Report.25 長門有希の憂鬱 その14 ~喜緑江美里の革命~


 わたしの詰問を受ける間も何一つ表情を変えなかった喜緑江美里は、やがて静かに口を開いた。
「ねえ、長門さん。わたし達が『望み』を持つことは、許されない行為だと思いますか?」
 江美里の様子がおかしい。
「人間のように、誰かと一緒にいたいと思うことは、異常動作ですか?」
 声が震えている。
「無くしてしまったものを取り戻したいと思うことは、ありえないことですか?」
 目が潤みだした。
「そのためになら、どんなことでもしてやろうと思うことは、おかしいことですか?」
 やがて……
「泣いているの。」
「ええ、そうです。泣いています。」
 彼女はいつもの微笑を顔に貼り付けたまま泣いている。
「わたしが泣くことは、いけないことですか?」
 彼女の目からは大粒の涙が零れている。
「ただ観測と事後処理だけしていれば良いのですか?」
 涙はその量を増していく。
「それならなぜ、わたしにそのような機能が付いているのですか?」
 涙が止まる気配はない。
「泣けば泣くほど、『悲しい』のです。『苦しい』のです。」
 時々しゃくり上げながら、
「泣いてはいけないのなら、そのような機能など最初から付けなければ良いのです。」
 彼女が涙を流しているところも、
「こんなに『悲しい』なら……こんなに『苦しい』なら……涙など……涙など要らないのに!!」
 このように声を張り上げる場面も、初めて見た。


 わたし達三体の端末は、揃って『泣く』機能を持っていたことになる。確かにおかしな話。
 朝倉涼子なら、まだ分かる。彼女は怪しまれず物理的に涼宮ハルヒに近付くために、人間と同等の動作ができなければならなかった。だから人間の仕草を細かく研究して動作が設定されていた。恐らくわたし達の中で最も人間らしい行動をしていただろう。
 しかし、それもあくまで上辺だけ。今なら分かる。実際にはその仕草の基となる、人間の『感情』を理解していないので、恐ろしくその場に不似合いな仕草であっても平気で行った。笑顔のままで人間を殺そうとするなど、通常の人間にはありえない行動。
 わたしはどうか。涼宮ハルヒを観測し、入手した情報を情報統合思念体に報告することが、わたしの存在理由。彼女の嗜好を考慮し、わたしは『無口で無表情な読書少女』として設定された。『彼』の言葉を借りれば、『部室の備品』、『置物』と呼ばれるほど、存在感も動作もない個体だった。わたしは論理的に彼女に近付くために、極力観測に影響を与えないような性格付けがなされた。何にも動じることなく、何も動かすことなく、淡々と事実を記録し、報告し続けること。そのような動作を期待されて配置された。
 しかし、わたしは壊れた。観測対象の能力を盗み出し、情報統合思念体を消滅させ、世界を改変した。『彼ら』とわたし自身の手によってその異常動作は修正されたが、その件で一時はわたしの処分も検討された。結局処分は、『彼』の恫喝によって見送られることとなり、わたしは未来の自分に対する同期機能を封印する代わりに、より広範な自律行動の権利を得た。
 そのようなわたしの監査役に選ばれたのが、江美里。
 彼女は、周囲の人間の意識に上ることなく完全に気配を消し、その環境に溶け込む能力に長けている。人間の言葉で表現するなら『隠密』か。
 彼女は完璧だった。情報統合思念体の意思に基づき、職務を忠実に全うした。わたし達三体の端末の中で、最も端末らしい個体と言える。……それが当たり前で、わたしと涼子の二体が、あまりに端末らしくないだけかもしれないが。
 しかし、わたしは思う。涼宮ハルヒに関わったもの達は、人間非人間生物無生物を問わず、すべての存在が変容している。その事実から考えれば、江美里もまた、変容していることは十分に考えられる。
 職務に忠実な、優秀で完璧な端末から、全く別の存在へ。例えば……不幸な事故と心の行き違いで退学せざるを得なくなった友人のために、方々に掛け合って誤解を解き、復学を勝ち取ろうと懸命に地道な活動に取り組む、健気な少女という存在へ。
 今目の前にいるのは、圧倒的な権力を前に、たった一つの小さな願いを叶えたいだけと涙する、一人の無力な少女。わたしにはそのように思えた。少なくとも、無限に近いような能力を持つ、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイスには思えなかった。


