『涼宮さんの行動パターンは決まっているでしょう。すぐにあなたの携帯電話に――』
 古泉の言葉が終わる前に、俺の携帯が鳴り出した。ここで着信音をマナーモードにしておいたことについては、
俺自身をほめてやりたい。おかげで、俺の前を歩くハルヒ(少女)にはそれをきがつかれなかったんだからな。
『とにかく出るしかありません。ここで納得できる理由をあなたに言わなければ、
涼宮さんは意地でもあなたを見つけ出そうとするでしょう』
 ぞっとする話だ。何も知らないハルヒ(少女)を連れて、俺を追撃しているハルヒ(団長)から逃げ回る
――それもハルヒ(少女)に悟られずにだ。無理に決まっている。
(どうすりゃいいんだ!?)
 古泉に返した言葉だったが、つい声量が上がってしまっていたらしい。前を歩いていたハルヒ(少女)が、
「え? 何か言った?」
 と、こちらに振り返る。いかん、ごまかさなくては。
「……なんだ? 何も言ってねえぞ」
 すっとぼける俺にハルヒは、じーっとジト目視線をぶつけてくる。この状態で純粋無垢な瞳を向け続けるのはきついぜ。
 あと、なりっぱなしの携帯にも気がつかないでくれよ、頼むから。
 数秒それが続いたが、やがてハルヒ(少女)は眉毛をつり上げて、
「全く今日のあんたは何かおかしいわよ。そわそわしているみたいだし。もっと集中して探さないと、
不思議なものたちのメッセージを見つけられないんだから。しゃきっとしなさい、しゃきっと!」
 そう言ってまた俺に背を向けて歩き出した。今俺の寿命は確実に10%引きになった。労災は誰に申請すればいいんだ?
『そちらでの応答は難しいですか? そろそろ涼宮さんの忍耐力が臨界に達しそうなんですが』
(出れたらとっくに出ているさ。そっちのハルヒを少しでもなだめてくれ。こっちも何とかする)
 俺は一旦通信を終了して、考え始める。
 今俺がやるべき事は目の前にいるハルヒ(少女)の気づかれない状態で、ハルヒ(団長)と携帯電話で話すことだ。
さっきより難関だぞ。ハルヒの目の前で電話するという手段はないこともないが、その場合俺の話し相手がハルヒ(団長)で
あることを悟られないようにする必要がある。いや、それだけじゃない。俺が話してもハルヒがさして興味を見せない相手と
電話しているように振る舞わなければならない。だが、相手もハルヒ(団長)だ。そんなオフクロと電話しているような話し方では
ハルヒ(少女)はごまかせても、電話相手のハルヒ(団長)はごまかせない。
 ――一旦、着信が終了したが、またすぐになり出す。古泉め、一瞬にして失敗したな。
 次のプランだ。何とかハルヒ(少女)を俺の目から離れた場所に置く。姿が見えてもいい。声さえ聞こえなければ
会話内容は悟られないから、その後に勧誘電話とか妹からだったと言えばいいのだ。
 問題はどうやってハルヒ(少女)を引き離すかだ……そう言えば、本気で腹が減ってきたな。
 俺は空腹にピンと来る。厳しい――が、今はこれに賭けるしかない。
「なあハルヒ。腹減っていないか?」
「……そう言えばちょっと空いてきたかも」
 そうハルヒ(少女)は自分の腹をさすって、空腹を確認した。よし第一ポイント通過。次。
「じゃあ、その辺りのファーストフードにでも入らないか?」
「でも、そんなことをやっている場合はないわよ。善は急げっていうでしょ? 不思議なことが逃げちゃうじゃない」
「だが、急がば回れとも言うぞ。それに腹が減っても戦はできぬともな。俺はもう腹がぺこぺこなんだよ」
 ハルヒ(少女)はあごに手を当てて考え始める。ファイナルアンサー後のようなプレッシャーの中、
知らぬ間に浮かんでいた額の汗を俺はぬぐった。
 やがてハルヒ(少女)はほうっとため息を吐くと、
「仕方ないわね。じゃ、どこかで腹ごしらえしましょ。あんま時間内から簡単なところですませるわよ」
 そういって手近な店に向かって歩き出した。よし、第2ポイント通過。
 ここで、店に入ってトイレに行くフリをすればいいという人もいるだろうが、それは甘い。
トイレのような密室空間に入ると、ハルヒ(少女)の動きがわからなくなるため、どこで聞かれているかわからないという
不安がつきまとう。さらに休日の昼時という状態のため、どこも店は混雑気味だ。トイレの待ち行列ができていた場合、
それを待たずにハルヒ(団長)の堪忍袋が切れるだろうな。
 だからこその第3ポイントだ。ハルヒ(少女)が俺から見える位置で、なおかつ声の聞こえないほどの距離を取る方法。
 それはすぐ目の前にある銀行のATMが鍵となる。
 俺はポケットから財布を取り出すと、財布の中をのぞき、
「あ、すまんハルヒ。俺、金が足りねえ」
「は? バッカじゃないの。そんなからっぽの財布で街に出てきていたわけ?」
「家できちんと確認したつもりだったんだけどな……」
 できるだけ困ったような表情を俺は取り繕う。いいか、冷静に行けよ、俺。焦ることはない。慎重にだ。
「で、どうする気? お金ないんじゃ、ご飯も食べられないわよ」
「すまんハルヒ! ちょっとだけ金かしてくれないか?」
 大げさにハルヒ(少女)の前で手を合わせる。すぐ隣には銀行のATMコーナー。頼むよハルヒ(少女)。
たまには俺の望んだとおりに動いてくれ。
 ハルヒ(少女)は想定外の頼み事をぶつけられたせいか、珍しくあわて気味に財布の中身を確認し出す。
すると、険しい表情で、
「そうは言っても、今日はあたしもあんまり……仕方ないわね。ちょっと降ろしてくるから、そこで待っていなさい」
 そう言ってハルヒ(少女)は銀行のATMコーナーに入っていった。
 よっしゃ! 完璧と言っていいほどにオールグリーンだ! あとはこっちのハルヒ(団長)を何とかして、
『くぉらぁ! キョン、何で電話に出ないのよっ! 団長をこんなに待たせるなんていい読経しているわねっ!』
 臨界点突破寸前のハルヒ(団長)のすさまじい怒声が、俺の耳どころか周辺に飛び散った。
その音量に周りの人たちの視線が俺の方に一斉に集まる。
 目立つわけにも行かないので、俺はATMの操作中のハルヒ(少女)の姿を確認しつつ、物陰に入る。
「いや、すまん。いろいろ取り込んでいてな……」
『取り込み中? 一緒にいた女の子と? えーえー、理由はちゃぁぁぁぁぁぁんと聞いてあげるから言いなさい。
しっかりと脳に刻み込むまで聞いてあげるから』
 何がそんなに不満だというのか。別に休日に女の子と二人っきりで歩くってのは、世界各国独り身男子のあこがれだぞ。
 と、ここでATMにいたハルヒ(少女)が操作を終えたようで、金を取り出しているのが目に入る。
いかん、よく考えてみれば自動が売りのATMにそんな時間がかかるわけがない。とっととハルヒ(団長)を納得させなければ……
 俺は必死に考えるが、迫るハルヒ(少女)と迫ってくるハルヒ(団長)のプレッシャーで思考回路がショート寸前だ。
ええい、なるようになれ!
「すまんハルヒ。とりあえず、誰かと会っていた訳じゃないんだ」
『じゃあ、あのすぐ隣で話していた女は誰よ?』
「えーとだな。事情を説明するとややこしくなるんだが……」
『話してみなさいよ』
 視線はなくても、声だけでなんつー迫力だ。並の人間なら聞いただけで泣いて謝りかねない。普段からハルヒ眼力に
慣れていてよかったよ。
「あー、商店街を歩いていたら、突然羽の生えたような格好の女の子がぶつかってきてな。
そいつが俺の手を引いて走り始めたんだよ。何があったのか聞いてみれば、何と露天の鯛焼きを盗んできたんだと。
何で俺がそんなことに巻き込まれなきゃならんのかと思いつつも、放っておく訳にもいかないから、
手近な喫茶店に身を隠そうとしていたんだ」
 ……なにも考えずにいったら、寄りにもよってとんでもない言い訳が飛び出してしまった。何を考えているんだ、俺の口。
 当然ハルヒは、全く信じられないという口調で、
「はあ? あんた何いってんの。そんなの信じられるわけないじゃない。大体それって――」
 ここでハルヒ(団長)は息を呑んだような声を上げると、
「はっ!? そうか! ツッコミね! ツッコミを待っているのね! そうはいかないわ、絶対にツッコんであげないんだから!」
 ブツッ――ツーツーツー……
 …………
 …………
 何だかわからんが、変な対抗心を出してくれたらしい。そこで電話を切ってしまった。
 とりあえず……乗り切ったのか? これでいいのか?
「だれと電話してたのよ」
 突然、ハルヒ(少女)の声が飛んできたので、内心でうおわっと叫んだ。それでも口に出さないんだから、大したモンだぜ俺!
 俺は携帯電話をしまいつつ、
「妹からだよ。ちょっといろいろあってな」
「そう」
 幸いなことにハルヒはそれ以上追求することなく、ファーストフード店に向かい始めた。
 やれやれ。最大の山場を越えられたようだ。
 