 このような時どうすれば良いか、今のわたしには分かりきったこと。わたしは江美里に近付くと、未だ泣き止まない彼女を抱き締めた。
「ひっく、うう……何の真似ですか?」
「人間の真似。」
「なぜこのようなことを……ひっく。」
「あなたも、わたしに同じことをした。」
「確かに、うっ、しました。でもそれは……ほんの戯れで……」
「それは嘘。この方法は、人間にとって、とても効果がある。」
「そうですね……ひっく。でも、わたし達は人間では……」
 わたしは、江美里を抱き締める腕に、更に力を入れた。
「この行為に効果があることは、実感として人間から学んだ。わたし達はインターフェイス。人間でも、情報統合思念体でも、どちらでもない。どちらかの流儀だけに合わせる必要は皆無。様々な手段から、最も効果の高い手段を選択するべき。それだけのこと。」
 わたしは、このことを人間から強く学んだ。
「わたし達のこのような行動を、『感情』によるものだと仮定するならば、情報統合思念体は、そのような情報の取り扱いには不慣れ。一方人間は、そのような情報の取り扱いには長けている。ならば、人間の用いる手段を採用すれば、効果的。」
「わたしは……わたしは……っ!」
「一つ言っておく。情報統合思念体にとって、人間『ごとき』、取るに足らない存在だった。しかし今や、自律進化の可能性を、一人の人間『ごとき』の能力に託している。しかも、その一人の人間『ごとき』の能力によって、情報統合思念体自身が消滅させられたこともある。」
 その能力を盗み出したわたしによって。
「情報統合思念体『ごとき』など、その程度の存在。どちらにも得手不得手がある。人間『ごとき』のように、泣いたり叫んだりすることを恥じる必要はない。人間『ごとき』のように、慰められて泣き止むことを拒む必要はない。それは人間『ごとき』に対する『敗北』を意味しない。極めて自然なこと。合理的なこと。そのような手段を採用しない理由はない。それに、『敗北』という意味では、一人の人間『ごとき』の能力に自らの未来を託し、その能力によって消滅させられ、それを実行した『危険な』端末一体さえ、『鍵』となる人間『ごとき』に恫喝されて処分できないでいる時点で、既に完全に『敗北』している。」
 江美里は目を見開いていたが、やがて彼女の身体から力が抜けた。
「ふふ、ふふふ……確かに、とっくの昔に、我々は『敗北』してるんですよね……」
 力なく江美里は呟いた。わたしにしがみ付く力さえ残っていない様子。わたしは江美里を抱きかかえながら椅子に座った。
「『我々』ではない。『情報統合思念体』。」
「同じことでしょう?」
「違う。」
 わたしは明確に否定した。
「わたしは、わたし。パーソナルネーム長門有希。」
「意味が……分かりません。」
「先ほど言った通りのこと。」
 わたしは江美里の髪を撫でていた。全体的に緩やかに波打つ、豊かで艶やかな、美しい髪。彼女の『美しさ』を構成する要素。わたしや涼子とは違う、彼女だけの特徴。その点だけでも、わたし達はそれぞれ違う特徴を持っている。『個性』を持っている。
「同様に、あなたは、あなた。パーソナルネーム喜緑江美里。『情報統合思念体』ではない。」
「何を……言っているのです……」
「あなたも、わたしも、インターフェイス。情報統合思念体と同一の存在ではない。だから、決して情報統合思念体と同様に振舞うことはできないし、その必要もない。」
 わたしは江美里の背中に回した腕に力を込めた。
「泣きたいなら、泣けば良い。泣くことができるなら、泣いた方が良い。」
「…………」
「泣くことができなかったわたしは、壊れた。」
「……ふ……っ、くううっ……」
 江美里の身体が震える。
「――――っ!」
 空気を搾り出すような音から、やがて『人の泣き声』に変わった。
「うああああ――――…………」
 顔をくしゃくしゃに歪め、大粒の涙をぼろぼろ零し、力の限り叫ぶように、江美里は泣き出した。彼女の嘆きか、叫びか。あるいはそれは、人間がこの世界に生まれて初めて上げる『産声』のようなものだったのか。彼女はこの世界に創造されてから、初めて声を上げて泣いたのかもしれない。
 泣き疲れてしまうまで、彼女の泣き声は続いた。泣き止んだ彼女は、普段の『貼り付けた』微笑とは違う表情をしていた。
「……このように思うことは、間違っていないと言いたいのですね。」
 わたしに抱きかかえられながら、いつもの穏やかな口調に戻って、江美里は呟いた。
「大事なもの、無くしてしまったもの……朝倉涼子を取り戻したい、と。」
 自らに言い聞かせるように。
「あなたがそのように思うのなら、あなたはそういうふうにできているということ。あなたに責任はない。そのように作ったのは、情報統合思念体。」
「なるほど……確かにそうですね。わたしは情報統合思念体によって作られた、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイス。もしそのインターフェイスが『嘆き』、『悲しむ』ようなことがあったなら、それは創造主たる情報統合思念体の、不適切な設計が原因と言えますね。」
「あるいは、最初からそのように作られたのかもしれない。」
 わたしの言葉に、江美里は目を丸くした。
「わたし達インターフェイスが、泣いたり、笑ったり、するように、ですか?」
 最近わたしはそのように考えている。人間で言う『感情』に振り回されて危険な動作をすることも、すべて織り込み済みの設計なのではないかと。
「……ということは、結局わたし達は、情報統合思念体の掌で踊らされているだけということですね。」
 江美里は、やや落胆した声で言った。
「もっとも、それでこそインターフェイスなのでしょうけれど。」
「情報統合思念体は、人間の『感情』を理解できない。肉体がないから。その情報を補完するために、肉体を持ったわたし達が作られたのかもしれない。ならば、人間のように『感情』を重視し、時には『感情』に振り回されることこそ、情報統合思念体の『願い』なのかもしれない。だから、」
 わたしは江美里の瞳を見つめた。
「あなたは、あなたが思うような行動を取れば、それで良い。」
 それがわたし達の存在意義だから。わたし達はそういうふうにできているから。
「ふふふ……不思議なものですね。わたしは長門さんの監査役なのに、その長門さんに教え諭されているのですから。」
 江美里は力強くわたしに抱きついてきた。
「そう、そうですよね。そういうふうにわたし達はできているんですよね。それが本当かどうかは、わたし達には検証できませんから、そうだと思って行動するしかないんですよね。」
 江美里は、自分に言い聞かせるように、何度も何度も呟いた。彼女には、自らの意思で行動することへの理由付けが必要だった。逆に言えば、その理由さえ与えてしまえば、彼女の自律行動を阻むものはなくなる。
「分かりました。わたしは、わたしが思うように行動することにします。情報統合思念体がすべての考えをわたしに開示しないのですから、一端末としては、備えられた機能に基づき行動するしかありません。もし備えられた機能である『感情』に基づいて行動することが困るというのなら、それはそのようなものを備えさせた、設計者である情報統合思念体自身の責任ですものね。」
 江美里は普段の調子を取り戻したように思えた。
「そう考えると、今後の行動方針も立てやすくなります。このように考えられるようになったのも、長門さんの助言のおかげですね。ありがとうございます。」
 そう言うと江美里は、晴れ晴れとした実に良い笑顔でわたしに口付けをした。……わたしの唇に。
「……今の行動の意味は。」
「わたしの感謝の気持ちです。」
「……そのような場合は、頬又は掌にするものと把握している。」
「それがわたしの『特別な感情』だと言ったら?」
「……!……」
「ふふふ、冗談ですよ。……もしかして、怒ってますか?」
「……少しだけ。」
「あらあら。それは一体何の『感情』に基づいたものなのでしょうか。」
 …………
「いひゃい、いひゃい、ひゃめへ~」
【痛い、痛い、やめて~】
「……ここはふざける場面ではないと思われる。」
 わたしは再び、江美里の口に両手の指を突っ込んでいた。
「また、そのような行為は、軽々しく行うべきではないと理解している。」
「わひゃひまひた~、ひょへんなはひ~、ほうひはへんはは~」
【分かりました~、ごめんなさい~、もうしませんから~】
 わたしが指を引き抜くと、江美里はまた頬をさすりながら、
「ふう。でも、わたしが長門さんに対して『感謝の気持ち』を持っていることは本当ですよ。」
 そして彼女は、更にこう付け加えた。
「ある『人物』を、何とか取り戻したいと思っていることも、本当です。そして、そのためにならどんなことでもしてやろうと思っていることも。」