◇◇◇◇
 
 その後、俺とハルヒ(少女)はいつも通りに不思議探索ツアーを実施した。
 公園、路地裏、排水溝とそれはもういろんなところに行ったね。ハルヒ(少女)の気まぐれで途中から古い古本屋めぐりになり、
次は怪しげな中古なんでもショップツアーとなった。
 そういや、ハルヒと二人でこんなに歩き回ったのはずいぶん久しぶりだな。別にデートとかではないが、
それなりに楽しかったよ。時間を忘れるほどに。
 ただ、やっぱり他の連中もいないと少々物足りなかったのも事実だったが。
 その後、ハルヒ(団長)から電話がかかってくることはなかった。気になったので古泉に確認を取ってみたところ、
もうかけることはないから大丈夫とだけ言われた。ニアミスも機関のこちらの追跡体勢が整ったため、もう起きることはないとも。
ま、いろいろやってくれているみたいだから、感謝しておこうか。
 
 ところで、ハルヒ(少女)から出任せで借りる羽目になった万札だが、トイチだと法律違反の利子を付けられたことを
記しておく。この領収書はどこに渡せばいいんだ?
 
◇◇◇◇
 
 そんなこんなで日が傾きある時間になった。これで俺の超高度任務は終わりって事になる。
 俺たちは帰路につくべく、駅に向かって歩いていた。
 が、しかし、事態はそんなに単純ではなかったことに、古泉からの連絡で気がつかされる。
(こっちは終わったぞ。今駅に向かっている)
『ちょっと待ってください。そのまま涼宮さんを帰らせるつもりではないでしょうね?』
(そのつもりだが、何か問題でもあるのか?)
『いいですか? 今涼宮さんは二人いるんですよ? このまま家に帰らせたらどうなると思います?』
 またまた俺の全身から血の気が引く。まずい、すっかりこの街内だけの話として捉えていたが、
事態が解決した訳じゃなかったんだ。このままハルヒ(団長・少女)を帰らせれば、当然家で遭遇と言うことになってしまう。
だが、どうしようもねえぞ。まさか帰らせないわけにもいかん。
 そんな俺に古泉が浴びせてきた言葉は、もう冷酷非道以外の何物でなかった。
『その通りですよ。涼宮さんを家に帰らせるわけには行きません。どうにかして、この街でとどまらせる必要があります』
(無茶を言うな。そんな手があるとは思わねえぞ)
『あります。一つだけ』
 ……いやな予感がするが言ってみろ。
『あなたとそちらの涼宮さんでホテルに泊まればいいんですよ。安心してください。そこそこの部屋を機関の方で用意しています』
 待てい。一体どんな思考パターンを介せば、そんな結論にたどり着くんだ? どんな理由でハルヒを篭絡しろっていうのか。
無理に決まっている。却下だ却下!
『ですが、他に方法はありません』
(例えば、お前の方のハルヒを誘ってどこか合宿にでも行けばいいだろ。ちょっと怪しげなシチュエーションの館でも用意すれば、
ホイホイと乗り気になるだろうよ)
『機関の組織力が高いと言っても、涼宮さんの望む舞台を数十分で用意するのは無理です。
さっきも言いましたが、あなたが涼宮さんをホテルに連れ込むという方法しかないんですよ。
そして、こちらの涼宮さんには家に帰ってもらいます』
 連れ込むとか言うな。
『失礼しました。しかし、機関の頭脳を全て費やして出せた回避方法はそれだけです』
(……だが、どうやればいいのかわからんし、ハルヒが了承すると思えん)
『大丈夫だと思いますよ。涼宮さんは団員――特にあなたについてはきっちり世話をするタイプです。
冬の一件の時、涼宮さんは寝袋を持ち込んで病室に泊まっていたことを憶えていますよね?』
(あれは事故の結果だろ)
『その事故と同じレベルの理由を涼宮さんにぶつければいいんですよ』
(……それを俺に考えろと?)
『ええ』
 他人事だと思って簡単に言ってくれるな、古泉の野郎は。
 しかし、他に理由がないというのも事実かも知れない。
 そして、何よりこのままハルヒ(少女)を家に帰したくない――というか、ハルヒ(団長)と遭遇させたくないのは、
れっきとした俺の本心だ。
 それを避けるためなら――
「ハルヒ」
 俺はふんぎりを付けて、ハルヒ(少女)に声をかける。事情を知らないハルヒは不思議そうな顔をこっちに向けてくる。
 …………
 …………
 …………
 そのまま、二人の間に沈黙が流れた。俺がなかなか口を動かせない間、ハルヒはじっと無表情で俺を見つめていた。
 ええい! 時間をかけるとますます言えなくなりそうだ。なるようになれ、強行突破!
「ハルヒ。今日はお前を家には帰さない」
「は?」
 俺の言葉にハルヒ(少女)は目を白黒させる。だが、そんな表情をいちいち見ている余裕はない。
「しばらく二人っきりになりたいんだ。ホテルを取ってある。さあ行こう」
「はあ!?」
 そう言って、俺はハルヒ(少女)の手をつかんで、歩き出した。
 なんで~どうして~俺がこんな事を~♪ 思わず自作の歌を歌いたくなる心境だ。
 
 ……ただ、どういう訳だかハルヒは積極的ではないにしろ、俺の手を拒絶するようなことはなかった。
 
◇◇◇◇
 
「キョン……これは一体どういうことなのか説明してもらいましょうか……!?」
 ハルヒ(少女)が俺に青ざめた顔を向けてきた。ちなみに俺の顔は真っ赤っかである。当然、怒りによってだ。
 俺は少しハルヒ(少女)から離れて古泉に抗議しようと思ったが、さきに動いたのはハルヒ(少女)の方だった。
「あ・ん・たねぇぇぇぇぇぇ! きっと深い事情があるだと思って黙ってついてきたけど、こんな――こんな!」
 そうわめきながら、俺を強烈に締め上げ始める。
 全身が悲鳴を上げて痛みに意識が飛びそうになるが、俺はぎりぎりで保っていた。古泉をぶん殴るまでは
死んでも死にきれんからな!
 不幸中の幸いと言えばいいのだろうか。ハルヒ(少女)は激怒のあまり大声でわめいているせいで、
俺が古泉と通信してもその耳に届くことはないだろう。
『何かありましたか?』
(ああ、お前をぶん殴るという重要な用事ができた)
『……よかれと思ってやったんですが……』
 本気で言っているのなら、マジで半殺しの刑だ。
 古泉の指示に従ってやってきたホテルは、中クラスと言ったものだったが、問題は確保されていた部屋だ。
入ってみてびっくり仰天、ベッドが一つしかないのである。
(ふざけんな。いくら何でも冗談にもほどがあるんだよ!)
『いっそのこと、そこで添い遂げていただければ、一気に事態解決するのではないかと踏んだんですが』
(何でも良いから、とっとと適当な理由をでっちあげて、別の部屋を用意しろ! もちろんベッドは二つでな!)
 