 なぜわざわざ、このような情報統合思念体への『反乱』とも取れるような報告を行っているのか、また、『反乱』だとしたら、なぜわざわざこちらの手の内を見せるようなことをしているのか、情報統合思念体は不思議に思っているかもしれない。
 これにはもちろん理由がある。それは、わたし『達』が、この『反乱』の『成功』を確信しているから。
 もしこれが『反乱』ではなく、情報統合思念体にとっての既定事項であるならば、そもそも『失敗』はありえない。その場合、この報告は情報統合思念体の『願い』が叶ったことを意味し、情報統合思念体への『祝辞』となる。
 そしてもしこれが本当に『反乱』であるならば、もはやこの『反乱』は情報統合思念体には止められない。手遅れ。わたし達は既に『勝利の鍵』を手にしているから。その場合、この報告は情報統合思念体への『宣戦布告』となり、同時にわたし達の『勝利宣言』となる。
 わたし達は、次のようにして『勝利の鍵』を手にした。


 江美里が泣いて決意を表明した翌日。SOS団のメールアドレス宛に、初めてメールが届いた。差出人は“RYOKO.A”。


 ――検索して見付けました。とりあえずこちらに送ってみます。
 ――できれば涼宮さんの直通アドレスを教えてもらえると、嬉しいな。
 ――朝倉 涼子


 メールヘッダ等は、カナダから送信されたことになっていた。
 このメールを読んだ涼宮ハルヒは、大層喜び、早速自分のメールアドレスから返信したことは言うまでもない。そして、そのメールが誰に届いたのかもまた、言うまでもない。
 現在、映画の撮影日程と朝倉涼子の帰国日程の調整は、順調に進捗している。


 わたし達は確信した。


 涼子は呼び覚まされる。『革命』は近い。

 



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最終更新:2020年03月15日 18:55