◇◇◇◇
 
 そんなこんなで、ホテル側のミスという形で片づけられ、俺たちはベッドの二つある部屋に案内された。
 しかし、やはりハルヒ(少女)は俺から数メートルの距離を維持していて、警戒心バリバリである。
幸い、部屋には素直に入ってくれたが。
「で、これは一体どういう事なのか、きちんと説明してくれるわよね。ここまで黙ってついてきてあげたんだから。
本当に下らない理由だったはあんたをぶん殴ってすぐ帰るわよ」
「…………」
 ハルヒはベッドの上であぐらをかいて俺への追求を始めてきた。当然ながら、俺の返答は詰まってしまう。
 本当のことなんて言えるわけないし、かといってハルヒ(少女)をこんなところに連れ込むような適切な理由は
さっぱり思いつかん。まさか、若い男子の青春的理由なんてぶつけたら、半殺しにされたあげく帰ってしまうだろう。
「……すまないが言えないんだ」
 俺の結論はこれだった。自分の気持ちを正直言う。つまり本当の理由は言えない。これが偽ることのない俺の本心。
 もちろんそんな理由でハルヒは引き下がるわけもない。
「納得できないわよ。そんなんじゃ」
「言えないんだ。どうしても」
 もう俺はこういうしかなかった。次第にハルヒは眉毛をつり上げ始める。「帰る」という言葉が飛び出すのは時間の問題だろう。
 俺はおもむろにハルヒ’少女)の肩に両手をかけ、
「理由は言えない。俺のわがままであることは確かだ。だが――すまないが――俺と一緒に……いてくれ……!」
 自然と俺の言葉に力が入った。
 ハルヒ(少女)を家に帰したくない。
 なぜか?
 世界を守るため? そんな理由じゃない。
 もしも。
 もしもハルヒは自分が二人になっていることに気がつけば。
 
 一番傷つくのはハルヒ自身だと思うから。
 ……俺はそれが一番いやだったから。
 
 それが俺の嘘偽りのない、純粋まっすぐな気持ちだ。
 
 
 ハルヒは、しばらく睨みつけるように俺と目を合わせていたが、やがて観念したように、
「わかったわよっ……。理由はわからないけど、いつもぼーっとしているあんたがそこまで思い詰めているなんて
普通じゃないことは理解できたわ。いいわ、一緒に居てあげる。でも、少しでも変なことしたら許さないからね!」
 安心しろ、そんな気はさらさらないからな。
 
◇◇◇◇
 
 俺たちは二人で食事を済ませ、テレビを見たりしてだらだらと過ごしていたが、やがてハルヒはベッドに潜り込んで
眠り始めてしまった。俺はそれを確認すると、浴室まで移動し、古泉との通信を始める。
(こっちは無事に終わったぞ。そっちはどうだ?)
『こちらの涼宮さんは無事に自宅に到着しました。機関の方で確認済みです』
 そうか、やれやれ。何とか今日は乗り切れたって訳だな。
(ええ、僕らは)
 は?
『失礼しました。何でもありません。で、今後の予定ですが後であなたにお知らせします。今の内にゆっくり休んでください』
(わかった)
 そこで通信終了。俺もベッドに戻る。
 ハルヒはどんな夢を見ているのか、幸せそうなツラで寝息を立てていた。全くお前には本当に手間をかけさせてくれるよ。
 
 俺は明かりを消してベッドに潜り込んだ。起きてまだ同じ状態が続くなら明日も忙しくなるだろうからな。
 ふと、もう一人のハルヒ(団長)のことが脳裏に過ぎる。
 あの電話以降、ハルヒ(団長)は俺に接触してこようとはしなかった。あれだけ拘っていたのも関わらずだ。
なぜだろうか? 古泉たちが俺がいなくてもいいようにうまくやったんだろうか。
 
 その理由について、俺は夜が明ける前に知らされることになる。
 
 
 ~~一日目-Bへ~~

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最終更新:2007年07月17日 00:34